寺社仏閣 ご朱印の旅

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四日市・美濃の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:42:47

さてさて…今年ももう、年の瀬が来てしまいましたか~。いろいろと旅行ができるのも、健康で何より、感謝×2です。今年もつたない文章を読んで下さり、ありがとうございました。来年も旅が続けられるのを祈りつつ、最後に、紅葉の旅第4弾も日帰り旅(ちなみに第5弾は来年にしま~す)。11月下旬、三重県四日市市と岐阜県美濃市に行ってきましたよ~

宮妻峡(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:44:00

名古屋からJR関西本線で四日市駅へ。西口のバスターミナルは閑散としていて、紅葉狩りに行くような観光客は誰もいない。20分ほどして、宮妻峡行きの三交バスに乗り、途中の近鉄四日市駅にバスが立ち寄ると、10人ぐらいの乗客がわんさと占領し、「やはり!」と、同志が増えたかのように勝手に喜ぶ。
…で、結局はほとんどが途中下車していく地元の人で、終点宮妻峡まで乗っていたのは私を含め3人。会話から大阪から来たおばちゃん2人組で、車窓からの茶畑が見える風景に、感動している。確かに、街中を走っていた景色がいつの間にか、茶畑が辺りを埋め尽くし、伊勢茶と書かれた看板も目に付く。
この地は、滋賀県との県境、北には御在所岳から連なる山脈が南へと続き、麓の環境がお茶には適しているのだろう、静岡のお茶所も富士山を背景に、同じようなイメージがある。
終点に到着すると、2手に分かれた道の、上り坂を上がっていくと、真っ赤なモミジが彩りを見せている。…が、よく見ると、まだまだ7割ほどで、全体が染まるには12月に入ってからだと予想する。そんでも、赤、黄、緑のコントラストは十分、楽しませてくれ、撮影タイムが始まる。

宮妻峡(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:44:56

坂を上りながら、撮影しながら歩くと、観光協会の方だろうか、アンケートにご協力くださいと声をかけている。私もパンフレットをもらうために参加し、アンケートに協力。少し、協会の人と話をすると、広島や千葉から訪れている方もいるそうで、モミジの名所でもあることは間違いない。私はネットで知って訪れたわけだが、TVでも紹介されたそうで、紅葉狩りもこれからといった感じ。いただいた冊子には、「四日市のもみじ谷」と題して、由来が紹介されている。
ここ水沢町は江戸時代、菰野藩の領下で、藩主の土方候が毎年、遊山したといわれ、この景勝地を保護したとある。特に9代の土方義苗(よしたね)が樹木の伐採を禁止し、自然保護に尽力したといわれ、「もみじ谷」と命名したとされている。
昔から有名だったんだぁ~と、そんな歴史に触れながら、協会の方と別れ、再び撮影タイム。料理旅館っぽい店では、ぜんざいや甘酒などの幟があり、外で食べられるベンチが用意されていて雰囲気がいい。
折り返しの、谷の方へ下りて行くと、三脚を構えたアマカメが一生懸命撮っていて、盛り上がりを見せている。少しベンチで休憩し、コンビニで買ってきた草餅とどら焼をほおばりながら、紅葉狩りを堪能~。バスの時間までゆっくりでき、乙な時間を過ごしました~

大矢田神社(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:45:51

名古屋栄のオアシス21のバスターミナルから美濃市駅行きの高速バスに乗って出発。この路線は途中、今年の夏に訪れた関市も通り、もう慣れたもの。ほとんどの乗客が関市で下車し、終点美濃市駅には私を含め、またまた3人。
今回はちょっと事前予約を入れている。モミジの名所でもある大矢田神社へは、大矢田神社前というバス停があるが、そこから30分ほど歩かなければならない。そこで、美濃市のコミュニティバスがないかネットで調べたら、デマンドタクシーを使った利用ができ、各停留所間への移動が、日付や時間を事前予約すれば、県外の人でも利用できるというもの。ただし、乗り合いなので、そこは致し方ない。
美濃市駅で待っていると、時間通りタクシーがやって来て、そのまま出発。地元のお年寄りらが途中、乗ってきて、スーパーや病院で乗り降りし、大矢田上切集会所前で下車。運転手にお礼を述べ300円を支払う。
降りた場所は大矢田神社の御旅所でもあるとこで、モミジが彩りを見せパチリ。限をつけ、北へと延びる道路を歩いて行くと、一般の乗用車がスイスイ、私を追い越し、人気の高さがうかがえる。歩道に植えられたモミジが神社へと誘うように、“赤く”並び、駐車場近辺にたどり着くと、係の方が駐車料金を徴収していて、なかなか抜け目がない。

大矢田神社(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:47:06

北へと参道が続く、その横の駐車場の上には、これでもかとモミジが見頃を迎え、名所のことだけはある。
大矢田神社はネットの情報によると、山に悪い龍が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪龍を退治し、平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てたのが始まりとされている。
天若日子命は記紀の葦原中国平定で登場する神様。最初に葦原中国に派兵された天穂日命の連絡が取れなくなった為、2番手として派兵されたが、天若日子命は葦原中国の主である大国主の娘、下照姫命と懇意となり仲良く暮らし当初の目的を忘れてしまう。一向に連絡をよこさない事に激怒した天照大神と高皇産霊神は、雉の鳴女を派遣してその真意を確かめさせると、天若日子命は天探女に従い雉の鳴女を射抜き、打ち抜いた矢は高天原まで達した為、天若日子命に反乱の意を感じた高皇産霊神は、邪心があるならばこの矢に当たるようにと誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子命の胸に刺さり、彼は死んでしまう。死を嘆く下照姫命の鳴き声が天まで届くと、天若日子命の父神である天津国玉神が葦原中国に下り、葬儀の為に喪屋を建て八日八夜の殯をする。葬儀には下照姫命の兄である阿遅志貴高日子根命も参列しましたが、余りにも天若日子命に似ていた為、天津国玉神とその妃神は、天若日子命が生き返ったと勘違いして抱き着いてしまう。すると、阿遅志貴高日子根命は死人に間違われた事を怒りに感じ、喪屋を神剣で薙ぎ払い、蹴り飛ばしてしまい、美濃の藍見の喪山がその喪屋だとされている。
…と、神様の名前が多すぎ、読んでいて理解するのに時間がかかるが、「大矢田」の「矢」はここから来ているのか~?と素人考えだが、「喪山」という名もあることから、この神社の伝承を知ることができる。
さて…神門を抜けると、ま~すぐの参道石段が上へと見え、その入口には大きな杉の木が御神木としてモミジとコラボしている。写真を撮っていると、アマカメのおばちゃんに声を掛けられ、「どうですか?」と。
「いや~、なかなか素人が撮るような写真ですから…」と、言いながらもそこはわかっていて、おばちゃんも元気がいい。拝殿までは石段と女坂と分かれていて、女坂の方はモミジがいっぱいあるが、そちらは帰りに楽しみをとっておくとして、周りが林立する木々の、薄暗い石段を登っていく。休憩がてら立ち止まっては振り返り、入口のモミジが鮮やかに日差しに照らされ、どこからでも絵になる光景に何度も立ち止まる。
拝殿でお参り。社務所で御朱印をお願いすると、さすがは美濃市、美濃和紙の書置きの御朱印があり、100円割高になっている。社務所の横には、この神社で毎年11月に行われるひんここ祭りの人形が展示されていて、「へぇ~」と眺めいり、宮司さんにお礼を述べ、再び散策。
看板地図には、ここから先、登山道が控え、1時間ほど歩くと、巨大なモミジの木があるそうで、行きたいが、デマンドタクシーの時間が限られているので諦める。本殿側面の素晴らしい彫刻を眺め、モミジとのコラボ、帰りは女坂を下って、モミジのトンネルを歩き、“裏モミジ”からの撮影に夢中になってしまう。参拝客も空を見上げ、見頃のモミジに、自然と歩く速度もゆっくりとなり、私も十分堪能するのでありました~

大坂の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:54:35

紅葉の旅第3弾は、日帰り旅。11月三連休の頭に大阪府の高槻市へ行ってきましたよ~

神峯山寺(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:55:34

名古屋駅に行くと、新幹線改札口は祝日ということもあって長い行列。何とかホームへ上がったかと思えば、自由席の前寄り3号車までも長い行列。来る新幹線すべてに満車で乗れないという状況が続き、のぞみではなく、こだまで行くことに。それでも乗ったはいいが、座れず、車内廊下も立ち乗客でいっぱい。新幹線で初めて京都まで40分ほど立ちっぱなしで、これだけでかなり、体力を消耗する。
JR京都駅もすごい。紅葉時期も重なり、人の波を除け、新大阪駅方面への電車に飛び乗る。JR高槻駅に到着し、バス乗車まで、新幹線で朝食を食べるはずだったおにぎりをベンチでほおばり、5分後には出発という、慌ただしく落ち着いてもいられない。
原大橋行きの高槻市営バスに乗り、人も多いが、席に座ることができ、少しは落ち着く。神峯山口バス停で降りると、目的が同じ神峯山寺へ行く参拝客がいて、けっこう多い。それもそのはず、神峯山寺は紅葉の名所。しかも、11月23日は本尊の毘沙門天の開帳、特別の金印の御朱印がいただけるという催し?もあるから。私はたまたまネットで、新西国霊場関係で調べたら、引っ掛かり、「これは!」と思い、訪れた次第。
バス停から東へ、山の中腹へと歩き出すと、イノシシやシカ除けの鉄柵があり、そこを開け、竹林の中を上がっていく。開けたとこに来ると、新名神高速が下に見える遊歩道で、歩くたびに、右の谷底には倒木した木々が散乱し、道の左側の山肌を見上げれば、岩ゴロゴロの、根元から木々が流された爪痕があり、台風の影響で倒壊があったことをうかがい知る。
山門にたどり着き、山門から覗く、境内のモミジがすでに見頃を迎え、期待が高まる。受付で拝観料を支払い、本堂へとつながる参道には、モミジがずらりと並び最高~。塔頭寺院の境内も、苔の庭にモミジが赤く色づき素晴らしい。参道途中には納経所があるので、本尊の毘沙門天、新西国と役小角の御朱印をいただき本堂へ。

神峯山寺(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:56:48

神峯山寺は役小角が開山し、開正皇子(光仁天皇の子)が箕面の勝尾寺から入山して創建、寺領1300石に及んだほど栄えたとある。仏教の聖地である比叡山などと並んで、七高山の1つに数えられ、戦国時代での焼失、再建、現在は3院の塔頭寺院のみとなっている(冊子参照)。
本堂でお参りを済ませ、本堂につながる回廊にはゾロゾロと人の列が本堂へと吸い込まれるように消え、僧侶の祈祷してる声が漏れ聞こえてくる。西側の鐘楼へ石段を上がっていくと、ゴーンと響き渡る鐘の音に、「お寺~」って感じで、私も鐘を鳴らし合掌。体に振動が伝わるほどに、厄除けされたかな?という思いに駆られ、余韻を楽しむ。
観音堂や開山堂、九頭竜滝等々まわり、周りのモミジの共演にシャッターが止まらない。境内を埋め尽くすモミジにすっかり魅了され、じっくりと堪能するのでありました~

安岡寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:57:48

神峯山口バス停に戻り、JR高槻駅行きに乗り、浦堂バス停で途中下車。バス停から東の住宅地を歩き急坂を上がっていく。
安岡寺は新西国客番札所。光仁天皇の子、開成皇子が創建したと伝えられ、本堂の背後の丘に、大般若教600巻を一石に一字書写して安置したことから、安岡寺般若院と称するようになったとされる。
正面ではなく、西側の結界門から入り、ちょっとしたモミジが彩りを見せている。叶観音のお堂がある方から石段を上がりお参りし、境内は鐘楼から青梅観音堂、本堂、小さな庭もあり、至ってシンプル。青梅観音堂では、木造の千手観音座像が安置されていて、平安時代初期の作。昔、この寺の上に安正寺というのがあって、かつてのその寺の本尊を廃寺に伴って移されたそうで、檜の一木造りというからすごい。大体、千手観音は寄木造りが多いが、一つの木から作り上げるなんて…ということで、お参り後、じっくり覗き込む。
本堂でお参り後、納経所で新西国とお不動さんの御朱印をお願いすると、「本堂に上がりましたか?」と問われ、「中、入っていいんですか?」と、堂内へ上がらせてもらう。堂内にある本尊の如意輪観音像に改めて手を合わせ、安置されている不動明王に、愛染明王にもお参り。隅には、有名武将の朱印状や手紙など、ショーケースに展示されている。
一通り観覧し、納経所で御朱印をいただき、これで新西国もあと6つと、お礼を述べ、意気揚々とバス停に戻る。

神服神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:58:51

地図を見ると、バス停近くに「神服神社」の文字を見つけ、立ち寄ってみることに。まったく知識ゼロで行ってみると、鳥居は道を挟んで、真っ白い校舎、境内はかなり広い敷地になっていて、この神社は学校の守り神なのだろうかと想像してしまう。立て看板に、神社の年間行事が書かれていて、11月23日勤労感謝の日、神事があったらしい。“らしい”というのは、訪れた時はすでにシーンと静まり返った境内だったので、もう終わった後なのだろうと、社殿前に張られたテントで何となくわかる。
こちらの神社、後で、ネットで調べてみると、服部連が創建したとある。こちらの地域は古墳が群集する塚脇古墳群があり、神社の南側には遺蹟が広がっていたことから、古くからこの一帯で人々が生活を営んできた地域であったらしい。奈良時代、摂津国島上郡服部郷という服部連の本拠地であったとされ、「服部連(むらじ)」とは、機織りの織部が各地に多数設置されることになり、朝廷が管理者を置いた、その管理者をやがて「服部(はとりべ)」と呼ぶようになり、諸国の織部の総領として「服部連」の姓を賜ったとされている。
…で、御祭神はその、服部連の祖神と熯之速日命( ひのはやひのみこと ) 、麻羅宿祢。熯之速日命は、日本書紀に載っている素盞鳴尊と天照大御神の誓約の場面で、素盞鳴尊が首にかけられた珠を口に含んで左足の中からお生まれになった神で、ちなみに、熯は 「 かわかす 」 という意味があり、麻羅宿祢は熯之速日命の12世の孫にあたる。
…ということで、歴史ある神社の本殿でお参りし、社務所に行くと大体、突然訪れたパターンだと、不在なのが通例だが、社務所を覗くと宮司さんがいて、やはり祭事があったんだと、御朱印をお願いする。御朱印帳もちょうど最後のページで、限がいいところで、今回の日帰り紅葉旅も満足×2でありました~

写真は本殿横に祀られている「服部連」像

また31、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:22:38

紅葉の旅第2弾は、西播磨を中心に11月中旬に散策~

安養院 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:23:49

新大阪駅から明石へJR新快速で到着。明石のバスターミナルから名谷駅行きのバスに乗って太山寺バス停で下車。仁王門が出迎える前のモミジが色鮮やかに紅葉していて、今が見頃であると、ワクワク感が止まらない。塔頭寺院の龍像院や成就院を過ぎ、まずは太山寺安養院にお邪魔する。
こちらは背景に見える三身山を借景にした枯山水庭園があり、この時期にしか公開していない情報を元に訪れた次第で、どんなものか…
受付で拝観料を支払い、中へ。8畳ほどはあろうか、書院から眺める庭は、石組の多い配置がされていて、周りはモミジの木々がある。日差しの当たり具合からか、まだ見頃とまではいかないが、ところどころ赤く染まり庭に溶け込んでいる。
いただいた冊子を読むと、石組の説明がされていて、古来中国からの「蓬莱神仙思想」から来ているらしい。大海の彼方に蓬莱島などの神秘の島々があり、そこには仙人が住み、秘宝や不老不死の仙薬を蔵していると信じられ、その世界に至ることが最高の理想であるという考え。絵図のとおり、蓬莱石や亀石、鶴石、石橋等々の配置が描かれていて、説明がなければただの巨石がランダムに並んでいるだけにしか見えないだろう。
庭の前で神仙の世界を想像し、ゆっくり観賞~

太山寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:24:53

安養院から道なりに進むと、中門が見えてきて境内へ。受付で拝観料を支払い、御朱印帳を先に預ける。太山寺は新西国、神戸13仏他、多々の霊場もあり、紅葉の名所として有名なので、この時期を狙い、今まで訪れることを我慢してきた。
…で、予想通り、鮮やかな“赤”が目に飛び込んできて、思わず「わぁ~」と小言を言ってしまう。写真を撮りながらまずは、大きな本堂へと行き、堂内に入ってお参り。内陣には薬師如来像に四天王像が安置されていて、格子から薄暗い中を覗いて、そのお姿を拝む。右には地蔵菩薩、左には千體地蔵が祀られていて、簡易な座布団が置いてあり、座ってお参り。左手から光が差し込む、外の景色は、一枚の絵のようにモミジが顔を覗かせ、いつまでも見ていられ、静かな雰囲気に心が落ち着く。
太山寺はネットの情報によると、藤原鎌足の子、定恵和尚の開山で、その孫である宇合(不比等の子)が建立したとされる。宇合が摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が現れ、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があって、定恵和尚は願望を果たせずに寂したと示現したところ、宇合はその教示に従って、七堂伽藍を整備して薬師如来の尊像を安置したという縁起がある。そんな歴史ある、山深い寺の境内を散策。
本堂から阿弥陀堂へ行くと、大きな阿弥陀如来さんが安置されていて、ここもお参り。阿弥陀堂から振り返った三重塔が立派で、シャッターの押手が止まらない。順番に護摩堂、本堂裏手を廻り、釈迦堂や羅漢堂、太子堂と、そして三重塔。朱色の三重塔が赤いモミジに映え、美しい。三重塔から奥之院へと行ける橋を渡り、そこは川のごつごつした岩がある河川敷で、稲荷社や地蔵堂があるのでお参り。山の雰囲気といい、今にも岩が落っこちてきそうな山肌に、太山寺川にある巨岩を見、ちょっと恐れすら感じるが、なかなかに自然の息吹を体感でき、しばらく佇む。
バスは1時間に1本しかないので、境内に戻り、ベンチで休憩がてらモミジを観賞。ゆっくりできました~

好古園 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:25:54

明石駅から姫路駅へ。久しぶりの姫路だが、駅前から望む姫路城は前に来た時と変わらずに、立派に建っている。姫路城東側には好古園があり、こちらも紅葉の時期は名所として有名である。見頃という情報をネットで知り、営業時間が17:00まで、16:30までが入園締め切りなので、急いでバスに飛び乗る。
好古園入口に着いたのがギリギリ16:30なので、30分で観賞しないといけないが、入れただけでも来た甲斐があったというもの。この時期、好古園ではライトアップも実施されるが、土日祝しかされないので仕方がない。
…で、園内はというと、どんぴしゃ!見頃で、庭園は赤に染まり、お客さんもそこそこまだいて、思い思いに写真を撮っている。日本庭園の滝や池や石組など、やはり絵になり、どこからでも見て楽しめる。「流れの平庭」や「松の庭」、「竹の庭」と、順番に見て回り、急いでカメラに収めていると、警備員さんが来て終了~。「もう終園か~」と、30分はあっという間で、もう少し時間があれば、ゆっくりできたのだが…とも思ったが、まぁ~、見頃の“紅葉庭園”を観賞することができて満足×2。

東山公園(夜) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:27:04

姫路駅近くのホテルにチェックイン。今回はまだ“紅葉ライトアップ”の予定が待っていて、それはたつの市の東山公園。JR姫新線で30分、播磨新宮駅へ向かわなけらばならない。チェックインしてまもなく、JR姫路駅からワンマン電車に乗ると、帰宅サラリーマンらでいっぱいの中、播磨新宮駅に到着。19:00頃にもなると夜の帳で、暗記した地図を頼りに、暗い夜道を東へ歩いて行く。
揖保川の堤防沿いにたどり着くと、東山公園橋がライトアップされ、川向うには提灯の飾りが見え、「あそこだな!」っと検討がつく。東山公園橋はつり橋で、「高い所が苦手な方は無理かも」、というネット情報があったが、真っ暗なので、実際、川までの高さがわからない。その分、恐怖心はないが、歩くたびに揺れるので、やはりつり橋なんだと再認識し、慎重に渡る。
たどり着いた先からは道なりに提灯が案内してくれ、東山公園に到着。「志んぐ荘」という旅館だろうか、観光施設の脇を歩いて行くと、ライトアップされたモミジが…
「あれっ!なにこれ?」
ライトアップされてはいるが、ライトの数が少ないし、照らし方が雑!ヘタクソって印象しかない。
「全然照らされてないやん…」と愚痴がもれ、これじゃただの外灯?と思ってしまう。モミジはライトで照らされているところは赤く染まっているので、見頃なのだろうと思うが、あとは真っ暗なので、本当に見頃なのかわからない。お客さんの数もカップル1組しかいないし、期待するほどのことはなく、ガセネタだったか?と…。とりあえず、照らされているところだけをカメラに収め、予定よりも早く、消化不良のまま後にしました~

あまりに撮れ高がないので、つり橋を。

東山公園(朝) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:28:09

翌朝。再び姫路駅からJR播磨新宮駅へラッシュアワーの中、移動。旅の計画通り、またまた東山公園へ。昨夜のことがあり、紅葉もあまり期待していない気持ちで、堤防沿いまで来ると、つり橋が見えてきて、結構大きい橋なんだ~と改めて見渡す。昨夜は真っ暗で、それほど感じなかったが、また渡ってみるとスリリング。側溝を支えるような“あみあみのフタ”から川が見え、「やばい…かなり高いじゃないか~」と足がすくみそうになる。そこは大人ですから、恐怖心を抑え、渡りきると、「なるほど~、これは風が強い日は無理だな…」とネットの情報に納得。あとはモミジも納得できるかどうか…
旅館の脇を歩いて行くと、ため池にいる白鳥?に餌をやっている社員さんがいて、朝の日課なのだろうかと見ながら上へと歩いていくと、
「お、おぉー!」と、期待していない分、公園全体が赤く染まっていて見頃状態。昨夜のライトアップは何だったのか?と疑問が持たれ、もっと照明の工夫もあっただろうにと、その分は残念で、マイナス点だが、日中は素晴らしい紅葉名所である。
まだ誰も来ていない朝イチ、独り占めになった気分で撮影タイム。奥地へと上がれば上がるほど、染まっていないモミジもあるが、紅葉狩りをするには申し分ないほどに楽しめる。
案内看板に「不動滝」とあるので行ってみることに。滑りやすい“昔”の階段を、気を付けながら登っていくと、チョロチョロとパイプ管から流れ落ちる“滝”が見え、「いや~、あれじゃないでしょ!」と、さらに続く山道を上がっていく。が、ない…
「まさか、あの“滝”なのか~」と、先に進むのを諦め、戻ってその“滝”の周りをよ~く見ていると、不動明王の石像が置かれていて、「やはりこれなのか~」と。“滝”から奥まった祠みたいなのがあり、そのごつごつした岩肌の姿に、不動明王を準えたのだろうかと、手を合わせる。
何だか、この公園に翻弄されたようだが、紅葉狩りを堪能し、帰るころにはちらほらとお客さんも見に来ていて、次の目的地へと向かう。

素麺神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:29:14

神姫バスの新宮東口バス停から南へ、東觜崎(ひがしはしざき)公民館バス停で下車。JR姫新線の線路を渡り東へ。この地はCMでもお馴染み、「やっぱり素麺、揖保乃糸」で有名な「そうめんの里」。お昼は素麺にしようということで訪れた次第だが、その前に、素麺神社という変わった神社があることを知りそちらへ。
駐車場になっているとこに鳥居が建ち、高台へと石段が続いている先に社殿があり、イチョウの木が黄色く色づいている。石段を上がると神門があり、その手前に「女優 田中好子」と刻まれた寄進石がある。CMに出演していたこともあり、目立つところに建っているのか、やはりCMの顔でもあったので、スーちゃんの面影が脳裏によぎる。
元々、素麺神社ではなく、大神神社が正式名称で、大神神社といえば、奈良県の山を御神体とした日本最古の神社であるが、そこから明治時代に勧請して大神神社を創建したのが始まりで、奈良県の桜井市界隈を訪れた時の、「三輪そうめん」を食べたことを思い出し、素麺つながりの縁に感謝。
詳しいことはわからないが、素麺は遣唐使によって伝えられたとされ、昔は宮中のおもてなし料理に、七夕の日に食べると疫病にかからないと言われていたそうな。この素麺神社にも素麺を奉納していて、素麺づくりの様子が描かれた明治時代の絵馬も残されている。
社殿でお参りを済ませ、境内を散策。寄進石に刻まれた会社名等を見ると、素麺に関係している醤油会社や製粉会社などがあり、境内に敷居のように並ぶ寄進石は、ここの神社を守っているかのように“理路整然”とある。
社務所はあるが閉まっていて、御朱印があるのかないのかわからないので、諦めてお昼休憩に。

そうめんの里 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:30:26

素麺神社から東へ歩いて5分ほど、「そうめんの里」の施設がある。揖保乃糸資料館として、素麺の歴史や文化を学ぶことができる展示室、加工工場の見学、素麺のあの“糸”を棒で延ばす体感コーナー等があり、楽しむことができる。
目的は食べることなので、営業時間が11:00からの施設内にあるお食事処「庵」に早速入店。11:00にもかかわらず、お客さんは老夫婦が2組と、意外といて、それぞれに麺をすする音が聞こえてくる。メニューを見ると、素麺だけでなく、うどんやにゅうめん、そうめん巻寿司や明太シラスそうめんなど、いろんなバリエーションの料理があり、私はゴーヤチャンプルーそうめん(スープ付)をお願いすることに。
焼きビーフン感覚で食べるゴーヤチャンプルーそうめんは、そんなに苦くもなく、結構お腹が膨れ、満足×2。夏には冷や素麺なんて、飛ぶように注文されるんだろうなぁ~と想像する。
2階の資料館を見たかったが、次の予定の時間が迫っていたので、諦めることにし、帰る前におみやげコーナーで、特級品の素麺とカップ麺を購入し、後にする。

公孫樹 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:31:28

JR東觜崎駅からJR播磨新宮駅に再び戻り、神姫バス、山崎行きを待つ。待つ間、駅から南へ望む先に、イチョウの木が黄色く色づいているのが見え、バスが来るまでの間、行ってみることに。揖保川の支流の堤防沿いに1本だけ生えているイチョウの木。落葉が木の周りを取り囲み、そこの空間だけ異彩を放っている感じがして、神々しく見える。川の向こう岸に見える山肌の至るところに、モミジの“赤”が映えていて、景観が「自然~」といった風景に心癒される。一通り写真を何枚も撮り、駅に戻る。

最上山公園(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:32:39

神姫バス、山崎行きに乗り、終点で降りると懐かしい。この地は宍粟市という所で、かつて、黒田官兵衛ゆかりの地で訪れたことがあって、周辺を散策したことがある。山崎の街の中心地に、最上山公園というのがあり、ここが紅葉の名所であるということをネットで知り、「へぇ~、そうだったんだぁ~」と、今回の旅で訪れる機会を得る。
山崎のバスターミナルから北西方向へ、昔ながらの商店街界隈を抜け、恵比寿神社のとこまで来ると、境内から最上山公園へと続く石段があり、そこは公園の東端にあたる展望塔が建ち、周辺はモミジが見頃を迎えている。山崎の街並みを見下ろし、しばらく休憩し、撮影タイム。
西へと公園内の山道を歩き、遊具のある広場では、ご老人方が紅葉狩り、色づいているところではアマカメがシャッターを切り、思い思いに楽しんでいる姿に遭遇する。

最上山公園(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:33:46

森林内を歩き、さらなる高見へと上がると、日差しが照る、明るい場所に出て、公園の中心だろうか、山裾を見下ろす山肌には、モミジが多々あり、若木も多々植えられている。本当に「モミジ山」にしたい管理者?の意図が見え、本当に兵庫県では隋一といっていいくらいの名所であることがわかる。地元の中学生の団体や観光客がいて賑わい、「いい時期に来れてよかった~」と、口々に言っているのを耳にし、私もそう思う。
最上山公園からさらに北西方向へ登山道を行けば、篠の丸城跡がある。黒田官兵衛が戦功の褒章として、秀吉から山崎の知行地を与えられ、居城を篠の丸城としたが、長い期間、居をかまえることなく転戦する日々の官兵衛であったため、山崎でのエピソードはあまり残っていない。城跡の方へは行かないが、公園を散策していると、土塁のような盛り上がった斜面や堀かと思えるような形が見て取れ、お城があった痕跡を想像できる。
麓へと段々下りてきて、弁天池のとこまで来ると、駐車場にはテントが張られ、地元の観光課が盛り上げを見せていて、素晴らしい紅葉の名所に来れて大満足の旅でした~

また30、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:21:16

11月中旬。紅葉の旅、第1弾は神戸13仏霊場を兼ね、兵庫県三田市や再び有馬温泉を中心に散策。

鏑射寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:22:21

新大阪駅に到着し、福知山線に乗りかえ、1時間ほど。JR道場駅に降り立つ。山並みの景色を眺めながら、武庫川沿いの道を歩くと、河川敷にはススキの穂が風に揺れ、秋というよりは初冬といった雰囲気を醸し出し、気温も少し肌寒い。案内看板を頼りに、山道が続く坂道を上がり、いつのまにか汗をかきかき、無理せずゆっくりと登っていく。追い越す車が数台上がっていき、そういえば、先ほどの案内板に示していたカントリークラブの常連客だろうかと想像しながら、九十九折の坂をひたすら上がっていくと、モミジの木々が彩りを迎え、鏑射寺の城壁のような石垣とマッチしていて、一眼カメラで撮影タイム。やはり思っていた通り、紅葉が進んでいることを予想し、早く来てよかった~と納得しつつ、境内へと早速踏み入る。寺務所で先に御朱印をお願いし、神戸13仏霊場、本尊の大日如来、愛染明王、不動尊と書いてもらい、お寺の方から「護摩堂は堂内に入れるのでどうぞ」と案内され、ありがたい限り。
鏑射寺は冊子によると、聖徳太子が鏑矢を奉納し、この地に伽藍を建て、仏教道場として開基したとある。後に弘法大師が独鈷水の井戸を掘ったことや、北条時頼の参詣、南北朝時代には南朝に味方し焼失、再興を繰り返し(省略してます…)今に至っている。
本堂、大師堂とお参りし、ちょっとした庭には、モミジの木々が赤く色づきパチリ。三重塔へと石段を上がると、ドウダンツツジが真っ赤に出迎え、その景色は絵になる。護摩堂には鮮やかな垂れ幕がお堂の周りに掲げられ、中からお経の声が。革靴が一足脱いであり、中を覗くと、信者の方だろうか唱えている。堂内に入りたかったが、邪魔してはいけないと思い、しばらく待ったが、これは時間がかかりそうだと、諦めて外から手を合わせる。
モミジの染まった境内を散策し、山寺の雰囲気を味わいました~

塩田八幡宮 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:23:12

JR道場駅からJR三田駅へ。そこから神戸電鉄、三田本町駅へ移動。駅から南東方向へ田畑が広がる道を行き、小高い丘を登る。竹林がある薄暗いあぜ道を上がったと思えば、“秘密の田畑”のような開けた土地に出て、再び鬱蒼と茂る森林の中を進む。林を抜けると、そこは駐車場になっていて、遠くの景色に墓石がいくつも並んでいる。看板には「神戸三田メモリアルパーク霊園」と書いてあり、中央には大きな観音像が上から見下ろしている。営業所もあるが、この日は定休日のようで、がら~んとしていて、人っ子一人いない。そんな駐車場を横切り、再び竹林の中を下っていくと塩田八幡宮に到着。正面鳥居からではなく、横の駐車スペースから失礼し、境内に入ると、樹齢500年以上のヒノキの御神木がで~んとあり、社殿は朱色のいたってシンプルな神社。
塩田八幡宮は冊子によると、創始は不明であるが、「大歳神社」と称し、御歳神を奉祀すると古記録にあるとのこと。その後、石清水八幡宮から御神霊を勧請、合祀されて塩田八幡神社と称せられ、鳥羽天皇后妃の庄園、石清水八幡宮の宿院、極楽寺領の庄園となり、神宮寺としての体裁を成したとある。応仁の乱で焼失したが、再興され、三田藩九鬼隆昌代々により、寄進が続き、明治に入り、神仏分離令により神宮寺が廃れ(略)、現在に至っている。
…と、結構歴史ある神社なんだぁ~と神社の雰囲気を味わい、社殿でお参りし、隣の社務所で御朱印をいただき、お礼を述べ次へ。

心月院 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:24:14

三田本町駅に戻り、北西方向へ。三田市内の住宅街を歩いていると、三田市にゆかりのある人物の看板が建っていて、カメラに収めていく。九鬼隆一や川本幸民などの出生地が、詳しくないが、点在していて、昔懐かしい郵便ポストもよく見かける。途中、ゆかりの地を巡る観光ツアー客らに遭遇し、「白洲次郎生誕地ってどこですか?」と関西なまりのおばちゃんが尋ねてきて、「すみません、名古屋から来ているのでわからないんです」と答えると、そこはきっぱり用なしと、すばやく通り過ぎていく。さすが関西やな~と思いながら、その“おばちゃん団体”がま~すぐ歩いてきた道の先に心月院があり、たぶん、おばちゃんたちも立ち寄ってきたんだろうと想像し、「白洲次郎」のキーワードに胸躍る。
そう!心月院にはあの、白洲次郎夫妻のお墓があり、九鬼家の菩提寺でもある。心月院は、鳥羽より移封された藩主九鬼氏に、以前ここにあった梅林寺を増改築。鳥羽の菩提寺、常安寺の覚雄是的和尚を請じて開基したお寺。九鬼家は幕末まで歴代に渡って三田の町を治め、明治維新の際、藩主の九鬼隆義の代に仕えた白洲退蔵が財政を立て直した。この退蔵氏のお孫さんが白洲次郎である。…と、ネットの“粗削り情報”だけなので詳しいことは知らないが、歴史あるお寺であることは間違いない。
…ということで、緩やかな坂道を上がり、山門までのスペースは広い駐車場になっていて、観光バスが1台止まっている。さっきのおばちゃん団体だな!と予想がつき、それだけ訪れる観光客が多いのだろうと想像しながら山門へと行く。山門をくぐり、境内に入ると、横に長い塀の中央に総門が建ち、正面に本堂、その前の境内には4つに仕切られた枯山水庭園があり、見事。まだ現役で使用している井戸、大きな釜、“赤い毛糸の帽子”を被ったお地蔵さんと、昔ながらの雰囲気を醸し出していて、どこか懐かしい。
本堂前で手を合わせ、まずは九鬼家のお墓のあるとこへ。歴代のお墓が建ち並び、大きな五輪塔、石柱とさまざまに、それぞれ逝去された歳が表示されている。60代まで生きた方もいれば20代で亡くなられた方もいて、“家族団欒”祀られている。
次に白洲次郎夫妻のお墓のとこへ。一般のお墓が並ぶ中、人型のような形をしたお墓があり、手を合わせる。つい最近、NHKの再放送で、ドラマ「白洲次郎」のことをやっていて、ある程度知っているが、GHQと渡り歩いたその功績に、すごい日本人がいるんだ~と誇りに思う。そもそも三田市の出身地だったとも知らず、御朱印つながりで知ったようなものなので、これも導きによるものなのだろうかと勝手に思っている。丘の上から見える三田市の街並みを眺めながら、ここに“住んでいる”墓地の皆さんが街を見守っているんだろうなぁ~と“一緒”に見渡し、御朱印をいただき後にする。

三田天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:25:16

心月院から東の交差点に出ると、北へと延びる道路を歩く。小学生の下校時間ということもあって、パトカーが巡回していて、最近の防犯事情も否めない中、「私は旅行者ですよ~」的なアピールを醸し出しつつ、次の目的地、三田天満宮へ向かう。
三田天満宮は冊子によると、「三田神祀」と号して大歳大神をお祀りした延喜式以前の神社であり、やはり九鬼氏代々の御祈祷所として、信仰を集めてきたとのこと。
北西へと下るカーブの途中に鳥居が見えてきて、階段を上がり、真っすぐ境内へと失礼する。この時期の“七五三詣でバージョン”境内には入母屋造の本殿を始め、中央に舞殿がある。社殿の前には記念写真が撮れるように、なぜか来年の干支のイノシシが2頭、これがまたリアルすぎるイノシシが“鎮座”し、出迎えてくれる。さっそく社殿で手を合わせ、左側からぐるりと散策していく。「連理の木」という、どこの神社でもありそうな縁結びの木があり、ご利益スポットなのだろう、ハートの形をした絵馬に、踏み石がハートマークの形と凝っている。淡島神社や稲荷神社他、摂社末社を見て回り、いろんな神様に心の中でご挨拶。社務所で御朱印をお願いし、お礼を述べ後にする。

三田ふるさと学習館 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:26:15

今回泊まるホテルに行くにはまだ早いので、旧九鬼家住宅資料館に行ってみることに。三田小学校と有馬高校の間の道を下っていくと、下校途中の子供らに会い、元気すぎるぐらいにうるさい。が、校舎の見える周りの景色は、大きなイチョウにモミジと、彩りを添え、「学校~」といった雰囲気がどこか懐かしさを憶える。旧九鬼家住宅資料館に入ると、昔の古い木造建築の学校のような佇まいで、事務所の方に「中、見ていいですか~?」と一声かけ、展示物を見学。…と、旧九鬼家住宅資料館と思って入った施設が、後で気づいたが、「三田ふるさと学習館」という施設で、勘違いしてしまい、少しだけ館長さんだろうか、説明して下さるので、そのまま聞くことに。三田市にゆかりの人物、特に九鬼隆義の江戸後期から明治期へと移り変わる時期を学ぶ。先ほども書いたが、九鬼家は九鬼水軍として元々、鳥羽の出で有名だが、九鬼嘉隆の時代に鉄甲船を造り、織田信長に見込まれた歴史がある。そんな九鬼家には跡取りに恵まれず、柳生家から養子をもらったりして、家系を絶やさず生き延びてきている。幕末期の新政府軍につくか旧幕府軍につくかで、三田の人々は、藩もそこは穏便に「まぁまぁ」というような風潮があったのだろうか、争いはなかったらしく、新しい明治政府を受け入れるのもすんなりだったらしい。キリスト教の教会が建てられたのも、日本で3番目に早く造られたようで、確かに三田市の街中を歩いていて、教会がそこそこあったのも頷ける。そんな中、九鬼隆義が学者であった白洲退蔵を取り立て、退蔵が藩政の改革で活躍し、この方のお孫さんがあの、白洲次郎である。「学問のススメ」で有名な福沢諭吉とも親交があり、その手紙のやり取りなどが展示されている。
「へぇ~」としばらく三田市の歴史に触れることができ、旧九鬼家住宅資料館は営業終了していたのでしょうがないが、いろいろと学ぶことができ、館長さんにお礼を述べ後にする。

写真はネットからお借りしました。

石峯寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:29:01

翌朝、三田駅バスターミナルから神姫バスで三木市行き、野瀬バス停で下車。ここから昨日に引き続き、また上り坂を30分ほどかけて歩いていかなければならない。舗装された道路なのでわかりやすいが、周りは山の景色、田畑が広がる景色と、人里離れた場所だとわかるくらい、民家がない。高速道路の高架下をくぐり、しばらく歩いて行くと、ようやく集落のとこに行き着き、コスモス畑が一角、田舎町に色を添えている。看板が建っているが、どの方向なのか、朽ちて落ちているのでわからないが、たまたま出会った近所の人に尋ねると、このまま一本道を行けばいいと教えて下さり、お礼を述べ進む。思い返せば、この道路も車がひっきりなしに走っていて、「有馬カントリークラブ」のゴルフ場へとつながる道となっているらしく、石峯寺に行く人はいないだろうと思いながら、お寺の山門が見える直線の上り坂に達する。
参道を歩いていると、2軒の竹林寺と十輪院があり、塔頭寺院だろうか、竹林寺では石峯寺の御朱印を請け負っていると門柱に書かれていて、とりあえず石峯寺の境内へと上がり散策。
石峯寺は冊子によると、1300年前、法道仙人によって開基され、往時には塔頭寺院が多く点在していたという。応仁の乱を機に、数々の戦乱で衰退し、江戸時代には明石城主、松平直常公、徳川家光公より寺領を受け、安泰に戻り、今に至っている。
本堂でお参り。本堂前のモミジがもう遅いようで、落葉が地面に散っているが、薬師堂から三重塔にかけての小道は見頃となっている。三重塔へ行くと、後ろの小池の周りにはモミジが上の方だけ赤く色づいていて、朝陽に照らされ鮮やか。しばらく撮影タイムとなり、時間の許す限り撮りまくる。境内の背後の山には、八十八か所めぐりの参拝ができるようになっていて、うす暗い森の中、あちこち石仏が祀られていて、修験場といった感じを味わいつつ、寺務所へと行くと無人の様子。窓ガラスに貼られたポスターには、週末にモミジ祭りが行われていたようで、こちらでは紅葉が早く進むことをうかがい知る。神戸13仏霊場の御朱印をお願いしようと、先ほどの竹林寺へ伺い、しばらく待っていると、お茶のペットボトルをいただき感謝×2。(本当は荷物になるけど…)お礼を述べ、バス停へ遅れないように早めに出発。これを逃すと午後までないので、少し気を張りながら来た道を戻る。

有間神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:30:01

神戸電鉄、道場南口駅で途中下車し、そこから岡場駅へ移動。駅前のイオンモールで昼前ではあるが、早めの昼食を済まし、線路沿いを南へ20分ほど歩いて行く。県道15号線沿いにある有間神社に到着。境内はブルドーザーの重機が1台、砂山の上にあり、整備中のようで、それを見下ろしている工事関係者の人、二人が何やら話し合っている。そんな姿を横目に、社殿のある方へ上がっていくと、モミジの木々が植えられていて赤く染まっている。写真を撮り、社殿で早速お参り。
有間神社はネットの情報によると、年代は不詳だが、現在の西宮市山口町名来で創建され、御神託により西尾村(現在の神戸市北区有野町)に遷座したとされる。いつからか「山王さん」と親しまれ、「山王」が「産の緒」に通じることから、安産の神社として崇敬されてきたとある。舒明天皇や孝徳天皇も有間神社に行幸されていることから、1300年余前には鎮座されていることがわかる。
ちなみに「有馬」と「有間」がなぜ違うのか?調べたがわからず、たぶん、山口町で創建されたときの近くに流れている川が「有間川」という名称から来ているようで、その「有間川」はいつしか「有馬川」となり、今でも有馬温泉の方へ流れているが、そのように変わったのだろうかと勝手に解釈している。
…で、社殿右側に行くと摂社が祀られていて、こちらもモミジが見頃を迎えパチリ。神社の雰囲気を味わいながら御朱印をと…先ほどの二人の内の一人が白い作務衣を着ていて、ひょっとしたら宮司さんかな?と尋ねる。やはりそうで、社務所の方で…ということでお願いし、お礼を述べ次へ。

瑞宝寺公園 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:31:00

岡場駅に戻り、神戸電鉄で南下。有馬口駅で乗り換え、有馬温泉駅へ。あいかわらずの人の多さに、盛り上がりを見せる観光地、有馬温泉は今年の春に訪れ、地図を見なくても大体移動できる。
今回は、立ち寄るつもりはなかったが、有馬温泉の東側にある瑞宝寺公園が紅葉の名所で、ネットの情報で見頃であることを知り、訪れた次第。太閤橋から緩やかな坂道を歩いていくと、“おみやげ街道”の善福寺付近はモミジが見頃を迎えていて、こちらも観光客で賑わっている。
セブンイレブンから東へ上がる川沿いの坂道を歩くと、ホテルや旅館の施設が並び懐かしい。途中の橋で一旦休憩し、さらに急勾配の坂道をゆっくりと、前回お世話になった瑞宝園ホテルの横を通り、ようやく瑞宝寺公園に到着。公園入口までの道に甘栗の出店などがあり、お客さんで賑わっていて、すでに紅葉の紅く染まった景色が目に飛び込んでくる。
伏見桃山城から移築した山門を抜けると、そこからはもう撮影タイムに入り、茶店のスペースの赤い傘が開いている下でも休憩している方々がいて、「紅葉狩り~」といった雰囲気。
瑞宝寺公園は昔、明治初期に廃寺になった瑞宝寺の跡地に神戸市が整備した公園。歴史的には、秀吉もたびたび有馬に来ていて、公園内には秀吉が囲碁を指したとされる石の基盤が残されている。
今年の紅葉狩りはどこに行こうか、見当がつかなかったが、偶然にも見つけることができてうれしい限り。

また29、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 14:59:26

お待たせしました~って、約2か月?ぶりの投稿ですが…なんせ、忙しいと言ってしまえばいいわけになってしまいますが、ホントに忙しかったんで、できなかったわけでして…
てなわけで、今年も紅葉狩り行ってきました~と言いたいところですが、その前に10月下旬ごろに行った淡路島の旅を紹介。今回の旅で、淡路七福神を満願することができ嬉しい限り。ちなみに、紅葉レポはその後で載っけますので、乞うご期待(期待するほどのものじゃないけど…)。

高田屋嘉兵衛公園 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:00:44

JR舞子駅に到着し、高速バスのりばへ。舞子から終点の高田屋嘉兵衛公園までバスに揺られること約1時間。途中、バスは海岸沿いを走り、車窓からは瀬戸内海を眺めながら浜辺の景色に癒され、「海~」といった感じにどこか旅愁の懐かしさを憶える。
今回訪れた五色町の都志という場所は、淡路島の中心から見れば北西寄りの位置に当たるだろうか、この都志の港町で生まれたのが高田屋嘉兵衛である。…といって知っているだろうか。私も「誰それ?」と最初はそうであったが、偶然にも、淡路島にちょくちょく旅をしているころから、司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読み始めたころで、主人公の高田屋嘉兵衛が淡路島の出身だとは、これも何かの縁?と勝手に決めているが、とにかく小説を全部読み終えるまでは、都志には行かないことを決めていて、ようやくこの旅が実った次第。
…で、高田屋嘉兵衛がどんな人物か説明したいが、毎度のこと、面倒くさいので、検索して調べていただくとして…、その業績を称えるための公園が高速バスの終点にある。
広い駐車場に到着し、そこは「ウェルネスパーク五色」という複合施設となっていて、案内看板を見ると、温泉施設やレストラン、屋外コンサートができる芝生広場、洋ランセンター、高田屋嘉兵衛顕彰館などなど、レクリエーションができる多目的な、とにかく広すぎる公園である。
さっそく高田屋嘉兵衛顕彰館のある方へ行くと、ゴローニン提督と嘉兵衛の友好の銅像が建ち、ロシアの高官が訪れた際に植えた木々が並び、ロシアとの関係性がうかがえる。館内に入り、入場券を支払い、係の方が「それではこちらへどうぞ」とシアタールームに案内して下さり、スクリーンの前へ。スクリーンの下には菜の花の造花が並び、簡易なベンチの後ろには大きな船の模型が展示されて、雰囲気を醸し出していて、そんな中で映像が始まる。嘉兵衛の人生ダイジェスト版みたいにまとまっていて、NHKで放送されたであろうドラマ「菜の花の沖」から、わかりやすく説明している。主人公役に竹中直人、妻のおふさ役に鶴田真由が演じ、地元淡路島はもちろん、明石、徳島でロケが行われたようで、このドラマを私は見たことないので、再放送されることを願うばかりだが、小説を読んでいる分、すんなり内容が入ってくる。
一通り見て、係の方が2階にも展示物があるので、「どうぞ」と促され、大きな船の模型を“踏み台”に2階へと上がる階段が続き上がる。2階にはロシアとの交渉の史料やアイヌの生活などが展示されていて見学。1階へと戻り、樽廻船や北前船の模型、民具などじっくりと見ていく。
嘉兵衛の葬儀は長林寺(後で紹介)で執り行われたとされ、ウェルネス五色の西端を下ったところが埋葬地であるが、そこまで葬送する際、行列が絶えなかったと伝えられている。そのエピソードを知るうえで、高田屋嘉兵衛の人柄が垣間見えた気がして、日本人として誇りに思い、その多聞寺は顕彰館から歩いて数分のところにあるので行ってみることに。

多聞寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:01:53

さて、嘉兵衛の「お参り墓」が別にあるという多聞寺は、“五色パーク”から坂道を下ったところにある。整備された道路から一本外れた道に「高田屋嘉兵衛翁菩提寺」と書かれた案内板を見つけ、眼下には大師堂と本堂が見える。大師堂には中に入ることができないので、外でお参りし、本堂のある境内へと入ると、表門にはおなじく菩提寺と書かれている。本堂でもお参り後、御朱印をお願いしようとしたが、留守のようで、諦めて都志の町へと歩いていく。

長林寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:02:57

田畑が広がるあぜ道を歩き、黄色い花が目に飛び込んできて、一瞬、菜の花?と見間違えるほど、名も知らぬ雑草花が背を高くして咲いている。都志の交差点を南西へ行くと、海に注ぐ川が見渡せ、その橋を渡り、小高い丘の上にある長林寺を目指す。
長林寺は、淡路島七福神の福禄寿を祀るお寺。行基がこの地に七堂伽藍を建てたのが始まりで、菅原道真が九州へ赴くときに、当時の御堂に参詣し、そのとき「都を志す」と誓願したことから「都志」と呼ぶようになったとされている。
境内は北の方から庫裏、本堂、福禄寿が祀られているお堂と建っていて、庫裏に上がり、受付で御朱印帳を授ける。受付から奥へと本尊の大日如来、敷居をまたいで七福神が安置されていて、それぞれに手を合わせる。一通りお参りを済ませ、境内を散策。福禄寿のお堂前には淡路瓦で作られた福禄寿像が建ち、記念撮影用のパネルも掲げてある。境内から都志の町並みを見渡せるベンチに座り、しばらく休憩。先ほどの多聞寺から嘉兵衛の葬儀に、ここまで行列ができていたことを思い出し、「あんなとこまで…」と、当時のイメージを膨らませ、親しまれてきた大人物だった嘉兵衛の出身地に来ることができ、旅愁に浸る。

鰆山かけ炙り丼 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:04:03

境内のベンチで、本日泊まる旅館に行くにはまだ早いので、どこか近くの食べるとこをネット検索していると、食事処「お多福」さんを見つけ、まだ16:30ごろなので、開いているかどうかわからないし、まだ夕食には早い時間帯だが、食事にありつけるとこは少ないだろうと見切りをつけ、とりあえず行ってみることに。お店は開店していて、早速入店。
「やってますか~?」と尋ねると快く応じて下さり、椅子に座る。メニュー表もあるが、他に“山かけ炙り丼”なる印刷された、一押し商品のごとく写真が置いてあり、迷わずそれを注文。
運ばれてきた器には、ごはんにとろろがかかり、その上に炙った鰆、見た目も鮮やかな桜エビに刻んだ海苔と、見るだけでもおいしい。実食すると、もうたまりません…箸は止まらず、一気にごちそうさま~。感想?あえていいません。美味いから…
やはり地元、海に幸を食すことができ大満足。量はちょっぴり足りなかったけど、店主さんにお礼を述べ、上機嫌で後にしました~

旅館「川長」 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:05:06

今晩お世話になる旅館「川長」さん。都志港近くの都志川沿いに建ち、タコの絵や嘉兵衛ゆかりの地ということもあって、船が描かれ、港町らしい旅館である。1階は食事ができるスペースになっていることから、昼間は食事処として営業しているのだろうか。
さっそくチェックインすると、後でわかったことだが、この日の宿泊者は私一人だけで、チャイムを鳴らしても静かすぎる。奥から女将さんが現れ、2階へと案内されて館内の説明を聞く。当館は温泉があり、私一人だけだからだろうか、入浴時間は21:30まで。まぁ~特に気にすることもなく、テレビやネットで情報を仕入れ、19:00ごろに浴場へ。
○○温泉と書かれた(忘れた…)聞き馴染みのない看板が脱衣所にあり、兵庫県“お墨付き”の登録番号や泉質等が掲げてある。体を洗い、湯船に浸かると、肌に絡みつくようにぬるぬる?といったらいやらしいが、明らかに感触が違う。一人貸切風呂状態で、ゆったりと浸かり、満足×2。ぽかぽかのまま就寝。

写真はネットからお借りしました

草香八幡神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:06:08

翌朝。女将さんに宿泊料を支払うとき、淡路七福神の話題が出て、「巡礼されてる方がよくうちに泊まるんですよ」と。やはり、過去の巡礼先輩方はよく知ってらっしゃる、ここを利用される人が多いんだぁ~と、お礼を述べ、後にし、目指すは淡路七福神最後の一つ、智禅寺へ。
智禅寺へは公共交通機関がなく、ここ五色町から歩いて1時間は掛かる。ウェルネス五色の施設から山あり谷ありの道を、地図とにらめっこしながら歩き、たまねぎ畑や頭を垂れた稲穂を刈っている農家の人を見、遠くの瀬戸内海を眺めながら、疲れを癒す。眺めの中腹辺りから智禅寺の建物が見え、やっと桃源郷を見つけたかのような感じで休憩がてら佇む。智禅寺の隣には草香八幡神社が祀られていて、まずはそちらの拝殿でお参り。境内の看板には石清水八幡宮から御分霊を奉還したと書かれていて、地元民に親しまれている神社っぽく、御朱印は?と社務所を覗くが、誰もいないようなので、お隣の智禅寺へ向かう。

写真は中腹から望んだ智禅寺と草香八幡神社

智禅寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:07:11

中国風の鐘楼門をくぐり、石畳が続く境内には、小さいが行き届いた日本庭園があり、「お寺~」って感じ。
智禅寺は淡路七福神、弁財天を祀るお寺。本尊は大日如来像、脇侍に地蔵菩薩と安置されているそうで、さっそく、本堂で…と思ったが、「拝観受付」と看板があるので、そちらへ移動。庫裏のような玄関から入ると、受付があり、住職さんにご挨拶。拝観をお願いし、御朱印も大日如来と弁財天をお願いする。五色から歩いてきたことを告げると、「それはそれは」と労って下さり、名古屋からの参拝客も結構訪れているんだとか。淡路七福神は、1日で回れるツアーがあり、他の寺院でも出会ったことがあるが、人気のツアーで、訪れる人のほとんどがバスや車である。住職さん曰く、昔はコミュニティバスが走っていたが、この辺はなくなってしまったそうで、私のように、歩いてくる人もたまにいるとのこと。
お礼を述べ、さっそく本堂へと上がらせてもらい、本尊の大日如来に手を合わせる。大日如来の隣には弁財天が祀られていて、住職さんがわざわざ御念仏を唱えてくれるということで、般若心経を一緒に唱え、御真言を言う。心が浄化したかのように、これで満願~。ありがたい限りで、住職さんに感謝×2。この場を借りて本当にありがとうございました。
…さて、再び1時間の行程で戻る前に、隣の草香八幡神社の拝殿で少し休憩していると、ふと社務所の引き戸に宮司さんの電話番号が記されていたので、御朱印について問い合わせてみる。「御朱印ならありますよ~」と。「えっ」と驚き、引き戸を開けて下さいと言う。「閉まっているはずじゃあ…」と思いながら開けると「開いた!」と思わず声が出て、電話口で宮司さんが「台の上に書置きのがありますから…」と教えてくれ、ありがたくいただき、宮司さんにお礼を述べる。まさかあるとは思わず、それにしても物騒な世の中、大丈夫なのか~と思いながらも、意気揚々とウェルネス五色まで戻るのでありました~

生しらす丼定食 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:08:18

ウェルネス五色にようやくたどり着き、施設内でしばらく休憩。ベンチに座った目の前がレストランになっていて、開店時間は11:30からと30分ほど空きがある。昼食をどうしようか、店前の看板メニューを見てみると鰆を使った定食があり、やはりこの地の特産となっているのがわかり、他にも生しらす、刺身などの定食がある。後は高速バスに乗って帰るだけだが、食べてから帰ることにし、…で、11:30ごろになると、お客さんがぞろぞろと集まりだし、開店と同時に私も入店。注文は、もう決めていた「生しらす丼定食」をお願いし、トレーが運ばれてくる。店員の方が食べ方を説明して下さり、3段階に分けて食べる方法があると。まずはごはんの上に刻んだ海苔をまぶし、生しらすを乗っけて薬味に醤油をちょっとだけかけて食べる。次に、梅味噌だれをかけて、後はいろんなバリエーションでお好みで…。食べながら「ひつまぶしの食べ方か」とツッコミを入れながらも生しらすを堪能~。地元の海の幸を食べる…これがやはり旅の醍醐味と、満足するのでした~

関・一宮の旅 - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:24:31

朝晩は秋の気配が感じられる季節となりましたが、まだ残暑が続く今日この頃、今回は、本来の御朱印めぐりから離れ、8月の花火を撮影…と、近場を探すが、平日の開催はやはり少ない。その少ない中から岐阜県関市と愛知県一宮市をチョイスし、行ってきましたよ~

関市花火大会(1) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:25:29

名古屋・栄から美濃市行きの高速バスがあるので、それに乗って1時間ほど。関市の安楽山公園前バス停で下車。関市はもちろん刃物の街として有名であるが、美濃33観音霊場で各寺を訪れ、概ね3回ほど来ていて、花火大会で訪れようとは自分自身思ってもみなかった。
時刻は15:00ごろ。打ち上げ会場へ行く前に、コンビニでおなじみの夕食弁当と凍ったペットボトルを買い、津保川堤防沿いを目指す。バス車内の時から、なんだか雲行きが怪しい天気だったが、歩いている最中も天気雨が降り、不安が残りながらも会場へと急ぐ。
稲口橋(だったかな…)に到着し、すでに出店が並ぶ祭りの雰囲気の中、ちょうど警備員さんがいたので、どこで撮影したらいいかアドバイスをもらい、橋の下の河川敷に決める。河川敷にはすでに、ビニールシートが“予約”という形で場所取りされており、まだ人は少ない。陣取った場所で三脚だけ立て、ここからは“長い暇”が続き、対岸には消防車が来て、火花で火災を起きないように水を撒く光景、周りの景色、雷雲の多い空を眺めて、暇を持て余す。

関市花火大会(2) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:26:35

18:00ごろになると、観客も増え始め、私の隣に御老人夫婦が「ここいいですか~」と座り、しばらく談笑。地元○○市から来たということで、関市の花火大会は3回ほど来ているんだとか。カメラを趣味にしていて、世界の各地へ旅行をし、モンゴルの奥深い土地やら峡谷、カナダでオーロラ等、独学で英語を覚え、“武勇伝”の話がつきない。カメラに出会って本当に良かったと、熱い話をし、その点は私も同じなので、「うんうん」と相槌を打ち、花火前の憩いの時を過ごす。
西の空に怪しい雲が覆い、稲光が激しく見え心配したが、19:30、打ち上げ時間となり、女性アナウンスが協賛された企業名を読み上げ、関市長の挨拶。
「まだ~」というお約束の野次が飛ぶ中、規制テープ以外の観覧場所にも座るマナーのない外国人や“縄張り争い”をしている地元民だろうか、その騒ぎように、関市はそういう“民度”というネット情報をあらかじめ知っていたので、舌打ちしながらもそこは無視して待ち望む。
カウントダウンの花火が「5」「4」と上がり、打ち上げがスタートし、そこからは撮影に集中。30分ほど経ち、御老人夫婦は途中退席し、軽めの挨拶で別れ、20:30終了~。後半は煙がもくもくと花火を邪魔し、きれいには見れなかったが、これも運なので仕方がない。終わりよければすべてよし、きっちり片づけをし、最終のバスの時間に間に合うように急ぎバス停へ行く。

尾張猿田彦神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:27:36

安楽山公園前バス停からJR岐阜駅行きのバスに乗り、岐阜駅に着いたのは22:45ごろ。直行で駅近くのホテルで宿泊し、就寝。翌朝は10:00にチェックアウトし、近所のマクドで時間潰し。正午前に名鉄岐阜駅から出発し、名鉄一宮駅で尾西線に乗り換え、奥町駅で下車。駅から西へ真~すぐ木曽川に向けて歩いていくと、尾張猿田彦神社があり立ち寄る。ネットで知り、訪れた次第で、当日の夜は提灯祭りが行われ、鳥居にたどり着いたとき、提灯が飾られていて、夏~といった雰囲気。
尾張猿田彦神社は名前のとおり、主祭神が猿田彦命。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨の際に、道案内したことはあまりにも有名だが、天狗の原型でもあり、交通安全や旅行安全のご利益があるので、ここでお参り。縁起は面倒くさいので…ここを…https://www.sarutahiko-jinjya.net/information.html#02
街の小さな神社といった感じで、手水舎の近くには鯉が泳ぐ、ちゃんとした庭もある。お参りは社殿の中に上がってでき、サッシを開けると、感知器が反応したのか、巫女さんが現れ、「こんにちは」とご挨拶。お参り後、御朱印をお願いしている間、冷茶をいただきありがたい限り。花火大会のパンフレットがあったので、少し読んでみると、協賛されている企業名が3ページに渡って掲載されており、そんだけすんごい花火大会であることがわかる。
ここの神社からも花火が見えるそうで、御朱印をいただきお礼を述べ、社殿から見える花火を想像し、後にする。

濃尾大花火(1) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:28:51

神社から南へ、コンビニに立ち寄り、弁当と冷凍ペットボトルを購入し、木曽川の河川敷へ向かう。屋台オープンの準備をしている人を見ながら堤防沿いに出ると、まだ誰もいない様子で、堤防の壁から頭一つ出して河川敷を見下ろすと、シートがいっぱい敷いてあり、ちらほらと人がいる。
時刻は14:00ごろ。とりあえず堤防沿いの場所に陣取り、三脚を立て、腰を落ち着かせると、しばらくして背後で「あの~、お客さん、すみません!」と声がかかる。振り返ると警察の方が車の窓から「そこは禁止区域なので…」とパンフレットをくださり、書いてある地図を指し示し、撮影可能場所を教えてくれる。「なるほど~」とお礼を述べ、堤防沿いを北へと移動。どおりで誰もいないはずだと、一人恥をかいた状態をかき消すかのようにそそくさとその場所に行くと、大会本部があり、そこから北のエリアがそうで、三脚を立てている人はまだいない。一人、年配の方がいたので声をかけると、その方もどこにしようか迷っている様子。…と、何だかんだ情報を共有し合い、その場に陣取ることにし、しばらく談笑。

濃尾大花火(2) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:29:54

濃尾大花火は愛知県では2番目に人気のある花火大会。愛知県一宮市と岐阜県羽島市合同による花火大会で、木曽川を挟んで、それぞれの河川敷で打ち上がる。最大の魅力は何といっても10号玉が3発と20号玉が2発も上がる、とてつもない“大輪が花開く”ので、迫力、スケールが桁違い。過去のネット動画を見、「大きすぎる」「画角に入りきらない」など、相当大きい花火であることがわかり、この日のために買っちゃいました!広角レンズ!(安物だけど…)まだ、使いこなせてない広角レンズをいきなり、この花火大会で初使用しようと…
先ほど警察の方からいただいたパンフレットによると、打ち上げのプログラムが書かれており、15分間隔で“大きい”のが打ち上がるので、そこは何とか事前に予測がつくが、さて、どうなることやら…と、まぁ、なるようになれ~と思いつつ、まだまだ昼間の時間はたっぷりある。
…で、夕食の弁当を食べ終え、どこかで休憩していた先ほどの年配の方が戻って来て、屋台で売っていたからあげをごちそうになり、感謝×2。そこへもう一人、同じ年配の方が見え、話をする。2人は地元の写真クラブに所属していて、こちらの大花火も数回、撮影に来ているんだとか。からあげをごちそうしてくれた方は、作品が入選され、1位になったというから驚。「す、すごいじゃないですか~」とベテランの方とはつゆ知らず、尊敬の念で見てしまう。やっぱし何回も来て、場数を踏まないといけないなぁ~と実感し、花火撮影は改めて奥深いと思う。

濃尾大花火(3) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:30:55

大分、人が集まりだした最中、河川敷で、熱中症になって担架で運ばれる人を見、注目の的になっている。せっかくの花火大会をこんな形で削がれるのは、かわいそうだが、自分自身も熱中症に対してはかなり気を使っている。帽子はもちろん、タオル、冷えピタ、虫除けスプレー、伸びをするなど適度な運動等をし、水分はこまめに取る。巡回している警備員を見ていると、腰には水筒がぶら下がり、熱中症対策に余念がない。備えあれば憂いなし、準備に越したことはないのである。
さて、辺りは夕景となり、人も増え始めてきて、いよいよ。年配の方は、去年に比べると、今年は一宮側で撮影される人は少ないとのこと。羽島側の堤防に流れたのか、はたまた同じところで撮影するのはありきたりで、どこか違う場所を狙って移動したのか、とにかく花火は場所取りが命なので、どこぞで撮影するかによって決まってくる。
19:30になり、一宮市長が手短に挨拶をし、スムーズにスタート。次から次に打ち上がるスターマインに、歓声が上がり、「これが濃尾大花火か~」と、やはり規模が違う。最初の10号玉の花火が打ち上がると、「おー!」と拍手拍手。「これが20号玉!」と大きすぎる花火に圧倒され、カメラのモニターで再生してみると画角に収まっていない。ズームで撮ってしまったので、上が切れてしまっていて、まだまだと思いながらも、あと3発“大きい”のが残っているので、次こそはと、ちょっとだけ撮影の集中力を解くと、周りの雰囲気がどよめいている。ざわざわと余韻が残り、観客は“静かな興奮”が冷めきらないでいる。確かに、打ち上がるときの「ドン!」という巨大な音、「ヒュ~」と“花開く”までの時間の長いこと、そして、“花開いた”花火の大きいこと、私の体験の中で、こんな花火一回も見たことない。
いや~、ホント来てよかったーと、心の中で何度も繰り返し納得。

濃尾大花火(4) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:32:07

集中を切らすことなく撮り続け、3発の“大玉”も打ち上がるたびに歓声が上がり、20:45終了~。周りのカメラギャラリーも一仕事終えたかのように、お互い労い、年配の方もお疲れ様~と退散。規模の大きい花火大会の分、人も大勢、帰路に行列ができ、すごい人。
帰りは、会場から一宮駅へのシャトルバスが出ているので、それに乗って帰る予定だが、そういえば、花火が打ち上がっている最中、アナウンスで「シャトルバスの運行は22:00までで~す、早めに行動をお願いしま~す」と、実際は「早う帰れ」と言わんばかりの放送を何回も流していて、これってどうなの?と思ったが、明らかに22:00って無理でしょ!と、ツッコミを入れたくなる。
シャトルバスの発着場所まで行くと、当然、長蛇の列。名鉄バスが数台、ずらりと並び、ピストン運行している。運賃は300円。儲かってんなぁ~と思いながら、乗車できるまで待つ。結局、シャトルバス発着場所まで行くのに30分、シャトルバスに乗るまでに1時間、一宮駅に着いたのが22:50ごろと、覚悟はしていたが、ヤバい!名古屋に帰れるだろうかと不安になる。何とか最終に間に合ったが、やはり、現地での宿泊も考えないといけないと反省しつつ、「大人の夏休み~」といった感じで満喫しました~

また8、静岡の旅 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:17:24

今年は西日本豪雨をはじめ、被災した地や台風の影響により、中止となるとこがあり、こればっかりは致し方ない。なので、今年は猛暑という気候もあり、花火撮影はあきらめモードであったが、天からの“お知らせモード”が発動し、順延となった沼津市の花火大会に、あれよあれよと1日で計画を立てることができ、今年最初の花火撮影に行ってきましたよ~

富士山 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:18:32

仕事明けで家に帰る途中、ネット検索をしていると、沼津市の花火大会が順延になっている情報を知り、旅の行程のイメージが膨らみ、機械のごとく灰色の脳細胞が急に働き始める。
「行けるのか?」から「行ける!」と電気信号が走るかの如く、パッと計画がハマり、家に到着後、機材の準備に取り掛かり、荷物をまとめ、すぐに家を出、名古屋駅へ。名古屋から静岡までは新幹線で、そこから“鈍行”で沼津駅と、たっぷりある移動時間を利用し、宿の予約や撮影場所、沼津市内の寺社等を調べ上げ、今では当たり前のネット情報の普及に感謝である。
沼津駅に到着し、駅前のコンビニで凍ったペットボトル2本と夕食用の弁当を買い、東海オレンジバスで温水プール行き不動尊前バス停へ移動。この地は香貫山の麓で、沼津駅から南東の方角に位置しており、花火打ち上げ場所から真東(正確ではない)に約1.7kmの地点。そして、この山の頂上には見晴台があり、駿河湾や富士山を一望できる場所で、ここから花火を撮影したブログ紹介を見つけ、ここに来た次第。
…で、この山を登山しなければならない。今までの登山経験からして193mの山なので、ハイキングコースのようなものだが、この猛暑の中ではさすがにしんどい。休憩を挟みながら前へ前へと進み、頂上に到着。見晴台のある場所には電波の中継所兼展望台があり、そこにはすでに5,6人のギャラリーがいて、三脚が並んでいる。花火撮影は場所取りが重要なことはさすがにわかっていらっしゃる“歴戦の人たち”に挨拶し、「ここいいですか?」とお願いする。まだ人数も少ないので快く開けて下さり、しばらく談笑。東京や地元静岡から来ている人がいて、考えていることは同じ、たまたま仕事が休みの日に、順延になったことで「いける!」と決断し、来たのだそうだ。
時刻は15:30ごろ。周りの景色を眺め、南には伊豆半島の根っこの部分、西には湾曲を描く浜辺に駿河湾の広大な入江、北には裾野が広がり、山筋を上に追うと、雲で隠れた富士山が見える。そんな景色を眺めていると、疲れも忘れ、思えばここは、常に風が吹いていて、太陽は照っているが涼しい。台風が過ぎ去った後だろう、風も少し強いが、凍ったペットボトルも必要ないほどに、運よく体力は消耗していない。…が、花火は小雨なら決行するが、強風だと中止になるので、麓の風はどうだろうかと、ちょっと心配のままここからの景色を眺める。

夕景 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:19:38

花火の開始は19:30。それまで雑談をし、気づけばケーブルTV局がカメラをセッティングし、自分たちの立ち位置から後ろ側の高い所にTV局のお天気カメラだろうか、オートでカメラのワイパーが作動し、レンズを綺麗にして右左と稼働させている。
日没は19:00ごろ。太陽が沈みゆく夕景の茜色は、雲に遮られ、きれいとはいかないが、そんでもすばらしい。思えば、その日に決断し、よくこんなところまで来たなぁ~と、自分なりに感心し、無心に眺望し、暇を持て余す。

花火 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:20:45

19:30打ち上げ開始とともに、私を含めギャラリーは花火に集中する。沼津の街を通る狩野川の河川敷から二か所に分けて打ち上げられ、やはり俯瞰で撮る花火が私はお気に入り。花火会場近くで撮影すると、画角に入りきらず、広角レンズが必要になってくるので、あまり好まない。…っていうか、広角レンズすら持ってないし、今年ぐらいから買おうかなぁ~とは思っているのだが…
…で、あっという間に1時間、花火大会は終了し片付け。一時の撮影仲間とも「お疲れ様~」の挨拶とともに別れ下山。もちろんライトは持参しているので大丈夫だが、下山途中、ライトの明かりが徐々に薄くなっていく…
「ヤバい…」
何とか麓までもってくれ~と祈りながら漆黒の森の中、カラスの巣があったのだろう「うるさいな~」という鳴き声がカァカァ響き、それに答えるかのように「邪魔すんで~」と、他の動物のイノシシだかヘビだかに訴えるかのように気合を入れ進む。
ようやく“下界”まで降り一安心。沼津駅近くのホテルまで歩き、この日は就寝。


山王宮日枝神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:21:57

翌朝。2日目は沼津市内の神社めぐり。沼津駅から東へ、沼津警察署近くにある日枝神社を訪れる。日枝神社は地元では“山王さん”で親しまれ、“日枝”(ひえ)といえば、滋賀県の比叡山を思い浮かべる。山王信仰に基づき、比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号で、その名は全国にあり有名。
ここの日枝神社の沿革を見ると、この地域は平安時代、関白の藤原師通の領地で、山王の神主を殺害する事件があり、この訴えを師通は拒絶したため、神主の呪詛により死去。師通の母が日吉大社の御神霊を分祀して、田んぼを寄進し、謝罪の礼を表されたのが当社の起源とか。殺人事件をな~んも責任なく“無視”するなんて、な~んか、あの、どこぞの大学を思い浮かべてしまうが、祟りは恐ろしや~
…で、境内は桜の木々が植えられていて、第2の鳥居近くに「三春の滝桜」がある。「三春の滝桜」といえば、福島県にある日本三大桜の1つで有名だが、その桜の苗木を植えたもので、樹齢20年ほど経っているとのこと。「福島か~」と、遠い地を馳せ、一度はその桜を見てみたいが、生きているうちに行けるだろうか…と、満開の桜のときを想像し、社殿へと向かう。拝殿でお参り後、社務所へ行くと、改装工事中で、大工さんたちが忙しく働いている中をお邪魔し、御朱印をいただき後にする。

城岡神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:23:22

日枝神社から沼津警察署の方へ、狩野川の堤防下に「鍵屋の辻の血闘」ゆかりの場所があるので行ってみることに。「鍵屋の辻の血闘」は日本三大仇討と称されるほどの事件で、「忠臣蔵」や「曽我兄弟の仇討」に並ぶ有名な話。
ここは昔、平作という名の主が営む茶屋があった場所で、浄瑠璃や歌舞伎にも出てくる「伊賀越道中双六」の物語としても有名である。物語を説明するのはめんどくさいのでココを→http://www.tokaidou.jp/igagoedoucyuusugoroku-numazunodann.html
堤防沿いを西へ、江戸幕府が日本橋を起点に一里ごとに設けた里程標である一里塚や、玉砥石をカメラに収め、さらに西へ向かうと沼津市の中心街となり、その一角に城岡神社がある。かつてこの地は沼津城の敷地となっていて、北側の内堀の近くにあった場所。沿革によると、沼津城の第2代城主、水野忠晟公が社殿を造営し、時の第11代将軍、徳川家斉公により山城国の稲荷の御神体を拝受して、城の守護神とし、明治、維新の廃藩により城内区民の守護神として祀られることになり、東照宮を相殿に、稲荷さんと権現さん、社号を統一し、現在の名に改称されたとある(冊子参照)。
水野家は徳川幕府の側用人や老中として権勢をふるった家柄。明治維新後、徳川家は駿河、遠江、三河の70万石に処せられ、徳川家臣たちは沼津の地に無禄移住するが、沼津の領地をずっと守り続けてきた水野家は千葉の菊間(現市原市)に転封、“殿のためなら”と忠誠心を示すために素直に譲ったのか、はたまた、90年余り沼津を守ってきたのになんで?という悔しい想いがあったのか、そこらへんは歴史学者に任せるとして、沼津の地はこれらのように徳川家、水野家が色濃く残る土地柄であることがわかる。
さて…、神社はと言うと、ビル群に囲まれた中に鳥居が建ち、境内は近代的な社殿、マンションのエントランスを思わせる石タイルと、周りの環境に合わせた感じ。社殿後ろにある建物は立体駐車場だろうか、それが返って印象を濃くしている。年代物の灯籠や沼津兵学校跡地の石碑が建ち、それらが当時を偲ぶものとして隅っこにある。
拝殿でお参り。御朱印をお願いしようと隣の公民館のような受付へ行くと、書く方が9:10ごろに来るということで、それまで待機室で待たせてもらう。しばらく待つ間、窓に貼られた昭和の古地図を見ていると、この近所には今はない松坂屋があったようで、現在はUFJ銀行になっているが、古き良き時代の“デパート”が失われていくことに寂しさも覚える。わが名古屋の中心街、栄にも丸栄(名古屋では有名)がなくなり、老舗デパート業界はかなり貧窮し、これも時代の流れかと、街の中に建つ当神社の近代的な造りと結び付け、古地図をしばらく眺める。そうこうしていると、書いて下さる方が見え、御朱印をいただきお礼を述べ、次へ。

八幡神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:24:38

城岡神社から西へ、沼津の南北に走るメイン道路に出ると商店街、その歩道の車道側には祭りあとの屋台が並んでいる。花火大会は昨日と今日、2回に分けて行われるので、街はまだ祭りの雰囲気が残っている。
南に下り、中央公園というとこに来ると、沼津城跡の石碑が建ち、このあたりが本丸跡や沼津兵学校があった場所で、地元のお年寄りらがベンチで涼み、今では憩いの場となっている。その中央公園から狩野川に架かるあゆみ橋という橋を渡ると、橋の上から花火打ち上げ場所である堤防沿いを見渡せ、朝からすでに花火師が準備に取り掛かっている。「ここから打ち上げられたとすると…」と、南東の方角に目を向け、「あの山を登ったんだ~」と、こんもりと緑生い茂る山を見、改めて「よく登ったなぁ~」と周りの風景と合わせしばらく眺める。橋を渡り、香貫公園というとこに来ると、八幡神社の境内とつながっていて、鳥居を潜らず、敷地に入る。
八幡神社は立て看板を読むと、由緒、創立とも定かではないとある。社殿は昭和5年に千本松原の松を材料にして造られたとされ、地元の神社
立派な本殿を見上げお参りし、参道の中央に社務所があるので覗いてみると、留守のよう。御朱印はあきらめ、神社から西へと進む。

丸子・浅間神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:25:43

御成橋付近は花火大会の運営委員の事務局がある場所のようで、地元TV局のビルがあり、屋台や提灯などの飾りを見ると、今日も賑わいそうな想像をしてしまう。
通横町の交差点を西へ、途中から南へと下ると、丸子・浅間神社がある。
丸子・浅間神社は冊子によると、浅間神社が先で、時は桓武天皇の御代、坂上田村麻呂の東征凱旋の折、狩野川の右岸(現在の沼津市宮町)に奉斎したのがはじまり。その後、土御門天皇の御代(鎌倉時代)に、現在の地に御遷座されたという。一方、丸子神社は崇神天皇の御代(古代)に現在の沼津市丸子町に創建され、明治に入り、現在の浅間神社に遷座されて一扇二社となったとある(大分説明端折ってます…)。浅間神社の御祭神は木花開那姫命で、安産の守護神。丸子神社は金山彦尊(かなやまひこのみこと)で、剣、鏡、刀、鍬、鋤などを鍛える守護神として崇められ、江戸時代、参勤交代の折、諸大名が多く参拝したんだとか。そんな由緒ある神社の境内を、本当は南側の鳥居から入らなければならないが、東側から入ると、本殿の側面を回り込むように拝殿前に出て、さっそくお参り。拝殿のガラス扉で仕切られたところには、左側に浅間神社、右側に丸子神社の神紋が記され、左右それぞれに祀られていることが分かる。本殿外にも左右、社殿が建てられているが、たぶん相殿という形で、有名どころの神様が冊子に載っているので、それらの神様が祀られているのだろう。
社務所で御朱印をいただこうと伺うと、期間限定夏バージョンの御朱印があり、夏らしく水色の書置きが用意してあり、限定に弱い心理に惑わされ、それをお願いし、後にする。

沼津バーガー - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:26:52

丸子・浅間神社東側にある下本町バス停から沼津港バス停へ移動。観光名所となっている沼津港は新鮮な魚介類が食せる店やみやげもの店が多く、まぁ~、“港”だから当然といえば当然だが…、今回の旅を計画する上で、1つだけ気になったのが、深海水族館があるということ。TBSの「クレイジージャーニー」という番組で、深海魚の生態の解明などや、生きた深海魚を展示するなど、研究する人を紹介していて、確かここ、沼津の水族館に収めている(…だと思ったけど)ことを知って、沼津港に訪れた次第。
バス停からさっそく沼津港83番地というところに行くと、浜焼きや回転寿司、海鮮丼などの店舗があり、結構繁盛している様子で、夏休みもあり、家族連れが多くいる。
…と、水族館に行く前に、“沼津バーガー”という看板が目につき、昼前ではあるが、早い腹ごしらえ。店内に入り、カウンターで注文。メニューを見ると、深海魚バーガー、サメバーガー、金目鯛バーガー等々おもしろいメニューが多々ある。金目鯛はさすがに高級魚、値段も高いが食べてもみたい。少し迷い、金目鯛はお預けとし、深海魚バーガーをセットでお願いする。出来上がるまで空いてる席で待っていると、店内の雰囲気が「あれっ」と何か違和感があり、壁のポスターはアニメキャラクターが貼り出されていて、気づけば、店内を流れるBGMがアニメソングっぽいのばかり。客層もオタクっぽい?方々が座っていて、ここは“聖地”なのだろうかとちょっとオモロイ。後で調べて分かったことだが、沼津を舞台にしたアニメがあるらしく、おじさんもアニメは好きだが、少女趣味はないので分からない。
…と、注文した深海魚バーガーが運ばれ、さっそく実食。ちなみに深海魚はメギスという魚で、体の大きさに不釣り合いな目の大きさで、深海の砂底で生息しているそうだが…、
「モグモグ…、うん、フィッシュバーガー!」(アニメっぽいセリフにしてみました…)
深海魚も見た目はグロテスクなものがほとんどだが、見た目とは違い、普通に食べられるものもあり、なかなかにおいしい。また沼津に来た時は金目鯛バーガーを食すことを願い、満足×2で店を出る。

沼津港深海水族館 - モリゾーのひとり言

2018/09/06 (Thu) 14:28:01

さて、お腹を満たし、すぐ隣の水族館へ。受付で入場料を見ると1600円で、「高!」と思ってしまうが、まぁ~、どこの水族館もこんな料金だと思い、躊躇なく支払い、いざ観賞~。
係の方に写真撮影が大丈夫なのか聞いてみると、深海魚は光に敏感で、ストレスを感じるらしく、フラッシュをたかないのであればOKということで、順番に小窓(水槽)の中の深海魚を覗き、説明を読んでいく。
オオグソクムシやチンアナゴなど、TV等で知っている深海魚もいれば、アブラボウズやイガグリガニなど、はじめて見るヘンテコな深海魚もいておもしろい。
冊子によると、日本一深い駿河湾は豊富な海洋資源を持つ宝庫であり、深海生物は駿河湾から捕獲し、水温、水圧、明るさなど過酷な環境下で暮らしている深海生物にとって“光のある世界”に来ることは、通常の魚以上に負荷がかかり、飼育にも細心の注意が必要で、その点、館内は照明を工夫し、珍しい生物が採取されれば、すぐに展示入れ替えしているとのこと。なので、まだまだ我々の知らない生物がいることだろう、駿河湾の海底には未知の世界が広がっている。
足の長いタカアシガニや青い光を放つヒカリキンメダイを観賞し2階へ。2階には冷凍シーラカンスが展示されていて、ちょうど係の方が説明をし始め、人が集まっている。
シーラカンスが「生きた化石」というキャッチフレーズは有名だが、詳しいことは知らない。説明では、アフリカのコモロ諸島で発見されたのが1938年のこと。背骨を持たず、脊柱の骨の中心が空洞になっているという体の構造は他の生物にはない珍しい生態そのもの。
1991年に「絶滅危惧種」よりもさらに「絶滅寸前種」としてワシントン条約に格上げされ、生きている個体はもちろん、皮や骨、ウロコ1枚でも世界で商業を目的とした輸出入が禁止されている。
…で、当館はなぜ展示できるのか…。制定される前に、正規の形で取引され、輸入されたことを証明する「国際希少野生動植物登録票」というのが必要で、ここ、沼津港水族館に展示されている5体(2体の冷凍と3体の剥製標本)のシーラカンスに発行されており、言い換えれば、日本でここだけしかシーラカンスの展示を許されていない(冊子参照)。
なので、大変貴重であるということがわかり、臓器やウロコ、遊泳映像などを紹介していて、来た甲斐があったというもの。いろいろと勉強になり、おみやげコーナーを見て回り、深海生物に触れて博識を深めました~。

また28、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:17:11

夏は暑いのが当たり前だが、こうも暑さの度合いが違うと気が滅入ってしまう。しばらくこの暑さが和らぐまでは旅も少しお休みか…とはならず、今回は7月下旬に明石市を中心に行った寺社巡りの旅路~

休天神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:18:23

近鉄で大阪難波駅へ。そこから阪神線、山陽線を経て、山陽明石駅の1つ手前、人丸前駅で下車。駅から国道2号線の道を東へ数分歩けば、休天神社がある。
過去に一度訪ねたことがあって、そのときは御朱印をいただけなかったのだが、近くの稲爪神社(過去に紹介している)で御朱印がいただけるという情報を知り、訪れた次第。この日は例祭の夏祭りがあるのだろうか、青い幟が掲げてあり、鳥居より境内に入ると、屋台の準備をしている作業員が忙しく働いている。そんな中をお参りし、窓が締め切られた社務所っぽい建物の隣に道真さんが立ち寄ったと伝わる厩跡の石碑を見、道真さんに頭が良くなりますように~と願う。
休天神社は、その厩の“駅長”さんが大宰府に左遷された道真さんに同情的で、道真さんが亡くなったと聞いた後に、祠を祀ったのがはじまり。その社名のとおり、境内には道真さんが休んだとされる石碑も建っていて、偲ばれる。
…で、稲爪神社へと向かい境内に入ると、社務所の窓に貼紙があり、「今後、御朱印は受付しない」と貼りだされている。「え~」と、驚きはしたが、まぁ~、神社の事情もあることだろう、仙人のような心で諦め、もちろん、稲爪神社の祭神、面足大神にも手を合わせ次へ。

腕塚神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:19:34

さて、今回の旅をするにあたり、地図上で人丸前駅の近くに腕塚神社という名所を見つけ、ネットで検索。平清盛の末弟である忠度(ただのり)を祀る神社ということを知り、その近くには「忠度塚」や「忠度公園」と、よく調べれば「忠度」ゆかりの名所がある。
まずは稲瓜神社から西へ、忠度塚を訪ねる。道に面した一角に、整備された塚があり看板も立っている。
平忠度は、源平合戦の一の谷の戦いにおいて敗戦、海岸沿いを西へ落ちていく。源氏の将の岡部六弥忠澄がこれを見て、十余騎で追い、明石の両馬川まできた時に、二人は馬を並べて組打ちとなり、忠度は忠澄を取り押さえ首をかこうとするが、忠澄の郎等が主人の一大事と駆けつけ、忠度の右腕を切り落とし、忠度は観念し、念仏を唱え討たれてしまう。その亡骸を埋めたと伝わる場所がここで、物語のイメージを思い浮かべ「ここが…」と歴史の一部に立っているんだと浸る。忠度塚に手を合わせ次は北へと歩を進め、人丸前駅すぐ西のところにある腕塚神社へ。
町の中にある小さな社殿はひっそりと通りに面して溶け込み、この界隈の地元民に親しまれている感じがする。手を合わせお参りし、こちらも説明看板が建っていて、冊子も置いてある。冊子によると、腕の病にご利益があり、神社にある木製の右手を患部に当てれば良くなるとされ、おもしろい。
昔、山陽電車の線路脇に忠度の腕を埋めたところに小さな祠があり、昭和59年3月に、山電の高架工事の際、東に約30mの位置から移動されたものが現在の神社で、町名も「右手塚(うでづか)町」から「天文町」に変更されたらしい。ちなみに、忠度と忠澄が戦った両馬川は、この戦いの後に名付けられた「川」で、つい最近まで人丸前駅の北に細い流れが残っていたが、埋められてしまったという。
忠度は歌道も優れた人物で、毎年3月の例祭には謡曲「忠度」を連吟で奉納し、忠度を偲んでいて、冊子の最後には「伝承されることを切に願うものである」と書かれている。町名が変更されたり、両馬川が埋もれてしまうように、時代の流れとともに消滅していくのを危惧し、まさにそのとおりだと納得しつつ、歴史の想いに耽るのでありました~

雲晴寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:20:39

腕塚神社から山陽電車の高架下をくぐり西へ、雲晴寺に行く。こちらのお寺は南総里見八犬伝のモデルとなった里見忠義公の供養塔に、宮本武蔵作の庭等がある。もともとは明石藩の家老を奉る菩提寺で、ネットの情報ではお寺で“合コン”といった、婚活行事もあり、供養と縁結びのご利益として親しまれているらしい。
山門をくぐると境内には、正面に本堂、左手のスペースに上記の立て看板があり、矢印どおり本堂裏手へと進む。墓石が並ぶ一角に、まずは武蔵の孫弟子にあたる柴任三左衛門(しばとう さんざえもん)と、その妻、岩の墓石がある。
(「い、いかん…」どうしても「時任三郎」を「とき にんざぶろう」と読んでしまうギャグを思い出してしまう…)
説明看板を一通り読んで、手を合わせ、武蔵の作庭へ。
冊子によると、初代明石藩主の小笠原忠真は明石川東岸に城下町を建設するため、客分として武蔵を迎え入れ、城下町や城内の庭園設計を武蔵が行ったことが記録に残されている。雲晴寺にも武蔵作の庭園があったが、戦後に埋められてしまい、平成15年、新本堂建設に伴う発掘調査により、広い庭園があったことが明らかになったとある。現在は、元の庭を生かしながらの復元として、小ぢんまりとはしているが、「なるほど、これが…」とカメラに収める。
墓地の奥へと行くと、里見忠義公の供養塔が建っている。忠義公の夫人(桃源院)と娘(圓光院)の供養塔もあり、それぞれ親子三人、高野山奥の院にも供養塔が建っているそうで、こちらも手を合わせる。明石藩主であった大久保忠職公の姉が桃源院で、菩提を弔うために寺領を整備し、建てたとされていて、寺名は里見忠義公の戒名から「雲晴」とついている。
それから、こちらのお寺、幕末期の伊藤博文も絡んでいる。譜代大名である松平氏が治める明石藩の動静を探るために、この地に派遣された伊藤博文。当時の住職が長州藩の出身だった縁で、当山に滞在し、この年に起こった幕府による第二次長州征伐に明石藩が出兵していたため、今後の動向を探る間者(スパイ)として役目を果たしていたと。
…ということで、有名人ゆかりのお寺の雰囲気を味わい、客殿へ御朱印をお願いしに上がり、待っている間、一杯の冷茶をごちそうになり、「さすが!」といったおもてなしに感謝×2。お礼を述べ次へ。

本松寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:21:42

雲晴寺から北西の方角にある本松寺へ。山門手前には御主題の石碑があり、日蓮宗であることがわかる。こちらのお寺にも宮本武蔵作と伝わる庭があり、訪れた次第。
山門をくぐると、境内は大きな「聖僧樹」と呼ばれる栗の木やソテツなどがあり、緑豊か。「武蔵作の庭→」の看板があるのでそちらへ行ってみると、扉で閉ざされていて拝観できない。やはり、事前の電話連絡を入れておくべきかと反省し、とりあえず客殿?側へと戻り、御朱印をいただこうとピンポーンをする。
お寺の方が見えて、御朱印と同時に庭の拝観をお願いしてみると、「開けますのでどうぞ」と応じて下さり恐縮。御朱印を書いて下さる間、庭の方へと移動し、拝観。庭園についての冊子をいただき、絵図や説明を見ながらじっくりと観賞。書院からの眺めを視点にし、左手に“亀出島”、中央奥へと大滝、それを分ける“水分石”、右手に石橋が枯池に架かり、庭全体を眺めるための“礼拝石”が手前に配置されている。なんとなく池の形が「心」の形になっているような、私の勝手な見方ではあるが、武蔵もそう考えたかどうかはともかく、剣の道から芸術に通用するセンスも持ち合わせていたのかと想像する。
説明文には他にも、福聚院、雲晴寺、円珠院、明石公園に武蔵作の庭があるとされ、雲晴寺、明石公園は見ているが、あと2つも見てみたく、書き終えた御朱印帳を持ってきて下さったお寺の方に場所を教えてもらい、感謝×2で後にするのでした~

月照寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:22:41

本松寺から東へ、柿本神社の鳥居まで来ると、「亀の水」といわれる名水がある。枯れることのない霊泉で、万病に効くと看板に書かれていて、注ぎ口から滴り落ちる流水の涼やかなこと、暑さしのぎに一杯飲み、生き返る。
鳥居から石段を上がり、開けた参道に出ると、明石市立天文科学館の展望塔、子午線を示すトンボの標識が建ち、遠くに明石海峡大橋が見える高台にたどり着く。その高台には柿本神社の神門、すこし西側に歩くと月照寺の山門が横並びにあり、まずは月照寺から訪れる。
月照寺は、弘法大師が赤松山(現在の明石城跡)に餘鵜揚栁寺を創建したことにはじまり、創建から75年後、当時の揚栁寺の覚証和尚が大和の柿本山、広安寺より人麿念持仏であった、船乗十一面観音菩薩像を勧請し、寺号を月照寺と改め、時代を経て江戸時代、明石城築城の際、現在の地に移動し今に至っている(冊子参照)。
付け加えるならば、大和の広安寺は柿本人麻呂の邸宅があったところで、人麿が石見国(現島根県)に赴任するにあたり、寺に改め、本尊として船乗十一面観音菩薩像を安置、後に、覚証和尚が人麿の霊夢を感得し、その観音像を当山に移し、観音堂を造営している。なので、隣に柿本人麻呂を祀る神社があるように、明石と人麿が関係しているとはつゆ知らず、「へぇ~」と唸るばかり。
…ということで、境内に入ると、本堂、書院、庫裏とあり、東側にはあの観音堂がある。船乗十一面観音菩薩像は聖徳太子作と伝えられていて、持統天皇の念持仏として、人麿が帝から賜ったもの。それが上記のように今、月照寺に引き継がれてこの地に安置されているというから歴史を感じる。ちなみに、御開帳は60年に1度。今は何年目かわからないが、当然秘仏である。
本堂の前には立派なお白砂に梅や松が植えられ、清潔感にあふれ、夏の日差しのまぶしい中、カメラをパチリ。梅は「八房の梅」といい、赤穂浪士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助と共に、当寺に参詣して手植えしたと伝わり、1つの花に8つの実がなることから名付けられている。他にも人丸観音に、水琴窟、明石城にあった切手門を移築した山門、ふれ愛観音等を見、散策。御朱印をお願いしようとピンポーンすると、快く応じて下さり、お寺の方と少し立ち話。お礼を述べ後にする。

柿本神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:23:49

次はお隣の柿本神社へ。神門から境内に入ると、社殿へ続く参道が工事中で、暑い中、作業員が石畳を敷き詰めている。その脇を邪魔しないように社殿へと行き、お参り。気づいたら社殿内で宮司さんが祈祷をしている様子が見え、社務所で御朱印をいただこうにも、やはり“しばらくお待ち下さい”の貼紙があり、待つことにし、一旦、神門から抜け、明石海峡大橋が見渡せる高台で、水分補給をしながら黄昏る。
ここ、柿本神社は明石藩主であった小笠原忠政公が柿本人麻呂を崇敬していたこともあり、社殿を造営したのがはじまりであるが、奈良県にも確か柿本神社があって、訪れた記憶がよみがえる。奈良県葛城市のどこかの駅(忘れた…)の近くにあって立ち寄ったが、ひっそりとした境内に、どこか寂しいような哀愁を感じたことを憶えている。後で調べて分かったことだが、奈良県の柿本神社は、石見国で亡くなった人麿をこの地に改装し、人麿堂と呼ばれる社を建てたのがはじまり。明石藩主であった松平信之公が大和に転封され、領内に柿本村に人麿の墓と伝えるところがあると聞き、偶然にも柿本人麻呂に縁を感じ、神社の境内に「柿本大夫人麻呂之墓」の石碑を建立したとのことで、やはり明石とは昔からつながりがあったようだ。
歌道の神様、人麿も瀬戸内の和歌を残していることからも、ここからの明石の景色を眺めたのであろうかと思いながら旅愁に浸り、しばらくしてから社務所に戻り、無事に御朱印を頂き次へ。

明石市立天文科学館 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:27:14

行くつもりはなかったが、すぐ目の前の展望塔に惹きつけられ、明石市立天文科学館に行ってみることに。天文学はまったくの苦手分野。中学の理科のテストは、宇宙や星座についてまったく落第点で、未だによくわかっていない。
入口ゲートに行くと、観光バスが止まっていて、団体客が帰るとこで、さすが「明石の子午線」が有名であることがうかがえる。天文学が苦手な私でも、子午線は知っている(確か歴史で習ったような…)。真北と真南を結ぶ経線のことで、昔の方位を表す干支に準え、子(ね)と午(うま)で表している。東経135度の子午線は明治21年元日から全国で使うことになり、それまでは地方によって「時」が違っていたので、交通や通信に支障をきたすようになり、この日から日本標準時となった。その子午線の真上に建てられた展望塔はそのまま、日本の標式として現在に至っている(冊子参照)。
入口券売機でチケットを買い、受付でパンフレットをいただくと、プラネタリウムが2階で上映されるようで、ちょうど最終回の時間帯。プラネタリウムは小学生以来、人生で2回目。たぶん地元、名古屋市科学館で見たと思うけど、内容すら覚えていない。
…で、中に入ると、ドーム状360度、席が並び、案内の方が「北の方角の席に座ると見やすいですよ」ということで、そちらに座る。すでに先客がおり、家族連れが多いが、最終回なので、それほど数的には多くもない。
始まるまでパンフレットを見ていると、こちらのプラネタリウムは開館当時から稼働し続け、現役最古とのこと。星を“生み出す”投影方法を考え、集約された形があの、グロテスク?ではないが、独特な形になった“キカイ”は、まさに芸術性をも感じ、すごいなぁ~と見入る。座席はリクライニングになっていて、背もたれが“空”を見上げられるよう傾斜設計で、眠ってしまいそうなぐらい快適。
…と、案内役の女性が説明し始め、明石の昼間の状態から投影しだす。最初から暗くなるのかと思いきや、ちゃんと太陽が西に沈んでいくとこから徐々に夜へと移行していく自然の摂理に従い、今のプラネタリウムは昔に比べ進化したんだなぁ~と感心×2。夜になっても星は数えるほどしか見えない。街の明かりによって空を見上げても細かい星は光彩によって遮られ、都会では特にその現象が起こるようで、もし街の明かりをすべて消すと(…という説明とともに)…、「ここまで見えるものなのか~(心の声)」と、星屑が散りばめられて見える。
そして太陽系の説明、星座、今の時期は天の川や火星の大接近etcとわかりやすい。「へぇ~そうなのか~」と大の大人でも楽しめ、知識のない私でも「なるほど~」と勉強になり、朝陽が徐々に昇るとこまできて、投影説明は終わり、拍手が起こる。と、その瞬間、昔見たプラネタリウムのエンディングで、アニメ「一休さん」のエンディング曲が流れていたことを走馬灯のごとく思い出し、ちょっと感動。プラネタリウムでうるっとくるとは想像もせず、しばらく座席で余韻に浸る。
その後、3階の展示室、13、14階の展望室へ行き、明石の街を眺望。真南の子午線方向に目を向け、地球の地軸がズレていることを思い出し、この線は合っているだろうかなどと思い巡らすのでした~

本福寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:30:47

前回と同じ明石駅近くのホテルに宿泊し、翌朝、阪神・山陽1dayきっぷを購入、舞子公園駅へ。舞子からの高速バスを利用し、淡路島に渡る。久しぶりの明石海峡大橋を渡るバス車内は通勤客や夏休み観光客で賑わい、満車の中、東浦バス停で降り、本福寺を目指し歩く。
本福寺を知ったのは、淡路旅行をしているときに、たまたま読んだパンフレットに掲載されていて、蓮の咲く時期がイイということで訪れた次第。しかも、本福寺の水御堂は建築家の安藤忠雄氏の設計によるもので、これは一度訪れないと気が済まないと思い、淡路の地に降り立つ。
夏休み~といった山間の棚田から見下ろした先の大阪湾が広がる景色を見ながら、地図通り進むと、竹林の中に寺とは思わしくない円柱のような建造物がちらっと見える。「あれがそうか~」と思いながら、正面の山門の方へ回り込むと、駐車場があり、そこから大海の水面が太陽に反射し、眩しすぎてより暑さを感じる。拝観時間は9:00からなので、まだ30分はあり、しばらく日陰で持て余しながら境内を散策。
本福寺は平安時代後期に創建されたと伝えられ、京都の仁和寺の末寺で真言宗御室派。淡路四国の59番札所として、春にはお遍路さんで賑わうそうな。そんな中で、平成3年に鉄筋コンクリート造の本堂として建立された水御堂。時間となり、さっそく本堂へと歩を進めると、玉砂利が敷かれた敷地に、コンクリートの壁、その壁に挟まれたカーブの参道と、すでに芸術性を醸し出していて、蓮池のとこに出てくる。
蓮池は人工池で、円形の中央から地下へと階段が下り、池にはスイレンや大賀ハスが咲いていて見ごろ。写真を撮り、中央の階段を下っていくと、壁一面が朱色になっていて、弘法大師の画像が飾られている。受付のおばちゃんに拝観料と書置きの御朱印料を支払い、靴を脱いで細い通路を進むと、格子戸の先に、円形の空間が広がり、内陣には薬師如来像、脇侍の日光月光菩薩像、不動明王像、弘法大師像と祀られていて、不思議と近代的建築とマッチしている。考えたらここは、地下で、暗い洞窟の中に身を寄せ、お祈りをささげる一種の、信仰心漂う空間のような雰囲気を作っているのだろうかと思わせるほど、設計が考えられている。まさに芸術という面においても、近代的仏教建築、いや、未来的思考のような建築で、さすが!といった感じ。
なぜこんなお堂を造ったのだろうと後で気づき、ネットで調べたら、今はない三洋電機が絡んでいて(驚)、ここでは面倒くさいのでここを→http://like-awajishima.com/?p=99
…ということで、“蓮の中”でお参りし、宗教的な、芸術的な水御堂の雰囲気に触れるのでありました~

長徳禅寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:32:01

再び高速バスで本州へと戻り、舞子公園駅から西へ、明石を過ぎ東二見駅へ移動。駅から南へ15分ほど、長徳禅寺に到着。こちらのお寺は蓮で有名で、見頃のこの時期、HPにも紹介されていたので訪れる。
山門ではなく、裏手の墓地から失礼し、境内へと入ると、たくさんの甕が並び、蓮の花はそこそこ咲いている。蓮は午前中に咲きやすいということだが、つぼみが多く、まだこれからといった感じだが、境内を埋め尽くす蓮の葉の大きさたるや圧倒され、境内では住職さんだろうか、蓮の手入れをし、ホースで水を撒いている。
長徳禅寺の縁起はHPを見て頂くとして(めんどくさい…)、境内には百日紅が咲いていて、夏~という季節を感じながら撮影をし、本来は山門から入るとこに来ると、庫裏前には大きな籠にインコが数羽飼いならされていて元気がいい。やはりインコは熱帯育ちだからか、暑さには強いのだろうか、しばらく愛でて別れる。住職さんに御朱印について尋ねると、やってないとのことで、諦めて蓮の話題に。やはり“これから”ということで、ちょっと訪ねたのが早すぎたかなと思い、お礼を述べ後にする。

転法輪寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:33:05

東二見駅から東へ、明石、舞子公園駅を経て垂水駅へ。垂水駅東口からの山陽バスに乗り、中山バス停で下車。バス停は高速道が通る垂水JCTの近くで、高架橋から一般道へと階段を下り、交差点から坂道を上がっていく。
転法輪寺への参道道標の石碑から森林の中を歩いて行くと駐車場が見えて来て、駐車場正面には真横に隔てる石垣塀が続き、「あそこが本堂だな」と思い、石段を上がり立派な庭を横目に敷地内に入ると、「あれっ」と、そこは納経所で、「本堂はどこだ?」と、とりあえず呼び鈴を押す。御朱印をお願いしに伺うと、本堂のあるとこを教えてもらい、一旦御朱印帳を預け、駐車場東側からの道を進み、広い境内へと行く。
転法輪寺は神戸13仏霊場の1番札所。こちらも蓮の花が咲く池があるということで、この時期に訪れた次第。縁起は、平城天皇の病気平癒祈願のため、西尊(さいそん)上人により開創された大同寺と称する寺で、元は、東垂水の浜の方にあったとされている。ある日、現在の場所に釈迦転法輪の法窟があり、この峰に無量寿仏を彫刻し安置したなら、病気は治るだろうと、春日の神霊より夢のお告げがあり、帝はこの地に七堂伽藍を建立し、その仏像を安置したところ、忽ち回復されたとのこと(冊子参照)。その後、荒廃、再興され、転法輪寺と改められ、今に至っている。
そんな時代の変転を経験しながらの、境内の伽藍を眺め、桜の木々が植えてあることから、咲いた時期、そして散った時期の光景を想像し、時代を重ね合わせる。境内には本堂や不動堂、大師堂等あり、それぞれお参り。弁天堂のとこに行くと、池には背を越える蓮の葉が生い茂り、花がちらほらと咲いている。毎年7月海の日には蓮祭りが行われ、蓮の葉の茎を通して、酒を飲む接待があり、その飲むときの様子を、象が鼻を上げている姿に似ていることから「象鼻杯」と名付けられているそうな。
しばらく撮影をし、預けていた御朱印帳を取りに納経所へ戻り、“蓮愛で”を堪能しました~

駒林神社 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:34:08

垂水東口に戻り、再び山陽電車で板宿駅へ移動。板宿から神戸市バスで須磨水族館行きのバスに乗るためバス停を探すが、なかなか見つからない。地下から地上に出ると方角が狂ってしまい、どっちが北だか分からなくなってしまう。…で、そんなこんなで迷いながらも何とかバスに飛び乗り、駒ヶ林町東バス停で下車。目の前が駒林神社の境内に当たるが、鳥居は南側に当たるので、そちらに回る。
駒林神社を知ったのは平忠度関連で、神戸市長田区にも腕塚堂があり、こちらも地図上に近くの神社があることを見つけたから。
駒林神社の由緒には、水門の一部に当たる場所として、来朝する外国人を検問する玄蕃寮(現在の税関にあたる)の出先機関があり、その役所内に奉斎されたことに始まるとされている(ネット参照)。平清盛も上陸したとの記録もあり、“福原地域”には当然そうだろうとみる。
シンプルな境内の中、社殿でお参りし、社務所で御朱印をお願いし、一応、腕塚堂の行き方を尋ねてみる。バス停の大通りを西へ行けば、白い看板が建っているので、それを目印にと教えて下さり、お礼を述べ、その通りに行ってみる。

腕塚堂 - モリゾーのひとり言

2018/08/23 (Thu) 18:35:20

白い看板の目立つ説明書を読み、そこから矢印の案内どおり歩いて行くと、細い路地の入り組んだ道となり、大衆浴場のような看板を見つけ「こんなところに」と、隣ん家のエアコンの室外機が置いてある横に「うでづか」と刻まれた石碑や墓石が見える。
お堂の対面にある何体かのお地蔵さんは源平合戦の犠牲者を弔うためのものだろう、お堂でお参りするとき、背後から見守るかのようにこっちを見、格子戸で仕切られているのがかえって、あの世とこの世を分けている結界門のように見える。
平忠度の終焉の地は、先ほど紹介した明石市と神戸市長田区との説があり、どちらがということは県外人にとってどちらでも構わない。ただ忠度の生きざまがそこにあったというだけでいいのである。説明看板にはほぼ同じことが書かれていて、腕、腰、足にご利益があると。
ここの町の人たちは、その忠度の伝承を受け継ぎ、腰痛、ひざ痛などを治癒してくれるご利益に頼り、おばあちゃんたちがお参りする光景が目に浮かび、崇敬しているのだろうと想像する。

また27、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:38:29

久しぶりの投稿ですが…、昨今の豪雨やら猛暑やらで地球はどうなってしまうんだ~と、気になっているのは、地球の地軸がズレているとか、太陽の黒点が現れないなどの現象。日本にも異常気象がもたらす多大な影響に、昔は「地震、雷、火事、おやじ」(下2つは違うか…)な~んて言っていたけど、それはもう当たり前で、増えつつある天災は、もはや避けようがないリスクの中、生きるのも難しい時代になってきたと実感する。
…で、暑い…暑すぎる最中に旅行記を書くのもグータラになってしまい、なかなか思うように進まないが、汗をかきかき…、今回行きました…といっても7月ぐらい(忘れた…)に行った旅を紹介。

布引の滝 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:39:46

名古屋から新幹線で新神戸駅へ。今回の旅は、神戸13仏霊場の第6番札所である大龍寺を目指し、ちょっとした登山をする。大龍寺へはバスでも行けるが、土日祝日のみの運行となっていて、平日は1本もない。なので、片道1時間半ぐらいかけて歩く行程で、その途中途中には滝やダムがあり、神戸の再度山、摩耶山、六甲山へとつながるハイキングコースとなっている。
駅の観光案内所で地図を頂き、新神戸駅1階からすぐ、高架下をくぐり北へと抜けると、もうそこからハイキングコースとなっていて、最初の目的地「布引の滝」の案内看板があり、矢印の方向へ行く。すでに滝の音が耳に届いていて、水しぶきをあげ、白い瀑布が流れ落ちるイメージが浮かぶ。
ベンチのある広いスペースにたどり着くと、目の前に最初の雌滝が現れ、駅からこんな近いところに滝があるんだぁ~とちょっと驚。
「布引の滝」は、案内所でもらったパンフレットによると、この地は「布引」と呼ばれ、摩耶山、再度山の水を集め、六甲山系の水源で、雌滝、鼓ヶ滝、夫婦滝、雄滝と、布が垂れて落ちるように見えるとこから総称して「布引の滝」と、この名がついたとされている。ちなみに、華厳の滝、那智の滝と共に日本三大神滝とされているようで、徒歩5分ごとにそれぞれの滝を見ることができるとのこと。
雌滝を写真に収め、順番にそれぞれの滝を見、雄滝のとこまで来ると、高さ43mと、布引の滝の中では最長で水しぶきが風にあおられ飛んでくる。三大神滝と言われるだけあって、確かに神が宿っているかのように荘厳すら感じる。見ていても飽きないほど、滝壺に落ちる水煙の凄まじさに吸い込まれるかのようにしばらく凝視してしまい、マイナスイオンを浴びながらしばらく観賞~

写真は雄滝

五本松堰堤 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:41:08

川沿いの山道を登り、「猿のかずら橋」までくると滝山城跡への入口看板がある。戦国期に城主だった荒木村重が謀反を起こし、信長に攻め落とされた城で、頂上には石碑だけが残っているらしい。その入口の橋を越え、濃緑が光るモミジの木々が覆う森の中を、川のせせらぎを聞きながらしばらく歩き、すがすがしい。登山初級者にはうってつけの行路で、ちゃんと整った道や道標が立っているのでわかりやすい。登山服姿の人が慣れた足取りでスイスイ私を追い越し、この地ではハイキングコースとしては有名なところなのだろうと納得。
「五本松隠れ滝」というとこまで来て、写真を撮りながら少し休憩し、石段や急坂を上がると、見た目はレンガっぽい造りで仕切られた巨大な壁が見える。あれが水を堰き止めているダムだなっというのがわかり、さらに石段を上がると、大きな貯水池が広がり、「布引五本松堰堤」と刻まれた石碑が、記念写真を撮ってくださいといわんばかりにある。
写生するにはもってこいの場所で、遠くの緑が映える山々に、湖畔かと思えるような水面には空の雲が映り、水面の上を歩くかのごとく細い橋がハイキングコースの道程として続いている。その橋を振り返りながら歩くと、遠くの上空にはロープウェイの“籠”がひっきりなしに稼働しているのが見え、絵になる。紅葉の時期を想像し、さぞや、すばらしい景色が広がることだろうと、なかなかにこの光景を目に焼き付け、貯水池沿いの道を進む。

市ケ原 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:43:02

時間にして45分ぐらい経っただろうか。再度山と摩耶山方面に行く分岐点である市ケ原という場所に到達。山小屋のような茶屋だろうか、営業はしてない様子だが、鎖につながれていないワンちゃんが暇そうに登山客をもてなすようにウロウロしている。登山客に癒しを与える存在だろう「看板犬」に別れを告げ、茶屋から河川敷へと石段を下りると、キャンプやバーベキューができる河原が広がり、ごつごつした石を除けながら川に架かる簡易な板の橋を渡る。
「再度山 大龍寺方面」への道標を確認し、今度は整備されたコンクリート敷の九十九折りの坂道をひたすら登り、前に進む。この日は台風が接近している影響で風があり、涼しいが、汗は止まらず、Tシャツはビショビショ。休憩がてら水分補給をし、ようやく大龍寺の山門が見える駐車場までたどり着き、心の中で「ヤッター\(^_^)/」と叫ぶ。
だが、境内はさらに坂道を上がらなければならず、山門前で小休止。

大龍寺 - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:44:33

大龍寺は摂津国88霊場で1回訪れている。この時は休日運行されているバスで参拝した記憶があるが、境内がどうだったか忘れている。
山門を潜り、さらに上へと続く右曲がりの坂道を上がり、そこから仁王門、さらに石段が「これでもか!」というぐらいに見えてきて、1時間ちょい登山をしてきた私はもう笑うしかない。
なんとか登り切った境内には不動堂や毘沙門堂などの建物があり、それぞれに手を合わせしばらく散策。
大龍寺は寺伝によれば、和気清麻呂によって再度山山頂近くの斜面に開かれたとある。弘法大師が唐に渡る直前と帰国直後の2度、当寺を参詣し、修行地である現在の再度山公園に修法ヶ原の地名が残っている(ネット参照)。
神戸13仏霊場の御朱印をお願いしようと寺務所内に入ると、「どうぞどうぞ」と冷たいお茶で労ってくださり、以前、訪れたときもおもてなしされたことを思い出し、「そうそう」とこの雰囲気を味わう。冷たいお茶はありがたく、しっかりと飲み干し、御朱印もいただき、お礼を述べ、再び市ケ原へと戻る。

布引ハーブ園(1) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:45:54

今度は下りが続く坂道を歩き、市ケ原の河川敷まで来て、茶屋沿いの道に再び戻ってくると、摩耶山とハーブ園へ行く分かれ道の道標がある。市ケ原からハーブ園までは約2キロ(だったかな…)。
…といっても登山なので、その距離は平坦な道を普通に歩くのとは違い、疲労度がさらに増す。事前のネット情報調べでは、あるブログで、逆にハーブ園から下山された方の体験記を参考に、歩いて行けることを知り、今回の旅の計画に加えた次第で、ハーブ園とは砂子山の中腹にある植物をメインとした観光施設で、新神戸駅から西へ徒歩5分ほどにハーブ園行きの山麓駅、風の丘中間駅を経て、山頂駅へとロープウェイが運行されている。
なので、帰りはハーブ園に立ち寄り、ロープウェイを使って下山しようと考え、布引ハーブ園を目指す。
木々に覆われた登山道を進むと、段々、道幅が狭くなり、足元は生い茂る雑草で道筋が隠れ、分かりづらくなってくる。徐々に高見へと昇ると、1歩間違えば“奈落の底”。踏み出す足もゆっくりと慎重になる。休憩をはさみながら、ようやく明るい山頂に出て来て、ハーブ園施設の裏側に到着。イノシシ対策の門を開けて入り、達成感~。
とりあえず汗まみれのシャツを着替えたいと思い、トイレで着替え、ベンチで一休み~

布引ハーブ園(2) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:47:07

大分落ち着いてから、ハーブ園の案内所でチケットを購入し、園内を散策。ウェルカムガーデンと呼ばれる広いエントランスには欧風建築の建物に、外で食事ができるレストランを始め、英国風のバラ園、約80種の天然オイルの香り比べができる香りの資料館と回り、目移りしそうなおみやげコーナーに、ハーブの鉢植え等販売している。
ハーブ園山頂駅からは、神戸の街並みが絶景で、しばらく眺めカメラに収める。
…と、園内のアナウンスが…「雷雲の発生によりロープウェイが営業を中止するかもしれません…」
「えっ、そうなの(心の声)」と思いつつ、空を見上げれば確かに雲は多いが、ところどころ晴れ間がさしているのを確認し、「まだ大丈夫」と判断、風の丘中間駅までのガーデンエリアを散策しに坂道を下って行く。

布引ハーブ園(3) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:48:29

坂道を下ると「ハーブミュージアム」というエリアに、いろんな種類のハーブが展示してあり、手に触れて香りを嗅ぐ。看板説明では時間によって、ハーブガイドツアーというのがあって、ハーブについての知識を学ぶことができる。
家庭菜園のエリアではセロリやピーマンなどの野菜が植えられていて、ハーブとのコラボで“献立サラダ”のイメージを膨らませるのだろうか、おしゃれである。
道なりに進むと、ラベンダー園があり、摘み取った後だろうか、あの青紫の色彩は禿山のように薄い。ラベンダー園を過ぎると林の小道には紫陽花が脇を埋め、しばらく撮影に夢中になり時間を忘れてしまう。
「四季の庭」には、管理されている方々が忙しく手入れをしていて、「滝のパディオ」や「オリエンタルガーデン」といったエリアを見て回る。
道なりに下っていくと「風の丘 芝生広場」が広がり、遠くにユリ園の花が赤・黄と鮮やかに咲いていて絵になる。ゆっくりと散策し、風の丘中間駅に到着。ガーデン散歩はあっという間で、汗をかきかき苦労して登った山登りもすっかり忘れてしまい、最後はロープウェイで下る空中散歩を楽しみ、神戸の街並みを堪能するのでした~

神戸市立森林植物園(1) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:49:50

新開地駅の近くのホテルに宿泊。翌朝、三田行きの神戸電鉄に乗車し、北鈴蘭駅へ。春に行った有馬温泉の時とは違い、朝のラッシュ時に乗り合わせたので、当たり前だが電車は満員。降りた北鈴蘭駅では近くに高校があるのだろう、学生たちに交じり駅前のバス停を目指す。
神戸市立森林植物園へのアクセスは、三宮駅から、昨日訪れた大龍寺のバス停を経由して終点、森林植物園までのバス路線があるが、土日祝日だけの運行であることは御存知の通りで、平日で公共交通機関を使うならば、2つ、みなと観光バスが運行する三宮―新神戸―桜森町バスセンター終点で、そこから15分ほど歩く行程と、北鈴蘭駅から直通の無料シャトルバスがある。HPを見ると、この時期、あじさい祭りの企画で無料シャトルバスがいつもより増便をしており、今回は台風が接近しているので、なるべく午前中に済ませようと、朝早くから訪れた次第。
バス停で待っていると、乗客は7、8人とまぁまぁこんなもんかと、名古屋から来ている人なんていないだろうなぁ~と思いながら、バスに揺られ、あっという間に到着。
入口ゲートで入園料300円を支払い(安い!)地図をいただく。目当てはあじさい。まずは北側に位置する多目的広場のエリアに、西洋あじさい園があるので移動。西六甲ドライブウェイの高架下をくぐり、すぐ、いろんな種類のあじさいが展示、植栽されている。
手毬のようなあじさい、額あじさい、全国各地方の変わった品種のあじさいがあり、写真に収めていく。一通りあじさい園を散策し、高架下へと坂道を下っていくと白いあじさい(アナベル)がいっぱいに広がりすばらしい。一輪の花もいいが、数百本まとまった姿もなかなかに迫力がある。充分堪能し、次へ。

神戸市立森林植物園(2) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:51:07

南側エリアは広い。総面積142.6ヘクタールの規模で、冊子によれば、六甲山地の西側に位置し、世界各地の樹木を植栽し、四季折々の森の自然をコンセプトに風景を楽しむ植物園であるとなっている。
なので、地図を広げ、どう回ろうか思案し、まずは“あじさい坂”を下っていく。両脇にはあじさいが咲く坂をゆっくりと散策し、西側の森林が生い茂る区域へと行く。今はもう葉っぱだけだが、春に咲く桜やシャクナゲ、ツツジなどの木々が植えられているところもあれば、赤松やメタセコイヤの照葉樹区域があり、森林浴を楽しむ。
うさぎ小屋もある。金網越しから写真を撮り、まだ午前中だからか、動かないうさぎを見ては癒される。途中、道を歩いていると、後ろから「おはようございます~」と、職員らがゾロゾロと私を追い越し、よく見ると若人が多く、西門付近で教育実習のようなことをしている。植物に関する知識を学ぶのだろう、新入社員といったところか、真面目そうである。

神戸市立森林植物園(3) - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:52:28

西門からヒノキやスギの木々が並ぶ針葉樹の区域へと移り、トンネルを抜け、ヨーロッパ、アメリカ地区としているとこを過ぎると、カモシカを飼育している場所がある。
誕生日を迎えたカモシカを紹介しており、金網越しに遠くの斜面に1頭佇んでいて、「ああ、また人間が来たか」とちらっとこっちに顔を向け、何事もなかったかのように身動きしないままに。カモシカもまだ寝起きなのだろうと、こちらもパチリと写真を撮り、近くの長谷池というところへ移動。
長谷池には水草が浮かび、スイレンが見ごろを迎えている。太陽が照らす水面を見ながら、一周し、もう時期が過ぎた菖蒲が一輪だけ咲いていて、“仲間”は暑さに萎んだかのように退散したようで、この菖蒲も“元気”がない。
さて、今度は東側の道へと歩を進める。「ブリスベーンの森」という表示がしてある坂道を上がり、ブラシノキ(オーストラリア原産)という見慣れない、たわしのような花をカメラに収め、広い敷地に出ると、芸術作品のオブジェや西洋建築の休憩所があり一休み。冊子によると、この区域は国際港都「神戸」の姉妹都市提携を記念して作られた森で、他にも「シアトルの森」「リガの森」「天津の森」があるとのこと。
一息ついてから“各森”を散策していると、ある一角に、いのしし除けのフェンスが施されている。そういえば、散策していて、いたるところに盛土が設置されており、足跡(におい)を残さない?ための対策として、足跡に土をかぶせることをしているようで、この森では、野生のいのししが生息しているのがわかる。猪突猛進…、「こわいわ~」と思いながらも、ヘビとか鹿とかいるんだろうなぁ~と、この森は“山の主”と共生し、さすが「六甲山~」といった感じ。
園内の中央、あじさい園にやってくると、お客さんが大勢いる。2時間くらいは経っただろうか、この時間になると、来園客も多く、あじさいを愛で、楽しんでいる。今年はこれであじさいも見納めであろうと、充分飽きるほど堪能し、正面ゲートへと戻る。

カレーうどん - モリゾーのひとり言

2018/08/09 (Thu) 17:53:45

森林展示館がある管理事務所や売店のとこに来ると、ソフトクリームの看板が立っていて立ち止まる。この近くに弓削牧場という農場があり、そこでとれる牛乳を使用した食事ができるようで、昼前だが立ち寄ることに。お客さんは2、3人の中、カレーうどんとヨーグルト(ブルーベリー入り)を注文し、早速ズルズルとすすっていると、カレーの匂いに誘われた?のか、続々とお客さんが入店してきて、レジで同じカレーうどんの注文をしている。「カレーうどん、ハンバない」と、いつの間にか席が埋まってきて、レストラン並みに繁盛しだす。ヨーグルトもおいしくいただき、さすが牧場生産のことはあるな~と堪能~。
今回は台風が近づいていることもあって、正午近くに退園。登山、森林散策の旅となりました~

また26、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:12:23

夏日に近い春にうんざりして、昨今の世の中、どうなってんだ~と、いろんな不祥事と異常気象を結びつけてしまう、ネガティブな考えを払拭しようと、4月中旬、引き続き春の旅をしに、行ってきましたよ~

如意寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:13:21

前回の有馬温泉旅からはじまった神戸13仏霊場めぐり。今回は、3番札所の如意寺へ。JR三宮駅から地下鉄に乗り換え、西神南駅で下車。ここは神戸市西区にあたり、南には明石市、北には三木市に囲まれた土地柄である。
駅を降りてしばらく歩いていると、「あれっ!」と、どうやら道に迷ってしまい、地元の人に尋ねる。用意した地図を見たのに、まったく逆方向に移動していて、教えてもらったとおり、再び駅に戻り、新興マンションがずらりと建つ住宅を見上げながら、地図通り歩いていく。道中、金網で仕切られた通行禁止の道路に、「え~」と嘆きながら、違うルートを探索し、地図上では如意寺は公園の北側に位置しているので、公園内から行けないかと、広い敷地に入る。
広すぎる公園内を横切っていくと、鬱蒼と茂る森林側に1か所だけ、黄色い花をつけた枝木が垂れ下がっているのが見え、よく見ると、そこは階段が上へと続いている。「ひょっとして…」と思い、ここは勘で、そこから上がり、ハイキングコースのような山道が続いていて、しばらく歩く。途中、地元の方にお会いし、如意寺の行き方を教えてもらい、やはり勘があたり、今度は山道を下っていく。
前日の雨で、ぬかるんだ土や水たまりを避けながら、視界が開けてくると、一本の細い道路に出て、如意寺の看板があり一安心。如意寺の入口まで来ると、ツツジが花を咲かせ、境内へと坂道が続く。
看板には、如意寺は今から千年ほど前、願西上人によって開かれたとされる天台宗の古刹で、地蔵菩薩を本尊としていると。古文書には「地蔵堂に土地を寄進する」という記述があることから、そのころに寺観が整いつつあったようで、中世から近世にかけて興隆を誇ったとある。境内に入ると、国指定重文の文殊堂をはじめ、阿弥陀堂、三重塔の建造物が建ち、奥には本堂が建っていたとされる礎石跡がある。木々に囲まれ、鶯のホーホケキョが時折響き、新緑のモミジの木々が青々と目立つ。静かな雰囲気の中、しばらく境内を散策し、門で仕切られた寺務所と思われる住居で御朱印をお願いし、次へ。

性海寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:14:24

 “行き”と同じ道を歩き、駅に戻る。思っていたよりも大分時間を消費してしまったと思いつつ、地下鉄西神南駅から終点、西神中央駅で下車。運動競技場のような広い印象を持つバスターミナルから神姫バスに乗り、性海寺前バス停へ。
5番札所の性海寺は行基菩薩が開基。白河天皇の御代に、奈良より叡尊が来住し、学山として大いに栄えたとある。叡尊といえば、鎌倉時代中期の僧。廃れかけた戒律を復興し、衰退していた西大寺を再興した人物である。戦国時代は秀吉の三木城攻略の兵火によって焼失し、江戸時代に再興、明治維新まで24の塔頭が存在していたとされる。
かつて、播磨西国の巡礼で訪れたことがあり、なんとな~く覚えている感じ。バス停からは明石川の支流(何ていう名の川かわからない)沿いを道なりに進めば、性海寺にたどり着けるので分かりやすい。途中の塔頭寺院、龍華院の山門前には、五重塔や石像などのいろんなオブジェ?が建っている庭があり、思わず立ち止まる。「そうそう、こんなんあった!」と思い出しながら、橋を渡り性海寺の境内へ。
段差のある本堂前に立ちお参り。本堂はいかにも、“壊れそうな?”造りの古いお堂で、正面の板戸は固く閉ざされ、中は見えない。本堂横には、藁葺屋根のお堂に、八幡神社の社が建ちシンプル。隣の敷地には塔頭寺院の福智院があるので、ここで御朱印をお願いしに行く。
お寺の方から「中に入りましたか?」と聞かれ、「いえ、入れないんですけど…」と言うと、「本堂の横に戸があるので、そこから入れますよ」と。…なので、御朱印を書いて下さる間、もう一度本堂へ行ってみることに。
本堂側面の戸に、「入口」と赤字で書かれていて、矢印の方向に引くと「開いた!」。全然気づかなかったことを恥じ、真っ暗の中を入る。電灯スイッチがあるので、パチンと「入」にすると、点かない…。そんな中、とりあえずもう一度手を合わせ、本堂内部を見回し、格子で仕切られた内陣の中を覗くが、真っ暗でわからない。賽銭箱が3つ、あるので、何かが祀られているのは間違いなさそうだが…本尊は如意輪観音なので、真ん中がそうだろう。左右2つはわからないまま、とにかく手を合わせたことだけでも「いいか!」と楽観し、そういえば、前回来た時は「こんなんだっけ?」と、記憶は曖昧。たぶん、本堂の中に入ってもいないのかも、と考えながら福智院に戻る。
飼い犬の“警戒ワンワン”に気づき、お寺の方が御朱印を持ってきて下さり、お礼を述べ後にする。

明石焼 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:15:31

性海寺前バス停でバスを待っていると、杖をついた老人に声を掛けられ、ちょいと談笑。
「ここは、な~んもないところだからね~、名産品もない、自給自足の畑だけじゃよ~」と言って立ち去っていく。「はぁ…」と、老人の後ろ姿を見送りながら、神戸市でもこういう土地柄は普通ちゃ普通~で、今ネットで騒がれている東播磨のふるさとアピールPVの自虐ネタを思い出す。姫路や神戸は有名なものや知名度があるが、その間の東播磨地域にはないという内容の兵庫県が制作したPVが問題となっているが、まぁ~、詳しいことは調べていただくとして、その土地の良さというものはそれぞれにあるもので、地域の特性は比べるものではない、と私は思う…とはいいつつも、大衆に流されるのが世の常、地域発展のための自己PRもしかり、アピール合戦は続くだろう。
…で、西神中央駅に戻り、今日はここまで。明石駅行きのバスに乗り、居眠りをしている間、あっという間に明石駅に到着。駅近くのホテルを予約しているが、チェックインするにはまだ早いので、念願だった明石焼を食べに行くことに。
駅から南へ、東西に続く「魚の棚商店街」のアーケードを歩くと、新鮮な魚介類、佃煮屋さんが並ぶ、活気あるお店を見ながら、○○○さんに入店。ピークは過ぎた時間帯だったので、客数は私を含め3人。入口でたこ焼き機を扱う店員さんに挨拶し、席に着きさっそく注文。壁に張り出されているメニューには「ミックス焼き」というタコとアナゴが入った明石焼があり、高値だがそれをお願いする。
待っている間、壁に貼られた芸能人のサイン色紙を見、有名な店なのだろう、一通り見ていき、そうこうしていると、大きなまな板?に15個の明石焼が均等に並び、出汁と三つ葉が目の前に置かれる。店員さんに撮影の許可をいただき、さっそく実食。
…とその前に、明石焼について。ネットで調べるまでは明石焼って、たこ焼きと変わらないんでしょ!っと、県外人にとってはそう思っていたが、どうやら違うようで、地元、明石の人は明石焼を「玉子焼」というそうな。なので、生地が大阪の粉ものに対し、明石焼は玉子で仕上がっている。食べ方は出汁につけて食べるのが定番で、他の店ではうどんやラーメンに入れてというのもあるそうだ。
…で、まずはそのままパクリ(「熱っ!」)。熱いので、普通のたこ焼きの味にしか感じない。
2個目はお好みソースをつけてパクリ。まだまだたこ焼きの味にしか感じない。
3個目は三つ葉を入れた出汁につけパクリ。「ち、ちがう!たこ焼きじゃない!」
印象は茶わん蒸しを食べているような味で、やっぱり玉子なんだと、改めて納得。ハフハフしながらソース、出汁と味を変えながら堪能~。
…と、8個目を食べ終えたとき、店内の隅でTVカメラを前にインタービューに答えるおばちゃん(たぶん店主さん?)がいる。その様子を食べながら見ていると、「明石には何もないですが、原因は何だと思いますか?」と、意地悪な質問におばちゃんは困った様子。これって、ふるさとアピールPVのことを撮っているのか~と想像し、東京のTV局が取材に来ていたらしい(朝の有名な情報番組)。取材人は他のお客さんにも声をかけていて、その様子を撮っている。
客はあと私だけ。「うわ~、いややわ~、絶対こっち来るやん!(心の声)」と、急いでパクパクと食べ、そそくさと精算。レジで店員さん同士の会話を耳にし、「なんやねん、あれ」と嫌な感、まるだし。
「いや~、分かります分かります(心の声)」と同情し、後味悪く立ち去るのでした~

薬師院 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:16:27

翌朝、JR明石駅からJR魚住駅へ移動。駅から“たこバス”と呼ばれるコミュニティバスに乗り、ぼたん寺口バス停へ。ぼたん寺と呼ばれる薬師院は、当たり前だが、牡丹で有名なお寺で、ネットで見つけて訪れた次第。神戸新聞に、もうすでに咲いているという情報をつかみ、桜同様、今年は暖かい気候に何もかも早めの開花となっている。
薬師院は奈良時代、行基菩薩が当地に錫杖でうがったところ、霊水が湧き出て、中から薬師如来の尊像を得て、創建されたとあり、平安時代には七堂伽藍の興隆、南北朝や応仁の乱の兵火で焼失、江戸時代に再興されたとある(冊子参照)。
牡丹は明治時代、住職の珠忍法印によって植えられて以来、今では二千本50種類があると。そんな薬師院の山門に到着すると、山門前には池があり、湧き出た霊水なのだろうかと想像する。
拝観券をどこぞの飲食店のような券売機で買い、中に入ると、弘法大師生誕1200年を祈念して祀られた「さづけ地蔵」、閼伽井の庭、ぼたん祭りに合わせ、白いテントが建てられていて、本堂でお参り後、奥の庭へと移動する。拝観券を渡し、ぼたん園に入り撮影開始。
赤・白・黄色~と、いろんな種類の牡丹が色を添え、ツツジやサツキ、菖蒲まで咲いている。牡丹も暑さには弱いのか、すだれ屋根で日差しを遮、すっくと大輪を開いている。撮影を終えたころになると、参拝客も多く賑わいはじめ、入れ違いに寺務所へ行き、御朱印をお願いする。
こちらのお寺は明石西国と播磨八薬師の霊場があり、両方をお願いし、後にする。

住吉神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:17:31

薬師院から南東方向へ一本の細い道路を行けば、住吉神社に行き当たる。こちらの神社で藤の花が見ごろを迎えていると、情報を得、行ってみることに。…というのも、薬師院でお会いした参拝客とお話をしたときに、住吉神社の話題になり、神社の存在は知っていたが、藤の花が咲いているとは知らず、しかも、もう藤の花が?という驚きに、訪ねることに。
神社の裏手から境内に入る形で、いきなり藤の花に“遭遇”~。
「早い、早すぎるよ~」と思いつつ、紫に彩る“天蓋”を眺め、撮影開始~。
イメージではだいだい、ゴールデンウィークぐらいに咲く花とばかり思っていたが、今年はすべてズレ込んでいて、ハスやスイレンとかも、この分だと5月には咲くんではないかい、っと、予想が難しい。
立て看板には、この藤は「祓除(はらい)の藤」と呼ばれていて、御神木とされている。大阪にある住吉大神のお告げで海に流した藤の枝が流れ着いて、この地に社を建てたのがこの神社の始まりという伝承があるそうな。「へぇ~」と感心しながら、藤の花を眺めつつ限をつけ、本殿へと、神社の摂社末社が祀られている社を見、正面へと回り込む。
境内は大きな楼門、能舞台、拝殿と、縦に並び、まずはお参り。能舞台には5/1から奉納能楽会が行われる催しの案内が表示され、ゴールデンウィーク、賑わう姿を想像する。
拝殿の横には社務所があり、御朱印をお願いしに行くと、地元の企業や氏子さんだろうか、例祭の後援会として、お布施?支援金?を宮司さんに渡している。“ごひいきに~”とは言わないが、地元の神社らしく崇敬されているんだぁ~と、ちょっとした行列を見、その後で御朱印をいただく。
楼門から鳥居の方へ下っていくと、“松の公園”に、目の前は海が広がり、数台のボートが停泊している。海からこんなに近い神社なんだぁ~と初めて知り、津波が押し寄せてきたら一たまりもないなと、阪神大震災のときはどうだったんだろうと、それなりの被害はあったに違いないと想像する。
潮の匂い、穏やかな海を眺め、しばらくこの平和な風景を堪能するのでした~

相楽園 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:18:33

住吉神社から歩いて山陽魚住駅へ。明石駅でJRに乗り換え、新長田駅で地下鉄に乗り換え、県庁前駅で下車。駅から北へ、緩やかな上り坂を歩けば、兵庫県庁、そして相楽園の正門がで~んと立派に建っている。
ネットでツツジの名所として情報を得、立ち寄った次第で、平日にもかかわらずお客さんは多い。
神戸市が運営している相楽園は元神戸市長の小寺謙吉氏の先代、小寺泰次郎氏の本邸に営まれた庭園で、明治18年頃から着手し、末期に完成したもの。園内には旧小寺家厩舎、旧ハッサム住宅、船屋形等の建物があり、池泉式回遊庭園となっていて、ツツジやモミジの季節が一番見事とのこと(冊子参照)。
さっそく正門から入り、受付で入園券を支払い、いざ。
右に緩やかなカーブを歩けば立派なソテツがすっくと生え、鹿児島から取り寄せた樹齢300年ほどと、かなりの年代もの。順路どおり進むと、旧小寺家厩舎と旧ハッサム住宅が並び、周辺のツツジが見ごろである。
旧ハッサム住宅は英国人貿易商のハッサム氏が異人館街に建てて実際住んでいたもので、木造2階建て、和洋折衷を施した建造物。わが愛知県犬山市にある「明治村」にも洋館ぽい建物はいっぱい見たことがあるが、まさにそれで、屋根には、サンタクロースが入りそうな、煉瓦でできた煙突がある。内部公開をしているので中に入ると、白い壁に暖炉、窓はよろい戸付きの張り出し出窓、植物や花を模った装飾、小ホール、応接室、居間、食堂、浴室等々の部屋があり、実際に営んだ生活感が垣間見える。一通り内部を見学し、外に出ると、前庭には傾いた煉瓦の煙突があり、阪神大震災で室内に落下、屋根や天井の床を修復し、震災の記憶を後世に留めるために展示されてある。今は修復された煙突が見えるが、落下した煙突を見、地震の揺れがどれほどのものか、想像に値する。
旧ハッサム住宅に別れを告げ、スロープを下り、庭園入口から中へ、池を一周する形で散策。霧島ツツジ、平戸ツツジと満開で、一部ではサツキまでもうすでに咲いている。ゆっくりと庭園を撮影しながら、新緑の中を歩き、芝生広場というとこに行くと、和菓子を販売していて、どら焼きと柏餅を購入。「お茶も金取るの~(心の声)」と、やんわりと断り、持参ペットボトルのお茶で充分、休憩所で座って一息。ツツジといえば、京都の長岡天満宮、愛知県蒲郡市のクラシックホテル、三重県伊勢市朝熊山、奈良県御所市の葛城山等、名所を旅した記憶がよみがえるが、まだまだ全国には知らない土地柄があるので、まだまだ知らない土地を訪ねたい…と思いながら、美しいものを見た後の茶菓は一味違い、しばらく堪能するのでした~


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