寺社仏閣 ご朱印の旅

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関・一宮の旅 - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:24:31

朝晩は秋の気配が感じられる季節となりましたが、まだ残暑が続く今日この頃、今回は、本来の御朱印めぐりから離れ、8月の花火を撮影…と、近場を探すが、平日の開催はやはり少ない。その少ない中から岐阜県関市と愛知県一宮市をチョイスし、行ってきましたよ~

関市花火大会(1) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:25:29

名古屋・栄から美濃市行きの高速バスがあるので、それに乗って1時間ほど。関市の安楽山公園前バス停で下車。関市はもちろん刃物の街として有名であるが、美濃33観音霊場で各寺を訪れ、概ね3回ほど来ていて、花火大会で訪れようとは自分自身思ってもみなかった。
時刻は15:00ごろ。打ち上げ会場へ行く前に、コンビニでおなじみの夕食弁当と凍ったペットボトルを買い、津保川堤防沿いを目指す。バス車内の時から、なんだか雲行きが怪しい天気だったが、歩いている最中も天気雨が降り、不安が残りながらも会場へと急ぐ。
稲口橋(だったかな…)に到着し、すでに出店が並ぶ祭りの雰囲気の中、ちょうど警備員さんがいたので、どこで撮影したらいいかアドバイスをもらい、橋の下の河川敷に決める。河川敷にはすでに、ビニールシートが“予約”という形で場所取りされており、まだ人は少ない。陣取った場所で三脚だけ立て、ここからは“長い暇”が続き、対岸には消防車が来て、火花で火災を起きないように水を撒く光景、周りの景色、雷雲の多い空を眺めて、暇を持て余す。

関市花火大会(2) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:26:35

18:00ごろになると、観客も増え始め、私の隣に御老人夫婦が「ここいいですか~」と座り、しばらく談笑。地元○○市から来たということで、関市の花火大会は3回ほど来ているんだとか。カメラを趣味にしていて、世界の各地へ旅行をし、モンゴルの奥深い土地やら峡谷、カナダでオーロラ等、独学で英語を覚え、“武勇伝”の話がつきない。カメラに出会って本当に良かったと、熱い話をし、その点は私も同じなので、「うんうん」と相槌を打ち、花火前の憩いの時を過ごす。
西の空に怪しい雲が覆い、稲光が激しく見え心配したが、19:30、打ち上げ時間となり、女性アナウンスが協賛された企業名を読み上げ、関市長の挨拶。
「まだ~」というお約束の野次が飛ぶ中、規制テープ以外の観覧場所にも座るマナーのない外国人や“縄張り争い”をしている地元民だろうか、その騒ぎように、関市はそういう“民度”というネット情報をあらかじめ知っていたので、舌打ちしながらもそこは無視して待ち望む。
カウントダウンの花火が「5」「4」と上がり、打ち上げがスタートし、そこからは撮影に集中。30分ほど経ち、御老人夫婦は途中退席し、軽めの挨拶で別れ、20:30終了~。後半は煙がもくもくと花火を邪魔し、きれいには見れなかったが、これも運なので仕方がない。終わりよければすべてよし、きっちり片づけをし、最終のバスの時間に間に合うように急ぎバス停へ行く。

尾張猿田彦神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:27:36

安楽山公園前バス停からJR岐阜駅行きのバスに乗り、岐阜駅に着いたのは22:45ごろ。直行で駅近くのホテルで宿泊し、就寝。翌朝は10:00にチェックアウトし、近所のマクドで時間潰し。正午前に名鉄岐阜駅から出発し、名鉄一宮駅で尾西線に乗り換え、奥町駅で下車。駅から西へ真~すぐ木曽川に向けて歩いていくと、尾張猿田彦神社があり立ち寄る。ネットで知り、訪れた次第で、当日の夜は提灯祭りが行われ、鳥居にたどり着いたとき、提灯が飾られていて、夏~といった雰囲気。
尾張猿田彦神社は名前のとおり、主祭神が猿田彦命。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨の際に、道案内したことはあまりにも有名だが、天狗の原型でもあり、交通安全や旅行安全のご利益があるので、ここでお参り。縁起は面倒くさいので…ここを…https://www.sarutahiko-jinjya.net/information.html#02
街の小さな神社といった感じで、手水舎の近くには鯉が泳ぐ、ちゃんとした庭もある。お参りは社殿の中に上がってでき、サッシを開けると、感知器が反応したのか、巫女さんが現れ、「こんにちは」とご挨拶。お参り後、御朱印をお願いしている間、冷茶をいただきありがたい限り。花火大会のパンフレットがあったので、少し読んでみると、協賛されている企業名が3ページに渡って掲載されており、そんだけすんごい花火大会であることがわかる。
ここの神社からも花火が見えるそうで、御朱印をいただきお礼を述べ、社殿から見える花火を想像し、後にする。

濃尾大花火(1) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:28:51

神社から南へ、コンビニに立ち寄り、弁当と冷凍ペットボトルを購入し、木曽川の河川敷へ向かう。屋台オープンの準備をしている人を見ながら堤防沿いに出ると、まだ誰もいない様子で、堤防の壁から頭一つ出して河川敷を見下ろすと、シートがいっぱい敷いてあり、ちらほらと人がいる。
時刻は14:00ごろ。とりあえず堤防沿いの場所に陣取り、三脚を立て、腰を落ち着かせると、しばらくして背後で「あの~、お客さん、すみません!」と声がかかる。振り返ると警察の方が車の窓から「そこは禁止区域なので…」とパンフレットをくださり、書いてある地図を指し示し、撮影可能場所を教えてくれる。「なるほど~」とお礼を述べ、堤防沿いを北へと移動。どおりで誰もいないはずだと、一人恥をかいた状態をかき消すかのようにそそくさとその場所に行くと、大会本部があり、そこから北のエリアがそうで、三脚を立てている人はまだいない。一人、年配の方がいたので声をかけると、その方もどこにしようか迷っている様子。…と、何だかんだ情報を共有し合い、その場に陣取ることにし、しばらく談笑。

濃尾大花火(2) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:29:54

濃尾大花火は愛知県では2番目に人気のある花火大会。愛知県一宮市と岐阜県羽島市合同による花火大会で、木曽川を挟んで、それぞれの河川敷で打ち上がる。最大の魅力は何といっても10号玉が3発と20号玉が2発も上がる、とてつもない“大輪が花開く”ので、迫力、スケールが桁違い。過去のネット動画を見、「大きすぎる」「画角に入りきらない」など、相当大きい花火であることがわかり、この日のために買っちゃいました!広角レンズ!(安物だけど…)まだ、使いこなせてない広角レンズをいきなり、この花火大会で初使用しようと…
先ほど警察の方からいただいたパンフレットによると、打ち上げのプログラムが書かれており、15分間隔で“大きい”のが打ち上がるので、そこは何とか事前に予測がつくが、さて、どうなることやら…と、まぁ、なるようになれ~と思いつつ、まだまだ昼間の時間はたっぷりある。
…で、夕食の弁当を食べ終え、どこかで休憩していた先ほどの年配の方が戻って来て、屋台で売っていたからあげをごちそうになり、感謝×2。そこへもう一人、同じ年配の方が見え、話をする。2人は地元の写真クラブに所属していて、こちらの大花火も数回、撮影に来ているんだとか。からあげをごちそうしてくれた方は、作品が入選され、1位になったというから驚。「す、すごいじゃないですか~」とベテランの方とはつゆ知らず、尊敬の念で見てしまう。やっぱし何回も来て、場数を踏まないといけないなぁ~と実感し、花火撮影は改めて奥深いと思う。

濃尾大花火(3) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:30:55

大分、人が集まりだした最中、河川敷で、熱中症になって担架で運ばれる人を見、注目の的になっている。せっかくの花火大会をこんな形で削がれるのは、かわいそうだが、自分自身も熱中症に対してはかなり気を使っている。帽子はもちろん、タオル、冷えピタ、虫除けスプレー、伸びをするなど適度な運動等をし、水分はこまめに取る。巡回している警備員を見ていると、腰には水筒がぶら下がり、熱中症対策に余念がない。備えあれば憂いなし、準備に越したことはないのである。
さて、辺りは夕景となり、人も増え始めてきて、いよいよ。年配の方は、去年に比べると、今年は一宮側で撮影される人は少ないとのこと。羽島側の堤防に流れたのか、はたまた同じところで撮影するのはありきたりで、どこか違う場所を狙って移動したのか、とにかく花火は場所取りが命なので、どこぞで撮影するかによって決まってくる。
19:30になり、一宮市長が手短に挨拶をし、スムーズにスタート。次から次に打ち上がるスターマインに、歓声が上がり、「これが濃尾大花火か~」と、やはり規模が違う。最初の10号玉の花火が打ち上がると、「おー!」と拍手拍手。「これが20号玉!」と大きすぎる花火に圧倒され、カメラのモニターで再生してみると画角に収まっていない。ズームで撮ってしまったので、上が切れてしまっていて、まだまだと思いながらも、あと3発“大きい”のが残っているので、次こそはと、ちょっとだけ撮影の集中力を解くと、周りの雰囲気がどよめいている。ざわざわと余韻が残り、観客は“静かな興奮”が冷めきらないでいる。確かに、打ち上がるときの「ドン!」という巨大な音、「ヒュ~」と“花開く”までの時間の長いこと、そして、“花開いた”花火の大きいこと、私の体験の中で、こんな花火一回も見たことない。
いや~、ホント来てよかったーと、心の中で何度も繰り返し納得。

濃尾大花火(4) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:32:07

集中を切らすことなく撮り続け、3発の“大玉”も打ち上がるたびに歓声が上がり、20:45終了~。周りのカメラギャラリーも一仕事終えたかのように、お互い労い、年配の方もお疲れ様~と退散。規模の大きい花火大会の分、人も大勢、帰路に行列ができ、すごい人。
帰りは、会場から一宮駅へのシャトルバスが出ているので、それに乗って帰る予定だが、そういえば、花火が打ち上がっている最中、アナウンスで「シャトルバスの運行は22:00までで~す、早めに行動をお願いしま~す」と、実際は「早う帰れ」と言わんばかりの放送を何回も流していて、これってどうなの?と思ったが、明らかに22:00って無理でしょ!と、ツッコミを入れたくなる。
シャトルバスの発着場所まで行くと、当然、長蛇の列。名鉄バスが数台、ずらりと並び、ピストン運行している。運賃は300円。儲かってんなぁ~と思いながら、乗車できるまで待つ。結局、シャトルバス発着場所まで行くのに30分、シャトルバスに乗るまでに1時間、一宮駅に着いたのが22:50ごろと、覚悟はしていたが、ヤバい!名古屋に帰れるだろうかと不安になる。何とか最終に間に合ったが、やはり、現地での宿泊も考えないといけないと反省しつつ、「大人の夏休み~」といった感じで満喫しました~

また8、静岡の旅 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:17:24

今年は西日本豪雨をはじめ、被災した地や台風の影響により、中止となるとこがあり、こればっかりは致し方ない。なので、今年は猛暑という気候もあり、花火撮影はあきらめモードであったが、天からの“お知らせモード”が発動し、順延となった沼津市の花火大会に、あれよあれよと1日で計画を立てることができ、今年最初の花火撮影に行ってきましたよ~

富士山 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:18:32

仕事明けで家に帰る途中、ネット検索をしていると、沼津市の花火大会が順延になっている情報を知り、旅の行程のイメージが膨らみ、機械のごとく灰色の脳細胞が急に働き始める。
「行けるのか?」から「行ける!」と電気信号が走るかの如く、パッと計画がハマり、家に到着後、機材の準備に取り掛かり、荷物をまとめ、すぐに家を出、名古屋駅へ。名古屋から静岡までは新幹線で、そこから“鈍行”で沼津駅と、たっぷりある移動時間を利用し、宿の予約や撮影場所、沼津市内の寺社等を調べ上げ、今では当たり前のネット情報の普及に感謝である。
沼津駅に到着し、駅前のコンビニで凍ったペットボトル2本と夕食用の弁当を買い、東海オレンジバスで温水プール行き不動尊前バス停へ移動。この地は香貫山の麓で、沼津駅から南東の方角に位置しており、花火打ち上げ場所から真東(正確ではない)に約1.7kmの地点。そして、この山の頂上には見晴台があり、駿河湾や富士山を一望できる場所で、ここから花火を撮影したブログ紹介を見つけ、ここに来た次第。
…で、この山を登山しなければならない。今までの登山経験からして193mの山なので、ハイキングコースのようなものだが、この猛暑の中ではさすがにしんどい。休憩を挟みながら前へ前へと進み、頂上に到着。見晴台のある場所には電波の中継所兼展望台があり、そこにはすでに5,6人のギャラリーがいて、三脚が並んでいる。花火撮影は場所取りが重要なことはさすがにわかっていらっしゃる“歴戦の人たち”に挨拶し、「ここいいですか?」とお願いする。まだ人数も少ないので快く開けて下さり、しばらく談笑。東京や地元静岡から来ている人がいて、考えていることは同じ、たまたま仕事が休みの日に、順延になったことで「いける!」と決断し、来たのだそうだ。
時刻は15:30ごろ。周りの景色を眺め、南には伊豆半島の根っこの部分、西には湾曲を描く浜辺に駿河湾の広大な入江、北には裾野が広がり、山筋を上に追うと、雲で隠れた富士山が見える。そんな景色を眺めていると、疲れも忘れ、思えばここは、常に風が吹いていて、太陽は照っているが涼しい。台風が過ぎ去った後だろう、風も少し強いが、凍ったペットボトルも必要ないほどに、運よく体力は消耗していない。…が、花火は小雨なら決行するが、強風だと中止になるので、麓の風はどうだろうかと、ちょっと心配のままここからの景色を眺める。

夕景 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:19:38

花火の開始は19:30。それまで雑談をし、気づけばケーブルTV局がカメラをセッティングし、自分たちの立ち位置から後ろ側の高い所にTV局のお天気カメラだろうか、オートでカメラのワイパーが作動し、レンズを綺麗にして右左と稼働させている。
日没は19:00ごろ。太陽が沈みゆく夕景の茜色は、雲に遮られ、きれいとはいかないが、そんでもすばらしい。思えば、その日に決断し、よくこんなところまで来たなぁ~と、自分なりに感心し、無心に眺望し、暇を持て余す。

花火 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:20:45

19:30打ち上げ開始とともに、私を含めギャラリーは花火に集中する。沼津の街を通る狩野川の河川敷から二か所に分けて打ち上げられ、やはり俯瞰で撮る花火が私はお気に入り。花火会場近くで撮影すると、画角に入りきらず、広角レンズが必要になってくるので、あまり好まない。…っていうか、広角レンズすら持ってないし、今年ぐらいから買おうかなぁ~とは思っているのだが…
…で、あっという間に1時間、花火大会は終了し片付け。一時の撮影仲間とも「お疲れ様~」の挨拶とともに別れ下山。もちろんライトは持参しているので大丈夫だが、下山途中、ライトの明かりが徐々に薄くなっていく…
「ヤバい…」
何とか麓までもってくれ~と祈りながら漆黒の森の中、カラスの巣があったのだろう「うるさいな~」という鳴き声がカァカァ響き、それに答えるかのように「邪魔すんで~」と、他の動物のイノシシだかヘビだかに訴えるかのように気合を入れ進む。
ようやく“下界”まで降り一安心。沼津駅近くのホテルまで歩き、この日は就寝。


山王宮日枝神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:21:57

翌朝。2日目は沼津市内の神社めぐり。沼津駅から東へ、沼津警察署近くにある日枝神社を訪れる。日枝神社は地元では“山王さん”で親しまれ、“日枝”(ひえ)といえば、滋賀県の比叡山を思い浮かべる。山王信仰に基づき、比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号で、その名は全国にあり有名。
ここの日枝神社の沿革を見ると、この地域は平安時代、関白の藤原師通の領地で、山王の神主を殺害する事件があり、この訴えを師通は拒絶したため、神主の呪詛により死去。師通の母が日吉大社の御神霊を分祀して、田んぼを寄進し、謝罪の礼を表されたのが当社の起源とか。殺人事件をな~んも責任なく“無視”するなんて、な~んか、あの、どこぞの大学を思い浮かべてしまうが、祟りは恐ろしや~
…で、境内は桜の木々が植えられていて、第2の鳥居近くに「三春の滝桜」がある。「三春の滝桜」といえば、福島県にある日本三大桜の1つで有名だが、その桜の苗木を植えたもので、樹齢20年ほど経っているとのこと。「福島か~」と、遠い地を馳せ、一度はその桜を見てみたいが、生きているうちに行けるだろうか…と、満開の桜のときを想像し、社殿へと向かう。拝殿でお参り後、社務所へ行くと、改装工事中で、大工さんたちが忙しく働いている中をお邪魔し、御朱印をいただき後にする。

城岡神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:23:22

日枝神社から沼津警察署の方へ、狩野川の堤防下に「鍵屋の辻の血闘」ゆかりの場所があるので行ってみることに。「鍵屋の辻の血闘」は日本三大仇討と称されるほどの事件で、「忠臣蔵」や「曽我兄弟の仇討」に並ぶ有名な話。
ここは昔、平作という名の主が営む茶屋があった場所で、浄瑠璃や歌舞伎にも出てくる「伊賀越道中双六」の物語としても有名である。物語を説明するのはめんどくさいのでココを→http://www.tokaidou.jp/igagoedoucyuusugoroku-numazunodann.html
堤防沿いを西へ、江戸幕府が日本橋を起点に一里ごとに設けた里程標である一里塚や、玉砥石をカメラに収め、さらに西へ向かうと沼津市の中心街となり、その一角に城岡神社がある。かつてこの地は沼津城の敷地となっていて、北側の内堀の近くにあった場所。沿革によると、沼津城の第2代城主、水野忠晟公が社殿を造営し、時の第11代将軍、徳川家斉公により山城国の稲荷の御神体を拝受して、城の守護神とし、明治、維新の廃藩により城内区民の守護神として祀られることになり、東照宮を相殿に、稲荷さんと権現さん、社号を統一し、現在の名に改称されたとある(冊子参照)。
水野家は徳川幕府の側用人や老中として権勢をふるった家柄。明治維新後、徳川家は駿河、遠江、三河の70万石に処せられ、徳川家臣たちは沼津の地に無禄移住するが、沼津の領地をずっと守り続けてきた水野家は千葉の菊間(現市原市)に転封、“殿のためなら”と忠誠心を示すために素直に譲ったのか、はたまた、90年余り沼津を守ってきたのになんで?という悔しい想いがあったのか、そこらへんは歴史学者に任せるとして、沼津の地はこれらのように徳川家、水野家が色濃く残る土地柄であることがわかる。
さて…、神社はと言うと、ビル群に囲まれた中に鳥居が建ち、境内は近代的な社殿、マンションのエントランスを思わせる石タイルと、周りの環境に合わせた感じ。社殿後ろにある建物は立体駐車場だろうか、それが返って印象を濃くしている。年代物の灯籠や沼津兵学校跡地の石碑が建ち、それらが当時を偲ぶものとして隅っこにある。
拝殿でお参り。御朱印をお願いしようと隣の公民館のような受付へ行くと、書く方が9:10ごろに来るということで、それまで待機室で待たせてもらう。しばらく待つ間、窓に貼られた昭和の古地図を見ていると、この近所には今はない松坂屋があったようで、現在はUFJ銀行になっているが、古き良き時代の“デパート”が失われていくことに寂しさも覚える。わが名古屋の中心街、栄にも丸栄(名古屋では有名)がなくなり、老舗デパート業界はかなり貧窮し、これも時代の流れかと、街の中に建つ当神社の近代的な造りと結び付け、古地図をしばらく眺める。そうこうしていると、書いて下さる方が見え、御朱印をいただきお礼を述べ、次へ。

八幡神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:24:38

城岡神社から西へ、沼津の南北に走るメイン道路に出ると商店街、その歩道の車道側には祭りあとの屋台が並んでいる。花火大会は昨日と今日、2回に分けて行われるので、街はまだ祭りの雰囲気が残っている。
南に下り、中央公園というとこに来ると、沼津城跡の石碑が建ち、このあたりが本丸跡や沼津兵学校があった場所で、地元のお年寄りらがベンチで涼み、今では憩いの場となっている。その中央公園から狩野川に架かるあゆみ橋という橋を渡ると、橋の上から花火打ち上げ場所である堤防沿いを見渡せ、朝からすでに花火師が準備に取り掛かっている。「ここから打ち上げられたとすると…」と、南東の方角に目を向け、「あの山を登ったんだ~」と、こんもりと緑生い茂る山を見、改めて「よく登ったなぁ~」と周りの風景と合わせしばらく眺める。橋を渡り、香貫公園というとこに来ると、八幡神社の境内とつながっていて、鳥居を潜らず、敷地に入る。
八幡神社は立て看板を読むと、由緒、創立とも定かではないとある。社殿は昭和5年に千本松原の松を材料にして造られたとされ、地元の神社
立派な本殿を見上げお参りし、参道の中央に社務所があるので覗いてみると、留守のよう。御朱印はあきらめ、神社から西へと進む。

丸子・浅間神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:25:43

御成橋付近は花火大会の運営委員の事務局がある場所のようで、地元TV局のビルがあり、屋台や提灯などの飾りを見ると、今日も賑わいそうな想像をしてしまう。
通横町の交差点を西へ、途中から南へと下ると、丸子・浅間神社がある。
丸子・浅間神社は冊子によると、浅間神社が先で、時は桓武天皇の御代、坂上田村麻呂の東征凱旋の折、狩野川の右岸(現在の沼津市宮町)に奉斎したのがはじまり。その後、土御門天皇の御代(鎌倉時代)に、現在の地に御遷座されたという。一方、丸子神社は崇神天皇の御代(古代)に現在の沼津市丸子町に創建され、明治に入り、現在の浅間神社に遷座されて一扇二社となったとある(大分説明端折ってます…)。浅間神社の御祭神は木花開那姫命で、安産の守護神。丸子神社は金山彦尊(かなやまひこのみこと)で、剣、鏡、刀、鍬、鋤などを鍛える守護神として崇められ、江戸時代、参勤交代の折、諸大名が多く参拝したんだとか。そんな由緒ある神社の境内を、本当は南側の鳥居から入らなければならないが、東側から入ると、本殿の側面を回り込むように拝殿前に出て、さっそくお参り。拝殿のガラス扉で仕切られたところには、左側に浅間神社、右側に丸子神社の神紋が記され、左右それぞれに祀られていることが分かる。本殿外にも左右、社殿が建てられているが、たぶん相殿という形で、有名どころの神様が冊子に載っているので、それらの神様が祀られているのだろう。
社務所で御朱印をいただこうと伺うと、期間限定夏バージョンの御朱印があり、夏らしく水色の書置きが用意してあり、限定に弱い心理に惑わされ、それをお願いし、後にする。

沼津バーガー - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:26:52

丸子・浅間神社東側にある下本町バス停から沼津港バス停へ移動。観光名所となっている沼津港は新鮮な魚介類が食せる店やみやげもの店が多く、まぁ~、“港”だから当然といえば当然だが…、今回の旅を計画する上で、1つだけ気になったのが、深海水族館があるということ。TBSの「クレイジージャーニー」という番組で、深海魚の生態の解明などや、生きた深海魚を展示するなど、研究する人を紹介していて、確かここ、沼津の水族館に収めている(…だと思ったけど)ことを知って、沼津港に訪れた次第。
バス停からさっそく沼津港83番地というところに行くと、浜焼きや回転寿司、海鮮丼などの店舗があり、結構繁盛している様子で、夏休みもあり、家族連れが多くいる。
…と、水族館に行く前に、“沼津バーガー”という看板が目につき、昼前ではあるが、早い腹ごしらえ。店内に入り、カウンターで注文。メニューを見ると、深海魚バーガー、サメバーガー、金目鯛バーガー等々おもしろいメニューが多々ある。金目鯛はさすがに高級魚、値段も高いが食べてもみたい。少し迷い、金目鯛はお預けとし、深海魚バーガーをセットでお願いする。出来上がるまで空いてる席で待っていると、店内の雰囲気が「あれっ」と何か違和感があり、壁のポスターはアニメキャラクターが貼り出されていて、気づけば、店内を流れるBGMがアニメソングっぽいのばかり。客層もオタクっぽい?方々が座っていて、ここは“聖地”なのだろうかとちょっとオモロイ。後で調べて分かったことだが、沼津を舞台にしたアニメがあるらしく、おじさんもアニメは好きだが、少女趣味はないので分からない。
…と、注文した深海魚バーガーが運ばれ、さっそく実食。ちなみに深海魚はメギスという魚で、体の大きさに不釣り合いな目の大きさで、深海の砂底で生息しているそうだが…、
「モグモグ…、うん、フィッシュバーガー!」(アニメっぽいセリフにしてみました…)
深海魚も見た目はグロテスクなものがほとんどだが、見た目とは違い、普通に食べられるものもあり、なかなかにおいしい。また沼津に来た時は金目鯛バーガーを食すことを願い、満足×2で店を出る。

沼津港深海水族館 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:28:01

さて、お腹を満たし、すぐ隣の水族館へ。受付で入場料を見ると1600円で、「高!」と思ってしまうが、まぁ~、どこの水族館もこんな料金だと思い、躊躇なく支払い、いざ観賞~。
係の方に写真撮影が大丈夫なのか聞いてみると、深海魚は光に敏感で、ストレスを感じるらしく、フラッシュをたかないのであればOKということで、順番に小窓(水槽)の中の深海魚を覗き、説明を読んでいく。
オオグソクムシやチンアナゴなど、TV等で知っている深海魚もいれば、アブラボウズやイガグリガニなど、はじめて見るヘンテコな深海魚もいておもしろい。
冊子によると、日本一深い駿河湾は豊富な海洋資源を持つ宝庫であり、深海生物は駿河湾から捕獲し、水温、水圧、明るさなど過酷な環境下で暮らしている深海生物にとって“光のある世界”に来ることは、通常の魚以上に負荷がかかり、飼育にも細心の注意が必要で、その点、館内は照明を工夫し、珍しい生物が採取されれば、すぐに展示入れ替えしているとのこと。なので、まだまだ我々の知らない生物がいることだろう、駿河湾の海底には未知の世界が広がっている。
足の長いタカアシガニや青い光を放つヒカリキンメダイを観賞し2階へ。2階には冷凍シーラカンスが展示されていて、ちょうど係の方が説明をし始め、人が集まっている。
シーラカンスが「生きた化石」というキャッチフレーズは有名だが、詳しいことは知らない。説明では、アフリカのコモロ諸島で発見されたのが1938年のこと。背骨を持たず、脊柱の骨の中心が空洞になっているという体の構造は他の生物にはない珍しい生態そのもの。
1991年に「絶滅危惧種」よりもさらに「絶滅寸前種」としてワシントン条約に格上げされ、生きている個体はもちろん、皮や骨、ウロコ1枚でも世界で商業を目的とした輸出入が禁止されている。
…で、当館はなぜ展示できるのか…。制定される前に、正規の形で取引され、輸入されたことを証明する「国際希少野生動植物登録票」というのが必要で、ここ、沼津港水族館に展示されている5体(2体の冷凍と3体の剥製標本)のシーラカンスに発行されており、言い換えれば、日本でここだけしかシーラカンスの展示を許されていない(冊子参照)。
なので、大変貴重であるということがわかり、臓器やウロコ、遊泳映像などを紹介していて、来た甲斐があったというもの。いろいろと勉強になり、おみやげコーナーを見て回り、深海生物に触れて博識を深めました~。

また28、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:17:11

夏は暑いのが当たり前だが、こうも暑さの度合いが違うと気が滅入ってしまう。しばらくこの暑さが和らぐまでは旅も少しお休みか…とはならず、今回は7月下旬に明石市を中心に行った寺社巡りの旅路~

休天神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:18:23

近鉄で大阪難波駅へ。そこから阪神線、山陽線を経て、山陽明石駅の1つ手前、人丸前駅で下車。駅から国道2号線の道を東へ数分歩けば、休天神社がある。
過去に一度訪ねたことがあって、そのときは御朱印をいただけなかったのだが、近くの稲爪神社(過去に紹介している)で御朱印がいただけるという情報を知り、訪れた次第。この日は例祭の夏祭りがあるのだろうか、青い幟が掲げてあり、鳥居より境内に入ると、屋台の準備をしている作業員が忙しく働いている。そんな中をお参りし、窓が締め切られた社務所っぽい建物の隣に道真さんが立ち寄ったと伝わる厩跡の石碑を見、道真さんに頭が良くなりますように~と願う。
休天神社は、その厩の“駅長”さんが大宰府に左遷された道真さんに同情的で、道真さんが亡くなったと聞いた後に、祠を祀ったのがはじまり。その社名のとおり、境内には道真さんが休んだとされる石碑も建っていて、偲ばれる。
…で、稲爪神社へと向かい境内に入ると、社務所の窓に貼紙があり、「今後、御朱印は受付しない」と貼りだされている。「え~」と、驚きはしたが、まぁ~、神社の事情もあることだろう、仙人のような心で諦め、もちろん、稲爪神社の祭神、面足大神にも手を合わせ次へ。

腕塚神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:19:34

さて、今回の旅をするにあたり、地図上で人丸前駅の近くに腕塚神社という名所を見つけ、ネットで検索。平清盛の末弟である忠度(ただのり)を祀る神社ということを知り、その近くには「忠度塚」や「忠度公園」と、よく調べれば「忠度」ゆかりの名所がある。
まずは稲瓜神社から西へ、忠度塚を訪ねる。道に面した一角に、整備された塚があり看板も立っている。
平忠度は、源平合戦の一の谷の戦いにおいて敗戦、海岸沿いを西へ落ちていく。源氏の将の岡部六弥忠澄がこれを見て、十余騎で追い、明石の両馬川まできた時に、二人は馬を並べて組打ちとなり、忠度は忠澄を取り押さえ首をかこうとするが、忠澄の郎等が主人の一大事と駆けつけ、忠度の右腕を切り落とし、忠度は観念し、念仏を唱え討たれてしまう。その亡骸を埋めたと伝わる場所がここで、物語のイメージを思い浮かべ「ここが…」と歴史の一部に立っているんだと浸る。忠度塚に手を合わせ次は北へと歩を進め、人丸前駅すぐ西のところにある腕塚神社へ。
町の中にある小さな社殿はひっそりと通りに面して溶け込み、この界隈の地元民に親しまれている感じがする。手を合わせお参りし、こちらも説明看板が建っていて、冊子も置いてある。冊子によると、腕の病にご利益があり、神社にある木製の右手を患部に当てれば良くなるとされ、おもしろい。
昔、山陽電車の線路脇に忠度の腕を埋めたところに小さな祠があり、昭和59年3月に、山電の高架工事の際、東に約30mの位置から移動されたものが現在の神社で、町名も「右手塚(うでづか)町」から「天文町」に変更されたらしい。ちなみに、忠度と忠澄が戦った両馬川は、この戦いの後に名付けられた「川」で、つい最近まで人丸前駅の北に細い流れが残っていたが、埋められてしまったという。
忠度は歌道も優れた人物で、毎年3月の例祭には謡曲「忠度」を連吟で奉納し、忠度を偲んでいて、冊子の最後には「伝承されることを切に願うものである」と書かれている。町名が変更されたり、両馬川が埋もれてしまうように、時代の流れとともに消滅していくのを危惧し、まさにそのとおりだと納得しつつ、歴史の想いに耽るのでありました~

雲晴寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:20:39

腕塚神社から山陽電車の高架下をくぐり西へ、雲晴寺に行く。こちらのお寺は南総里見八犬伝のモデルとなった里見忠義公の供養塔に、宮本武蔵作の庭等がある。もともとは明石藩の家老を奉る菩提寺で、ネットの情報ではお寺で“合コン”といった、婚活行事もあり、供養と縁結びのご利益として親しまれているらしい。
山門をくぐると境内には、正面に本堂、左手のスペースに上記の立て看板があり、矢印どおり本堂裏手へと進む。墓石が並ぶ一角に、まずは武蔵の孫弟子にあたる柴任三左衛門(しばとう さんざえもん)と、その妻、岩の墓石がある。
(「い、いかん…」どうしても「時任三郎」を「とき にんざぶろう」と読んでしまうギャグを思い出してしまう…)
説明看板を一通り読んで、手を合わせ、武蔵の作庭へ。
冊子によると、初代明石藩主の小笠原忠真は明石川東岸に城下町を建設するため、客分として武蔵を迎え入れ、城下町や城内の庭園設計を武蔵が行ったことが記録に残されている。雲晴寺にも武蔵作の庭園があったが、戦後に埋められてしまい、平成15年、新本堂建設に伴う発掘調査により、広い庭園があったことが明らかになったとある。現在は、元の庭を生かしながらの復元として、小ぢんまりとはしているが、「なるほど、これが…」とカメラに収める。
墓地の奥へと行くと、里見忠義公の供養塔が建っている。忠義公の夫人(桃源院)と娘(圓光院)の供養塔もあり、それぞれ親子三人、高野山奥の院にも供養塔が建っているそうで、こちらも手を合わせる。明石藩主であった大久保忠職公の姉が桃源院で、菩提を弔うために寺領を整備し、建てたとされていて、寺名は里見忠義公の戒名から「雲晴」とついている。
それから、こちらのお寺、幕末期の伊藤博文も絡んでいる。譜代大名である松平氏が治める明石藩の動静を探るために、この地に派遣された伊藤博文。当時の住職が長州藩の出身だった縁で、当山に滞在し、この年に起こった幕府による第二次長州征伐に明石藩が出兵していたため、今後の動向を探る間者(スパイ)として役目を果たしていたと。
…ということで、有名人ゆかりのお寺の雰囲気を味わい、客殿へ御朱印をお願いしに上がり、待っている間、一杯の冷茶をごちそうになり、「さすが!」といったおもてなしに感謝×2。お礼を述べ次へ。

本松寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:21:42

雲晴寺から北西の方角にある本松寺へ。山門手前には御主題の石碑があり、日蓮宗であることがわかる。こちらのお寺にも宮本武蔵作と伝わる庭があり、訪れた次第。
山門をくぐると、境内は大きな「聖僧樹」と呼ばれる栗の木やソテツなどがあり、緑豊か。「武蔵作の庭→」の看板があるのでそちらへ行ってみると、扉で閉ざされていて拝観できない。やはり、事前の電話連絡を入れておくべきかと反省し、とりあえず客殿?側へと戻り、御朱印をいただこうとピンポーンをする。
お寺の方が見えて、御朱印と同時に庭の拝観をお願いしてみると、「開けますのでどうぞ」と応じて下さり恐縮。御朱印を書いて下さる間、庭の方へと移動し、拝観。庭園についての冊子をいただき、絵図や説明を見ながらじっくりと観賞。書院からの眺めを視点にし、左手に“亀出島”、中央奥へと大滝、それを分ける“水分石”、右手に石橋が枯池に架かり、庭全体を眺めるための“礼拝石”が手前に配置されている。なんとなく池の形が「心」の形になっているような、私の勝手な見方ではあるが、武蔵もそう考えたかどうかはともかく、剣の道から芸術に通用するセンスも持ち合わせていたのかと想像する。
説明文には他にも、福聚院、雲晴寺、円珠院、明石公園に武蔵作の庭があるとされ、雲晴寺、明石公園は見ているが、あと2つも見てみたく、書き終えた御朱印帳を持ってきて下さったお寺の方に場所を教えてもらい、感謝×2で後にするのでした~

月照寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:22:41

本松寺から東へ、柿本神社の鳥居まで来ると、「亀の水」といわれる名水がある。枯れることのない霊泉で、万病に効くと看板に書かれていて、注ぎ口から滴り落ちる流水の涼やかなこと、暑さしのぎに一杯飲み、生き返る。
鳥居から石段を上がり、開けた参道に出ると、明石市立天文科学館の展望塔、子午線を示すトンボの標識が建ち、遠くに明石海峡大橋が見える高台にたどり着く。その高台には柿本神社の神門、すこし西側に歩くと月照寺の山門が横並びにあり、まずは月照寺から訪れる。
月照寺は、弘法大師が赤松山(現在の明石城跡)に餘鵜揚栁寺を創建したことにはじまり、創建から75年後、当時の揚栁寺の覚証和尚が大和の柿本山、広安寺より人麿念持仏であった、船乗十一面観音菩薩像を勧請し、寺号を月照寺と改め、時代を経て江戸時代、明石城築城の際、現在の地に移動し今に至っている(冊子参照)。
付け加えるならば、大和の広安寺は柿本人麻呂の邸宅があったところで、人麿が石見国(現島根県)に赴任するにあたり、寺に改め、本尊として船乗十一面観音菩薩像を安置、後に、覚証和尚が人麿の霊夢を感得し、その観音像を当山に移し、観音堂を造営している。なので、隣に柿本人麻呂を祀る神社があるように、明石と人麿が関係しているとはつゆ知らず、「へぇ~」と唸るばかり。
…ということで、境内に入ると、本堂、書院、庫裏とあり、東側にはあの観音堂がある。船乗十一面観音菩薩像は聖徳太子作と伝えられていて、持統天皇の念持仏として、人麿が帝から賜ったもの。それが上記のように今、月照寺に引き継がれてこの地に安置されているというから歴史を感じる。ちなみに、御開帳は60年に1度。今は何年目かわからないが、当然秘仏である。
本堂の前には立派なお白砂に梅や松が植えられ、清潔感にあふれ、夏の日差しのまぶしい中、カメラをパチリ。梅は「八房の梅」といい、赤穂浪士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助と共に、当寺に参詣して手植えしたと伝わり、1つの花に8つの実がなることから名付けられている。他にも人丸観音に、水琴窟、明石城にあった切手門を移築した山門、ふれ愛観音等を見、散策。御朱印をお願いしようとピンポーンすると、快く応じて下さり、お寺の方と少し立ち話。お礼を述べ後にする。

柿本神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:23:49

次はお隣の柿本神社へ。神門から境内に入ると、社殿へ続く参道が工事中で、暑い中、作業員が石畳を敷き詰めている。その脇を邪魔しないように社殿へと行き、お参り。気づいたら社殿内で宮司さんが祈祷をしている様子が見え、社務所で御朱印をいただこうにも、やはり“しばらくお待ち下さい”の貼紙があり、待つことにし、一旦、神門から抜け、明石海峡大橋が見渡せる高台で、水分補給をしながら黄昏る。
ここ、柿本神社は明石藩主であった小笠原忠政公が柿本人麻呂を崇敬していたこともあり、社殿を造営したのがはじまりであるが、奈良県にも確か柿本神社があって、訪れた記憶がよみがえる。奈良県葛城市のどこかの駅(忘れた…)の近くにあって立ち寄ったが、ひっそりとした境内に、どこか寂しいような哀愁を感じたことを憶えている。後で調べて分かったことだが、奈良県の柿本神社は、石見国で亡くなった人麿をこの地に改装し、人麿堂と呼ばれる社を建てたのがはじまり。明石藩主であった松平信之公が大和に転封され、領内に柿本村に人麿の墓と伝えるところがあると聞き、偶然にも柿本人麻呂に縁を感じ、神社の境内に「柿本大夫人麻呂之墓」の石碑を建立したとのことで、やはり明石とは昔からつながりがあったようだ。
歌道の神様、人麿も瀬戸内の和歌を残していることからも、ここからの明石の景色を眺めたのであろうかと思いながら旅愁に浸り、しばらくしてから社務所に戻り、無事に御朱印を頂き次へ。

明石市立天文科学館 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:27:14

行くつもりはなかったが、すぐ目の前の展望塔に惹きつけられ、明石市立天文科学館に行ってみることに。天文学はまったくの苦手分野。中学の理科のテストは、宇宙や星座についてまったく落第点で、未だによくわかっていない。
入口ゲートに行くと、観光バスが止まっていて、団体客が帰るとこで、さすが「明石の子午線」が有名であることがうかがえる。天文学が苦手な私でも、子午線は知っている(確か歴史で習ったような…)。真北と真南を結ぶ経線のことで、昔の方位を表す干支に準え、子(ね)と午(うま)で表している。東経135度の子午線は明治21年元日から全国で使うことになり、それまでは地方によって「時」が違っていたので、交通や通信に支障をきたすようになり、この日から日本標準時となった。その子午線の真上に建てられた展望塔はそのまま、日本の標式として現在に至っている(冊子参照)。
入口券売機でチケットを買い、受付でパンフレットをいただくと、プラネタリウムが2階で上映されるようで、ちょうど最終回の時間帯。プラネタリウムは小学生以来、人生で2回目。たぶん地元、名古屋市科学館で見たと思うけど、内容すら覚えていない。
…で、中に入ると、ドーム状360度、席が並び、案内の方が「北の方角の席に座ると見やすいですよ」ということで、そちらに座る。すでに先客がおり、家族連れが多いが、最終回なので、それほど数的には多くもない。
始まるまでパンフレットを見ていると、こちらのプラネタリウムは開館当時から稼働し続け、現役最古とのこと。星を“生み出す”投影方法を考え、集約された形があの、グロテスク?ではないが、独特な形になった“キカイ”は、まさに芸術性をも感じ、すごいなぁ~と見入る。座席はリクライニングになっていて、背もたれが“空”を見上げられるよう傾斜設計で、眠ってしまいそうなぐらい快適。
…と、案内役の女性が説明し始め、明石の昼間の状態から投影しだす。最初から暗くなるのかと思いきや、ちゃんと太陽が西に沈んでいくとこから徐々に夜へと移行していく自然の摂理に従い、今のプラネタリウムは昔に比べ進化したんだなぁ~と感心×2。夜になっても星は数えるほどしか見えない。街の明かりによって空を見上げても細かい星は光彩によって遮られ、都会では特にその現象が起こるようで、もし街の明かりをすべて消すと(…という説明とともに)…、「ここまで見えるものなのか~(心の声)」と、星屑が散りばめられて見える。
そして太陽系の説明、星座、今の時期は天の川や火星の大接近etcとわかりやすい。「へぇ~そうなのか~」と大の大人でも楽しめ、知識のない私でも「なるほど~」と勉強になり、朝陽が徐々に昇るとこまできて、投影説明は終わり、拍手が起こる。と、その瞬間、昔見たプラネタリウムのエンディングで、アニメ「一休さん」のエンディング曲が流れていたことを走馬灯のごとく思い出し、ちょっと感動。プラネタリウムでうるっとくるとは想像もせず、しばらく座席で余韻に浸る。
その後、3階の展示室、13、14階の展望室へ行き、明石の街を眺望。真南の子午線方向に目を向け、地球の地軸がズレていることを思い出し、この線は合っているだろうかなどと思い巡らすのでした~

本福寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:30:47

前回と同じ明石駅近くのホテルに宿泊し、翌朝、阪神・山陽1dayきっぷを購入、舞子公園駅へ。舞子からの高速バスを利用し、淡路島に渡る。久しぶりの明石海峡大橋を渡るバス車内は通勤客や夏休み観光客で賑わい、満車の中、東浦バス停で降り、本福寺を目指し歩く。
本福寺を知ったのは、淡路旅行をしているときに、たまたま読んだパンフレットに掲載されていて、蓮の咲く時期がイイということで訪れた次第。しかも、本福寺の水御堂は建築家の安藤忠雄氏の設計によるもので、これは一度訪れないと気が済まないと思い、淡路の地に降り立つ。
夏休み~といった山間の棚田から見下ろした先の大阪湾が広がる景色を見ながら、地図通り進むと、竹林の中に寺とは思わしくない円柱のような建造物がちらっと見える。「あれがそうか~」と思いながら、正面の山門の方へ回り込むと、駐車場があり、そこから大海の水面が太陽に反射し、眩しすぎてより暑さを感じる。拝観時間は9:00からなので、まだ30分はあり、しばらく日陰で持て余しながら境内を散策。
本福寺は平安時代後期に創建されたと伝えられ、京都の仁和寺の末寺で真言宗御室派。淡路四国の59番札所として、春にはお遍路さんで賑わうそうな。そんな中で、平成3年に鉄筋コンクリート造の本堂として建立された水御堂。時間となり、さっそく本堂へと歩を進めると、玉砂利が敷かれた敷地に、コンクリートの壁、その壁に挟まれたカーブの参道と、すでに芸術性を醸し出していて、蓮池のとこに出てくる。
蓮池は人工池で、円形の中央から地下へと階段が下り、池にはスイレンや大賀ハスが咲いていて見ごろ。写真を撮り、中央の階段を下っていくと、壁一面が朱色になっていて、弘法大師の画像が飾られている。受付のおばちゃんに拝観料と書置きの御朱印料を支払い、靴を脱いで細い通路を進むと、格子戸の先に、円形の空間が広がり、内陣には薬師如来像、脇侍の日光月光菩薩像、不動明王像、弘法大師像と祀られていて、不思議と近代的建築とマッチしている。考えたらここは、地下で、暗い洞窟の中に身を寄せ、お祈りをささげる一種の、信仰心漂う空間のような雰囲気を作っているのだろうかと思わせるほど、設計が考えられている。まさに芸術という面においても、近代的仏教建築、いや、未来的思考のような建築で、さすが!といった感じ。
なぜこんなお堂を造ったのだろうと後で気づき、ネットで調べたら、今はない三洋電機が絡んでいて(驚)、ここでは面倒くさいのでここを→http://like-awajishima.com/?p=99
…ということで、“蓮の中”でお参りし、宗教的な、芸術的な水御堂の雰囲気に触れるのでありました~

長徳禅寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:32:01

再び高速バスで本州へと戻り、舞子公園駅から西へ、明石を過ぎ東二見駅へ移動。駅から南へ15分ほど、長徳禅寺に到着。こちらのお寺は蓮で有名で、見頃のこの時期、HPにも紹介されていたので訪れる。
山門ではなく、裏手の墓地から失礼し、境内へと入ると、たくさんの甕が並び、蓮の花はそこそこ咲いている。蓮は午前中に咲きやすいということだが、つぼみが多く、まだこれからといった感じだが、境内を埋め尽くす蓮の葉の大きさたるや圧倒され、境内では住職さんだろうか、蓮の手入れをし、ホースで水を撒いている。
長徳禅寺の縁起はHPを見て頂くとして(めんどくさい…)、境内には百日紅が咲いていて、夏~という季節を感じながら撮影をし、本来は山門から入るとこに来ると、庫裏前には大きな籠にインコが数羽飼いならされていて元気がいい。やはりインコは熱帯育ちだからか、暑さには強いのだろうか、しばらく愛でて別れる。住職さんに御朱印について尋ねると、やってないとのことで、諦めて蓮の話題に。やはり“これから”ということで、ちょっと訪ねたのが早すぎたかなと思い、お礼を述べ後にする。

転法輪寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:33:05

東二見駅から東へ、明石、舞子公園駅を経て垂水駅へ。垂水駅東口からの山陽バスに乗り、中山バス停で下車。バス停は高速道が通る垂水JCTの近くで、高架橋から一般道へと階段を下り、交差点から坂道を上がっていく。
転法輪寺への参道道標の石碑から森林の中を歩いて行くと駐車場が見えて来て、駐車場正面には真横に隔てる石垣塀が続き、「あそこが本堂だな」と思い、石段を上がり立派な庭を横目に敷地内に入ると、「あれっ」と、そこは納経所で、「本堂はどこだ?」と、とりあえず呼び鈴を押す。御朱印をお願いしに伺うと、本堂のあるとこを教えてもらい、一旦御朱印帳を預け、駐車場東側からの道を進み、広い境内へと行く。
転法輪寺は神戸13仏霊場の1番札所。こちらも蓮の花が咲く池があるということで、この時期に訪れた次第。縁起は、平城天皇の病気平癒祈願のため、西尊(さいそん)上人により開創された大同寺と称する寺で、元は、東垂水の浜の方にあったとされている。ある日、現在の場所に釈迦転法輪の法窟があり、この峰に無量寿仏を彫刻し安置したなら、病気は治るだろうと、春日の神霊より夢のお告げがあり、帝はこの地に七堂伽藍を建立し、その仏像を安置したところ、忽ち回復されたとのこと(冊子参照)。その後、荒廃、再興され、転法輪寺と改められ、今に至っている。
そんな時代の変転を経験しながらの、境内の伽藍を眺め、桜の木々が植えてあることから、咲いた時期、そして散った時期の光景を想像し、時代を重ね合わせる。境内には本堂や不動堂、大師堂等あり、それぞれお参り。弁天堂のとこに行くと、池には背を越える蓮の葉が生い茂り、花がちらほらと咲いている。毎年7月海の日には蓮祭りが行われ、蓮の葉の茎を通して、酒を飲む接待があり、その飲むときの様子を、象が鼻を上げている姿に似ていることから「象鼻杯」と名付けられているそうな。
しばらく撮影をし、預けていた御朱印帳を取りに納経所へ戻り、“蓮愛で”を堪能しました~

駒林神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:34:08

垂水東口に戻り、再び山陽電車で板宿駅へ移動。板宿から神戸市バスで須磨水族館行きのバスに乗るためバス停を探すが、なかなか見つからない。地下から地上に出ると方角が狂ってしまい、どっちが北だか分からなくなってしまう。…で、そんなこんなで迷いながらも何とかバスに飛び乗り、駒ヶ林町東バス停で下車。目の前が駒林神社の境内に当たるが、鳥居は南側に当たるので、そちらに回る。
駒林神社を知ったのは平忠度関連で、神戸市長田区にも腕塚堂があり、こちらも地図上に近くの神社があることを見つけたから。
駒林神社の由緒には、水門の一部に当たる場所として、来朝する外国人を検問する玄蕃寮(現在の税関にあたる)の出先機関があり、その役所内に奉斎されたことに始まるとされている(ネット参照)。平清盛も上陸したとの記録もあり、“福原地域”には当然そうだろうとみる。
シンプルな境内の中、社殿でお参りし、社務所で御朱印をお願いし、一応、腕塚堂の行き方を尋ねてみる。バス停の大通りを西へ行けば、白い看板が建っているので、それを目印にと教えて下さり、お礼を述べ、その通りに行ってみる。

腕塚堂 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:35:20

白い看板の目立つ説明書を読み、そこから矢印の案内どおり歩いて行くと、細い路地の入り組んだ道となり、大衆浴場のような看板を見つけ「こんなところに」と、隣ん家のエアコンの室外機が置いてある横に「うでづか」と刻まれた石碑や墓石が見える。
お堂の対面にある何体かのお地蔵さんは源平合戦の犠牲者を弔うためのものだろう、お堂でお参りするとき、背後から見守るかのようにこっちを見、格子戸で仕切られているのがかえって、あの世とこの世を分けている結界門のように見える。
平忠度の終焉の地は、先ほど紹介した明石市と神戸市長田区との説があり、どちらがということは県外人にとってどちらでも構わない。ただ忠度の生きざまがそこにあったというだけでいいのである。説明看板にはほぼ同じことが書かれていて、腕、腰、足にご利益があると。
ここの町の人たちは、その忠度の伝承を受け継ぎ、腰痛、ひざ痛などを治癒してくれるご利益に頼り、おばあちゃんたちがお参りする光景が目に浮かび、崇敬しているのだろうと想像する。

また27、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:38:29

久しぶりの投稿ですが…、昨今の豪雨やら猛暑やらで地球はどうなってしまうんだ~と、気になっているのは、地球の地軸がズレているとか、太陽の黒点が現れないなどの現象。日本にも異常気象がもたらす多大な影響に、昔は「地震、雷、火事、おやじ」(下2つは違うか…)な~んて言っていたけど、それはもう当たり前で、増えつつある天災は、もはや避けようがないリスクの中、生きるのも難しい時代になってきたと実感する。
…で、暑い…暑すぎる最中に旅行記を書くのもグータラになってしまい、なかなか思うように進まないが、汗をかきかき…、今回行きました…といっても7月ぐらい(忘れた…)に行った旅を紹介。

布引の滝 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:39:46

名古屋から新幹線で新神戸駅へ。今回の旅は、神戸13仏霊場の第6番札所である大龍寺を目指し、ちょっとした登山をする。大龍寺へはバスでも行けるが、土日祝日のみの運行となっていて、平日は1本もない。なので、片道1時間半ぐらいかけて歩く行程で、その途中途中には滝やダムがあり、神戸の再度山、摩耶山、六甲山へとつながるハイキングコースとなっている。
駅の観光案内所で地図を頂き、新神戸駅1階からすぐ、高架下をくぐり北へと抜けると、もうそこからハイキングコースとなっていて、最初の目的地「布引の滝」の案内看板があり、矢印の方向へ行く。すでに滝の音が耳に届いていて、水しぶきをあげ、白い瀑布が流れ落ちるイメージが浮かぶ。
ベンチのある広いスペースにたどり着くと、目の前に最初の雌滝が現れ、駅からこんな近いところに滝があるんだぁ~とちょっと驚。
「布引の滝」は、案内所でもらったパンフレットによると、この地は「布引」と呼ばれ、摩耶山、再度山の水を集め、六甲山系の水源で、雌滝、鼓ヶ滝、夫婦滝、雄滝と、布が垂れて落ちるように見えるとこから総称して「布引の滝」と、この名がついたとされている。ちなみに、華厳の滝、那智の滝と共に日本三大神滝とされているようで、徒歩5分ごとにそれぞれの滝を見ることができるとのこと。
雌滝を写真に収め、順番にそれぞれの滝を見、雄滝のとこまで来ると、高さ43mと、布引の滝の中では最長で水しぶきが風にあおられ飛んでくる。三大神滝と言われるだけあって、確かに神が宿っているかのように荘厳すら感じる。見ていても飽きないほど、滝壺に落ちる水煙の凄まじさに吸い込まれるかのようにしばらく凝視してしまい、マイナスイオンを浴びながらしばらく観賞~

写真は雄滝

五本松堰堤 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:41:08

川沿いの山道を登り、「猿のかずら橋」までくると滝山城跡への入口看板がある。戦国期に城主だった荒木村重が謀反を起こし、信長に攻め落とされた城で、頂上には石碑だけが残っているらしい。その入口の橋を越え、濃緑が光るモミジの木々が覆う森の中を、川のせせらぎを聞きながらしばらく歩き、すがすがしい。登山初級者にはうってつけの行路で、ちゃんと整った道や道標が立っているのでわかりやすい。登山服姿の人が慣れた足取りでスイスイ私を追い越し、この地ではハイキングコースとしては有名なところなのだろうと納得。
「五本松隠れ滝」というとこまで来て、写真を撮りながら少し休憩し、石段や急坂を上がると、見た目はレンガっぽい造りで仕切られた巨大な壁が見える。あれが水を堰き止めているダムだなっというのがわかり、さらに石段を上がると、大きな貯水池が広がり、「布引五本松堰堤」と刻まれた石碑が、記念写真を撮ってくださいといわんばかりにある。
写生するにはもってこいの場所で、遠くの緑が映える山々に、湖畔かと思えるような水面には空の雲が映り、水面の上を歩くかのごとく細い橋がハイキングコースの道程として続いている。その橋を振り返りながら歩くと、遠くの上空にはロープウェイの“籠”がひっきりなしに稼働しているのが見え、絵になる。紅葉の時期を想像し、さぞや、すばらしい景色が広がることだろうと、なかなかにこの光景を目に焼き付け、貯水池沿いの道を進む。

市ケ原 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:43:02

時間にして45分ぐらい経っただろうか。再度山と摩耶山方面に行く分岐点である市ケ原という場所に到達。山小屋のような茶屋だろうか、営業はしてない様子だが、鎖につながれていないワンちゃんが暇そうに登山客をもてなすようにウロウロしている。登山客に癒しを与える存在だろう「看板犬」に別れを告げ、茶屋から河川敷へと石段を下りると、キャンプやバーベキューができる河原が広がり、ごつごつした石を除けながら川に架かる簡易な板の橋を渡る。
「再度山 大龍寺方面」への道標を確認し、今度は整備されたコンクリート敷の九十九折りの坂道をひたすら登り、前に進む。この日は台風が接近している影響で風があり、涼しいが、汗は止まらず、Tシャツはビショビショ。休憩がてら水分補給をし、ようやく大龍寺の山門が見える駐車場までたどり着き、心の中で「ヤッター\(^_^)/」と叫ぶ。
だが、境内はさらに坂道を上がらなければならず、山門前で小休止。

大龍寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:44:33

大龍寺は摂津国88霊場で1回訪れている。この時は休日運行されているバスで参拝した記憶があるが、境内がどうだったか忘れている。
山門を潜り、さらに上へと続く右曲がりの坂道を上がり、そこから仁王門、さらに石段が「これでもか!」というぐらいに見えてきて、1時間ちょい登山をしてきた私はもう笑うしかない。
なんとか登り切った境内には不動堂や毘沙門堂などの建物があり、それぞれに手を合わせしばらく散策。
大龍寺は寺伝によれば、和気清麻呂によって再度山山頂近くの斜面に開かれたとある。弘法大師が唐に渡る直前と帰国直後の2度、当寺を参詣し、修行地である現在の再度山公園に修法ヶ原の地名が残っている(ネット参照)。
神戸13仏霊場の御朱印をお願いしようと寺務所内に入ると、「どうぞどうぞ」と冷たいお茶で労ってくださり、以前、訪れたときもおもてなしされたことを思い出し、「そうそう」とこの雰囲気を味わう。冷たいお茶はありがたく、しっかりと飲み干し、御朱印もいただき、お礼を述べ、再び市ケ原へと戻る。

布引ハーブ園(1) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:45:54

今度は下りが続く坂道を歩き、市ケ原の河川敷まで来て、茶屋沿いの道に再び戻ってくると、摩耶山とハーブ園へ行く分かれ道の道標がある。市ケ原からハーブ園までは約2キロ(だったかな…)。
…といっても登山なので、その距離は平坦な道を普通に歩くのとは違い、疲労度がさらに増す。事前のネット情報調べでは、あるブログで、逆にハーブ園から下山された方の体験記を参考に、歩いて行けることを知り、今回の旅の計画に加えた次第で、ハーブ園とは砂子山の中腹にある植物をメインとした観光施設で、新神戸駅から西へ徒歩5分ほどにハーブ園行きの山麓駅、風の丘中間駅を経て、山頂駅へとロープウェイが運行されている。
なので、帰りはハーブ園に立ち寄り、ロープウェイを使って下山しようと考え、布引ハーブ園を目指す。
木々に覆われた登山道を進むと、段々、道幅が狭くなり、足元は生い茂る雑草で道筋が隠れ、分かりづらくなってくる。徐々に高見へと昇ると、1歩間違えば“奈落の底”。踏み出す足もゆっくりと慎重になる。休憩をはさみながら、ようやく明るい山頂に出て来て、ハーブ園施設の裏側に到着。イノシシ対策の門を開けて入り、達成感~。
とりあえず汗まみれのシャツを着替えたいと思い、トイレで着替え、ベンチで一休み~

布引ハーブ園(2) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:47:07

大分落ち着いてから、ハーブ園の案内所でチケットを購入し、園内を散策。ウェルカムガーデンと呼ばれる広いエントランスには欧風建築の建物に、外で食事ができるレストランを始め、英国風のバラ園、約80種の天然オイルの香り比べができる香りの資料館と回り、目移りしそうなおみやげコーナーに、ハーブの鉢植え等販売している。
ハーブ園山頂駅からは、神戸の街並みが絶景で、しばらく眺めカメラに収める。
…と、園内のアナウンスが…「雷雲の発生によりロープウェイが営業を中止するかもしれません…」
「えっ、そうなの(心の声)」と思いつつ、空を見上げれば確かに雲は多いが、ところどころ晴れ間がさしているのを確認し、「まだ大丈夫」と判断、風の丘中間駅までのガーデンエリアを散策しに坂道を下って行く。

布引ハーブ園(3) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:48:29

坂道を下ると「ハーブミュージアム」というエリアに、いろんな種類のハーブが展示してあり、手に触れて香りを嗅ぐ。看板説明では時間によって、ハーブガイドツアーというのがあって、ハーブについての知識を学ぶことができる。
家庭菜園のエリアではセロリやピーマンなどの野菜が植えられていて、ハーブとのコラボで“献立サラダ”のイメージを膨らませるのだろうか、おしゃれである。
道なりに進むと、ラベンダー園があり、摘み取った後だろうか、あの青紫の色彩は禿山のように薄い。ラベンダー園を過ぎると林の小道には紫陽花が脇を埋め、しばらく撮影に夢中になり時間を忘れてしまう。
「四季の庭」には、管理されている方々が忙しく手入れをしていて、「滝のパディオ」や「オリエンタルガーデン」といったエリアを見て回る。
道なりに下っていくと「風の丘 芝生広場」が広がり、遠くにユリ園の花が赤・黄と鮮やかに咲いていて絵になる。ゆっくりと散策し、風の丘中間駅に到着。ガーデン散歩はあっという間で、汗をかきかき苦労して登った山登りもすっかり忘れてしまい、最後はロープウェイで下る空中散歩を楽しみ、神戸の街並みを堪能するのでした~

神戸市立森林植物園(1) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:49:50

新開地駅の近くのホテルに宿泊。翌朝、三田行きの神戸電鉄に乗車し、北鈴蘭駅へ。春に行った有馬温泉の時とは違い、朝のラッシュ時に乗り合わせたので、当たり前だが電車は満員。降りた北鈴蘭駅では近くに高校があるのだろう、学生たちに交じり駅前のバス停を目指す。
神戸市立森林植物園へのアクセスは、三宮駅から、昨日訪れた大龍寺のバス停を経由して終点、森林植物園までのバス路線があるが、土日祝日だけの運行であることは御存知の通りで、平日で公共交通機関を使うならば、2つ、みなと観光バスが運行する三宮―新神戸―桜森町バスセンター終点で、そこから15分ほど歩く行程と、北鈴蘭駅から直通の無料シャトルバスがある。HPを見ると、この時期、あじさい祭りの企画で無料シャトルバスがいつもより増便をしており、今回は台風が接近しているので、なるべく午前中に済ませようと、朝早くから訪れた次第。
バス停で待っていると、乗客は7、8人とまぁまぁこんなもんかと、名古屋から来ている人なんていないだろうなぁ~と思いながら、バスに揺られ、あっという間に到着。
入口ゲートで入園料300円を支払い(安い!)地図をいただく。目当てはあじさい。まずは北側に位置する多目的広場のエリアに、西洋あじさい園があるので移動。西六甲ドライブウェイの高架下をくぐり、すぐ、いろんな種類のあじさいが展示、植栽されている。
手毬のようなあじさい、額あじさい、全国各地方の変わった品種のあじさいがあり、写真に収めていく。一通りあじさい園を散策し、高架下へと坂道を下っていくと白いあじさい(アナベル)がいっぱいに広がりすばらしい。一輪の花もいいが、数百本まとまった姿もなかなかに迫力がある。充分堪能し、次へ。

神戸市立森林植物園(2) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:51:07

南側エリアは広い。総面積142.6ヘクタールの規模で、冊子によれば、六甲山地の西側に位置し、世界各地の樹木を植栽し、四季折々の森の自然をコンセプトに風景を楽しむ植物園であるとなっている。
なので、地図を広げ、どう回ろうか思案し、まずは“あじさい坂”を下っていく。両脇にはあじさいが咲く坂をゆっくりと散策し、西側の森林が生い茂る区域へと行く。今はもう葉っぱだけだが、春に咲く桜やシャクナゲ、ツツジなどの木々が植えられているところもあれば、赤松やメタセコイヤの照葉樹区域があり、森林浴を楽しむ。
うさぎ小屋もある。金網越しから写真を撮り、まだ午前中だからか、動かないうさぎを見ては癒される。途中、道を歩いていると、後ろから「おはようございます~」と、職員らがゾロゾロと私を追い越し、よく見ると若人が多く、西門付近で教育実習のようなことをしている。植物に関する知識を学ぶのだろう、新入社員といったところか、真面目そうである。

神戸市立森林植物園(3) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:52:28

西門からヒノキやスギの木々が並ぶ針葉樹の区域へと移り、トンネルを抜け、ヨーロッパ、アメリカ地区としているとこを過ぎると、カモシカを飼育している場所がある。
誕生日を迎えたカモシカを紹介しており、金網越しに遠くの斜面に1頭佇んでいて、「ああ、また人間が来たか」とちらっとこっちに顔を向け、何事もなかったかのように身動きしないままに。カモシカもまだ寝起きなのだろうと、こちらもパチリと写真を撮り、近くの長谷池というところへ移動。
長谷池には水草が浮かび、スイレンが見ごろを迎えている。太陽が照らす水面を見ながら、一周し、もう時期が過ぎた菖蒲が一輪だけ咲いていて、“仲間”は暑さに萎んだかのように退散したようで、この菖蒲も“元気”がない。
さて、今度は東側の道へと歩を進める。「ブリスベーンの森」という表示がしてある坂道を上がり、ブラシノキ(オーストラリア原産)という見慣れない、たわしのような花をカメラに収め、広い敷地に出ると、芸術作品のオブジェや西洋建築の休憩所があり一休み。冊子によると、この区域は国際港都「神戸」の姉妹都市提携を記念して作られた森で、他にも「シアトルの森」「リガの森」「天津の森」があるとのこと。
一息ついてから“各森”を散策していると、ある一角に、いのしし除けのフェンスが施されている。そういえば、散策していて、いたるところに盛土が設置されており、足跡(におい)を残さない?ための対策として、足跡に土をかぶせることをしているようで、この森では、野生のいのししが生息しているのがわかる。猪突猛進…、「こわいわ~」と思いながらも、ヘビとか鹿とかいるんだろうなぁ~と、この森は“山の主”と共生し、さすが「六甲山~」といった感じ。
園内の中央、あじさい園にやってくると、お客さんが大勢いる。2時間くらいは経っただろうか、この時間になると、来園客も多く、あじさいを愛で、楽しんでいる。今年はこれであじさいも見納めであろうと、充分飽きるほど堪能し、正面ゲートへと戻る。

カレーうどん - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:53:45

森林展示館がある管理事務所や売店のとこに来ると、ソフトクリームの看板が立っていて立ち止まる。この近くに弓削牧場という農場があり、そこでとれる牛乳を使用した食事ができるようで、昼前だが立ち寄ることに。お客さんは2、3人の中、カレーうどんとヨーグルト(ブルーベリー入り)を注文し、早速ズルズルとすすっていると、カレーの匂いに誘われた?のか、続々とお客さんが入店してきて、レジで同じカレーうどんの注文をしている。「カレーうどん、ハンバない」と、いつの間にか席が埋まってきて、レストラン並みに繁盛しだす。ヨーグルトもおいしくいただき、さすが牧場生産のことはあるな~と堪能~。
今回は台風が近づいていることもあって、正午近くに退園。登山、森林散策の旅となりました~

また26、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:12:23

夏日に近い春にうんざりして、昨今の世の中、どうなってんだ~と、いろんな不祥事と異常気象を結びつけてしまう、ネガティブな考えを払拭しようと、4月中旬、引き続き春の旅をしに、行ってきましたよ~

如意寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:13:21

前回の有馬温泉旅からはじまった神戸13仏霊場めぐり。今回は、3番札所の如意寺へ。JR三宮駅から地下鉄に乗り換え、西神南駅で下車。ここは神戸市西区にあたり、南には明石市、北には三木市に囲まれた土地柄である。
駅を降りてしばらく歩いていると、「あれっ!」と、どうやら道に迷ってしまい、地元の人に尋ねる。用意した地図を見たのに、まったく逆方向に移動していて、教えてもらったとおり、再び駅に戻り、新興マンションがずらりと建つ住宅を見上げながら、地図通り歩いていく。道中、金網で仕切られた通行禁止の道路に、「え~」と嘆きながら、違うルートを探索し、地図上では如意寺は公園の北側に位置しているので、公園内から行けないかと、広い敷地に入る。
広すぎる公園内を横切っていくと、鬱蒼と茂る森林側に1か所だけ、黄色い花をつけた枝木が垂れ下がっているのが見え、よく見ると、そこは階段が上へと続いている。「ひょっとして…」と思い、ここは勘で、そこから上がり、ハイキングコースのような山道が続いていて、しばらく歩く。途中、地元の方にお会いし、如意寺の行き方を教えてもらい、やはり勘があたり、今度は山道を下っていく。
前日の雨で、ぬかるんだ土や水たまりを避けながら、視界が開けてくると、一本の細い道路に出て、如意寺の看板があり一安心。如意寺の入口まで来ると、ツツジが花を咲かせ、境内へと坂道が続く。
看板には、如意寺は今から千年ほど前、願西上人によって開かれたとされる天台宗の古刹で、地蔵菩薩を本尊としていると。古文書には「地蔵堂に土地を寄進する」という記述があることから、そのころに寺観が整いつつあったようで、中世から近世にかけて興隆を誇ったとある。境内に入ると、国指定重文の文殊堂をはじめ、阿弥陀堂、三重塔の建造物が建ち、奥には本堂が建っていたとされる礎石跡がある。木々に囲まれ、鶯のホーホケキョが時折響き、新緑のモミジの木々が青々と目立つ。静かな雰囲気の中、しばらく境内を散策し、門で仕切られた寺務所と思われる住居で御朱印をお願いし、次へ。

性海寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:14:24

 “行き”と同じ道を歩き、駅に戻る。思っていたよりも大分時間を消費してしまったと思いつつ、地下鉄西神南駅から終点、西神中央駅で下車。運動競技場のような広い印象を持つバスターミナルから神姫バスに乗り、性海寺前バス停へ。
5番札所の性海寺は行基菩薩が開基。白河天皇の御代に、奈良より叡尊が来住し、学山として大いに栄えたとある。叡尊といえば、鎌倉時代中期の僧。廃れかけた戒律を復興し、衰退していた西大寺を再興した人物である。戦国時代は秀吉の三木城攻略の兵火によって焼失し、江戸時代に再興、明治維新まで24の塔頭が存在していたとされる。
かつて、播磨西国の巡礼で訪れたことがあり、なんとな~く覚えている感じ。バス停からは明石川の支流(何ていう名の川かわからない)沿いを道なりに進めば、性海寺にたどり着けるので分かりやすい。途中の塔頭寺院、龍華院の山門前には、五重塔や石像などのいろんなオブジェ?が建っている庭があり、思わず立ち止まる。「そうそう、こんなんあった!」と思い出しながら、橋を渡り性海寺の境内へ。
段差のある本堂前に立ちお参り。本堂はいかにも、“壊れそうな?”造りの古いお堂で、正面の板戸は固く閉ざされ、中は見えない。本堂横には、藁葺屋根のお堂に、八幡神社の社が建ちシンプル。隣の敷地には塔頭寺院の福智院があるので、ここで御朱印をお願いしに行く。
お寺の方から「中に入りましたか?」と聞かれ、「いえ、入れないんですけど…」と言うと、「本堂の横に戸があるので、そこから入れますよ」と。…なので、御朱印を書いて下さる間、もう一度本堂へ行ってみることに。
本堂側面の戸に、「入口」と赤字で書かれていて、矢印の方向に引くと「開いた!」。全然気づかなかったことを恥じ、真っ暗の中を入る。電灯スイッチがあるので、パチンと「入」にすると、点かない…。そんな中、とりあえずもう一度手を合わせ、本堂内部を見回し、格子で仕切られた内陣の中を覗くが、真っ暗でわからない。賽銭箱が3つ、あるので、何かが祀られているのは間違いなさそうだが…本尊は如意輪観音なので、真ん中がそうだろう。左右2つはわからないまま、とにかく手を合わせたことだけでも「いいか!」と楽観し、そういえば、前回来た時は「こんなんだっけ?」と、記憶は曖昧。たぶん、本堂の中に入ってもいないのかも、と考えながら福智院に戻る。
飼い犬の“警戒ワンワン”に気づき、お寺の方が御朱印を持ってきて下さり、お礼を述べ後にする。

明石焼 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:15:31

性海寺前バス停でバスを待っていると、杖をついた老人に声を掛けられ、ちょいと談笑。
「ここは、な~んもないところだからね~、名産品もない、自給自足の畑だけじゃよ~」と言って立ち去っていく。「はぁ…」と、老人の後ろ姿を見送りながら、神戸市でもこういう土地柄は普通ちゃ普通~で、今ネットで騒がれている東播磨のふるさとアピールPVの自虐ネタを思い出す。姫路や神戸は有名なものや知名度があるが、その間の東播磨地域にはないという内容の兵庫県が制作したPVが問題となっているが、まぁ~、詳しいことは調べていただくとして、その土地の良さというものはそれぞれにあるもので、地域の特性は比べるものではない、と私は思う…とはいいつつも、大衆に流されるのが世の常、地域発展のための自己PRもしかり、アピール合戦は続くだろう。
…で、西神中央駅に戻り、今日はここまで。明石駅行きのバスに乗り、居眠りをしている間、あっという間に明石駅に到着。駅近くのホテルを予約しているが、チェックインするにはまだ早いので、念願だった明石焼を食べに行くことに。
駅から南へ、東西に続く「魚の棚商店街」のアーケードを歩くと、新鮮な魚介類、佃煮屋さんが並ぶ、活気あるお店を見ながら、○○○さんに入店。ピークは過ぎた時間帯だったので、客数は私を含め3人。入口でたこ焼き機を扱う店員さんに挨拶し、席に着きさっそく注文。壁に張り出されているメニューには「ミックス焼き」というタコとアナゴが入った明石焼があり、高値だがそれをお願いする。
待っている間、壁に貼られた芸能人のサイン色紙を見、有名な店なのだろう、一通り見ていき、そうこうしていると、大きなまな板?に15個の明石焼が均等に並び、出汁と三つ葉が目の前に置かれる。店員さんに撮影の許可をいただき、さっそく実食。
…とその前に、明石焼について。ネットで調べるまでは明石焼って、たこ焼きと変わらないんでしょ!っと、県外人にとってはそう思っていたが、どうやら違うようで、地元、明石の人は明石焼を「玉子焼」というそうな。なので、生地が大阪の粉ものに対し、明石焼は玉子で仕上がっている。食べ方は出汁につけて食べるのが定番で、他の店ではうどんやラーメンに入れてというのもあるそうだ。
…で、まずはそのままパクリ(「熱っ!」)。熱いので、普通のたこ焼きの味にしか感じない。
2個目はお好みソースをつけてパクリ。まだまだたこ焼きの味にしか感じない。
3個目は三つ葉を入れた出汁につけパクリ。「ち、ちがう!たこ焼きじゃない!」
印象は茶わん蒸しを食べているような味で、やっぱり玉子なんだと、改めて納得。ハフハフしながらソース、出汁と味を変えながら堪能~。
…と、8個目を食べ終えたとき、店内の隅でTVカメラを前にインタービューに答えるおばちゃん(たぶん店主さん?)がいる。その様子を食べながら見ていると、「明石には何もないですが、原因は何だと思いますか?」と、意地悪な質問におばちゃんは困った様子。これって、ふるさとアピールPVのことを撮っているのか~と想像し、東京のTV局が取材に来ていたらしい(朝の有名な情報番組)。取材人は他のお客さんにも声をかけていて、その様子を撮っている。
客はあと私だけ。「うわ~、いややわ~、絶対こっち来るやん!(心の声)」と、急いでパクパクと食べ、そそくさと精算。レジで店員さん同士の会話を耳にし、「なんやねん、あれ」と嫌な感、まるだし。
「いや~、分かります分かります(心の声)」と同情し、後味悪く立ち去るのでした~

薬師院 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:16:27

翌朝、JR明石駅からJR魚住駅へ移動。駅から“たこバス”と呼ばれるコミュニティバスに乗り、ぼたん寺口バス停へ。ぼたん寺と呼ばれる薬師院は、当たり前だが、牡丹で有名なお寺で、ネットで見つけて訪れた次第。神戸新聞に、もうすでに咲いているという情報をつかみ、桜同様、今年は暖かい気候に何もかも早めの開花となっている。
薬師院は奈良時代、行基菩薩が当地に錫杖でうがったところ、霊水が湧き出て、中から薬師如来の尊像を得て、創建されたとあり、平安時代には七堂伽藍の興隆、南北朝や応仁の乱の兵火で焼失、江戸時代に再興されたとある(冊子参照)。
牡丹は明治時代、住職の珠忍法印によって植えられて以来、今では二千本50種類があると。そんな薬師院の山門に到着すると、山門前には池があり、湧き出た霊水なのだろうかと想像する。
拝観券をどこぞの飲食店のような券売機で買い、中に入ると、弘法大師生誕1200年を祈念して祀られた「さづけ地蔵」、閼伽井の庭、ぼたん祭りに合わせ、白いテントが建てられていて、本堂でお参り後、奥の庭へと移動する。拝観券を渡し、ぼたん園に入り撮影開始。
赤・白・黄色~と、いろんな種類の牡丹が色を添え、ツツジやサツキ、菖蒲まで咲いている。牡丹も暑さには弱いのか、すだれ屋根で日差しを遮、すっくと大輪を開いている。撮影を終えたころになると、参拝客も多く賑わいはじめ、入れ違いに寺務所へ行き、御朱印をお願いする。
こちらのお寺は明石西国と播磨八薬師の霊場があり、両方をお願いし、後にする。

住吉神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:17:31

薬師院から南東方向へ一本の細い道路を行けば、住吉神社に行き当たる。こちらの神社で藤の花が見ごろを迎えていると、情報を得、行ってみることに。…というのも、薬師院でお会いした参拝客とお話をしたときに、住吉神社の話題になり、神社の存在は知っていたが、藤の花が咲いているとは知らず、しかも、もう藤の花が?という驚きに、訪ねることに。
神社の裏手から境内に入る形で、いきなり藤の花に“遭遇”~。
「早い、早すぎるよ~」と思いつつ、紫に彩る“天蓋”を眺め、撮影開始~。
イメージではだいだい、ゴールデンウィークぐらいに咲く花とばかり思っていたが、今年はすべてズレ込んでいて、ハスやスイレンとかも、この分だと5月には咲くんではないかい、っと、予想が難しい。
立て看板には、この藤は「祓除(はらい)の藤」と呼ばれていて、御神木とされている。大阪にある住吉大神のお告げで海に流した藤の枝が流れ着いて、この地に社を建てたのがこの神社の始まりという伝承があるそうな。「へぇ~」と感心しながら、藤の花を眺めつつ限をつけ、本殿へと、神社の摂社末社が祀られている社を見、正面へと回り込む。
境内は大きな楼門、能舞台、拝殿と、縦に並び、まずはお参り。能舞台には5/1から奉納能楽会が行われる催しの案内が表示され、ゴールデンウィーク、賑わう姿を想像する。
拝殿の横には社務所があり、御朱印をお願いしに行くと、地元の企業や氏子さんだろうか、例祭の後援会として、お布施?支援金?を宮司さんに渡している。“ごひいきに~”とは言わないが、地元の神社らしく崇敬されているんだぁ~と、ちょっとした行列を見、その後で御朱印をいただく。
楼門から鳥居の方へ下っていくと、“松の公園”に、目の前は海が広がり、数台のボートが停泊している。海からこんなに近い神社なんだぁ~と初めて知り、津波が押し寄せてきたら一たまりもないなと、阪神大震災のときはどうだったんだろうと、それなりの被害はあったに違いないと想像する。
潮の匂い、穏やかな海を眺め、しばらくこの平和な風景を堪能するのでした~

相楽園 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:18:33

住吉神社から歩いて山陽魚住駅へ。明石駅でJRに乗り換え、新長田駅で地下鉄に乗り換え、県庁前駅で下車。駅から北へ、緩やかな上り坂を歩けば、兵庫県庁、そして相楽園の正門がで~んと立派に建っている。
ネットでツツジの名所として情報を得、立ち寄った次第で、平日にもかかわらずお客さんは多い。
神戸市が運営している相楽園は元神戸市長の小寺謙吉氏の先代、小寺泰次郎氏の本邸に営まれた庭園で、明治18年頃から着手し、末期に完成したもの。園内には旧小寺家厩舎、旧ハッサム住宅、船屋形等の建物があり、池泉式回遊庭園となっていて、ツツジやモミジの季節が一番見事とのこと(冊子参照)。
さっそく正門から入り、受付で入園券を支払い、いざ。
右に緩やかなカーブを歩けば立派なソテツがすっくと生え、鹿児島から取り寄せた樹齢300年ほどと、かなりの年代もの。順路どおり進むと、旧小寺家厩舎と旧ハッサム住宅が並び、周辺のツツジが見ごろである。
旧ハッサム住宅は英国人貿易商のハッサム氏が異人館街に建てて実際住んでいたもので、木造2階建て、和洋折衷を施した建造物。わが愛知県犬山市にある「明治村」にも洋館ぽい建物はいっぱい見たことがあるが、まさにそれで、屋根には、サンタクロースが入りそうな、煉瓦でできた煙突がある。内部公開をしているので中に入ると、白い壁に暖炉、窓はよろい戸付きの張り出し出窓、植物や花を模った装飾、小ホール、応接室、居間、食堂、浴室等々の部屋があり、実際に営んだ生活感が垣間見える。一通り内部を見学し、外に出ると、前庭には傾いた煉瓦の煙突があり、阪神大震災で室内に落下、屋根や天井の床を修復し、震災の記憶を後世に留めるために展示されてある。今は修復された煙突が見えるが、落下した煙突を見、地震の揺れがどれほどのものか、想像に値する。
旧ハッサム住宅に別れを告げ、スロープを下り、庭園入口から中へ、池を一周する形で散策。霧島ツツジ、平戸ツツジと満開で、一部ではサツキまでもうすでに咲いている。ゆっくりと庭園を撮影しながら、新緑の中を歩き、芝生広場というとこに行くと、和菓子を販売していて、どら焼きと柏餅を購入。「お茶も金取るの~(心の声)」と、やんわりと断り、持参ペットボトルのお茶で充分、休憩所で座って一息。ツツジといえば、京都の長岡天満宮、愛知県蒲郡市のクラシックホテル、三重県伊勢市朝熊山、奈良県御所市の葛城山等、名所を旅した記憶がよみがえるが、まだまだ全国には知らない土地柄があるので、まだまだ知らない土地を訪ねたい…と思いながら、美しいものを見た後の茶菓は一味違い、しばらく堪能するのでした~

また25、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:10:53

ゴールデンウィークも終わりましたが、今回も桜の旅。4月の頭、この時期に行きたいと思っていた有馬温泉へ、新たに神戸13仏霊場めぐりと合わせ行ってきましたよ~

能福寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:11:47

今回、有馬温泉に旅する上で、神戸13仏霊場のお寺があることを知り、また霊場巡りを始めてみたいと、道程を計画。霊場巡りは掛け持ちで、まだ満願になっていないのが、美濃33観音、吉田七福神、中国33観音、淡路七福神とあり、これ以上増やしてどうする!と、自分に言い聞かせるが、やっぱし止められない。神戸13仏霊場の中にはすでに、新西国霊場で訪れた寺もあり、重複する形になってしまうが、それはそれで、“お礼参り”として訪れればいいかと、ある意味損はない。
…で、まずは8番札所である能福寺から。JR兵庫駅から南東へ歩いて10分ほどと近く、NHK大河の“平清盛”ブームで“福原”にはよく訪れていて懐かしい。
能福寺といえば「兵庫大仏」。明治24年に兵庫の豪商、南条荘兵衛という人物が青銅製の盧舎那仏を建立、奈良、鎌倉と共に「三大仏」に数えられるほど有名となり、戦争で金属回収、神戸の空襲で能福寺の伽藍は全焼してしまう。大仏が再建されたのが平成3年と、つい最近?のことで、檀徒、市民、企業の協賛もあり、大開眼法要が行われ、4万人も集ったと記録にある(冊子参照)。
大仏だけではなく、能福寺は、桓武天皇の勅命を受けて、支那から帰国の途についた最澄が途中、兵庫の和田岬に上陸し、本尊の薬師如来像を自作安置して、能福護国密寺と称し、天台宗の最初の教化霊場として開基、時代は平清盛が隆盛した福原遷都の時、平家一門によって七堂伽藍を完備し栄えた歴史がある。
境内には本堂の月輪影殿や顕彰碑などいろいろとあり、説明看板も建っていてわかりやすく、散策し、納経所へ行き、新しく神戸13仏霊場の御朱印帳にお願いしようとしたが、売り切れのようで、書置きの御朱印をいただき、次へ。

無動寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:12:51

「柳原」という広い交差点から北東に延びる道路を歩き、神戸電鉄、新開地駅に到着。三田行きの電車に乗り、途中の箕谷駅で神戸市営バスに乗り換え、福地バス停で降りる。
バスを降り、ここが神戸市とは思えないくらいの、長閑な土地柄に、“県外人”にとってはどうしても神戸=街というイメージをぬぐえないのが当たり前だが、神戸市も意外と広いということを初めて認識する。
坂道を上り、途中、年貢軽減を訴えた少年の「新兵衛石」の説明看板を読みながら休憩。さらに上りが続く山道を歩き、ようやく12番札所の無動寺に到着。もみじの木々が生い茂り、紅葉の名所だろうかと想像するが、山門をくぐると境内には本堂に不動堂、隣には藁葺屋根が印象的な庫裏があり、落ち着いた雰囲気。
説明看板には、無動寺は聖徳太子が物部守屋を討たんとして、鞍作鳥に命じて本尊の大日如来を刻み、戦勝祈願をしたところ、たちまち大軍を打ち破ったことができたことから、七堂伽藍を建立したのが始まりとされている。その後、時代の流れに荒廃した寺を真源和尚が郷里の人たちと復興した歴史があると。木造の大日如来を始め、釈迦如来、阿弥陀如来、十一面観音、不動明王の仏像があることからも、かなり宝物として所蔵しているのがわかる。
本堂に備え付けてあるインターホンを押し、神戸13仏霊場の御朱印帳があるか尋ねると、ここも“不発”で、これはどこも売り切れではないのかと、ちょっと諦めモード。お寺の方も「う~ん」とうなるだけで、これはどこへ行っても期待できないのか~と、とりあえず書置きの御朱印をいただき、お礼を述べ後にする。

有馬温泉界隈(1) - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:13:57

箕谷駅から有馬口駅で乗り換え、終点の有馬温泉駅へ移動。春休み期間中ということもあって、家族連れや卒業旅行だろうか、いや、それだけではなく、有馬温泉はやはり、有名な温泉地であるので、かなり人が多い。駅から坂道を上がれば太閤橋があり、近くには秀吉やねねの銅像、袂石と、有馬の昔話に絡んだものがあり(こことか→→→http://www.ryuusenkaku.jp/legend/)、橋からは川沿いの桜並木が満開を迎え、「温泉地に来たー!」といった感じ。
観光バスや定期バスがひっきりなしに往復している中、お土産ものが並ぶお店を覗いては、名物の炭酸せんべいを売る暖簾が各店揺れて繁盛しており、賑わう活気に私も心踊ってしまう。
有馬温泉は、観光協会のHPを覗くと、日本最古の温泉と書いてある。人間がまだ土を掘る技術を持たない時代より湧き出ていた自然の温泉であるということらしい。環境省の「療養泉」として指定している9つの成分のうち、硫黄泉と酸性泉を除く7つの成分が含まれていて、多くの成分が混合した、世界的にも珍しい温泉だという。
泉質別では主に2つあり、金泉と銀泉。前者は含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉、後者は二酸化炭素泉、いわゆる炭酸と、放射能泉、ラドン泉とのこと。金泉は冷え性、腰痛、湿疹、傷、やけど、銀泉は循環器系と効能があり、それぞれに見た目は、金泉が赤く、銀泉は無色透明と、写真を見るだけでも効きそうな感じが?する。
…と、まぁ~詳しいことはHPを見ていただいて…予備知識を頭に入れ、今回の旅に臨みつつ、さて、まずはしだれ桜が有名な善福寺へ。

善福寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:15:13

“おみやげ街道”から阪急バスの案内所近くに来ると、山の斜面に沿って石段が続き、春らしく提灯が石段参道に並んでいる。山門をくぐると、境内には本堂に千利休の供養塔が建ち、一際目を引くしだれ桜が満開を迎え、ここも花見で人が多い。
善福寺は行基上人が創建し、仁西上人が再興。本尊は源満仲の持仏、阿弥陀仏が安置されていて、縁起に美女丸伝説の話があり、能や曲舞の源となっている。美女丸伝説と言えば、兵庫県川西市の三ツ矢サイダーで有名な多田神社。(説明するの、面倒くさいのでココを見てね→→→http://www.tadajinjya.or.jp/folklore
で、鎌倉時代作、国の重文の聖徳太子像の宝物や、戦国時代、秀吉が阿弥陀堂の住職の頭の形を面白がって、その形に似せて作らせた大きな茶釜(阿弥陀堂釜)もあり、毎年4月と11月に茶会も行われるそうな。
しだれ桜は「糸桜」と呼ばれ、樹齢200年を超える。見頃のしだれ桜の下では参拝客が大勢、休憩がてら花見を楽しみ、私もしばらく休憩。
説明看板を一通り読み、しだれ桜を通して温泉街の景色が見渡せ、御朱印をいただこうとピンポーンするが留守で、あきらめ次へ。

温泉寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:16:12

“おみやげ街道”に戻り、整備された道路を西へ道なりに進むと、旅館やホテルの建物が立ち並び、その間に石段参道が見える。石段を上がったところは、ホテルの駐車場になっていて、兼、温泉寺の境内、湯泉神社の鳥居入口となっていて、桜が見事に満開状態である。目の前の立派な温泉寺の本堂にまずは手を合わせ、説明看板を読む。
温泉寺は善福寺と同じ、行基が創建、仁西が再興。桃山時代には北の政所(ねね)が復興、明治の神仏分離以後、衰微し、清涼院以外廃絶したとある。本尊は薬師如来。薬師如来の導きにより行基が有馬温泉を訪ね建立したことから、毎年1月2日には入初式として、木造の行基や仁西像に初湯を掛け沐浴する行事がある。本堂には薬師如来を守護する十二将のうちの波夷羅大将立像が祀られていて、こちらも重文として寺宝となっている。
岐阜県の下呂温泉にも温泉寺という同じ名の寺があるが、こちらの本尊も薬師如来。やはり温泉の治癒成分の効能を、仏教のご利益に準えるのはどこも同じで、昔から連綿と受け継がれているのだろう。有名どころの温泉地には「温泉寺」がいくつあるのだろうか、これからもいろんな温泉寺があれば訪れてみたいと思うのでありました~

湯泉神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:17:12

温泉寺で御朱印をいただき、湯泉神社の鳥居から石段を上がっていく。途中、社務所だと思われる住居があることを認識しつつ、まっすぐ延びる石段をひたすら歩き、ようやく境内に到着。しばらく休憩し、心落ち着いてから社殿でお参り。
最初は「温泉」神社かと思ったが、よく見ると「湯泉」神社で「温泉」も「湯泉」も同じような意味合いだが、改めて考えてみると、「温」と「湯」だと微妙なニュアンスで違うのだろうかと頭を巡らす。
観光協会のHPには、湯泉神社を「とうせん」とか「とうぜん」「ゆの」などと呼ぶ説があり、現在は「とうせん」と発音するのが一般的とのこと。
祭神は有馬を最初に発見したと伝わる大己貴命(いわゆる大国主命)と少彦名命、熊野久須美命が祀られていて、大己貴命と少彦名命の二柱が有馬を訪れたとき、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していて、数日でその傷が治ってるのに気づき、その水たまりが温泉であったと知り、教えてくれた三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられていて、「有馬の三羽からす」と呼ばれているそうな。…と、観光協会のHPの「有馬の歴史」を読んでいただければその後の詳しいことが載っている。
境内からは愛宕山に行く登山道が口を開け、いいハイキングコースとなっているのだろう、時間に余裕があれば…といったところか、桜の木々が8分咲きの「春~」といった感じで、穏やかな雰囲気である。境内に授与所の建屋があるが、無人のようで、インターホンがあるので押してみると、石段途中の住居に…と、やはり宮司さんがそこにいらっしゃって、再び石段に戻り、御朱印をお願いし、お礼を述べ、次へ。

極楽寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:18:19

温泉寺の境内に戻って来て、北へすぐ、野面積みの石垣が紹介されていて、そのお隣、極楽寺の大きな本堂が建っている。
ネットの情報では、極楽寺は聖徳大師の開基と伝わり、念仏道場として栄えたとある。焼失による移転などを繰り返し、阪神大震災では半壊した。その修築中に、秀吉が築造した「湯山御殿」の遺構の一部が発見され、茶器や瓦などの出土品などが、遺構の上に建設された「神戸市太閤の湯殿館」で公開されている…とネットの情報ではそうだが、
受付には拝観はしばらく中止と表示がしてあり、工事中のよう。窓ガラスには御朱印はお断りと、こちらもしばらくはできないことになっていて残念~。まぁ~しょうがないとして、本堂は自由に参拝できるので、本堂の向かいにあるお地蔵さんや豊太閤の供養塔に見守られながら、そこはしっかりと本尊の阿弥陀仏にお参りし、お隣の念仏寺へ。

念仏寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:19:19

小路に面し、本堂がで~んと、横に長い建物を見、近くのしだれ桜が色を添えている。念仏寺は神戸13仏霊場の9番札所。本尊を阿弥陀如来とし、神戸七福神の寿老人を祀る。
本尊の阿弥陀如来は快慶作と伝えられ、今の伽藍は300年ほども保っていて、有馬でも一番古い建造物とされている。6月には沙羅双樹の花が有名で、1日で散る果敢ない白い花が霊木となっている(冊子参照)。
お参りをし、本堂前の縁側?で、ちょこんと座っているおばあちゃんに声をかけ、神戸13仏霊場の御朱印帳があるか聞いてみる。
「あ~、ありますよ」
「えっ!ある?」
もうどこにもないと思っていたのに、これはラッキー! 本尊や七福神の御朱印もお願いし、その間、簡易な座布団を勧められ、座ってしばらく談笑。名古屋からの訪問に労って下さり、沙羅双樹の話、桜の話など花に関してお話して下さる。遠い山の方に目線を逸らし、山肌の緑の木々の中に白い花々があちこちに散りばめられて咲いている景色を指し、あの白い花は「こぶし」といって、この季節に咲く花で、去年は少なかったが、今年はあんなにいっぱい咲いているのは珍しく、「いい時期に来ましたね~」と縁を喜んで下さり、「いえいえ」とこちらも感謝と、最初は桜に見えた花も「こぶし」という聞き慣れない特別な花のように思え、うれしい限り。旅の無事を祈って下さり、別れを告げる。

有馬温泉界隈(2) - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:20:22

念仏寺から南東方向へ坂道の小路を歩いて行くと「銀の湯」の施設がある。先ほども合わせて紹介したが、「金の湯」「銀の湯」の施設は有馬温泉を代表する日帰り温泉施設で、ネットの情報では「人が多すぎてゆっくりできない」「湯船に人がいっぱいでぎゅうぎゅう詰め」等々の口コミを見、私はパス。建物の写真を収めるだけにして急坂を上がり、炭酸泉源広場へ。広場といっても小さな休憩所みたいなとこで、ボコボコと泡がでる小池を見、漢文のような漢字だけの石碑があるとこに行くと、説明看板があり、一通り読む。
説明看板には炭酸泉について書かれていて、明治6年に湯山町戸長の梶木源次郎という人が、横浜の平野留七氏から炭酸ガスを含む泉が湧くところがあることを聞き、そこは毒水と呼ばれ、人が近づかなかったこの泉を思い出し、その後、兵庫県庁に要請し、内務省司薬場の検定を経て、炭酸泉を開いたとのこと。近くにはその湧いたところと見られる場所があり、立派な屋根付きの建屋が建っていて、神聖な雰囲気を醸し出している。
「へぇ~、ここで~」と、覗き込み、有馬の歴史を物語ることが垣間見え、散策~。

有馬稲荷神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:21:38

道なりに急坂を上がると、整備された道路に出て、向かいには有馬稲荷神社の赤い鳥居が見える。
さて、境内へ行くには長い石段を登らなくてはならない。石段の中央にある手すりを境に、左には鉄製の1本レールが上へと続き、たぶんトロッコなのだろう、相当この石段を登らなければならないのかという想像が働き、気合を入れ上がる。石段には途中途中に、励ましの看板が建っていて、それを読んでは休憩し、再び上る。
有馬稲荷神社は、舒明天皇・孝徳天皇が有馬温泉に行幸されたとき、有馬の杉が谷という地に有馬行宮を造営し、この有馬行宮の守護神として稲荷大神を勧請したのが源とのこと。明治に入り、射場山の中腹に移転造営し、祭神がその山に住む古長大神(フルオサ大神)・恒長大神(ツネオサ大神)が奥宮に、宇迦之御魂大神が本宮に祀られている(HP参照)。
ようやくたどり着いた境内は、意外と広く、山裾に沿って摂社が祀られていて、古式ゆかしい感じで、高台から“有馬の春”の景色が望め、休憩がてら腰に両手を当て、仁王立ちで「やったー!」と達成感に浸る。拝殿前には有馬温泉のホテルや旅館の名の石碑が建っていて、崇敬されているのがわかる。
しばらくして拝殿でお参りし、境内を散策後、社務所へ行くと、宮司さんが「どうぞ、上がってください」と中へ案内され、失礼して御朱印をお願いする。長居するつもりはなかったのだが、有馬温泉についての話からはじまり、神社や政治についての話、念仏寺のおばあちゃんの話、老齢の飼い犬(柴犬)の話等々、ここではコメントできない濃い話をし、なかなかに面白い。いろいろと有馬の歴史を教えてもらい、後にするのでした~

写真は射場山に咲く「こぶし」という花

有馬温泉界隈(3) - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:22:43

有馬稲荷神社鳥居まで下りてきて、整備された道路を東へ、どこかの会社の駐車場から見渡せる有馬の街並みを写真に収め、小路を下りていく。林渓寺という真宗派の境内に立ち寄り、梅がまだ咲いている近くに桜が咲く、二重の楽しみを味わい、おみやげ屋の商店が並ぶ小路を歩き、本能のままに散策していると、側溝には茶褐色?に近い温泉の源泉が流れていて、湯気が立ち込めているとこに遭遇。これぞ「温泉」といった感じで、さらに小路を進むと、有馬天満宮という社の境内に、温泉の掘削建屋というのだろうか、鉄柱が建っていて、湯気とともに蒸気が「プシュー」と音を立てている。「天神泉源」と書かれていて、どっちから読むのかわからないが、ここから近くの宿泊施設等に送られているのだろう。
善福寺のしだれ桜が見えるとこまで戻ってくると、「金の湯」の温泉施設を写真に収め、この界隈は賑やかである。ネットや有馬稲荷神社の宮司さんがおっしゃっていた通り、「金の湯」は人が多くてゆっくりできないという難点はその通りかも、と、思いながら観光地の雰囲気を味わい、今日はここまで。本日宿泊する瑞宝園さんには、夕なし朝ありプランなので、どこぞで夕食をと思ったが、この日は定休日の店が多く、コンビニで弁当を買いチェックイン。瑞宝園の温泉は「銀の湯」のみ。旅の疲れを癒し、露天風呂も楽しめて十分温泉を堪能。翌朝、有馬稲荷神社の宮司さんのおすすめで、日帰りでも入浴できる「かんぽの宿」に“金の湯”があるので、行ってみることに。入浴時間は10:30からの営業ということなので、瑞宝園のロビーで待機し、15分前くらいに有馬稲荷神社を目指し移動。神社鳥居から西へすぐのところに「かんぽの宿」があり、券売機で入浴料、貸しバスタオルのきっぷを購入、荷物をコインロッカーに預け、いざ。
朝イチなので、お客さんは私を含め3人。肌身に浸透するくらい湯船に浸かり、湯上り後、ぞくぞくと人が入ってきて、湯船がいっぱいになるほどの人の多さに、早く来てよかったーっと、脱衣所でほげーっとコーヒー牛乳を飲み、朝風呂を堪能するのでした~

須磨寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:23:57

有馬温泉で目移りするおみやげを買い、有馬温泉ともお別れ。昨日、乗ってきた神戸電鉄で再び新開地駅へと戻り、山陽電鉄に乗り換え、須磨寺駅を目指す。
須磨寺はこれで3回目。神戸13仏霊場の11番札所なので立ち寄ることに。駅から北へ商店街を歩き、各塔頭寺院のお堂が並ぶ界隈を見ながら、正面、仁王門を潜れば「源平の庭」の一の谷、一騎打ちの平敦盛と熊谷直実の、“馬上にらみあい風景”が満開の桜を背景にある。
唐門を抜け、本堂でお参りし、境内西に方へ大師堂、八角堂と並び、朱色の三重塔と、伽藍が立派で懐かしい。あの、からくり時計のある納経所で御朱印をお願いし、宝物館前のベンチで一休み。
しばらくして、須磨寺の東に大池があり、そこの桜並木を散策。地元の方々が絵画に筆を走らせている姿を多く見、自分の趣味を楽しんでいて、春の陽気に平和である。やはり、須磨寺周辺は源平合戦の地でもあるので、“兵どもが夢の跡”の句を平和に対する意識で思いを浮かべてしまう。
今年の桜は4月の1週目で散ってしまうだろうと予想し、あっという間に散ってしまう時間の流れの早さに、源平合戦の争乱も歴史の枠で見れば、あっという間の出来事、ある意味、同じだと思え、果敢なさを感じてしまうのでありました~

写真は須磨公園

夙川 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:24:59

須磨寺駅から三宮駅へ移動し、JRに乗り換え、JRさくら夙川駅で下車。ここは兵庫県西宮市に位置し、地図上では北に阪急線の夙川駅、中央にJRさくら夙川駅、南には阪神線香櫖園駅と、各路線に夙川が縦断している形で、香櫖園駅東には“福男駈けっこ”で有名な西宮神社がある。ちなみにJRさくら夙川駅の1つ西の駅は高額所得者?が住む芦屋の住まいがある。
南北に延びる夙川の堤防沿いには桜並木がず~っと続き、桜の名所となっていて今回、訪れた次第。なので、JRの駅名も“さくら”とつけたのだろうか。
駅から西へ、花見を楽しむ地元の方々が駅近くのコンビニで仕入れた袋を手に下げ、移動していて、やはりこれから宴会気分であることは間違いなく、有名なのが分かる。
堤防に上がり、桜並木が続く道を歩き、よく見ると桜はもう散り始め。それでも、これで見納めと、花見を楽しむ観光客が大勢いて、JR東海道線の鉄橋近くには“撮鉄”が三脚を構え、電車が通過するたびにシャッターを切っていて、私も真似て連写で撮る。
ネットの情報では、西宮市の市花は「さくら」とのことで、市内にはたくさんの桜の名所があると。夙川の堤には古くから桜の木が生育していて、明治38年に阪神電車が開通したのをきっかけに、開発が始まり、今では1600本もの桜の木が植えられている。
そんな桜も、時々風が吹いて桜吹雪となり、来週にはあっという間に葉桜になってしまうだろうと、今年は早かった印象が強く残る。阪急や阪神の駅の方まで散策するには時間がないので、限をつけ、JRの駅に戻る。

水堂須佐男神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:26:08

JRさくら夙川駅からJR立花駅の尼崎市に移動。ネットで知った駅近くの神社を訪ねることに。駅から西へ10分ほど、頭の中に地図を暗記したが、不安なので、町の人に尋ねながら歩き、水堂須佐男神社に到着。
こちらの境内には5世紀ごろの前方後円墳、「水堂古墳」と呼ばれる文化財がある。このあたりは海辺に近い湿地であったとされ、弥生後期ごろから人々が集落を営んでいたことが分かっていて、水処→みど→みずど→水堂という地名と称したそうな。古墳からは朱塗りの木棺が収められ、人骨をはじめ、鉄槍や青銅鏡なども発見されていて、古墳保存館として見学できる。そんな境内地に、当地の産土神として祭祀場が設けられ、いつのころからか祀られてきたんではないかという推察で紹介されている。
地元の神社~といった感じの、鳥居を潜れば、目の前の社殿がまだ新しく見え、早速その前でお参り。社殿は阪神大震災で倒壊、平成10年に復興再建されたもので、中を覗きこむと、天井には一面グリーンとブルーの花柄が描かれた格天井となっていて、鮮やか。滋賀県在住の日本画家、鈴木靖将氏の作品「万葉の花」で、水堂古墳の被葬者と、阪神大震災の犠牲者の霊に捧げる意を込めたものだそうで、当社の御朱印帳のデザインにもなっている(冊子参照)。
社務所で御朱印をお願いし、その御朱印帳の価格を見、まぁ~、まだ間に合っているので…買わずにお礼を述べ、後にするのでした~

炭酸サイダー - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:27:14

有馬温泉に行ったらこれを飲むべきと、ネットの情報で知り、おみやげ屋さんへ。炭酸せんべいは有名だが、やはり“炭酸”といえば「サイダー」。偶然なのか、旅先ではご当地サイダーを購入する機会が多々あり、今回も炭酸サイダー2本おみやげに。
夏の暑い時期まで待って、キンキンに冷えた状態で飲んでみたいとも思ったが、1本だけと実食!…と、その前に…
もう、今どきでは珍しいのかな? 栓抜きで栓を抜く形のビンって、あんま見掛けないが、栓抜きが家にあったかな?と探すがない。仕方がない…マイナスドライバーで栓を開け、一気に炭酸の泡がシュワーと浮き立つ。
最初の一口…「き、きつい~」
年寄り?には刺激が強すぎる~と思っていたが、二口目にはちょうどいい塩梅で、買ってきた炭酸せんべいと一緒に食べ、お腹いっぱい。市販のサイダーに比べ、そんなに甘くない印象で、温泉のサイダーはやっぱりちがうなぁ~と、特別な感じと錯覚する思考に酔い、満足するのでした~

和歌山・大阪の旅 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:07:00

桜の時期は過ぎてしまいましたが、今年の桜の開花は全国的に5日ほど早く、花見もそれに合わせ、旅の計画。3月下旬にはもう満開になっているとこといえば、紀伊半島あたり。いろいろと下調べをしていると、まだ知らない桜の名所があり、花見を中心に南大阪の神社めぐりと合わせ、行ってきましたよ~

天王寺公園(1) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:13:03

大阪市内の桜の名所といえば大阪城。この日は、JR大阪環状線を右回りに、大阪駅から天王寺駅へと目指し、その途中、ほとんどの乗客が大阪城公園駅で降りていき、桜が満開であろうことが想像でわかる。
JR天王寺駅に到着し、北西方向にある天王寺公園へ行くと、出店が並ぶ広場には大勢の花見客や行楽客で賑わっている。ここには動物園に、慶沢園、大阪夏の陣で真田幸村が陣を構えた茶臼山、市立美術館などがあり、まずは慶沢園へ。
慶沢園は、住友家の第15代吉佐衛門が茶臼山本邸の庭園として造園したもので、京都の平安神宮の神苑や円山公園などを手掛けた庭師の小川治平衛が施行したとある(冊子参照)。池を中心に松や岩を配した回遊式庭園で、季節折々の花木が楽しめ、入口からすでに桜の木々が満開を迎え、「アベノハルカス」を背景に見ごろ状態。
切石橋を渡り、池を一周、ツツジの低木や菖蒲が咲きそうな池の畔を歩き、春の陽気にゆっくりと散策。北門から茶臼山古墳へと移動。

天王寺公園(2) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:14:17

茶臼山が見える池の辺りまで来ると、撮影スポットがある。桜と通天閣のコラボ写真をネットで見、その場所を撮りたいと訪れたわけだが、通天閣が西に建っているので、逆光にならないように午前中が勝負。池に架かる橋の上から、市立美術館前の階段上から…と、いろんな場所から撮り、桜が見事にあちこちにある。平日にも関わらず、たくさんの人出、外国人等々、さすが「大阪!」って感じで、大都市のことだけはあり、賑やかの中、公園を散策するのでした~

地福寺 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:15:35

JR天王寺駅から阪和線で山中渓駅へ移動。和歌山県のお隣、阪南市にある山中渓(だに)が桜の名所であることを知り、訪れた次第。“撮り鉄”なら有名であろう、桜と鉄道のコラボ写真をネットで見て惹かれ、車窓からすでに桜の並木が続く景色に期待が高まる。
無人っぽい改札を出て、まずは地福寺を目指す。地元では境内のしだれ桜が有名とのことで、紀州街道と呼ばれる整備された道を歩き、古き良き時代の建物が説明看板を通して、この街道の雰囲気を味わい、祠だけの地元の山中神社に手を合わせ、ごあいさつ。街道沿いの民家の細い路地からすでに立派なしだれ桜が見え、見頃を迎えている。
地福寺はネットの情報によると、本尊は阿弥陀三尊像。境内の子安地蔵堂には熊野街道にあった地蔵堂王子の本尊である地蔵三尊像が祀られていて、安産の神として知られている。
境内には本堂に、その子安地蔵堂が建ち、山の斜面に沿って墓地が並んでいる。ちょっと失礼して、高台の墓地の方へ行き、しだれ桜の全体像を拝み、遠くには高速阪和道、山中川沿いの桜並木の景色が見え、しばらく休憩。このしだれ桜のおかげで、お墓の御先祖様方々もこの時期には癒されることだろうと、うらやましい限り。境内へと戻り、しだれ桜の下から“桜のシャワー”を浴びながらしばらく眺め、花見を楽しみ、御朱印はというと、お寺の方は留守のようなので、諦めて山中渓の方へと移動する。

山中渓 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:16:44

紀伊街道から県道に出ると、JR阪和線と平行に山中川沿いに桜並木が見ごろ迎えていて、ちらほらと観光客が歩いている。鉄道好きなら知っているであろうポイントで、三脚を立て、この日は2,3人だが、電車と桜のコラボ写真に待機している。私も見習って電車が来るのを待ち、連写でパチリとしばらく撮影に夢中になる。
散策していると、袋詰めにされた柑橘系の果物が無人で販売していて、ここは大阪だが、「和歌山~」って感じで、雰囲気を味わう。
山中渓の地区は昔、江戸時代には山中宿の宿場町で、徳川紀州家が参勤交代の際に立ち寄る第一宿場であったそうな。昭和40年代から地元の人々が山中川に桜の植栽を始め、今では千本ほどの桜並木に(ネット参照)。
お城の桜、川沿いに桜…と、日本人のDNAに刷り込まれている景色は、どこに行っても癒しを伴う気持ちになり、明るい気分になる。やはり、年老いた?せいか、訪れる季節の風物を堪能するのが「粋」であると分かってきた気もする。
山中渓駅へ戻り、ホームの端っこで“撮り鉄”がカメラを構えている姿を見、私もその場所で撮影。線路沿いの桜並木に、電車がカーブして駅に入ってくる光景を素人ながらに撮影し、一緒に楽しむのでありました~

新和歌浦展望台 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:17:50

JR和歌山駅に到着し、和歌山バス、30系統の南海和歌山駅行きに乗り、新和歌浦遊園バス停で下車。この辺は以前、和歌山を訪れたとき、和歌山33観音霊場の番外、毘沙門天寺の近くで、和歌浦の景色が広がる風光明媚な半島。その半島にある高津子山の頂上に桜の名所があるということをネットで知り、訪れた次第。
頂上へ行くには30分ほど山道を歩かなければならず、バスを降りると目の前がホテルの施設だろうか、そこから頂上へ向かう急坂になっていて、気合が入る。登っているうちに、本当に桜があるのだろうかと、山道を歩きながら思い、すれ違う人に挨拶をしながらようやく頂上付近の明るい場所へ視界が開けてきて、“龍の背中”を歩くように頂上に続く道が見え、その先に展望台が建っている。周りには満開の桜が見ごろを迎え、桜だけではなく和歌浦や大阪湾を見渡せる景色に、気分爽快~。意外と人の姿があり、山道を登ってきた甲斐もあってか、ここは、あの世か?と、桃源郷のようなイメージをしてしまう。
遠くの景色を眺めながら、撮影しながら、息を整え、頂上の展望台にたどり着くと、また違った景色が楽しめ、山裾の方に桜が広がるかのようにすばらしい。ここは夕陽の景色百選にも選ばれているらしく、確かに納得。日の入りまで居たいが、そうもいかず、絶景を楽しみ限を着け下山する。

和歌山城(1) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:19:04

新和歌浦遊園バス停から県庁前バス停で降り、和歌山城を目指す。過去にこの季節、和歌山城には訪れたことがあって、その時は大手御門近くのしだれ桜は満開を迎えていたが、城内の桜は5分咲きで、まだ早かった印象が残っている。
今年は例年に比べ、開花も早く、3月の3週目で、すでに満開を迎えている情報を聞き、訪れたわけだが、やはりその分、人出は多く、外国人の旅行者も目に付く。
天守閣を目指し石段を上がるが、天守閣の開館は17時までとなっていて、中に入ることは無理だが、本丸付近、桜とお城のコラボを撮影する人でまだ賑わっている。しばらく撮影し続け、本丸御殿跡で天守閣を見ながら休憩し、限をつけ、二の丸庭園へと裏坂の石段を下りていく。
二の丸庭園では桜がきれいに見ごろを迎え、提灯に明かりが灯り、あっという間に空は霞色へと変化。今日宿泊するホテルのチェックイン時間が迫っていたので、城内を去ることになるが、入れ違いにスーツ姿のサラリーマンたちが、手には袋を持ち、“夜桜宴会”へと出かける姿を目にし、これも日本の風物詩と、新入社員の場所取りを思い出す。

和歌山ラーメン - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:20:18

和歌山市役所から北にあるビジネスホテルにチェックインし、部屋に荷物を置き、夕食はどこか近くの飲食店にしようと歩いていると、和歌山ラーメンの店を発見し中へ。地元の若者が2,3人の客層の中、メニューを見ると、麺が見えないほど青ネギたっぷりのラーメンに、ギョーザ等が載っていて、チャーシューメンとギョーザをオーダー。和歌山ラーメンは初めてで、麺は中太麺でスープは豚骨醤油味だろうか、とろみがある。青ネギの多さにビックリだが、これがなかなかアクセントになっていて旨い! あっという間に平らげ、満足×2。
会計時、壁に貼られた写真を見、芸能人の姿が写っていて、結構有名な店なのか~と納得し、外に出てから「あっ!」と、写真を撮るのを忘れたことに気づき後悔。まぁ~、和歌山ラーメンを堪能したこともあって、また来ればいいや!と、ホテルに戻るのでした~

写真はネットからお借りしました

和歌山城(2) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:21:29

翌朝。市役所前のバス停で待っていると、なかなかバスが来ない。「あれっ!」と、時刻表を見ると、調べた時刻表と違っていて、よく見ると日・祝の時間と間違えていてショック。しかも路線も違っていて、2つ先の公園前バス停からの乗車となっている。次のバスの時間まで1時間。通りを挟んだ目の前の和歌山城の大手御門からしだれ桜が目に飛び込んできて、頭を切り替え、バスが来る時間まで場内を散策することに。
堀に石垣と、直線的な描写に桜並木が丸く彩りを添え、美しい。朝から撮影をしにきてる観光客が結構いて、花見の時期真っ盛り。昨夜の“夜桜宴会”の痕跡が一部残っていて、和歌山県民は、しばらくは二日酔い続きだろうと想像する。時間を忘れるほどに撮影に夢中になり、急いで公園前バス停へ。

紀三井寺 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:22:50

公園前バス停からJR紀三井寺駅へ。紀三井寺は西国33観音霊場の第2番札所。こちらも春には桜の名所として有名で、今回で3回目。春の時期は初めてで、背景の山肌には緑の中に淡いピンク色の斑点のように桜があちこちに散りばめられていて、春の雰囲気を醸し出している。
正面の楼門からではなく、裏門から入り、桜がすでに私を出迎えてくれ、受付で拝観料を支払う。急坂を上り、徐々に高見へと上がるにつれ、和歌浦の海が遠くに見えてきて、境内にたどり着くと、伽藍の中に桜が植えられていて絵になる。
久しぶりの訪れに、「そうそう」と思い出しながら、まずは本堂でお参り。この時期、本尊の十一面観音に間近で見られる内陣拝観が特別にできて、時間が決まっている模様。それまで多宝塔や開山堂などを見て回り、桜とのコラボ写真を撮りまくる。
…と、鐘が一突き境内に響き渡り、合図として拝観スタート。厳かな空気の中、ぼんやりと浮かぶような雰囲気の中、観音さまは安置されていて、しっかりとお参り。1240年近く昔に、開基した唐僧の為光上人によって尊像は彫られ、これを草庵に安置したのが紀三井寺のはじまりなので、しっかりと目に焼き付ける。
拝観を終え、本堂が建つ参道を南へ行けば、大きな新仏殿が建っていて、ここ、名草山の麓で為光上人が出会った黄金の千手観音をモチーフにしたのかはわからないが、大千手十一面観音菩薩像が安置されている。平成20年に落慶法要が営まれたということなので、最近。寄木立像としては日本最大の大きさで、どんだけ金かかってんだ~と、卑しい心で見てしまうが、よ~く造ったなぁ~と、ここに来るたびに口をあんぐり開けて見上げてしまう。頭部まで階段で上がれるが、時間がないので諦め、楼門へと直線石段を下り、途中の塔頭寺院の瀧本院で御朱印をいただき、霊泉を写真に収め後にする。

波太神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:24:03

JR紀三井寺駅からJR和歌山駅で阪和線に乗り換え、JR和泉鳥取駅で下車。ここからは大阪の南にあたる神社めぐりとし、まずは阪南市にある波太神社を目指す。駅前のバス停を探すが、どこにも見当たらず、駅員さんに聞いても曖昧。阪南インター交差点の大きな道路に出て、コンビニでバス停を教えてもらい、和泉鳥取駅前バス停というのに、かなり遠い。南海バスに乗り、波太神社前バス停で降り、すぐ、境内の駐車場から鳥居、真っすぐに延びる参道を歩き、途中、掃除をしている人に挨拶して、本殿へ。
本殿はちょっと変わった造りになっていて、説明看板を読むと、「三間社流れ造り」という形式の建物らしい。「三間社」は3つに別れた間という意味で、「流れ造り」は屋根の形式のことで、屋根の前を長く延ばして反りをつけたもののこと。江戸時代初期に建てられたことが棟木に記されていて、年代を感じる。そんな本殿でしっかりとお参り。
波太神社はその昔、水鳥を捕らえて天皇の食材とする鳥取部と言われる人たちが、丘陵の桑畑に移住し氏神を祀ったのが起源とされている。なので、祭神は鳥取氏の祖である角凝命(つのこりのみこと)。桑畑から現在の地に移されてからは、いろんな神社(省略)を合祀し祀られたとされている。信長の紀州雑賀攻めの時は本陣が置かれたという記述が「信長公記」にあり、戦国時代の歴史も垣間見える。
社務所へ行くと、誰もいない様子で、諦めて参道を歩いていると、さっきの掃除をしている人に声をかけ、「今日、宮司さんは…?」と尋ねると、その方が宮司さんで、御朱印をお願いしてみる。宮司さんは快く応じて下さり、恐縮。社務所へ上がり、書いて下さっている間、近辺の神社についていろんな情報を教えてもらい、お礼を述べ後にする。

茅渟神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:25:13

波太神社前バス停から南海電鉄の尾崎駅行きに乗り、終点で降り、南海電鉄で1駅北の樽井駅へ移動。南東へ歩いて10分ほどにある茅渟神社へ。ここは大阪府泉南市。緩やかな坂道を上がり、地元の郵便局の角を曲がって、入り組んだ町並みを歩いていると、こんなところに神社があるのかという思いに駆られ、地元の人とすれ違う。たどり着いた茅渟神社の境内は、鳥居?(なのかわからない)から左へと参道が続き、きれいに掃除されていて、さっそく拝殿でお参り。
こちらの神社、その名の通り、「ちぬ(魚)」にちなんだ神社で、拝殿内の上の柱には「ちぬ」の写真や魚拓が掲げられていて「ちぬ」さまさまといった感じ。
「ちぬ」とは何ぞや?ということで、関西では黒鯛のことを「ちぬ」と言うそうで、大阪の海(和泉国と淡路国の間との海)が「茅渟の海」と呼ばれていたことから由来している。神武天皇の東征で、長髄彦(ながすねひこ)との戦いにより、皇兄の五瀬命(いつせのみこと)が怪我をし、傷を洗うに海が血の色に染まり、「血の沼」→「血渟」→「茅渟」となったという云われがあり、ちなみに「渟」は水が溜まって流れないという意味である。
茅渟神社は平安時代中期の創建で、本殿は安土桃山時代に建立、釣り愛好家にとっては安全祈願や魚の供養?に崇敬を集めているらしい。
社務所へ行くと、宮司さんが忙しく作業をしていて、御朱印をお願いすると、こちらも快く応じて下さる。待っている間、少し談笑し、釣りの話に。名古屋の人は釣り好きの人があまりいないらしく、確かに私の周りにも思い返せばいない。愛知県では近いところで知多半島だろうか、釣りをする人は地元で釣りをするのではなく、福井や静岡あたりへ行く傾向があるのかな~と考えながら、いろいろと釣り談義。漁業に関して言えば、この町では釣りが慣れ親しんできたことなのだろうか、この神社では釣りの崇敬者が多いことがわかり、町民性に触れたような気がする。
魚の中でも「ちぬ」を祀る神社なんて珍しく、聞きなれない魚を知るきっかけとなり、宮司さんにお礼を述べ、次へ。

写真は社務所前にある「ちぬ」のおみくじ

里外神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:26:32

予定にはなかった神社を訪ねることに。波太神社の宮司さんに教えてもらった里外神社へと岡田浦駅から近いということもあり、タブレットの地図検索で、にらめっこしながらようやく到着。
ここも地元の神社といった感じで、予備知識なく鳥居から入ると、説明看板が建っていて、読んでみる。祭神は素戔嗚尊で、古い社名は呉服大明神と称していたそうな。創建は仁徳天皇の代に、鬱蒼と茂る森の中に社殿を建て、鎮祭されたとある。倭文部という機織工の管理をしていた場所で、泉州の機織業の発祥の地であり、倭衣織の守護神として崇められてきたとされている。「霊剣」を御神体とした話もある。この神社の西の方に老松があって、その根元から毎夜、光を放ち、村人が境内に飛んでいく光を見たそうな。そこで根元を掘ったところ「霊剣」を発見し、神社に奉納、その場所が岡田(という地)の里の外であったことから社名を改めたとしている。
「へぇ~」と思いながら、つい最近、京都刀剣めぐりをした記憶がよみがえり、何かしらの縁があると、偶然性を結びつける。
参道を歩き、いろんな摂社や木々を見ながら拝殿でお参り。社務所へ行き、ピンポーンすると、奥から宮司さんが現れて御朱印をお願いする。待っている間、見頃の桜を眺めつつ、空を仰ぎ、神社の雰囲気を味わう。四季の中で春が一番嫌いだけど(花粉症だから)、暖かくなる春の日差しに照らされ、年寄りじみた旅愁に浸り、宮司さんにお礼を述べ後にする。

奈加美神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:27:47

南海岡田浦駅から井原里駅へ移動。ここは泉佐野市で、駅から南に位置している奈加美神社へ15分ほど歩き到着。
奈加美神社は、もとは「大宮神社」と称されていて、創建は、古くは平安期にかかる古文書などから推測されているだけで、詳しいことはわからない。ある古文書にはすでに分社を成していて、その後も分社、分社と、九官鳥のように孫分社まで成したともある。
「奈加美」と称されたのは明治に入ってからで、要約すれば、ここの3ヶ村、「奈」(中庄)、「加」(上瓦屋)、「美」(湊)を綴り合わせて改称されたと(冊子参照)。
主祭神は誉田別命。つまり応神天皇のことで、南大阪や海沿いではよく祀られている神さま。
…ということで、こちらも地元の神社といった感じで、鳥居から失礼して、拝殿でお参り。安産祈願の幟が掲げられていて、応神天皇の母である神功皇后の祭神も祀られていることがわかる。
社務所で御朱印をお願いし、滞りなく次へ。

岸和田城 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:28:59

南海井原里駅から蛸地蔵駅で下車。桜の名所、岸和田城に立ち寄り、花見散策。岸和田城は今回で2回目。前回も春の時期に訪れたが、5分咲きで残念な結果だったが、今回は満開日和に当たり、観光客も大勢いて賑わっている。
南東の方角から堀を一周する形で右回りに散策し、桜が見事に咲き誇っている。天守閣を中心に、北西からの入口付近は、公園、食事の施設もあり、花見を楽しんでいる人たちでいっぱい。城内へと入り、「これこれ」と、天守閣前の石組の枯山水庭園を眺めては、天守閣を見上げ懐かしい。天守閣の中には入らず、再び堀沿いの桜並木を愛でて、撮りながら移動。満足し次へ。

大阪城 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:30:17

南海蛸地蔵駅に戻り、ようやく大阪市内の今宮駅でJRに乗り換え、大阪環状線で森ノ宮駅へ。駅から北西方向へ、大阪城公園の入口へ行くと、かなりの賑わい。出店が繁盛する、平日とは思えないほどに、休日になったらどうなるのだろうか、というぐらいの、とにかく人の多さで、大阪だからこれが当たり前なのかも~と、気にすることなく、遠く正面に見える大阪城天守閣を目指し歩く。
とにかく大阪城は広すぎる。家康が大阪夏の陣で、堀を埋めたのも納得の難攻不落のバカでかいお城なので、天守閣にたどり着くにも時間がかかる。外堀内堀の桜並木をカメラに収めつつ、豊国神社を横目に、城内を巡る“周遊汽車ポッポ”の乗り物が待機しているとこまでくると、ようやく南側の桜門にたどり着く。堀に架かる橋を渡り、本丸にで~んと建つ天守閣を見上げ、「久しぶり」といった感じで、このときの印象は、背が縮んだかなと思うほど(…なわけないけど)小さく見える。広い城内、時間をかけて歩いてきたせいもあってか、総敷地面積に対して天守閣の大きさの比は、人間社会の蟻?、地球の中の日本?のような感覚?…といった、大分ずれてしまったが、とにかくそんな感覚で小さく見えてしまう。だが、しばらく天守閣を見続けていると、外壁の伏虎(獲物を狙う虎)や鶴(秀吉時代のお城は鷺)、入母屋破風や千鳥破風の装飾に、戦後、壊れたお城を建設会社が鉄筋コンクリートで造られたとはいえ、威厳の風格は衰えていない。「城」はもともと天守閣などなく、戦乱の守りを固めるための“砦、要塞”のようなもので、それが信長時代から“見せるお城”、“権力の象徴”が加わり、変化する。そう考えると、大阪城の天守閣は“見た目”が一番、“大きく見せる”という意味で装飾が豪華である。もちろん城塞としての機能もすごい。なので、その遺構を眺めていると、不思議と“大きく”見え、日本のお城は、建築技術の集大成…とまではいかないが、日本の誇るべき建造物である。
…で、天守閣をパチリとし、北側の刻印石広場へ、桜とのコラボを何枚も撮り、京橋口から出、大阪城を上から眺めようと、地下鉄天満橋駅近くに建っているOMMビル(京阪のビル)の屋上へ。屋上庭園となっている場所があるとネットで知り、そこから大阪市内を一望しようと上がったが、大阪城に目を向けると、目の前のビルのアンテナや避雷針などの障害物が邪魔でカメラで撮影するには残念~。そんでも、しばらく休憩し、コンビニで買った抹茶どら焼きを頬張り、大阪城を眺めるのでありました~

毛馬桜之宮公園 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:31:31

OMMビルから寝屋川橋東詰交差点を北へ、大川沿いを毛馬桜之宮公園に向け散策。
桜並木が川沿いにず~っと続き、大阪では桜の名所でも有名である。思い出すのは、大阪天満宮の例大祭「天神祭」のときで、花火上がり~の、川には水上ボートや遊覧船が行き来し~ので、前に進めないくらいの人・人・人・の多さの中を歩いた記憶がある。
この日も大川には船から“花見クルーズ”が何艘も往来していて、それを見つつ、桜も見つつ歩く。犬の散歩やジョギングをしている人、夕方近く夜桜飲み会に準備している人、すでに飲んでいる人…と、地元大阪の人々が花見散歩など楽しく賑やかである。
京阪線との桜コラボを皮切りに、向こう岸に見える造幣局が中間地点だろうか、JR大阪環状線の鉄橋まで北へと歩き、花見を堪能。今年は開花が早い分、散るのも早く、長くはもたないだろうと思いながら、大阪の桜を愛でることができて満足×2。

また31、京都の旅 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:51:00

「京の冬の旅」第2弾。ということで、懲りずに2月上旬、行ってきましたよ~

御香宮神社 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:51:53

地下鉄で竹田駅へ。本数の少ない市バスを待つため、しばらく駅構内の“ボックス休憩所”でネット検索など暇を持て余し、旅のスタートはエンジンがかからない。
時間となり、ようやくバスに乗った車内では居眠りをしてしまい、あっという間に御香宮前バス停に到着。この地域は伏見区にあたり、幕末期でいうと寺田屋事件が起こった場所で有名で、酒造メーカーが点在しているところでもある。一度は訪れていて、各寺社を散策した記憶がよみがえるが、ここ、御香宮神社もその1つ。境内の桃山天満宮の御朱印を新たにいただけるということで訪れた次第。
御香宮神社は平安期、境内から病気に効く香水が湧き出たので、清和天皇からこの名を賜ったことから始まっている。神功皇后を祀り、秀吉は伏見城の守り神とした有名な神社で、書院の庭は小堀遠州作の石庭となっている(ネット参照)。
大きな鳥居から失礼すると、伏見義民蹟の塔や祠をはじめ、説明看板を読み、「そうそう」と思い出す。少し参道を歩くと右手に桃山天満宮があり、祭神の“道真さん”に手を合わせる。この時期の受験シーズン真っただ中、絵馬には合格祈願の文字が並び、自分もそんな頃があったなぁ~と、苦い経験を思い出す。再び参道に戻り、正面の拝殿へと行きお参り。すぐ横には「御香水」があり、ここでは当たり前のことなのだろう、地元の方たちが名水を慣れた手つきで大量にペットボトルに汲んでいる。
いろんな摂社・末社が祀られている社殿を見て回り、社務所へ。窓ガラスに1、2月特別の見本の御朱印が貼り出されていて、それをお願いしたが、売り切れで、桃山天満宮のみいただく。まぁ~、御香宮の御朱印はいただいているので、固執することもなく次へ。

大黒寺 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:53:01

御香宮神社から坂道を下ると、近鉄や京阪の線路、アーケード街があり、街の雰囲気を味わう。次に向かう大黒寺は、伏見区役所の近くにあるので、地図を見なくてもだいだい検討はつき、あっという間に到着。
ここに来ると、大黒寺の向かいに金札宮があり、金運上昇のご利益があることから立ち寄った思い出がよみがえる。以前、金札宮を訪ねた際に、向かいの大黒寺の境内に入り、「金運清水」や「薩摩義民の殉難墓地」の石碑があり、普段は拝観できないので、写真を撮るだけの散策だったが、この「京の冬の旅」で初公開となり、特別拝観ができるということもあって訪れた次第。
さっそく受付を済ませ、本堂に上がり、学生によるボランティアガイドの説明を聞くことに。本尊は寺名のとおり大黒天。60年に1度、開帳される秘仏で、厨子に納まっている。御前立の大黒天が祀ってあり、等身大とのことで、次回は2044年の26年後。微妙な年代だが、写真で紹介されているので、それをじっくりと見る。毎月1日には大黒天に、境内にある金運清水の湧き水を供えるそうで、御利益がありそう。
話は伏見義民の英雄物語となり、伏見の殿様の賄賂や借金の悪事などに、町民が幕府に直訴し、町を救ったという話を聞き、離れへ移動。客殿には西郷隆盛や大久保利通らがたびたび集い、国事を論じ合った「会談の間」に入り、当時のままの机、硯があり、触れてもいいということなので触れてみる。当寺には、寺田屋事件で命を落とした薩摩藩士9人の墓があり、檀家であった井筒家によって遺体を大黒寺に運び、埋葬されたそうな。最初は簡素な造りの墓であったが、西郷が立派にし、墓碑銘を刻んだとのこと。その9烈士の時世の歌や書が展示されていて一通り見る。
そしてもう一人、江戸時代中期の薩摩藩士、平田靱負(ゆきえ)の墓もある。この方、木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)の治水工事の責任者として働いた人物。幕府の命により、薩摩藩が行った事業で、資材はすべて薩摩藩が出し、幕府は財政を削ぐ狙いもあったといわれている。莫大な金や労力を使い、犠牲者が出たことで、責任を取って自決したとされている。その平田靱負の肖像画や書も展示されていて、じっくりと拝観。真面目そうな“おじさん”の顔を見、「がんばりましたね(心の声)」と声をかけ、墓地へ移動。
横一列、9烈士の墓が並び、その向かいに平田靱負の立派な墓が建ち、手を合わせる。隣は幼稚園の施設なのだろうか、園児たちの声が聞こえてきて、ここで園児たちを見守ってくれているんだなぁ~と、勝手に思い、冬空に射す日差しが少しだけ暖かい気がしました~

写真は山門に乗ってる大黒さん。島津家の十字家紋が印象的。

泉涌寺(1) - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:54:00

大黒寺近くの肥後町バス停から大石橋バス停で乗り換え、泉涌寺道バス停で下車。泉涌寺への案内看板がある交差点を南東方向へ歩いていき、徐々に緩やかな上り坂に差し掛かると、「これこれ」と懐かしい。泉涌寺へはもちろん訪れていて、この上り坂筋には塔頭や西国33観音霊場の今熊野観音寺があり、すべて立ち寄っている。木々が生い茂るトンネルを抜けると泉涌寺への入口、大門がで~んと建っていて、さっそく近くの受付で手続きを済ませる。
泉涌寺は「御寺(みてら)」というほど、皇室から深く帰依せられている寺。四条天皇が当寺に葬られてから歴代の天皇の山陵がここに営まれるようになり、皇室の菩提所として信仰を集めている。もともとは、弘法大師がこの地に庵を結んだことからであるが、その後、月輪(がちりん)大師俊芿(しゅんじょう)が中国の宋の法式を取り入れて大伽藍を築き、寺地の一角に湧き出る清泉をもとに「泉涌寺」と改めたという(冊子参照)。
そんな厳かな雰囲気漂う境内の大門から下る坂道の先に、これぞ泉涌寺という、パンフレットや広告でもお馴染みの仏殿の景色が見え、写真を撮る。仏殿の脇には、今でも湧き出る泉涌水があり、祠も祀られている。
さっそく仏殿に入り、三世仏にお参り。天井には狩野探幽筆の「幡龍図」が描かれ、仏殿を守っている。説明によると、内陣左から阿弥陀、釈迦、弥勒と祀られていて、過去、現在、未来と、三世に渡り、人類の安泰と幸福を願い、南宋の習いに沿ったもので、座像は運慶作と伝えられている。三世仏の後ろに回り込むと、後壁にも観音さまが描かれていて、これも探幽作。じっくりと拝観し、いよいよ隣の舎利殿へ。

泉涌寺(2) - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:54:59

舎利殿は「京の冬の旅」では初公開。「舎利」とは、お釈迦さまの骨ということぐらいは、いろんなお寺を巡っていてわかっている。細かく言えば、骨を細かく砕いたものを「舎利」といい、そこから転じて「ごはんつぶ」=「しゃり」という言葉は豆知識で覚えている。
中に入るとカメラクルーが撮影していて物々しいが、ガイドさんが付き添い案内してくれ、ガイドさんによると、読売テレビの取材で、前日(だったかな?)に女優さんがナビゲート役にもう前撮りをしていたらしい。
…で、カメラクルーはほったらかしにして、堂内の説明をして下さる。舎利殿は1668年、
後水尾天皇の御代に再興されたもので、国の重文に指定、娘の明正天皇が京都御所から、今でいう図書館のような建物の一部を移築したといわれている。室町時代には猿楽師の世阿弥がこの場所を能舞台として謡曲「舎利」を演じられたことで知られ、謡曲「舎利」とは、簡単にいうと、足疾鬼(そくしっき)という鬼が舎利殿にある「仏牙舎利」を盗み、それを舎利殿の守り神である韋駄天が取り返そうする話。
その「仏牙舎利」(釈迦の歯)が内陣中央、舎利塔に収められていて、その脇に月蓋長者と韋駄天が安置されている。1255年、中国の宋から清来されたものであるが、月輪大師俊芿が南宋の大しょうこく寺(漢字がわからない…)で出会い、最初は日本に持って帰ることができなかったが、弟子の湛海律師に受け継がれ、持ってこられたとのこと。はるばる中国からやってきて、700年ほどの時を経て、今もって守り続けられている釈迦の歯。まったく関係ないが、自分のことながら、去年、前歯が欠けてしまい(鉄柱にぶつけ…)10年ぶりに歯医者に行って治療してもらったが、何と虫歯がないという、驚くべき診断に、これからも歯は大事にしないといけないなぁ~と、“守る”という意味で思考が飛ぶ。
天井に目を移し、狩野山雪筆の「龍図」が描かれていて、江戸で描き、分割されてここに運ばれたという。ガイドさんが床についている印のとこまで案内し、ここで手を打つとその反響音が、天から降る龍の鳴き声?のように聴こえることから通称「泣き龍」ともいわれていると。ガイドさんに勧められ、柏手を打つと「…鳴き声?」、凡人にはただ響く反響音しか聴こえないが、「なるほど…」と気を使う。
…そして、舎利塔の前には皇女和宮の小さな念持仏が祀られていて、拡大写真で紹介。堂内左手には釈迦如来図があり、7万108文字の経文で、金泥で施され、大正天皇が病にかかり、早く治るようにと描かれた代物や、釈迦如来像の掛け軸等々を拝観し、満足×2。境内、唐門や霊明殿、大門近くの、信長が建てた楊貴妃観音堂の伽藍を散策し、次へ。

高台寺天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:55:57

泉涌寺道バス停に戻り、清水道バス停へ移動。八坂の塔への道から北へ外れ、高台寺の圓徳院の近くまで来ると、通りには京都らしく、人力車が数台止まっている。高台寺の緩やかな上り坂の石段参道を歩き、山門をくぐると、目の前に高台寺天満宮、左手に高台寺への拝観受付への石畳が続いている。高台寺は紅葉の時期、夜間拝観で訪れたことがあるが、もう10年以上は建っていて、今回訪れた高台寺天満宮のことは「あ~、こんな社があったようなないような…」と、印象がなく、ネットでこちらの御朱印がいただけるという情報が元で立ち寄った次第。
…ということで、改めて社殿を見、まるで祇園祭の山車のようなコンパクトな外観のイメージがし、中を覗くと菅原道真像が祀られている。立て看板の説明には「網敷天神 菅原道真公」と書かれ、北政所が崇敬していた網敷天神像で、道真公が大宰府に流されていくとき、船内に敷物がないため、船の友綱を撒いて円座とし、憤怒の形相をあらわにした像であると。藤原時平の裏切りは相当堪えたのか、怒った姿もわからないではないが、それを戒めとしているのだろう、その像の前でお参りし、近くの売店で御朱印をお願いする。ここから近くの利生堂というところでも御朱印をしていただけますよと、受付の方が紹介して下さり、行ってみることに。

高台寺利生堂 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:57:09

東に目を向ければ、東山を背景に霊山観音の大きな観音像が顔を出し、周りは広い駐車場となっている一角に、真新しいお堂が見える。お堂といっても、休憩所のような新しい建物で、早速行くと、入口では靴を脱いでくださいとビニール袋が用意されていて、そこは広いホテルのエントランスのように、赤い絨毯が敷かれ、注意書きがなければ靴のまま入ってしまいそうな雰囲気。
中に入ると、礼拝堂のように椅子が並べられ、ぐるりと一周、壁一面に釈迦涅槃図が描かれていて、壁の釈迦が本尊となっている。“眠りについている”お釈迦さまに手を合わせ、休憩がてら椅子に座り、壁画を見、見上げると天井には、天使のような羽衣を着た飛天が天へ誘うように泳いでいる姿があり、しばらく見とれてしまう。壁の隅には縦長のエアコンが設置されているが、よく見ると、壁画の一部と同化し、考えられている。説明によると、法要や講演会を催すために作られたお堂で、高台寺所蔵の涅槃図をデジタル複製で貼り巡らせ、ハスの花をイメージし、八角形にしているとのこと。嘆き悲しむ弟子や動物たちの表情を1つ1つ見、ここに訪れた人が何かしらの、生や死を考える場所なのかなぁ~と思い、限をつけ、受付で御朱印をお願いする。「安心」という珍しい御朱印の題目に「なるほど~、そうきたか~」と何となく、ここの涅槃図から、そう書いた心理がわかるような気がして後にするのでした~

斎宮神社 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:58:13

祇園バス停まで歩き、二条駅前バス停へ移動。そこから京都バスに乗り換え、有栖川バス停へ。行く予定ではなかったが、ネットで、自分で御朱印のハンコを押す神社があることを知り、夕暮れ前に立ち寄ることに。立ち寄るといっても、嵐山方面の遠くまでの移動距離だが、自分でハンコを押すということは、社務所には誰もおらず、時間を過ぎても大丈夫だろうと思い、訪れる。
斎宮神社はネットの情報によると、天照大神を祭神とし、伊勢神宮に仕える斎宮(いつきのみや)が有栖川通りに野宮を設け、ここに籠って示禊、祓の儀が行われた旧跡とのこと。話は変わるが、2年ほど前に三重テレビで「斎王」のことを全10話に渡って放映していて、皇女たちの生活や時代変遷を紹介。ある程度の内容は知っていたが、この場所で斎宮のことに出会うとは、改めてもう一度ビデオを見なおしたいと思う。
道路に面し、木製の鳥居が見え、境内に入ると、さざれ石や椋の大木が目立ち、散策。拝殿でお参りをし、社務所へ行くと、情報どおりスタンプセットが置かれていて、見本どおり御朱印帳に押印する。その間、社務所から人の話し声が聞こえ、無人じゃないんだ~と、思うことは…、まぁ~、それぞれの神社の都合もありますから…ありがたく御朱印をいただき今日はここまで。

大久保利通旧居跡 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:59:13

西陣周辺のホテルで宿泊。堀川今出川バス停から河原町今出川バス停へ移動。今まで京都に来て、一回も立ち寄っていない「出町ふたば」の和菓子屋さんに行こうと、朝一で訪れる。有名な「豆餅」は、毎日1000個以上が売れる定番の和菓子に、行列はいつものことで、テレビでも紹介され、朝9:00頃、すでに行列ができている。
私を挟んで前後、外国人で、人気のスポットとしても有名なのがわかる。
豆餅2個と幸福餅1個を購入し、後ほど紹介。
河原町今出川の交差点を南西方向へ行き、大久保利通旧居跡の石碑を探す。「京の冬の旅」のテーマは明治維新150年記念。ということで、薩摩藩士の大久保さんが京都に住んでいた場所を訪ねる。そこは京都御所の東側。岩倉具視と討幕のための、朝廷工作にあたり、上洛して以降、京都に滞在することが多くなり、この地に邸宅を構えた場所で、御所に近い。
石碑がどこにあるのか、最初は見つけられなかったが、民家と民家の塀の隙間にちょこんと建っていて、今は忘れられたかのように石碑が佇んでいる。写真だけ収め淡々と次へ。

宝蔵寺 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:00:15

河原町今出川バス停から南へ、河原町三条バス停へ。河原町の商店街アーケードを歩き、宝蔵寺に到着。こちらのお寺、伊藤若冲の墓が眠る菩提寺で、訪れたこの日、2月8日は若冲の生誕された日。寺宝展や生誕会が行われるということをネットで知り、訪れた次第。
伊藤若冲は江戸時代中期、京都高倉錦小路の南東角にあった青物問屋「枡屋」の三代目、伊藤源左衛門の長男として生まれ、父が42歳の若さで亡くなり、若冲23歳で4代目源左衛門となる。30代のころに絵画を志すようになり、次弟の宗巌に家督を譲り、茂右衛門と改名し画事に専念。京都を代表する画家として弟子が10人以上確認されているほど活躍、菩提寺である宝蔵寺には、作品が弟子を含め多く所蔵されている(冊子参照)。
宝蔵寺はもともと寺町にあり、秀吉の区画整備によって、今の裏寺町に移転、幕末の禁門の変で全焼し、本堂は昭和に入って建立されたそうな。
山門をくぐり、草木が生える境内に、正面に本堂、左手に庫裏があり、本堂前には伊藤若冲一族のお墓が並んでいる。本堂に上がると、拝観されている方々が結構いて、若冲ファン?だろうか、知っている人は知っているんだなぁ~と、本尊の阿弥陀如来に手を合わせ、さっそく奥の客殿へと移動。一室には、若冲、その弟子たちの作品が展示されていて、「竹に雄鶏図」「髑髏図」等々、水墨画が並び、じっくりと拝観。普段は、一般拝観はしていない宝蔵寺の寺宝を見ることができ、満足×2。生誕記念の御朱印をいただき次へ。

妙覚寺 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:01:21

河原町の商店街で早めの昼食をし、河原町三条バス停から北へ、河原町今出川バス停で乗り換え、西へ堀川今出川バス停で乗り換え、北へ天神公園前バス停で下車。大通りを東へ渡れば、水火天満宮や本法寺、茶道で有名な表・裏千家の庵が周辺にある懐かしい町並みを歩き、妙覚寺に到着。ここも「京の冬の旅」では初公開となる日蓮宗のお寺。狩野一族の菩提寺でもあり、今回は偶然にも宝蔵寺といい、絵師つながりで訪れる。
参道を歩き、広い境内に本堂がで~んと建ち、庫裏へ移動。庫裏の前には立派な松の木が植えられていて、冬らしい茶色い苔の庭が癒しを与えてくれる。
受付で御朱印帳を預け、ボランティアガイドの案内で、まずは当寺の歴史と庫裏について。日蓮宗ははじめ、京都では受け入れられず、迫害を受け、日像上人が全国に布教活動をし、修行13年、27歳のころに後醍醐天皇に公に認められ、妙顕寺を建立することを許される。日蓮宗の後継者争いから身を引いた日寛(にちじつ)上人が、豪商の小野妙覚が寄進された四条大宮の土地に日像上人を開山として建てたのが妙覚寺で、4回の移転を伴い、現在の地にある。庫裏はいわずと知れた台所のこと。天井板が外され、梁がむき出しになっているのが特徴で、台所にちなみ、大黒天が祀られている。
本堂へと案内されると、内陣には釈迦と四天王の顔が描かれた、横に長い絵が展示してあり、まだ制作中とのこと。画家の塩沢文男氏の作品で、今年5月に、開眼法要が行われる予定なんだとか。今後300年間は保存される計画とのことで、本人がこの場で忙しく描いている。
本堂から見える庭は、「法姿園」と呼ばれ、法華経の教えである「諸法実相」という「あるがまま素晴らしい」という意で、毎朝の掃除のみの手入れだけなので、「あるがまま」といった感じそのまま。モミジが植えられていて、秋には特別拝観もあるそうで、またぜひ訪れたい。本堂の角に移動し、縁側から見る、外に建っている「華芳塔堂」の説明を聞く。お堂内には厨子があり、厨子の中に石塔があり、この石塔が「華芳塔」といわれている。かつて比叡山で修業されていた日蓮大聖人が、密かにご自身が書き写した法華経を納めるために石を彫って作られた塔。残念ながら中に納めていた法華経は紛失してしまったが、「華芳塔」は信長の比叡山焼き討ちをも耐え、残ったもの。厨子は「華芳宝塔」といい、桃山時代に作られ、観音開きの両扉には狩野派の絵師による中国風の衣装をまとった六神将と四仙、外側には四天王が描かれている。
渡り廊下を渡り、最初に見た本堂だと思っていたお堂は祖師堂といわれていて、江戸中期の建立。内部は豪壮な天蓋に、中央に日蓮大聖人、右に日朗上人、左に日像上人の三菩薩坐像が祀られていて、すべて等身大で、聖人たちの面影を今に伝えている。そして、内陣を取り囲むように、先ほどの塩沢文男氏作の十二支の絵画が並び、1つ1つ見て、三菩薩に手を合わせ、祖師堂奥の壁に祀られているとこへ移動。狩野元信筆の「大涅槃図」、幅4.6m高さ5.9mにおよぶ釈迦入滅の姿をとらえた絵をしばらく見、ガイドさんが説明して下さる。
釈迦如来は北を枕に、右脇を下にして眠りについていて、その周りに嘆き悲しむさまざまな弟子や動物たちの姿…、高台寺利生堂で見た「涅槃図」と絵の構図は変わらないと思いながら…8本の沙羅双樹のうち4本が黄色く枯れていると。沙羅双樹は常緑樹で、枯れることがないのに、釈迦の死の悲しみのあまり、枯れてしまったという表現をされている。そして、左から2番目の木の上に、赤い袋が引っかかっていて、釈迦の母君が天上の世界から死を聞きつけ、何とか助けたい一心で、薬の入った袋を落とすが、奇しくも木に引っかかって取れなかったという意味を表し、「薬を投げる」→転じて「投薬」という言葉が生まれた起源でもあるとのこと。「へぇ~」と詳しい案内を聞き、「なるほど~」といろいろ知識を深める。
もう一度、三菩薩像の正面に立ち、荘厳できらびやかな内陣を見、日蓮宗の総本山、身延山久遠寺を思い出しながら拝観できたことに感謝。手を合わせるのでありました~

薩長同盟と薩摩旧邸跡 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:02:25

妙覚寺から東へ、地下鉄鞍馬口駅へ向かう。その道中、薩長同盟が行われた場所と伝わる近衛家別邸の御花畑屋敷跡、小松帯刀寓居跡の石碑があることを知り、立ち寄ることに。以前はここではなく、一条戻り橋辺りに石碑が建っていたが、2016年鹿児島県歴史資料センターの資料により、ここではないかという説が有力視され、今ある場所に移動している。石碑の敷地内に喫茶店があるので、ここにかつて家屋が建っていたのだろう、想像しつつ、想いに馳せる。喫茶店に入りたかったが、定休日のようなので諦め、薩摩つながりで、最初に薩摩藩邸が建てられた場所へ。
地下鉄鞍馬口駅から四条駅へ移動し、人の流れが激しい駅構内から地上に出、大丸百貨店を目指し歩く。デパートが立ち並ぶ四条通りは、相変わらずの賑わいで、そんな中、大丸百貨店の敷地に建つ石碑を探すが、見つからず、路駐している車の影に隠れているのを発見。「薩摩屋敷之址」と刻み込まれた石碑に、案内看板を一通り読み、「ここか~」と、ここでも想いに馳せる。蛤御門の変で焼失するまで160年間ここに置かれ、後に、前回訪れた相国寺の境内に設け、今は同志社大学となっているが、地図上で見ると京都の商いの中心地から御所の北近くに引っ越していることから、皇族との関係性を保ちたいという望みもあったのだろうと垣間見、いろいろと想いを巡らせる。今年は“薩摩イヤー”(勝手に銘々)で、鹿児島県の旅はたぶん無理だが、京都のゆかりの地だけでも訪れることができてよかったーっと、思うのでありました~

コーヒーと豆餅 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:03:32

さて、今回の旅の行程はすべて周り、どこかへ行く予定がないので、どこぞで休憩をと、ネット検索し、京都御所内にある富小路休憩所へ。地下鉄四条駅から丸太町駅で下車し、東に向かう市バスに乗って裁判所前バス停で降りる。歩いて数分、ここは御所の敷地内の南東に当たる場所で、テニスコートなどのスポーツ施設があり、ジョギングやウォーキングをしている人を見かける。
休憩所に入り、軽い飲食もできるので、ホットコーヒーをお願いし、待ちに待った豆餅と一緒にいただく。豆餅ははっきり言って消費期限がない。いや、あるにはあるが、せいぜい1日で、翌朝には味が変わると聞いていて、その日のうちに食べるのが正解なのである。
いただいた冊子には、「出町ふたば」は明治32年の創業。初代の三次郎が生まれ育った石川県加賀小松にあった豆餅を、京都の地で根付かせたいと、「赤えんどう」を使った「大福餅」を作ったのがはじまり。「赤えんどう」は北海道美瑛、富良野産、中のこしあんは十勝産小豆を使っており、餅米は滋賀羽二重糯米を使用。掲載されているロゴマークが下鴨神社の神紋にあたる葵の葉が2枚描かれており、想像だが、そこから「ふたば」と店名が決まったのだろうかと。とにかく“繁盛”という言葉がまさにピッタリの和菓子屋さんだが、“繁盛”という裏にはここまで培ってきた苦労は、あの厨房?で忙しく手を器用に動かし続けている職人技から垣間見える。
…で、さっそく実食すると…、文句なし。感想はあえて言いません。っていうか、表現が見つからないし、一生に一度は味わってほしい。無難にコーヒーを頼んだが、豆餅に合うだろうかと、ちょっと失敗したかなっと思ったが、これがよかった! コーヒーの苦みが甘さを抑え(もちろん、豆餅だけで食べてもそんなに甘くはない)、ペロリと一気に食べ満足×2。
幸福餅は栗がベースだろうか、こちらも文句なし。次は違う和菓子も購入してみたく、休憩がてらゆっくりと「おやつタイム」と洒落てみました~

みたらし団子 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:04:45

休憩所で京都の情報をネットで調べていると、そういえば有名どころでまだ、訪れていない場所があったことを思い出し、「豆餅」「下鴨神社」つながりで、加茂みたらし茶屋の行き方を地図検索。下鴨神社から西に位置する「加茂みたらし団子 本家 亀屋粟義」へは、下鴨神社前バス停から近く、行こうか行くまいか悩む。…っていうか、「今、豆餅食べたばっかやん」と自問自答し、お腹具合と相談。「よし、行ける!」と決断し、河原町丸太町バス停から北へ、1本で行ける市バスに乗り込み、バス停から数分歩いて到着。
店に入ると、ほとんどの席が埋まっていて、奥の席に座り注文。メニューを見ると、みたらし団子以外にもぜんざいやわらび餅もあり、甘味処といった感じ。名物のみたらし団子を頼み、あと飲み物を…「えっ、コーヒー、抹茶が売り切れ…」と少し思案していると、店員さんから「ゆずティー」を勧められ「では…」とお願する。
瓢箪のお盆がおしゃれな風合いを醸し出し、店員さんに撮影の許可をいただき、みたらし団子とゆずティーを実食。みたらし団子には爪楊枝が1本刺さっていて、「なるほど~これで串から引き抜くのか~」と、実際、この動作をすると、何か、お上品になった感じがして1玉1玉、“霊魂”を胃袋に取り入れるかのようにしてほおばる。普段、焼き鳥やおでんとか、そのまま串を口にもっていって引き抜く食べ方が主流だが、なるほど!こういう食べ方もあるのかと、さすが“京都”といった感じ。
前回の下鴨神社の項で紹介したが、「水泡」や「五体」の由来説明が壁に貼りだしてあり、昔はみたらし団子に限らず、団子は神前に供え、祈祷をした後、それを家に持ち帰って食した風習があることが書かれていて、「団子」って、季節を通して「端午の節句」や「中秋の名月」「お月見団子」、「お彼岸のおはぎ」…おはぎは違うか…で、よく考えると、神格化した代物だなぁ~と改めて気づき、“ご利益団子”としていただくのでした~

ちなみに、別腹に「豆餅」、別腹に「みたらし団子」と、お腹を満たし、その日の夕食は大丈夫かと思ったが、これまた、しっかり胃袋を満たし、別腹はやっぱし別腹、ブラックホールは存在する…などと呆れる想像をするのでした~

また30、京都の旅 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:15:52

毎年恒例の「京の冬の旅」。今年で52回目と、私も恒例となりつつある冬の京都の旅だが、今年の「京の冬の旅」のテーマは明治維新150年記念で、NHK大河ドラマの「西郷どん」にちなみ、西郷隆盛ゆかりの寺院が特別公開となっている。そして、今回は「京都刀剣めぐり」という企画をネットで知り、それも合わせて散策してきましたよ~

城南宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:16:46

地下鉄竹田駅へと移動し、歩いて20分ほど、安楽寿院や北向不動院の境内を横切り、西へと慣れた道のりを進む。もう何回来てるだろうか、つい最近でいえば、昨年の梅の時期に訪れ、それほど経っていないので“懐かしい”という言葉より、“久しぶり”という言葉が相応しく、大きな鳥居まで来ると、「これこれ」と、石碑に刻まれた「城南宮」の文字を見、立ち止まる。
今回なぜ訪れたかというと、鳥居までの参道の途中に祀られている「真幡寸神社」と、「正五九詣で」の御朱印がいただけるということをネットで知り、NHK大河の「西郷どん」との絡み(鳥羽伏見の戦い)もあって訪れた次第。
真幡寸神社は「延喜式」の神名帳にも記され、神紋が徳川家と同じ「三つ葉葵」であることから江戸幕府より問い合わせがあり、由緒を奉行所に回答した文書が伝わっている。真幡寸大神と応神天皇を祭神とし、平安遷都以前からこの地にあったとされ、この地に勢力のあった秦氏の氏神であったという説もある。
「正五九参り」は、神様とご縁が深いお正月、5月、9月の年3回、一年の節目節目にお参りする慣わしで、孝明天皇が御祈祷を修められたことから始まっている。
広い境内、まだ補修工事中の本殿が見え、拝殿へと移動しお参り。やはり、1月下旬の閑散期には参拝される方は少なく、あの神苑で見られるしだれ梅の咲く頃の、人の賑わいを思い出し、咲くのを待ちわびるかのように神苑入口を一時、眺めるのでありました~

神泉苑 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:17:42

竹田駅へと戻り、地下鉄を乗り継いで二条駅前へ。そこから市バスで(市バス地下鉄2日乗車券を利用)神泉苑前バス停で下車。こちらも昨年のツツジが咲く春に訪れ、“久しぶり”といった感じ。ネット情報で新たに御朱印が増え、今まで、平日はおろか、会うことさえままならぬ状態だったのが、ここ最近、平日でも寺務所が開いているとのことで、うれしい限り。
…で、あの、相変わらずの赤い橋に、善女龍王社を中心に、池のまわりの各お堂、水面に鴨の群れが泳ぎ、“アイドルアヒル”は朝からお昼寝タイムと、平和な境内を散策。
神泉苑の縁起はもう説明しなくてもいいだろう(ネットで調べてね…)、一言でいえば、雨乞いの神様が祀られているということと、キーワードでいえば「弘法大師」「桓武天皇」「静御前」等々と関係している。
御朱印をお願いしようと寺務所へ行くと、そのワードそのままに御朱印のお題目にもなっていて、いつの間にか8つもあり、“御朱印コレクター泣かせ”?である。手持ちの御朱印帳のページが一気に染まるのを覚悟して、前回いただいた「善女龍王殿」と「平安京延暦聖跡」以外をお願いし待っていると、節分祭りまでの間、特別な恵方の神様、歳徳神のお札が置いてあり、「節分か~」と、今年は仕事で行けないことを嘆き、悔やむのでありました~

妙心寺東海庵 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:18:39

神泉苑バス停から京都バスで妙心寺前バス停へ移動。南門から境内へと入り、塔頭寺院が並ぶ石畳を歩く。「京の冬の旅」での妙心寺の特別拝観は、三門と東海庵のみ。三門は以前拝観し、その三門を見上げながら釈迦の弟子である十六羅漢像や天井に描かれている飛龍があったことを思い出す。
東海庵にたどり着き、受付手続きでガイドブックと書置きの御朱印をいただき中へ。“エントランス”には韋駄天だろうか、小さな木像が祀られていて、「ようこそ」と迎えてくれ、奥へ行くと3つに分かれた部屋、そして枯山水の庭が広がる。ガイドさんの説明によると、「室中の間」と呼ばれる襖絵には狩野派による松に鶴などの花鳥や秋草が描かれていて、作者は不詳。「???(忘れた…が竹で作られている)」という欄間で仕切られ、中央の間には妙心寺派の1つ、東海派を興した悟渓宗頓(ごけいそうとん)の像が祀られている。
枯山水は何もないまっさらな庭。時代劇に出てくる「お白砂」で、あたかもゴザに罪人が座れば大岡越前か遠山の金さんかと想像したくなるが、ガイドさんによると、禅をするため、何もないことで集中できる意味合いがあり、もし岩とか配置されていたら、それに目がいって雑念が入るからと。「なるほど~」と確かに殺風景のように見えるが、理由を聞いて納得。お礼を述べ、廊下を奥へ進むと、小ぶりな枯山水。こちらは白砂の波が円形に形作られ、7つの岩が配されていて、先ほどのよりこちらは見栄えがいい。写真を撮り、さらに奥へ行くと、木々が植えられた小ぶりな庭園。亀や鶴、薬師三尊、滝を模した盛土に、木々や岩々が配され、わかりやすくガイドさんの説明を聞く。中でも左右の端っこに置かれた2つの手水鉢の石が、円柱と横に長い直方体の変わった形に作られていて、どこから掘り出してきたのか、よく見つけてきたなぁ~と感心。これぞ京都らしい家屋の風景に、ゆっくりとじっくりと拝観するのでした~

わら天神 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:19:36

妙心寺北門前バス停から北野白梅町バス停で乗り換え、わら天神バス停で下車。こちらも随分前に訪れているが、新たに摂社の六勝稲荷神社の御朱印がいただけるということで伺った次第。第一の鳥居をくぐり、直角に参道が続く第二の鳥居を抜ければ「そうそう」と、こちらは“懐かしい”。「京都十六社まいり」と書かれた幟を見、「なるほど」と思い出す。京都では正月から2月の15日まで十六社、全部お参りすれば、記念品がもらえる企画があって、もちろん過去に十六の社は回っているので必要ないが、ここもその1つだったのか~とすっかり忘れている。
わら天神は安産のご利益で有名。正式名称は「敷地神社」で、古くは北山の神として、大古山背国(山城国)葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、天長八年(831年)に、この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀国より移住し、その地で崇敬していた菅生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とし、北山の神の西隣に祀って、祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定めたとある(ネット参照)。稲藁の護符を授かることから「わら天神」と呼ばれるようになり、藁に節があれば男児、無ければ女児が生まれるという。
摂社の六勝稲荷神社は試験合格のご利益があるとされ、平安京遷都の際、平野神社(桜の名所で有名)の地主として、伊勢、石清水、加茂、松尾、稲荷、春日の六柱を勧請したのが始まりとされている(ネット参照)。
両社でお参りし、社務所で御朱印をいただく。社務所では赤ん坊を連れた家族連が祈願受付をしていて、ここの神社らしさを味わい、後にするのでした~

建勲神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:20:43

わら天神前バス停から建勲神社前バス停へ。南東方向に延びる道を歩くと、大きな鳥居が見えてきて懐かしさを憶える。
建勲神社は織田信長公を主祭神とした神社。秀吉が信長公の霊をなぐさめるために船岡山に寺を建立し、信長像を安置しようとして正親町天皇より天正寺の寺号を賜ったが、寺の竣工が途中で終わり、その後、船岡山は信長公の霊地として大切に保護され明治に入って、明治天皇より戦国乱世において天下統一、朝儀復興などの事業を進めた信長公の御偉勲に対し、「建勲神社」の神号を賜り、山麓から山上の現在の地に移建した歴史がある(ネット参照)。
今回訪れたのも、「京都刀剣めぐり」と呼ばれる企画をネットで知り、どうやら今年で6回目とのこと。今どきのゲームのキャラクター人気にあやかり、火が付いたようで、年寄り?にはよくわからないが、有名な刀剣を所蔵している神社、4社を巡り、集めたピースでストラップが完成するという”数珠つながり的?“な催しのよう。その1つが建勲神社ということで再び訪れた次第。船岡山に建つ神社なので、石段を上がるにも息を切らして登った記憶がよみがえり、ゆっくりと歩く。山の中腹にある、末社の義照稲荷社をお参りし、頂上にたどり着くと、舞殿に拝殿と並び、早速お参り。若い女性の参拝客がほとんどで、刀剣が趣味という、まったく似つかわしくない、明らかにゲームキャラクターの人気で訪れていることが想像でき、アニメの力は「すごいなぁ~」と感じ、社務所へ行くと、そのキャラクターのポスター他、神社らしくお守りやストラップなど関連グッズが置いてあり、繁盛しているようだ。刀剣めぐりの御朱印と「天下布武」と書かれた御朱印帳、書置きの「不動行光」の御朱印をいただき、あと3社目指し旅の糧とする。


写真は境内からの眺め。比叡山が見える。

常林寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:21:48

建勲神社前バス停から出町柳駅前バス停へ移動。大通りに面して、質素に常林寺の山門が建ち、中に入る。「京の冬の旅」特別拝観は一部を除いて10:00~16:00までと決まっていて、到着した時刻は15:40ごろ。苔が敷き詰められた庭を通り、受付で「時間は大丈夫ですか~」と尋ねると、まだ大丈夫で、客殿に失礼する。
ガイドブックによると、常林寺は「萩の寺」として親しまれ、浄土宗のお寺。魯道(ろどう)上人を開山とし、秀吉の都整備に伴い、寺町通り荒神口付近に建立されたが、焼失し、元禄に入って現在の地に建立されたとある。
早速本堂に上がると、格天井の下の内陣に阿弥陀如来が祀られていてお参り。右に観音菩薩、左に勢至菩薩が安置され、阿弥陀三尊はもともと、別の寺に祀られていたものを明治時代に移されたようで、ガイドさんによると、江戸時代後期の作とか…詳しいことはわからない。
格天井の一桝一桝には、四季折々の花が描かれていて、日本画家の野村はるみさんの作品。日展の審査員をされてた方で、もうお亡くなりになったが、伴侶がつい先日訪れていたとのことで、その分野では有名な方なのかもしれない。ちなみに、野村はるみ氏はここの住職のおばにあたるとのこと。他にも菊紋入りの衣をまとった帯刀僧形像や、戦火を逃れた聖観音菩薩像などが展示されていて、ゆっくり拝観。
本堂から書院へ行くと、「勝海舟の間」があり、8畳ほどの広さはあろうか、床の間に八角形の机が置いてある。ここで実際、勝海舟が常宿していたと伝わる部屋は、子母澤寛(しもさわかん)の小説「勝海舟」に登場し、新橋―横浜間の鉄道を作った勝の弟子である佐藤政養がちょくちょく訪ねて来てたそうな。この部屋から東にある庭には、近くの鴨川からの支流が流れていたそうで、かつては両方の川に囲まれた中洲に建っていたとのこと。今は建物で遮られているが、遠くは東山から比叡山の山並が眺められた景色が広がっていたという。そしてもう1つ、隣の部屋には坂本龍馬もたまに逗留していたとのことで、こちらの部屋は見ることができない。
「へぇ~」と、当時の想いに浸りながら、欄間に掲げてある、横に長い額の説明を受ける。
法然上人の弟子の源智上人から念仏の教えや考え方、心構えを亡くなる前に紙に書いて残してほしいと、法然上人が残した「一枚起請文」。直筆は金戒光明寺に保存してあり、これは明治になってから同じ門徒の一人が書いたものとのこと。
次に、念仏を唱えれば誰でも極楽浄土に行けるという教えを、既存の他宗派が猛反発し、これに対し、攻撃したり批判したりしない誓いの文章を作り、天台宗の座主の方に行いを自重し、弟子たちに署名しなさいと言っている場面を描いた「法然上人絵伝」。巻物48巻のうちの1つで、デジタル撮影されたものを知恩院から記念としていただいたものらしい。他にも勝海舟と同世代の知恩院75世の鵜飼徹定が書いた「南無阿弥陀仏」もいただいたもので、浄土宗満載。
隣の部屋には岸竹堂の描いた「釈迦三尊」の壁画。本尊の裏の壁に貼り付けてあったものを壁から離して修復したという。そして、その隣には当寺、御朱印帳の表紙に描かれている野村はるみ氏の「萩・桔梗の絵画」とお腹いっぱい。
ガイドさんにお礼を述べ、境内の角にある地蔵堂へ。常林寺が建つ以前から旅人の信仰を集めていて、子授け、安産にご利益があるそうな。地蔵堂の前に建つ灯篭は、明治天皇からいただいたとのことで、裏に菊の御紋が刻まれていて、それが証明になっている。
境内を見渡し、ちょっとだけ黄梅が咲いている冬の庭に、9月頃には萩が咲くと言われていたことを思い出し、しばらくその景色を想像するのでした~

下鴨神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:22:50

常林寺から高野川を渡り、下鴨神社へ。もみじの時期や葵祭の流鏑馬神事等、何回も訪れているが、新たに摂社の御朱印もいただけるというネット情報を知り、立ち寄った次第。糺の森といわれる中の長い参道を歩き、途中に、東西に建つ鳥居が見える摂社の河合神社にまずお参り。祭神は神武天皇の母、玉依姫命で、女性守護の信仰を集める神社。美麗のご利益がある境内には、女性の姿がほとんど。絵馬が手鏡の形をしていて、顔の表情を自分で描き、願い事をする(…だと思う)ものが拝殿横に飾られ、そこだけ女性の念が強い(…と感じる)。
こちらには鴨長明の方丈の建屋が復元展示されており、当時の質素な生活の様子が想像できる。鴨長明は河合神社の神官の子として生まれた、「方丈記」で有名。国語や歴史の教科書で一度は聞いたことがあると思うが、詳しいことは面倒くさいので…(自分で調べてね…)
河合神社から再び参道へ、本殿を目指し歩くと、楼門手前にはえんむすびの相生社があり、ここも女性客で賑わっている。立派な楼門を潜ると、正面は舞殿、中門に仕切られた本殿、右手には御手洗社がある。下鴨神社の本殿は2つあり、西本殿に国家安泰、厄除けなどのご利益ある賀茂建角身命、東本殿には縁結び、安産、育児のご利益ある玉依姫命が祀られていて、中門と本殿の間に「言社(ことしゃ)」といわれる7つの社がある。それぞれに干支を守る神様が祀られていて、それぞれに参拝客は、各自の干支に手を合わせていて、私もお参り。
下鴨神社は正式には「賀茂御祖(かもみおや)神社」といい、鴨川の下流に祀られていることから「下鴨神社」と呼ばれるようになった…と、歴史はHPを見ていただければ、歴史ある神社だということはわかっているので、ここも説明しないが、みたらし団子発祥の地という食い気に関しては説明したい。まぁ~、あまりにも有名な話だが、御手洗社のすぐ横にある御手洗池から出てくる「水の泡」を模倣…、後醍醐天皇が行幸の際、御手洗池で水を掬おうとしたところ、1つ大きな泡が出、続いて4つの泡が出てきた逸話による説、もう1つ、人間の一頭四肢を表し、人形に模して厄除けのために作られた説とある。どっちにしろ、みたらし団子を食べれば、どっちでもいいか~となるだろうが、その有名店が下鴨神社西にあることは知っていて、いつか行きたいとは思っている。
神楽殿で御朱印をお願いすると、河合神社は現地でいただけるということで、てっきりこちらでいただけると思い、いただいた後、急いで河合神社へ。確か17:00までと表示してあったので、長い参道を速足で歩く。ギリギリ何とか間に合い、ホッと一安心し、今日はここまで。

粟田神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:23:54

知恩院前バス停から近い梅本町のホテルで一泊し、翌朝、知恩院の山門をくぐり、白川沿いを北東へ歩いて行く。青蓮院門跡のある道を通り過ぎ、小路を進むと粟田神社の参道に行き着き、急坂の参道を上がり到着。「京都刀剣めぐり」の1つ、粟田神社は、紅葉の時期に一度訪れていて懐かしい。刀剣めぐり以外にも摂社の御朱印も新たに頂けることを知り、訪れた次第。
手水舎の水の表面が凍っているのを見、余計に身も引き締まる思いで、本殿でお参り。境内、いろんな摂社に手を合わせ、神楽殿の舞台には今年の干支にちなみ、型紙で作られたいろんな犬が飾られ可愛らしい。朝からちらほらと参拝客が訪れていて、女性ばかり。“刀剣キャラクター”の人気でか、はたまた京都十六社参りの、最近の御朱印ブームか、神社に訪れる方が多くなったことを実感し、私もその一人だが…、社務所で御朱印をお願いする。摂社の鍛冶神社と刀剣御朱印をいただき、お礼を述べ後にする。

豊国神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:24:54

神宮道バス停から市バス101系統で、博物館三十三間堂前バス停で降り、京都国立美術館の横を北へ行くと、大きな鳥居が目立つ豊国神社にたどり着く。こちらも「京都刀剣めぐり」の1つで、過去に一度、隣の方広寺と一緒に訪れている。名称通り、秀吉を祀っているだけあって、境内は広く、参道正面に見える唐門が威厳の象徴であるかのように建っていて、しばらく眺める。
秀吉の遺骸は阿弥陀が峰の山頂に葬られているが、昔は中腹に、その麓に廟社が祀られていて、徳川幕府により取り壊され、秀吉の御廟は新日吉神宮に一旦遷される。明治に入り、当地に社殿が再建、復興され、唐門は伏見城の遺構と伝えられていて、ちなみに唐門は国宝に指定されていて、二条城、南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたもの。
立派な唐門の下で手を合わせ、社務所へ。社務所で御朱印をお願いし待っていると、気づいたら私の後ろには女性ばかりの列が続き、ここでも“刀剣フィーバー”は衰えていない。まぁ~、歴史の入口は違っても、そこから興味を持ってもらえれば日本も安泰かな…とおじさんは思うのでありました~

新日吉神宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:26:08

豊国神社から東へ、智積院のある交差点から京都女子大学方面へと向かう上り坂を上がれば新日吉神宮がある。ここも一度訪れていて、こちらは新たに摂社の御朱印がいただけるということで訪れる。当初、「しんひよし」と呼んでいて恥ずかしい思いをした笑い話だが、今はちゃんと「いまひえ」と読める。
新日吉神宮は平安末期、後白河上皇が院の御所を定められたとき、皇居の守護神として、比叡山の守護神、日吉社(現、日吉大社)を勧請し、東山の麓に創祀したのが始まり。「新しい日吉神社」という意味もあり、850年以上経つが「新」が付いている(ネット参照)。
楼門の手前には山口稲荷神社があり、しっかりお参り。楼門をくぐり、広い境内、まずは正面の本殿へと参道を歩き、お参り。本殿左手の方へ行くと、本殿向拝柱上部に猿の彫刻が扇子をもって参拝者を見守っている姿を双眼鏡で覗く箇所があり、改めてバードウォッチングならぬモンキーウォッチングをする。そして、豊国神社(樹下社)、愛宕・秋葉神社が並ぶ摂社をお参りし、本殿裏にある御神木にご挨拶。樹齢800年ぐらいの「スジダイ」(椎の木)は豊国大明神が宿っているかのように、神社を見守っているかのように生えている。一周する形で本殿左手には飛梅天満宮が祀られ、すべての摂社をお参り。社務所ですべての摂社の御朱印をお願いし、滞りなく次へ。

清水寺成就院 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:27:24

七条バス停から清水道バス停へ移動。法観寺の八坂の塔が見える小路を歩き、外国人を含め観光客がかなりいて、もう当たり前の光景である。二年坂、三年坂を上がり、清水寺への“おみやげ街道”の人・人・人をかいくぐり、朱色の仁王門にようやく到着。清水寺も何回来ているだろうか、今回は「京の冬の旅」で特別拝観をしている清水寺成就院に来たが、実はこちらの塔頭寺院は過去、秋の特別拝観のときに訪れていて、そのときは御朱印がなかったが、今回いただけることを知り、訪れた次第。
受付で書置きの御朱印もいただき、中へ通された部屋は「月の庭」が眺められる広い座敷。なんとなく「そうそう、これこれ」と記憶が蘇ってくる。ガイドさんの案内により、まず成就院の歴史について触れる。成就院は、応仁の乱後に清水寺を復興した願阿(がんあ)上人によって創建され、代々住職は、清水寺の建物修繕計画や財務などお金の管理を担当してきたとのこと。
幕末には月照上人、5歳違いの弟、信海上人が住職を務め、月照上人は「勤王僧」として西郷隆盛と知り合い、幕府の目を盗んでいろんな情報活動をしていたそうな。僧侶だと言い訳が立つことから、連絡役を務めていたが、やがて怪しいと幕府から目を付けられ、京に居れなくなり、島津家を頼りに薩摩へ逃れる。が、島津斉彬が亡くなり、居場所がなくなった月照上人は日向(宮崎)へ船で護送されるが、暗黙の了解で殺してしまえという内内の命令を察したのか、自らの命を絶つ、というエピソードがあり、「そうだったんだぁ~」と歴史を学ぶ。
次は「月の庭」へ。ガラス引き戸を開け、縁側に出て説明を聞く。まずは灯籠。庭の中央に1本の灯籠があり、そこから一直線上に遠くの山の中腹にも1本の灯籠がある。遠近法を使い、庭に広がりを見せているという。左手には山の斜面に、下は丸く刈り込まれた低木、上へ行くほど四角に刈り込まれ、そうすることで山の起伏を自然に溶け込むように仕組まれていると。手前の石組は、加藤清正公が朝鮮出兵で朝鮮から持ってきた岩と、左手奥には手水鉢があり、「誰れ袖」といって、着物の袖のにおい袋のような形になっていて、加工されてない自然石というから驚き。
樹齢400年の侘助椿に、秋には月の光が池に映り、一直線に横切る工夫もされていて、室町時代、将軍家の文化的アドバイザー、相阿弥という人物が元を設計したらしい。江戸時代に入ってからは小堀遠州が手を加えたそうで、国の特別史跡に指定されている。ガイドさんの説明がなければ、ただの美しい庭園としか、前回来た時もそうとしか思わなかったが、「なるほど~」と知識を深めおもしろい。
「月の庭」を観賞し、縁側廊下を伝い、衣装が展示されている部屋へ。白と紺の衣が展示され、前者が月照上人、後者が西郷隆盛が身に着けていたそうで、月照上人の衣装は鹿児島湾で入水したときに実際に着ていたもの。見た目、襦袢(着物の下に着る下着)のように見え、下僕の方が残しておいたという。その下僕の方も幕府からどこに逃げたのか追及され、拷問されてついには舌を噛み切って自らも死を選んだという、なんとも果敢ない時代である。ちなみに、清水寺はその下僕の子孫に、月照上人の遺産を残してくれた感謝として、境内に茶屋の営業許可をしていて、「舌切り茶屋」として今も健在。その子孫には俳優の近藤正臣で、ひいおじいちゃんにあたるというから驚き。
「へぇ~」と、いろんな話が聞けて満足×2。写真撮影はできないが、成就院の歴史が聞けてガイドさんにお礼を述べ後にする。

御辰稲荷神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:28:33

清水道バス停に戻り、熊野神社前バス停で下車。東へ数分歩くと、そこは平安神宮の北側に位置していて、時代祭の賑わいを思い出す。その通りに面して御辰稲荷神社の鳥居が建ち、敷地は狭い。当神社は過去に一度訪れていて、いろんな石神さまに手を合わせた記憶がある。
元々この場所は平安神宮北側一帯に広がる深い森であり、「聖護院の森」といわれ、その森の東南の田んぼの真ん中に「飯成社」と称し祀られていたそうな。江戸時代に入り、東山天皇に仕えた新崇賢門院(しんすうけんもんいん)の夢枕に白狐が現れ、辰の方角で待つようにとお告げがあり、その方角が「聖護院の森」で、行くと祠があり、その後社殿を建てたのが御辰稲荷神社のはじまり(ネット参照)。「辰」は「達」につながり、芸事の上達のご利益から、かつて芸妓らの信仰があったとされる。
福石は、かつて白川橋の畔に貧しい夫婦がいて、100日の願掛けの日に、妻が手にした真っ黒い小石を神棚に祀り祈ったところ、すぐに身ごもり、美しい娘を産んだという話があり、幸福、願い事が叶う福石大明神として祀られている。
今回、こちらでも新たに石の大明神の御朱印がいただけるということで訪れたが、相変わらず小さな鳥居や祠、石があり、腰を低くして移動しつつ、“密集境内”はパラレルワールド?であるかのように、各石神さま、お稲荷さまにお参り。社務所で御朱印をいただき次へ。

相国寺林光院 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:29:45

熊野神社バス停から北へ、百万遍バス停で降り、京大生で賑わうマクドで昼食。再び百万遍バス停から西へ、同志社前バス停で降り、こちらも学生が多くいる中を相国寺へ向け歩いて行く。
相国寺は臨済宗相国寺派の大本山。金閣寺や銀閣寺もその宗派の塔頭に含まれる。法堂、方丈、庫裏が立ち並び懐かしい感じだが、こちらの寺も「京の冬の旅」企画に参加していて、相国寺の塔頭では林光院と豊光寺が特別拝観をしている。
総門をくぐって、しばらく参道を歩いた右側に林光院があり、さっそく受付を済ませ中へ。ガイドさんがちょうど説明をし始めたとこで、ちょこんと座敷に座り説明を聞く。
今いる本堂には「龍虎図」の障壁画が描かれていて、インパクト大。描いたのは藤井湧泉という方で、25年前に中国から来日し(今は帰化)、あの伊藤若冲に師事していたんだとか。ここの住職さんが当時、藤井氏が48,9歳だった頃にお願いし、本堂には「龍虎図」と「蓮」のみを描く条件以外、他の書院の部屋は自由に描いてもいいという、住職さんの太っ腹も垣間見えるという。
本尊の地蔵菩薩像を正面に、右の襖に「龍」、左の襖に「虎」が描かれ、「虎」というよりは猫にも見え、眠っている姿が愛らしい。説明によると、龍の気配を感じた虎が、目を開けなくても薄々、龍の存在はわかっていますよ…といった情景を表しているらしく、中国では悟りを得た仙人は、生きた龍と虎と一緒に昼寝をするという云われ、韓国では「招き虎」といって、福を呼び込むという云われがあり、それらの意味合いも含めたコンセプトで描かれたそうな。
そして歴史については、足利将軍4代目の義持の弟、25歳で亡くなった義嗣の菩提を弔うために夢想国師を勧請とし創建されたとのこと。当初は二条西ノ京の、紀貫之の屋敷跡にあったと伝わり、その後、移転を繰り返して相国寺山内に移ったという。
薩摩島津家とのつながりもある。時は関ケ原の戦い。西軍についた島津義弘軍は敗戦、伊勢街道から堺港への脱出ルートを案内したのが、大阪の豪商田辺家で、1500人ほどの家来がわずか80人程度になるほど過酷な逃避行であったが、無事薩摩に生還。お礼として島津家から当時、密貿易をしていた琉球王国の薬や調合を伝授され、あの田辺製薬のルーツはここにあるのだ(知らなかった…)。ちなみに、庇護した田辺屋今井道興という人物で、この方の子孫が今の住職さんに当たる。
そんなつながりもあり、幕末期には、今は同志社大学の敷地だが、薩摩藩邸の長屋を建てた窓口が林光院で、蛤御門の変で亡くなられた方の慰霊碑が山門を出て東側に建っている。
書院の方へ移動すると、上段の間から順に、佐賀唐津の「松図」、「蓮と葡萄」「梅」「牡丹」などの襖絵を観賞。書院南側の庭には「鶯宿梅」が1本、植えられていて、小さなつぼみ状態で咲くのを待っている。
この「鶯宿梅」の逸話も紹介。平安時代、村上天皇の御代、御所の清涼殿の梅の木が枯れ、代わりに市中の梅を求められた。紀貫之の屋敷の梅が天皇の命で移植されたが、紀貫之の娘が、梅が「戻ってきたときに、宿るべき場所はどこ?」と言ったら何て答えたらいいの?という別れを惜しむ歌を短冊に書いて添え、それを天皇が見て、心打たれ梅を返したという話。あとは先ほどの歴史が語るように、屋敷跡に林光院が創建され、移転のたびに梅の木も一緒に運び、継ぎ木をしながら今に至っている。まさに林光院の宝物といっていい「鶯宿梅」は、3月上旬に咲く予定ということで、「京の冬の旅」の期間が3月18日まで、まだ間に合うので興味のある方はぜひ、足を運んでみては…

豊光寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:30:46

相国寺の方丈の北側にある豊光寺へ移動。白壁が続く塀にぽっかり口を開けた山門から入り、ちょっとした庭を見ながら受付で拝観料を支払う。
案内された本堂には金ピカの本尊、釈迦如来像、その左右に和尚さんの像が祀られている。ガイドさんの話によると、相国寺の92代目の住職、西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚が創建、天明の大火で焼失し、廃絶の危機に遭ったが、明治に入り塔頭寺院の慧林院と、その子院、冷香軒の客殿を移築し、豊光寺に合併したという。その慧林院と冷香軒の開祖が太嶽周崇(たいがくしゅうすう)和尚で、その二人の僧侶が右に西笑承兌、左に太嶽周崇が祀られているとのこと。
そしてこの寺では明治期の廃仏毀釈の際に、日本の禅宗を守るために奔走した荻野獨園(おぎのどくおん)和尚の存在が大きいという。方丈内の座敷には、その頂相図の掛け軸が展示されていて、その勇姿を拝むことができる。他にも足利10代将軍の義稙の肖像画、獨園和尚に参禅した山岡鉄舟の書など公開。“渋め”の寺宝を拝観し、南に広がる庭園を眺め「禅」ならではの雰囲気を味わう。

藤森神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:33:51

地下鉄今出川駅から竹田駅へ。東口バス停から中書島行きのバスに乗り、藤森神社前バス停で下車。藤森神社も「京都刀剣めぐり」の1つで、これで満願。紫陽花まつりでも有名な藤森神社は、菖蒲の節句発祥の神社として知られ、「菖蒲」から「勝負」、「勝運」ということなのか今日ではなぜか、馬の神様として競馬関係者、競馬ファンの信仰を集めている。
そんな藤森神社は約1800年前に神功皇后によって創建され、皇室ゆかりの古社。昔は近郊に3つの社があり、それらを合祀したとある。なので、祭神が素戔嗚、日本武尊、応神天皇など12柱もある(ネット参照)。
鳥居から広い参道を真っすぐ歩き、拝殿でお参り。境内は節分祭りの準備で関係者が忙しく働いている。社務所に行くと、ここでも女性客が多く、刀剣の御朱印をお願いしていて、お参りもせず直接立ち寄る姿を見かけ、「おいおい」とツッコミを入れたくなるほど、ゲームキャラクターは人気のようだ。
今回は京都でかなりの御朱印をいただき、懐事情も心配だが、多くの寺社をめぐることができて満足×2。ちなみに、2月上旬にも「京の冬の旅」、行ってきましたので、乞うご期待…(期待するほどでもないけど…)

おまけ - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:35:15

上2つは「京の冬の旅」のスタンプラリーでいただいた景品。クリアファイルは裏表それぞれに相国寺林光院の「龍虎図」の「龍」と「虎」が。

 「京都刀剣めぐり」の集めたピースの完成品。それぞれ「京都刀剣」「心願成就」「各神社の神紋」「社名」が印字されている。

 京都のおみやげで目を引いた「抹茶カレー」。まだ食べてはいないが、どんな味だろうか…

また2、豊橋の旅 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:23:04

去年の紅葉の時期に訪れた普門寺。大黒天の御朱印をいただき、吉田七福神という豊橋市内の霊場がある事を知り、これは「回るしかないでしょ!」と、満願を目指し正月明けの7日に豊橋市内の神社も含め行ってきましたよ~

英霊殿宝形院 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:23:55

豊橋市はこれまで、浜松市へ行くための“通過点”に過ぎず、豊橋の中心部の町を散策したことは一度もない。豊橋といえば、名古屋でもCMでおなじみの「ヤマサのちくわ」と、最近知ったご当地B級グルメの「カレーうどん」が有名らしい(食い物ばっか…)が、歴史でいうと、戦国時代には吉田城をはじめ東三河の戦乱の最前線基地、江戸時代には東海道の要衝として栄えた町である。
…で、まずは吉田七福神の福禄寿を祀る英霊殿宝形院を目指す。駅から豊橋バスを利用するが、1日乗車券もICカードもない、小銭ジャラジャラで運賃を支払う方式に「豊橋なのに…なんで?」とちょっと不満。まぁ~、それは置いといて、台町バス停で下車し、大きなショッピングセンターを横目に地図通り住宅街を歩く。
英霊殿宝形院はネットの情報でもあまり載っていないが、真言宗醍醐寺派ということくらいしかわからないが、隣が宝形院鍼灸院の診察所なので、お寺と兼務しているのだろうか。一般のお宅に伺うかのような境内に、本堂があり、ガラス越しに住職さんの姿が見え、本堂に上がり、本尊の十一面観音菩薩にお参り。隣の座敷にいる住職さんに七福神の御朱印をお願いする。豊橋では七福神めぐりをすると、御接待があるのだろうか、お茶菓子をいただき恐縮。少し会話をし、お礼を述べ後にする。

赤岩寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:24:49

台町バス停から赤岩寺前バス停へ移動。バス停を降りて何か、デジャヴを感じ、「前に来たかな?」と周りを見渡したがわからない。道路を北へ歩くと、立派な楼門が建ち、境内はかなり広い敷地であることが分かるほど見渡せ、早速拝観。
赤岩寺は行基菩薩により創建されたと伝わり、当初は赤岩山法言寺と称していたが、弘法大師の十大弟子のひとり、果隣上人が再興し真言宗に改めたという。鎌倉時代に入ると源頼朝が三河守護の安達盛長に命じて三河国にある主要寺院7寺を選定し、三河七御堂(赤岩寺、普門寺、財賀寺、鳳来寺、全福寺(跡)、長泉寺、金蓮寺)として境内を整備し庇護したとあり、後、今川家、松平家が、江戸時代に入ると幕府が庇護し、寺領50石が安堵され、境内にある愛宕権現が歴代吉田藩主の祈願所として崇敬されてきたとされる(ネット参照)。
本堂でお参り後、境内を散策。愛染明王を祀る愛染堂もあり、こちらは事前予約で拝観できるようだが、毎年秋には公開されるらしい。奥院へと続く登山道があり、途中まで登るがバスの時間もあり、諦めて引き返すことに。寺務所で七福神の御朱印をお願いすると、「当寺では本日、七福神祭りということで、どうぞ客殿へ」と案内される。客殿に入ると、弁財天が祀られていて、手を合わせ、お茶でもどうぞと御接待。断る理由もなく、お茶に癒され、つい一息ついてしまう。気づいたときにはバスの時間は過ぎていて、「急ぐこともあるまい」と、弁財天が言っているような想像を働かせ、諦める。休憩がてら、あのデジャヴは何だろうと思い出そうとするが思い出せない。子供の頃に来たのであろうか、はたまた、いろんな寺を巡って似たような境内に遭遇しただけだろうかと、思考が働き思い巡らせ、結局、30分も経ってしまい、お寺の方にお礼を述べ、ここでも袋詰めにされたお菓子をいただき恐縮。感謝×2で、ゆっくりさせていただきました~

東田神明宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:25:41

赤岩寺前バス停に戻ると、バスを30分ほど待たなければならない。赤岩駅まで歩いて20分ほどなので、歩いた方が早いと考え出発。赤岩駅に到着するも、どこが駅なのかわからなかったが、操車場に電車が止まっている線路を辿っていくと、道路上に人が並んでいるのを見て、「あっ、あそこか」と気づく。
昔は名古屋にも、路面電車があったということを聞いたことがあるが、豊橋ではまだ健在で、案内看板には名古屋市営バス地下鉄で使えるICカード「マナカ」が、ここ豊橋の路面電車でも使えると書いてある。…ということは、バスと路面電車は会社が違うということが分かり、バスがICカードを採用してないのも納得。そうこうしていると、電車が来て、広島だったか岡山だったか以来の路面電車乗車。
東田坂上駅で降り、北へ歩くこと数分、東田中郷町にある東田神明宮を訪ねる。お正月気分がまだ残る境内には、参拝されている方々が結構いて、私も拝殿でお参り。
案内には東田神明宮の由緒は、伊勢神宮から分霊を奉斎すると書かれているので祭神は天照大神。1553年に当時の仁連木城主、戸田氏が社殿を建立、その後云々と明治維新と郷社に列せられるとある。10月の例祭には手筒花火や稚児行列などが行われ、さすが豊橋は手筒花火発祥の地でもある。
広い境内、摂社・末社を見て回り、社務所で御朱印をいただき次へ。

薬師寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:26:42

東田神明社から北へ。丘を上がる形で坂道を上がれば、吉田七福神の寿老人を祀る薬師寺がある。
駐車場のような敷地から入り、境内からは豊橋市内が見渡せる丘の上にあるのが分かり、本堂、何だかわからない薄緑色のドーム、中島駒次の歌碑、木々に囲まれた寿老人の石仏等が境内にある。薄緑色のドームは遊牧民のゲル(家屋)のような造りで、ネットで、過去にここを訪れたあるブログの写真には説明看板が建っていて、それには「足湯不動尊」と書いてあり、入場料を払って真言を唱えると万病にご利益があると、毎週金土日に足湯を営業していたようである。訪れたときは看板もないので、もうやっていないのだろう。
中島駒次についてもネットで調べると、明治期の園芸家とある。牟呂吉田村の出で、山椒の促成栽培、後にガラス栽培を導入し、暖房用の中島式ボイラーを発明したとある。わからないが、ひょっとして、“薄緑色ドーム”の足湯は中島式ボイラーを使用しているのだろうか…と、その関連性を想像するが、たぶん違うだろう。
一通り境内を散策してから本堂が開いていたので中に入り、本尊にお参り。堂内をよく見ると、法印やハンコが置いてあり、自分で御朱印を押す方針かな?と思いながらも、とりあえずお寺の方にお会いしてから…ということで、隣の自宅に“ピンポーン”すると反応がない。留守のようなので、もう一度本堂へ戻り、自分で御朱印帳にハンコを押す。自分で御朱印を書くのはもう慣れているので、御朱印の形式ばった書式を白紙に埋め、しっかりと御朱印料を賽銭箱に入れて退出、次へ。


安久美神戸神明社 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:27:38

東田坂上駅に戻り、路面電車で豊橋公園前駅で下車。北へ向かうと吉田城や豊橋球場などがある豊橋公園、その手前、木々が生い茂る、いかにもここに神社がありますよ~と分かるとこまでくると、人の賑わう声が聞こえる。
ここ、安久美神戸神明社は毎年、2月頃にはニュースでも話題になる「鬼祭り」で有名で、赤鬼、青鬼に扮するその姿はまさに「鬼」といった感じで、国の重要無形文化財に指定されているほど、豊橋では多くの人でにぎわう。
それほどのにぎわいではないが、まだお正月明けということもあって、初詣気分の雰囲気が残っていて、人もそこそこいる。境内には祭りの紹介もされていて、写真パネルや等身大の赤鬼の衣装も展示されていて、説明看板を読む。
豊橋鬼祭りは日本建国神話の田楽の舞で、豊年と厄除けの祭りとして、千年前から毎年行われてきたとある。荒ぶる神の赤鬼がいたずらをするので武神の天狗が懲らしめようと神前で戦い、最後に和解して赤鬼が罪の償いに厄除けのタンキリ飴を撒きながら境外へ飛び去るとのこと。この飴を食べるとご利益があるという祭りで、古式の田楽をそのまま伝承している。
「へぇ~」と理解し、一度はぜひ見てみたいが、今年の2月10、11日は仕事なので残念~。定年退職後だなっと、楽しみを取っておきつつ、まだ参拝してないので拝殿へ行きお参り。当神社の由緒は面倒くさいのでHP(https://onimatsuri.jimdo.com/御由緒/)を見てね。
境内を散策、摂社・末社を見て回り、鬼祭りのときの、人のごった返した祭りの雰囲気を想像し、いつかまた来ることを約束し、御朱印をいただき次へ。

吉田神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:28:36

安久美神戸神明社から西へ。北には吉田城の城跡があるが、今回はパスし、豊橋市役所の横を通り東海道の広い道路に架かる歩道橋を渡り、看板に「手筒花火発祥の地」と掲げてある吉田神社へ。参道の途中から“おじゃま”し、本殿の建つ境内へと進む。
吉田神社は、持統天皇が三河行幸の際に頓宮として設営され、崩御後に神社とされたのが発祥と伝わっている。源頼朝が伊豆に配流の途上、普門寺に逗留した折、側近に吉田神社に参拝させ、三河守護の安達盛長に社殿を造営させたとされている(ネット参照)。
手筒花火は今川家の吉田城代、大原肥前守資良が吉田神社へ奉納されたのが始まりとされているが、諸説あるみたい。
拝殿でお参り後、社務所で御朱印をお願いしていると、宮司さんだろうか、持っていた御朱印帳が、静岡県掛川市で購入した龍尾神社のもので、どうやら龍尾神社の宮司さんと同窓生だとのこと。
「へぇ~、そうなんですか~」と、龍尾神社へ訪ねた時のことを話す。”宮司さんつながり“があるとは、これも何かの”縁“だなぁ~と感じ、お礼を述べ後にする。

神宮寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:29:41

吉田神社から南へ。豊橋市内のビル群の合間を抜け、歩いて行くこと数分、神宮寺に到着。吉田七福神の恵比寿天を祀る神宮寺は、かつて三河国吉田の地に長禅寺という荒廃した禅寺があったといい、ここに尾張国知多郡師崎(現在の知多郡南知多町)の羽頭(はず)神社別当の重信法印が荒れ寺の長禅寺を再建して神宮寺と改名し妙法蓮華経を根本経典とする天台宗に改め、近世では、江戸城の鬼門鎮護のために建立され、徳川将軍家菩提寺となった寛永寺(東京都台東区上野)の末寺となる、とある(ネット参照)。本尊は大日如来で、普門寺から譲り受けた像であるとのこと。
ビルに囲まれた一角にある境内には、本堂、地蔵堂が建ち、都会?の中のお寺といった感じで、とりあえずお参り。本堂内に上がり本尊に手を合わせた後、地蔵堂へ行き、こちらにも手を合わせる。御朱印を頂こうと振り返ると、境内でお客さんと話し込んでいる住職さんがいて、しばらくその話が終わるまで待つことに。
そして用事が済んだ後でお願いすると、わざわざ堂内の説明をして下さり恐縮。
地蔵堂に安置されている延命地蔵は「身代わり地蔵」といって、願いを叶えてくれるらしい…と、いろいろ大日如来のことなどお話して下さり、別れ際、住職さんが「今日は若い方がよく訪れていたけど、何かあるのかの~?」と。
「う~ん、私は七福神で回っているのですが、今日が1月7日で、そうそう、赤岩寺では七福神祭りをしていたので、同様に回られている方々が多かったんじゃないですかね~」と、豊橋ではそういうものかと思っていたので、詳しいことはわからない。思い返せば、どの寺でも人がいたので、正月明けの、最初の落ち着いた休日だったのもあるのかもと、住職さんとの談笑にしばらく話し込み、お礼を述べ後にする。

写真は地蔵堂

吉田天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:30:43

神宮寺から南へ数分、吉田天満宮へ。…といってもここは、白山比咩神社の境内に相殿という形で祀られている。ここも町の中の一角に鳥居が建ち、狭い敷地にいろんな社殿が建ち、早速お参り。
吉田天満宮は、かつて鹿菅という地域の海辺に菅原道真公の神像がプカプカ漂っていたのを里人が見つけ、石塚(現在の花田町)に小社を祀っていたのがはじまりという。その後、吉田城主による造営、昭和の戦災で焼失、現在の地に遷座し、白山比咩神社に合祀されるという歴史。白山比咩神社は…面倒くさいのでここを(http://sirayamahimezinzya-yosidatennmannguu.com/?page_id=8
拝殿の賽銭箱近くにはお守り等が置いてあり、書置きの御朱印もある。マンションの“一部と化した”1階に社務所があるが、不在の場合は…と想像どおり“セルフ”でお願いします…、ということで、賽銭箱に御朱印料を入れ、書置きをいただく。
今日はここまで。吉田七福神はあと3ヶ寺残ってしまったが、豊橋はまだ巡りたい神社もあるし、カレーうどんも食べたいので、いつになるかわからないが、次回に持ち越し。



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