寺社仏閣 ご朱印の旅

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また33、京都の旅 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:13:15

春爛漫の桜の時期ですが、今年は仕事の休みと満開の時期がずれて中々思うように行けず、諦めモード。っていうか、7分咲きの桜を見に出かけてますが…(いずれ紹介)。花粉症で、この記事を書くのも億劫になってしまい、気分も優れないので、1カ月遅れの紹介になってしまうが、3月に行った旅の報告~

東福寺光明宝殿 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:14:09

地下鉄九条駅から大石橋バス停へ移動、東福寺バス停へ。久しぶりの東福寺。紅葉の時期に来て以来、何年前に来たのかも忘れているが、臥雲橋から望む通天橋が、東福寺のメイン?的な風景を思い出し、あみだくじのような道のりを歩き、「そうそうこれこれ」と懐かしい。
「京の冬の旅」企画では、東福寺光明宝殿の開期時期が3月1日から18日までの間なので、他寺とは少し時期が離れていて、まとめて拝観したい遠方客泣かせである。そんでも、「京の冬の旅」では30年ぶりの公開ということもあって、訪れた次第。
受付で拝観料を支払い、湿度管理が保たれているであろう引戸を1枚開け中に入ると、スリッパに履き替え、さっそく掛け軸や襖絵の拝観。円山応挙の「笠之狗子」や明治の画家、塩川文麟の「魚籃観音図」、東福寺塔頭の普門院に飾ってある狩野派の絵師、渡辺了慶筆と伝わる「栁松遊禽図」「桜梅遊禽図」など、四季を描いた金箔ばりの襖絵を見、隣の部屋へ。
部屋には定朝様式の阿弥陀如来坐像を中心に、阿吽像が立ち、巨大な二天王像が左右から睨みを効かせている。かつて三門に安置されていた二天王像は、約3、4mはあり、甲冑姿に身を包み、腰をひねり「誰だお前は!」と言っているかのように見下ろしている。阿吽像は運慶作の金剛力士像。上半身裸の肉体をあらわにして「ここから先はダメ!」と言っているかのように片方の手の平を広げている。そんな“威嚇”姿の守護神とは違い、中央の阿弥陀如来坐像は穏やか。人々を見下ろしているような半眼から「すべてお見通しだぞ!」と言っているかのように見守っている。じっくりと宝物を目に焼き付けお参り。やはり、仏像を前には、厳かな気分になり、年の功かな?っと、そのままこの空気感を味わう。

泉涌寺 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:15:10

東福寺から泉涌寺へ。泉涌寺は位置的に、東福寺の北東にあたり、細い路地裏のような道を歩いていく。メインの長い上り坂に出て、木々の生い茂る雰囲気の中、昔、御所にあった内裏の大門に到着。泉涌寺は、昨年の「京の冬の旅」で、舎利殿特別公開で拝観したが、今年は「京の冬の旅」の共催に入っておらず、なぜ訪れたかというと、韋駄天立像が公開されるということで、NHK大河ドラマ「いだてん」も放映され、自分で勝手に「いだてんイヤ~」と題したことから。
…といっても、韋駄天立像は「京の冬の旅」で見ている。それよりも、舎利殿裏堂に描かれた「韋駄天図」が直接見れるということ、それから、御朱印も特別限定で「韋駄天」がいただけるということで訪れた次第。
大門からあいかわらずの砂利坂道を下ると、仏殿が見え、中に入り、大きな空間の中央に本尊の三尊像が輝き、その前で手を合わせる。天井には狩野探幽の「蟠龍図」が描かれていて、賽銭箱横には3月14日から16日の3日間しか公開されない「大涅槃図」の説明パネルがあり、その写真を見ては、広げられた「大涅槃図」を想像する。三尊像の裏壁面の「白衣観音」をじっくり見、仏殿から舎利殿へ。
舎利殿手前で拝観料を支払い中へ。参拝客が柏手を打つ音が聞こえ、「おっ、やってるやってる」と、去年訪れているので、その趣旨がわかる(また31、京都の旅を見てね)。ボランティアガイドさんの説明をしっかりと聞いて、韋駄天立像にお参り。韋駄天は釈迦の荼毘所から速疾羅刹に奪われた仏牙舎利を取り戻したことから、泉涌寺では仏牙舎利の守護神として安置している。壁面には半分ずつ左右に十六羅漢が描かれ、その裏面に「韋駄天図」があり、いよいよそちらへ移動。
江戸時代作と云われ、誰が描いたのかは不詳。男前の韋駄天に、側近らしき人物が従え、下の方には犬だろうか、動物が描かれている。色彩がまだ残っているということは、奇跡的に湿温度が保たれていた証拠なのだろう、かなり貴重で、今まで公開に踏み切らないでいたことも、保存できていた要因でもある。しっかりと拝観し、天井の「龍図」を見ながら、お礼を述べ、境内の御座所の方へ。朱印所へ行くと、「韋駄天図」の表紙になっている御朱印帳が販売されていて、御朱印と一緒に購入~、次へ。

建仁寺霊源院 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:16:15

泉涌寺道バス停から202系統の市バスに乗って清水道バス停で下車。西へ建仁寺境内界隈を目指す。「京の冬の旅」では、建仁寺の塔頭寺院は3カ寺が参加していて、過去にそれぞれ、すべて訪れている。その1つ、霊源院は御朱印が新たに増えたという情報を知り、今回で2回目の訪問。
山門にたどり着くと、今川義元生誕500年記念の幟が立ち、参拝客が結構いる。拝観料を支払う受付には、書置きの御朱印がいっぱい置いてあり、「えっ!こんなにあるの?」と驚きを隠しつつ、とりあえず帰りにいただくとして、拝観料を支払う。受付の方が、1日30名限定(だったかな…)で、抹茶の接待をして下さるそうで、あと残り1名と。もう「限定」で残り1名と言われた日にゃ~お願いするしかないでしょ!と、拝観前に茶室へと案内され、どんな人でも腰をかがめて入る躙り口を通りお接待。
お茶菓子が置かれ、本格的?な茶道形式で女性の方が一連の所作をし、私の目の前にお茶が置かれる。正直に、茶道はわからないのでどうすればいいか伝えると、「どうぞ、そのまま召し上がって下さい」と。お茶菓子については、櫛の形をした今川家紋ゆかりの落雁と、お好み焼きの原型といえる、千利休が考案した「ふのやま」を食べ、抹茶の苦みが甘さを抑えちょうどいい。話題は、前回来た時の、この茶室での甘茶のお接待を受けたことで、清水焼の茶器やら茶碗やらが置いてあり、素焼きのことについて教わったこと。それから、茶菓子の話題から、和菓子スイーツの店を教えて下さり感謝×2。おしゃべりが過ぎたようなので、お礼を述べ、霊源院の宝物を拝観。
前回来た時よりもスケールアップして、宝物が展示されており、ボランティアガイドさんが案内して下さる。柳沢元政人物画にはじまり、霊源院で出家した今川義元筆の書状、信長の書状、つい最近見つかった初お披露目の狩野山楽の「布袋像」、「一休禅師人物像」、「福徳だるま像」、左手に仏舎利が納められている毘沙門天立像の仏像は、再びこんにちは~といった感じで、じっくりと拝観。かなりお腹いっぱいで知識を得る。
帰り際、受付で御朱印について聞いてみると、全部で13種類。「え~、こんなにあるの~」と“貧乏人”には手が出ず、自分のお気に入りのものをチョイスして頂く。ちなみに、全部買っていった方もいるそうで、相当なマニア…いえいえ、帰依ある方?がいるんだぁ~と、お礼を述べ、後にする。

建仁寺両足院 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:17:21

建仁寺境内を歩き、栄西の「茶碑」を眺めながら両足院へ。こちらの寺院では、伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」が公開されているのだが、2月25日で終了という情報を得、「ダメなのか~」と諦めていたが、ちょっと山門を覗いて、係の方に聞いてみようと尋ねる。
「伊藤若冲って、もう展示終わりましたよね~?」
「あっ、大丈夫ですよ!お客様の要望が多かったものですから、期間の最後まで展示することになりましたよ」
「うそっ!本当ですか!じゃあ、入ります入ります」
拝観する予定ではなかったが、若冲を見るだけでも価値あり!と、受付で拝観料を支払い中へ。方丈へ案内された一室には、仏教を専門とする画家の七難堂天谿氏による襖絵。ボランティアガイドさんによると、この方、尾道出身で、書の方も達筆とのこと。尾道の千光寺にも襖絵を描いているそうで、確か私は、この方が描いたデザインの御朱印帳を、尾道で購入したことを憶えている。襖絵には北にお釈迦様、西にその弟子たちと文殊菩薩、東にも弟子たちと普賢菩薩が描かれ、それぞれの襖に、お茶の葉で煮詰めた染料で肌の色、身分、服、年齢、性別と、さまざまな人種が、仏法はすべての人々に開かれていることを伝えている。この絵の中には、描いていない空間に達磨大師の顔や、作者の横顔が浮かんで見えるという、特別なテクニックが施されているそうで、ガイドさんに言われて「なるほど」と、謎解きをするようで面白い。
書院へと移動、長谷川等伯の「竹林七賢図屏風」「水辺童子図」を見、庭園を眺めながら廊下を歩き、いよいよ伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」。鶏が尾を立てて餌をついばみ、その横にある梅の木の枝に雪が積もり、冬らしく椿の花が赤く染められ、その紅色に負けじと、鶏のトサカも赤く、その鮮やかさに雪の白さが引き立つ。「若冲の鶏」と言われるほど、写実と想像の融合は、現代の私たちでも素晴らしいと言える作品。テレ東の「美の巨人たち」か!と、自分でツッコミを入れたくなる説明だが、自分なりの解釈でじっくりと拝観。
書院には3月1日から展示されている、今回初公開となる「しろき観音」に手を合わせ、庭園をしばらく眺める。ガイドさんが、6月頃には葉っぱが白くなる「半夏生」が庭園を埋め、そのときも公開しているとのこと。向かいの茶室には着物を召した御婦人方が茶道のもてなしだろうか、その姿が見え、京都らしい雰囲気を味わうのでした~

建仁寺正伝永源院 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:18:16

建仁寺境内から北へ、少し離れている正伝永源院へ。こちらも新たに御朱印が登場~という情報で訪れることに。山門から方丈へと石畳を歩くと、一際大きな五輪塔が数基建ち、懐かしい。こちらのお寺は、織田信長の弟、有楽斎と、熊本藩主細川家の菩提寺。有楽斎は千利休に師事した茶人として知られ、建仁寺の塔頭であった「正伝院」を再興し、隠居と茶室を建てる。その茶室が「如庵」といい、現在は愛知県犬山市の犬山城下に移築され、国宝としてあり、もちろん、いつかの春の時期に犬山城を訪れ、茶室を見たことを憶えている。
靴を脱いで方丈に上がると、まずは元首相、細川護熙筆の、京都の町の夜桜を描いた「知音」、中央の部屋には狩野山楽筆の「蓮鷲図」の襖絵、その奥には再び細川氏の、京都の町の冬景色を描いた「聴雪」があり、拝観。「蓮鷲図」は、蓮の花がつぼみから徐々に咲いていく、時間の流れを表し、前回の拝観で見たことはあるが、細川氏の両襖絵は記憶にない。京都市中を空から俯瞰し、それぞれに春や冬の情緒を表したのだろう、元首相にそんな才能があったとはつゆ知らず、細川家ゆかりのお寺ということもあって、当寺が依頼したのだろうか。
廊下を伝い奥の部屋には、狩野山楽筆の「鐘馗図」の掛け軸が展示、方丈から眺められる枯山水庭園には、平成8年に復元された茶室「如庵」の建屋があり、こちらもちょこっと中を覗く。古暦を貼った内装に、茶室らしい小ぢんまりとした空間が見え、今でもおもてなしをここで行っているのだろうと想像する。何年振りだろう、久しぶりに訪れた建仁寺塔頭寺院を拝観し、忘れてしまっていたものや懐かしいと思えるものを思い出し、建仁寺を離れる。

神泉苑 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:19:21

清水道バス停から東山三条で地下鉄に乗り換え、東西線二条駅で下車。そこから四条烏丸行きの京都バスに乗り、神泉苑前バス停へ。
また来ちゃいました神泉苑。1月に訪れ、早くも3月に来訪。決まって御朱印の種類が1年を通して、その行事行事であり、3月は桃の節句。こうなったらすべて…と言いたいところだが、こればっかりは旅に行けるかどうかの運もある。
相変わらずの境内だが、1月に比べ、何だかにぎやか。アヒルが「ガアガア」3羽、会話していて、カモも何だかうるさい。そんな中、善女龍王社で手を合わせ、法成橋を渡ると、これまた相変わらずの、あのサギが置物のようにじっと動かず、池の魚を狙っている。
そんな動物たちが主役の境内を眺めながら、寺務所へ行くと、結構、人がいる。2、3年ぐらい前は、行っても誰もいない状態が続いていたが、この繁昌ぶりはどうしたわけか。その辺の事情はいくつか、何となく想像できる。まぁ~ともあれ、「桃節句」「上巳節」の御朱印をいただき、鳥たちに心の中で挨拶して別れる。

梅宮大社 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:20:26

前回と同じ四条大宮近くのホテルで一泊し、翌朝、四条大宮バス停から松尾橋行きの市バスに乗り、梅宮大社前バス停で下車。北へ数分歩くと、梅宮大社の鳥居が見えてくる。
梅宮大社は2、3回ほど来ている。やたら境内に猫が多いことと、神苑があることだけは覚えていて、ネットの情報では、神苑の梅が7分咲きということから訪れた次第だが、神苑がどういう造りになっているのかさえ、今は忘れてしまっている。
梅宮大社は、橘氏の祖・諸兄(モロエ)公の母、県犬養三千代(アガタイヌカイミチヨ)が、橘氏一門の氏神として始めてお祀りした神社(冊子参照)。主祭神は大山祇神。娘に木花咲耶姫、その旦那が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)で、娘の結婚祝いにお酒を造って祝った、このお酒が「甘酒」の起源ということで知られている。
鳥居付近の梅木が満開で、写真を撮っていると、地元のおじさんに声を掛けられる。
「どちらから?」と聞かれ
「名古屋からです」と答えると
「ほぉ~、それはそれは…」と、おじさんの友人が名古屋にいる話から始まり、無難な話をする。名古屋までどれくらいかかるのか聞いてくるおじさんに、
「40分もあれば新幹線ですぐですよ」と、友人を思い出したのだろうか、遠い目になるおじさんに、最後は労いの言葉をいただき、
「ありがとうございます」とお礼を述べ、別れる。
朝の日課で神社にお参りしているのだろう、こういう地元の方々の一期一会もうれしいものである。
立派な楼門を抜け,境内に入ると、正面に拝殿、奥に本殿があり、早速お参り。猫が日向ぼっこして寛いでいる姿にほっこりしながら、神苑には社務所で拝観料を支払わなければならないので、受付を済ませ、神苑入り口へ。自分で鉄柵を開け、中に入ると、一回訪れた記憶が一瞬でよみがえり、「そうそうこんな感じ」と、池泉式回遊庭園を眺める。
梅は確かに7分咲きぐらいで、まだ満開ではないが、あちこちにちらほらと咲いていて、可憐。池の周りを道なりに歩いていくと、池の鯉が私を追うように餌をねだりにやってきて、遠くの空を見上げれば、サギの巣があるのだろうか、大きな木につかまり羽をバタつかせていたりする光景を見、「梅苑」看板のある方へ移動。
こちらも咲いてはいるが、やはり7分咲きといったところだが、デジカメ片手にしばらく撮影タイム。前回来た時も同じだが、もう少し手入れがしていればいいのになぁ~と、個人的な感想だが、いろんな植物が植えられているので、きっと梅だけでなく、四季を通して楽しめる神苑なのだろうと。一通り、社殿裏手を一周する感じで、社務所横に出てくると、参拝客がちらほらといる。きっと地元の方々に崇敬されている神社なんだぁ~と、その姿を眺め後にする。

北野天満宮 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:21:37

梅宮大社前バス停から西大路四条で203系統の市バスに乗り換え、北野天満宮前バス停で下車。やはり、有名どころは人も多く、大きな鳥居付近には、タクシーがいっぱい止まっている。この時期が、北野天満宮にとってはメイン?と、勝手に決めているが、「梅苑」目当ての参拝客が訪れていて、私も今回で「梅苑」は2回目。実は前回、7、8年前ぐらい前に「梅苑」を訪れ、写真をいっぱい撮ったのだが、撮りためたファイルが壊れてしまい、全部御破算…。またいつか、訪れたいと思い、ようやく念願が叶う。
人々が吸い込まれるように参道を歩き、三光門を抜け、社殿前へ。修学旅行生や卒業旅行だろうか、若い人がかなり多く、そんな中、一際目立つ社殿前の古木の梅の花。ピンク色に鮮やかに咲き誇り、撮影する人が絶えず、私もパチリ。限のいいところで、とりあえずお参り。誰もが菅原道真さんにあやかり、頭が良くなるように懇願する姿は、日本の風物詩的な、北野信仰は根強いなぁ~と感じ、やっぱし、「痴呆にはなりたくないよね~」と思う。
さて、「梅苑」の入口の方へと行き、入苑料を支払い中へ。しだれ梅が満開を迎える中、人工的に作られた小さな小川に橋、簡易な広場があり、「こんなのあったかな?」と、記憶をまさぐる。たぶん、お茶会などの催しがあった、あるいはあるのだろうが、なんか、平安貴族に扮した老若男女が和歌でも吟じるような、そんなイメージが浮かび、神楽でもお囃子でも、そんな会があっても不思議ではない。そんな想像をしながらメインの「梅苑」へ行くと、休憩所には人でいっぱい。入苑料には無料でいただけるお茶券が付いているので、それもそのはず。なので、まずは梅を楽しもうと散策~。
ごつごつした枝ぶりの古木もあれば、まだ若木で、枝から生えているしだれ梅もあり、7分咲きである。昔は桜よりも梅を愛でるのが当たり前で、春の訪れという点では、今よりも早かったにちがいない。そう考えると現代はまだ、寒の戻りの寒さだが、梅はちゃんと、春が近づいているということを教えてくれている。
一通り撮影に没頭した後、休憩所で一息。梅茶に茶菓子が1つ、ゆっくりと味わいつつ、ここからも梅を観賞。大勢の人が“春”を満喫し、さすが北野天満宮、道真さんに感謝×2。

本法寺 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:22:44

北野天満宮前バス停から堀川今出川で乗り換え、堀川寺之内バス停で下車。「京の冬の旅」で特別公開をしている本法寺へ。…といっても、1月に訪れているので、内容は知っていると思うが、展示入れ替えの、長谷川等伯筆の「波龍図屏風」を見るために再訪。やっぱし来ちゃいました本法寺。予想通り、御朱印も「波龍図屏風」があり、寺務所でいただき、拝観料を支払い中へ。前回同様、「巴の庭」「十の庭」を見、大きな「佛涅槃図」のとこへ。ちなみに、「十の庭」は、「つなしの庭」と読み、「1」から「9」まで和音で読むと「ひとつ」…「ここのつ」の「つ」が付き、「10」だけ「とう」と読み、「つ」が付かないということで「つなし」と呼ばれている。
「佛涅槃図」では、学生によるボランティアガイドが案内していて、一通り説明を聞く。1つだけ、前回聞き逃していたことがあり、55人の人物画が描かれているが、54人は悲しみに暮れていて、1人だけ、どこか遠くを見つめている姿があると。それこそが長谷川等伯自身ではないかと伝えられている。中央左側に横向きで座っている人物こそが、まさにそうで、確かに1人だけ違う。息子久蔵を亡くして世の無常を悟った等伯の想いが、ここに表されていたのか~と、じっくりその姿を眺める。
2階へ上がり、「波龍図屏風」を観賞。迫力ある荒波の中に、龍が渦を巻いて漂っている姿。龍はどこか悲しくも、しっかりと前を見据えているようで、荒波にも負けないかのような…自分なりの感想ですが、そう思う。隣には日通上人曼荼羅の掛け軸があり、これも等伯筆の晩年の作品。じっくりと拝観、芸術作品に触れて、やっぱし来てよかったーと、意気揚々と後にする。


写真は「十の庭」

今宮神社 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:24:01

堀川寺之内バス停から9系統の市バスで下岸町バス停で乗り換え、バスを待っていると、小雨が。下岸町バス停の1つ西の停留所は、下竹殿町バス停で、この近くにあの、ハンバーガーのようなどら焼きを販売している和菓子屋さんがある。雨も降ってきたし、立ち寄ろうかとどうしようか迷うが、ここは後々のこと、我慢し、バスを待つ。46系統で今宮神社前バス停で降りると、雨が激しく降ってきて、春の嵐とまではいかないが、かなりキツイ。急いで楼門下で雨宿りをし、しばらく待つことに。折り畳み傘は持ってきているが、空を見上げたら、北の空に晴れ間が見え、これはいずれ止むだろうと、今宮神社の神様に“お世話”になる。小雨になってきたところで、境内の絵馬殿や摂社の建物を雨しのぎで伝い、拝殿前に到達しお参り。
今宮神社は、当地に平安建都以前より疫神を祀る社があったといわれていて、建都の後、平安京が都市として栄える一方で、疫病や災厄に人々は悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。その1つが今宮社である(冊子参照)。
こちらの神社も1回訪れていて、御朱印はいただいているが、新たに見開きの御朱印があるという情報をもとに訪れた次第。とはいえ、境内の雰囲気が初めて来たような感覚で、前回来たことをまったく憶えていない。「こんなんだったかなぁ~」と摂社末社の立派な社を見回し、社務所へ。目移りしそうなお守りグッズが並ぶ社務所で、御朱印をお願いし、お礼を述べ、本降りになった雨が止むのをしばらく待つ。なかなか止みそうもない雨に、少しだけ緩んだ隙をうかがい、小走りで境内東門へと急ぐ。

あぶり餅 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:25:03

東門から続く門前通りには「あぶり餅」で有名な2件の老舗茶店がある。今宮神社に来たのも、これが目的といってもいいくらい、前から気になっていた和菓子スイーツ。小雨が降ってる中、フードを被り、急ぎ足で駆け込んだ勢いと、「どうぞこちらへ~」という掛け声に誘われて自然と南側に店を構える「かざりや」さんに入る。お客さんに見えるように、串に刺した餅を専用の火鉢?で炙っていて、「いらっしゃいませ~」と威勢がいい。洋風でいえばカフェテリアスタイルの、外で食事ができる畳敷きがあるが、ちょっと寒いので中へ。擦りガラス扉を開け、こちらも畳敷きの、昭和といった感じの雰囲気のある部屋に、四角い机が6台あり、すでに一組の家族連れが席に着いている。
隅っこに席に着くやいなや、一人分のあぶり餅をお願いし、すぐに急須と湯飲み、あぶり餅を、客を待たせず持ってきてくれる。さっそく、熊手のような形にまとめられたあぶり餅を1本ずつ引きちぎって食べていく。
「懐かしい味~」
建仁寺霊源院のお茶席で教えてもらったあぶり餅の情報は、おっしゃってた通り、甘い白みそ仕立てのタレが付いた素朴な感じ。これはあっという間に食べてしまうので、1本ずつゆっくりと味わいながら食べる。しばらく、梅の開花のネット情報に、休憩時間を潰し、まだ昼メシも食べてないけど、これでいいかな?と見切りをつけ、お勘定。次来るときは、向かいの「一和」さんに入ることを心の中で約束し、店を出る。

建勲神社 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:26:01

さっきの雨はどこへやら、晴れ間が広がり、後光のように明るくなる中、今宮神社楼門から南へ続く道を行くと、東には大徳寺境内を隔てる土塀が続き、紅葉で有名な塔頭寺院の高桐院に行ったことを思い出す。この道を真っすぐに進むと、今宮門前交差点に出て、さらに南へ行くと船岡山公園入口に当たる。鬱蒼と茂る森の中を道なりに、坂を上がっていくと、京都市中の景色が見渡せる高台に出て、建勲神社境内にたどり着く。
昨年の冬に訪れたときは、「京の冬の旅」と一緒に「刀剣めぐり」の旅でも回り、ここ建勲神社の御朱印をいただいたが、新たに見開きの御朱印もあるとのことなので、訪れた次第。「刀剣めぐり」の催しは、今年も行われているそうで、境内には若い女性が結構いる。
相変わらずの境内、拝殿でお参り後、本殿の方へ廻り、神様の存在を何とはなしに確かめつつ、社務所の方へ。御朱印目当てだろうと、ツッコミを入れたくなるほど行列ができていて、「刀剣女子」たちがキャピキャピしている。宮司さんも大変だ~と思いながら、見開きの御朱印をお願いし、神社存続にもこういう工夫がないと経営が成り立たない世の中だなぁ~(そんな偏見はもっていませんが…)と、“第六天魔王”に別れを告げ、後にする。

雲龍 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:27:11

「京の冬の旅」では3カ寺を廻れば、無料でお接待を受けられるスタンプラリーを実施していて、1月に訪れた際は、京都駅の観光案内所で記念品のクリアファイルを頂いている。すでに、もう3カ寺訪れているので、お接待を受けようと、「京菓子資料館」へ。昼メシを食べてない分、お菓子で…腹を満たそうとする、セコイ考えで、船岡山バス停から北大路バスターミナルで地下鉄に乗り換え、今出川駅で下車。
老舗の「俵屋吉富」の和菓子屋さんを併設している「京菓子資料館」はネットによると、和菓子のあゆみを分かりやすく理解できるように、唐菓子の模型や古くから伝わる資料の公開をはじめ、国内でも希少な糖芸菓子の常設展示を行っているとのこと。
さっそく、奥行きのある京都らしい石畳の先に見える門をくぐり、中へ。受付でスタンプラリーの紙を提示し、落ち着きのある部屋へ案内され、すでに先客が4,5人といて、奥の席は団体客専用の予約席で、がらんどうと空いている。席に座り待っていると、係の方が丁寧に御抹茶と、和菓子の「雲龍」を持ってきて、きちんと説明して下さり、お辞儀をして「どうぞごゆっくりと…」ともてなしてくれる。「雲龍」は、大粒の丹波大納言小豆を炊き上げた小倉餡と村雨餡を一本ずつ手巻きにした和菓子。「俵屋吉富」さんの代表的な和菓子で、雲に乗る龍の姿を表現している。
しっとりとした生菓子に舌鼓~と、じっくりと味わい、お上品に食していると、おばちゃん団体客がぞろぞろと入ってきて、その様子を見ていると、「雲龍」じゃない和菓子。私は、子供が「あっ!あれもいいな!」的な眼差しで見、帰りにお土産として買っていくかなっと、思いながら、ごちそうさま~。雰囲気もいいし、京都のいい場所を見つけ、一息入れたいときはぜひ立ち寄りたいと、後にするのでした~

渉成園 - モリゾーのひとり言

2019/04/11 (Thu) 18:28:14

「かざりや」さんで休憩していた時に、「梅」の情報を元に、「見頃」と表示してあったので、梅苑があるのだろうと、京都駅近くの渉成園へ行ってみることに。地下鉄今出川駅から五条駅へ移動、南東方向を目指し歩いて行く。
渉成園は、東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。三代将軍・徳川家光から当地、約一万坪が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされた池泉回遊式庭園。今まで行きたいと思っていたが、ようやく初めての訪問。
受付で手続きを済ませると、入口には大きなしだれ桜の木が1本、植えられており、まだ花は咲いていないが、つぼみを付け、春の到来を待っている。塀沿いを歩き、一直線に並ぶ梅木には、満開の花をつけ、予想通り見頃となっていて、庭園へと入ると、池泉式回遊庭園が広がり、散策。全体に眺めると、そこは京都駅近くなので、ビルやマンションが立ち並び、もちろん京都タワーも見え、ミスマッチな感じだが、都会のオアシスとはこのことか?と、よくあるキャッチフレーズを思い浮かべる。所々、修復工事をしている橋や建屋があり、進めない箇所を素通り、池の周りを歩く。閬風亭のところに来ると、閬風亭の中から「はい、よ~いスタート!」という掛け声が聞こえてきて、撮影でもしているのだろうかと、梅の写真を撮りながら「大奥」や「平安貴族」やら想像してしまう。梅の木がまとまって植えられているところは、そんなに満開でもなく、7分咲きで本数も少なく、期待外れだったが、ここは梅よりも桜や紅葉がメイン?のようで、その時期のときにも来たいが…まぁ~、何はともあれ、最後まで梅尽くしの旅で満足×2。

また32、京都の旅 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:30:47

「京の冬の旅」も何回目だろうか、冬の京都に訪れるのが定番になってしまったが、御朱印も兼ね、文化財の特別公開が見られることもあって、今年も行ってきましたよ~京都。
…で、今年で53回目を迎える「京の冬の旅」のテーマは、「京都に見る日本の絵画」。全体的に長谷川等伯や狩野派など、京都で活躍した絵師がメイン。過去に見てしまっているお寺もあるので、まだ見てないところを観賞~

御霊神社 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:31:43

京都駅地下鉄案内所で「バスなびマップ」を手に入れ、バス・地下鉄の2日乗車券を購入するが、いつの間にか300円安くなっていて、「京都、儲かってんなぁ~」と思いつつ、地下鉄京都駅から鞍馬口駅で下車。まずは相国寺慈照院を目指すが、その前に、駅から東にある御霊神社でお参りに。
鳥居付近の「応仁の乱 勃発地」の石碑・看板を見、歴史の凄いとこにいることを実感しながら鳥居を潜る。伏見城から移築された立派な楼門を見上げ、境内に入ると、何となくこんな感じだったかな?と、前に来た時を思い出すが、そんな程度でしか思い出せない。
手水舎で身を清め、参道正面の社殿でお参り。社殿内で宮司さんが複数の参拝客に祈祷をしているのを見、1月下旬とはいえ、まだお正月気分を味わう。
御霊神社は、平安遷都の794年に桓武天皇が非業の死を遂げた弟、早良親王の怨霊を鎮めるために御霊として祀ったのが始まり。その後、井上内親王、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫を合祀して、神泉苑に六座の神座を設け、悪霊退散の御霊会が催されている。
境内を散策、松尾芭蕉の句碑や絵馬殿、応仁の乱の、畠山政長が陣を敷いた御霊の森を見、
社務所には「京都十六社めぐり」の幟が立っているが、違う種類の御朱印があればいただくが、同じものはいただかない主義なので、ここはスルーして次へ。

相国寺慈照院 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:32:42

御霊神社から南へ。相国寺の敷地内に行けば、案内看板が立っているだろうと行ってみると、なかなか見つからない。「あれっ?」どこにあるのかわからず、結局、タブレット地図機能で検索すると、境内地より道路を挟んで北側にある。その方角へと行くと、土塀が道路に面して建ち、「ここだな!」と山門を入っていく。石組を配した枯山水庭園に、苔庭に松の古木が植えられていて、その中を石畳が続く、塔頭寺院ならではといった雰囲気で、受付で拝観料を支払う。
相国寺慈照院は、「京の冬の旅」では6年ぶりの公開となるお寺だが、私は初めて。玄関を入り、恒例となったボランティアガイドさんの説明が始まる。
慈照院は、初め大徳院と称し、後に室町時代、足利義教公の菩提寺となったことから、法号の「慈照」を名に改名された。当院の第7世にあたる仏性本源国師が、桂宮智仁親王や智忠親王と親交があり、桂宮家の菩提所となったため皇室とも深い関わりを持つようになったとし、障壁画や本堂内の本尊、十一面観音や親王の位牌、建物の造りなどを紹介して下さる。
本堂から眺める庭園には、「陸船松」と呼ばれる樹齢300年の松が植えられ、本堂内の寺宝、中国の歴代皇帝に纏わる故事を描いた81ある内の2巻の屏風絵が展示してある「帝鑑図」の説明を聞き、書院へと移動。桂宮の御学問所として建てられた「楼碧軒」に、朝鮮通信使に纏わる書画や屏風などの宝物、新聞記事が展示されている。
朝鮮との外交のために対馬に置かれた役所に、京都五山に列せられた寺院から僧侶が交代で派遣され、この寺院からも5人の僧侶が手伝いに行ったそうな。そんな交流もあり、朝鮮から贈られた数々の宝物が、書院からさらに奥へ行った宝物館にある。ガラスケースにそれぞれ5人の僧侶の自画像の掛け軸、朝鮮通信使が日本に来日した時に書き留めた記録など。中でも平成29年11月、ユネスコ世界登録遺産に登録された、朝鮮通信使に関する記録「韓客詞章」の巻物4巻が展示されている。ガイドさんの話によると、江戸時代、朝鮮通信使が大坂の港にたどり着いた際、慈照院の僧侶が日本を案内し、その旅を記録した中に、「富士山」や「大坂城」の文字があることから、訪れた先がわかっていて、その記録を譲り受けて、今まで倉庫に保管されていたそうな。そんな同じような宝物が長崎県でも史料が保管されていて、2年前に一緒にユネスコに申請したところ、登録され、今回の展示となったようだ。2007年には朝鮮通信使400年(…だったか忘れた)祭りということで、京都市中をパレードした祝賀もあったそうで、慈照院が朝鮮との貿易に関与していた歴史を知り勉強になる。
いろいろと教えて下さり、お礼を述べ、客殿の方へ。書置きの御朱印が4つもあり、すべて奮発購入。帰り際、御霊神社に立ち寄ったときの、境内に雪が一部、積もっていたことを思い出し、「京都では雪が降ったんですか?」と尋ねると、2日前に降っていたそうで、まだまだ寒さは続きそうだ~と、他愛もない会話で別れるのでした~

本法寺 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:33:43

相国寺慈照院から次の本法寺へは、徒歩15分ほど。上御霊前通りを西へ、水火天満宮の前の公園までたどり着けば、この界隈は日蓮宗派のお寺が集まっているエリア。昨年の「京の冬の旅」では、妙覚寺を訪れ、寺宝や庭園のこと、「南無妙法蓮華経」の世界に触れたことが思い出される。
堀川通りから失礼して、大きな本堂、奥に多宝塔が見え、客殿玄関から入る。本法寺は今回で3回目。「巴の庭」と大きな「佛涅槃図」を拝観したことを憶えているが、今年の「京の冬の旅」のテーマ「京都に見る日本の絵画」としては、狩野山楽の「唐獅子図屏風」や本阿弥光悦の「花唐草螺旋模様経箱」が展示されているので、訪れた次第。
受付で拝観料と御朱印帳を預け、順路看板どおり進む。3つの築山を巴形に配した枯山水庭園「巴の庭」。半円を2つ組み合わせた「日」と、切石で十角形に縁どられた蓮池「蓮」を表し、「日蓮」の名にちなんだ意匠が見られる。この冬の時期は、積雪でもあれば風情を味わえるだろうが、正直、素人考えでは何か物足りない。パンフレットには紅葉の時期の写真が載っていて、やはり秋の時期でないと盛り上がらない。
次に、十(つなし)の石庭を眺めながら、廊下を歩き、巨大な「佛涅槃図」のあるとこへ。京都三大涅槃図の1つであり、長谷川等伯の長男、久蔵が25歳の若さで亡くなり、供養的な側面から描いたとされる61歳の時の作品。展示品は原寸大を複製したものなので、すご~く絵が荒く見えるが、毎年春の時期にモノホンが公開され、その時に見ているので、「まぁ、いいか」って感じ。
…と、ここで、本法寺の沿革について。まぁ~簡単にいえば、室町時代に日親上人が創建した日蓮宗で、この日親上人が他宗派批判を繰り返して、移転移転と破却に遭い、大坂堺に避難して後に、一条戻り橋付近で再興し、秀吉の聚楽第建設に伴う都市整備の影響で、現在地に移転と、移転の連続。そんな中、外護者であった本阿弥光仁・光悦の親子の支援を受けて、伽藍を整備し、京都の町に繁栄した(あと天明の大火で焼失とかありますが省略)…とまぁ~、本阿弥光悦の縁がある。
本阿弥光悦といえば、私にとっては「宮本武蔵」。史実で出会ったかどうかはわからないが、吉川英治の小説「宮本武蔵」で登場する。光悦は元々、刀剣の鑑定や研磨を生業としていて、足利幕府に仕えていた人物。そんな彼が「船橋蒔絵硯箱」や「楽焼白片身変茶碗」などの国宝級の芸術作品を世に残しているのも、いかに器用であったかがうかがい知る。「佛涅槃図」の後ろに展示されているガラスケースに「花唐草螺旋模様経箱」、「赤楽茶碗」「翁面」が展示されており、芸術的センスは、当時としては抜群であっただろうと、1つ1つの作品をじっくりと見る。
「佛涅槃図」を見下ろせる2階へと移動し、そこには狩野山楽筆「唐獅子図屏風」が展示。金箔の屏風に力強い獅子が1頭、大きく描かれていて迫力がある。ガイドさんによると、向かって右下に小獅子が1頭描かれていたらしく、金箔で消した跡があり、この獅子は親子を描いたのではないかとのこと。「なるほど~」と見入り、ひょっとしてもう一枚続きの屏風があって、そちらにつながっていた絵ではないかとも勝手に想像し、目に焼き付ける。
特別公開となった「唐獅子図屏風」だが、本法寺では、期間ごとに長谷川等伯筆の「波龍図屏風」など展示入れ替えがあるので、もう一度訪れるか迷うところであり、「唐獅子図屏風」と書かれた御朱印もあることから、「波龍図屏風」も…なんてあるだろうと、どうしようか…。
お礼を述べ、境内、本堂前にある、光悦お手植えの松と、空を見上げる長谷川等伯の銅像を見、気づいたら小雨が降ってきたので、等伯に別れを告げ、急いでバス停へ。

神泉苑 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:34:38

堀川通りを南へ。堀川寺之内バス停から堀川御池バス停で下車、タイミングよく京都バスの嵐山行きのバスに飛び乗り、神泉苑前バス停で降りる。何回も訪れている神泉苑。1月限定で「鵜森」の御朱印がいただけるということで、鳥居を潜ると、あいかわらずの池にはカモが冬なのに元気である。お参り後、法成橋から鳥たちの姿を何気もなく眺めていると、一羽のサギが境内に溶け込んでいる。置物かと思ったが、時折、足が動くのを見、「まさに詐欺師」としょーもないダジャレを思い浮かべつつ、サギではないが、「鵜森」の御朱印をいただく。
なぜ「鵜森」なのかは、神泉苑のHPを見ていただくとして、神泉苑の御朱印の数もどこまで増えていくんだぁ~と、神泉苑さんの狙いが何となく垣間見えた気がして…お礼を述べ後にする。

善想寺 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:35:41

神泉苑前バス停から二条駅前バス停で下車。千本通りを南へ、壬生操作場前バス停で降りる。この界隈も懐かしい。坂本龍馬ゆかりの武信稲荷神社を訪れたことがあり、この近くに今回の「京の冬の旅」初公開となる善想寺がある。
冊子によると、善想寺は想阿善悦(そうあぜんえつ)の開基、法名の二字を取って善想寺と名付けられた浄土宗のお寺。平安中期の上皇の御所があった四条後院の跡地に建てられ、この地に祀られていた「石仏阿弥陀如来」の歴史があることから創建された。
こちらのお寺は仏像がメイン。さっそく町中に溶け込んだ山門から失礼し、受付を済ませ本堂へ。荘厳な内陣の正面に本尊の阿弥陀三尊像が祀られていて、脇侍は少し膝を曲げ、腰をかがめているかのような観音菩薩と勢至菩薩が安置されている。その両脇壇にも阿弥陀三尊像が祀られていて、左側には長野県の善光寺式阿弥陀三尊像。光背は船形になっていて、一光三尊形式、脇侍が御両人とも胸の前で両手を水平に重ねる、変わったポーズを取っている。
お参りをし、左手に寺宝の掛け軸と屏風がある。ガイドさんによると、京都出身の絵師、円山応挙、40歳の作品で「七難図」、それから「法然上人絵伝」の屏風を展示。「法然上人絵伝」は大原問答をしている法然上人と、天台宗の高僧や比叡山の僧侶たちとの様子が描かれている。
お礼を述べ、境内の墓地に「石仏阿弥陀如来」があるのでそちらへ。花崗岩で彫られた石仏は、今も信仰の対象となっていて、平安時代からここの町の人々を守っていると思うと、御利益がありそうで、しっかりお参り。墓地には池坊(華道ですよ…)歴代の墓碑に、京都相撲最後の横綱○○(名前忘れた…)の墓があり、こちらも手を合わせる。
境内山門近くには「泥足地蔵尊」がある。最澄さん自ら、一彫りするごとに三度祈りながら彫られたという。滋賀県坂本村に祀られていたものを、こちらの寺に移動し、通常は山門外の建屋に安置されているのを、今回は特別にお顔が見えるように公開している。左手に錫杖、右手に宝珠を持ち、片方の足を膝に乗っけている姿はお地蔵さんでは珍しいとのこと。
なぜ「泥足」なのか。昔、農民の作兵衛というものがいて、(一部省略)三日三晩、病で伏せ、田植えができなかったが、体力が回復して見に行くと、青々とした苗が植えられていて、お地蔵さんを見ると、足に泥がついていた…という云われがあるそうな。人々の身近な願い事を身代わりとなって叶えてくれるお地蔵さんに、京都の鈴虫寺を思い出し、「なるほど~」と、ガイドさんいわく、今回、専用の用紙に願い事を書けば、住職さんが祈祷してくれるようで、一応、用紙に書いて投函。手を合わせ、写真を撮っていいということでしっかり撮り、お腹いっぱいで今日はここまで。

仁和寺 金堂・経蔵 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:36:55

四条大宮駅近くのホテルで一泊し、市バスを乗り継いで仁和寺へ。仁和寺は春の時期の御室桜を始め、3,4回来ている。仁和寺は、光孝天皇の意志を継いで宇多天皇が造営し、年号にちなんで「仁和寺」と名付けられ、明治維新まで約千年に渡り、代々皇室から住職を迎える門跡寺院なので、「御室御所」と呼ばれている。
何回も訪れている仁和寺だが、金堂と経蔵の内部を見たことがなく、「京の冬の旅」を機会に拝観した次第。仁和寺のバス停で降りると、相変わらずの大きな仁王門、横幅の広い砂利参道を歩き、中門を抜ければ左に開花を待つ御室桜、右に重文の五重塔、そして正面に横長の金堂があり、受付で拝観料を支払い、さっそく中へ。
内側に開く蔀戸(しとみど)をくぐり、5間ほどの長い空間に、阿弥陀三尊像が祀られていて厳か。ちょうどボランティアガイドさんの説明が始まるので、椅子に座り、かなりの参拝客で埋まる中、仁和寺の歴史から始まり、金堂の説明へと移る。
現在の金堂は、京都御所にあった紫宸殿(寛永年間築造)を慶長年間のときに移築したもので、昭和8年に国宝に指定され、その当時の寝殿様式を色濃く残しているとのこと。須弥壇に阿弥陀三尊像、その周りに四天王像が祀られていて、元々は光孝天皇の等身大の大きさの阿弥陀如来が安置されていたそうだが、今は霊宝館に展示されているという。阿弥陀さんの背面の壁には「浄土図」が描かれているが、暗くて見えない。その壁の裏側には、五大明王が描かれていて、昨年の暮れに約350年ぶりに公開していたらしい。その五大明王を公開する予定はないというから、また350年?待たないといけないと思うと残念である。
ガイドさんのお話が終わり、参拝後は思い思いに近づけるとこまで行って阿弥陀さんを拝観。黄金に輝く阿弥陀さんに手を合わせ、次は経蔵へ。
金堂の東側に建つ経蔵も外観は立派。お経の保管箱である経蔵は、中国で考案された回転式経蔵で、一回転させれば、経典全巻を読んだのと同じ功徳が得られるというもの。8面にびっしりと768の引き出しがあり、それぞれに漢字一文字がインデックスのように書かれ、1つとして「字」が重なっていないとのこと。江戸時代に天海上人が作られ、「天海版一切経」といい、当時は経蔵を造るのがブームになっていたと。私が知っている経蔵だと、長野県の善光寺の経蔵で回したことがあるが、動かすのになかなかに重かったことを思い出し、こちらの経蔵は、現在は回すことができないらしい。輪蔵の下には、色彩豊かな彫刻があり、お堂の内部の壁には十六羅漢や八大菩薩が描かれている。輪蔵の正面には釈迦如来を始め、仏像オールスターが勢ぞろいしていて、お参り。仁和寺の宝物を拝観できて満足×2。
…さて、来た道を戻り、境内を歩いていると、小学3,4年生ぐらいの子供たちに「すみませ~ん」と呼び止められ、「この中でどれが綺麗ですか?」と4つの写真を見せられる。
「???」と、周りを見渡せば、あちこちで子供らに囲まれてる大人たちがいて、「課外授業かな?」と協力する。4つの写真はどれも仁和寺にちなんだ写真だろう、仏像や建物、風景など、綺麗なものと言われて、大の大人が意外と悩んでしまう。適当に選んで「ありがとうございました~」とお礼を述べられ、歩いているとまた、子供らに囲まれ、今度は「好きなものは?」と。これが合わせて3回ほど尋ねられ、境内を抜けるにも時間がかかってしまう。が、なかなか、こういう経験も楽しく、近くの御室小学校だろう、「世界遺産が身近に感じられて、いいなぁ~」と羨ましく思い、子供らに手を振って別れる。

写真は経蔵

転法輪寺 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:37:58

仁和寺の東門から抜け、北へと坂道を上がっていくと転法輪寺がある。「京の冬の旅」では初公開となるお寺で、私も初めて。駐車場の先に、白い楼門が見え、近づくと上に、鐘楼が付いていて立派。その竜宮城のような鐘楼門をくぐり、小ぶりだが、枯山水庭園が境内を埋め、清潔感あふれる雰囲気。
庫裏の玄関から失礼し、本堂へと入ると、「おぉ~」と思わず唸る。インパクト大の本尊、阿弥陀如来坐像がで~んと祀られていて、存在感ありすぎ。阿弥陀さまを“ステージ”に、“客席”に座り、ボランティアガイドさんの説明を聞く。
転法輪寺は関通上人の開基で、この方、尾張の出身。13歳で出家し、京都へ来て、東三本木の転輪寺(今の三本木円通寺)に住持し、専修念仏を広めていたが、なかなか布教せず、別の地を求め、北野天満宮の門前に転法輪寺を創建し、本尊の阿弥陀如来を造って勤修された。その阿弥陀如来は、西方に居られるべきとの声のもと、更なる西方である御室へと移転、昭和3年に現在の地において新たに落慶法要をされたとのこと。
この関通さん、もとより、この名前がない。江戸増上寺での留学の帰路のこと、箱根の通行手形による旅人の往来を見て、人間界の苦しみの関所も「南無阿弥陀仏」の手形があれば、必ず抜け出すことができると悟り、「関通」を自身の名としたそうな。「えっ、そんなことで?」と凡人には思えてしまうが、やはり関通さん、関所で悟りを開いてしまうとは、違いの分かる男である。
阿弥陀如来坐像に関していえば、京都では阿弥陀如来像の木造では一番の大きさを誇り、光背は2段に分かれ、上の方には桜町天皇の手鏡が付いているとのこと。両肩から通衣(衣が垂れていること)されているのは珍しく、通常は左肩から衣が垂れていると言う。胎内には桜町天皇直筆の名号(南無阿弥陀仏)や、関通さんの念持仏が納められている。
本尊の右前に一際目立つ大きな木魚。全国で2番目に(1番目は北海道小樽にあるそうな)大きい木魚で、1本の木から作られ、台湾製であること。本堂左手には「大涅槃図」が飾られ、本法寺で見た「佛涅槃図」より4分の1ぐらい小さくした作者不明の、お釈迦さま入滅のお姿が描かれている。
そして、本尊の裏側には厨子内に安置されている裸の阿弥陀如来立像。お姿は童子の形をした像で、下半身は袈裟の生地で作った袴だけを履いている。室町時代以前の作ということで、天智天皇の誕生に纏わる説話が残ることから、安産守護のご利益があるとのこと。
一通り拝観。見上げた阿弥陀如来坐像は、奈良の大仏とまではいかないが、そんでも、どっしりとしたその存在感は、横顔や胴体からも感じ取れ、しばらく見とれるほど。写真は撮っていいということで、この出会いに感謝し、客殿へ移動。関通上人や山下現有大僧正(知恩院第79世にあたる人で、当寺に大正時代、住持し、103歳まで生きられた方)に纏わる像や掛軸の展示を見、100円で甘茶の接待を受ける。茶菓子を食べながら、ガラス越しに望む庭の千両?(に似た赤い実のある)の実が、冬の季節をよりいっそう感じられる風景に落ち着き、ほっこり。書置きの御朱印、さらに、自分で浄土宗の寺紋を押すスタンプ?をいただき、転法輪寺さん、いいお参りでした~

妙心寺東林院(1) - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:39:03

仁和寺前のバス停へ行こうと思ったら、ちょうどバスが発車してしまったところで、「しまった!」と思ったが、「まぁいいか!」と、妙心寺まで歩いて行ける距離なので歩く。妙心寺の塔頭寺院でも「京の冬の旅」の企画に参加している寺は3つ。これらはすべて過去に訪れているので、今回は行かないが、昼メシ時、妙心寺東林院という塔頭寺院では、「小豆粥で初春を祝う会」(1/15~1/31まで)なる精進料理がいただける催しがあり、ネット情報で訪ねた次第。参加費3800円と私にとっては大奮発だが、ここはお正月気分やお布施という意味も込め、自分にご褒美。
妙心寺北門から広い敷地に入り、石畳を歩いて行く。東林院は地図上では東側に位置していて、かつて「京の冬の旅」で訪れた塔頭寺院の山門を見ては、それぞれの寺宝を思い出し、今年も公開している寺院では、人が吸い込まれるように入っていく。
東林院の山門をくぐり境内に入ると、整った苔庭に松が植えられていて、いい雰囲気。実は前から行きたいと思っていた東林院は、沙羅双樹が有名なお寺で、6月には「沙羅双樹を愛でる会」の催しがある。NHKやEテレでは精進料理や宿坊でよく紹介されていて、そういうお寺なんだ~ということは知っていた。
東林院は細川氏綱が父、高国公の菩提を弔うために建立した三友院に始まり、山名豊国が東林院と寺号を改めて妙心寺に移し、開基としたお寺。沙羅双樹の庭園をはじめ、「千両の庭」、槙の木の枝に黒松が自生した「飛龍の宿木」があり、京都ならではの趣を味わうことができる。
玄関の下駄箱には靴が数十人分並び、「おっ!結構来てるんだぁ~」と、閉じられた障子を開ける。中にはいきなり受付の方が座ってらっしゃって、料金を支払い御朱印もお願いする。方丈兼本堂の、広い座敷で「ここでお待ちください」と案内され、しばらくすると、給仕の方が四角い重箱の1つの箱と、お茶を持ってきて、「精進料理の用意ができるまで召し上がって下さい」と和菓子でもてなしてくれる。箱には「松の雪」と呼ばれる小倉あん、小豆きんとん製の和菓子、乾燥昆布、干し柿、豆、くわい、千菓子、みかんとバリエーション豊富。お茶と思っていた湯飲みには、白湯に梅干しが入った梅湯で、ただのお湯だが、ほんのり梅の香が味わえる。小さな冊子には「祝い菓子」と書いてあり、それぞれの菓子に、豆ならマメであることとか、みかんなら(橙)代々続き栄えるとかの意味を持たせている。
「食後のデザート」と言うが、メイン料理を食べる前に和菓子を食べる…精進料理って、こういうおもてなしの仕方?なのだろうかと思い、一息ついたところを見計らうように給仕の方が見えて「どうぞ」と、書院の方へ案内して下さる。庭が見渡せる廊下を歩き、客殿の一室に失礼すると、先客がいて、御婦人方が食している。案内された座布団の、時代劇で見る、殿様が食事をするシーンのお膳が置いてあり、「おお~っ!」と声には出さずとも感動しながら座る。

妙心寺東林院(2) - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:40:53

給仕の方がメインの小豆粥を持ってきて、一皿一皿、料理の説明をして下さる。今となってははっきりしたことを忘れたので、この場で説明できないが、分かっているのは、酢味噌わさび風味のおひたし、黒豆に塩昆布など。精進料理なんて、そんなに食べたことがないので、どれも未知なる料理ばかり。食べる前に、この寺のしきたりなのだろうか、「さば器」と呼ばれる木片でできた塵取りのような形に、ごはん粒を7、8粒、箸で乗っけるのだそうだ。これは、禅寺では食事の前に般若心経と食事五観文などを読み、自分の受けた食の中から少量の「さば(生飯、施食)」を分かち、庭の木々などに備えて、小鳥や小動物に施すという「さばの儀式」があるそうな。「さば器」には食事された方の“さば”が並び、私もそれに倣い、少量のごはん粒を乗っけて、ようやくいただきます。「孤独のグルメ」のゴローさんのように心の中で解説。
まずは小豆粥から。紫色に染まった粥には餅も入っていて、ぜんざいとはほど遠いが、小豆の風味が鼻に抜け、なかなか乙な味。小鉢にはふろふき大根に油揚げなど、それぞれに味があって、それぞれに邪魔をしない。その中で1つだけ異彩を放つ蛇腹昆布は、人間のあばら骨のような形で揚げてあり、お菓子のようである。
すべて胃に納まってしまえば満足感も上がり、意外とお腹いっぱい。お茶をすすり、幸福感に浸る。気づけば、周りの御婦人方がいなくなり、その次席に、再び訪れるであろうお客さんの配膳が整い、お寺なのに?商売繁盛である。精進料理と侮るなかれ、なかなかに満腹感を得られるおもてなしに、こういう昼食もありかなっと席を立つ。
廊下を歩き、「飛龍の宿木」を見、祝い菓子を食べた座敷まで戻ってくると、これから食事に入られるお客さんが私と同じように“おもてなし”をされていて、かなり人気である。外の庭を見ると、さば器が置いてあり、小鳥でも来るだろうかと写真に収め、受付で御朱印帳をいただき、お礼を述べ外へ。来た時に気づかなかった、沙羅双樹の形をした瓦が庭に置いてあり、案内板には同じものが玄関の屋根に備え付けてあると…振り返って見上げると、寒空の下、沙羅双樹が“咲いていて”、この寺ではさぞかし、沙羅双樹が鬼瓦の役目を果たしているのだろうかと、しばらく眺めるのでありました~

蛸薬師 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:42:07

妙心寺北門前バス停から一本で河原町三条へ行ける10系統のバスに乗り、しばらく居眠り。河原町三条バス停で降り、新京極通りの商店街を南へ下ると誓願寺がある。こちらを訪れたのは、新西国霊場の1つなので、御朱印をいただきに立ち寄る。誓願寺は2回ほど訪れており、石段を上がれば大きな本堂に、入口からすでに大きな阿弥陀如来坐像が出迎えて下さり、懐かしくお参り。さらに新京極通りをさらに南へ下ると、商店街の中に溶け込むお寺がある。永福寺という通称「蛸薬師」。
永福寺は平安後期、室町の富者で、出家した林秀というものが、比叡山の本尊、薬師如来の夢告により与えられた、最澄が刻んだ石仏の薬師如来を祀るため、二条室町にお堂を造ったのが始まり。「蛸薬師」とは、鎌倉時代、永福寺にいた善光という僧が、病気の母親に好物のタコが食べたいと懇願され、思い悩んだ末に僧の戒めに背いてタコを買うため経箱を抱えて買いに出たところ、これを見ていた人に咎められるという出来事が。そんな善光が日頃から信仰する薬師如来に祈念し箱を開けたところ、タコは八本の足を変化させて法華経八軸の経巻に変わっていて、さらに経巻から霊光が放たれ、その光を浴びた母親の病がたちどころに回復したという由来。以来、病気平癒として京の町の人々から「蛸薬師」と呼ばれるようになったとさ。…ということで、タコじゃなくイカだったら「烏賊薬師か!」っと、ツッコミたくなるが…、
…で、ネットの情報では他にも、2つ御朱印が増えたと知り、訪れた次第で、まずはお薬師さんにお参り。境内?というには狭すぎる、本堂内のような敷地に、お地蔵さんやお不動さんが所狭しと安置されていて、ふと、奥に抜けそうな細い石畳を見つけ進むと、「おっ!」と京都らしく広い空間に出る。妙心寺という本堂があり、堂内に阿弥陀如来像が祀られていてこちらもお参り。妙心寺といっても、先ほど訪れた妙心寺ではなく、説明看板によると、元々永福寺の南隣には圓福寺というお寺があったが、幕末の大火で焼失し、明治維新に京都府の区画整理により寺域の大部分が没収されたため、愛知県の岡崎にあった妙心寺と寺号を交換したと。その後、妙心寺は永福寺の境内に仮本堂を建てて妙心寺の本尊を安置し、法性山無量寿院妙心寺となったとある。ちなみに、圓福寺の方も浄土宗深草派本山として、現在も愛知県岡崎市で現存しているらしい。
周りを見渡せば、大黒天を始め、七福神や豊川稲荷、福地稲荷、秋葉権現などが祀られていて、こちらも所狭しとお堂があり、全部ではないが手を合わせる。しばらく佇み、先ほどの本堂に戻ると、ガラス張りで仕切られた受付のような御朱印所があり、僧侶さんがいらっしゃるので、御朱印をお願いする。ガラスには御朱印の種類が貼り出されていて、全部で8つ。「ネット情報よりもめっちゃあるやん…」と独り言ち、悩んだが、お正月バージョンを含め全部お願いし、しばらく待つ。棚には京都の薬師霊場の御朱印帳があり、巡礼したい気持ちを抑え、ペラペラとパンフレットを見て、巡礼した気分に浸る。全部書いて下さることに申し訳ないことしたかな?と思いながら、丁寧にお礼を述べ後にする。

八大神社 - モリゾーのひとり言

2019/02/21 (Thu) 11:43:11

時刻は16:00ごろ。これで今回は終了~と思っていたが、ふと、本法寺での宮本武蔵のことが頭をかすめ、「行ってみるか!」と武蔵ゆかりの八大神社を目指す。河原町三条バス停から5系統で一乗寺下り松町バス停で下車。もう何回も来ているので、地図を見なくてもスイスイと坂道を上がり、詩仙堂の山門横を通り過ぎ、「八大神社」という看板が目に付く鳥居のところまで来る。ここで呼吸を整えるために立ち止まり、しばらく何とはなしに佇む。ここから先、さらに坂道を上がれば狸谷不動院があり、そこに武蔵が修行した滝があることを思い出しては鳥居を潜る。
八大神社を一番最初に訪れたときは、参道坂道に、宮本武蔵を演じた俳優さんが写真パネルとなって飾られていたが、今はそのパネルもなくなり、薄暗い木々で覆われた中を歩く。
八大神社の創建は鎌倉時代。八大天王が勧請された京都洛北一乗寺地区の産土神が元で、祭神は素戔嗚命、稲田姫命、八王子命。宮本武蔵が境内地である「一乗寺下り松」において吉岡一門と決闘し、決闘の前に奉拝した神社として知られている。境内はあいかわらずの雰囲気で、石段を上がった本殿でお参り。一乗寺下り松の古木に、宮本武蔵像を見、「我れ神仏を尊んで、神仏を恃まず」のフレーズが自然と浮かび、私にとってのお参りをするときのベースがここにある。
社務所で二刀流の武蔵が描かれた御朱印帳を購入し、見開きで剣鉾が描かれた御朱印をいただき、今日はここまで。かなりの出費も痛かったが、充実した京都の旅…また次も京都、3月(予定)の旅を楽しみに帰郷~

また3、豊橋の旅 - モリゾーのひとり言

2019/02/03 (Sun) 21:54:07

昨年のお正月に吉田七福神を廻り、中途半端に終わった豊橋の旅。残り2つということで、1月最初の日曜日、日帰り旅、行ってきましたよ~

老津神社 - モリゾーのひとり言

2019/02/03 (Sun) 21:54:59

豊橋駅に降り立つと、駅構内は相変わらずの人の賑わいに、まだ帰省客や観光客でお正月気分が抜けていない雰囲気。豊橋鉄道の乗り場へと移動し、改札に行くと、名古屋市交通局の“マナカ”で通れるようで、タッチしてホームへ。この路線は、渥美半島へとつながる愛知県田原市方面の鉄道で、早春には菜の花が咲くことで有名なエリア。その途中の老津駅で下車。無人駅の寂しい風景は、冷たい風もあって、より冬の寒さを感じる。
駅から北へ道を進むと、老津神社の石碑・鳥居が建ち、参道奥へと続いている。竹林の中を歩いていると、道端に地元の子らが紙で作った灯籠が並び、「地元の神社~」といった感じで石段を上がると、正面に立派な拝殿、境内にはお正月らしく、白いテントがあり、その中でおみくじや熊手、お札、お守り等が並び、華やかである。
まずは拝殿でお参り。賽銭箱の手前には由緒書と境内図の冊子があり、「ご自由にどうぞ」ということなので、いただくことに。
老津神社は、古代、この地方に三つの大きい神社があって、飛鳥時代に神明社、奈良時代に三嶋神社、平安時代に近江国から勧請された八王子権現があり、現在の地に創建されたとある。冊子には老津を、伊勢神宮に寄進することを天皇が願われたことや、伊勢中村の地から中村氏が着任し、当神社が中村宮司家の始まりであるとか、歴史書「吾妻鏡」に載っているとか…いろいろと書いてあるが、ここは省略し…とにかく、八柱の神さまが祀られていて、
境内は本殿を正面に、左右、摂社末社が祀られていて、建造物からして歴史ある神社だとわかる。初詣に訪れる家族連れが3組ほど増え、賑やかになった境内の中で、テントにいる巫女さんに御朱印をお願いし、お礼を述べ後にする。

常心寺 - モリゾーのひとり言

2019/02/03 (Sun) 21:55:50

老津神社から南へ行き、田原街道を西へ20分ほど歩いていく。天津バス停付近まで来ると、一角の畑に菜の花が咲いていて、「え~、正月なのに?」と驚。やはり渥美半島は暖かい気候なのか、写真に収め、吉田七福神の布袋尊を祀る常心寺へ向かう。
町の入り組んだ道を地図通り進み到着。「ザ・お寺」といったお堂が建っているのかと思いきや、古民家のような造りのお堂が見え、「あれっ、ここなのか?」と、結界門に取り付けてある小さい表札に「常心寺」とあり、一安心。屋根付き小屋の中にいるお地蔵さんに挨拶して境内へ。
本堂と思われる正面のサッシは閉まっていて、足元に法印やハンコが置かれてある。とりあえずその前でお参りし、お住いの玄関へ行ってピンポンするが、留守のようで、「自分で御朱印帳に押すパターンか~」と、型通りきれいに押す。これといって何もないので次へ。

写真はバス停付近の菜の花。

永福寺 - モリゾーのひとり言

2019/02/03 (Sun) 21:56:41

天津バス停から豊橋駅へ行くバスがあるが、本数が少ないので、再び老津駅まで歩き、豊鉄で新豊橋駅へ。北口のバスターミナルから豊川行きのバスに乗り込み、発車まで車内で待っていると、アナウンスで、豊川方面は初詣の影響により、渋滞が予想されるのでルートを迂回すると言う。「なるほど~」豊川といえば、豊川稲荷! やはり、お正月も参拝客で賑わうのだろうなぁ~と想像し、過去に訪れた思い出がよみがえる。
次の目的地は吉田七福神の毘沙門天を祀る永福寺。バスは豊橋市外方面へと進み、途中、元下地バス停で下車。瀬上北の交差点から北東方面の民家の並ぶ道を歩き、細い路地を進むと山門が見え、足元の鉄柵を開けて境内へ失礼する。
参道の脇には福寿観音、六地蔵が並び、御挨拶。直角に曲がった先の、ドウダンツツジだろうか、直方体に刈り込まれた両脇の参道石畳が本堂へと誘うように続き、本堂内に上がれるようなので中に入る。賽銭箱に、七福神の御朱印希望の方は呼び鈴して下さいとあり、さっそく住職さんが奥から見え、どうぞと毘沙門天が祀られているとこへ案内して下さる。
御朱印を書いて下さる間、尊像の前でお参り。住職さんからあらかじめ手渡された、火のついた線香を2本、香炉につい立て、磬子(けいす:仏具で、小さいリンをチーンと鳴らす、あの大きいバージョン)をゴーンと鳴らし、手を合わせる。
これで吉田七福神は満願~。うれしい限りで、本尊の阿弥陀如来にも手を合わせ、住職さんが書き終えた御朱印に感謝し、後にしました~

牟呂八幡宮 - モリゾーのひとり言

2019/02/03 (Sun) 21:57:35

元下地バス停で豊橋行きを待っていると、時間通りなかなか来ない。豊川稲荷方面からのバスが渋滞で遅れているのだろうと思いながらも、冬の冷たい風に晒されて20分待ちは、年老いた?体には堪える。
ようやく来たバスに乗車し、車内で暖を取り、あっという間に豊橋駅。北口バスターミナルから今度は南口へと移動し、浜松の旅ではいつもお世話になっている金券ショップ、前のバス停から循環バスに乗り、東脇口バス停で降りる。バス停から北へ、町の公園を横目に、ケヤキだろうか、並木が続く道路を道なり歩くと、鳥居が見えてきて、境内は参拝客で賑わっている様子。
牟呂八幡宮は「ええじゃないか発祥の地」として知られ、ここ牟呂村大西で発生したお札降りは、「ええじゃないか騒動」の発端となったとされる。江戸幕府の崩壊を目前にした、世直し的な風潮が発展、東海道を通じて、東西へと急速に伝播し、江戸以北から京、大坂、さらには中国四国まで波及した。そんな民衆運動の”発祥の地“で、境内ではおみくじで大吉が出た~と盛り上がり、赤の他人も幸福に包まれている。
由緒には、文武天皇の御代に創建と伝えられ、従五位上牟留天神を祀っていた。後には八幡大菩薩を併祀し、鎌倉から八幡神を勧請、天文年間には田原城主の戸田氏を始め、今川氏、池田氏等が社殿を修築、家康公から朱印領を寄進されるなど(以下省略)武神として崇敬される八幡宮となった(冊子参照)とある。
社殿でさっそくお参り。社務所で御朱印をお願いしている間も、「ええじゃないか~」のフレーズが頭をよぎり、「伊勢~の~名物~、赤福餅はええじゃないか」のCMを思い出し、赤福餅のええじゃないかはここから来ているのか?と、想像しただけでお腹が減ってくる。
「よし!今日は豊橋名物でも食べて帰るか~」と、宮司さんにお礼を述べ、今回の旅は終了~

豊橋カレーうどん - モリゾーのひとり言

2019/02/03 (Sun) 21:58:29

再び豊橋駅。時刻は夕刻。夕食を食べて帰ろうと、やっぱし前から気になっていたカレーうどんの店をネットで検索。駅前繁華街を歩き、目当ての「玉川うどん」さんに入店。
年末の深夜に、テレビ東京系列「孤独のグルメ」の再放送を見て以来、「ゴロ~」さんの気分になって席に着く。メニューを見ると、カレーうどんがメインで、セットに刺身の盛り合わせ丼等がある。私はおいなりセットをお願いし、品が来るまで周りの雰囲気を味わう。
壁には芸能人のサインが並び、有名なことがわかる。東京の有名どころのアナウンサーまでもサインや写真が貼ってあって、取材やバラエティーで、当店は豊橋市の町おこしに一役買っているのだろう。
カレーうどんが運ばれてくると、紙エプロンも付いてきて、赤ちゃんのよだれ掛けよろしく、素直に前掛けをする。そして、いざ実食!
一口すすり熱い!が、旨い!カレーの風味がより食欲をそそり、箸が止まらない。のってる具材は天ぷらのかぼちゃやとうがらし、ネギが添えられ、うずら玉子が3つ。一気に平らげ、麺を完食。だが、豊橋カレーうどんの特徴はここから。カレースープの底に埋もれた見えない物体X。箸でツンツンすると、古墳が埋もれているかのようにこんもりとなった“山”があり、そのXの正体は、山芋でコーティングされたご飯なのだ!
…って、知ってる人は知ってますが…スプーンでその“牙城”を崩し、カレースープと混ぜ混ぜして、カレーおじやのような感覚だろうか、スープごと頬張る。一度に二度、幸せがやってくる豊橋カレーうどん、くぅ~、おみそれいたしました。店によって、たぶん趣向が違うだろう、豊橋に立ち寄る機会があれば、またカレーうどん、侮るなかれ、おそるべしカレーうどんを食べたいと思う。

岐阜の旅 - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 10:53:06

あけましておめでとうございます…って、遅すぎますが…いや~、正月早々、風邪をひいてしまいまして、なかなか、こちらの掲示板も疎かになってしまう始末。去年から今冬のシーズンはこれで2回も風邪をひいたことになりまして…気をつけないといけないですなぁ~。
…ということで、そんなこんなで今年もよろしくお願いいたします。
さて、去年行きました紅葉の旅をまだ紹介してないので、どうぞ。

養老公園(1) - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 10:54:12

今回の紅葉の旅も日帰り旅。岐阜県養老郡養老町にある有名な「養老の滝」。養老公園に行くには養老鉄道に乗らなければならない。名古屋からだと、三重県の桑名方面か、岐阜県の大垣方面からのアクセスがあり、どちらも距離的には同じくらい。余裕のある時間帯を優先し、大垣から行くことに。JR大垣駅に着くと、前来たときと雰囲気が変わっている。駅ビルができるのだろうか、駅前開発が進んでいて、工事中の壁が人の渋滞を招くかのように、改札は混雑である。
確か駅前にマクドかなにかがあったので、そこで朝メシを食べようと思ったが、こちらも工事中で、改札近くまで戻り、近くのコンビニでおにぎりを3個購入。養老鉄道ホームのベンチで出発までほおばる。
養老公園のモミジ狩りに行くお客さんで多いかと思いきや、この日は土曜日なのに車内は少ない。もう、紅葉も散り始めたのだろうかと心配もあるが、それよりも天気が曇りがちで、予報では晴れだったのに~と、空を見上げる。
養老駅に到着。駅の観光案内所の人が養老公園までのシャトルバスに乗る案内をされていて、土日祝日は無料で運んでくれるらしい。パンフレットをもらい、マイクロバスに乗車し、結局、紅葉メインの観光客でいっぱいとなり、心配もなんのその、期待が高まる。バスは「こどもの国」と呼ばれる施設で途中停車し、車窓からモミジの木々の“赤”が目に飛び込んでくる。公園の駐車場にたどり着き、ここからは歩いて散策。紅葉が見事すぎるほどにグラデーションが良く、撮りながら緩やかな上り坂を歩き、まずは養老寺を目指す。

養老寺 - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 10:57:11

不動橋から山の背景にした景色が素晴らしく、橋の上で記念撮影をしている人たちがいる。その橋を渡り、開けた境内に、鐘楼や不動堂、その隣には幼稚園があり、養老寺が兼務しているのだろう。
養老寺の創建は元正天皇の御代、源丞内(養老の滝が酒に変わったと伝わる養老孝子伝説縁の人物)が開いたのが始まりと伝えられている。その後、七堂伽藍が立ち並ぶほど栄えたが、戦国の兵火により焼失し、大垣城の城主、木村長門守政盛が現在地に小堂を再建した歴史(以下省略)がある。
不動堂の裏手には源丞内の墓もあり、しっかりとお参り。御朱印がいただけるというネット情報で、お願いすることに。インターホンで呼び出し、おばちゃんが幼稚園の施設から現れて堂内へと誘う。養老寺の説明を軽くして下さり、ちょっと談笑。養老の滝までどのくらいかかるかとか、今年の紅葉は暖かい気候もあって、12月初旬ごろまで長引くこととか、いろいろお話し、お礼を述べ後にする。

養老公園(2) - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 10:58:12

養老公園はいただいた冊子によると、明治13年に開発され、自然の地形と環境を十分に生かした「こどもの国」や体験型芸術庭園「養老天命反転地」、他にも「パークゴルフ場」や「キャンプセンター」と、園内には自然の中で楽しく遊べる施設となっている。一年を通して四季折々の景観が楽しめ、何と言っても「養老の滝」がメインで、30分ほどは歩かなければならない。
観光案内所や茶店が並ぶ通りを歩くと、「養老サイダー」や「飛騨牛のメンチカツ」の幟が立ち、店それぞれに活気がある。お土産は帰りにしようと、とりあえず次は養老神社を目指し、通りのモミジを愛でながら、撮りながら散策~。

養老神社 - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 10:59:20

渡月橋というとこまで来て、瓢箪の民芸品を売っている店が並び、養老に瓢箪?と何のゆかりがあるのだろうかと疑問に思うが、たぶん、孝子物語の水を瓢箪に汲んで老父に飲ませたということだろう、養老町では瓢箪が民芸品として売られている。
「養老神社」と刻まれた石碑のとこに到着。近くには養老の水が溢れ流れ、手水舎として柄杓(ひしゃく)が置かれている。観光客の一人が孝子伝説に準え、「飲んだらお酒かも」と冗談で笑いあっていて、その透き通った清流のごとく水が、確かに段々お酒かも?と見えてくる。
壁のような石段を上がり、境内には社殿、右手を見下ろせば、「菊水泉」なる泉がある。元正天皇が浴された美泉であると伝えられ、昭和60年に環境省から名水百選の指定を受けていて、奈良県にある元正天皇陵へ特別奉拝にて献水しているそうな。
養老神社は平安時代に編纂された美濃国神名帳に「従四位上養老明神」と記載されている古社で、菅原道真の御霊を勧請合祀し、昔は菊水天満宮などと呼ばれるようになったという。
さて、お酒に変わるという養老では有名な孝子伝説とは…毎度のこと面倒くさいので、養老町のHPに「孝子物語」のことが書いてあるので調べてね。
…で、そんな伝説に纏わる社殿でお参り。書置きの御朱印が板戸に貼られているが、ネット情報では、観光案内所にあるとのことなので、帰りに立ち寄ることに。養老の滝まではあともう少し、神社の雰囲気を味わいつつ、先へと進む。

養老の滝 - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 11:00:23

もみじ橋というところから段々傾斜が上がっていき、上を見上げれば、モミジの色合いが素晴らしく、撮りながらゆっくりと歩く。渓谷を歩けるように、今では整備された遊歩道になっているが、昔はどうであろう。ごつごつした岩肌があるところから、相当、山を削ったのだろうかと思える。
滝の音が聞こえ、下から望むことができるとこまで来ると、人だかりがあり、写真撮影で群がっていて、滝が流れ落ちる周りの岩肌からモミジが顔を出し、彩を添え美しい。
高さ30mの名瀑は、江戸時代、葛飾北斎が風景画として書き残したほどで、滝の水がお酒に変わったという孝子物語の伝説を聞いた元正天皇が行幸されて、自ら飲浴されたという話は先ほど紹介したが、はたして、お酒の味がしたのであろうか。その行幸されたエピソードもロマンがあって面白い。
石段を上がり、広い空間に出ると、滝壺の近くまで行き、マイナスイオンを浴びる。観光客の誰かがインスタに載せる写真のアイデアで、口の中に滝の水が吸い込まれるかのように、遠近法で撮っている人がいて、なかなかに笑える。そんな賑わいの中、見飽きることなく見続ける。

養老公園(3) - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 11:02:42

限をつけ、山道を歩きながら、本当にどこを見渡してもモミジの木々があることに、名所であると再認識。下った先の、仕切られたフェンスのとこに出ると、動物除けのため、開けたら閉めて下さいと、イノシシでも出没するのだろう、表示がしてある。
観光案内所のとこまで戻ってきて、養老神社の御朱印があるか尋ねると、「あ~、昔はあったけど、今はやってないよ~」と返され「え~(心の声)」と嘆いたが、こればっかりはしょうがない。諦めて適当に、おみやげ店に寄って「養老サイダー」と「柿ジュース」を買い、悠々散策。駐車場のとこに戻ってくると、そこそこの乗用車が止まっていて、公園とはいえ、広大な敷地の中で過ごす、格好の憩いの場に、近隣県民はよく利用する場所なんだぁ~と車列を眺める。まだ、他にも行きたいとこがあったが、今回は紅葉散策が目的なので、またいつか来たいと思い、無料シャトルバスに乗り帰還するのでした~

養老サイダー - モリゾーのひとり言

2019/01/24 (Thu) 11:03:43

旅行先に行って、その土地のサイダーを買うことがもう、趣味かのようになってしまっているが、そんなにサイダーなんて、どの土地も味は変わらない。基本は水がきれいな土地というところは間違いなく、玄人には違いがわかるだろうが、“おいしい”ということは確かだ。
養老サイダーも孝子伝説に準え、ひょっとして「酒」という意味からも、甘いのだろうか、いや、甘いのは当たり前だが、とりあえず飲んでみるしかない。
「やっぱしサイダー」という単純なCMのフレーズのような感想だが、思うに、ビンで飲むから「うまい」と感じるのかもしれない。シュワ~と浮き出る気泡1つずつに、養老の水のエキスが凝縮していて、旅の思い出がよみがえる。…なんて、オーバーな表現を思い浮かべつつ、飲み終えたビンが、毎回そうだが、しばらく捨てるには惜しく、結局捨てるのだが、オブジェとしても味わうのでした~

四日市・美濃の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:42:47

さてさて…今年ももう、年の瀬が来てしまいましたか~。いろいろと旅行ができるのも、健康で何より、感謝×2です。今年もつたない文章を読んで下さり、ありがとうございました。来年も旅が続けられるのを祈りつつ、最後に、紅葉の旅第4弾も日帰り旅(ちなみに第5弾は来年にしま~す)。11月下旬、三重県四日市市と岐阜県美濃市に行ってきましたよ~

宮妻峡(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:44:00

名古屋からJR関西本線で四日市駅へ。西口のバスターミナルは閑散としていて、紅葉狩りに行くような観光客は誰もいない。20分ほどして、宮妻峡行きの三交バスに乗り、途中の近鉄四日市駅にバスが立ち寄ると、10人ぐらいの乗客がわんさと占領し、「やはり!」と、同志が増えたかのように勝手に喜ぶ。
…で、結局はほとんどが途中下車していく地元の人で、終点宮妻峡まで乗っていたのは私を含め3人。会話から大阪から来たおばちゃん2人組で、車窓からの茶畑が見える風景に、感動している。確かに、街中を走っていた景色がいつの間にか、茶畑が辺りを埋め尽くし、伊勢茶と書かれた看板も目に付く。
この地は、滋賀県との県境、北には御在所岳から連なる山脈が南へと続き、麓の環境がお茶には適しているのだろう、静岡のお茶所も富士山を背景に、同じようなイメージがある。
終点に到着すると、2手に分かれた道の、上り坂を上がっていくと、真っ赤なモミジが彩りを見せている。…が、よく見ると、まだまだ7割ほどで、全体が染まるには12月に入ってからだと予想する。そんでも、赤、黄、緑のコントラストは十分、楽しませてくれ、撮影タイムが始まる。

宮妻峡(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:44:56

坂を上りながら、撮影しながら歩くと、観光協会の方だろうか、アンケートにご協力くださいと声をかけている。私もパンフレットをもらうために参加し、アンケートに協力。少し、協会の人と話をすると、広島や千葉から訪れている方もいるそうで、モミジの名所でもあることは間違いない。私はネットで知って訪れたわけだが、TVでも紹介されたそうで、紅葉狩りもこれからといった感じ。いただいた冊子には、「四日市のもみじ谷」と題して、由来が紹介されている。
ここ水沢町は江戸時代、菰野藩の領下で、藩主の土方候が毎年、遊山したといわれ、この景勝地を保護したとある。特に9代の土方義苗(よしたね)が樹木の伐採を禁止し、自然保護に尽力したといわれ、「もみじ谷」と命名したとされている。
昔から有名だったんだぁ~と、そんな歴史に触れながら、協会の方と別れ、再び撮影タイム。料理旅館っぽい店では、ぜんざいや甘酒などの幟があり、外で食べられるベンチが用意されていて雰囲気がいい。
折り返しの、谷の方へ下りて行くと、三脚を構えたアマカメが一生懸命撮っていて、盛り上がりを見せている。少しベンチで休憩し、コンビニで買ってきた草餅とどら焼をほおばりながら、紅葉狩りを堪能~。バスの時間までゆっくりでき、乙な時間を過ごしました~

大矢田神社(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:45:51

名古屋栄のオアシス21のバスターミナルから美濃市駅行きの高速バスに乗って出発。この路線は途中、今年の夏に訪れた関市も通り、もう慣れたもの。ほとんどの乗客が関市で下車し、終点美濃市駅には私を含め、またまた3人。
今回はちょっと事前予約を入れている。モミジの名所でもある大矢田神社へは、大矢田神社前というバス停があるが、そこから30分ほど歩かなければならない。そこで、美濃市のコミュニティバスがないかネットで調べたら、デマンドタクシーを使った利用ができ、各停留所間への移動が、日付や時間を事前予約すれば、県外の人でも利用できるというもの。ただし、乗り合いなので、そこは致し方ない。
美濃市駅で待っていると、時間通りタクシーがやって来て、そのまま出発。地元のお年寄りらが途中、乗ってきて、スーパーや病院で乗り降りし、大矢田上切集会所前で下車。運転手にお礼を述べ300円を支払う。
降りた場所は大矢田神社の御旅所でもあるとこで、モミジが彩りを見せパチリ。限をつけ、北へと延びる道路を歩いて行くと、一般の乗用車がスイスイ、私を追い越し、人気の高さがうかがえる。歩道に植えられたモミジが神社へと誘うように、“赤く”並び、駐車場近辺にたどり着くと、係の方が駐車料金を徴収していて、なかなか抜け目がない。

大矢田神社(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/26 (Wed) 23:47:06

北へと参道が続く、その横の駐車場の上には、これでもかとモミジが見頃を迎え、名所のことだけはある。
大矢田神社はネットの情報によると、山に悪い龍が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪龍を退治し、平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てたのが始まりとされている。
天若日子命は記紀の葦原中国平定で登場する神様。最初に葦原中国に派兵された天穂日命の連絡が取れなくなった為、2番手として派兵されたが、天若日子命は葦原中国の主である大国主の娘、下照姫命と懇意となり仲良く暮らし当初の目的を忘れてしまう。一向に連絡をよこさない事に激怒した天照大神と高皇産霊神は、雉の鳴女を派遣してその真意を確かめさせると、天若日子命は天探女に従い雉の鳴女を射抜き、打ち抜いた矢は高天原まで達した為、天若日子命に反乱の意を感じた高皇産霊神は、邪心があるならばこの矢に当たるようにと誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子命の胸に刺さり、彼は死んでしまう。死を嘆く下照姫命の鳴き声が天まで届くと、天若日子命の父神である天津国玉神が葦原中国に下り、葬儀の為に喪屋を建て八日八夜の殯をする。葬儀には下照姫命の兄である阿遅志貴高日子根命も参列しましたが、余りにも天若日子命に似ていた為、天津国玉神とその妃神は、天若日子命が生き返ったと勘違いして抱き着いてしまう。すると、阿遅志貴高日子根命は死人に間違われた事を怒りに感じ、喪屋を神剣で薙ぎ払い、蹴り飛ばしてしまい、美濃の藍見の喪山がその喪屋だとされている。
…と、神様の名前が多すぎ、読んでいて理解するのに時間がかかるが、「大矢田」の「矢」はここから来ているのか~?と素人考えだが、「喪山」という名もあることから、この神社の伝承を知ることができる。
さて…神門を抜けると、ま~すぐの参道石段が上へと見え、その入口には大きな杉の木が御神木としてモミジとコラボしている。写真を撮っていると、アマカメのおばちゃんに声を掛けられ、「どうですか?」と。
「いや~、なかなか素人が撮るような写真ですから…」と、言いながらもそこはわかっていて、おばちゃんも元気がいい。拝殿までは石段と女坂と分かれていて、女坂の方はモミジがいっぱいあるが、そちらは帰りに楽しみをとっておくとして、周りが林立する木々の、薄暗い石段を登っていく。休憩がてら立ち止まっては振り返り、入口のモミジが鮮やかに日差しに照らされ、どこからでも絵になる光景に何度も立ち止まる。
拝殿でお参り。社務所で御朱印をお願いすると、さすがは美濃市、美濃和紙の書置きの御朱印があり、100円割高になっている。社務所の横には、この神社で毎年11月に行われるひんここ祭りの人形が展示されていて、「へぇ~」と眺めいり、宮司さんにお礼を述べ、再び散策。
看板地図には、ここから先、登山道が控え、1時間ほど歩くと、巨大なモミジの木があるそうで、行きたいが、デマンドタクシーの時間が限られているので諦める。本殿側面の素晴らしい彫刻を眺め、モミジとのコラボ、帰りは女坂を下って、モミジのトンネルを歩き、“裏モミジ”からの撮影に夢中になってしまう。参拝客も空を見上げ、見頃のモミジに、自然と歩く速度もゆっくりとなり、私も十分堪能するのでありました~

大坂の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:54:35

紅葉の旅第3弾は、日帰り旅。11月三連休の頭に大阪府の高槻市へ行ってきましたよ~

神峯山寺(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:55:34

名古屋駅に行くと、新幹線改札口は祝日ということもあって長い行列。何とかホームへ上がったかと思えば、自由席の前寄り3号車までも長い行列。来る新幹線すべてに満車で乗れないという状況が続き、のぞみではなく、こだまで行くことに。それでも乗ったはいいが、座れず、車内廊下も立ち乗客でいっぱい。新幹線で初めて京都まで40分ほど立ちっぱなしで、これだけでかなり、体力を消耗する。
JR京都駅もすごい。紅葉時期も重なり、人の波を除け、新大阪駅方面への電車に飛び乗る。JR高槻駅に到着し、バス乗車まで、新幹線で朝食を食べるはずだったおにぎりをベンチでほおばり、5分後には出発という、慌ただしく落ち着いてもいられない。
原大橋行きの高槻市営バスに乗り、人も多いが、席に座ることができ、少しは落ち着く。神峯山口バス停で降りると、目的が同じ神峯山寺へ行く参拝客がいて、けっこう多い。それもそのはず、神峯山寺は紅葉の名所。しかも、11月23日は本尊の毘沙門天の開帳、特別の金印の御朱印がいただけるという催し?もあるから。私はたまたまネットで、新西国霊場関係で調べたら、引っ掛かり、「これは!」と思い、訪れた次第。
バス停から東へ、山の中腹へと歩き出すと、イノシシやシカ除けの鉄柵があり、そこを開け、竹林の中を上がっていく。開けたとこに来ると、新名神高速が下に見える遊歩道で、歩くたびに、右の谷底には倒木した木々が散乱し、道の左側の山肌を見上げれば、岩ゴロゴロの、根元から木々が流された爪痕があり、台風の影響で倒壊があったことをうかがい知る。
山門にたどり着き、山門から覗く、境内のモミジがすでに見頃を迎え、期待が高まる。受付で拝観料を支払い、本堂へとつながる参道には、モミジがずらりと並び最高~。塔頭寺院の境内も、苔の庭にモミジが赤く色づき素晴らしい。参道途中には納経所があるので、本尊の毘沙門天、新西国と役小角の御朱印をいただき本堂へ。

神峯山寺(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:56:48

神峯山寺は役小角が開山し、開正皇子(光仁天皇の子)が箕面の勝尾寺から入山して創建、寺領1300石に及んだほど栄えたとある。仏教の聖地である比叡山などと並んで、七高山の1つに数えられ、戦国時代での焼失、再建、現在は3院の塔頭寺院のみとなっている(冊子参照)。
本堂でお参りを済ませ、本堂につながる回廊にはゾロゾロと人の列が本堂へと吸い込まれるように消え、僧侶の祈祷してる声が漏れ聞こえてくる。西側の鐘楼へ石段を上がっていくと、ゴーンと響き渡る鐘の音に、「お寺~」って感じで、私も鐘を鳴らし合掌。体に振動が伝わるほどに、厄除けされたかな?という思いに駆られ、余韻を楽しむ。
観音堂や開山堂、九頭竜滝等々まわり、周りのモミジの共演にシャッターが止まらない。境内を埋め尽くすモミジにすっかり魅了され、じっくりと堪能するのでありました~

安岡寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:57:48

神峯山口バス停に戻り、JR高槻駅行きに乗り、浦堂バス停で途中下車。バス停から東の住宅地を歩き急坂を上がっていく。
安岡寺は新西国客番札所。光仁天皇の子、開成皇子が創建したと伝えられ、本堂の背後の丘に、大般若教600巻を一石に一字書写して安置したことから、安岡寺般若院と称するようになったとされる。
正面ではなく、西側の結界門から入り、ちょっとしたモミジが彩りを見せている。叶観音のお堂がある方から石段を上がりお参りし、境内は鐘楼から青梅観音堂、本堂、小さな庭もあり、至ってシンプル。青梅観音堂では、木造の千手観音座像が安置されていて、平安時代初期の作。昔、この寺の上に安正寺というのがあって、かつてのその寺の本尊を廃寺に伴って移されたそうで、檜の一木造りというからすごい。大体、千手観音は寄木造りが多いが、一つの木から作り上げるなんて…ということで、お参り後、じっくり覗き込む。
本堂でお参り後、納経所で新西国とお不動さんの御朱印をお願いすると、「本堂に上がりましたか?」と問われ、「中、入っていいんですか?」と、堂内へ上がらせてもらう。堂内にある本尊の如意輪観音像に改めて手を合わせ、安置されている不動明王に、愛染明王にもお参り。隅には、有名武将の朱印状や手紙など、ショーケースに展示されている。
一通り観覧し、納経所で御朱印をいただき、これで新西国もあと6つと、お礼を述べ、意気揚々とバス停に戻る。

神服神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/21 (Fri) 17:58:51

地図を見ると、バス停近くに「神服神社」の文字を見つけ、立ち寄ってみることに。まったく知識ゼロで行ってみると、鳥居は道を挟んで、真っ白い校舎、境内はかなり広い敷地になっていて、この神社は学校の守り神なのだろうかと想像してしまう。立て看板に、神社の年間行事が書かれていて、11月23日勤労感謝の日、神事があったらしい。“らしい”というのは、訪れた時はすでにシーンと静まり返った境内だったので、もう終わった後なのだろうと、社殿前に張られたテントで何となくわかる。
こちらの神社、後で、ネットで調べてみると、服部連が創建したとある。こちらの地域は古墳が群集する塚脇古墳群があり、神社の南側には遺蹟が広がっていたことから、古くからこの一帯で人々が生活を営んできた地域であったらしい。奈良時代、摂津国島上郡服部郷という服部連の本拠地であったとされ、「服部連(むらじ)」とは、機織りの織部が各地に多数設置されることになり、朝廷が管理者を置いた、その管理者をやがて「服部(はとりべ)」と呼ぶようになり、諸国の織部の総領として「服部連」の姓を賜ったとされている。
…で、御祭神はその、服部連の祖神と熯之速日命( ひのはやひのみこと ) 、麻羅宿祢。熯之速日命は、日本書紀に載っている素盞鳴尊と天照大御神の誓約の場面で、素盞鳴尊が首にかけられた珠を口に含んで左足の中からお生まれになった神で、ちなみに、熯は 「 かわかす 」 という意味があり、麻羅宿祢は熯之速日命の12世の孫にあたる。
…ということで、歴史ある神社の本殿でお参りし、社務所に行くと大体、突然訪れたパターンだと、不在なのが通例だが、社務所を覗くと宮司さんがいて、やはり祭事があったんだと、御朱印をお願いする。御朱印帳もちょうど最後のページで、限がいいところで、今回の日帰り紅葉旅も満足×2でありました~

写真は本殿横に祀られている「服部連」像

また31、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:22:38

紅葉の旅第2弾は、西播磨を中心に11月中旬に散策~

安養院 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:23:49

新大阪駅から明石へJR新快速で到着。明石のバスターミナルから名谷駅行きのバスに乗って太山寺バス停で下車。仁王門が出迎える前のモミジが色鮮やかに紅葉していて、今が見頃であると、ワクワク感が止まらない。塔頭寺院の龍像院や成就院を過ぎ、まずは太山寺安養院にお邪魔する。
こちらは背景に見える三身山を借景にした枯山水庭園があり、この時期にしか公開していない情報を元に訪れた次第で、どんなものか…
受付で拝観料を支払い、中へ。8畳ほどはあろうか、書院から眺める庭は、石組の多い配置がされていて、周りはモミジの木々がある。日差しの当たり具合からか、まだ見頃とまではいかないが、ところどころ赤く染まり庭に溶け込んでいる。
いただいた冊子を読むと、石組の説明がされていて、古来中国からの「蓬莱神仙思想」から来ているらしい。大海の彼方に蓬莱島などの神秘の島々があり、そこには仙人が住み、秘宝や不老不死の仙薬を蔵していると信じられ、その世界に至ることが最高の理想であるという考え。絵図のとおり、蓬莱石や亀石、鶴石、石橋等々の配置が描かれていて、説明がなければただの巨石がランダムに並んでいるだけにしか見えないだろう。
庭の前で神仙の世界を想像し、ゆっくり観賞~

太山寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:24:53

安養院から道なりに進むと、中門が見えてきて境内へ。受付で拝観料を支払い、御朱印帳を先に預ける。太山寺は新西国、神戸13仏他、多々の霊場もあり、紅葉の名所として有名なので、この時期を狙い、今まで訪れることを我慢してきた。
…で、予想通り、鮮やかな“赤”が目に飛び込んできて、思わず「わぁ~」と小言を言ってしまう。写真を撮りながらまずは、大きな本堂へと行き、堂内に入ってお参り。内陣には薬師如来像に四天王像が安置されていて、格子から薄暗い中を覗いて、そのお姿を拝む。右には地蔵菩薩、左には千體地蔵が祀られていて、簡易な座布団が置いてあり、座ってお参り。左手から光が差し込む、外の景色は、一枚の絵のようにモミジが顔を覗かせ、いつまでも見ていられ、静かな雰囲気に心が落ち着く。
太山寺はネットの情報によると、藤原鎌足の子、定恵和尚の開山で、その孫である宇合(不比等の子)が建立したとされる。宇合が摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が現れ、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があって、定恵和尚は願望を果たせずに寂したと示現したところ、宇合はその教示に従って、七堂伽藍を整備して薬師如来の尊像を安置したという縁起がある。そんな歴史ある、山深い寺の境内を散策。
本堂から阿弥陀堂へ行くと、大きな阿弥陀如来さんが安置されていて、ここもお参り。阿弥陀堂から振り返った三重塔が立派で、シャッターの押手が止まらない。順番に護摩堂、本堂裏手を廻り、釈迦堂や羅漢堂、太子堂と、そして三重塔。朱色の三重塔が赤いモミジに映え、美しい。三重塔から奥之院へと行ける橋を渡り、そこは川のごつごつした岩がある河川敷で、稲荷社や地蔵堂があるのでお参り。山の雰囲気といい、今にも岩が落っこちてきそうな山肌に、太山寺川にある巨岩を見、ちょっと恐れすら感じるが、なかなかに自然の息吹を体感でき、しばらく佇む。
バスは1時間に1本しかないので、境内に戻り、ベンチで休憩がてらモミジを観賞。ゆっくりできました~

好古園 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:25:54

明石駅から姫路駅へ。久しぶりの姫路だが、駅前から望む姫路城は前に来た時と変わらずに、立派に建っている。姫路城東側には好古園があり、こちらも紅葉の時期は名所として有名である。見頃という情報をネットで知り、営業時間が17:00まで、16:30までが入園締め切りなので、急いでバスに飛び乗る。
好古園入口に着いたのがギリギリ16:30なので、30分で観賞しないといけないが、入れただけでも来た甲斐があったというもの。この時期、好古園ではライトアップも実施されるが、土日祝しかされないので仕方がない。
…で、園内はというと、どんぴしゃ!見頃で、庭園は赤に染まり、お客さんもそこそこまだいて、思い思いに写真を撮っている。日本庭園の滝や池や石組など、やはり絵になり、どこからでも見て楽しめる。「流れの平庭」や「松の庭」、「竹の庭」と、順番に見て回り、急いでカメラに収めていると、警備員さんが来て終了~。「もう終園か~」と、30分はあっという間で、もう少し時間があれば、ゆっくりできたのだが…とも思ったが、まぁ~、見頃の“紅葉庭園”を観賞することができて満足×2。

東山公園(夜) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:27:04

姫路駅近くのホテルにチェックイン。今回はまだ“紅葉ライトアップ”の予定が待っていて、それはたつの市の東山公園。JR姫新線で30分、播磨新宮駅へ向かわなけらばならない。チェックインしてまもなく、JR姫路駅からワンマン電車に乗ると、帰宅サラリーマンらでいっぱいの中、播磨新宮駅に到着。19:00頃にもなると夜の帳で、暗記した地図を頼りに、暗い夜道を東へ歩いて行く。
揖保川の堤防沿いにたどり着くと、東山公園橋がライトアップされ、川向うには提灯の飾りが見え、「あそこだな!」っと検討がつく。東山公園橋はつり橋で、「高い所が苦手な方は無理かも」、というネット情報があったが、真っ暗なので、実際、川までの高さがわからない。その分、恐怖心はないが、歩くたびに揺れるので、やはりつり橋なんだと再認識し、慎重に渡る。
たどり着いた先からは道なりに提灯が案内してくれ、東山公園に到着。「志んぐ荘」という旅館だろうか、観光施設の脇を歩いて行くと、ライトアップされたモミジが…
「あれっ!なにこれ?」
ライトアップされてはいるが、ライトの数が少ないし、照らし方が雑!ヘタクソって印象しかない。
「全然照らされてないやん…」と愚痴がもれ、これじゃただの外灯?と思ってしまう。モミジはライトで照らされているところは赤く染まっているので、見頃なのだろうと思うが、あとは真っ暗なので、本当に見頃なのかわからない。お客さんの数もカップル1組しかいないし、期待するほどのことはなく、ガセネタだったか?と…。とりあえず、照らされているところだけをカメラに収め、予定よりも早く、消化不良のまま後にしました~

あまりに撮れ高がないので、つり橋を。

東山公園(朝) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:28:09

翌朝。再び姫路駅からJR播磨新宮駅へラッシュアワーの中、移動。旅の計画通り、またまた東山公園へ。昨夜のことがあり、紅葉もあまり期待していない気持ちで、堤防沿いまで来ると、つり橋が見えてきて、結構大きい橋なんだ~と改めて見渡す。昨夜は真っ暗で、それほど感じなかったが、また渡ってみるとスリリング。側溝を支えるような“あみあみのフタ”から川が見え、「やばい…かなり高いじゃないか~」と足がすくみそうになる。そこは大人ですから、恐怖心を抑え、渡りきると、「なるほど~、これは風が強い日は無理だな…」とネットの情報に納得。あとはモミジも納得できるかどうか…
旅館の脇を歩いて行くと、ため池にいる白鳥?に餌をやっている社員さんがいて、朝の日課なのだろうかと見ながら上へと歩いていくと、
「お、おぉー!」と、期待していない分、公園全体が赤く染まっていて見頃状態。昨夜のライトアップは何だったのか?と疑問が持たれ、もっと照明の工夫もあっただろうにと、その分は残念で、マイナス点だが、日中は素晴らしい紅葉名所である。
まだ誰も来ていない朝イチ、独り占めになった気分で撮影タイム。奥地へと上がれば上がるほど、染まっていないモミジもあるが、紅葉狩りをするには申し分ないほどに楽しめる。
案内看板に「不動滝」とあるので行ってみることに。滑りやすい“昔”の階段を、気を付けながら登っていくと、チョロチョロとパイプ管から流れ落ちる“滝”が見え、「いや~、あれじゃないでしょ!」と、さらに続く山道を上がっていく。が、ない…
「まさか、あの“滝”なのか~」と、先に進むのを諦め、戻ってその“滝”の周りをよ~く見ていると、不動明王の石像が置かれていて、「やはりこれなのか~」と。“滝”から奥まった祠みたいなのがあり、そのごつごつした岩肌の姿に、不動明王を準えたのだろうかと、手を合わせる。
何だか、この公園に翻弄されたようだが、紅葉狩りを堪能し、帰るころにはちらほらとお客さんも見に来ていて、次の目的地へと向かう。

素麺神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:29:14

神姫バスの新宮東口バス停から南へ、東觜崎(ひがしはしざき)公民館バス停で下車。JR姫新線の線路を渡り東へ。この地はCMでもお馴染み、「やっぱり素麺、揖保乃糸」で有名な「そうめんの里」。お昼は素麺にしようということで訪れた次第だが、その前に、素麺神社という変わった神社があることを知りそちらへ。
駐車場になっているとこに鳥居が建ち、高台へと石段が続いている先に社殿があり、イチョウの木が黄色く色づいている。石段を上がると神門があり、その手前に「女優 田中好子」と刻まれた寄進石がある。CMに出演していたこともあり、目立つところに建っているのか、やはりCMの顔でもあったので、スーちゃんの面影が脳裏によぎる。
元々、素麺神社ではなく、大神神社が正式名称で、大神神社といえば、奈良県の山を御神体とした日本最古の神社であるが、そこから明治時代に勧請して大神神社を創建したのが始まりで、奈良県の桜井市界隈を訪れた時の、「三輪そうめん」を食べたことを思い出し、素麺つながりの縁に感謝。
詳しいことはわからないが、素麺は遣唐使によって伝えられたとされ、昔は宮中のおもてなし料理に、七夕の日に食べると疫病にかからないと言われていたそうな。この素麺神社にも素麺を奉納していて、素麺づくりの様子が描かれた明治時代の絵馬も残されている。
社殿でお参りを済ませ、境内を散策。寄進石に刻まれた会社名等を見ると、素麺に関係している醤油会社や製粉会社などがあり、境内に敷居のように並ぶ寄進石は、ここの神社を守っているかのように“理路整然”とある。
社務所はあるが閉まっていて、御朱印があるのかないのかわからないので、諦めてお昼休憩に。

そうめんの里 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:30:26

素麺神社から東へ歩いて5分ほど、「そうめんの里」の施設がある。揖保乃糸資料館として、素麺の歴史や文化を学ぶことができる展示室、加工工場の見学、素麺のあの“糸”を棒で延ばす体感コーナー等があり、楽しむことができる。
目的は食べることなので、営業時間が11:00からの施設内にあるお食事処「庵」に早速入店。11:00にもかかわらず、お客さんは老夫婦が2組と、意外といて、それぞれに麺をすする音が聞こえてくる。メニューを見ると、素麺だけでなく、うどんやにゅうめん、そうめん巻寿司や明太シラスそうめんなど、いろんなバリエーションの料理があり、私はゴーヤチャンプルーそうめん(スープ付)をお願いすることに。
焼きビーフン感覚で食べるゴーヤチャンプルーそうめんは、そんなに苦くもなく、結構お腹が膨れ、満足×2。夏には冷や素麺なんて、飛ぶように注文されるんだろうなぁ~と想像する。
2階の資料館を見たかったが、次の予定の時間が迫っていたので、諦めることにし、帰る前におみやげコーナーで、特級品の素麺とカップ麺を購入し、後にする。

公孫樹 - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:31:28

JR東觜崎駅からJR播磨新宮駅に再び戻り、神姫バス、山崎行きを待つ。待つ間、駅から南へ望む先に、イチョウの木が黄色く色づいているのが見え、バスが来るまでの間、行ってみることに。揖保川の支流の堤防沿いに1本だけ生えているイチョウの木。落葉が木の周りを取り囲み、そこの空間だけ異彩を放っている感じがして、神々しく見える。川の向こう岸に見える山肌の至るところに、モミジの“赤”が映えていて、景観が「自然~」といった風景に心癒される。一通り写真を何枚も撮り、駅に戻る。

最上山公園(1) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:32:39

神姫バス、山崎行きに乗り、終点で降りると懐かしい。この地は宍粟市という所で、かつて、黒田官兵衛ゆかりの地で訪れたことがあって、周辺を散策したことがある。山崎の街の中心地に、最上山公園というのがあり、ここが紅葉の名所であるということをネットで知り、「へぇ~、そうだったんだぁ~」と、今回の旅で訪れる機会を得る。
山崎のバスターミナルから北西方向へ、昔ながらの商店街界隈を抜け、恵比寿神社のとこまで来ると、境内から最上山公園へと続く石段があり、そこは公園の東端にあたる展望塔が建ち、周辺はモミジが見頃を迎えている。山崎の街並みを見下ろし、しばらく休憩し、撮影タイム。
西へと公園内の山道を歩き、遊具のある広場では、ご老人方が紅葉狩り、色づいているところではアマカメがシャッターを切り、思い思いに楽しんでいる姿に遭遇する。

最上山公園(2) - モリゾーのひとり言

2018/12/15 (Sat) 17:33:46

森林内を歩き、さらなる高見へと上がると、日差しが照る、明るい場所に出て、公園の中心だろうか、山裾を見下ろす山肌には、モミジが多々あり、若木も多々植えられている。本当に「モミジ山」にしたい管理者?の意図が見え、本当に兵庫県では隋一といっていいくらいの名所であることがわかる。地元の中学生の団体や観光客がいて賑わい、「いい時期に来れてよかった~」と、口々に言っているのを耳にし、私もそう思う。
最上山公園からさらに北西方向へ登山道を行けば、篠の丸城跡がある。黒田官兵衛が戦功の褒章として、秀吉から山崎の知行地を与えられ、居城を篠の丸城としたが、長い期間、居をかまえることなく転戦する日々の官兵衛であったため、山崎でのエピソードはあまり残っていない。城跡の方へは行かないが、公園を散策していると、土塁のような盛り上がった斜面や堀かと思えるような形が見て取れ、お城があった痕跡を想像できる。
麓へと段々下りてきて、弁天池のとこまで来ると、駐車場にはテントが張られ、地元の観光課が盛り上げを見せていて、素晴らしい紅葉の名所に来れて大満足の旅でした~

また30、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:21:16

11月中旬。紅葉の旅、第1弾は神戸13仏霊場を兼ね、兵庫県三田市や再び有馬温泉を中心に散策。

鏑射寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:22:21

新大阪駅に到着し、福知山線に乗りかえ、1時間ほど。JR道場駅に降り立つ。山並みの景色を眺めながら、武庫川沿いの道を歩くと、河川敷にはススキの穂が風に揺れ、秋というよりは初冬といった雰囲気を醸し出し、気温も少し肌寒い。案内看板を頼りに、山道が続く坂道を上がり、いつのまにか汗をかきかき、無理せずゆっくりと登っていく。追い越す車が数台上がっていき、そういえば、先ほどの案内板に示していたカントリークラブの常連客だろうかと想像しながら、九十九折の坂をひたすら上がっていくと、モミジの木々が彩りを迎え、鏑射寺の城壁のような石垣とマッチしていて、一眼カメラで撮影タイム。やはり思っていた通り、紅葉が進んでいることを予想し、早く来てよかった~と納得しつつ、境内へと早速踏み入る。寺務所で先に御朱印をお願いし、神戸13仏霊場、本尊の大日如来、愛染明王、不動尊と書いてもらい、お寺の方から「護摩堂は堂内に入れるのでどうぞ」と案内され、ありがたい限り。
鏑射寺は冊子によると、聖徳太子が鏑矢を奉納し、この地に伽藍を建て、仏教道場として開基したとある。後に弘法大師が独鈷水の井戸を掘ったことや、北条時頼の参詣、南北朝時代には南朝に味方し焼失、再興を繰り返し(省略してます…)今に至っている。
本堂、大師堂とお参りし、ちょっとした庭には、モミジの木々が赤く色づきパチリ。三重塔へと石段を上がると、ドウダンツツジが真っ赤に出迎え、その景色は絵になる。護摩堂には鮮やかな垂れ幕がお堂の周りに掲げられ、中からお経の声が。革靴が一足脱いであり、中を覗くと、信者の方だろうか唱えている。堂内に入りたかったが、邪魔してはいけないと思い、しばらく待ったが、これは時間がかかりそうだと、諦めて外から手を合わせる。
モミジの染まった境内を散策し、山寺の雰囲気を味わいました~

塩田八幡宮 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:23:12

JR道場駅からJR三田駅へ。そこから神戸電鉄、三田本町駅へ移動。駅から南東方向へ田畑が広がる道を行き、小高い丘を登る。竹林がある薄暗いあぜ道を上がったと思えば、“秘密の田畑”のような開けた土地に出て、再び鬱蒼と茂る森林の中を進む。林を抜けると、そこは駐車場になっていて、遠くの景色に墓石がいくつも並んでいる。看板には「神戸三田メモリアルパーク霊園」と書いてあり、中央には大きな観音像が上から見下ろしている。営業所もあるが、この日は定休日のようで、がら~んとしていて、人っ子一人いない。そんな駐車場を横切り、再び竹林の中を下っていくと塩田八幡宮に到着。正面鳥居からではなく、横の駐車スペースから失礼し、境内に入ると、樹齢500年以上のヒノキの御神木がで~んとあり、社殿は朱色のいたってシンプルな神社。
塩田八幡宮は冊子によると、創始は不明であるが、「大歳神社」と称し、御歳神を奉祀すると古記録にあるとのこと。その後、石清水八幡宮から御神霊を勧請、合祀されて塩田八幡神社と称せられ、鳥羽天皇后妃の庄園、石清水八幡宮の宿院、極楽寺領の庄園となり、神宮寺としての体裁を成したとある。応仁の乱で焼失したが、再興され、三田藩九鬼隆昌代々により、寄進が続き、明治に入り、神仏分離令により神宮寺が廃れ(略)、現在に至っている。
…と、結構歴史ある神社なんだぁ~と神社の雰囲気を味わい、社殿でお参りし、隣の社務所で御朱印をいただき、お礼を述べ次へ。

心月院 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:24:14

三田本町駅に戻り、北西方向へ。三田市内の住宅街を歩いていると、三田市にゆかりのある人物の看板が建っていて、カメラに収めていく。九鬼隆一や川本幸民などの出生地が、詳しくないが、点在していて、昔懐かしい郵便ポストもよく見かける。途中、ゆかりの地を巡る観光ツアー客らに遭遇し、「白洲次郎生誕地ってどこですか?」と関西なまりのおばちゃんが尋ねてきて、「すみません、名古屋から来ているのでわからないんです」と答えると、そこはきっぱり用なしと、すばやく通り過ぎていく。さすが関西やな~と思いながら、その“おばちゃん団体”がま~すぐ歩いてきた道の先に心月院があり、たぶん、おばちゃんたちも立ち寄ってきたんだろうと想像し、「白洲次郎」のキーワードに胸躍る。
そう!心月院にはあの、白洲次郎夫妻のお墓があり、九鬼家の菩提寺でもある。心月院は、鳥羽より移封された藩主九鬼氏に、以前ここにあった梅林寺を増改築。鳥羽の菩提寺、常安寺の覚雄是的和尚を請じて開基したお寺。九鬼家は幕末まで歴代に渡って三田の町を治め、明治維新の際、藩主の九鬼隆義の代に仕えた白洲退蔵が財政を立て直した。この退蔵氏のお孫さんが白洲次郎である。…と、ネットの“粗削り情報”だけなので詳しいことは知らないが、歴史あるお寺であることは間違いない。
…ということで、緩やかな坂道を上がり、山門までのスペースは広い駐車場になっていて、観光バスが1台止まっている。さっきのおばちゃん団体だな!と予想がつき、それだけ訪れる観光客が多いのだろうと想像しながら山門へと行く。山門をくぐり、境内に入ると、横に長い塀の中央に総門が建ち、正面に本堂、その前の境内には4つに仕切られた枯山水庭園があり、見事。まだ現役で使用している井戸、大きな釜、“赤い毛糸の帽子”を被ったお地蔵さんと、昔ながらの雰囲気を醸し出していて、どこか懐かしい。
本堂前で手を合わせ、まずは九鬼家のお墓のあるとこへ。歴代のお墓が建ち並び、大きな五輪塔、石柱とさまざまに、それぞれ逝去された歳が表示されている。60代まで生きた方もいれば20代で亡くなられた方もいて、“家族団欒”祀られている。
次に白洲次郎夫妻のお墓のとこへ。一般のお墓が並ぶ中、人型のような形をしたお墓があり、手を合わせる。つい最近、NHKの再放送で、ドラマ「白洲次郎」のことをやっていて、ある程度知っているが、GHQと渡り歩いたその功績に、すごい日本人がいるんだ~と誇りに思う。そもそも三田市の出身地だったとも知らず、御朱印つながりで知ったようなものなので、これも導きによるものなのだろうかと勝手に思っている。丘の上から見える三田市の街並みを眺めながら、ここに“住んでいる”墓地の皆さんが街を見守っているんだろうなぁ~と“一緒”に見渡し、御朱印をいただき後にする。

三田天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:25:16

心月院から東の交差点に出ると、北へと延びる道路を歩く。小学生の下校時間ということもあって、パトカーが巡回していて、最近の防犯事情も否めない中、「私は旅行者ですよ~」的なアピールを醸し出しつつ、次の目的地、三田天満宮へ向かう。
三田天満宮は冊子によると、「三田神祀」と号して大歳大神をお祀りした延喜式以前の神社であり、やはり九鬼氏代々の御祈祷所として、信仰を集めてきたとのこと。
北西へと下るカーブの途中に鳥居が見えてきて、階段を上がり、真っすぐ境内へと失礼する。この時期の“七五三詣でバージョン”境内には入母屋造の本殿を始め、中央に舞殿がある。社殿の前には記念写真が撮れるように、なぜか来年の干支のイノシシが2頭、これがまたリアルすぎるイノシシが“鎮座”し、出迎えてくれる。さっそく社殿で手を合わせ、左側からぐるりと散策していく。「連理の木」という、どこの神社でもありそうな縁結びの木があり、ご利益スポットなのだろう、ハートの形をした絵馬に、踏み石がハートマークの形と凝っている。淡島神社や稲荷神社他、摂社末社を見て回り、いろんな神様に心の中でご挨拶。社務所で御朱印をお願いし、お礼を述べ後にする。

三田ふるさと学習館 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:26:15

今回泊まるホテルに行くにはまだ早いので、旧九鬼家住宅資料館に行ってみることに。三田小学校と有馬高校の間の道を下っていくと、下校途中の子供らに会い、元気すぎるぐらいにうるさい。が、校舎の見える周りの景色は、大きなイチョウにモミジと、彩りを添え、「学校~」といった雰囲気がどこか懐かしさを憶える。旧九鬼家住宅資料館に入ると、昔の古い木造建築の学校のような佇まいで、事務所の方に「中、見ていいですか~?」と一声かけ、展示物を見学。…と、旧九鬼家住宅資料館と思って入った施設が、後で気づいたが、「三田ふるさと学習館」という施設で、勘違いしてしまい、少しだけ館長さんだろうか、説明して下さるので、そのまま聞くことに。三田市にゆかりの人物、特に九鬼隆義の江戸後期から明治期へと移り変わる時期を学ぶ。先ほども書いたが、九鬼家は九鬼水軍として元々、鳥羽の出で有名だが、九鬼嘉隆の時代に鉄甲船を造り、織田信長に見込まれた歴史がある。そんな九鬼家には跡取りに恵まれず、柳生家から養子をもらったりして、家系を絶やさず生き延びてきている。幕末期の新政府軍につくか旧幕府軍につくかで、三田の人々は、藩もそこは穏便に「まぁまぁ」というような風潮があったのだろうか、争いはなかったらしく、新しい明治政府を受け入れるのもすんなりだったらしい。キリスト教の教会が建てられたのも、日本で3番目に早く造られたようで、確かに三田市の街中を歩いていて、教会がそこそこあったのも頷ける。そんな中、九鬼隆義が学者であった白洲退蔵を取り立て、退蔵が藩政の改革で活躍し、この方のお孫さんがあの、白洲次郎である。「学問のススメ」で有名な福沢諭吉とも親交があり、その手紙のやり取りなどが展示されている。
「へぇ~」としばらく三田市の歴史に触れることができ、旧九鬼家住宅資料館は営業終了していたのでしょうがないが、いろいろと学ぶことができ、館長さんにお礼を述べ後にする。

写真はネットからお借りしました。

石峯寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:29:01

翌朝、三田駅バスターミナルから神姫バスで三木市行き、野瀬バス停で下車。ここから昨日に引き続き、また上り坂を30分ほどかけて歩いていかなければならない。舗装された道路なのでわかりやすいが、周りは山の景色、田畑が広がる景色と、人里離れた場所だとわかるくらい、民家がない。高速道路の高架下をくぐり、しばらく歩いて行くと、ようやく集落のとこに行き着き、コスモス畑が一角、田舎町に色を添えている。看板が建っているが、どの方向なのか、朽ちて落ちているのでわからないが、たまたま出会った近所の人に尋ねると、このまま一本道を行けばいいと教えて下さり、お礼を述べ進む。思い返せば、この道路も車がひっきりなしに走っていて、「有馬カントリークラブ」のゴルフ場へとつながる道となっているらしく、石峯寺に行く人はいないだろうと思いながら、お寺の山門が見える直線の上り坂に達する。
参道を歩いていると、2軒の竹林寺と十輪院があり、塔頭寺院だろうか、竹林寺では石峯寺の御朱印を請け負っていると門柱に書かれていて、とりあえず石峯寺の境内へと上がり散策。
石峯寺は冊子によると、1300年前、法道仙人によって開基され、往時には塔頭寺院が多く点在していたという。応仁の乱を機に、数々の戦乱で衰退し、江戸時代には明石城主、松平直常公、徳川家光公より寺領を受け、安泰に戻り、今に至っている。
本堂でお参り。本堂前のモミジがもう遅いようで、落葉が地面に散っているが、薬師堂から三重塔にかけての小道は見頃となっている。三重塔へ行くと、後ろの小池の周りにはモミジが上の方だけ赤く色づいていて、朝陽に照らされ鮮やか。しばらく撮影タイムとなり、時間の許す限り撮りまくる。境内の背後の山には、八十八か所めぐりの参拝ができるようになっていて、うす暗い森の中、あちこち石仏が祀られていて、修験場といった感じを味わいつつ、寺務所へと行くと無人の様子。窓ガラスに貼られたポスターには、週末にモミジ祭りが行われていたようで、こちらでは紅葉が早く進むことをうかがい知る。神戸13仏霊場の御朱印をお願いしようと、先ほどの竹林寺へ伺い、しばらく待っていると、お茶のペットボトルをいただき感謝×2。(本当は荷物になるけど…)お礼を述べ、バス停へ遅れないように早めに出発。これを逃すと午後までないので、少し気を張りながら来た道を戻る。

有間神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:30:01

神戸電鉄、道場南口駅で途中下車し、そこから岡場駅へ移動。駅前のイオンモールで昼前ではあるが、早めの昼食を済まし、線路沿いを南へ20分ほど歩いて行く。県道15号線沿いにある有間神社に到着。境内はブルドーザーの重機が1台、砂山の上にあり、整備中のようで、それを見下ろしている工事関係者の人、二人が何やら話し合っている。そんな姿を横目に、社殿のある方へ上がっていくと、モミジの木々が植えられていて赤く染まっている。写真を撮り、社殿で早速お参り。
有間神社はネットの情報によると、年代は不詳だが、現在の西宮市山口町名来で創建され、御神託により西尾村(現在の神戸市北区有野町)に遷座したとされる。いつからか「山王さん」と親しまれ、「山王」が「産の緒」に通じることから、安産の神社として崇敬されてきたとある。舒明天皇や孝徳天皇も有間神社に行幸されていることから、1300年余前には鎮座されていることがわかる。
ちなみに「有馬」と「有間」がなぜ違うのか?調べたがわからず、たぶん、山口町で創建されたときの近くに流れている川が「有間川」という名称から来ているようで、その「有間川」はいつしか「有馬川」となり、今でも有馬温泉の方へ流れているが、そのように変わったのだろうかと勝手に解釈している。
…で、社殿右側に行くと摂社が祀られていて、こちらもモミジが見頃を迎えパチリ。神社の雰囲気を味わいながら御朱印をと…先ほどの二人の内の一人が白い作務衣を着ていて、ひょっとしたら宮司さんかな?と尋ねる。やはりそうで、社務所の方で…ということでお願いし、お礼を述べ次へ。

瑞宝寺公園 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:31:00

岡場駅に戻り、神戸電鉄で南下。有馬口駅で乗り換え、有馬温泉駅へ。あいかわらずの人の多さに、盛り上がりを見せる観光地、有馬温泉は今年の春に訪れ、地図を見なくても大体移動できる。
今回は、立ち寄るつもりはなかったが、有馬温泉の東側にある瑞宝寺公園が紅葉の名所で、ネットの情報で見頃であることを知り、訪れた次第。太閤橋から緩やかな坂道を歩いていくと、“おみやげ街道”の善福寺付近はモミジが見頃を迎えていて、こちらも観光客で賑わっている。
セブンイレブンから東へ上がる川沿いの坂道を歩くと、ホテルや旅館の施設が並び懐かしい。途中の橋で一旦休憩し、さらに急勾配の坂道をゆっくりと、前回お世話になった瑞宝園ホテルの横を通り、ようやく瑞宝寺公園に到着。公園入口までの道に甘栗の出店などがあり、お客さんで賑わっていて、すでに紅葉の紅く染まった景色が目に飛び込んでくる。
伏見桃山城から移築した山門を抜けると、そこからはもう撮影タイムに入り、茶店のスペースの赤い傘が開いている下でも休憩している方々がいて、「紅葉狩り~」といった雰囲気。
瑞宝寺公園は昔、明治初期に廃寺になった瑞宝寺の跡地に神戸市が整備した公園。歴史的には、秀吉もたびたび有馬に来ていて、公園内には秀吉が囲碁を指したとされる石の基盤が残されている。
今年の紅葉狩りはどこに行こうか、見当がつかなかったが、偶然にも見つけることができてうれしい限り。

また29、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 14:59:26

お待たせしました~って、約2か月?ぶりの投稿ですが…なんせ、忙しいと言ってしまえばいいわけになってしまいますが、ホントに忙しかったんで、できなかったわけでして…
てなわけで、今年も紅葉狩り行ってきました~と言いたいところですが、その前に10月下旬ごろに行った淡路島の旅を紹介。今回の旅で、淡路七福神を満願することができ嬉しい限り。ちなみに、紅葉レポはその後で載っけますので、乞うご期待(期待するほどのものじゃないけど…)。

高田屋嘉兵衛公園 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:00:44

JR舞子駅に到着し、高速バスのりばへ。舞子から終点の高田屋嘉兵衛公園までバスに揺られること約1時間。途中、バスは海岸沿いを走り、車窓からは瀬戸内海を眺めながら浜辺の景色に癒され、「海~」といった感じにどこか旅愁の懐かしさを憶える。
今回訪れた五色町の都志という場所は、淡路島の中心から見れば北西寄りの位置に当たるだろうか、この都志の港町で生まれたのが高田屋嘉兵衛である。…といって知っているだろうか。私も「誰それ?」と最初はそうであったが、偶然にも、淡路島にちょくちょく旅をしているころから、司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読み始めたころで、主人公の高田屋嘉兵衛が淡路島の出身だとは、これも何かの縁?と勝手に決めているが、とにかく小説を全部読み終えるまでは、都志には行かないことを決めていて、ようやくこの旅が実った次第。
…で、高田屋嘉兵衛がどんな人物か説明したいが、毎度のこと、面倒くさいので、検索して調べていただくとして…、その業績を称えるための公園が高速バスの終点にある。
広い駐車場に到着し、そこは「ウェルネスパーク五色」という複合施設となっていて、案内看板を見ると、温泉施設やレストラン、屋外コンサートができる芝生広場、洋ランセンター、高田屋嘉兵衛顕彰館などなど、レクリエーションができる多目的な、とにかく広すぎる公園である。
さっそく高田屋嘉兵衛顕彰館のある方へ行くと、ゴローニン提督と嘉兵衛の友好の銅像が建ち、ロシアの高官が訪れた際に植えた木々が並び、ロシアとの関係性がうかがえる。館内に入り、入場券を支払い、係の方が「それではこちらへどうぞ」とシアタールームに案内して下さり、スクリーンの前へ。スクリーンの下には菜の花の造花が並び、簡易なベンチの後ろには大きな船の模型が展示されて、雰囲気を醸し出していて、そんな中で映像が始まる。嘉兵衛の人生ダイジェスト版みたいにまとまっていて、NHKで放送されたであろうドラマ「菜の花の沖」から、わかりやすく説明している。主人公役に竹中直人、妻のおふさ役に鶴田真由が演じ、地元淡路島はもちろん、明石、徳島でロケが行われたようで、このドラマを私は見たことないので、再放送されることを願うばかりだが、小説を読んでいる分、すんなり内容が入ってくる。
一通り見て、係の方が2階にも展示物があるので、「どうぞ」と促され、大きな船の模型を“踏み台”に2階へと上がる階段が続き上がる。2階にはロシアとの交渉の史料やアイヌの生活などが展示されていて見学。1階へと戻り、樽廻船や北前船の模型、民具などじっくりと見ていく。
嘉兵衛の葬儀は長林寺(後で紹介)で執り行われたとされ、ウェルネス五色の西端を下ったところが埋葬地であるが、そこまで葬送する際、行列が絶えなかったと伝えられている。そのエピソードを知るうえで、高田屋嘉兵衛の人柄が垣間見えた気がして、日本人として誇りに思い、その多聞寺は顕彰館から歩いて数分のところにあるので行ってみることに。

多聞寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:01:53

さて、嘉兵衛の「お参り墓」が別にあるという多聞寺は、“五色パーク”から坂道を下ったところにある。整備された道路から一本外れた道に「高田屋嘉兵衛翁菩提寺」と書かれた案内板を見つけ、眼下には大師堂と本堂が見える。大師堂には中に入ることができないので、外でお参りし、本堂のある境内へと入ると、表門にはおなじく菩提寺と書かれている。本堂でもお参り後、御朱印をお願いしようとしたが、留守のようで、諦めて都志の町へと歩いていく。

長林寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:02:57

田畑が広がるあぜ道を歩き、黄色い花が目に飛び込んできて、一瞬、菜の花?と見間違えるほど、名も知らぬ雑草花が背を高くして咲いている。都志の交差点を南西へ行くと、海に注ぐ川が見渡せ、その橋を渡り、小高い丘の上にある長林寺を目指す。
長林寺は、淡路島七福神の福禄寿を祀るお寺。行基がこの地に七堂伽藍を建てたのが始まりで、菅原道真が九州へ赴くときに、当時の御堂に参詣し、そのとき「都を志す」と誓願したことから「都志」と呼ぶようになったとされている。
境内は北の方から庫裏、本堂、福禄寿が祀られているお堂と建っていて、庫裏に上がり、受付で御朱印帳を授ける。受付から奥へと本尊の大日如来、敷居をまたいで七福神が安置されていて、それぞれに手を合わせる。一通りお参りを済ませ、境内を散策。福禄寿のお堂前には淡路瓦で作られた福禄寿像が建ち、記念撮影用のパネルも掲げてある。境内から都志の町並みを見渡せるベンチに座り、しばらく休憩。先ほどの多聞寺から嘉兵衛の葬儀に、ここまで行列ができていたことを思い出し、「あんなとこまで…」と、当時のイメージを膨らませ、親しまれてきた大人物だった嘉兵衛の出身地に来ることができ、旅愁に浸る。

鰆山かけ炙り丼 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:04:03

境内のベンチで、本日泊まる旅館に行くにはまだ早いので、どこか近くの食べるとこをネット検索していると、食事処「お多福」さんを見つけ、まだ16:30ごろなので、開いているかどうかわからないし、まだ夕食には早い時間帯だが、食事にありつけるとこは少ないだろうと見切りをつけ、とりあえず行ってみることに。お店は開店していて、早速入店。
「やってますか~?」と尋ねると快く応じて下さり、椅子に座る。メニュー表もあるが、他に“山かけ炙り丼”なる印刷された、一押し商品のごとく写真が置いてあり、迷わずそれを注文。
運ばれてきた器には、ごはんにとろろがかかり、その上に炙った鰆、見た目も鮮やかな桜エビに刻んだ海苔と、見るだけでもおいしい。実食すると、もうたまりません…箸は止まらず、一気にごちそうさま~。感想?あえていいません。美味いから…
やはり地元、海に幸を食すことができ大満足。量はちょっぴり足りなかったけど、店主さんにお礼を述べ、上機嫌で後にしました~

旅館「川長」 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:05:06

今晩お世話になる旅館「川長」さん。都志港近くの都志川沿いに建ち、タコの絵や嘉兵衛ゆかりの地ということもあって、船が描かれ、港町らしい旅館である。1階は食事ができるスペースになっていることから、昼間は食事処として営業しているのだろうか。
さっそくチェックインすると、後でわかったことだが、この日の宿泊者は私一人だけで、チャイムを鳴らしても静かすぎる。奥から女将さんが現れ、2階へと案内されて館内の説明を聞く。当館は温泉があり、私一人だけだからだろうか、入浴時間は21:30まで。まぁ~特に気にすることもなく、テレビやネットで情報を仕入れ、19:00ごろに浴場へ。
○○温泉と書かれた(忘れた…)聞き馴染みのない看板が脱衣所にあり、兵庫県“お墨付き”の登録番号や泉質等が掲げてある。体を洗い、湯船に浸かると、肌に絡みつくようにぬるぬる?といったらいやらしいが、明らかに感触が違う。一人貸切風呂状態で、ゆったりと浸かり、満足×2。ぽかぽかのまま就寝。

写真はネットからお借りしました

草香八幡神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:06:08

翌朝。女将さんに宿泊料を支払うとき、淡路七福神の話題が出て、「巡礼されてる方がよくうちに泊まるんですよ」と。やはり、過去の巡礼先輩方はよく知ってらっしゃる、ここを利用される人が多いんだぁ~と、お礼を述べ、後にし、目指すは淡路七福神最後の一つ、智禅寺へ。
智禅寺へは公共交通機関がなく、ここ五色町から歩いて1時間は掛かる。ウェルネス五色の施設から山あり谷ありの道を、地図とにらめっこしながら歩き、たまねぎ畑や頭を垂れた稲穂を刈っている農家の人を見、遠くの瀬戸内海を眺めながら、疲れを癒す。眺めの中腹辺りから智禅寺の建物が見え、やっと桃源郷を見つけたかのような感じで休憩がてら佇む。智禅寺の隣には草香八幡神社が祀られていて、まずはそちらの拝殿でお参り。境内の看板には石清水八幡宮から御分霊を奉還したと書かれていて、地元民に親しまれている神社っぽく、御朱印は?と社務所を覗くが、誰もいないようなので、お隣の智禅寺へ向かう。

写真は中腹から望んだ智禅寺と草香八幡神社

智禅寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:07:11

中国風の鐘楼門をくぐり、石畳が続く境内には、小さいが行き届いた日本庭園があり、「お寺~」って感じ。
智禅寺は淡路七福神、弁財天を祀るお寺。本尊は大日如来像、脇侍に地蔵菩薩と安置されているそうで、さっそく、本堂で…と思ったが、「拝観受付」と看板があるので、そちらへ移動。庫裏のような玄関から入ると、受付があり、住職さんにご挨拶。拝観をお願いし、御朱印も大日如来と弁財天をお願いする。五色から歩いてきたことを告げると、「それはそれは」と労って下さり、名古屋からの参拝客も結構訪れているんだとか。淡路七福神は、1日で回れるツアーがあり、他の寺院でも出会ったことがあるが、人気のツアーで、訪れる人のほとんどがバスや車である。住職さん曰く、昔はコミュニティバスが走っていたが、この辺はなくなってしまったそうで、私のように、歩いてくる人もたまにいるとのこと。
お礼を述べ、さっそく本堂へと上がらせてもらい、本尊の大日如来に手を合わせる。大日如来の隣には弁財天が祀られていて、住職さんがわざわざ御念仏を唱えてくれるということで、般若心経を一緒に唱え、御真言を言う。心が浄化したかのように、これで満願~。ありがたい限りで、住職さんに感謝×2。この場を借りて本当にありがとうございました。
…さて、再び1時間の行程で戻る前に、隣の草香八幡神社の拝殿で少し休憩していると、ふと社務所の引き戸に宮司さんの電話番号が記されていたので、御朱印について問い合わせてみる。「御朱印ならありますよ~」と。「えっ」と驚き、引き戸を開けて下さいと言う。「閉まっているはずじゃあ…」と思いながら開けると「開いた!」と思わず声が出て、電話口で宮司さんが「台の上に書置きのがありますから…」と教えてくれ、ありがたくいただき、宮司さんにお礼を述べる。まさかあるとは思わず、それにしても物騒な世の中、大丈夫なのか~と思いながらも、意気揚々とウェルネス五色まで戻るのでありました~

生しらす丼定食 - モリゾーのひとり言

2018/12/04 (Tue) 15:08:18

ウェルネス五色にようやくたどり着き、施設内でしばらく休憩。ベンチに座った目の前がレストランになっていて、開店時間は11:30からと30分ほど空きがある。昼食をどうしようか、店前の看板メニューを見てみると鰆を使った定食があり、やはりこの地の特産となっているのがわかり、他にも生しらす、刺身などの定食がある。後は高速バスに乗って帰るだけだが、食べてから帰ることにし、…で、11:30ごろになると、お客さんがぞろぞろと集まりだし、開店と同時に私も入店。注文は、もう決めていた「生しらす丼定食」をお願いし、トレーが運ばれてくる。店員の方が食べ方を説明して下さり、3段階に分けて食べる方法があると。まずはごはんの上に刻んだ海苔をまぶし、生しらすを乗っけて薬味に醤油をちょっとだけかけて食べる。次に、梅味噌だれをかけて、後はいろんなバリエーションでお好みで…。食べながら「ひつまぶしの食べ方か」とツッコミを入れながらも生しらすを堪能~。地元の海の幸を食べる…これがやはり旅の醍醐味と、満足するのでした~

関・一宮の旅 - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:24:31

朝晩は秋の気配が感じられる季節となりましたが、まだ残暑が続く今日この頃、今回は、本来の御朱印めぐりから離れ、8月の花火を撮影…と、近場を探すが、平日の開催はやはり少ない。その少ない中から岐阜県関市と愛知県一宮市をチョイスし、行ってきましたよ~

関市花火大会(1) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:25:29

名古屋・栄から美濃市行きの高速バスがあるので、それに乗って1時間ほど。関市の安楽山公園前バス停で下車。関市はもちろん刃物の街として有名であるが、美濃33観音霊場で各寺を訪れ、概ね3回ほど来ていて、花火大会で訪れようとは自分自身思ってもみなかった。
時刻は15:00ごろ。打ち上げ会場へ行く前に、コンビニでおなじみの夕食弁当と凍ったペットボトルを買い、津保川堤防沿いを目指す。バス車内の時から、なんだか雲行きが怪しい天気だったが、歩いている最中も天気雨が降り、不安が残りながらも会場へと急ぐ。
稲口橋(だったかな…)に到着し、すでに出店が並ぶ祭りの雰囲気の中、ちょうど警備員さんがいたので、どこで撮影したらいいかアドバイスをもらい、橋の下の河川敷に決める。河川敷にはすでに、ビニールシートが“予約”という形で場所取りされており、まだ人は少ない。陣取った場所で三脚だけ立て、ここからは“長い暇”が続き、対岸には消防車が来て、火花で火災を起きないように水を撒く光景、周りの景色、雷雲の多い空を眺めて、暇を持て余す。

関市花火大会(2) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:26:35

18:00ごろになると、観客も増え始め、私の隣に御老人夫婦が「ここいいですか~」と座り、しばらく談笑。地元○○市から来たということで、関市の花火大会は3回ほど来ているんだとか。カメラを趣味にしていて、世界の各地へ旅行をし、モンゴルの奥深い土地やら峡谷、カナダでオーロラ等、独学で英語を覚え、“武勇伝”の話がつきない。カメラに出会って本当に良かったと、熱い話をし、その点は私も同じなので、「うんうん」と相槌を打ち、花火前の憩いの時を過ごす。
西の空に怪しい雲が覆い、稲光が激しく見え心配したが、19:30、打ち上げ時間となり、女性アナウンスが協賛された企業名を読み上げ、関市長の挨拶。
「まだ~」というお約束の野次が飛ぶ中、規制テープ以外の観覧場所にも座るマナーのない外国人や“縄張り争い”をしている地元民だろうか、その騒ぎように、関市はそういう“民度”というネット情報をあらかじめ知っていたので、舌打ちしながらもそこは無視して待ち望む。
カウントダウンの花火が「5」「4」と上がり、打ち上げがスタートし、そこからは撮影に集中。30分ほど経ち、御老人夫婦は途中退席し、軽めの挨拶で別れ、20:30終了~。後半は煙がもくもくと花火を邪魔し、きれいには見れなかったが、これも運なので仕方がない。終わりよければすべてよし、きっちり片づけをし、最終のバスの時間に間に合うように急ぎバス停へ行く。

尾張猿田彦神社 - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:27:36

安楽山公園前バス停からJR岐阜駅行きのバスに乗り、岐阜駅に着いたのは22:45ごろ。直行で駅近くのホテルで宿泊し、就寝。翌朝は10:00にチェックアウトし、近所のマクドで時間潰し。正午前に名鉄岐阜駅から出発し、名鉄一宮駅で尾西線に乗り換え、奥町駅で下車。駅から西へ真~すぐ木曽川に向けて歩いていくと、尾張猿田彦神社があり立ち寄る。ネットで知り、訪れた次第で、当日の夜は提灯祭りが行われ、鳥居にたどり着いたとき、提灯が飾られていて、夏~といった雰囲気。
尾張猿田彦神社は名前のとおり、主祭神が猿田彦命。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨の際に、道案内したことはあまりにも有名だが、天狗の原型でもあり、交通安全や旅行安全のご利益があるので、ここでお参り。縁起は面倒くさいので…ここを…https://www.sarutahiko-jinjya.net/information.html#02
街の小さな神社といった感じで、手水舎の近くには鯉が泳ぐ、ちゃんとした庭もある。お参りは社殿の中に上がってでき、サッシを開けると、感知器が反応したのか、巫女さんが現れ、「こんにちは」とご挨拶。お参り後、御朱印をお願いしている間、冷茶をいただきありがたい限り。花火大会のパンフレットがあったので、少し読んでみると、協賛されている企業名が3ページに渡って掲載されており、そんだけすんごい花火大会であることがわかる。
ここの神社からも花火が見えるそうで、御朱印をいただきお礼を述べ、社殿から見える花火を想像し、後にする。

濃尾大花火(1) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:28:51

神社から南へ、コンビニに立ち寄り、弁当と冷凍ペットボトルを購入し、木曽川の河川敷へ向かう。屋台オープンの準備をしている人を見ながら堤防沿いに出ると、まだ誰もいない様子で、堤防の壁から頭一つ出して河川敷を見下ろすと、シートがいっぱい敷いてあり、ちらほらと人がいる。
時刻は14:00ごろ。とりあえず堤防沿いの場所に陣取り、三脚を立て、腰を落ち着かせると、しばらくして背後で「あの~、お客さん、すみません!」と声がかかる。振り返ると警察の方が車の窓から「そこは禁止区域なので…」とパンフレットをくださり、書いてある地図を指し示し、撮影可能場所を教えてくれる。「なるほど~」とお礼を述べ、堤防沿いを北へと移動。どおりで誰もいないはずだと、一人恥をかいた状態をかき消すかのようにそそくさとその場所に行くと、大会本部があり、そこから北のエリアがそうで、三脚を立てている人はまだいない。一人、年配の方がいたので声をかけると、その方もどこにしようか迷っている様子。…と、何だかんだ情報を共有し合い、その場に陣取ることにし、しばらく談笑。

濃尾大花火(2) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:29:54

濃尾大花火は愛知県では2番目に人気のある花火大会。愛知県一宮市と岐阜県羽島市合同による花火大会で、木曽川を挟んで、それぞれの河川敷で打ち上がる。最大の魅力は何といっても10号玉が3発と20号玉が2発も上がる、とてつもない“大輪が花開く”ので、迫力、スケールが桁違い。過去のネット動画を見、「大きすぎる」「画角に入りきらない」など、相当大きい花火であることがわかり、この日のために買っちゃいました!広角レンズ!(安物だけど…)まだ、使いこなせてない広角レンズをいきなり、この花火大会で初使用しようと…
先ほど警察の方からいただいたパンフレットによると、打ち上げのプログラムが書かれており、15分間隔で“大きい”のが打ち上がるので、そこは何とか事前に予測がつくが、さて、どうなることやら…と、まぁ、なるようになれ~と思いつつ、まだまだ昼間の時間はたっぷりある。
…で、夕食の弁当を食べ終え、どこかで休憩していた先ほどの年配の方が戻って来て、屋台で売っていたからあげをごちそうになり、感謝×2。そこへもう一人、同じ年配の方が見え、話をする。2人は地元の写真クラブに所属していて、こちらの大花火も数回、撮影に来ているんだとか。からあげをごちそうしてくれた方は、作品が入選され、1位になったというから驚。「す、すごいじゃないですか~」とベテランの方とはつゆ知らず、尊敬の念で見てしまう。やっぱし何回も来て、場数を踏まないといけないなぁ~と実感し、花火撮影は改めて奥深いと思う。

濃尾大花火(3) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:30:55

大分、人が集まりだした最中、河川敷で、熱中症になって担架で運ばれる人を見、注目の的になっている。せっかくの花火大会をこんな形で削がれるのは、かわいそうだが、自分自身も熱中症に対してはかなり気を使っている。帽子はもちろん、タオル、冷えピタ、虫除けスプレー、伸びをするなど適度な運動等をし、水分はこまめに取る。巡回している警備員を見ていると、腰には水筒がぶら下がり、熱中症対策に余念がない。備えあれば憂いなし、準備に越したことはないのである。
さて、辺りは夕景となり、人も増え始めてきて、いよいよ。年配の方は、去年に比べると、今年は一宮側で撮影される人は少ないとのこと。羽島側の堤防に流れたのか、はたまた同じところで撮影するのはありきたりで、どこか違う場所を狙って移動したのか、とにかく花火は場所取りが命なので、どこぞで撮影するかによって決まってくる。
19:30になり、一宮市長が手短に挨拶をし、スムーズにスタート。次から次に打ち上がるスターマインに、歓声が上がり、「これが濃尾大花火か~」と、やはり規模が違う。最初の10号玉の花火が打ち上がると、「おー!」と拍手拍手。「これが20号玉!」と大きすぎる花火に圧倒され、カメラのモニターで再生してみると画角に収まっていない。ズームで撮ってしまったので、上が切れてしまっていて、まだまだと思いながらも、あと3発“大きい”のが残っているので、次こそはと、ちょっとだけ撮影の集中力を解くと、周りの雰囲気がどよめいている。ざわざわと余韻が残り、観客は“静かな興奮”が冷めきらないでいる。確かに、打ち上がるときの「ドン!」という巨大な音、「ヒュ~」と“花開く”までの時間の長いこと、そして、“花開いた”花火の大きいこと、私の体験の中で、こんな花火一回も見たことない。
いや~、ホント来てよかったーと、心の中で何度も繰り返し納得。

濃尾大花火(4) - モリゾーのひとり言

2018/09/19 (Wed) 15:32:07

集中を切らすことなく撮り続け、3発の“大玉”も打ち上がるたびに歓声が上がり、20:45終了~。周りのカメラギャラリーも一仕事終えたかのように、お互い労い、年配の方もお疲れ様~と退散。規模の大きい花火大会の分、人も大勢、帰路に行列ができ、すごい人。
帰りは、会場から一宮駅へのシャトルバスが出ているので、それに乗って帰る予定だが、そういえば、花火が打ち上がっている最中、アナウンスで「シャトルバスの運行は22:00までで~す、早めに行動をお願いしま~す」と、実際は「早う帰れ」と言わんばかりの放送を何回も流していて、これってどうなの?と思ったが、明らかに22:00って無理でしょ!と、ツッコミを入れたくなる。
シャトルバスの発着場所まで行くと、当然、長蛇の列。名鉄バスが数台、ずらりと並び、ピストン運行している。運賃は300円。儲かってんなぁ~と思いながら、乗車できるまで待つ。結局、シャトルバス発着場所まで行くのに30分、シャトルバスに乗るまでに1時間、一宮駅に着いたのが22:50ごろと、覚悟はしていたが、ヤバい!名古屋に帰れるだろうかと不安になる。何とか最終に間に合ったが、やはり、現地での宿泊も考えないといけないと反省しつつ、「大人の夏休み~」といった感じで満喫しました~


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