寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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奈良・大阪・兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:12:30

忙しい毎日を送っている今日この頃、御朱印の旅もレポートがなかなかはかどらず、最近では怠け癖がついて…旅には出かけているのですが…これがまた、面倒くさい虫が湧いて、パソコンとにらめっこすることすら億劫になってしまう始末。やはり、寒い季節はこたつでうたた寝するのが一番!…って、眠い目をこすり、頑張って今回はお正月に出掛けた旅を紹介~

休ケ丘八幡宮 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:14:09

神社にはなかなか宮司さんに会えず、平日、何回訪れても社務所不在のままのとこもあって、お正月の季節にしか会うのが叶わないこともある。…で、この休ケ丘八幡宮も4回ほど訪れているだろうか…というか、奈良県薬師寺の南側に位置するので、薬師寺を訪れた次いで…いや失礼…ちゃんと参拝するために、神様に手を合わせているのだが、ようやく今回、御朱印をいただけることに。
奈良市を訪れるのは久しぶりで、金券ショップで手に入れた近鉄の株主券を利用し、近鉄西ノ京駅で下車。お正月でもさすが世界遺産、薬師寺に参拝される方が多くいて、あの立派な五重塔がひょいっと、塀から顔を出し、参拝客を迎えている。私は薬師寺には目もくれず、孫太郎稲荷神社、休ケ丘八幡宮と初詣。
休ケ丘八幡宮はお隣、薬師寺の鎮守社。祭神は誉田別命(八幡神・応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、仲日売命(応神天皇皇后)。何といってもこちらの神社は、国宝の三神像を有名足らしめている所以があるわけで、僧形八幡神坐像、神功皇后坐像、仲津姫命坐像と、木彫り神像としては最古の作例に属している。実際にお目にかかったことなどないが、写真では神様というより、僧侶にお姫さんといった体躯。京都の松尾大社の神像を見たことがあるが、人間は信仰の対象として、具現化することによって、より神や仏として崇め奉りやすいと、昔の人も分かっていたのだろう、何かにすがりたいという想いは今も変わらない。そんな祭神たちに拝殿でお参り。社殿は豊臣秀頼によって再建され、横に長い朱色の脇殿、南北に長い座小屋と呼ばれる建物はかなり古い歴史を垣間見る。
続いて孫太郎稲荷神社。「孫太郎」って誰?と気になるが、ネットで調べたところ、藤原頼行が下野国唐沢山(栃木県佐野市)に祀った稲荷社にその起源があり、頼行後裔の足利孫太郎家綱、あるいは佐野孫太郎義綱が社を再興したことに因んで孫太郎稲荷と称したとある。その分霊がのちに播磨国の姫路城下に祀られることになり、姫路の伝承として、飢饉により民が苦しんだ時、孫太郎稲荷が姫路城の蔵から米を持ち出し、人びとに分け与えたことで城主の怒りを買い、城を逐われることになった話があり、この時、刀工の三条小鍛冶が仲立ちをし、奈良西ノ京に遷座したとのこと。ねずみ小僧か、はたまた石川五右衛門のような話だが、祭神が宇賀之御魂命なので、さすが穀物、農耕の神様、泥棒までして…いや失礼…困った人々に手を差し伸べ、見守ってきたのだろう。
御朱印は休ケ丘八幡宮の社務所で孫太郎稲荷神社もいただけるので、平日めったなことではお会いできない宮司さんに挨拶し、お礼を述べ後にする。

志紀長吉神社 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:21:44

さて、奈良県から次は大阪府へ移動。近鉄で生駒山を越え、近鉄鶴橋駅で近鉄大阪線に乗り換え、近鉄八尾駅で下車。そこから近鉄バスで大阪市営地下鉄八尾南駅へ移動し、地下鉄谷町線で一駅、長原駅へ。地上に出ると、大阪中央環状線の高架道路の真横を北へ、西へと5分ほど歩き、志紀長吉神社に到着。
こちらの神社、昨年のNHKの大河ドラマ「真田丸」で紹介されていたのを見、訪れた次第。大阪の陣で活躍した真田信繁(幸村)ゆかりの神社で、ほかにも大阪には三光神社や安居神社等々、ゆかりの寺社が点在していて、もちろん訪れている。
志紀長吉神社は、古事記や日本書紀にも載っている由緒ある神社。祭神は長江襲津彦命 (ながえそつひこのみこと)。第8代孝元天皇の孫にあたり、武内宿祢の六子として誕生、第15代応神天皇・第16代仁徳天皇にお仕えし、三韓征伐の際に、海上や道中の安全を守護された方。この方、大和地方を支配した葛城氏の祖先で、この長吉の地に居住し、鎮座されたとある(ネット参照)。真田信繁に関しては、大阪夏の陣で先勝祈願の際、軍旗を奉納し、その軍旗が今もなお、この神社で保存されているということで、元日から3日間、一般公開されているが、訪れたこの日は1月4日。見ることは叶わないが、境内には信繁が休憩したとされる場所でもあり、その石碑が建っているとこへ自分も休憩する。
境内はお正月らしく、飾りつけが賑やかで、やはり六文銭の家紋が目に付く。TVの影響もあるかもしれないが、初詣に訪れている方がそこそこいて、長距離用の自転車が数台、止まっていたのを見、たぶん、地元以外の参拝客もいるのかもしれないと想像する。
しばらく境内を散策後、拝殿でお参りを済ませ、社務所で書置きの御朱印をいただき、今日はここまで。地下鉄谷町線で東梅田駅へ移動し、梅田の金券ショップでJR大阪から姫路までの乗車券を購入し、姫路で一泊。

元宮八幡神社 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:23:03

姫路城には目もくれず、山陽電鉄1dayきっぷを利用し、2日目は山陽沿線の神社を初詣。…というか、姫路には、これも2014年に放送されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にちなみ、官兵衛ゆかりの地を訪れたことがあって、過去に紹介した「兵庫の旅」でご存知だろう、何回か旅をしている。その中で、まだ訪れていなかった神社や社務所不在の、御朱印をいただけなかった神社を訪れるべく、前々から頭の片隅に計画していた行程をようやく実行に移す時が来、お正月の時期に合わせた次第。
まずは山陽姫路駅からインパクト大の名称「妻鹿」(めが)駅で降り、元宮八幡神社を目指す。この駅では黒田官兵衛の父、黒田職隆公のお墓に、国府山城跡と、旧跡名所があり、前回訪れていて、元宮八幡神社はうっかり見逃していたので、今回訪れた次第。
元宮八幡神社は御旅山の山上に移る以前の御旅山八幡神社の元宮。黒田二十四騎の1人、母里太兵衛が生まれた地で、太兵衛は槍術に優れ、剛力の勇将として知られている。「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」という民謡「黒田節」は有名で、名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話でも知られている。(ネット参照)。
鳥居が見えてくると、東側には学校があり、グランドで正月から部活に励む生徒が大声を上げているのが聞こえてきて、その中で、境内に入り、拝殿でお参り。ここは社務所もない、ガランとした神社で、大河ドラマの影響で建てられた新しい案内板があり、母里太兵衛について書かれている。地元の小さな神社だが、以前の旅で訪れることを忘れてしまっていた母里氏ゆかりの地に触れることができて、小さな満足×2。

松原八幡神社 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:24:13

妻鹿駅から白浜の宮駅へ移動。駅から5分ほど南へ行くと、松原八幡神社がある。こちらは兵庫の旅で紹介しているので、説明はしないが、御朱印をまだいただいていないので、訪れた次第。あいかわらず、広い境内を見ると、「灘のけんか祭り」の、晴れの舞台を一瞬、想像し(実際、一度も見たことはないが…)てしまい、今は静かなお正月の雰囲気の落ち着きに、現実に戻り、拝殿へと向かいお参り。社務所は本殿東側にあるが、以前、訪れたときと同様、呼び鈴はなく、板戸で閉ざされていて、境内南東の方角に小さな小屋があり、そこで人が群がっているので、たぶんお正月用にお守り等を販売しているのだろうと行ってみる。
予想通り、お正月用におみくじやお札などが置いてあり、氏子の方だろうか、御朱印について尋ねてみる。宮司は厄払いの祈祷で忙しく、午前中は無理で、午後もどうなるかわからないとのこと。
「そうですか…また時間があったら来ます」とあきらめ、次の目的地へと境内を移動していると、偶然、本殿から宮司さんが現れ、声をかけてみる。
「今日はお忙しそうですね~」
「え~、お正月は会社の祈祷が多いですから…」と。
お疲れのところ、あまり長居して話すのは気が引けるので、さりげなく「午後からは大丈夫ですか?」と聞くと、
「大丈夫ですよ~」とおっしゃって下さり、午後にまた来ることを約束し、一旦、次の目的地へと向かう。
…そして、13:30ごろ、再び戻り、御朱印をお願いする。我々がお正月におっとりと、神社で参拝する裏では、年末年始、大忙しの宮司さんに頭が下がり、お礼を述べ、後にするのでした~

大塩天満宮 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:25:14

白浜の宮駅から大塩駅で下車、南へ数分の大塩天満宮へ。境内は、神門も社殿も新築したばかりのような木造で、本殿でお参り。1月5日ともなると、初詣の片づけはじめなのだろう、神社の方々が忙しくしている。
大塩天満宮の祭神はもちろん、菅原道真公。菅公の祖神を祀る伊屋明神に、その霊を奉祀したのが始まりで、室町期の当地の城主、大塩次郎景範が村民の参拝の便を考え、天神山の麓から大塩町宮本に社殿を建立し、平成10年の都市計画道路のため、現在の地に移転されたとのこと(冊子参照)。境内には当地の産業であった製塩業の守護神としての塩竈神社をはじめ、他にも稲荷、愛宕、豊受、伊勢神社と摂社が祀られている。
本殿でお参り後、社務所で御朱印をお願いし、冊子をいただく。冊子には印刷された秋祭りの写真を見、密集した人の群れの中に金ピカの2基のおみこしが、豪壮で華やかな雰囲気だと伝わり、今はシーンとした静かな境内だが、祭りの人の賑わいを想像し、宮司さんに話しかける。
「秋の例大祭はすごいんですね」
「はい、屋台練りやら獅子舞等々行われるので…どちらから?」
「名古屋からです」
「それはそれは。ぜひ、祭りの時もいらして下さいね~」
「はい、ありがとうございます~」…と、親切にお話して下さり、感謝×2。瀬戸内沿いの神社は祭りが勇壮なイメージが湧き、機会があれば祭りの時にまた訪れたいと思い、後にするのでした~

曽根天満宮 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:26:19

大塩駅から曽根駅へ。北へ数分、参道を歩き、曽根天満宮に到着。こちらは広い駐車場に車がそこそこ止まっていて、初詣で参拝している方が結構いる。
神門をくぐり、さっそく拝殿でお参り。祭神はもちろん、天満宮なので菅原道真公。冊子によると、大宰府への左遷の途中、伊保港に立ち寄り、当社の西側の日笠山に登り、播磨灘の風光を愛でられ、そして後に、四男の淳茂公が当地に至り、この地に社を建てたのが曽根天満宮の創始と伝えられている。境内には道真公が日笠山に登った際に、祈念して植えられた小松、その松が霊松「曽根の松」といわれ、今も幹であるが保存されている。幹回り6mにまで成長した松は、秀吉の播州征伐の兵火に遭い、衰弱し、江戸時代に枯死。現在は5代目が立派に成長し、町の人々に見守られているそうな。
社務所で御朱印をいただき、境内を散策。5代目の松の横には梅園があり、まだ花をつけない、とげとげしい梅の枝ぶりが数百本植えられていて、京都の北野天満宮を思い出す。
現代人は春といえば桜を愛でるが、昔の人は梅を愛でたそうで、道真公ゆかりの梅も咲くにはまだ先だが、満開の時は、桜とは違う上品さというのか、可憐というのだろうか、昔の人も同じ観賞の仕方をしていたのだろうかと、思うのでありました~

泊神社 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:27:23

曽根駅から尾上の松駅で下車し、JR加古川駅行きのコミュニティバスを利用し、稲屋バス停へ。ここから数分北へ歩くと泊神社がある。
以前、兵庫の旅で偶然、宮本武蔵ゆかりの石海神社(兵庫県太子町)や西光寺(兵庫県高砂市)を訪れたとき、泊神社もゆかりの寺であることを知り、今回立ち寄った次第。境内ではお正月らしく、ジャージに身を包んだ学生の団体や、スーツ姿の会社の集団等々、年始の祈祷なのだろう、にぎやか。
そんな中、さっそく拝殿でお参りをし、社務所で御朱印をいただき、冊子もいただく。冊子によると、泊神社は太古には、今ある神社の辺りまで海岸線で、船が停泊する場所を意味する「泊」からきているそうな。
天照大神の天岩屋戸“引きこもり事件”(ふざけてます…)のとき、大神の怒りを解くため、天香山の銅で日像(ひがた)の鏡を作ったのだが、うまくできず、海に流し、この鏡がたどり着いた海岸がたまたま、1本の古木「檍」(もちのき)があった場所で、そこがいつしか、檍原(あわきはら)泊大明神として信仰の対象となったとされている。なので、祭神は天照大神、他に少彦名神、国懸大神と、祀られている。社殿は奏河勝という大工の棟梁が建て、加古川市内にある聖徳太子開基の鶴林寺も建立していて、紀伊の国から奏氏自身の氏神である国懸大神をこのときお迎えして祀られたとのこと。
宮本武蔵に関しては、武蔵よりもその養子、宮本伊織にゆかりがあり、伊織の氏神である泊神社の荒廃に浄財を寄進して再建したとある。武蔵の生誕地が今もなお、いろんな場所の説として挙げられているが、伊織が神社に奉納した棟礼に、武蔵の生誕地が播磨であることを書き記した資料があり、田原家に生まれた武蔵が「宮本」姓を名乗ったことが明記されていて、田原氏は現、高砂市米田町に住んでいたため、武蔵も米堕(こめだ)生まれとされ、宮本家に伝わる「宮本家系図」によると、中世播磨の豪族、赤松氏の後裔、田原家英には久光と玄信の二人の子がいて、玄信が武蔵、久光の二男が伊織で、子供がなかった武蔵の養子となったと、する説を説いている。
生地が美作なのか播磨なのか、わからないが、とにかく、大雑把に、この地域全体にゆかりがあるということだけは、はっきりしていて、武蔵の“足跡”を訪ねたことだけでも十分で、満足×2。

稲爪神社 - モリゾーのひとり言

2017/02/21 (Tue) 19:28:27

尾上の松駅から明石駅を越え、人丸駅で下車。ここはもう明石市で、歩いて数分の休天神社へ。こちらの境内には道真公が座ったとされる石があり、立ち寄った次第。拝殿でお参り、社務所は無人なので御朱印はあきらめ、休天神社から道を挟んだ南東側にある稲爪神社へ。
こちらも初詣の参拝客がそこそこいて、社務所前では厄除けなどの祈祷の申し込みをする方々でいっぱい。とりあえず、拝殿でお参り、社務所で御朱印をお願いしている間、境内を散策。
稲爪神社の祭神は大山祗大神、面足大神ほか。「面足」って…何?と初めは思ったが、この神社の由縁のお話がある。推古天皇の時代、この頃、三韓(朝鮮半島)から「鉄人」を大将に、約8千人の大軍が九州の守りを突破し、都に向けて進軍を続けきて、朝廷は伊予の国の越智(小千とも)益躬(おちのますみ)に勅命を下す。この方、信心深い方で、一族の守り神、大山祗大神を崇敬していて、祈ると神が現れ、「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われたそうな。
「矢で射よ」って、まさに「益躬」の名前に、「射よ」=「伊予」って、偶然なのか、裏打ちされたような人物が選ばれた感があるが、明石の浦で鉄人たちが休息をしているとき、突然空が曇り、稲妻が走り、驚いた馬から鉄人が落ちて、足の裏を見せたのを機に、益躬は弓矢で足裏を射て鉄人たちは滅んだ~というお話。益躬は神が現れたこの地に社を建て祀ったのが当神社の始まりで、初めは「稲妻神社」の名で、「稲爪神社」に変わったとのこと(ネット参照)。
そんな“カミナリさま”の境内参道には写真パネルが飾ってあり、学生による催しの風景や、当神社の神事が紹介されていて、地元の祭りに触れ、1枚1枚丁寧に見ていく。境内を散策しているうちに、靴の中に小石が入り、「痛!」(心の声)と感じる、よくある小さな事象だが、こ、これはもしや、鉄人の祟りか、…と、冗談はさておき、普通に小石を抜き取り、ちょうど御朱印を書き終えた呼び出しを受け、無駄な想像力を働かせるのでありました~

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