寺社仏閣 ご朱印の旅

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また26、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:12:23

夏日に近い春にうんざりして、昨今の世の中、どうなってんだ~と、いろんな不祥事と異常気象を結びつけてしまう、ネガティブな考えを払拭しようと、4月中旬、引き続き春の旅をしに、行ってきましたよ~

如意寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:13:21

前回の有馬温泉旅からはじまった神戸13仏霊場めぐり。今回は、3番札所の如意寺へ。JR三宮駅から地下鉄に乗り換え、西神南駅で下車。ここは神戸市西区にあたり、南には明石市、北には三木市に囲まれた土地柄である。
駅を降りてしばらく歩いていると、「あれっ!」と、どうやら道に迷ってしまい、地元の人に尋ねる。用意した地図を見たのに、まったく逆方向に移動していて、教えてもらったとおり、再び駅に戻り、新興マンションがずらりと建つ住宅を見上げながら、地図通り歩いていく。道中、金網で仕切られた通行禁止の道路に、「え~」と嘆きながら、違うルートを探索し、地図上では如意寺は公園の北側に位置しているので、公園内から行けないかと、広い敷地に入る。
広すぎる公園内を横切っていくと、鬱蒼と茂る森林側に1か所だけ、黄色い花をつけた枝木が垂れ下がっているのが見え、よく見ると、そこは階段が上へと続いている。「ひょっとして…」と思い、ここは勘で、そこから上がり、ハイキングコースのような山道が続いていて、しばらく歩く。途中、地元の方にお会いし、如意寺の行き方を教えてもらい、やはり勘があたり、今度は山道を下っていく。
前日の雨で、ぬかるんだ土や水たまりを避けながら、視界が開けてくると、一本の細い道路に出て、如意寺の看板があり一安心。如意寺の入口まで来ると、ツツジが花を咲かせ、境内へと坂道が続く。
看板には、如意寺は今から千年ほど前、願西上人によって開かれたとされる天台宗の古刹で、地蔵菩薩を本尊としていると。古文書には「地蔵堂に土地を寄進する」という記述があることから、そのころに寺観が整いつつあったようで、中世から近世にかけて興隆を誇ったとある。境内に入ると、国指定重文の文殊堂をはじめ、阿弥陀堂、三重塔の建造物が建ち、奥には本堂が建っていたとされる礎石跡がある。木々に囲まれ、鶯のホーホケキョが時折響き、新緑のモミジの木々が青々と目立つ。静かな雰囲気の中、しばらく境内を散策し、門で仕切られた寺務所と思われる住居で御朱印をお願いし、次へ。

性海寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:14:24

 “行き”と同じ道を歩き、駅に戻る。思っていたよりも大分時間を消費してしまったと思いつつ、地下鉄西神南駅から終点、西神中央駅で下車。運動競技場のような広い印象を持つバスターミナルから神姫バスに乗り、性海寺前バス停へ。
5番札所の性海寺は行基菩薩が開基。白河天皇の御代に、奈良より叡尊が来住し、学山として大いに栄えたとある。叡尊といえば、鎌倉時代中期の僧。廃れかけた戒律を復興し、衰退していた西大寺を再興した人物である。戦国時代は秀吉の三木城攻略の兵火によって焼失し、江戸時代に再興、明治維新まで24の塔頭が存在していたとされる。
かつて、播磨西国の巡礼で訪れたことがあり、なんとな~く覚えている感じ。バス停からは明石川の支流(何ていう名の川かわからない)沿いを道なりに進めば、性海寺にたどり着けるので分かりやすい。途中の塔頭寺院、龍華院の山門前には、五重塔や石像などのいろんなオブジェ?が建っている庭があり、思わず立ち止まる。「そうそう、こんなんあった!」と思い出しながら、橋を渡り性海寺の境内へ。
段差のある本堂前に立ちお参り。本堂はいかにも、“壊れそうな?”造りの古いお堂で、正面の板戸は固く閉ざされ、中は見えない。本堂横には、藁葺屋根のお堂に、八幡神社の社が建ちシンプル。隣の敷地には塔頭寺院の福智院があるので、ここで御朱印をお願いしに行く。
お寺の方から「中に入りましたか?」と聞かれ、「いえ、入れないんですけど…」と言うと、「本堂の横に戸があるので、そこから入れますよ」と。…なので、御朱印を書いて下さる間、もう一度本堂へ行ってみることに。
本堂側面の戸に、「入口」と赤字で書かれていて、矢印の方向に引くと「開いた!」。全然気づかなかったことを恥じ、真っ暗の中を入る。電灯スイッチがあるので、パチンと「入」にすると、点かない…。そんな中、とりあえずもう一度手を合わせ、本堂内部を見回し、格子で仕切られた内陣の中を覗くが、真っ暗でわからない。賽銭箱が3つ、あるので、何かが祀られているのは間違いなさそうだが…本尊は如意輪観音なので、真ん中がそうだろう。左右2つはわからないまま、とにかく手を合わせたことだけでも「いいか!」と楽観し、そういえば、前回来た時は「こんなんだっけ?」と、記憶は曖昧。たぶん、本堂の中に入ってもいないのかも、と考えながら福智院に戻る。
飼い犬の“警戒ワンワン”に気づき、お寺の方が御朱印を持ってきて下さり、お礼を述べ後にする。

明石焼 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:15:31

性海寺前バス停でバスを待っていると、杖をついた老人に声を掛けられ、ちょいと談笑。
「ここは、な~んもないところだからね~、名産品もない、自給自足の畑だけじゃよ~」と言って立ち去っていく。「はぁ…」と、老人の後ろ姿を見送りながら、神戸市でもこういう土地柄は普通ちゃ普通~で、今ネットで騒がれている東播磨のふるさとアピールPVの自虐ネタを思い出す。姫路や神戸は有名なものや知名度があるが、その間の東播磨地域にはないという内容の兵庫県が制作したPVが問題となっているが、まぁ~、詳しいことは調べていただくとして、その土地の良さというものはそれぞれにあるもので、地域の特性は比べるものではない、と私は思う…とはいいつつも、大衆に流されるのが世の常、地域発展のための自己PRもしかり、アピール合戦は続くだろう。
…で、西神中央駅に戻り、今日はここまで。明石駅行きのバスに乗り、居眠りをしている間、あっという間に明石駅に到着。駅近くのホテルを予約しているが、チェックインするにはまだ早いので、念願だった明石焼を食べに行くことに。
駅から南へ、東西に続く「魚の棚商店街」のアーケードを歩くと、新鮮な魚介類、佃煮屋さんが並ぶ、活気あるお店を見ながら、○○○さんに入店。ピークは過ぎた時間帯だったので、客数は私を含め3人。入口でたこ焼き機を扱う店員さんに挨拶し、席に着きさっそく注文。壁に張り出されているメニューには「ミックス焼き」というタコとアナゴが入った明石焼があり、高値だがそれをお願いする。
待っている間、壁に貼られた芸能人のサイン色紙を見、有名な店なのだろう、一通り見ていき、そうこうしていると、大きなまな板?に15個の明石焼が均等に並び、出汁と三つ葉が目の前に置かれる。店員さんに撮影の許可をいただき、さっそく実食。
…とその前に、明石焼について。ネットで調べるまでは明石焼って、たこ焼きと変わらないんでしょ!っと、県外人にとってはそう思っていたが、どうやら違うようで、地元、明石の人は明石焼を「玉子焼」というそうな。なので、生地が大阪の粉ものに対し、明石焼は玉子で仕上がっている。食べ方は出汁につけて食べるのが定番で、他の店ではうどんやラーメンに入れてというのもあるそうだ。
…で、まずはそのままパクリ(「熱っ!」)。熱いので、普通のたこ焼きの味にしか感じない。
2個目はお好みソースをつけてパクリ。まだまだたこ焼きの味にしか感じない。
3個目は三つ葉を入れた出汁につけパクリ。「ち、ちがう!たこ焼きじゃない!」
印象は茶わん蒸しを食べているような味で、やっぱり玉子なんだと、改めて納得。ハフハフしながらソース、出汁と味を変えながら堪能~。
…と、8個目を食べ終えたとき、店内の隅でTVカメラを前にインタービューに答えるおばちゃん(たぶん店主さん?)がいる。その様子を食べながら見ていると、「明石には何もないですが、原因は何だと思いますか?」と、意地悪な質問におばちゃんは困った様子。これって、ふるさとアピールPVのことを撮っているのか~と想像し、東京のTV局が取材に来ていたらしい(朝の有名な情報番組)。取材人は他のお客さんにも声をかけていて、その様子を撮っている。
客はあと私だけ。「うわ~、いややわ~、絶対こっち来るやん!(心の声)」と、急いでパクパクと食べ、そそくさと精算。レジで店員さん同士の会話を耳にし、「なんやねん、あれ」と嫌な感、まるだし。
「いや~、分かります分かります(心の声)」と同情し、後味悪く立ち去るのでした~

薬師院 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:16:27

翌朝、JR明石駅からJR魚住駅へ移動。駅から“たこバス”と呼ばれるコミュニティバスに乗り、ぼたん寺口バス停へ。ぼたん寺と呼ばれる薬師院は、当たり前だが、牡丹で有名なお寺で、ネットで見つけて訪れた次第。神戸新聞に、もうすでに咲いているという情報をつかみ、桜同様、今年は暖かい気候に何もかも早めの開花となっている。
薬師院は奈良時代、行基菩薩が当地に錫杖でうがったところ、霊水が湧き出て、中から薬師如来の尊像を得て、創建されたとあり、平安時代には七堂伽藍の興隆、南北朝や応仁の乱の兵火で焼失、江戸時代に再興されたとある(冊子参照)。
牡丹は明治時代、住職の珠忍法印によって植えられて以来、今では二千本50種類があると。そんな薬師院の山門に到着すると、山門前には池があり、湧き出た霊水なのだろうかと想像する。
拝観券をどこぞの飲食店のような券売機で買い、中に入ると、弘法大師生誕1200年を祈念して祀られた「さづけ地蔵」、閼伽井の庭、ぼたん祭りに合わせ、白いテントが建てられていて、本堂でお参り後、奥の庭へと移動する。拝観券を渡し、ぼたん園に入り撮影開始。
赤・白・黄色~と、いろんな種類の牡丹が色を添え、ツツジやサツキ、菖蒲まで咲いている。牡丹も暑さには弱いのか、すだれ屋根で日差しを遮、すっくと大輪を開いている。撮影を終えたころになると、参拝客も多く賑わいはじめ、入れ違いに寺務所へ行き、御朱印をお願いする。
こちらのお寺は明石西国と播磨八薬師の霊場があり、両方をお願いし、後にする。

住吉神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:17:31

薬師院から南東方向へ一本の細い道路を行けば、住吉神社に行き当たる。こちらの神社で藤の花が見ごろを迎えていると、情報を得、行ってみることに。…というのも、薬師院でお会いした参拝客とお話をしたときに、住吉神社の話題になり、神社の存在は知っていたが、藤の花が咲いているとは知らず、しかも、もう藤の花が?という驚きに、訪ねることに。
神社の裏手から境内に入る形で、いきなり藤の花に“遭遇”~。
「早い、早すぎるよ~」と思いつつ、紫に彩る“天蓋”を眺め、撮影開始~。
イメージではだいだい、ゴールデンウィークぐらいに咲く花とばかり思っていたが、今年はすべてズレ込んでいて、ハスやスイレンとかも、この分だと5月には咲くんではないかい、っと、予想が難しい。
立て看板には、この藤は「祓除(はらい)の藤」と呼ばれていて、御神木とされている。大阪にある住吉大神のお告げで海に流した藤の枝が流れ着いて、この地に社を建てたのがこの神社の始まりという伝承があるそうな。「へぇ~」と感心しながら、藤の花を眺めつつ限をつけ、本殿へと、神社の摂社末社が祀られている社を見、正面へと回り込む。
境内は大きな楼門、能舞台、拝殿と、縦に並び、まずはお参り。能舞台には5/1から奉納能楽会が行われる催しの案内が表示され、ゴールデンウィーク、賑わう姿を想像する。
拝殿の横には社務所があり、御朱印をお願いしに行くと、地元の企業や氏子さんだろうか、例祭の後援会として、お布施?支援金?を宮司さんに渡している。“ごひいきに~”とは言わないが、地元の神社らしく崇敬されているんだぁ~と、ちょっとした行列を見、その後で御朱印をいただく。
楼門から鳥居の方へ下っていくと、“松の公園”に、目の前は海が広がり、数台のボートが停泊している。海からこんなに近い神社なんだぁ~と初めて知り、津波が押し寄せてきたら一たまりもないなと、阪神大震災のときはどうだったんだろうと、それなりの被害はあったに違いないと想像する。
潮の匂い、穏やかな海を眺め、しばらくこの平和な風景を堪能するのでした~

相楽園 - モリゾーのひとり言

2018/05/17 (Thu) 21:18:33

住吉神社から歩いて山陽魚住駅へ。明石駅でJRに乗り換え、新長田駅で地下鉄に乗り換え、県庁前駅で下車。駅から北へ、緩やかな上り坂を歩けば、兵庫県庁、そして相楽園の正門がで~んと立派に建っている。
ネットでツツジの名所として情報を得、立ち寄った次第で、平日にもかかわらずお客さんは多い。
神戸市が運営している相楽園は元神戸市長の小寺謙吉氏の先代、小寺泰次郎氏の本邸に営まれた庭園で、明治18年頃から着手し、末期に完成したもの。園内には旧小寺家厩舎、旧ハッサム住宅、船屋形等の建物があり、池泉式回遊庭園となっていて、ツツジやモミジの季節が一番見事とのこと(冊子参照)。
さっそく正門から入り、受付で入園券を支払い、いざ。
右に緩やかなカーブを歩けば立派なソテツがすっくと生え、鹿児島から取り寄せた樹齢300年ほどと、かなりの年代もの。順路どおり進むと、旧小寺家厩舎と旧ハッサム住宅が並び、周辺のツツジが見ごろである。
旧ハッサム住宅は英国人貿易商のハッサム氏が異人館街に建てて実際住んでいたもので、木造2階建て、和洋折衷を施した建造物。わが愛知県犬山市にある「明治村」にも洋館ぽい建物はいっぱい見たことがあるが、まさにそれで、屋根には、サンタクロースが入りそうな、煉瓦でできた煙突がある。内部公開をしているので中に入ると、白い壁に暖炉、窓はよろい戸付きの張り出し出窓、植物や花を模った装飾、小ホール、応接室、居間、食堂、浴室等々の部屋があり、実際に営んだ生活感が垣間見える。一通り内部を見学し、外に出ると、前庭には傾いた煉瓦の煙突があり、阪神大震災で室内に落下、屋根や天井の床を修復し、震災の記憶を後世に留めるために展示されてある。今は修復された煙突が見えるが、落下した煙突を見、地震の揺れがどれほどのものか、想像に値する。
旧ハッサム住宅に別れを告げ、スロープを下り、庭園入口から中へ、池を一周する形で散策。霧島ツツジ、平戸ツツジと満開で、一部ではサツキまでもうすでに咲いている。ゆっくりと庭園を撮影しながら、新緑の中を歩き、芝生広場というとこに行くと、和菓子を販売していて、どら焼きと柏餅を購入。「お茶も金取るの~(心の声)」と、やんわりと断り、持参ペットボトルのお茶で充分、休憩所で座って一息。ツツジといえば、京都の長岡天満宮、愛知県蒲郡市のクラシックホテル、三重県伊勢市朝熊山、奈良県御所市の葛城山等、名所を旅した記憶がよみがえるが、まだまだ全国には知らない土地柄があるので、まだまだ知らない土地を訪ねたい…と思いながら、美しいものを見た後の茶菓は一味違い、しばらく堪能するのでした~

また25、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:10:53

ゴールデンウィークも終わりましたが、今回も桜の旅。4月の頭、この時期に行きたいと思っていた有馬温泉へ、新たに神戸13仏霊場めぐりと合わせ行ってきましたよ~

能福寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:11:47

今回、有馬温泉に旅する上で、神戸13仏霊場のお寺があることを知り、また霊場巡りを始めてみたいと、道程を計画。霊場巡りは掛け持ちで、まだ満願になっていないのが、美濃33観音、吉田七福神、中国33観音、淡路七福神とあり、これ以上増やしてどうする!と、自分に言い聞かせるが、やっぱし止められない。神戸13仏霊場の中にはすでに、新西国霊場で訪れた寺もあり、重複する形になってしまうが、それはそれで、“お礼参り”として訪れればいいかと、ある意味損はない。
…で、まずは8番札所である能福寺から。JR兵庫駅から南東へ歩いて10分ほどと近く、NHK大河の“平清盛”ブームで“福原”にはよく訪れていて懐かしい。
能福寺といえば「兵庫大仏」。明治24年に兵庫の豪商、南条荘兵衛という人物が青銅製の盧舎那仏を建立、奈良、鎌倉と共に「三大仏」に数えられるほど有名となり、戦争で金属回収、神戸の空襲で能福寺の伽藍は全焼してしまう。大仏が再建されたのが平成3年と、つい最近?のことで、檀徒、市民、企業の協賛もあり、大開眼法要が行われ、4万人も集ったと記録にある(冊子参照)。
大仏だけではなく、能福寺は、桓武天皇の勅命を受けて、支那から帰国の途についた最澄が途中、兵庫の和田岬に上陸し、本尊の薬師如来像を自作安置して、能福護国密寺と称し、天台宗の最初の教化霊場として開基、時代は平清盛が隆盛した福原遷都の時、平家一門によって七堂伽藍を完備し栄えた歴史がある。
境内には本堂の月輪影殿や顕彰碑などいろいろとあり、説明看板も建っていてわかりやすく、散策し、納経所へ行き、新しく神戸13仏霊場の御朱印帳にお願いしようとしたが、売り切れのようで、書置きの御朱印をいただき、次へ。

無動寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:12:51

「柳原」という広い交差点から北東に延びる道路を歩き、神戸電鉄、新開地駅に到着。三田行きの電車に乗り、途中の箕谷駅で神戸市営バスに乗り換え、福地バス停で降りる。
バスを降り、ここが神戸市とは思えないくらいの、長閑な土地柄に、“県外人”にとってはどうしても神戸=街というイメージをぬぐえないのが当たり前だが、神戸市も意外と広いということを初めて認識する。
坂道を上り、途中、年貢軽減を訴えた少年の「新兵衛石」の説明看板を読みながら休憩。さらに上りが続く山道を歩き、ようやく12番札所の無動寺に到着。もみじの木々が生い茂り、紅葉の名所だろうかと想像するが、山門をくぐると境内には本堂に不動堂、隣には藁葺屋根が印象的な庫裏があり、落ち着いた雰囲気。
説明看板には、無動寺は聖徳太子が物部守屋を討たんとして、鞍作鳥に命じて本尊の大日如来を刻み、戦勝祈願をしたところ、たちまち大軍を打ち破ったことができたことから、七堂伽藍を建立したのが始まりとされている。その後、時代の流れに荒廃した寺を真源和尚が郷里の人たちと復興した歴史があると。木造の大日如来を始め、釈迦如来、阿弥陀如来、十一面観音、不動明王の仏像があることからも、かなり宝物として所蔵しているのがわかる。
本堂に備え付けてあるインターホンを押し、神戸13仏霊場の御朱印帳があるか尋ねると、ここも“不発”で、これはどこも売り切れではないのかと、ちょっと諦めモード。お寺の方も「う~ん」とうなるだけで、これはどこへ行っても期待できないのか~と、とりあえず書置きの御朱印をいただき、お礼を述べ後にする。

有馬温泉界隈(1) - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:13:57

箕谷駅から有馬口駅で乗り換え、終点の有馬温泉駅へ移動。春休み期間中ということもあって、家族連れや卒業旅行だろうか、いや、それだけではなく、有馬温泉はやはり、有名な温泉地であるので、かなり人が多い。駅から坂道を上がれば太閤橋があり、近くには秀吉やねねの銅像、袂石と、有馬の昔話に絡んだものがあり(こことか→→→http://www.ryuusenkaku.jp/legend/)、橋からは川沿いの桜並木が満開を迎え、「温泉地に来たー!」といった感じ。
観光バスや定期バスがひっきりなしに往復している中、お土産ものが並ぶお店を覗いては、名物の炭酸せんべいを売る暖簾が各店揺れて繁盛しており、賑わう活気に私も心踊ってしまう。
有馬温泉は、観光協会のHPを覗くと、日本最古の温泉と書いてある。人間がまだ土を掘る技術を持たない時代より湧き出ていた自然の温泉であるということらしい。環境省の「療養泉」として指定している9つの成分のうち、硫黄泉と酸性泉を除く7つの成分が含まれていて、多くの成分が混合した、世界的にも珍しい温泉だという。
泉質別では主に2つあり、金泉と銀泉。前者は含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉、後者は二酸化炭素泉、いわゆる炭酸と、放射能泉、ラドン泉とのこと。金泉は冷え性、腰痛、湿疹、傷、やけど、銀泉は循環器系と効能があり、それぞれに見た目は、金泉が赤く、銀泉は無色透明と、写真を見るだけでも効きそうな感じが?する。
…と、まぁ~詳しいことはHPを見ていただいて…予備知識を頭に入れ、今回の旅に臨みつつ、さて、まずはしだれ桜が有名な善福寺へ。

善福寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:15:13

“おみやげ街道”から阪急バスの案内所近くに来ると、山の斜面に沿って石段が続き、春らしく提灯が石段参道に並んでいる。山門をくぐると、境内には本堂に千利休の供養塔が建ち、一際目を引くしだれ桜が満開を迎え、ここも花見で人が多い。
善福寺は行基上人が創建し、仁西上人が再興。本尊は源満仲の持仏、阿弥陀仏が安置されていて、縁起に美女丸伝説の話があり、能や曲舞の源となっている。美女丸伝説と言えば、兵庫県川西市の三ツ矢サイダーで有名な多田神社。(説明するの、面倒くさいのでココを見てね→→→http://www.tadajinjya.or.jp/folklore
で、鎌倉時代作、国の重文の聖徳太子像の宝物や、戦国時代、秀吉が阿弥陀堂の住職の頭の形を面白がって、その形に似せて作らせた大きな茶釜(阿弥陀堂釜)もあり、毎年4月と11月に茶会も行われるそうな。
しだれ桜は「糸桜」と呼ばれ、樹齢200年を超える。見頃のしだれ桜の下では参拝客が大勢、休憩がてら花見を楽しみ、私もしばらく休憩。
説明看板を一通り読み、しだれ桜を通して温泉街の景色が見渡せ、御朱印をいただこうとピンポーンするが留守で、あきらめ次へ。

温泉寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:16:12

“おみやげ街道”に戻り、整備された道路を西へ道なりに進むと、旅館やホテルの建物が立ち並び、その間に石段参道が見える。石段を上がったところは、ホテルの駐車場になっていて、兼、温泉寺の境内、湯泉神社の鳥居入口となっていて、桜が見事に満開状態である。目の前の立派な温泉寺の本堂にまずは手を合わせ、説明看板を読む。
温泉寺は善福寺と同じ、行基が創建、仁西が再興。桃山時代には北の政所(ねね)が復興、明治の神仏分離以後、衰微し、清涼院以外廃絶したとある。本尊は薬師如来。薬師如来の導きにより行基が有馬温泉を訪ね建立したことから、毎年1月2日には入初式として、木造の行基や仁西像に初湯を掛け沐浴する行事がある。本堂には薬師如来を守護する十二将のうちの波夷羅大将立像が祀られていて、こちらも重文として寺宝となっている。
岐阜県の下呂温泉にも温泉寺という同じ名の寺があるが、こちらの本尊も薬師如来。やはり温泉の治癒成分の効能を、仏教のご利益に準えるのはどこも同じで、昔から連綿と受け継がれているのだろう。有名どころの温泉地には「温泉寺」がいくつあるのだろうか、これからもいろんな温泉寺があれば訪れてみたいと思うのでありました~

湯泉神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:17:12

温泉寺で御朱印をいただき、湯泉神社の鳥居から石段を上がっていく。途中、社務所だと思われる住居があることを認識しつつ、まっすぐ延びる石段をひたすら歩き、ようやく境内に到着。しばらく休憩し、心落ち着いてから社殿でお参り。
最初は「温泉」神社かと思ったが、よく見ると「湯泉」神社で「温泉」も「湯泉」も同じような意味合いだが、改めて考えてみると、「温」と「湯」だと微妙なニュアンスで違うのだろうかと頭を巡らす。
観光協会のHPには、湯泉神社を「とうせん」とか「とうぜん」「ゆの」などと呼ぶ説があり、現在は「とうせん」と発音するのが一般的とのこと。
祭神は有馬を最初に発見したと伝わる大己貴命(いわゆる大国主命)と少彦名命、熊野久須美命が祀られていて、大己貴命と少彦名命の二柱が有馬を訪れたとき、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していて、数日でその傷が治ってるのに気づき、その水たまりが温泉であったと知り、教えてくれた三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられていて、「有馬の三羽からす」と呼ばれているそうな。…と、観光協会のHPの「有馬の歴史」を読んでいただければその後の詳しいことが載っている。
境内からは愛宕山に行く登山道が口を開け、いいハイキングコースとなっているのだろう、時間に余裕があれば…といったところか、桜の木々が8分咲きの「春~」といった感じで、穏やかな雰囲気である。境内に授与所の建屋があるが、無人のようで、インターホンがあるので押してみると、石段途中の住居に…と、やはり宮司さんがそこにいらっしゃって、再び石段に戻り、御朱印をお願いし、お礼を述べ、次へ。

極楽寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:18:19

温泉寺の境内に戻って来て、北へすぐ、野面積みの石垣が紹介されていて、そのお隣、極楽寺の大きな本堂が建っている。
ネットの情報では、極楽寺は聖徳大師の開基と伝わり、念仏道場として栄えたとある。焼失による移転などを繰り返し、阪神大震災では半壊した。その修築中に、秀吉が築造した「湯山御殿」の遺構の一部が発見され、茶器や瓦などの出土品などが、遺構の上に建設された「神戸市太閤の湯殿館」で公開されている…とネットの情報ではそうだが、
受付には拝観はしばらく中止と表示がしてあり、工事中のよう。窓ガラスには御朱印はお断りと、こちらもしばらくはできないことになっていて残念~。まぁ~しょうがないとして、本堂は自由に参拝できるので、本堂の向かいにあるお地蔵さんや豊太閤の供養塔に見守られながら、そこはしっかりと本尊の阿弥陀仏にお参りし、お隣の念仏寺へ。

念仏寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:19:19

小路に面し、本堂がで~んと、横に長い建物を見、近くのしだれ桜が色を添えている。念仏寺は神戸13仏霊場の9番札所。本尊を阿弥陀如来とし、神戸七福神の寿老人を祀る。
本尊の阿弥陀如来は快慶作と伝えられ、今の伽藍は300年ほども保っていて、有馬でも一番古い建造物とされている。6月には沙羅双樹の花が有名で、1日で散る果敢ない白い花が霊木となっている(冊子参照)。
お参りをし、本堂前の縁側?で、ちょこんと座っているおばあちゃんに声をかけ、神戸13仏霊場の御朱印帳があるか聞いてみる。
「あ~、ありますよ」
「えっ!ある?」
もうどこにもないと思っていたのに、これはラッキー! 本尊や七福神の御朱印もお願いし、その間、簡易な座布団を勧められ、座ってしばらく談笑。名古屋からの訪問に労って下さり、沙羅双樹の話、桜の話など花に関してお話して下さる。遠い山の方に目線を逸らし、山肌の緑の木々の中に白い花々があちこちに散りばめられて咲いている景色を指し、あの白い花は「こぶし」といって、この季節に咲く花で、去年は少なかったが、今年はあんなにいっぱい咲いているのは珍しく、「いい時期に来ましたね~」と縁を喜んで下さり、「いえいえ」とこちらも感謝と、最初は桜に見えた花も「こぶし」という聞き慣れない特別な花のように思え、うれしい限り。旅の無事を祈って下さり、別れを告げる。

有馬温泉界隈(2) - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:20:22

念仏寺から南東方向へ坂道の小路を歩いて行くと「銀の湯」の施設がある。先ほども合わせて紹介したが、「金の湯」「銀の湯」の施設は有馬温泉を代表する日帰り温泉施設で、ネットの情報では「人が多すぎてゆっくりできない」「湯船に人がいっぱいでぎゅうぎゅう詰め」等々の口コミを見、私はパス。建物の写真を収めるだけにして急坂を上がり、炭酸泉源広場へ。広場といっても小さな休憩所みたいなとこで、ボコボコと泡がでる小池を見、漢文のような漢字だけの石碑があるとこに行くと、説明看板があり、一通り読む。
説明看板には炭酸泉について書かれていて、明治6年に湯山町戸長の梶木源次郎という人が、横浜の平野留七氏から炭酸ガスを含む泉が湧くところがあることを聞き、そこは毒水と呼ばれ、人が近づかなかったこの泉を思い出し、その後、兵庫県庁に要請し、内務省司薬場の検定を経て、炭酸泉を開いたとのこと。近くにはその湧いたところと見られる場所があり、立派な屋根付きの建屋が建っていて、神聖な雰囲気を醸し出している。
「へぇ~、ここで~」と、覗き込み、有馬の歴史を物語ることが垣間見え、散策~。

有馬稲荷神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:21:38

道なりに急坂を上がると、整備された道路に出て、向かいには有馬稲荷神社の赤い鳥居が見える。
さて、境内へ行くには長い石段を登らなくてはならない。石段の中央にある手すりを境に、左には鉄製の1本レールが上へと続き、たぶんトロッコなのだろう、相当この石段を登らなければならないのかという想像が働き、気合を入れ上がる。石段には途中途中に、励ましの看板が建っていて、それを読んでは休憩し、再び上る。
有馬稲荷神社は、舒明天皇・孝徳天皇が有馬温泉に行幸されたとき、有馬の杉が谷という地に有馬行宮を造営し、この有馬行宮の守護神として稲荷大神を勧請したのが源とのこと。明治に入り、射場山の中腹に移転造営し、祭神がその山に住む古長大神(フルオサ大神)・恒長大神(ツネオサ大神)が奥宮に、宇迦之御魂大神が本宮に祀られている(HP参照)。
ようやくたどり着いた境内は、意外と広く、山裾に沿って摂社が祀られていて、古式ゆかしい感じで、高台から“有馬の春”の景色が望め、休憩がてら腰に両手を当て、仁王立ちで「やったー!」と達成感に浸る。拝殿前には有馬温泉のホテルや旅館の名の石碑が建っていて、崇敬されているのがわかる。
しばらくして拝殿でお参りし、境内を散策後、社務所へ行くと、宮司さんが「どうぞ、上がってください」と中へ案内され、失礼して御朱印をお願いする。長居するつもりはなかったのだが、有馬温泉についての話からはじまり、神社や政治についての話、念仏寺のおばあちゃんの話、老齢の飼い犬(柴犬)の話等々、ここではコメントできない濃い話をし、なかなかに面白い。いろいろと有馬の歴史を教えてもらい、後にするのでした~

写真は射場山に咲く「こぶし」という花

有馬温泉界隈(3) - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:22:43

有馬稲荷神社鳥居まで下りてきて、整備された道路を東へ、どこかの会社の駐車場から見渡せる有馬の街並みを写真に収め、小路を下りていく。林渓寺という真宗派の境内に立ち寄り、梅がまだ咲いている近くに桜が咲く、二重の楽しみを味わい、おみやげ屋の商店が並ぶ小路を歩き、本能のままに散策していると、側溝には茶褐色?に近い温泉の源泉が流れていて、湯気が立ち込めているとこに遭遇。これぞ「温泉」といった感じで、さらに小路を進むと、有馬天満宮という社の境内に、温泉の掘削建屋というのだろうか、鉄柱が建っていて、湯気とともに蒸気が「プシュー」と音を立てている。「天神泉源」と書かれていて、どっちから読むのかわからないが、ここから近くの宿泊施設等に送られているのだろう。
善福寺のしだれ桜が見えるとこまで戻ってくると、「金の湯」の温泉施設を写真に収め、この界隈は賑やかである。ネットや有馬稲荷神社の宮司さんがおっしゃっていた通り、「金の湯」は人が多くてゆっくりできないという難点はその通りかも、と、思いながら観光地の雰囲気を味わい、今日はここまで。本日宿泊する瑞宝園さんには、夕なし朝ありプランなので、どこぞで夕食をと思ったが、この日は定休日の店が多く、コンビニで弁当を買いチェックイン。瑞宝園の温泉は「銀の湯」のみ。旅の疲れを癒し、露天風呂も楽しめて十分温泉を堪能。翌朝、有馬稲荷神社の宮司さんのおすすめで、日帰りでも入浴できる「かんぽの宿」に“金の湯”があるので、行ってみることに。入浴時間は10:30からの営業ということなので、瑞宝園のロビーで待機し、15分前くらいに有馬稲荷神社を目指し移動。神社鳥居から西へすぐのところに「かんぽの宿」があり、券売機で入浴料、貸しバスタオルのきっぷを購入、荷物をコインロッカーに預け、いざ。
朝イチなので、お客さんは私を含め3人。肌身に浸透するくらい湯船に浸かり、湯上り後、ぞくぞくと人が入ってきて、湯船がいっぱいになるほどの人の多さに、早く来てよかったーっと、脱衣所でほげーっとコーヒー牛乳を飲み、朝風呂を堪能するのでした~

須磨寺 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:23:57

有馬温泉で目移りするおみやげを買い、有馬温泉ともお別れ。昨日、乗ってきた神戸電鉄で再び新開地駅へと戻り、山陽電鉄に乗り換え、須磨寺駅を目指す。
須磨寺はこれで3回目。神戸13仏霊場の11番札所なので立ち寄ることに。駅から北へ商店街を歩き、各塔頭寺院のお堂が並ぶ界隈を見ながら、正面、仁王門を潜れば「源平の庭」の一の谷、一騎打ちの平敦盛と熊谷直実の、“馬上にらみあい風景”が満開の桜を背景にある。
唐門を抜け、本堂でお参りし、境内西に方へ大師堂、八角堂と並び、朱色の三重塔と、伽藍が立派で懐かしい。あの、からくり時計のある納経所で御朱印をお願いし、宝物館前のベンチで一休み。
しばらくして、須磨寺の東に大池があり、そこの桜並木を散策。地元の方々が絵画に筆を走らせている姿を多く見、自分の趣味を楽しんでいて、春の陽気に平和である。やはり、須磨寺周辺は源平合戦の地でもあるので、“兵どもが夢の跡”の句を平和に対する意識で思いを浮かべてしまう。
今年の桜は4月の1週目で散ってしまうだろうと予想し、あっという間に散ってしまう時間の流れの早さに、源平合戦の争乱も歴史の枠で見れば、あっという間の出来事、ある意味、同じだと思え、果敢なさを感じてしまうのでありました~

写真は須磨公園

夙川 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:24:59

須磨寺駅から三宮駅へ移動し、JRに乗り換え、JRさくら夙川駅で下車。ここは兵庫県西宮市に位置し、地図上では北に阪急線の夙川駅、中央にJRさくら夙川駅、南には阪神線香櫖園駅と、各路線に夙川が縦断している形で、香櫖園駅東には“福男駈けっこ”で有名な西宮神社がある。ちなみにJRさくら夙川駅の1つ西の駅は高額所得者?が住む芦屋の住まいがある。
南北に延びる夙川の堤防沿いには桜並木がず~っと続き、桜の名所となっていて今回、訪れた次第。なので、JRの駅名も“さくら”とつけたのだろうか。
駅から西へ、花見を楽しむ地元の方々が駅近くのコンビニで仕入れた袋を手に下げ、移動していて、やはりこれから宴会気分であることは間違いなく、有名なのが分かる。
堤防に上がり、桜並木が続く道を歩き、よく見ると桜はもう散り始め。それでも、これで見納めと、花見を楽しむ観光客が大勢いて、JR東海道線の鉄橋近くには“撮鉄”が三脚を構え、電車が通過するたびにシャッターを切っていて、私も真似て連写で撮る。
ネットの情報では、西宮市の市花は「さくら」とのことで、市内にはたくさんの桜の名所があると。夙川の堤には古くから桜の木が生育していて、明治38年に阪神電車が開通したのをきっかけに、開発が始まり、今では1600本もの桜の木が植えられている。
そんな桜も、時々風が吹いて桜吹雪となり、来週にはあっという間に葉桜になってしまうだろうと、今年は早かった印象が強く残る。阪急や阪神の駅の方まで散策するには時間がないので、限をつけ、JRの駅に戻る。

水堂須佐男神社 - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:26:08

JRさくら夙川駅からJR立花駅の尼崎市に移動。ネットで知った駅近くの神社を訪ねることに。駅から西へ10分ほど、頭の中に地図を暗記したが、不安なので、町の人に尋ねながら歩き、水堂須佐男神社に到着。
こちらの境内には5世紀ごろの前方後円墳、「水堂古墳」と呼ばれる文化財がある。このあたりは海辺に近い湿地であったとされ、弥生後期ごろから人々が集落を営んでいたことが分かっていて、水処→みど→みずど→水堂という地名と称したそうな。古墳からは朱塗りの木棺が収められ、人骨をはじめ、鉄槍や青銅鏡なども発見されていて、古墳保存館として見学できる。そんな境内地に、当地の産土神として祭祀場が設けられ、いつのころからか祀られてきたんではないかという推察で紹介されている。
地元の神社~といった感じの、鳥居を潜れば、目の前の社殿がまだ新しく見え、早速その前でお参り。社殿は阪神大震災で倒壊、平成10年に復興再建されたもので、中を覗きこむと、天井には一面グリーンとブルーの花柄が描かれた格天井となっていて、鮮やか。滋賀県在住の日本画家、鈴木靖将氏の作品「万葉の花」で、水堂古墳の被葬者と、阪神大震災の犠牲者の霊に捧げる意を込めたものだそうで、当社の御朱印帳のデザインにもなっている(冊子参照)。
社務所で御朱印をお願いし、その御朱印帳の価格を見、まぁ~、まだ間に合っているので…買わずにお礼を述べ、後にするのでした~

炭酸サイダー - モリゾーのひとり言

2018/05/07 (Mon) 13:27:14

有馬温泉に行ったらこれを飲むべきと、ネットの情報で知り、おみやげ屋さんへ。炭酸せんべいは有名だが、やはり“炭酸”といえば「サイダー」。偶然なのか、旅先ではご当地サイダーを購入する機会が多々あり、今回も炭酸サイダー2本おみやげに。
夏の暑い時期まで待って、キンキンに冷えた状態で飲んでみたいとも思ったが、1本だけと実食!…と、その前に…
もう、今どきでは珍しいのかな? 栓抜きで栓を抜く形のビンって、あんま見掛けないが、栓抜きが家にあったかな?と探すがない。仕方がない…マイナスドライバーで栓を開け、一気に炭酸の泡がシュワーと浮き立つ。
最初の一口…「き、きつい~」
年寄り?には刺激が強すぎる~と思っていたが、二口目にはちょうどいい塩梅で、買ってきた炭酸せんべいと一緒に食べ、お腹いっぱい。市販のサイダーに比べ、そんなに甘くない印象で、温泉のサイダーはやっぱりちがうなぁ~と、特別な感じと錯覚する思考に酔い、満足するのでした~

和歌山・大阪の旅 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:07:00

桜の時期は過ぎてしまいましたが、今年の桜の開花は全国的に5日ほど早く、花見もそれに合わせ、旅の計画。3月下旬にはもう満開になっているとこといえば、紀伊半島あたり。いろいろと下調べをしていると、まだ知らない桜の名所があり、花見を中心に南大阪の神社めぐりと合わせ、行ってきましたよ~

天王寺公園(1) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:13:03

大阪市内の桜の名所といえば大阪城。この日は、JR大阪環状線を右回りに、大阪駅から天王寺駅へと目指し、その途中、ほとんどの乗客が大阪城公園駅で降りていき、桜が満開であろうことが想像でわかる。
JR天王寺駅に到着し、北西方向にある天王寺公園へ行くと、出店が並ぶ広場には大勢の花見客や行楽客で賑わっている。ここには動物園に、慶沢園、大阪夏の陣で真田幸村が陣を構えた茶臼山、市立美術館などがあり、まずは慶沢園へ。
慶沢園は、住友家の第15代吉佐衛門が茶臼山本邸の庭園として造園したもので、京都の平安神宮の神苑や円山公園などを手掛けた庭師の小川治平衛が施行したとある(冊子参照)。池を中心に松や岩を配した回遊式庭園で、季節折々の花木が楽しめ、入口からすでに桜の木々が満開を迎え、「アベノハルカス」を背景に見ごろ状態。
切石橋を渡り、池を一周、ツツジの低木や菖蒲が咲きそうな池の畔を歩き、春の陽気にゆっくりと散策。北門から茶臼山古墳へと移動。

天王寺公園(2) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:14:17

茶臼山が見える池の辺りまで来ると、撮影スポットがある。桜と通天閣のコラボ写真をネットで見、その場所を撮りたいと訪れたわけだが、通天閣が西に建っているので、逆光にならないように午前中が勝負。池に架かる橋の上から、市立美術館前の階段上から…と、いろんな場所から撮り、桜が見事にあちこちにある。平日にも関わらず、たくさんの人出、外国人等々、さすが「大阪!」って感じで、大都市のことだけはあり、賑やかの中、公園を散策するのでした~

地福寺 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:15:35

JR天王寺駅から阪和線で山中渓駅へ移動。和歌山県のお隣、阪南市にある山中渓(だに)が桜の名所であることを知り、訪れた次第。“撮り鉄”なら有名であろう、桜と鉄道のコラボ写真をネットで見て惹かれ、車窓からすでに桜の並木が続く景色に期待が高まる。
無人っぽい改札を出て、まずは地福寺を目指す。地元では境内のしだれ桜が有名とのことで、紀州街道と呼ばれる整備された道を歩き、古き良き時代の建物が説明看板を通して、この街道の雰囲気を味わい、祠だけの地元の山中神社に手を合わせ、ごあいさつ。街道沿いの民家の細い路地からすでに立派なしだれ桜が見え、見頃を迎えている。
地福寺はネットの情報によると、本尊は阿弥陀三尊像。境内の子安地蔵堂には熊野街道にあった地蔵堂王子の本尊である地蔵三尊像が祀られていて、安産の神として知られている。
境内には本堂に、その子安地蔵堂が建ち、山の斜面に沿って墓地が並んでいる。ちょっと失礼して、高台の墓地の方へ行き、しだれ桜の全体像を拝み、遠くには高速阪和道、山中川沿いの桜並木の景色が見え、しばらく休憩。このしだれ桜のおかげで、お墓の御先祖様方々もこの時期には癒されることだろうと、うらやましい限り。境内へと戻り、しだれ桜の下から“桜のシャワー”を浴びながらしばらく眺め、花見を楽しみ、御朱印はというと、お寺の方は留守のようなので、諦めて山中渓の方へと移動する。

山中渓 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:16:44

紀伊街道から県道に出ると、JR阪和線と平行に山中川沿いに桜並木が見ごろ迎えていて、ちらほらと観光客が歩いている。鉄道好きなら知っているであろうポイントで、三脚を立て、この日は2,3人だが、電車と桜のコラボ写真に待機している。私も見習って電車が来るのを待ち、連写でパチリとしばらく撮影に夢中になる。
散策していると、袋詰めにされた柑橘系の果物が無人で販売していて、ここは大阪だが、「和歌山~」って感じで、雰囲気を味わう。
山中渓の地区は昔、江戸時代には山中宿の宿場町で、徳川紀州家が参勤交代の際に立ち寄る第一宿場であったそうな。昭和40年代から地元の人々が山中川に桜の植栽を始め、今では千本ほどの桜並木に(ネット参照)。
お城の桜、川沿いに桜…と、日本人のDNAに刷り込まれている景色は、どこに行っても癒しを伴う気持ちになり、明るい気分になる。やはり、年老いた?せいか、訪れる季節の風物を堪能するのが「粋」であると分かってきた気もする。
山中渓駅へ戻り、ホームの端っこで“撮り鉄”がカメラを構えている姿を見、私もその場所で撮影。線路沿いの桜並木に、電車がカーブして駅に入ってくる光景を素人ながらに撮影し、一緒に楽しむのでありました~

新和歌浦展望台 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:17:50

JR和歌山駅に到着し、和歌山バス、30系統の南海和歌山駅行きに乗り、新和歌浦遊園バス停で下車。この辺は以前、和歌山を訪れたとき、和歌山33観音霊場の番外、毘沙門天寺の近くで、和歌浦の景色が広がる風光明媚な半島。その半島にある高津子山の頂上に桜の名所があるということをネットで知り、訪れた次第。
頂上へ行くには30分ほど山道を歩かなければならず、バスを降りると目の前がホテルの施設だろうか、そこから頂上へ向かう急坂になっていて、気合が入る。登っているうちに、本当に桜があるのだろうかと、山道を歩きながら思い、すれ違う人に挨拶をしながらようやく頂上付近の明るい場所へ視界が開けてきて、“龍の背中”を歩くように頂上に続く道が見え、その先に展望台が建っている。周りには満開の桜が見ごろを迎え、桜だけではなく和歌浦や大阪湾を見渡せる景色に、気分爽快~。意外と人の姿があり、山道を登ってきた甲斐もあってか、ここは、あの世か?と、桃源郷のようなイメージをしてしまう。
遠くの景色を眺めながら、撮影しながら、息を整え、頂上の展望台にたどり着くと、また違った景色が楽しめ、山裾の方に桜が広がるかのようにすばらしい。ここは夕陽の景色百選にも選ばれているらしく、確かに納得。日の入りまで居たいが、そうもいかず、絶景を楽しみ限を着け下山する。

和歌山城(1) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:19:04

新和歌浦遊園バス停から県庁前バス停で降り、和歌山城を目指す。過去にこの季節、和歌山城には訪れたことがあって、その時は大手御門近くのしだれ桜は満開を迎えていたが、城内の桜は5分咲きで、まだ早かった印象が残っている。
今年は例年に比べ、開花も早く、3月の3週目で、すでに満開を迎えている情報を聞き、訪れたわけだが、やはりその分、人出は多く、外国人の旅行者も目に付く。
天守閣を目指し石段を上がるが、天守閣の開館は17時までとなっていて、中に入ることは無理だが、本丸付近、桜とお城のコラボを撮影する人でまだ賑わっている。しばらく撮影し続け、本丸御殿跡で天守閣を見ながら休憩し、限をつけ、二の丸庭園へと裏坂の石段を下りていく。
二の丸庭園では桜がきれいに見ごろを迎え、提灯に明かりが灯り、あっという間に空は霞色へと変化。今日宿泊するホテルのチェックイン時間が迫っていたので、城内を去ることになるが、入れ違いにスーツ姿のサラリーマンたちが、手には袋を持ち、“夜桜宴会”へと出かける姿を目にし、これも日本の風物詩と、新入社員の場所取りを思い出す。

和歌山ラーメン - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:20:18

和歌山市役所から北にあるビジネスホテルにチェックインし、部屋に荷物を置き、夕食はどこか近くの飲食店にしようと歩いていると、和歌山ラーメンの店を発見し中へ。地元の若者が2,3人の客層の中、メニューを見ると、麺が見えないほど青ネギたっぷりのラーメンに、ギョーザ等が載っていて、チャーシューメンとギョーザをオーダー。和歌山ラーメンは初めてで、麺は中太麺でスープは豚骨醤油味だろうか、とろみがある。青ネギの多さにビックリだが、これがなかなかアクセントになっていて旨い! あっという間に平らげ、満足×2。
会計時、壁に貼られた写真を見、芸能人の姿が写っていて、結構有名な店なのか~と納得し、外に出てから「あっ!」と、写真を撮るのを忘れたことに気づき後悔。まぁ~、和歌山ラーメンを堪能したこともあって、また来ればいいや!と、ホテルに戻るのでした~

写真はネットからお借りしました

和歌山城(2) - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:21:29

翌朝。市役所前のバス停で待っていると、なかなかバスが来ない。「あれっ!」と、時刻表を見ると、調べた時刻表と違っていて、よく見ると日・祝の時間と間違えていてショック。しかも路線も違っていて、2つ先の公園前バス停からの乗車となっている。次のバスの時間まで1時間。通りを挟んだ目の前の和歌山城の大手御門からしだれ桜が目に飛び込んできて、頭を切り替え、バスが来る時間まで場内を散策することに。
堀に石垣と、直線的な描写に桜並木が丸く彩りを添え、美しい。朝から撮影をしにきてる観光客が結構いて、花見の時期真っ盛り。昨夜の“夜桜宴会”の痕跡が一部残っていて、和歌山県民は、しばらくは二日酔い続きだろうと想像する。時間を忘れるほどに撮影に夢中になり、急いで公園前バス停へ。

紀三井寺 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:22:50

公園前バス停からJR紀三井寺駅へ。紀三井寺は西国33観音霊場の第2番札所。こちらも春には桜の名所として有名で、今回で3回目。春の時期は初めてで、背景の山肌には緑の中に淡いピンク色の斑点のように桜があちこちに散りばめられていて、春の雰囲気を醸し出している。
正面の楼門からではなく、裏門から入り、桜がすでに私を出迎えてくれ、受付で拝観料を支払う。急坂を上り、徐々に高見へと上がるにつれ、和歌浦の海が遠くに見えてきて、境内にたどり着くと、伽藍の中に桜が植えられていて絵になる。
久しぶりの訪れに、「そうそう」と思い出しながら、まずは本堂でお参り。この時期、本尊の十一面観音に間近で見られる内陣拝観が特別にできて、時間が決まっている模様。それまで多宝塔や開山堂などを見て回り、桜とのコラボ写真を撮りまくる。
…と、鐘が一突き境内に響き渡り、合図として拝観スタート。厳かな空気の中、ぼんやりと浮かぶような雰囲気の中、観音さまは安置されていて、しっかりとお参り。1240年近く昔に、開基した唐僧の為光上人によって尊像は彫られ、これを草庵に安置したのが紀三井寺のはじまりなので、しっかりと目に焼き付ける。
拝観を終え、本堂が建つ参道を南へ行けば、大きな新仏殿が建っていて、ここ、名草山の麓で為光上人が出会った黄金の千手観音をモチーフにしたのかはわからないが、大千手十一面観音菩薩像が安置されている。平成20年に落慶法要が営まれたということなので、最近。寄木立像としては日本最大の大きさで、どんだけ金かかってんだ~と、卑しい心で見てしまうが、よ~く造ったなぁ~と、ここに来るたびに口をあんぐり開けて見上げてしまう。頭部まで階段で上がれるが、時間がないので諦め、楼門へと直線石段を下り、途中の塔頭寺院の瀧本院で御朱印をいただき、霊泉を写真に収め後にする。

波太神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:24:03

JR紀三井寺駅からJR和歌山駅で阪和線に乗り換え、JR和泉鳥取駅で下車。ここからは大阪の南にあたる神社めぐりとし、まずは阪南市にある波太神社を目指す。駅前のバス停を探すが、どこにも見当たらず、駅員さんに聞いても曖昧。阪南インター交差点の大きな道路に出て、コンビニでバス停を教えてもらい、和泉鳥取駅前バス停というのに、かなり遠い。南海バスに乗り、波太神社前バス停で降り、すぐ、境内の駐車場から鳥居、真っすぐに延びる参道を歩き、途中、掃除をしている人に挨拶して、本殿へ。
本殿はちょっと変わった造りになっていて、説明看板を読むと、「三間社流れ造り」という形式の建物らしい。「三間社」は3つに別れた間という意味で、「流れ造り」は屋根の形式のことで、屋根の前を長く延ばして反りをつけたもののこと。江戸時代初期に建てられたことが棟木に記されていて、年代を感じる。そんな本殿でしっかりとお参り。
波太神社はその昔、水鳥を捕らえて天皇の食材とする鳥取部と言われる人たちが、丘陵の桑畑に移住し氏神を祀ったのが起源とされている。なので、祭神は鳥取氏の祖である角凝命(つのこりのみこと)。桑畑から現在の地に移されてからは、いろんな神社(省略)を合祀し祀られたとされている。信長の紀州雑賀攻めの時は本陣が置かれたという記述が「信長公記」にあり、戦国時代の歴史も垣間見える。
社務所へ行くと、誰もいない様子で、諦めて参道を歩いていると、さっきの掃除をしている人に声をかけ、「今日、宮司さんは…?」と尋ねると、その方が宮司さんで、御朱印をお願いしてみる。宮司さんは快く応じて下さり、恐縮。社務所へ上がり、書いて下さっている間、近辺の神社についていろんな情報を教えてもらい、お礼を述べ後にする。

茅渟神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:25:13

波太神社前バス停から南海電鉄の尾崎駅行きに乗り、終点で降り、南海電鉄で1駅北の樽井駅へ移動。南東へ歩いて10分ほどにある茅渟神社へ。ここは大阪府泉南市。緩やかな坂道を上がり、地元の郵便局の角を曲がって、入り組んだ町並みを歩いていると、こんなところに神社があるのかという思いに駆られ、地元の人とすれ違う。たどり着いた茅渟神社の境内は、鳥居?(なのかわからない)から左へと参道が続き、きれいに掃除されていて、さっそく拝殿でお参り。
こちらの神社、その名の通り、「ちぬ(魚)」にちなんだ神社で、拝殿内の上の柱には「ちぬ」の写真や魚拓が掲げられていて「ちぬ」さまさまといった感じ。
「ちぬ」とは何ぞや?ということで、関西では黒鯛のことを「ちぬ」と言うそうで、大阪の海(和泉国と淡路国の間との海)が「茅渟の海」と呼ばれていたことから由来している。神武天皇の東征で、長髄彦(ながすねひこ)との戦いにより、皇兄の五瀬命(いつせのみこと)が怪我をし、傷を洗うに海が血の色に染まり、「血の沼」→「血渟」→「茅渟」となったという云われがあり、ちなみに「渟」は水が溜まって流れないという意味である。
茅渟神社は平安時代中期の創建で、本殿は安土桃山時代に建立、釣り愛好家にとっては安全祈願や魚の供養?に崇敬を集めているらしい。
社務所へ行くと、宮司さんが忙しく作業をしていて、御朱印をお願いすると、こちらも快く応じて下さる。待っている間、少し談笑し、釣りの話に。名古屋の人は釣り好きの人があまりいないらしく、確かに私の周りにも思い返せばいない。愛知県では近いところで知多半島だろうか、釣りをする人は地元で釣りをするのではなく、福井や静岡あたりへ行く傾向があるのかな~と考えながら、いろいろと釣り談義。漁業に関して言えば、この町では釣りが慣れ親しんできたことなのだろうか、この神社では釣りの崇敬者が多いことがわかり、町民性に触れたような気がする。
魚の中でも「ちぬ」を祀る神社なんて珍しく、聞きなれない魚を知るきっかけとなり、宮司さんにお礼を述べ、次へ。

写真は社務所前にある「ちぬ」のおみくじ

里外神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:26:32

予定にはなかった神社を訪ねることに。波太神社の宮司さんに教えてもらった里外神社へと岡田浦駅から近いということもあり、タブレットの地図検索で、にらめっこしながらようやく到着。
ここも地元の神社といった感じで、予備知識なく鳥居から入ると、説明看板が建っていて、読んでみる。祭神は素戔嗚尊で、古い社名は呉服大明神と称していたそうな。創建は仁徳天皇の代に、鬱蒼と茂る森の中に社殿を建て、鎮祭されたとある。倭文部という機織工の管理をしていた場所で、泉州の機織業の発祥の地であり、倭衣織の守護神として崇められてきたとされている。「霊剣」を御神体とした話もある。この神社の西の方に老松があって、その根元から毎夜、光を放ち、村人が境内に飛んでいく光を見たそうな。そこで根元を掘ったところ「霊剣」を発見し、神社に奉納、その場所が岡田(という地)の里の外であったことから社名を改めたとしている。
「へぇ~」と思いながら、つい最近、京都刀剣めぐりをした記憶がよみがえり、何かしらの縁があると、偶然性を結びつける。
参道を歩き、いろんな摂社や木々を見ながら拝殿でお参り。社務所へ行き、ピンポーンすると、奥から宮司さんが現れて御朱印をお願いする。待っている間、見頃の桜を眺めつつ、空を仰ぎ、神社の雰囲気を味わう。四季の中で春が一番嫌いだけど(花粉症だから)、暖かくなる春の日差しに照らされ、年寄りじみた旅愁に浸り、宮司さんにお礼を述べ後にする。

奈加美神社 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:27:47

南海岡田浦駅から井原里駅へ移動。ここは泉佐野市で、駅から南に位置している奈加美神社へ15分ほど歩き到着。
奈加美神社は、もとは「大宮神社」と称されていて、創建は、古くは平安期にかかる古文書などから推測されているだけで、詳しいことはわからない。ある古文書にはすでに分社を成していて、その後も分社、分社と、九官鳥のように孫分社まで成したともある。
「奈加美」と称されたのは明治に入ってからで、要約すれば、ここの3ヶ村、「奈」(中庄)、「加」(上瓦屋)、「美」(湊)を綴り合わせて改称されたと(冊子参照)。
主祭神は誉田別命。つまり応神天皇のことで、南大阪や海沿いではよく祀られている神さま。
…ということで、こちらも地元の神社といった感じで、鳥居から失礼して、拝殿でお参り。安産祈願の幟が掲げられていて、応神天皇の母である神功皇后の祭神も祀られていることがわかる。
社務所で御朱印をお願いし、滞りなく次へ。

岸和田城 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:28:59

南海井原里駅から蛸地蔵駅で下車。桜の名所、岸和田城に立ち寄り、花見散策。岸和田城は今回で2回目。前回も春の時期に訪れたが、5分咲きで残念な結果だったが、今回は満開日和に当たり、観光客も大勢いて賑わっている。
南東の方角から堀を一周する形で右回りに散策し、桜が見事に咲き誇っている。天守閣を中心に、北西からの入口付近は、公園、食事の施設もあり、花見を楽しんでいる人たちでいっぱい。城内へと入り、「これこれ」と、天守閣前の石組の枯山水庭園を眺めては、天守閣を見上げ懐かしい。天守閣の中には入らず、再び堀沿いの桜並木を愛でて、撮りながら移動。満足し次へ。

大阪城 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:30:17

南海蛸地蔵駅に戻り、ようやく大阪市内の今宮駅でJRに乗り換え、大阪環状線で森ノ宮駅へ。駅から北西方向へ、大阪城公園の入口へ行くと、かなりの賑わい。出店が繁盛する、平日とは思えないほどに、休日になったらどうなるのだろうか、というぐらいの、とにかく人の多さで、大阪だからこれが当たり前なのかも~と、気にすることなく、遠く正面に見える大阪城天守閣を目指し歩く。
とにかく大阪城は広すぎる。家康が大阪夏の陣で、堀を埋めたのも納得の難攻不落のバカでかいお城なので、天守閣にたどり着くにも時間がかかる。外堀内堀の桜並木をカメラに収めつつ、豊国神社を横目に、城内を巡る“周遊汽車ポッポ”の乗り物が待機しているとこまでくると、ようやく南側の桜門にたどり着く。堀に架かる橋を渡り、本丸にで~んと建つ天守閣を見上げ、「久しぶり」といった感じで、このときの印象は、背が縮んだかなと思うほど(…なわけないけど)小さく見える。広い城内、時間をかけて歩いてきたせいもあってか、総敷地面積に対して天守閣の大きさの比は、人間社会の蟻?、地球の中の日本?のような感覚?…といった、大分ずれてしまったが、とにかくそんな感覚で小さく見えてしまう。だが、しばらく天守閣を見続けていると、外壁の伏虎(獲物を狙う虎)や鶴(秀吉時代のお城は鷺)、入母屋破風や千鳥破風の装飾に、戦後、壊れたお城を建設会社が鉄筋コンクリートで造られたとはいえ、威厳の風格は衰えていない。「城」はもともと天守閣などなく、戦乱の守りを固めるための“砦、要塞”のようなもので、それが信長時代から“見せるお城”、“権力の象徴”が加わり、変化する。そう考えると、大阪城の天守閣は“見た目”が一番、“大きく見せる”という意味で装飾が豪華である。もちろん城塞としての機能もすごい。なので、その遺構を眺めていると、不思議と“大きく”見え、日本のお城は、建築技術の集大成…とまではいかないが、日本の誇るべき建造物である。
…で、天守閣をパチリとし、北側の刻印石広場へ、桜とのコラボを何枚も撮り、京橋口から出、大阪城を上から眺めようと、地下鉄天満橋駅近くに建っているOMMビル(京阪のビル)の屋上へ。屋上庭園となっている場所があるとネットで知り、そこから大阪市内を一望しようと上がったが、大阪城に目を向けると、目の前のビルのアンテナや避雷針などの障害物が邪魔でカメラで撮影するには残念~。そんでも、しばらく休憩し、コンビニで買った抹茶どら焼きを頬張り、大阪城を眺めるのでありました~

毛馬桜之宮公園 - モリゾーのひとり言

2018/04/17 (Tue) 09:31:31

OMMビルから寝屋川橋東詰交差点を北へ、大川沿いを毛馬桜之宮公園に向け散策。
桜並木が川沿いにず~っと続き、大阪では桜の名所でも有名である。思い出すのは、大阪天満宮の例大祭「天神祭」のときで、花火上がり~の、川には水上ボートや遊覧船が行き来し~ので、前に進めないくらいの人・人・人・の多さの中を歩いた記憶がある。
この日も大川には船から“花見クルーズ”が何艘も往来していて、それを見つつ、桜も見つつ歩く。犬の散歩やジョギングをしている人、夕方近く夜桜飲み会に準備している人、すでに飲んでいる人…と、地元大阪の人々が花見散歩など楽しく賑やかである。
京阪線との桜コラボを皮切りに、向こう岸に見える造幣局が中間地点だろうか、JR大阪環状線の鉄橋まで北へと歩き、花見を堪能。今年は開花が早い分、散るのも早く、長くはもたないだろうと思いながら、大阪の桜を愛でることができて満足×2。

また31、京都の旅 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:51:00

「京の冬の旅」第2弾。ということで、懲りずに2月上旬、行ってきましたよ~

御香宮神社 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:51:53

地下鉄で竹田駅へ。本数の少ない市バスを待つため、しばらく駅構内の“ボックス休憩所”でネット検索など暇を持て余し、旅のスタートはエンジンがかからない。
時間となり、ようやくバスに乗った車内では居眠りをしてしまい、あっという間に御香宮前バス停に到着。この地域は伏見区にあたり、幕末期でいうと寺田屋事件が起こった場所で有名で、酒造メーカーが点在しているところでもある。一度は訪れていて、各寺社を散策した記憶がよみがえるが、ここ、御香宮神社もその1つ。境内の桃山天満宮の御朱印を新たにいただけるということで訪れた次第。
御香宮神社は平安期、境内から病気に効く香水が湧き出たので、清和天皇からこの名を賜ったことから始まっている。神功皇后を祀り、秀吉は伏見城の守り神とした有名な神社で、書院の庭は小堀遠州作の石庭となっている(ネット参照)。
大きな鳥居から失礼すると、伏見義民蹟の塔や祠をはじめ、説明看板を読み、「そうそう」と思い出す。少し参道を歩くと右手に桃山天満宮があり、祭神の“道真さん”に手を合わせる。この時期の受験シーズン真っただ中、絵馬には合格祈願の文字が並び、自分もそんな頃があったなぁ~と、苦い経験を思い出す。再び参道に戻り、正面の拝殿へと行きお参り。すぐ横には「御香水」があり、ここでは当たり前のことなのだろう、地元の方たちが名水を慣れた手つきで大量にペットボトルに汲んでいる。
いろんな摂社・末社が祀られている社殿を見て回り、社務所へ。窓ガラスに1、2月特別の見本の御朱印が貼り出されていて、それをお願いしたが、売り切れで、桃山天満宮のみいただく。まぁ~、御香宮の御朱印はいただいているので、固執することもなく次へ。

大黒寺 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:53:01

御香宮神社から坂道を下ると、近鉄や京阪の線路、アーケード街があり、街の雰囲気を味わう。次に向かう大黒寺は、伏見区役所の近くにあるので、地図を見なくてもだいだい検討はつき、あっという間に到着。
ここに来ると、大黒寺の向かいに金札宮があり、金運上昇のご利益があることから立ち寄った思い出がよみがえる。以前、金札宮を訪ねた際に、向かいの大黒寺の境内に入り、「金運清水」や「薩摩義民の殉難墓地」の石碑があり、普段は拝観できないので、写真を撮るだけの散策だったが、この「京の冬の旅」で初公開となり、特別拝観ができるということもあって訪れた次第。
さっそく受付を済ませ、本堂に上がり、学生によるボランティアガイドの説明を聞くことに。本尊は寺名のとおり大黒天。60年に1度、開帳される秘仏で、厨子に納まっている。御前立の大黒天が祀ってあり、等身大とのことで、次回は2044年の26年後。微妙な年代だが、写真で紹介されているので、それをじっくりと見る。毎月1日には大黒天に、境内にある金運清水の湧き水を供えるそうで、御利益がありそう。
話は伏見義民の英雄物語となり、伏見の殿様の賄賂や借金の悪事などに、町民が幕府に直訴し、町を救ったという話を聞き、離れへ移動。客殿には西郷隆盛や大久保利通らがたびたび集い、国事を論じ合った「会談の間」に入り、当時のままの机、硯があり、触れてもいいということなので触れてみる。当寺には、寺田屋事件で命を落とした薩摩藩士9人の墓があり、檀家であった井筒家によって遺体を大黒寺に運び、埋葬されたそうな。最初は簡素な造りの墓であったが、西郷が立派にし、墓碑銘を刻んだとのこと。その9烈士の時世の歌や書が展示されていて一通り見る。
そしてもう一人、江戸時代中期の薩摩藩士、平田靱負(ゆきえ)の墓もある。この方、木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)の治水工事の責任者として働いた人物。幕府の命により、薩摩藩が行った事業で、資材はすべて薩摩藩が出し、幕府は財政を削ぐ狙いもあったといわれている。莫大な金や労力を使い、犠牲者が出たことで、責任を取って自決したとされている。その平田靱負の肖像画や書も展示されていて、じっくりと拝観。真面目そうな“おじさん”の顔を見、「がんばりましたね(心の声)」と声をかけ、墓地へ移動。
横一列、9烈士の墓が並び、その向かいに平田靱負の立派な墓が建ち、手を合わせる。隣は幼稚園の施設なのだろうか、園児たちの声が聞こえてきて、ここで園児たちを見守ってくれているんだなぁ~と、勝手に思い、冬空に射す日差しが少しだけ暖かい気がしました~

写真は山門に乗ってる大黒さん。島津家の十字家紋が印象的。

泉涌寺(1) - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:54:00

大黒寺近くの肥後町バス停から大石橋バス停で乗り換え、泉涌寺道バス停で下車。泉涌寺への案内看板がある交差点を南東方向へ歩いていき、徐々に緩やかな上り坂に差し掛かると、「これこれ」と懐かしい。泉涌寺へはもちろん訪れていて、この上り坂筋には塔頭や西国33観音霊場の今熊野観音寺があり、すべて立ち寄っている。木々が生い茂るトンネルを抜けると泉涌寺への入口、大門がで~んと建っていて、さっそく近くの受付で手続きを済ませる。
泉涌寺は「御寺(みてら)」というほど、皇室から深く帰依せられている寺。四条天皇が当寺に葬られてから歴代の天皇の山陵がここに営まれるようになり、皇室の菩提所として信仰を集めている。もともとは、弘法大師がこの地に庵を結んだことからであるが、その後、月輪(がちりん)大師俊芿(しゅんじょう)が中国の宋の法式を取り入れて大伽藍を築き、寺地の一角に湧き出る清泉をもとに「泉涌寺」と改めたという(冊子参照)。
そんな厳かな雰囲気漂う境内の大門から下る坂道の先に、これぞ泉涌寺という、パンフレットや広告でもお馴染みの仏殿の景色が見え、写真を撮る。仏殿の脇には、今でも湧き出る泉涌水があり、祠も祀られている。
さっそく仏殿に入り、三世仏にお参り。天井には狩野探幽筆の「幡龍図」が描かれ、仏殿を守っている。説明によると、内陣左から阿弥陀、釈迦、弥勒と祀られていて、過去、現在、未来と、三世に渡り、人類の安泰と幸福を願い、南宋の習いに沿ったもので、座像は運慶作と伝えられている。三世仏の後ろに回り込むと、後壁にも観音さまが描かれていて、これも探幽作。じっくりと拝観し、いよいよ隣の舎利殿へ。

泉涌寺(2) - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:54:59

舎利殿は「京の冬の旅」では初公開。「舎利」とは、お釈迦さまの骨ということぐらいは、いろんなお寺を巡っていてわかっている。細かく言えば、骨を細かく砕いたものを「舎利」といい、そこから転じて「ごはんつぶ」=「しゃり」という言葉は豆知識で覚えている。
中に入るとカメラクルーが撮影していて物々しいが、ガイドさんが付き添い案内してくれ、ガイドさんによると、読売テレビの取材で、前日(だったかな?)に女優さんがナビゲート役にもう前撮りをしていたらしい。
…で、カメラクルーはほったらかしにして、堂内の説明をして下さる。舎利殿は1668年、
後水尾天皇の御代に再興されたもので、国の重文に指定、娘の明正天皇が京都御所から、今でいう図書館のような建物の一部を移築したといわれている。室町時代には猿楽師の世阿弥がこの場所を能舞台として謡曲「舎利」を演じられたことで知られ、謡曲「舎利」とは、簡単にいうと、足疾鬼(そくしっき)という鬼が舎利殿にある「仏牙舎利」を盗み、それを舎利殿の守り神である韋駄天が取り返そうする話。
その「仏牙舎利」(釈迦の歯)が内陣中央、舎利塔に収められていて、その脇に月蓋長者と韋駄天が安置されている。1255年、中国の宋から清来されたものであるが、月輪大師俊芿が南宋の大しょうこく寺(漢字がわからない…)で出会い、最初は日本に持って帰ることができなかったが、弟子の湛海律師に受け継がれ、持ってこられたとのこと。はるばる中国からやってきて、700年ほどの時を経て、今もって守り続けられている釈迦の歯。まったく関係ないが、自分のことながら、去年、前歯が欠けてしまい(鉄柱にぶつけ…)10年ぶりに歯医者に行って治療してもらったが、何と虫歯がないという、驚くべき診断に、これからも歯は大事にしないといけないなぁ~と、“守る”という意味で思考が飛ぶ。
天井に目を移し、狩野山雪筆の「龍図」が描かれていて、江戸で描き、分割されてここに運ばれたという。ガイドさんが床についている印のとこまで案内し、ここで手を打つとその反響音が、天から降る龍の鳴き声?のように聴こえることから通称「泣き龍」ともいわれていると。ガイドさんに勧められ、柏手を打つと「…鳴き声?」、凡人にはただ響く反響音しか聴こえないが、「なるほど…」と気を使う。
…そして、舎利塔の前には皇女和宮の小さな念持仏が祀られていて、拡大写真で紹介。堂内左手には釈迦如来図があり、7万108文字の経文で、金泥で施され、大正天皇が病にかかり、早く治るようにと描かれた代物や、釈迦如来像の掛け軸等々を拝観し、満足×2。境内、唐門や霊明殿、大門近くの、信長が建てた楊貴妃観音堂の伽藍を散策し、次へ。

高台寺天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:55:57

泉涌寺道バス停に戻り、清水道バス停へ移動。八坂の塔への道から北へ外れ、高台寺の圓徳院の近くまで来ると、通りには京都らしく、人力車が数台止まっている。高台寺の緩やかな上り坂の石段参道を歩き、山門をくぐると、目の前に高台寺天満宮、左手に高台寺への拝観受付への石畳が続いている。高台寺は紅葉の時期、夜間拝観で訪れたことがあるが、もう10年以上は建っていて、今回訪れた高台寺天満宮のことは「あ~、こんな社があったようなないような…」と、印象がなく、ネットでこちらの御朱印がいただけるという情報が元で立ち寄った次第。
…ということで、改めて社殿を見、まるで祇園祭の山車のようなコンパクトな外観のイメージがし、中を覗くと菅原道真像が祀られている。立て看板の説明には「網敷天神 菅原道真公」と書かれ、北政所が崇敬していた網敷天神像で、道真公が大宰府に流されていくとき、船内に敷物がないため、船の友綱を撒いて円座とし、憤怒の形相をあらわにした像であると。藤原時平の裏切りは相当堪えたのか、怒った姿もわからないではないが、それを戒めとしているのだろう、その像の前でお参りし、近くの売店で御朱印をお願いする。ここから近くの利生堂というところでも御朱印をしていただけますよと、受付の方が紹介して下さり、行ってみることに。

高台寺利生堂 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:57:09

東に目を向ければ、東山を背景に霊山観音の大きな観音像が顔を出し、周りは広い駐車場となっている一角に、真新しいお堂が見える。お堂といっても、休憩所のような新しい建物で、早速行くと、入口では靴を脱いでくださいとビニール袋が用意されていて、そこは広いホテルのエントランスのように、赤い絨毯が敷かれ、注意書きがなければ靴のまま入ってしまいそうな雰囲気。
中に入ると、礼拝堂のように椅子が並べられ、ぐるりと一周、壁一面に釈迦涅槃図が描かれていて、壁の釈迦が本尊となっている。“眠りについている”お釈迦さまに手を合わせ、休憩がてら椅子に座り、壁画を見、見上げると天井には、天使のような羽衣を着た飛天が天へ誘うように泳いでいる姿があり、しばらく見とれてしまう。壁の隅には縦長のエアコンが設置されているが、よく見ると、壁画の一部と同化し、考えられている。説明によると、法要や講演会を催すために作られたお堂で、高台寺所蔵の涅槃図をデジタル複製で貼り巡らせ、ハスの花をイメージし、八角形にしているとのこと。嘆き悲しむ弟子や動物たちの表情を1つ1つ見、ここに訪れた人が何かしらの、生や死を考える場所なのかなぁ~と思い、限をつけ、受付で御朱印をお願いする。「安心」という珍しい御朱印の題目に「なるほど~、そうきたか~」と何となく、ここの涅槃図から、そう書いた心理がわかるような気がして後にするのでした~

斎宮神社 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:58:13

祇園バス停まで歩き、二条駅前バス停へ移動。そこから京都バスに乗り換え、有栖川バス停へ。行く予定ではなかったが、ネットで、自分で御朱印のハンコを押す神社があることを知り、夕暮れ前に立ち寄ることに。立ち寄るといっても、嵐山方面の遠くまでの移動距離だが、自分でハンコを押すということは、社務所には誰もおらず、時間を過ぎても大丈夫だろうと思い、訪れる。
斎宮神社はネットの情報によると、天照大神を祭神とし、伊勢神宮に仕える斎宮(いつきのみや)が有栖川通りに野宮を設け、ここに籠って示禊、祓の儀が行われた旧跡とのこと。話は変わるが、2年ほど前に三重テレビで「斎王」のことを全10話に渡って放映していて、皇女たちの生活や時代変遷を紹介。ある程度の内容は知っていたが、この場所で斎宮のことに出会うとは、改めてもう一度ビデオを見なおしたいと思う。
道路に面し、木製の鳥居が見え、境内に入ると、さざれ石や椋の大木が目立ち、散策。拝殿でお参りをし、社務所へ行くと、情報どおりスタンプセットが置かれていて、見本どおり御朱印帳に押印する。その間、社務所から人の話し声が聞こえ、無人じゃないんだ~と、思うことは…、まぁ~、それぞれの神社の都合もありますから…ありがたく御朱印をいただき今日はここまで。

大久保利通旧居跡 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 15:59:13

西陣周辺のホテルで宿泊。堀川今出川バス停から河原町今出川バス停へ移動。今まで京都に来て、一回も立ち寄っていない「出町ふたば」の和菓子屋さんに行こうと、朝一で訪れる。有名な「豆餅」は、毎日1000個以上が売れる定番の和菓子に、行列はいつものことで、テレビでも紹介され、朝9:00頃、すでに行列ができている。
私を挟んで前後、外国人で、人気のスポットとしても有名なのがわかる。
豆餅2個と幸福餅1個を購入し、後ほど紹介。
河原町今出川の交差点を南西方向へ行き、大久保利通旧居跡の石碑を探す。「京の冬の旅」のテーマは明治維新150年記念。ということで、薩摩藩士の大久保さんが京都に住んでいた場所を訪ねる。そこは京都御所の東側。岩倉具視と討幕のための、朝廷工作にあたり、上洛して以降、京都に滞在することが多くなり、この地に邸宅を構えた場所で、御所に近い。
石碑がどこにあるのか、最初は見つけられなかったが、民家と民家の塀の隙間にちょこんと建っていて、今は忘れられたかのように石碑が佇んでいる。写真だけ収め淡々と次へ。

宝蔵寺 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:00:15

河原町今出川バス停から南へ、河原町三条バス停へ。河原町の商店街アーケードを歩き、宝蔵寺に到着。こちらのお寺、伊藤若冲の墓が眠る菩提寺で、訪れたこの日、2月8日は若冲の生誕された日。寺宝展や生誕会が行われるということをネットで知り、訪れた次第。
伊藤若冲は江戸時代中期、京都高倉錦小路の南東角にあった青物問屋「枡屋」の三代目、伊藤源左衛門の長男として生まれ、父が42歳の若さで亡くなり、若冲23歳で4代目源左衛門となる。30代のころに絵画を志すようになり、次弟の宗巌に家督を譲り、茂右衛門と改名し画事に専念。京都を代表する画家として弟子が10人以上確認されているほど活躍、菩提寺である宝蔵寺には、作品が弟子を含め多く所蔵されている(冊子参照)。
宝蔵寺はもともと寺町にあり、秀吉の区画整備によって、今の裏寺町に移転、幕末の禁門の変で全焼し、本堂は昭和に入って建立されたそうな。
山門をくぐり、草木が生える境内に、正面に本堂、左手に庫裏があり、本堂前には伊藤若冲一族のお墓が並んでいる。本堂に上がると、拝観されている方々が結構いて、若冲ファン?だろうか、知っている人は知っているんだなぁ~と、本尊の阿弥陀如来に手を合わせ、さっそく奥の客殿へと移動。一室には、若冲、その弟子たちの作品が展示されていて、「竹に雄鶏図」「髑髏図」等々、水墨画が並び、じっくりと拝観。普段は、一般拝観はしていない宝蔵寺の寺宝を見ることができ、満足×2。生誕記念の御朱印をいただき次へ。

妙覚寺 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:01:21

河原町の商店街で早めの昼食をし、河原町三条バス停から北へ、河原町今出川バス停で乗り換え、西へ堀川今出川バス停で乗り換え、北へ天神公園前バス停で下車。大通りを東へ渡れば、水火天満宮や本法寺、茶道で有名な表・裏千家の庵が周辺にある懐かしい町並みを歩き、妙覚寺に到着。ここも「京の冬の旅」では初公開となる日蓮宗のお寺。狩野一族の菩提寺でもあり、今回は偶然にも宝蔵寺といい、絵師つながりで訪れる。
参道を歩き、広い境内に本堂がで~んと建ち、庫裏へ移動。庫裏の前には立派な松の木が植えられていて、冬らしい茶色い苔の庭が癒しを与えてくれる。
受付で御朱印帳を預け、ボランティアガイドの案内で、まずは当寺の歴史と庫裏について。日蓮宗ははじめ、京都では受け入れられず、迫害を受け、日像上人が全国に布教活動をし、修行13年、27歳のころに後醍醐天皇に公に認められ、妙顕寺を建立することを許される。日蓮宗の後継者争いから身を引いた日寛(にちじつ)上人が、豪商の小野妙覚が寄進された四条大宮の土地に日像上人を開山として建てたのが妙覚寺で、4回の移転を伴い、現在の地にある。庫裏はいわずと知れた台所のこと。天井板が外され、梁がむき出しになっているのが特徴で、台所にちなみ、大黒天が祀られている。
本堂へと案内されると、内陣には釈迦と四天王の顔が描かれた、横に長い絵が展示してあり、まだ制作中とのこと。画家の塩沢文男氏の作品で、今年5月に、開眼法要が行われる予定なんだとか。今後300年間は保存される計画とのことで、本人がこの場で忙しく描いている。
本堂から見える庭は、「法姿園」と呼ばれ、法華経の教えである「諸法実相」という「あるがまま素晴らしい」という意で、毎朝の掃除のみの手入れだけなので、「あるがまま」といった感じそのまま。モミジが植えられていて、秋には特別拝観もあるそうで、またぜひ訪れたい。本堂の角に移動し、縁側から見る、外に建っている「華芳塔堂」の説明を聞く。お堂内には厨子があり、厨子の中に石塔があり、この石塔が「華芳塔」といわれている。かつて比叡山で修業されていた日蓮大聖人が、密かにご自身が書き写した法華経を納めるために石を彫って作られた塔。残念ながら中に納めていた法華経は紛失してしまったが、「華芳塔」は信長の比叡山焼き討ちをも耐え、残ったもの。厨子は「華芳宝塔」といい、桃山時代に作られ、観音開きの両扉には狩野派の絵師による中国風の衣装をまとった六神将と四仙、外側には四天王が描かれている。
渡り廊下を渡り、最初に見た本堂だと思っていたお堂は祖師堂といわれていて、江戸中期の建立。内部は豪壮な天蓋に、中央に日蓮大聖人、右に日朗上人、左に日像上人の三菩薩坐像が祀られていて、すべて等身大で、聖人たちの面影を今に伝えている。そして、内陣を取り囲むように、先ほどの塩沢文男氏作の十二支の絵画が並び、1つ1つ見て、三菩薩に手を合わせ、祖師堂奥の壁に祀られているとこへ移動。狩野元信筆の「大涅槃図」、幅4.6m高さ5.9mにおよぶ釈迦入滅の姿をとらえた絵をしばらく見、ガイドさんが説明して下さる。
釈迦如来は北を枕に、右脇を下にして眠りについていて、その周りに嘆き悲しむさまざまな弟子や動物たちの姿…、高台寺利生堂で見た「涅槃図」と絵の構図は変わらないと思いながら…8本の沙羅双樹のうち4本が黄色く枯れていると。沙羅双樹は常緑樹で、枯れることがないのに、釈迦の死の悲しみのあまり、枯れてしまったという表現をされている。そして、左から2番目の木の上に、赤い袋が引っかかっていて、釈迦の母君が天上の世界から死を聞きつけ、何とか助けたい一心で、薬の入った袋を落とすが、奇しくも木に引っかかって取れなかったという意味を表し、「薬を投げる」→転じて「投薬」という言葉が生まれた起源でもあるとのこと。「へぇ~」と詳しい案内を聞き、「なるほど~」といろいろ知識を深める。
もう一度、三菩薩像の正面に立ち、荘厳できらびやかな内陣を見、日蓮宗の総本山、身延山久遠寺を思い出しながら拝観できたことに感謝。手を合わせるのでありました~

薩長同盟と薩摩旧邸跡 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:02:25

妙覚寺から東へ、地下鉄鞍馬口駅へ向かう。その道中、薩長同盟が行われた場所と伝わる近衛家別邸の御花畑屋敷跡、小松帯刀寓居跡の石碑があることを知り、立ち寄ることに。以前はここではなく、一条戻り橋辺りに石碑が建っていたが、2016年鹿児島県歴史資料センターの資料により、ここではないかという説が有力視され、今ある場所に移動している。石碑の敷地内に喫茶店があるので、ここにかつて家屋が建っていたのだろう、想像しつつ、想いに馳せる。喫茶店に入りたかったが、定休日のようなので諦め、薩摩つながりで、最初に薩摩藩邸が建てられた場所へ。
地下鉄鞍馬口駅から四条駅へ移動し、人の流れが激しい駅構内から地上に出、大丸百貨店を目指し歩く。デパートが立ち並ぶ四条通りは、相変わらずの賑わいで、そんな中、大丸百貨店の敷地に建つ石碑を探すが、見つからず、路駐している車の影に隠れているのを発見。「薩摩屋敷之址」と刻み込まれた石碑に、案内看板を一通り読み、「ここか~」と、ここでも想いに馳せる。蛤御門の変で焼失するまで160年間ここに置かれ、後に、前回訪れた相国寺の境内に設け、今は同志社大学となっているが、地図上で見ると京都の商いの中心地から御所の北近くに引っ越していることから、皇族との関係性を保ちたいという望みもあったのだろうと垣間見、いろいろと想いを巡らせる。今年は“薩摩イヤー”(勝手に銘々)で、鹿児島県の旅はたぶん無理だが、京都のゆかりの地だけでも訪れることができてよかったーっと、思うのでありました~

コーヒーと豆餅 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:03:32

さて、今回の旅の行程はすべて周り、どこかへ行く予定がないので、どこぞで休憩をと、ネット検索し、京都御所内にある富小路休憩所へ。地下鉄四条駅から丸太町駅で下車し、東に向かう市バスに乗って裁判所前バス停で降りる。歩いて数分、ここは御所の敷地内の南東に当たる場所で、テニスコートなどのスポーツ施設があり、ジョギングやウォーキングをしている人を見かける。
休憩所に入り、軽い飲食もできるので、ホットコーヒーをお願いし、待ちに待った豆餅と一緒にいただく。豆餅ははっきり言って消費期限がない。いや、あるにはあるが、せいぜい1日で、翌朝には味が変わると聞いていて、その日のうちに食べるのが正解なのである。
いただいた冊子には、「出町ふたば」は明治32年の創業。初代の三次郎が生まれ育った石川県加賀小松にあった豆餅を、京都の地で根付かせたいと、「赤えんどう」を使った「大福餅」を作ったのがはじまり。「赤えんどう」は北海道美瑛、富良野産、中のこしあんは十勝産小豆を使っており、餅米は滋賀羽二重糯米を使用。掲載されているロゴマークが下鴨神社の神紋にあたる葵の葉が2枚描かれており、想像だが、そこから「ふたば」と店名が決まったのだろうかと。とにかく“繁盛”という言葉がまさにピッタリの和菓子屋さんだが、“繁盛”という裏にはここまで培ってきた苦労は、あの厨房?で忙しく手を器用に動かし続けている職人技から垣間見える。
…で、さっそく実食すると…、文句なし。感想はあえて言いません。っていうか、表現が見つからないし、一生に一度は味わってほしい。無難にコーヒーを頼んだが、豆餅に合うだろうかと、ちょっと失敗したかなっと思ったが、これがよかった! コーヒーの苦みが甘さを抑え(もちろん、豆餅だけで食べてもそんなに甘くはない)、ペロリと一気に食べ満足×2。
幸福餅は栗がベースだろうか、こちらも文句なし。次は違う和菓子も購入してみたく、休憩がてらゆっくりと「おやつタイム」と洒落てみました~

みたらし団子 - モリゾーのひとり言

2018/03/08 (Thu) 16:04:45

休憩所で京都の情報をネットで調べていると、そういえば有名どころでまだ、訪れていない場所があったことを思い出し、「豆餅」「下鴨神社」つながりで、加茂みたらし茶屋の行き方を地図検索。下鴨神社から西に位置する「加茂みたらし団子 本家 亀屋粟義」へは、下鴨神社前バス停から近く、行こうか行くまいか悩む。…っていうか、「今、豆餅食べたばっかやん」と自問自答し、お腹具合と相談。「よし、行ける!」と決断し、河原町丸太町バス停から北へ、1本で行ける市バスに乗り込み、バス停から数分歩いて到着。
店に入ると、ほとんどの席が埋まっていて、奥の席に座り注文。メニューを見ると、みたらし団子以外にもぜんざいやわらび餅もあり、甘味処といった感じ。名物のみたらし団子を頼み、あと飲み物を…「えっ、コーヒー、抹茶が売り切れ…」と少し思案していると、店員さんから「ゆずティー」を勧められ「では…」とお願する。
瓢箪のお盆がおしゃれな風合いを醸し出し、店員さんに撮影の許可をいただき、みたらし団子とゆずティーを実食。みたらし団子には爪楊枝が1本刺さっていて、「なるほど~これで串から引き抜くのか~」と、実際、この動作をすると、何か、お上品になった感じがして1玉1玉、“霊魂”を胃袋に取り入れるかのようにしてほおばる。普段、焼き鳥やおでんとか、そのまま串を口にもっていって引き抜く食べ方が主流だが、なるほど!こういう食べ方もあるのかと、さすが“京都”といった感じ。
前回の下鴨神社の項で紹介したが、「水泡」や「五体」の由来説明が壁に貼りだしてあり、昔はみたらし団子に限らず、団子は神前に供え、祈祷をした後、それを家に持ち帰って食した風習があることが書かれていて、「団子」って、季節を通して「端午の節句」や「中秋の名月」「お月見団子」、「お彼岸のおはぎ」…おはぎは違うか…で、よく考えると、神格化した代物だなぁ~と改めて気づき、“ご利益団子”としていただくのでした~

ちなみに、別腹に「豆餅」、別腹に「みたらし団子」と、お腹を満たし、その日の夕食は大丈夫かと思ったが、これまた、しっかり胃袋を満たし、別腹はやっぱし別腹、ブラックホールは存在する…などと呆れる想像をするのでした~

また30、京都の旅 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:15:52

毎年恒例の「京の冬の旅」。今年で52回目と、私も恒例となりつつある冬の京都の旅だが、今年の「京の冬の旅」のテーマは明治維新150年記念で、NHK大河ドラマの「西郷どん」にちなみ、西郷隆盛ゆかりの寺院が特別公開となっている。そして、今回は「京都刀剣めぐり」という企画をネットで知り、それも合わせて散策してきましたよ~

城南宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:16:46

地下鉄竹田駅へと移動し、歩いて20分ほど、安楽寿院や北向不動院の境内を横切り、西へと慣れた道のりを進む。もう何回来てるだろうか、つい最近でいえば、昨年の梅の時期に訪れ、それほど経っていないので“懐かしい”という言葉より、“久しぶり”という言葉が相応しく、大きな鳥居まで来ると、「これこれ」と、石碑に刻まれた「城南宮」の文字を見、立ち止まる。
今回なぜ訪れたかというと、鳥居までの参道の途中に祀られている「真幡寸神社」と、「正五九詣で」の御朱印がいただけるということをネットで知り、NHK大河の「西郷どん」との絡み(鳥羽伏見の戦い)もあって訪れた次第。
真幡寸神社は「延喜式」の神名帳にも記され、神紋が徳川家と同じ「三つ葉葵」であることから江戸幕府より問い合わせがあり、由緒を奉行所に回答した文書が伝わっている。真幡寸大神と応神天皇を祭神とし、平安遷都以前からこの地にあったとされ、この地に勢力のあった秦氏の氏神であったという説もある。
「正五九参り」は、神様とご縁が深いお正月、5月、9月の年3回、一年の節目節目にお参りする慣わしで、孝明天皇が御祈祷を修められたことから始まっている。
広い境内、まだ補修工事中の本殿が見え、拝殿へと移動しお参り。やはり、1月下旬の閑散期には参拝される方は少なく、あの神苑で見られるしだれ梅の咲く頃の、人の賑わいを思い出し、咲くのを待ちわびるかのように神苑入口を一時、眺めるのでありました~

神泉苑 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:17:42

竹田駅へと戻り、地下鉄を乗り継いで二条駅前へ。そこから市バスで(市バス地下鉄2日乗車券を利用)神泉苑前バス停で下車。こちらも昨年のツツジが咲く春に訪れ、“久しぶり”といった感じ。ネット情報で新たに御朱印が増え、今まで、平日はおろか、会うことさえままならぬ状態だったのが、ここ最近、平日でも寺務所が開いているとのことで、うれしい限り。
…で、あの、相変わらずの赤い橋に、善女龍王社を中心に、池のまわりの各お堂、水面に鴨の群れが泳ぎ、“アイドルアヒル”は朝からお昼寝タイムと、平和な境内を散策。
神泉苑の縁起はもう説明しなくてもいいだろう(ネットで調べてね…)、一言でいえば、雨乞いの神様が祀られているということと、キーワードでいえば「弘法大師」「桓武天皇」「静御前」等々と関係している。
御朱印をお願いしようと寺務所へ行くと、そのワードそのままに御朱印のお題目にもなっていて、いつの間にか8つもあり、“御朱印コレクター泣かせ”?である。手持ちの御朱印帳のページが一気に染まるのを覚悟して、前回いただいた「善女龍王殿」と「平安京延暦聖跡」以外をお願いし待っていると、節分祭りまでの間、特別な恵方の神様、歳徳神のお札が置いてあり、「節分か~」と、今年は仕事で行けないことを嘆き、悔やむのでありました~

妙心寺東海庵 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:18:39

神泉苑バス停から京都バスで妙心寺前バス停へ移動。南門から境内へと入り、塔頭寺院が並ぶ石畳を歩く。「京の冬の旅」での妙心寺の特別拝観は、三門と東海庵のみ。三門は以前拝観し、その三門を見上げながら釈迦の弟子である十六羅漢像や天井に描かれている飛龍があったことを思い出す。
東海庵にたどり着き、受付手続きでガイドブックと書置きの御朱印をいただき中へ。“エントランス”には韋駄天だろうか、小さな木像が祀られていて、「ようこそ」と迎えてくれ、奥へ行くと3つに分かれた部屋、そして枯山水の庭が広がる。ガイドさんの説明によると、「室中の間」と呼ばれる襖絵には狩野派による松に鶴などの花鳥や秋草が描かれていて、作者は不詳。「???(忘れた…が竹で作られている)」という欄間で仕切られ、中央の間には妙心寺派の1つ、東海派を興した悟渓宗頓(ごけいそうとん)の像が祀られている。
枯山水は何もないまっさらな庭。時代劇に出てくる「お白砂」で、あたかもゴザに罪人が座れば大岡越前か遠山の金さんかと想像したくなるが、ガイドさんによると、禅をするため、何もないことで集中できる意味合いがあり、もし岩とか配置されていたら、それに目がいって雑念が入るからと。「なるほど~」と確かに殺風景のように見えるが、理由を聞いて納得。お礼を述べ、廊下を奥へ進むと、小ぶりな枯山水。こちらは白砂の波が円形に形作られ、7つの岩が配されていて、先ほどのよりこちらは見栄えがいい。写真を撮り、さらに奥へ行くと、木々が植えられた小ぶりな庭園。亀や鶴、薬師三尊、滝を模した盛土に、木々や岩々が配され、わかりやすくガイドさんの説明を聞く。中でも左右の端っこに置かれた2つの手水鉢の石が、円柱と横に長い直方体の変わった形に作られていて、どこから掘り出してきたのか、よく見つけてきたなぁ~と感心。これぞ京都らしい家屋の風景に、ゆっくりとじっくりと拝観するのでした~

わら天神 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:19:36

妙心寺北門前バス停から北野白梅町バス停で乗り換え、わら天神バス停で下車。こちらも随分前に訪れているが、新たに摂社の六勝稲荷神社の御朱印がいただけるということで伺った次第。第一の鳥居をくぐり、直角に参道が続く第二の鳥居を抜ければ「そうそう」と、こちらは“懐かしい”。「京都十六社まいり」と書かれた幟を見、「なるほど」と思い出す。京都では正月から2月の15日まで十六社、全部お参りすれば、記念品がもらえる企画があって、もちろん過去に十六の社は回っているので必要ないが、ここもその1つだったのか~とすっかり忘れている。
わら天神は安産のご利益で有名。正式名称は「敷地神社」で、古くは北山の神として、大古山背国(山城国)葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、天長八年(831年)に、この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀国より移住し、その地で崇敬していた菅生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とし、北山の神の西隣に祀って、祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定めたとある(ネット参照)。稲藁の護符を授かることから「わら天神」と呼ばれるようになり、藁に節があれば男児、無ければ女児が生まれるという。
摂社の六勝稲荷神社は試験合格のご利益があるとされ、平安京遷都の際、平野神社(桜の名所で有名)の地主として、伊勢、石清水、加茂、松尾、稲荷、春日の六柱を勧請したのが始まりとされている(ネット参照)。
両社でお参りし、社務所で御朱印をいただく。社務所では赤ん坊を連れた家族連が祈願受付をしていて、ここの神社らしさを味わい、後にするのでした~

建勲神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:20:43

わら天神前バス停から建勲神社前バス停へ。南東方向に延びる道を歩くと、大きな鳥居が見えてきて懐かしさを憶える。
建勲神社は織田信長公を主祭神とした神社。秀吉が信長公の霊をなぐさめるために船岡山に寺を建立し、信長像を安置しようとして正親町天皇より天正寺の寺号を賜ったが、寺の竣工が途中で終わり、その後、船岡山は信長公の霊地として大切に保護され明治に入って、明治天皇より戦国乱世において天下統一、朝儀復興などの事業を進めた信長公の御偉勲に対し、「建勲神社」の神号を賜り、山麓から山上の現在の地に移建した歴史がある(ネット参照)。
今回訪れたのも、「京都刀剣めぐり」と呼ばれる企画をネットで知り、どうやら今年で6回目とのこと。今どきのゲームのキャラクター人気にあやかり、火が付いたようで、年寄り?にはよくわからないが、有名な刀剣を所蔵している神社、4社を巡り、集めたピースでストラップが完成するという”数珠つながり的?“な催しのよう。その1つが建勲神社ということで再び訪れた次第。船岡山に建つ神社なので、石段を上がるにも息を切らして登った記憶がよみがえり、ゆっくりと歩く。山の中腹にある、末社の義照稲荷社をお参りし、頂上にたどり着くと、舞殿に拝殿と並び、早速お参り。若い女性の参拝客がほとんどで、刀剣が趣味という、まったく似つかわしくない、明らかにゲームキャラクターの人気で訪れていることが想像でき、アニメの力は「すごいなぁ~」と感じ、社務所へ行くと、そのキャラクターのポスター他、神社らしくお守りやストラップなど関連グッズが置いてあり、繁盛しているようだ。刀剣めぐりの御朱印と「天下布武」と書かれた御朱印帳、書置きの「不動行光」の御朱印をいただき、あと3社目指し旅の糧とする。


写真は境内からの眺め。比叡山が見える。

常林寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:21:48

建勲神社前バス停から出町柳駅前バス停へ移動。大通りに面して、質素に常林寺の山門が建ち、中に入る。「京の冬の旅」特別拝観は一部を除いて10:00~16:00までと決まっていて、到着した時刻は15:40ごろ。苔が敷き詰められた庭を通り、受付で「時間は大丈夫ですか~」と尋ねると、まだ大丈夫で、客殿に失礼する。
ガイドブックによると、常林寺は「萩の寺」として親しまれ、浄土宗のお寺。魯道(ろどう)上人を開山とし、秀吉の都整備に伴い、寺町通り荒神口付近に建立されたが、焼失し、元禄に入って現在の地に建立されたとある。
早速本堂に上がると、格天井の下の内陣に阿弥陀如来が祀られていてお参り。右に観音菩薩、左に勢至菩薩が安置され、阿弥陀三尊はもともと、別の寺に祀られていたものを明治時代に移されたようで、ガイドさんによると、江戸時代後期の作とか…詳しいことはわからない。
格天井の一桝一桝には、四季折々の花が描かれていて、日本画家の野村はるみさんの作品。日展の審査員をされてた方で、もうお亡くなりになったが、伴侶がつい先日訪れていたとのことで、その分野では有名な方なのかもしれない。ちなみに、野村はるみ氏はここの住職のおばにあたるとのこと。他にも菊紋入りの衣をまとった帯刀僧形像や、戦火を逃れた聖観音菩薩像などが展示されていて、ゆっくり拝観。
本堂から書院へ行くと、「勝海舟の間」があり、8畳ほどの広さはあろうか、床の間に八角形の机が置いてある。ここで実際、勝海舟が常宿していたと伝わる部屋は、子母澤寛(しもさわかん)の小説「勝海舟」に登場し、新橋―横浜間の鉄道を作った勝の弟子である佐藤政養がちょくちょく訪ねて来てたそうな。この部屋から東にある庭には、近くの鴨川からの支流が流れていたそうで、かつては両方の川に囲まれた中洲に建っていたとのこと。今は建物で遮られているが、遠くは東山から比叡山の山並が眺められた景色が広がっていたという。そしてもう1つ、隣の部屋には坂本龍馬もたまに逗留していたとのことで、こちらの部屋は見ることができない。
「へぇ~」と、当時の想いに浸りながら、欄間に掲げてある、横に長い額の説明を受ける。
法然上人の弟子の源智上人から念仏の教えや考え方、心構えを亡くなる前に紙に書いて残してほしいと、法然上人が残した「一枚起請文」。直筆は金戒光明寺に保存してあり、これは明治になってから同じ門徒の一人が書いたものとのこと。
次に、念仏を唱えれば誰でも極楽浄土に行けるという教えを、既存の他宗派が猛反発し、これに対し、攻撃したり批判したりしない誓いの文章を作り、天台宗の座主の方に行いを自重し、弟子たちに署名しなさいと言っている場面を描いた「法然上人絵伝」。巻物48巻のうちの1つで、デジタル撮影されたものを知恩院から記念としていただいたものらしい。他にも勝海舟と同世代の知恩院75世の鵜飼徹定が書いた「南無阿弥陀仏」もいただいたもので、浄土宗満載。
隣の部屋には岸竹堂の描いた「釈迦三尊」の壁画。本尊の裏の壁に貼り付けてあったものを壁から離して修復したという。そして、その隣には当寺、御朱印帳の表紙に描かれている野村はるみ氏の「萩・桔梗の絵画」とお腹いっぱい。
ガイドさんにお礼を述べ、境内の角にある地蔵堂へ。常林寺が建つ以前から旅人の信仰を集めていて、子授け、安産にご利益があるそうな。地蔵堂の前に建つ灯篭は、明治天皇からいただいたとのことで、裏に菊の御紋が刻まれていて、それが証明になっている。
境内を見渡し、ちょっとだけ黄梅が咲いている冬の庭に、9月頃には萩が咲くと言われていたことを思い出し、しばらくその景色を想像するのでした~

下鴨神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:22:50

常林寺から高野川を渡り、下鴨神社へ。もみじの時期や葵祭の流鏑馬神事等、何回も訪れているが、新たに摂社の御朱印もいただけるというネット情報を知り、立ち寄った次第。糺の森といわれる中の長い参道を歩き、途中に、東西に建つ鳥居が見える摂社の河合神社にまずお参り。祭神は神武天皇の母、玉依姫命で、女性守護の信仰を集める神社。美麗のご利益がある境内には、女性の姿がほとんど。絵馬が手鏡の形をしていて、顔の表情を自分で描き、願い事をする(…だと思う)ものが拝殿横に飾られ、そこだけ女性の念が強い(…と感じる)。
こちらには鴨長明の方丈の建屋が復元展示されており、当時の質素な生活の様子が想像できる。鴨長明は河合神社の神官の子として生まれた、「方丈記」で有名。国語や歴史の教科書で一度は聞いたことがあると思うが、詳しいことは面倒くさいので…(自分で調べてね…)
河合神社から再び参道へ、本殿を目指し歩くと、楼門手前にはえんむすびの相生社があり、ここも女性客で賑わっている。立派な楼門を潜ると、正面は舞殿、中門に仕切られた本殿、右手には御手洗社がある。下鴨神社の本殿は2つあり、西本殿に国家安泰、厄除けなどのご利益ある賀茂建角身命、東本殿には縁結び、安産、育児のご利益ある玉依姫命が祀られていて、中門と本殿の間に「言社(ことしゃ)」といわれる7つの社がある。それぞれに干支を守る神様が祀られていて、それぞれに参拝客は、各自の干支に手を合わせていて、私もお参り。
下鴨神社は正式には「賀茂御祖(かもみおや)神社」といい、鴨川の下流に祀られていることから「下鴨神社」と呼ばれるようになった…と、歴史はHPを見ていただければ、歴史ある神社だということはわかっているので、ここも説明しないが、みたらし団子発祥の地という食い気に関しては説明したい。まぁ~、あまりにも有名な話だが、御手洗社のすぐ横にある御手洗池から出てくる「水の泡」を模倣…、後醍醐天皇が行幸の際、御手洗池で水を掬おうとしたところ、1つ大きな泡が出、続いて4つの泡が出てきた逸話による説、もう1つ、人間の一頭四肢を表し、人形に模して厄除けのために作られた説とある。どっちにしろ、みたらし団子を食べれば、どっちでもいいか~となるだろうが、その有名店が下鴨神社西にあることは知っていて、いつか行きたいとは思っている。
神楽殿で御朱印をお願いすると、河合神社は現地でいただけるということで、てっきりこちらでいただけると思い、いただいた後、急いで河合神社へ。確か17:00までと表示してあったので、長い参道を速足で歩く。ギリギリ何とか間に合い、ホッと一安心し、今日はここまで。

粟田神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:23:54

知恩院前バス停から近い梅本町のホテルで一泊し、翌朝、知恩院の山門をくぐり、白川沿いを北東へ歩いて行く。青蓮院門跡のある道を通り過ぎ、小路を進むと粟田神社の参道に行き着き、急坂の参道を上がり到着。「京都刀剣めぐり」の1つ、粟田神社は、紅葉の時期に一度訪れていて懐かしい。刀剣めぐり以外にも摂社の御朱印も新たに頂けることを知り、訪れた次第。
手水舎の水の表面が凍っているのを見、余計に身も引き締まる思いで、本殿でお参り。境内、いろんな摂社に手を合わせ、神楽殿の舞台には今年の干支にちなみ、型紙で作られたいろんな犬が飾られ可愛らしい。朝からちらほらと参拝客が訪れていて、女性ばかり。“刀剣キャラクター”の人気でか、はたまた京都十六社参りの、最近の御朱印ブームか、神社に訪れる方が多くなったことを実感し、私もその一人だが…、社務所で御朱印をお願いする。摂社の鍛冶神社と刀剣御朱印をいただき、お礼を述べ後にする。

豊国神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:24:54

神宮道バス停から市バス101系統で、博物館三十三間堂前バス停で降り、京都国立美術館の横を北へ行くと、大きな鳥居が目立つ豊国神社にたどり着く。こちらも「京都刀剣めぐり」の1つで、過去に一度、隣の方広寺と一緒に訪れている。名称通り、秀吉を祀っているだけあって、境内は広く、参道正面に見える唐門が威厳の象徴であるかのように建っていて、しばらく眺める。
秀吉の遺骸は阿弥陀が峰の山頂に葬られているが、昔は中腹に、その麓に廟社が祀られていて、徳川幕府により取り壊され、秀吉の御廟は新日吉神宮に一旦遷される。明治に入り、当地に社殿が再建、復興され、唐門は伏見城の遺構と伝えられていて、ちなみに唐門は国宝に指定されていて、二条城、南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたもの。
立派な唐門の下で手を合わせ、社務所へ。社務所で御朱印をお願いし待っていると、気づいたら私の後ろには女性ばかりの列が続き、ここでも“刀剣フィーバー”は衰えていない。まぁ~、歴史の入口は違っても、そこから興味を持ってもらえれば日本も安泰かな…とおじさんは思うのでありました~

新日吉神宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:26:08

豊国神社から東へ、智積院のある交差点から京都女子大学方面へと向かう上り坂を上がれば新日吉神宮がある。ここも一度訪れていて、こちらは新たに摂社の御朱印がいただけるということで訪れる。当初、「しんひよし」と呼んでいて恥ずかしい思いをした笑い話だが、今はちゃんと「いまひえ」と読める。
新日吉神宮は平安末期、後白河上皇が院の御所を定められたとき、皇居の守護神として、比叡山の守護神、日吉社(現、日吉大社)を勧請し、東山の麓に創祀したのが始まり。「新しい日吉神社」という意味もあり、850年以上経つが「新」が付いている(ネット参照)。
楼門の手前には山口稲荷神社があり、しっかりお参り。楼門をくぐり、広い境内、まずは正面の本殿へと参道を歩き、お参り。本殿左手の方へ行くと、本殿向拝柱上部に猿の彫刻が扇子をもって参拝者を見守っている姿を双眼鏡で覗く箇所があり、改めてバードウォッチングならぬモンキーウォッチングをする。そして、豊国神社(樹下社)、愛宕・秋葉神社が並ぶ摂社をお参りし、本殿裏にある御神木にご挨拶。樹齢800年ぐらいの「スジダイ」(椎の木)は豊国大明神が宿っているかのように、神社を見守っているかのように生えている。一周する形で本殿左手には飛梅天満宮が祀られ、すべての摂社をお参り。社務所ですべての摂社の御朱印をお願いし、滞りなく次へ。

清水寺成就院 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:27:24

七条バス停から清水道バス停へ移動。法観寺の八坂の塔が見える小路を歩き、外国人を含め観光客がかなりいて、もう当たり前の光景である。二年坂、三年坂を上がり、清水寺への“おみやげ街道”の人・人・人をかいくぐり、朱色の仁王門にようやく到着。清水寺も何回来ているだろうか、今回は「京の冬の旅」で特別拝観をしている清水寺成就院に来たが、実はこちらの塔頭寺院は過去、秋の特別拝観のときに訪れていて、そのときは御朱印がなかったが、今回いただけることを知り、訪れた次第。
受付で書置きの御朱印もいただき、中へ通された部屋は「月の庭」が眺められる広い座敷。なんとなく「そうそう、これこれ」と記憶が蘇ってくる。ガイドさんの案内により、まず成就院の歴史について触れる。成就院は、応仁の乱後に清水寺を復興した願阿(がんあ)上人によって創建され、代々住職は、清水寺の建物修繕計画や財務などお金の管理を担当してきたとのこと。
幕末には月照上人、5歳違いの弟、信海上人が住職を務め、月照上人は「勤王僧」として西郷隆盛と知り合い、幕府の目を盗んでいろんな情報活動をしていたそうな。僧侶だと言い訳が立つことから、連絡役を務めていたが、やがて怪しいと幕府から目を付けられ、京に居れなくなり、島津家を頼りに薩摩へ逃れる。が、島津斉彬が亡くなり、居場所がなくなった月照上人は日向(宮崎)へ船で護送されるが、暗黙の了解で殺してしまえという内内の命令を察したのか、自らの命を絶つ、というエピソードがあり、「そうだったんだぁ~」と歴史を学ぶ。
次は「月の庭」へ。ガラス引き戸を開け、縁側に出て説明を聞く。まずは灯籠。庭の中央に1本の灯籠があり、そこから一直線上に遠くの山の中腹にも1本の灯籠がある。遠近法を使い、庭に広がりを見せているという。左手には山の斜面に、下は丸く刈り込まれた低木、上へ行くほど四角に刈り込まれ、そうすることで山の起伏を自然に溶け込むように仕組まれていると。手前の石組は、加藤清正公が朝鮮出兵で朝鮮から持ってきた岩と、左手奥には手水鉢があり、「誰れ袖」といって、着物の袖のにおい袋のような形になっていて、加工されてない自然石というから驚き。
樹齢400年の侘助椿に、秋には月の光が池に映り、一直線に横切る工夫もされていて、室町時代、将軍家の文化的アドバイザー、相阿弥という人物が元を設計したらしい。江戸時代に入ってからは小堀遠州が手を加えたそうで、国の特別史跡に指定されている。ガイドさんの説明がなければ、ただの美しい庭園としか、前回来た時もそうとしか思わなかったが、「なるほど~」と知識を深めおもしろい。
「月の庭」を観賞し、縁側廊下を伝い、衣装が展示されている部屋へ。白と紺の衣が展示され、前者が月照上人、後者が西郷隆盛が身に着けていたそうで、月照上人の衣装は鹿児島湾で入水したときに実際に着ていたもの。見た目、襦袢(着物の下に着る下着)のように見え、下僕の方が残しておいたという。その下僕の方も幕府からどこに逃げたのか追及され、拷問されてついには舌を噛み切って自らも死を選んだという、なんとも果敢ない時代である。ちなみに、清水寺はその下僕の子孫に、月照上人の遺産を残してくれた感謝として、境内に茶屋の営業許可をしていて、「舌切り茶屋」として今も健在。その子孫には俳優の近藤正臣で、ひいおじいちゃんにあたるというから驚き。
「へぇ~」と、いろんな話が聞けて満足×2。写真撮影はできないが、成就院の歴史が聞けてガイドさんにお礼を述べ後にする。

御辰稲荷神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:28:33

清水道バス停に戻り、熊野神社前バス停で下車。東へ数分歩くと、そこは平安神宮の北側に位置していて、時代祭の賑わいを思い出す。その通りに面して御辰稲荷神社の鳥居が建ち、敷地は狭い。当神社は過去に一度訪れていて、いろんな石神さまに手を合わせた記憶がある。
元々この場所は平安神宮北側一帯に広がる深い森であり、「聖護院の森」といわれ、その森の東南の田んぼの真ん中に「飯成社」と称し祀られていたそうな。江戸時代に入り、東山天皇に仕えた新崇賢門院(しんすうけんもんいん)の夢枕に白狐が現れ、辰の方角で待つようにとお告げがあり、その方角が「聖護院の森」で、行くと祠があり、その後社殿を建てたのが御辰稲荷神社のはじまり(ネット参照)。「辰」は「達」につながり、芸事の上達のご利益から、かつて芸妓らの信仰があったとされる。
福石は、かつて白川橋の畔に貧しい夫婦がいて、100日の願掛けの日に、妻が手にした真っ黒い小石を神棚に祀り祈ったところ、すぐに身ごもり、美しい娘を産んだという話があり、幸福、願い事が叶う福石大明神として祀られている。
今回、こちらでも新たに石の大明神の御朱印がいただけるということで訪れたが、相変わらず小さな鳥居や祠、石があり、腰を低くして移動しつつ、“密集境内”はパラレルワールド?であるかのように、各石神さま、お稲荷さまにお参り。社務所で御朱印をいただき次へ。

相国寺林光院 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:29:45

熊野神社バス停から北へ、百万遍バス停で降り、京大生で賑わうマクドで昼食。再び百万遍バス停から西へ、同志社前バス停で降り、こちらも学生が多くいる中を相国寺へ向け歩いて行く。
相国寺は臨済宗相国寺派の大本山。金閣寺や銀閣寺もその宗派の塔頭に含まれる。法堂、方丈、庫裏が立ち並び懐かしい感じだが、こちらの寺も「京の冬の旅」企画に参加していて、相国寺の塔頭では林光院と豊光寺が特別拝観をしている。
総門をくぐって、しばらく参道を歩いた右側に林光院があり、さっそく受付を済ませ中へ。ガイドさんがちょうど説明をし始めたとこで、ちょこんと座敷に座り説明を聞く。
今いる本堂には「龍虎図」の障壁画が描かれていて、インパクト大。描いたのは藤井湧泉という方で、25年前に中国から来日し(今は帰化)、あの伊藤若冲に師事していたんだとか。ここの住職さんが当時、藤井氏が48,9歳だった頃にお願いし、本堂には「龍虎図」と「蓮」のみを描く条件以外、他の書院の部屋は自由に描いてもいいという、住職さんの太っ腹も垣間見えるという。
本尊の地蔵菩薩像を正面に、右の襖に「龍」、左の襖に「虎」が描かれ、「虎」というよりは猫にも見え、眠っている姿が愛らしい。説明によると、龍の気配を感じた虎が、目を開けなくても薄々、龍の存在はわかっていますよ…といった情景を表しているらしく、中国では悟りを得た仙人は、生きた龍と虎と一緒に昼寝をするという云われ、韓国では「招き虎」といって、福を呼び込むという云われがあり、それらの意味合いも含めたコンセプトで描かれたそうな。
そして歴史については、足利将軍4代目の義持の弟、25歳で亡くなった義嗣の菩提を弔うために夢想国師を勧請とし創建されたとのこと。当初は二条西ノ京の、紀貫之の屋敷跡にあったと伝わり、その後、移転を繰り返して相国寺山内に移ったという。
薩摩島津家とのつながりもある。時は関ケ原の戦い。西軍についた島津義弘軍は敗戦、伊勢街道から堺港への脱出ルートを案内したのが、大阪の豪商田辺家で、1500人ほどの家来がわずか80人程度になるほど過酷な逃避行であったが、無事薩摩に生還。お礼として島津家から当時、密貿易をしていた琉球王国の薬や調合を伝授され、あの田辺製薬のルーツはここにあるのだ(知らなかった…)。ちなみに、庇護した田辺屋今井道興という人物で、この方の子孫が今の住職さんに当たる。
そんなつながりもあり、幕末期には、今は同志社大学の敷地だが、薩摩藩邸の長屋を建てた窓口が林光院で、蛤御門の変で亡くなられた方の慰霊碑が山門を出て東側に建っている。
書院の方へ移動すると、上段の間から順に、佐賀唐津の「松図」、「蓮と葡萄」「梅」「牡丹」などの襖絵を観賞。書院南側の庭には「鶯宿梅」が1本、植えられていて、小さなつぼみ状態で咲くのを待っている。
この「鶯宿梅」の逸話も紹介。平安時代、村上天皇の御代、御所の清涼殿の梅の木が枯れ、代わりに市中の梅を求められた。紀貫之の屋敷の梅が天皇の命で移植されたが、紀貫之の娘が、梅が「戻ってきたときに、宿るべき場所はどこ?」と言ったら何て答えたらいいの?という別れを惜しむ歌を短冊に書いて添え、それを天皇が見て、心打たれ梅を返したという話。あとは先ほどの歴史が語るように、屋敷跡に林光院が創建され、移転のたびに梅の木も一緒に運び、継ぎ木をしながら今に至っている。まさに林光院の宝物といっていい「鶯宿梅」は、3月上旬に咲く予定ということで、「京の冬の旅」の期間が3月18日まで、まだ間に合うので興味のある方はぜひ、足を運んでみては…

豊光寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:30:46

相国寺の方丈の北側にある豊光寺へ移動。白壁が続く塀にぽっかり口を開けた山門から入り、ちょっとした庭を見ながら受付で拝観料を支払う。
案内された本堂には金ピカの本尊、釈迦如来像、その左右に和尚さんの像が祀られている。ガイドさんの話によると、相国寺の92代目の住職、西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚が創建、天明の大火で焼失し、廃絶の危機に遭ったが、明治に入り塔頭寺院の慧林院と、その子院、冷香軒の客殿を移築し、豊光寺に合併したという。その慧林院と冷香軒の開祖が太嶽周崇(たいがくしゅうすう)和尚で、その二人の僧侶が右に西笑承兌、左に太嶽周崇が祀られているとのこと。
そしてこの寺では明治期の廃仏毀釈の際に、日本の禅宗を守るために奔走した荻野獨園(おぎのどくおん)和尚の存在が大きいという。方丈内の座敷には、その頂相図の掛け軸が展示されていて、その勇姿を拝むことができる。他にも足利10代将軍の義稙の肖像画、獨園和尚に参禅した山岡鉄舟の書など公開。“渋め”の寺宝を拝観し、南に広がる庭園を眺め「禅」ならではの雰囲気を味わう。

藤森神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:33:51

地下鉄今出川駅から竹田駅へ。東口バス停から中書島行きのバスに乗り、藤森神社前バス停で下車。藤森神社も「京都刀剣めぐり」の1つで、これで満願。紫陽花まつりでも有名な藤森神社は、菖蒲の節句発祥の神社として知られ、「菖蒲」から「勝負」、「勝運」ということなのか今日ではなぜか、馬の神様として競馬関係者、競馬ファンの信仰を集めている。
そんな藤森神社は約1800年前に神功皇后によって創建され、皇室ゆかりの古社。昔は近郊に3つの社があり、それらを合祀したとある。なので、祭神が素戔嗚、日本武尊、応神天皇など12柱もある(ネット参照)。
鳥居から広い参道を真っすぐ歩き、拝殿でお参り。境内は節分祭りの準備で関係者が忙しく働いている。社務所に行くと、ここでも女性客が多く、刀剣の御朱印をお願いしていて、お参りもせず直接立ち寄る姿を見かけ、「おいおい」とツッコミを入れたくなるほど、ゲームキャラクターは人気のようだ。
今回は京都でかなりの御朱印をいただき、懐事情も心配だが、多くの寺社をめぐることができて満足×2。ちなみに、2月上旬にも「京の冬の旅」、行ってきましたので、乞うご期待…(期待するほどでもないけど…)

おまけ - モリゾーのひとり言

2018/02/24 (Sat) 22:35:15

上2つは「京の冬の旅」のスタンプラリーでいただいた景品。クリアファイルは裏表それぞれに相国寺林光院の「龍虎図」の「龍」と「虎」が。

 「京都刀剣めぐり」の集めたピースの完成品。それぞれ「京都刀剣」「心願成就」「各神社の神紋」「社名」が印字されている。

 京都のおみやげで目を引いた「抹茶カレー」。まだ食べてはいないが、どんな味だろうか…

また2、豊橋の旅 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:23:04

去年の紅葉の時期に訪れた普門寺。大黒天の御朱印をいただき、吉田七福神という豊橋市内の霊場がある事を知り、これは「回るしかないでしょ!」と、満願を目指し正月明けの7日に豊橋市内の神社も含め行ってきましたよ~

英霊殿宝形院 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:23:55

豊橋市はこれまで、浜松市へ行くための“通過点”に過ぎず、豊橋の中心部の町を散策したことは一度もない。豊橋といえば、名古屋でもCMでおなじみの「ヤマサのちくわ」と、最近知ったご当地B級グルメの「カレーうどん」が有名らしい(食い物ばっか…)が、歴史でいうと、戦国時代には吉田城をはじめ東三河の戦乱の最前線基地、江戸時代には東海道の要衝として栄えた町である。
…で、まずは吉田七福神の福禄寿を祀る英霊殿宝形院を目指す。駅から豊橋バスを利用するが、1日乗車券もICカードもない、小銭ジャラジャラで運賃を支払う方式に「豊橋なのに…なんで?」とちょっと不満。まぁ~、それは置いといて、台町バス停で下車し、大きなショッピングセンターを横目に地図通り住宅街を歩く。
英霊殿宝形院はネットの情報でもあまり載っていないが、真言宗醍醐寺派ということくらいしかわからないが、隣が宝形院鍼灸院の診察所なので、お寺と兼務しているのだろうか。一般のお宅に伺うかのような境内に、本堂があり、ガラス越しに住職さんの姿が見え、本堂に上がり、本尊の十一面観音菩薩にお参り。隣の座敷にいる住職さんに七福神の御朱印をお願いする。豊橋では七福神めぐりをすると、御接待があるのだろうか、お茶菓子をいただき恐縮。少し会話をし、お礼を述べ後にする。

赤岩寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:24:49

台町バス停から赤岩寺前バス停へ移動。バス停を降りて何か、デジャヴを感じ、「前に来たかな?」と周りを見渡したがわからない。道路を北へ歩くと、立派な楼門が建ち、境内はかなり広い敷地であることが分かるほど見渡せ、早速拝観。
赤岩寺は行基菩薩により創建されたと伝わり、当初は赤岩山法言寺と称していたが、弘法大師の十大弟子のひとり、果隣上人が再興し真言宗に改めたという。鎌倉時代に入ると源頼朝が三河守護の安達盛長に命じて三河国にある主要寺院7寺を選定し、三河七御堂(赤岩寺、普門寺、財賀寺、鳳来寺、全福寺(跡)、長泉寺、金蓮寺)として境内を整備し庇護したとあり、後、今川家、松平家が、江戸時代に入ると幕府が庇護し、寺領50石が安堵され、境内にある愛宕権現が歴代吉田藩主の祈願所として崇敬されてきたとされる(ネット参照)。
本堂でお参り後、境内を散策。愛染明王を祀る愛染堂もあり、こちらは事前予約で拝観できるようだが、毎年秋には公開されるらしい。奥院へと続く登山道があり、途中まで登るがバスの時間もあり、諦めて引き返すことに。寺務所で七福神の御朱印をお願いすると、「当寺では本日、七福神祭りということで、どうぞ客殿へ」と案内される。客殿に入ると、弁財天が祀られていて、手を合わせ、お茶でもどうぞと御接待。断る理由もなく、お茶に癒され、つい一息ついてしまう。気づいたときにはバスの時間は過ぎていて、「急ぐこともあるまい」と、弁財天が言っているような想像を働かせ、諦める。休憩がてら、あのデジャヴは何だろうと思い出そうとするが思い出せない。子供の頃に来たのであろうか、はたまた、いろんな寺を巡って似たような境内に遭遇しただけだろうかと、思考が働き思い巡らせ、結局、30分も経ってしまい、お寺の方にお礼を述べ、ここでも袋詰めにされたお菓子をいただき恐縮。感謝×2で、ゆっくりさせていただきました~

東田神明宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:25:41

赤岩寺前バス停に戻ると、バスを30分ほど待たなければならない。赤岩駅まで歩いて20分ほどなので、歩いた方が早いと考え出発。赤岩駅に到着するも、どこが駅なのかわからなかったが、操車場に電車が止まっている線路を辿っていくと、道路上に人が並んでいるのを見て、「あっ、あそこか」と気づく。
昔は名古屋にも、路面電車があったということを聞いたことがあるが、豊橋ではまだ健在で、案内看板には名古屋市営バス地下鉄で使えるICカード「マナカ」が、ここ豊橋の路面電車でも使えると書いてある。…ということは、バスと路面電車は会社が違うということが分かり、バスがICカードを採用してないのも納得。そうこうしていると、電車が来て、広島だったか岡山だったか以来の路面電車乗車。
東田坂上駅で降り、北へ歩くこと数分、東田中郷町にある東田神明宮を訪ねる。お正月気分がまだ残る境内には、参拝されている方々が結構いて、私も拝殿でお参り。
案内には東田神明宮の由緒は、伊勢神宮から分霊を奉斎すると書かれているので祭神は天照大神。1553年に当時の仁連木城主、戸田氏が社殿を建立、その後云々と明治維新と郷社に列せられるとある。10月の例祭には手筒花火や稚児行列などが行われ、さすが豊橋は手筒花火発祥の地でもある。
広い境内、摂社・末社を見て回り、社務所で御朱印をいただき次へ。

薬師寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:26:42

東田神明社から北へ。丘を上がる形で坂道を上がれば、吉田七福神の寿老人を祀る薬師寺がある。
駐車場のような敷地から入り、境内からは豊橋市内が見渡せる丘の上にあるのが分かり、本堂、何だかわからない薄緑色のドーム、中島駒次の歌碑、木々に囲まれた寿老人の石仏等が境内にある。薄緑色のドームは遊牧民のゲル(家屋)のような造りで、ネットで、過去にここを訪れたあるブログの写真には説明看板が建っていて、それには「足湯不動尊」と書いてあり、入場料を払って真言を唱えると万病にご利益があると、毎週金土日に足湯を営業していたようである。訪れたときは看板もないので、もうやっていないのだろう。
中島駒次についてもネットで調べると、明治期の園芸家とある。牟呂吉田村の出で、山椒の促成栽培、後にガラス栽培を導入し、暖房用の中島式ボイラーを発明したとある。わからないが、ひょっとして、“薄緑色ドーム”の足湯は中島式ボイラーを使用しているのだろうか…と、その関連性を想像するが、たぶん違うだろう。
一通り境内を散策してから本堂が開いていたので中に入り、本尊にお参り。堂内をよく見ると、法印やハンコが置いてあり、自分で御朱印を押す方針かな?と思いながらも、とりあえずお寺の方にお会いしてから…ということで、隣の自宅に“ピンポーン”すると反応がない。留守のようなので、もう一度本堂へ戻り、自分で御朱印帳にハンコを押す。自分で御朱印を書くのはもう慣れているので、御朱印の形式ばった書式を白紙に埋め、しっかりと御朱印料を賽銭箱に入れて退出、次へ。


安久美神戸神明社 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:27:38

東田坂上駅に戻り、路面電車で豊橋公園前駅で下車。北へ向かうと吉田城や豊橋球場などがある豊橋公園、その手前、木々が生い茂る、いかにもここに神社がありますよ~と分かるとこまでくると、人の賑わう声が聞こえる。
ここ、安久美神戸神明社は毎年、2月頃にはニュースでも話題になる「鬼祭り」で有名で、赤鬼、青鬼に扮するその姿はまさに「鬼」といった感じで、国の重要無形文化財に指定されているほど、豊橋では多くの人でにぎわう。
それほどのにぎわいではないが、まだお正月明けということもあって、初詣気分の雰囲気が残っていて、人もそこそこいる。境内には祭りの紹介もされていて、写真パネルや等身大の赤鬼の衣装も展示されていて、説明看板を読む。
豊橋鬼祭りは日本建国神話の田楽の舞で、豊年と厄除けの祭りとして、千年前から毎年行われてきたとある。荒ぶる神の赤鬼がいたずらをするので武神の天狗が懲らしめようと神前で戦い、最後に和解して赤鬼が罪の償いに厄除けのタンキリ飴を撒きながら境外へ飛び去るとのこと。この飴を食べるとご利益があるという祭りで、古式の田楽をそのまま伝承している。
「へぇ~」と理解し、一度はぜひ見てみたいが、今年の2月10、11日は仕事なので残念~。定年退職後だなっと、楽しみを取っておきつつ、まだ参拝してないので拝殿へ行きお参り。当神社の由緒は面倒くさいのでHP(https://onimatsuri.jimdo.com/御由緒/)を見てね。
境内を散策、摂社・末社を見て回り、鬼祭りのときの、人のごった返した祭りの雰囲気を想像し、いつかまた来ることを約束し、御朱印をいただき次へ。

吉田神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:28:36

安久美神戸神明社から西へ。北には吉田城の城跡があるが、今回はパスし、豊橋市役所の横を通り東海道の広い道路に架かる歩道橋を渡り、看板に「手筒花火発祥の地」と掲げてある吉田神社へ。参道の途中から“おじゃま”し、本殿の建つ境内へと進む。
吉田神社は、持統天皇が三河行幸の際に頓宮として設営され、崩御後に神社とされたのが発祥と伝わっている。源頼朝が伊豆に配流の途上、普門寺に逗留した折、側近に吉田神社に参拝させ、三河守護の安達盛長に社殿を造営させたとされている(ネット参照)。
手筒花火は今川家の吉田城代、大原肥前守資良が吉田神社へ奉納されたのが始まりとされているが、諸説あるみたい。
拝殿でお参り後、社務所で御朱印をお願いしていると、宮司さんだろうか、持っていた御朱印帳が、静岡県掛川市で購入した龍尾神社のもので、どうやら龍尾神社の宮司さんと同窓生だとのこと。
「へぇ~、そうなんですか~」と、龍尾神社へ訪ねた時のことを話す。”宮司さんつながり“があるとは、これも何かの”縁“だなぁ~と感じ、お礼を述べ後にする。

神宮寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:29:41

吉田神社から南へ。豊橋市内のビル群の合間を抜け、歩いて行くこと数分、神宮寺に到着。吉田七福神の恵比寿天を祀る神宮寺は、かつて三河国吉田の地に長禅寺という荒廃した禅寺があったといい、ここに尾張国知多郡師崎(現在の知多郡南知多町)の羽頭(はず)神社別当の重信法印が荒れ寺の長禅寺を再建して神宮寺と改名し妙法蓮華経を根本経典とする天台宗に改め、近世では、江戸城の鬼門鎮護のために建立され、徳川将軍家菩提寺となった寛永寺(東京都台東区上野)の末寺となる、とある(ネット参照)。本尊は大日如来で、普門寺から譲り受けた像であるとのこと。
ビルに囲まれた一角にある境内には、本堂、地蔵堂が建ち、都会?の中のお寺といった感じで、とりあえずお参り。本堂内に上がり本尊に手を合わせた後、地蔵堂へ行き、こちらにも手を合わせる。御朱印を頂こうと振り返ると、境内でお客さんと話し込んでいる住職さんがいて、しばらくその話が終わるまで待つことに。
そして用事が済んだ後でお願いすると、わざわざ堂内の説明をして下さり恐縮。
地蔵堂に安置されている延命地蔵は「身代わり地蔵」といって、願いを叶えてくれるらしい…と、いろいろ大日如来のことなどお話して下さり、別れ際、住職さんが「今日は若い方がよく訪れていたけど、何かあるのかの~?」と。
「う~ん、私は七福神で回っているのですが、今日が1月7日で、そうそう、赤岩寺では七福神祭りをしていたので、同様に回られている方々が多かったんじゃないですかね~」と、豊橋ではそういうものかと思っていたので、詳しいことはわからない。思い返せば、どの寺でも人がいたので、正月明けの、最初の落ち着いた休日だったのもあるのかもと、住職さんとの談笑にしばらく話し込み、お礼を述べ後にする。

写真は地蔵堂

吉田天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:30:43

神宮寺から南へ数分、吉田天満宮へ。…といってもここは、白山比咩神社の境内に相殿という形で祀られている。ここも町の中の一角に鳥居が建ち、狭い敷地にいろんな社殿が建ち、早速お参り。
吉田天満宮は、かつて鹿菅という地域の海辺に菅原道真公の神像がプカプカ漂っていたのを里人が見つけ、石塚(現在の花田町)に小社を祀っていたのがはじまりという。その後、吉田城主による造営、昭和の戦災で焼失、現在の地に遷座し、白山比咩神社に合祀されるという歴史。白山比咩神社は…面倒くさいのでここを(http://sirayamahimezinzya-yosidatennmannguu.com/?page_id=8
拝殿の賽銭箱近くにはお守り等が置いてあり、書置きの御朱印もある。マンションの“一部と化した”1階に社務所があるが、不在の場合は…と想像どおり“セルフ”でお願いします…、ということで、賽銭箱に御朱印料を入れ、書置きをいただく。
今日はここまで。吉田七福神はあと3ヶ寺残ってしまったが、豊橋はまだ巡りたい神社もあるし、カレーうどんも食べたいので、いつになるかわからないが、次回に持ち越し。


また7、静岡の旅 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:49:55

今回も浜松の旅。それも念願だった秋葉神社へのお参りを、お正月にすることができ、うれしい限り。年末年始は仕事で忙しかったが、その合間を縫って行ってきましたよ~

有玉神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:50:58

浜松で御朱印をいただけてなかった神社を訪ねるべく、お正月なら社務所に宮司さんも詰めているだろうと狙いを定め、遠鉄1日乗車券を利用し、浜松東照宮、渭伊神社に立ち寄るも不在。もちろんしっかりと手を合わせ、あきらめて後にするが、すでに時間は午後を過ぎている。
この日は1月2日。日帰りの旅なので、せいぜいあと、2か所ほどしか回れないだろうと見切りをつけ、一旦浜松駅へ戻り、遠鉄電車で新浜松駅から自動車学校前駅へ移動。駅から北西へ、東名高速道の高架下をくぐり、神社らしい石の柵が見えてくると、人の賑わいが聞こえる。境内では大勢の参拝客がいて、お正月らしく地元の家族連れで、初詣気分。
ここ有玉神社は赤蛇伝説のある場所。…といっても、以前、岩水寺で紹介した坂上田村麻呂の子、俊光将軍の母親(龍神)が地蔵菩薩という話と大体同じだが、こちらは龍神ではなく赤蛇。鶴の恩返しのような、「覗いてはいけません」という玉袖姫の出産を坂上田村麻呂は覗いてしまい、大蛇が赤子(俊光将軍)を抱いていた姿を見、2つの宝珠を渡し、海に帰ってしまうという話。案内板には古来より有玉神社には「珠」を祀られてあると伝えられていて、この「珠」が2つのうちの1つとされている。
境内には俊光将軍社も祀られていて、本殿と合わせお参り。背筋の伸びた狛犬を見ながら、右手に社務所があるので行ってみると、氏子さんたちが簡易なお守り等を販売していて、御朱印について聞いてみる。
「宝印(社印)ならありますよ~」と大きいハンコと小さいハンコを用意してくれ、「有玉神社」と刻まれた正方形の宝印を押してもらう。「奉拝」や「日付」は自分で書いてくださいということで、とりあえずいただけただけでもありがたく思い、由緒ある神社を後にする。

天王宮大歳神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:51:56

有玉神社から再び新浜松駅へ戻り、今度は遠鉄バスで南中瀬方面行き、JA長上支店バス停で下車、浜松市東区の天王町にある大歳神社を訪ねる。
大歳神社は、ネットの情報では、創建時期は不明であるが、平安時代からあるとされ、「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社が合祀されたとある。8月の例大祭には「天王の花火」が打ち上げられ、社伝によれば、真田幸村の子、大助が大阪夏の陣で亡くなったとされているが、当社社家の石津家に入り、余生を送ったとされ、それ以後、石津家の家紋は真田家の裏紋に改められ、その一族が時代の新兵器として痕火や火薬を作り、当神社の花火の起源とされているらしく、おもしろい。
こちらもお正月らしく初詣に参拝されている方々がいて賑わっている。社務所ではおみくじや祈祷受付に、忙しい禰宜さんらの姿を見、そんな中、御朱印をお願いする。
しばらく待っている間、客殿らしき建物からゾロゾロと神社関係者の方々が紋付袴姿で玉砂利を踏みしめ、歩いてくるのに気づき、振り返ってよく見ると、1人だけ明らかに派手な洋服を召した人物がいる。
「あれは…○山さつきさんだ!(心の声)」とすぐにわかり、待機してある車までの数分、地元の参拝客に名刺を渡し、有権者獲得のアピールだろうか、神社でも余念がない。祈願に来たのだろうか、そしてここに居るということは、地元が浜松なのだろうかと、頭を巡らせながら、立ち去る車を見送りつつ「へぇ~」と、やっぱし人の子、神頼みするんだ~と思うのでありました~

高塚熊野神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:52:57

この日は1月4日、一泊二日の旅路。訪れていない神社を訪ねるべく、JR浜松駅の1つ手前の高塚駅で降り、南へ数分のとこにある熊野神社へ。
こちらの神社にある御神木がたいそうご利益があるというネット情報をもとに訪れた次第で、社殿は鳥居から石段を上がった高い位置にあり、小高い丘に建てられているのが分かる。
説明看板を見ると、熊野神社は和歌山県の熊野本宮の神主さんが諸国行脚され、その途中にこの地に立ち寄り祭祀したのがはじまりとのこと。高い丘を作って人々を救えという不思議な夢を見た神主さんが村人と計って神社の裏山に土を盛り上げ、その後、安政の大地震が起こり、津波が押し寄せ高塚の人々はこの丘に避難して災難を逃れたという話がある。そんでも被害は避けられず、多くの方が亡くなり、村人は津波の犠牲者をこの地に葬り、たくさんの砂を浜辺から運んで、高い塚を築き、それが「高塚」という地名の由来でもあるとされている。
拝殿でお参り後、すでに社殿左手に「雲龍椎」と呼ばれる樹齢500年の御神木が生えていて、確かに見ようによっては「龍」の形をしている。
根元に触れ、「…」って、毎回思うことだが、私は凡人なので何も感じない。よくオーラを感じるとか波動を感じるとか言う人がいるが、よくわからず、ただ地元の人たちを見守ってくださいね~と声をかけるだけにしている。よくここまで育ちましたね~と褒め、御神木に別れを告げる。社務所で御朱印を授かり、お礼を述べ次へ。

甘露寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:53:49

遠鉄新浜松駅で1日乗車券を購入し、西ヶ崎駅へ。駅から南東に位置する甘露寺は、浜松七福神の弁財天を祀るお寺。この寺でようやく満願となり、うれしい限りだが、ネット情報では不在が多いとあり、会えるかどうか…
甘露寺は弘法大師によって開創され、往時は塔頭12坊を有する真言宗の大寺であると伝えられていて、境内は昔の面影はないが、広いということだけは確かで、大寺であることは想像に値する。
南側には掘割のようなくぼんだところがあり、それらに守られているかのように木々に覆われ、そこに弁財天を祀る小さなお堂が建っていて、お堂から北側、山門に向かう参道両側には枯山水のちょっとした庭園が見える。弁財天にお参りし、枯山水に配されている岩を眺めながら山門をくぐり、境内へ移動。本堂の外から手を合わせ、お隣の庫裏へ“ピンポーン”するといらっしゃって(ほっ)、書置きの御朱印をいただく。これで、浜松七福神達成でうれしい限り。

秋葉神社下社 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:54:45

西ヶ崎駅より終点、西鹿島駅で下車し、いよいよ秋葉神社下社へと向かうバスを待つ。地元の方々が数人、バスに乗車し、二俣町付近までくると全員降り、秋葉神社バス停まで私だけとなり、一人貸切状態。バスは川沿いを走っているかと思えば、山の中の林道をくねくねと走り、異世界へ行くかのように私を運ぶ。山崩れが起きたら大変そうな断崖が迫る道をバスは進み、ようやく到着。駐車場にはかなり多くの車が止まっていて、初詣に訪れている方々がいる。
薄曇りの中、参道の石段を上がっていくと、鬱蒼と茂る木々がよりいっそう昼でも暗くし、社殿がある開けた場所が見えてきても、夕暮れ近いこともあって薄暗い。それが返って厳粛な気分を醸し出し、参拝客はなぜか静かである。手水舎で清める水が冷たすぎるのを我慢し、拝殿でお参り。
秋葉神社は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)を祀り、御存知、火の神様。「古事記」では、伊弉諾と伊弉冉の子として生まれるが、伊弉冉が火傷を負って命を落としてしまい、嘆き悲しんだ伊弉諾はカグツチの首をはねてしまうショッキングな話がある。ちなみに、カグツチの血潮から8柱の神様が生まれ、その中に鹿島神宮や春日大社の祭神でもある剣の神様、建御雷(タケミカヅチ)がいる。社殿が建ったのが、和銅2年(709)元明天皇の御製によるものと伝えられていて、秋葉山頂に本宮が祀ってある。
拝殿の柱には「井伊の赤備発祥の地」と案内があり、家康が井伊直政に武田軍の精鋭部隊を任せ、これを井伊の赤備といい、その起請文は秋葉山頂で取り交わされたとある。「へぇ~」と読み、今日は下社でお参り、明日、その上社の本宮へお参りに行く予定なので楽しみである。
社務所にはお正月らしくいろんなお守り、おみくじが並び、秋葉神社らしく火防除けのお守り等が置いてあり、御朱印も「火防の宮」と書かれたものをいただく。古めかしい建物から、どこか昭和のにおいが漂う雰囲気を味わい、帰り、バスの時間まで随分あるので、参道入口にある茶店に立ち寄り、甘酒でホッと一息入れるのでした~

秋葉神社上社(1) - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:56:00

浜松駅近くのホテルに宿泊し、翌朝、昨日同様に新浜松駅から西鹿島駅へ。上社へ行くには下社から2時間ほどかけて秋葉山を登らなければならない。もちろん車でも行けるが、“足”がない私にとっては登山も考えたが、12月の秋葉の火祭りの日や、年末年始は西鹿島駅からシャトルバスが特別運行されることを知り、正月から登山はちょっと…っと、今回はバスを利用することに。
本数は西鹿島駅発10:00の1本のみ。帰りも上社発13:30のみで、乗り遅れたら最後、下社まで歩いて下山するしかない。(下社には定期バスが運行されている)まぁ~、所用3時間ほどもあるので余裕ではあるが、気は抜けない。
…で、西鹿島駅前のバス停で待っていると、乗客は7、8名ほど集まっていて、同志のように互いに情報を共有する。バスに乗車すると運転手さんが引換券を配り、バス利用者にはお年玉グッズが社務所でいただけるとのことで、お正月から縁起が良くうれしい限り。
バスは二俣町の秋葉街道と呼ばれるメイン道路を、昨日と同じルートで進み、いつしか険しい山道へと入る。一般の乗用車が後列を成し、先に行かせるためにわざと道路の車幅があるとこで止まり、やりすごすこと数回、そんだけ上社に訪れる方々がいるということで、崇敬この上ない。
広い駐車場にたどり着き、ずらりと並ぶ車の数に、初詣らしさを感じ、大きな鳥居へと吸い込まれるかのように参拝客が潜っていく。鳥居から坂道を上がっていくと、参道の隅っこには残雪があり、やはり、頂上近くでは雪も降るのか~と山の厳しさ、冷たさを思い知らされる。100年いや1000年ほど経っている樹齢の杉の木が林立している風景を見ながら、石段を上がり、四神(朱雀、白虎、青龍、玄武)の彫刻が素晴らしい神門?をくぐり、境内へと踏み入ると、白いテントに巫女さんがお守り・おみくじ等を販売していて、正月らしさを醸し出し、参拝客で賑わっている。
そこからさらに高見へと続く石段が見え、一際黄金色に輝く鳥居(幸福の鳥居というらしい)が、宝塚歌劇団の演者のごとく、で~んと、“足を広げて”立っている。(イメージです…)社殿が建つ敷地に上がり、振り返れば遠く遠州灘の風景が見渡せ、頂上は曇り空であるが、遠くの平野では晴れ間がのぞき、雲の流れが手に取るように分かる。こんな高いとこまで来たんだぁ~と実感し、しばらく“高みの見物”。立派な拝殿でお参りし、展望台のとこで再び景色を楽しみ、ボーっと時間を忘れる。

秋葉神社上社(2) - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:56:58

境内の一角に人だかりができている。近づいてみると「神恵岩」で、説明には秋葉山系より産出し奉納された巨大な火打石と書かれている。参拝客が順番に火打石を小さな火打金でこすり火花を出していて、時代劇などでよく見る、玄関口で出掛ける夫に妻がカチカチと、火打ち石をこする、あの場面。「切り火」といい、清めのまじないや厄除けなどの、日本古来の風習で、昔から“火”というものを災難除けの対象として信仰してきている云われがあり、さすが火の神様、秋葉神社ならではといった感じ。
…この世に「火」という存在が誕生したきっかけはなんだろうか?
落雷?火山?静電気!?(…はないか)…と、思考は変な方へ移行し、S・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」で冒頭に流れる、サルが「武器」を発見するシーンの曲(「ツァラトゥストラはかく語りき」)が頭の中に流れ、私の番になり「チャラーン」と切り火をする。壮大なる妄想力は切り火とともに現実に戻り、手を合わせ、厄除け祈願をし、満足×2。
社務所へ行き、御朱印をお願いし、バスの運転手さんからいただいた引換券で粗品と交換。種類は2つ、大きめのトートバッグと天狗の絵馬。ここは実用的なものを選び、トートバックをいただきお礼を述べ後にする。

秋葉寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/25 (Thu) 23:58:12

下社から上社までの登山道の途中に秋葉寺がある。上社からだと地図上で見ると割と近く、まだ時間はたっぷりあるので、行ってみることに。登山道(下山道)がどこからなのかわからないので、巫女さんに尋ねる。
「秋葉寺に行きたいんですけど、どこから行けば…」
「アキハではなくシュウヨウです」
「あっ、シュウヨウって読むんですか(恥)」
地名の読み方はつくづく難しいと思いながら、教えてもらった山道を下っていく。ちなみに、秋葉神社は「アキ(バ)」ではなく「アキ(ハ)」というらしい。(運転手さんが「アキ(は)」と言っていた)
杉木立の森の中を進むと、一際大きな入母屋造の神門が建ち、結界門の役割を果たしているのだろうか、ここから下り道へと続き、しっかりとした装備に身を包んだ登山服で登ってくる人たちとすれ違い、山のあいさつを交わす。しばらく歩き、ようやくたどり着いた秋葉寺は、広い敷地に本堂と寄り添うように大黒天のお堂がポツンとあり、寂しい印象。
…とはいえ、秋葉寺は天狗さん(三尺坊)の現れた場所でもあり、霊験あらたかな印象もある。開基は行基菩薩により、大登山霊雲院と称していたらしく、三尺坊の出現により今の寺名になったとされる。詳しい説明はネットの情報で見てもらえれば…(面倒くさいので…)
こちら→→→http://www.zoeji.com/01meguri/01meguri-tokai/01-tk-akihasan/01-tk-akihasan.html
本堂から右手に自宅なのかわからないが、掘立小屋のような寺務所があり、御朱印をお願いする。やはりお正月らしくお守り等が置いてあるが、数は少なく、こんな山の中で大変だなぁ~となぜか寂寥感が漂う。お礼を述べ、再び頂上へと登るが、途中、下山してくる若者が「秋葉寺はあとどれくらいですか?」と、声を掛けてきて、「まだまだですよ~」と答えると「まだか~」としんどそうに下りていく。
「まだまだだな(心の声)」と師匠が弟子にいうセリフのように、人生そんなに甘いもんじゃないぞっと、偉くもない自分が偉そうに思い、自分も「まだまだだな」と言い聞かせるように山道を登る。再び秋葉神社境内にたどり着いたころには、厚手のコートを脱ぎシャツ1枚で暑さをしのぐほどの汗をかきかき、熱が冷めるまで遠方の景色に癒される。
ちょうど昼時、秋葉茶屋の食堂で昼食タイムとし、カツカレーを頼み、そういえば比叡山の時もカツカレーだったなぁ~と思い出し、バスの時間まで堪能するのでした~

また6、静岡の旅 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:29:06

まだ満願になっていない浜松七福神と遠州八大不動。遠州八大不動を消化すべく、12月初旬、袋井市、掛川市、磐田市と去年最後の旅路。

事任八幡宮 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:30:10

JR東海道線で掛川駅へ。掛川市は一度訪れていて、掛川城や竹の丸を散策していて、紅葉の時期、天竜浜名湖鉄道で行った小國神社の記憶がよみがえる。
掛川市には遠江国一宮である事任八幡宮があり、まずはその神社を目指す。始めは適当に「じにん」と読むのかと思っていたが、事前のネット情報で「ことのまま」と読むことを知り、恥ずかしい限り。「願い事のままに」という意味が含まれていて、主祭神が己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)ということで、「なるほど~」と何となく納得。
駅前から掛川バスで、八幡宮バス停で下車。鳥居前のモミジが色鮮やかに色づいていて、まだ紅葉は終わっていない。そんな中、意外と参拝客がいて、やはり一宮だけのことはあると思いながら、鳥居をくぐり、参道には小さな摂社が並び祀ってある。楠の木の大きな大木まで来ると、第2の鳥居、その先に石垣の間を通る石段の上に社殿が見える。石垣の右手側にはモミジが色づいていて、参拝客らは立ち止まってカメラに収めていて、私もパチリ。そして、石段を上がり、イチョウの葉の”絨毯“が広がる敷地の拝殿でお参り。拝殿の右手には宝物殿だろうか、ガラス張りで、中には金ピカのお神輿やパネル絵画が飾ってあり、宝物殿の左手には一際目立つ存在で、杉の御神木が直立不動で生えている。
事任八幡宮は冊子によると、創建年代は不詳だが、成務天皇の御代のときに本宮山に鎮座され、坂上田村麻呂の東征の際に桓武天皇の勅命により、現在の地に遷宮されたと伝えられている。古くは「己等乃麻智神社」や「事任社」と言われていて、「枕草子」にも当社の名前が載っているそうな。願い事のままに叶う言霊の社として、京にも知れ渡っているほど有名であったらしく、この地は、箱根や大井川に次ぐ佐夜(小夜)の中山の手前で、浜松出身の賀茂真淵の「岡部日記」にも当社のことが示されている。武家社会の世になり、源頼義が京都の石清水八幡宮から勧請してからは、「八幡宮」を称するようになり、現在の社名に改称されたのが昭和22年になってからとのこと。
主祭神は己等乃麻知比売命だが、言の葉で事をとり結ぶ働きをもたれる神として敬われ、ちなみに春日大社などに祀られている天児屋根命(あまのこやねのみこと)の母に当たる神様である。なので、縁を結ぶという意味から、何となく女性客が多い気がしないでもない。
社務所で御朱印をお願いすると、創立1100年記念として特別御朱印を授与していて、「限定」という言の葉に甘んじそれをお願いする。
境内を後にし、第1鳥居から道路を挟んだ向かいには奥宮があり、行ってみることに。歩道橋を渡り、紅葉がすすむ木々の中の山道を登っていく。バスの本数がないので、途中、上がろうか足が止まるが、せっかく来たので行ってみることに。到着した奥宮は、小さな建屋があるだけだが、雰囲気はかなり違う。もののけでも出てきそうな森に囲まれ、より神聖さが増し、その中でお参り。奥宮に訪れることができ「よかったー」と来た道を戻る。

不動院 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:31:14

八幡宮バス停から掛川駅行きで途中の葛川バス停で下車。次の目的地は遠州八大不動の1つ、不動院で、バス停から西へ民家の中を10分ほど歩いたとこにある。こんもりとした森を見つけると「あそこだな」とすぐわかり、石段が上へと続いている。石段を登ると境内には色褪せた朱色の本堂に、金毘羅堂や大師堂(だったかな?)が建ち、敷地は広いが、どこか殺風景な印象。不動院は真言宗醍醐派で、本尊、身代不動明王をはじめ、金毘羅大権現を祀り、病気平癒や災難消除などの祈祷の根本道場であると、ネットの情報でしかわからない。
本堂は閉まっていて、外からお参りし、自宅のような寺務所へ行き“ピンポーン”する。しばらくしてお寺の方がインターホン越しに出て、八大不動の御朱印をお願いすると、
「もう、やってませんので…」と。
「えっ、やってないって、八大不動を辞めた(離脱した)ということですか?」
「そうです…」
まさかの終了宣言をされ、ちょっとショック。ということは「八大」ではなく「七大」になるわけで、袋井市にもあと2つあるが、ひょっとしたら同様のことがあるかもしれない不安に駆られる。まぁ~、こればっかりは仕方がないが、ネットの情報に頼り過ぎたところもあり、こういうことは現地へ行かなければ得られない情報なので、来た甲斐があったというもの。これから遠州八大不動を廻られる方がいれば、不動院はやってないことをこの場を借りてお伝えします。

龍尾神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:32:22

不動院から西へ行けば掛川城だが、北西に足を向ける。次は龍尾神社で、しだれ梅やアジサイで有名な神社ということしか知らず、旅に出る前は、詳しいことはあえて調べないので分からない。東海道を横切り、途中、小学生の下校時間に遭い、昨今の社会の厳しい目から不審者扱いされないように、旅行者アピール?をしながら鳥居の前まで来ると、モミジが美しい。写真を撮り、うす暗い森の中の石段を上がり、境内にたどり着くと、正面に社殿が建っていて、左手側にはモミジが彩り良く見頃を迎えている。意外と紅葉の穴場ではないかと思えるほど、そこそこモミジがあり、お参り後、しばらく撮影タイム。本殿の裏の方までモミジがあり、十分堪能。
社務所へ行き、御朱印をお願いしている間、いただいた冊子を読む。
祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神。由緒によると、古くは「龍尾山牛頭天王」と称しており、掛川城の築かれた峰から連なる山脈を、この地を守護する「龍」に準え、龍頭山、龍胴山、龍尾山と名付け、鬼門にあたる龍尾山に鎮座している。
龍尾山は徳川家康VS今川氏真の天王山の戦いにおいて、城の攻守の要であり、家康が本陣を構えた場所でもあると。結局、今川が掛川城を明け渡して、家康が支配することになるが、それ以来、歴代の城主や東海道を往来する旅人の信仰を集めたとある。
山内一豊公のことも書かれている。山内一豊公はNHK大河ドラマ「功名が辻」で一躍有名になった武将だが、掛川に封ぜられて10年間、この地は大いに発展し、当社の崇敬は篤かったと。土佐国に移封された後も、御分神として高知城下に「掛川神社」として勧請し、2代目忠義公がソテツと土佐の石を当社に奉納されたとあり、写真が載っている。社殿横にあったあのソテツと石は「そうだったのか~」と、改めて思い直し、歴史ある神社であることに納得。御朱印をいただき、宮司さんに「モミジが見ごろですね」と言うと、「その先の車両で上がってくる道も色づいていますよ」と教えてくれ、お礼を述べ、帰りはそちらから下ることに。おっしゃる通り、背の高いモミジが太陽を浴びているとこと浴びていないとこで、赤から緑の範囲の色が鮮やかに色づき、撮影タイムが始まる。鳥居まで降りてくると、行きでは気づかなかった千両・万両があり、初冬らしく赤い実をつけている。しだれ梅の時期にはまた、ぜひ訪れたいことを願いつつ、後にするのでした~

岩松寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:33:26

掛川駅近くのホテルで一泊し、翌朝、JRで袋井駅へ。まずは遠州八大不動、いやもとい七大不動の1つ、岩松寺へ。不動院のこともあるので、ひょっとしたらやってないということもありえることを覚悟しながら、とりあえず計画どおり旅を進めることに。
岩松寺へ袋井市のコミュニティバスを利用し、駅南のバスターミナルから山の手バス停を目指す。バス停から地図通り歩いて行くと、そこは山の谷を下るような坂道で、改めて平面の地図ではわからない風景がそこにある。ちょっとした遊び場から境内へと入り、お寺というより普通の“お宅”といった感じで、玄関の方へ行くと本尊のことが看板で紹介されている。本尊は聖観音菩薩で、平安時代末期に作られ、頭と胴は檜で、腰から下の中は空洞になっている。一度火災にあったようで、水に浴びた痕跡が残っているとのこと。現在は秘仏として厨子に守られているようだ。
「ごめんくださ~い」と中に入り、お寺の方にご挨拶。遠州八大不動の御朱印について伺うと、「どうぞ」と本堂へと案内され、厨子に入っている本尊に手を合わせる。お寺の方が「本尊は60年に一度、次回は2074年に御開帳されるので…」と申し訳なさそうだが、「いえいえ、たぶんそれまで生きているかわからないので…」と談笑。掛川市の不動院のことについて尋ねると、“やめた”とは知らない様子で、何か思い出したように「あ~、あそこは次の代に引き継がれたから…」と何となく事情が呑み込めた気がし、「なるほど」と、お礼を述べ後にする。

観福寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:34:30

コミュニティバスの本数は限りがあり、歩いた方が早いと判断し、袋井駅まで30分ほどかけて歩く。途中、茶畑が広がる横道を歩いていて、よく見ると、茶の花が咲いている。そんなに詳しくないので、お茶の花なのかわからないが、梅の花の形に似ているなぁ~と、ちょっと休憩がてらその風景を楽しむ。
袋井駅にたどり着き、駅北口に出て、袋井市役所を目指し再び歩く。原野谷川に架かる橋を渡り、袋井宿場があった、今は公園となっているとこに案内看板があり、東海道筋の宿場町を紹介している。かつては賑わいを見せていた宿場町を、今はその公園に面した道路に並ぶ民家を東西、見通していると、イメージが湧き、よくある時代劇の映像そのままに重ね、旅人気分を味わう。公園からちょっと北に行くと観福寺があり立ち寄る。
ネットの情報では観福寺は袋井の地名発祥の地とされ、静岡ではここが東海道の真ん中とされている。源頼朝が延命地蔵尊を奉安し、紅葉で有名な可睡斎の仙麟等膳和尚を迎え開山したとある。入口前には「観福寺の狐伝説と歌舞伎役者絵」と書かれた説明看板があり、昔、観福寺周辺にたくさんの狐が住み着き、その中に静御前が持つ初音の鼓の皮を母親と思う子狐いた。観福寺の観音様のお告げにより子狐は「忠信」に化け、義経と母、常盤をも導き合わせることができたという物語で、歌舞伎の演目にあるのだろう、歌舞伎役者の絵が描かれている。
そんな伝説が残るとされる観福寺の玄関からお邪魔すると、本堂へと上がってくださいと、開けて下さり恐縮。本尊にお参りし、御朱印をいただき、住職さんと少し談笑。名古屋からの訪問に「それはそれは」と労って下さり、袋井市へは紅葉の時期に油山寺や可垂斎等を訪ねた話をし、外の通りに面したイチョウ並木が黄色く色づいて、銀杏の実を…ということで、この先の話は割愛させていただきますが…時間は短いがゆっくりとでき、感謝×2。袋井宿のピンバッチをいただき、お礼を述べ次へ。

写真は袋井宿の公園

弘法院 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:35:28

観福寺のすぐ近くの中央町バス停から秋葉バスで、山梨バス停で下車。東へ数分歩くと弘法院がある。これで遠州八大不動…今となっては七大不動だが…最後の札所、弘法院を訪れる。実は今朝、事前にお伺いすることを電話していて、これで満願になることは約束されたが、やはり不動院がない分、消化不良。まぁ~、お参りできただけでも良しとし、弘法院の境内へ入る。
地元のお寺~といった感じで懐かしい雰囲気。手水舎で身を清め、本堂へ行くと、連絡した分、私を迎え入れる態勢が整っているのか、すでに本堂が開放された状態で、中へと上がらせていただく。
弘法院は大正4年に創建され、本尊の青面不動明王はあの浜松の気賀より灌頂したとある。そんな、歴史的にはまだ浅い方のお寺にお邪魔し、本堂内奥で人の気配がしたので声をかけると、住職さんが現れてご挨拶。今朝電話した者であることを伝え、さっそく本尊の不動明王に般若心経を唱えお参り。御朱印をお願いし、ここでも掛川の不動院のことを尋ねる。
「あー、あそこは確かにもうやめたんですよ」と知っていた様子。遠州八大不動事態、あるようでないような、あまり知られていない霊場だそうで、10年ぐらい前から廃れたそうな。「これを」といただいた御朱印帳は、八大不動専用の御朱印帳で、第1札所の不動院のとこに斜線が引いてある。「なるほど~」と、ネットですら情報が流れないということは相当、忘れ去られた存在になってしまったのだと思い、最後のページには発行所が「不動院内、遠州八大不動霊場」と書かれていて主催事務局であることが分かる。
「辞めた」宣言があまり世間?に浸透してなかったのか、不動院以外の他の霊場はそのまま独り歩きしてしまった状況なのか…そこら辺の事情はよく分からないが、事務局が「辞めた」と言った以上、もう霊場会はやっていないことであり、残念な気がする。とりあえず、全部回ることができただけでも感謝で、お礼を述べ後にする。

府八幡宮 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:36:43

袋井駅へと戻り、JR東海道線で磐田駅へ。遠鉄バスで、磐田南高校前バス停で降り、遠州国の国分寺跡地へ。かつてそこに建っていたであろう、柱を支えるための石の土台が並び、その敷地の広さから、寺の規模が想像できる。
国分寺は、全国に聖武天皇の勅願で作られたお寺で、中世になると衰退するが、薬師堂だけが今も存在していて、国の特別史跡に指定されている。薬師堂の隣には礎石で作られた手洗石があり、奈良時代の石を物語る。今は公園となっていて案内看板には遠州49薬師霊場の1つとされている。その国分寺の創立と同じ神社が道路を挟んで向かいにあり移動。
遠江国国府宮として知られる府八幡宮の由緒は、天武天皇の曽孫である桜井王が遠江国の国司として赴任されたとき、府内に祀られたのが始まりで、名称もそのまま「府」とつけられている。祭神は足仲彦命(あしなかつひこのみこと)、気長足姫命(おきたらながしひめのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)の3柱。それぞれ、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の家族で、神社ではこの3柱がよくあるパターン(冊子参照)。国分寺や府庁があったところを見ると、この地が遠江の中心地であったのだろうか、地図上でも磐田市役所が近くにあるので、ここら辺で政治が動いていたのは間違いない。
…ということで、道路を面して立派な鳥居が建ち、参道を進むと、杮葺きの屋根の楼門が建っていて、立派。社殿でお参り後、社務所で御朱印をいただき、何事もなく次へ。

見付天神 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:37:47

磐田南高校前バス停から見付バス停で降り北へ。東海道の国道1号線から離れ、見付本通りに出ると案内看板があり、坂道を上がっていく。大鳥居から先、坂道は続き、赤い鳥居のとこまで来ると、シェパード犬のような銅像が建っている。「?」と思いながら参道を進み、「六つ石」や御神木を見、ようやく拝殿に到着。さっそくお参りをし、境内を散策。白梅紅梅、檜の御神木等々それぞれに説明看板が掲げられていて一通り読み、「へぇ~」と感心しながら社務所へ移動し御朱印をいただく。いただいた冊子には、矢奈比売神社が正式名称で、見付天神が通称で、地元では親しまれている。創立は詳らかでないが、「続日本後紀」に矢奈比売天神のことが載っていることから1300年以上の歴史がある。こちらの神社は裸祭りが有名らしく、8日間にわたって行われる。神輿を御旅所である淡海国玉神社(東に位置)へ渡御するとき、見付の町は一斉に明かりを消して漆黒の闇と化し、その闇の中をひた走るそうな。国の重要無形民俗文化財に指定されていて、奇祭とされている。全国の裸祭りの神事はいろいろあるなぁ~と、機会があればまた、そのときに訪れたい。

霊犬神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:38:43

社務所から北へ抜ける道に「霊犬神社→」という案内看板を見、先ほどのシェパード犬の銅像のことかと、そちらへ行ってみることに。つつじ公園と呼ばれる広い敷地の入口には「裸祭り「男おどりの唄」発表記念、五木のつつじ」の石碑がある。歌、五木ひろしとあり、ご当地ソングだろうか、この町では有名なのかもしれない。公園を歩き数分で霊犬神社に到着。小さな祠がポツンとあるだけで、とりあえずお参り。
実は冊子を見るまでは霊犬神社がどんな神社か知らなかったのだが、内容を読んで「あっ!」と思い出す。長野県駒ケ根市にある、ヒカリゴケで有名な光前寺を訪れたときの、あの悉平太郎伝説のことを。物語を簡単に言えば、人身御供の習わしから犬が怪神をやっつけるという(詳しいことは調べてね…)話で、そのお礼として大般若経を光前寺に納め、今もこのお経は光前寺に保管されている。その習わしから磐田市と駒ケ根市は姉妹都市となっていて、確か前の「神社仏閣 御朱印の旅」で紹介し、いつかは訪ねようと思っていたが、すっかり忘れていて、まさかここで「太郎」に逢えるとは。こ、これは太郎が私を導いたのか、な~んて、大げさなことを考えたが、何にしろ、お参りできてうれしい。祠の近くには霊犬神社の御朱印も見付天神で行っていると書かれていて、また来た道を戻る。

写真は銅像

淡海國玉神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:39:53

つつじ公園には四季を彩る木々が植えてあり、12月初旬でもモミジが紅く染まっていて、しばらく撮影タイム。限をつけ、見付天神の社務所に戻り、霊犬神社の御朱印をいただく。禰宜さんが書いている間、社務所の窓に貼られた御朱印の種類が4つあり、その中に、次の目的地、淡海國玉神社の御朱印もある。「あれっ!」ひょっとして無人なのか~と、尋ねてみると正解で、追加で他の天御子神社(府八幡宮の近くだった…)の御朱印もお願いし、お礼を述べ後にする。
見付天神から見付本通りを西へ歩いていくと、ジュビロ磐田の垂れ幕が掲げてあり、そういえば、ここは本拠地たったことに気づき、地図上でもここから東へ行けばスタジアムが近いことが分かる。この見付本通りにはかつて、宿場があった見付宿で、袋井宿と同様、東海道筋に栄えた宿場町が静岡県には多々ある。今は交通量の多い通りになっているが、通りの店構えを見、どこか街道筋の名残があるような雰囲気を感じる。
見付宿場通りの交差点まで来ると、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、国の史跡指定である旧見付学校を横目に、白い鳥居が建ち、奥には社殿が見え、境内へ入る。社殿手前の石像はどう見ても、ねずみに見えるが、うさぎで、雌雄上を向いて子うさぎまでいる。祭神は大国主命なので、あの因幡の白うさぎの話から「狛犬」ならぬ「狛うさぎ」となっているのだろう、祀られている。
淡海國玉神社は、創立年代は不詳だが、平安時代初期と伝えられている。ここは遠江の神々を合わせた神社なので、「総社」と呼ばれ、都から赴任してきた国司が最初にお参りするとこでもある。先ほどの裸祭りといい、夏には南の天御子神社の祇園祭りからも神輿が渡御してくる御旅所としての役割を果たしており(冊子参照)、見付宿ではかなり重要な地でもあったようだ。
拝殿でお参り。すっぽり木々に囲まれた社殿は誰もいないせいもあるが、ひっそりと寂しい感じがしていて、それでいて「総社」というだけあって、どっしりと威厳を放っている。そんな空間でしばらく佇み、裸祭りや祇園祭りの賑やかな雰囲気を想像し、後にするのでした~

粟餅 - モリゾーのひとり言

2018/01/16 (Tue) 22:40:57

見付宿場通りにある和菓子屋さん。暖簾に「見付天神名物 粟餅」と書かれていて、思わず引き付けられ、お店に入ってしまう。名物というからには買わなければいかず、粟餅とご当地キャラクターが焼印されたどら焼きを2個購入。
パッケージには遠州見付天神粟餅の由来が書かれていて、先ほどの人身御供の話の中で、長持ち(衣服などを保存していくための蓋のある長方形の箱)に娘を入れて怪神を迎えるのだが、娘と一緒に必ず、粟餅を入れたと伝わっていて、例祭には神前に献上されてきたとある。江戸時代の終わり頃に、お土産として売り出したのが商品の初めとのことで、さっそく家路につき実食!
(囲)碁の形をした餅にこしあんが包み込まれ、一口でパクリとほおばると、上品な甘さ?が広がる…私はつぶあん派だが、こしあんもなかなか“味”があり、「いい~」と、別腹を満たすのでありました~

豊橋の旅 - モリゾーのひとり言

2018/01/13 (Sat) 22:06:52

まだまだ厳冬は続きますが、まだまだ去年行った旅を紹介してないので…と、今回は日帰り旅。浜松のお隣愛知県豊橋市へ行ってきましたよ~

うなぎうどん - モリゾーのひとり言

2018/01/13 (Sat) 22:07:47

浜松の旅をしてきて、必ず見かける駅のポスター。その中には「普門寺 もみじ祭り」という題でよく見かけ、普門寺ってどこ?と、気になってネット検察したら、もみじで有名なお寺で、愛知県豊橋市に位置している。静岡県との県境にあり、JR新所原駅から歩いて40分、公共交通はなく、タクシーを使うしかない。最初は行くのをためらっていたが、もし晴れたら歩いて行こうと決め、12月初旬、快晴、JR新所原駅に降り立つ。
浜松の旅でも紹介したが、JR新所原駅からは天竜浜名湖鉄道がアクセスしており、その駅の改札に、前から気になっていたうなぎ屋さんがある。まだ、朝飯を食べていない状態だったので、普門寺へ歩く前に精をつけようと入店。といっても、最初に窓口みたいなとこで注文をしなければならず、メニューを見る。意外とリーズナブルな価格設定?で弁当もあり、一通り見ていくと、「うなぎうどん」の文字と写真が。かなりインパクト大で、迷わずお願いし、先払いなので支払い、駅から一旦外に出、離れの小屋に入り、そこは先ほどの窓口兼厨房とつながっている部屋となっている。6畳ほどの座敷に長テーブルが3つ、7、8人が座れる狭さの中、お客さんはすでに2人いて、うなぎの香ばしい匂いが漂う。
しばらくして注文した「うなぎうどん」が運ばれてくると、「ナニコレー!」と写真では見ていたが、思わず声が出てしまう。どんぶりにはみ出すうなぎ1本のかば焼き。店主さんに写真撮影の許可をいただき、ちょいとお話をする。店主さんの話によると、昔は浜松でも「うなぎうどん」が販売されていたんだとか。段々、「うなぎうどん」を出す店が減って、今では浜松にはなく、ここだけになったという。さらに
「ラーメンもあったんですよ」
「えっ、ラーメンにもうなぎが!?」
ラーメンには甘ダレではなく、白焼きを乗っけてとんこつスープで仕上げてたんだとか。
「へえ~」と、驚くことばかりで、店主さんにお礼を述べ、早速実食。スープは醤油ベースで、甘ダレに合った味付けとなっていて、意外と合う。うなぎとうどんのコラボの発想はどこから生まれたんだろうかと、龍潭寺の売店で、「うなぎアイス」なる幟が掲げてあったのを思い出し、うなぎコーラにうなぎパイ、浜松のうなぎ押しはどんなコラボを生むのだろうか…と、そんな考えはすぐに忘れて、あっという間に完食するのでした~

普門寺(1) - モリゾーのひとり言

2018/01/13 (Sat) 22:08:51

お腹を満たし、いよいよ普門寺に向けて出発。民家の路地を進み、いつの間にか田畑が広がる平野、遠くには秋らしい紅葉がすすんだ山々が続き、すがすがしい。畑ではキャベツの収穫に精を出している農家の方々が「愛知県産キャベツ」と書かれたダンボールに入れていて、ここは浜松ではなく、愛知県だということを改めて認識する。そんな風景を眺めながら道路を歩いていると、車が何台も私を追い越し、もみじ祭りに訪れる観光客が多いことが分かる。
ようやく、警備員が交通誘導しているとこまで来ると、地元の神社(鹿島神社)があり、社殿で地元の神様にお参りし、色づいたモミジが徐々に道端に生えているのを見ながら仁王門にたどり着く。40分ほど歩いたが、疲れはなく、目の前の仁王門付近のモミジ、そして「ヒマラヤ桜」なる、この地方特有の秋に咲く桜が色を添え、モミジと桜のコラボの前で写真を撮るために人だかりができ、私もカメラを構える。

普門寺(2) - モリゾーのひとり言

2018/01/13 (Sat) 22:09:48

坂道を上がり山門をくぐり境内へと入ると、お祭りらしく露店があり、長野県では有名な「おやき」、この寺の名物?「宝来餅」、年賀はがきを販売しているJP等々、にぎわっている。鐘楼門近くでは御朱印所があり、先に聖観音と大黒天(吉田七福神)の御朱印をいただき、住職さんだろうか、マイクで特別拝観や護摩祈祷の案内をしている。
普門寺は行基菩薩が開山。平家追討の祈祷をした源頼朝が平家滅亡後、上洛する際には普門寺に立ち寄り多くの寺領を寄進したと伝わっている。そんな頼朝ゆかりのある寺なので、特別拝観として不動明王像が見られることもあり、訪れた次第。…で、まずはモミジ撮影からということで、客殿に安置されている聖観音にお参り後、東の方へ行くと、モミジが色鮮やかに彩り、さすがモミジの名所だけのことはある。
しばらく撮影をし、次は収蔵庫へ。このもみじ祭り期間中は収蔵庫の御開帳をしており、無料で拝観でき、そちらへ移動。大日如来、四天王像、見どころは国の重文の源頼朝公等身大の不動明王像が安置されていることで、こちらも大勢の参拝客でにぎわっている。
収蔵庫から石段を上がれば、大きな杉の木が聳え立ち、本堂内で宮城県の写真展、大師堂(だったかな?)や弁天堂の古めかしいお堂が建ち、木々の中、モミジが色を添えている。山寺の雰囲気そのままに、十分紅葉狩りを堪能し、帰りも途切れることのない参拝客とのすれ違いに、かなり有名なとこなんだ~と思うのでありました~

…後日、ネットでいろいろと調べていたら、名古屋の放送局が3社ほど、紅葉の話題をニュースで紹介していたらしく、「だからか~」と納得。TVの影響は大きいなぁ~

羽田八幡宮 - モリゾーのひとり言

2018/01/13 (Sat) 22:10:48

JR新所原駅からJR豊橋駅へ。時間が余ったので、駅から近い神社を訪ねてみようと、ネットで地図検索をすると、羽田八幡宮がヒットし、駅西から歩いて10分ほど。
…で、到着。鳥居からの参道、境内へとかなり大きい神社である。この時期の七五三詣での幟が掲げてあり、境内には白いテントが張られ、訪れたときは誰もいなかったが、「受付」の表示案内や机があるということは、参拝される方々が多かったことが予想される。
社殿に行くと、車祓いの祈祷が行われている最中で、邪魔しないようにお参り。社務所で御朱印をお願いしている間、いただいた冊子を読んでみる。
羽田八幡宮は宇佐八幡宮からの分霊を祀ってあり、白鳳年間の創立と伝わっている。祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后。今川氏真公が東三河地方を平定し、その際、土地を寄進され、徳川家康公になってからも社領十石並びに神主屋敷を寄進、朱印状を寄せられ、明治維新まで引き継がれたとされている。
例祭は「羽田祭り」と呼ばれ、10月に行われ、手筒花火が披露されることになっている。奉納される手筒の数は800本にも及び、火花が飛び散る勇壮な男たちの写真が掲載されていて、東三河では特有の花火を紹介している。よくTVとかで手筒花火の祭りを見たことがあるが、あの火の粉で絶対火傷はしているだろうし、熱いを通り越して痛いという感じなのだろう、…いや、もうやっている本人たちは無我夢中で、それどころではなく、絶えず耐えるしかない姿を見ると、こっちまで気合が入ってしまい、尊敬すらしてしまう。そんな姿がこの境内で行われるとこを想像しつつ、いつか祭りの日に訪れてみたいと思い、御朱印をいただき後にするのでした~

また5、静岡の旅 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:17:24

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年もいろいろと載っけていきたいと思っていますが、まだまだ去年の旅が残っているので、ご紹介。前回に引き続き、11月下旬に行ってきました浜松の旅、紅葉の旅を堪能~

濱名惣社神明宮 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:18:37

11月最終週、紅葉も全国的に広がりを見せ、一番見頃のいい時期の中、今回は三ケ日からスタート。JR新所原駅から天竜浜名湖鉄道に乗り換え、三ケ日駅へ。三ケ日といえば、みかん。よ~く冬にはこたつでお世話になっていますが、三ケ日にも遠州八大不動や浜名湖北五山の寺があるので、訪れた次第。
三ケ日駅ではレンタサイクルのサービスもしているので、それを利用し、駅員さんに申し出、手続きを済ませる。あらかじめ用意してある地図で、まずは摩訶耶寺を目指し、三ケ日の町内を走っていくと、途中、立派な神社を見つけ立ち寄ってみることに。「濱名惣社神明宮」と石碑に書かれた神社は、事前のネット情報で仕入れておらず、まったくもって知らないので、“村社”程度にしか思わず、鳥居を潜り境内へ。
まっすぐのびる参道、その先に灯篭が並び、まるで護国神社かと思えるほどに敷地が広い。社殿も立派で、現代風に伊勢神宮に見られるような建築様式の造りで、とりあえずお参り。拝殿の裏に回れば、これまた立派な茅葺屋根の本殿が建ち、そこへは立入禁止の看板が出ている。摂社など一通り見て散策し、社務所に行くと電話番号が貼られていたので、掛けてみると、快く応じて下さり、「今から行きます」とわざわざ車で来てくださり恐縮。御朱印をお願いし、その間、いただいた神社のパンフレットを読んでみる。
創立は不明だが、垂仁天皇の皇女、倭姫命が大和より天照大神の御霊(御神鏡)を奉じて、御鎮座の地を求め、当地に40余日滞在、後に伊勢国に向かわれたと云われている。…ということは、あの「元伊勢」といわれている場所だったのか~と知り、これは見過ごしていた~と。
「元伊勢」は上記の通り、倭姫命が天照大神の安息地を探す旅で、各地に点在している。これまでの旅で、三重県や兵庫県と「元伊勢」と言われている場所はそこそこ訪れているが、三ケ日にあったとはつゆ知らず、「へぇ~」と感心×2。
ここから近くの初生衣神社の御朱印もしていただけるとのことで、お願いし、禰宜さんと少し談笑し、これから行く摩訶耶寺や大福寺の行き方についても教えてもらう。いろいろとお世話になり、偶然立ち寄った神社が「元伊勢」とは…縁とはこういうことをいうのだろうか、笑顔で次へ。

摩訶耶寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:20:17

濱名惣社から北へ、道なりに進むと、摩訶耶寺の駐車場があり、1台のツアーバスから乗客がぞろぞろと降り、今から拝観に上がる様子。私も駐車場の隅っこに自転車を止め、その団体の後ろから山門をくぐり境内へ。広い敷地にはくりからの滝や西国33観音像、小高い丘の石段を上がれば津島神社、平地に立派な近藤用行夫婦のお墓が建ち、それぞれに写真を撮ったり、手を合わせたりし、本堂へと移動。本堂では先ほどのツアー団体が集まり、住職の説明に耳を傾けている。受付で御朱印帳を預け、一緒にどうぞと聞くことに。
摩訶耶寺は行基菩薩によって開創され、最初は新達(しんだ)寺と呼ばれてたそうで、そこから真萱寺へと変え、平安時代末期に一条天皇の勅願により今の場所へ移り、今の寺名になったという。内陣には金剛界曼荼羅、いわゆる仏像ではなく、本尊が掛け軸となっていて、厨子に納められている。天井は格天井となっており、一桝ずつ花鳥が描かれていて、本堂は昔、武田信玄軍によって焼失してしまい、それを再建したのが近藤用行公で、NHK大河ドラマでは嫌な役回りを演出していたが、本当は心優しい人物、近藤康用公のひ孫に当たる。宝物庫には国の重文が指定されている仏像があり、今は特別に源頼朝が持念仏として所用していた仏像が公開されていて、宝物庫へと移動。阿弥陀如来像、千手観音像不動明王像の等身大の仏像が並び、藤原時代、平安時代末期の作品。一木造り、寄木造り、金箔、白豪、木の種類等丁寧に説明していてわかりやすい。源頼朝所用の仏像はここに立ち寄られた際に、寄進奉納したという形で置いてかれたそうで、大変貴重なものらしい。説明が終わり、じっくり拝観。頼朝所用の仏像は小さな“仏箱”にフィギュアのように納まっていて、よく見ると、細かい彩色、彫刻の滑らかさ等々、精巧にできているのが分かる。まさに寺宝というだけの仏像だと納得し、目に焼き付ける。気づいたら団体のツアー客はいなくなり、私はひっそりと他の仏像もじっくりと観賞し、手を合わせ、住職さんにお礼を述べ、庭園へ。
近藤用行公のお墓の横に庭園への入口があり、そこから入ると建屋が見え、その真向かいに築山、石組み、池と配され、苔が秋らしく茶色に変色している(元々茶色い苔かも)。ツアー客は見終わって帰るのと入れ違いになったので、庭園を独り占め。鎌倉時代初期の作とのことで、自然を背景にした庭園は初夏ごろの緑豊かな彩色を放つ時期が一番見頃であると勝手に判断し、パチリと撮影し後にする。

大福寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:21:47

自転車を北へと走らせると、東名高速道の三ケ日バス停留所を横目に、みかん畑が広がり、「三ケ日~」といった風景に遭遇。畑を眺めながら新東名高速道を横切る橋を渡り、越えてすぐ、大福寺の石碑を見つけ、自転車を止め、上りの参道を歩いて行くと遠目に団体が横切っていくのが見え、摩耶訶寺でのあの団体だなっと、案の定、同じ観光バスが駐車場に止まっている。もう拝観を終えたのか、帰る様子で、分刻みのスケジュールはツアー旅行にはありがちで、あまりゆっくりできないのが難点だなっと、勝手に思いながら、受付で手続きを済ませる。先に宝物館と庭園を眺めるため、そちらへ移動。庫裏だろうか、自宅住居だろうか、足場が組んであり工事中で、その中を抜けまずは宝物館へ。鉄筋コンクリートの建物には掛け軸や古文書が並び、素人にはどれぐらいの価値があるのかわからないが、「旧国宝」と表示されているので有名なのだろう。有名どころの名を挙げれば、土御門天皇や後小松天皇、雪舟、酒井抱一、狩野探幽等々、記憶に残っているのはこれぐらいだろうか、他にも茶器や茶壷、駕籠が展示されていて、一通り観賞し庭園へ。
庭園は室町時代に作られたという「浄土苑」といい、回遊式庭園。…とはいえ、回遊できないように竹柵が設けていて、“客席”から“舞台”を眺めることしかできないようになっている。1本のイチョウの木が黄色く色づき始めた状態で、奥のモミジもあと一週間ぐらいしないと紅くはならない感じ。浜松は気候的に温暖な環境と聞いているので、紅葉の時期は12月に入ってからでも楽しめるようだ。庭園をしばらく眺め、本堂のあるとこへ移動しお参り。
いただいた冊子によると、大福寺の縁起として、鳳来山に幡教寺として教待上人が開創したとある。鳳来山はお隣、愛知県新城市にあり、紅葉の名所でもある鳳来寺がある場所。現在の地に移ったのは土御門天皇から勅願を下賜されて大福寺として改称し、時の大中臣朝臣時定卿が所領を寄付したことから始まっている。大福寺には「浜名納豆」といわれる大福寺伝製の納豆が有名らしく、明の僧から伝来され、足利7代将軍義勝、今川義元、秀吉、家康以下歴代の将軍に献上されたとある。…ということで、受付に預けていた御朱印帳を取りに戻ると、「浜名納豆」がおみやげとして売られていて、買おうか迷ったが、最近の出費に財布の紐も固くなっていたので、あきらめ次へ。

写真は仁王門。

初生衣神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:23:21

最初に訪れた浜名惣社で、初生衣神社の御朱印をいただいたので、初生衣神社へ立ち寄ってみることに。位置的には浜名惣社から北西にあり、大福寺からの道順も浜名惣社の禰宜さんから教えてもらっていたので、スイスイと移動。別所街道と呼ばれる道を南下し、小さな森が見え、小さな鳥居が口を開けてそこにあり、早速境内へ。村社といったら失礼だろうか、地元の神社~といった感じで、それでも外の街道の喧騒が消えるような神域に守られている感がする。社殿で手を合わせ、その隣の「織殿」と呼ばれる藁葺の屋根が特徴の社殿もお参り。簡易なプレハブ小屋のような社務所には、当然無人であるが、お守り等が置いてあり、ちょっとした説明もある。
初生衣神社の祭神は機織りの祖神、天棚機姫命(あめのたなはたひめのみこと)。「織殿」において三河の赤引の糸をもって御衣を織り、800年の長い間、毎年皇大神宮に献納していたそうな。遠州織物の発祥の地とされていて、浜名斎宮と呼ばれ、本居信長や平田篤胤の著書にも当神社の由緒が記されているとのこと。確か愛知県にも機織りの神様を祀る神社が一宮だったかな?に、あったような気がしたが、元伊勢と呼ばれた浜名惣社の近くにあるということはそれなりの古式ゆかしい神社だということがわかる。静かな境内を見渡し、ひっそりと佇む空気感に、ここだけ当時のままのにおいが残っているかのように感じながら後にする。

岐佐神社 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:30:13

さて、三ケ日駅に戻り、再び新所原駅で乗り換え、JR東海道線弁天島駅で下車。駅から数分のとこの弁天神社があり、書置きの御朱印が拝殿に置いてあるというネット情報を頼りに、行ってみることに。弁天という名のとおり、祭神は市杵島姫命が祀られていて、拝殿の朱色の建物がコンパクトで境内は小さい。黄色いイチョウの木が印象的な境内で、まずはお参り。拝殿の「格子窓」にはお守り等が白紙袋に入って置かれているが、御朱印は売り切れ状態。やはりネットの情報は拡散するのが早いのだろう、御朱印はあきらめ、ここから1kmほど離れた岐佐神社へ。これもネットの情報だが、岐佐神社は弁天神社も兼ねているらしく、岐佐神社は前から興味があったこともあり、今回訪れることに。
岐佐神社の祭神は蚶貝比売命(さきがいひめのみこと)と、蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)。それぞれ「赤貝」と「蛤」の神様という、何とも滑稽に思えてしまう貝の神様だが、「古事記」の「因幡の白うさぎ」の次の段に登場する。簡単にいえば、因幡の国に美しい姫神がいることを知った大国主命の兄神たちが、結婚を申し込みに行こうとなり、大国主命は兄神たちの重い荷物を担いでいるので歩くのが遅くなってしまい、途中、現れた白うさぎに出会ったため、姫神の屋敷に着くのが遅れてしまう。ところが、姫神は後から来た心の優しい大国主命を選び、結ばれ、これに怒った兄神たちが大国主命を殺してしまうが、高天原から降り立ち、大国主命を蘇らせたのが、“赤貝”と“蛤”という話。貝の神様であるということから、水産、漁業の守り神として古来より崇敬されてきていて、地元ならではといった感じ。
…で、神社にたどり着くまでの、町の小路には牡蠣、蛤等を販売しているお店を見、さすが「貝」の町と勝手に思う。ちなみに、この地域は東海道の宿場町、舞阪宿で、江戸時代、蛤は名物であったそうな。
木々に覆われた一段高い石垣の敷地の横を歩いていると、格式の高い神社と見受け、鳥居正面のとこまでくると、拝殿まで石段が上へと続く参道に、「やはり」と違う目で見てしまう。拝殿でお参り後、境内を見渡せば小高い丘に建てられているのがわかり、拝殿左手には、兄神たちが大国主命の命を奪った原因でもある「赤猪石」の岩が祀られている。(兄神たちが猪を追いやるため山の下で捕らえろと嘘を言い、真っ赤に焼いた大石を山から転がし、大国主命はやけどを負い、死んでしまう)
社務所は閉まっているので、調べた電話番号に掛けてみると、お住まいを教えて下さり、書置きの御朱印ならと、ありがたくいただく。弁天神社について尋ねると、宮司はいないのでわからないとのことで、まぁ~いずれまた行くのでいいか~と、お礼を述べ後にする。

写真は赤猪石。

夕陽 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:31:24

舞阪宿の本陣跡地や常夜灯、渡舟場を写真に収め、再び弁天神社へと戻る。弁天神社の鳥居は、広島の厳島神社の大鳥居のように、浜名湖の入り江に建っていて、この時期の11月下旬から1月上旬にかけて、鳥居の中を夕陽が通る現象が起き、それを見るために訪れたのもある。
夕暮れ時、弁天島海浜公園の海岸に行くと、数人のギャラリーが三脚を構え準備していて、周りの方々と少し談笑。私の一眼カメラを見、「いいカメラ」と褒めるコンパクトカメラを持つ御婦人に、「いえいえ、中古ですし、コンパクトカメラの方が意外とそのシーンに合わせて設定できるので、便利ですよ」と社交辞令的な会話をしながら、16:20ごろ、太陽が徐々に鳥居へと差し掛かり、それに合わせてギャラリーも場所をちょっとずつ左へ移動していく。太陽が沈むか沈まないかの時間の風景は、橙色と紫色のコラボが映え、美しい。しばらく夕陽を眺めながら、気づいたらギャラリーはもういなくなり、遠くの釣り人の姿や散歩している人、ヤシの木を揺らす風に、波の音…いい雰囲気の中、佇み、旅愁に浸るのでした~

二俣城跡 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:32:45

浜松駅近くのホテルで宿泊し、夕飯は浜松ギョーザを堪能。翌朝、「直虎1day切符」を利用し、遠鉄電車で通勤ラッシュの中、新浜松駅から西鹿島駅、天竜浜名湖鉄道に乗り換え二俣本町駅で下車する。駅から北西へ、町の公園にたどり着き、そこから山へと誘う急な石段が見え、登る。木々が生い茂る緑の中に所々モミジの赤が色づいていて、期待が膨らむ。
二俣城跡はモミジの名所としてネットでの情報を得、訪れた次第だが、城跡というからには石垣や堀等の遺蹟が残っているのだろうと想像し、足軽気分で散策。
二俣城はかつて武田軍と徳川軍がこの城を巡って激しい攻防を繰り返した場所。天竜川と二俣川の合流地点であるため、水運に恵まれた地でもある。二俣城といえば、やはり徳川家康の長男、信康の切腹した地でもある(次の清瀧寺で説明)。
そんな城跡を攻略すべく、森の中の道を歩いて行くと、旭ヶ丘神社の社殿の横にイチョウの木が黄色く色づいていてパチリ。“山の主”に手を合わせ、城跡へと向かうと、本丸らしき広場に来て、周りは紅くモミジが色づき見頃状態。まだ誰も来ていないので、思う存分撮影でき、寒い中、しばらく夢中に。朝陽に照らされ、段々暖かくなったところで、二人ほど撮影に来ている人を見かけ、声をかける。
「こちらにはよく来るんですか?」
「3年ぶりに来たんですけど、ほら、あそこに大きな切り株があるでしょ、あのモミジを撮るために来たんだけど、いつの間にか切断されていてビックリですよ」と。
指を指した方向を見ると、確かに根元を切断した大きな切り株があり、大きさからして相当大きいモミジの木だったにちがいない。腐ったのか、邪魔になったのかわからないが、モミジの木が生えていたころは、それは美しかったとおっしゃっていて、残念がっている。
「そうですか~、私も見たかったなぁ~」と少し雑談し、お礼を述べる。たぶん、城跡のモミジの中では“長老”であったにちがいない切り株のとこまで行き、生えていた時の大きなモミジの木を想像し、もうちょい早く来られたら…と、今はないモミジに愁傷を感じるのでありました~

清瀧寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:34:08

二俣城跡から二俣町内を北へ10分ほど歩き、岡崎次郎三郎信康のお墓があるとこへ。NHK大河ドラマでは、徳川家康の嫡男、信康が敵方の武田軍に内通しているという噂?知らせを知った信長が家康に処断するよう求め、それによって二俣城で幽閉させていた信康を切腹させた悲劇の若人で有名だが、そのお墓がある清瀧寺を訪ねる。
坂を上がり山門をくぐった境内には本堂と庫裏があり、さっそく本堂でお参り。本堂の裏は山で、石段を上がれば檀家さんたちのお墓が立ち並び、その中に、特別に、葵の家紋が施された門があり、そこからは入れない。その手前でしっかりと手を合わせ、若くして亡くなった信康を想い、戦国の世の習いとはいえ、さすがに悲しすぎる。
見上げれば、近くにはモミジが風に揺れて、「兵どもが夢のあと」の句が浮かび、旅愁に浸る。御朱印をお願いし、お礼を述べ、坂道を下ると「井戸櫓」と呼ばれる変わった建屋があり、弁天さんの祠や諏訪神社もあり、カメラに収める。清瀧寺のお隣は本田宗一郎ものづくり伝承館で、そうそう、清瀧寺の境内にある鐘楼は、二俣尋常高等小学校に通っていた宗一郎少年が正午を知らせる鐘を30分前に突き、弁当を早く食べたと伝わっている。伝承館に入りたかったが、この日は休館日となっていて諦め、二俣本町駅へと戻る。

写真は井戸櫓。

岩水寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:35:13

二俣本町駅から西鹿島駅止まりの電車に乗ったので、その分足止めをくらい、1時間ほど待ち、そこから岩水寺駅へようやく到着。歩くこと15分ほどで岩水寺の駐車場にたどり着き、そこそこの車が止まっている。
岩水寺は行基菩薩が薬師如来像を刻み、開創された寺で、総本尊を薬師如来とし、本尊を厄除子安地蔵尊としている。この地蔵尊、女性が神仏ということで(お地蔵さまは普通、男性)、非常に珍しい仏様。その昔、坂上田村麻呂公が東征のときに、天竜川の龍神さまが薬師如来の功徳により、玉袖姫という美しい女性に変身され、将軍と恋に落ちたそうな。その後、一子、俊光将軍が人々の救済と幸せを願い、お母様(龍神様)の魂が刻まれた地蔵尊を安置され、女性であるが故に、家の繁栄というご利益があり、「家を護る岩水寺」と謳われるようになったとか(冊子参照)。ちなみに、厄除子安地蔵尊は弘法大師作と伝わっていて、秘仏。正月の3日間と星まつり(2月の第3日曜日)に開扉されるとのこと。
そんな珍しい仏様がいる岩水寺であるが、紅葉もいい具合にあり、浜名湖七福神の福禄寿を祀ってあるので訪れた次第。石垣を土台にした垣根が続く先の、仁王門をくぐり、境内に入ると、イチョウの木が色づき地面にも黄色い“絨毯”が敷き詰められている。本堂でお参り後、受付へ行くと、赤ん坊連れの家族が祈祷の受付をしていて、境内にはそんな家族が結構いる。やはり母としての仏様を安置しているだけのことはあり、崇敬されていることがわかる。
受付では地蔵尊と七福神の御朱印をいただき、これで浜名湖七福神は満願。残るは遠州八大不動と浜松七福神で、まだまだといった感じ。
本堂がある境内から外へ出、東側の道路を北へ進むと、金城稲荷社、白山宮、薬師根本堂、太子堂、四天王堂と続き、賀茂真淵の石碑、そして奥之院と建物があり、それぞれの道路沿いにはモミジが見ごろを迎え、しばらく撮影タイム。時間の許す限りカメラに収め満足×2。

みかん大福 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:36:24

岩水寺駅へ戻り、天竜浜名湖鉄道で三ケ日駅へ。実は昨日、三ケ日駅に置いてあったパンフレットを見、「みかん大福」を販売している店が紹介されていて、人気のスイーツということを知り、気になって行ってみることに。パンフレットの簡易な地図を頼りに、三ケ日駅から北へ歩き、通りを歩いている地元の方に尋ね、行き先が同じ方向なので一緒に行くことに。地元では有名な和菓子屋さんらしく、尋ねた方もよく立ち寄るんだとか。案内された和菓子屋さんは意外と大きい店構えで、地元の方にお礼を述べ、そこで別れ、店に入る。
店にはこの地方でも名産である「みそまん」に、まんじゅうの皮にミカンを練りこんだ「みかんまんじゅう」、羊羹、どら焼き等々並んでいる。お店の人に聞いてみると、まるごとみかん大福は読んで字のごとく、果肉をシャーベット状にし、餅で包んだシンプルな大福。食べ時は2時間後とのことで、こちらの店だけでなく、浜松駅でも販売しているそうで、そちらの店も教えてもらい、大福とみそまんを2個ずつ購入し、意気揚々と店を出る。

長楽寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:37:37

お店から東へ、東天王バス停から遠鉄バスの浜松駅行きで長楽寺入口バス停へ移動。前回の旅で、長楽寺は訪れているが、一週間経って、あのドウダンツツジの庭園はどうなっているだろうか、もう一度訪れることに。長楽寺への道のりを歩いていると、1台の車が止まり、「長楽寺って、どこですか?」と尋ねてくる。
「あ~、この先ですよ~」と教えてあげて、私も同じ方向へ歩き出し、知っている人は知っているんだなぁ~と、見頃であることに期待が高まる。石段を上がる右手側は竹林となっていて、前回訪れたときはまだ色づいていないモミジが、きれいに紅く色づいていて、山門から入り受付を済ませる。下駄箱には10数人ほどの靴が並び、前回に比べ、拝観に来られている方々が多く、さっそく上段の間へ移動。すでに観賞している方々でにぎわい、私もしばらく見ていると、お寺の方がお茶を持ってきて下さり、恐縮。庭園は8割ほど紅く染まっていて、前回、住職さんのお話では12月に入ってからという情報だったが、確かに一週間経ってあともう少しといった感じ。賑わいも静かとなり、佇んでいると、先ほどの車で見えた方々が見えてご挨拶。同じ愛知県からの旅行者で、やはり浜松をこれから回るんだとか。そこそこの会話を切り上げ、庭園へと散策し、十分堪能、次へ。

龍潭寺 - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:38:47

長楽寺入口バス停から片町バス停で下車し、歩いて気賀駅、大河ドラマ館近くのバス停へ。バスの時間まで余裕があるので、ベンチでみかん大福を実食。ちょうど、周りの餅が溶け出した頃合いで、シャーベット状のみかんはいい食感で、生の状態になっても食べられるが、やはり凍った状態がいい。みかんのあの、酸っぱさが甘さを控え、一気に2個ほおばり、浜松に来た時はまた購入したい。
龍潭寺行きのバスに乗り込み、龍潭寺の駐車場にたどり着くと、相変わらず観光バスが5,6台並び、観光客が多い。前回は庭園の紅葉が色づいておらず、なおかつ午前中の撮影だったので、光量の匙加減で上手く撮れなかったが、その反省を生かし午後に訪れることに。
山門をくぐり、境内へ入ると、背の高いモミジが色づいていて、まさにドンピシャ、見頃状態。千両、万両、南天の赤い“粒”が彩りを見せ、写真を撮る。入口から堂内へ、丈六阿弥陀如来、本尊の虚空蔵菩薩に手を合わせ、枯山水庭園が紅葉の絡みとなって素晴らしい。しばらく佇み、順路通り拝観。内容はわかっているので、スイスイと進み、いよいよ小堀遠州作の池泉式庭園へ移動すると、イメージ通り全体的な緑の築山に、丸みを帯びたサツキの小木他、その中に紅く色づいたモミジが映え、光量もほどよく撮影しやすい状態。ツアー客が入れ替わり立ち替わりする中、ず~っと、座布団に座り撮影タイム。バスの時間までゆっくりと、見ていても飽きないほどの庭園を眺め、直虎に感謝するのでした~

おまけ - モリゾーのひとり言

2018/01/10 (Wed) 23:40:20

龍潭寺の枯山水庭園「補陀落の庭」。どっちかというと、こっちが好み。


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