寺社仏閣 ご朱印の旅

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また20、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:21:45

こんにちは。今回は淡路島。「記紀」でも有名な国生み伝説の最初の地を訪ねるべく、実は初訪で、いろいろ調べていたら、神社の他に、淡路島七福神なる巡礼があり、それも合わせ、しばらくは淡路島の旅が続く予定。4月3日、4日と行ってきましたよ~

自凝島神社 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:23:39

淡路島へのアクセスは、もちろん車を使えば楽チンだが、なるべくバス、電車を利用することに重きを置いて旅をしているので、高速バスを使うことに。高速バスはJR三ノ宮駅を出発し、高速舞子を経由して明石海峡大橋を伝い、淡路島の各主要地への交通となっていて、今回は、高速舞子バス停から南あわじ市の福良行き、榎列(えなみ)というバス停で途中下車。JR舞子駅から高速舞子バス停までの乗り継ぎが便利だが、さすが、明石海峡大橋の玄関口であるため、高架を上がるのに、エレベーターを2回乗るほど、バス停は高いところにある。
満車のバスに揺られ、明石海峡大橋の梁が流れる車窓からの大阪湾を望みながら、“初淡路島”、島内入ってからも山並みの風景に、ここが島だという感じは全くなく、本土と変わらない。
榎列バス停に到着し下車すると、たまねぎの香りが鼻を突き、やっぱし「淡路島~」といった感じで再認識。バス停から北東に位置する大和大國魂神社でお参りし、次に向かう自凝島神社へ南へと歩いていく。大きな朱色の鳥居が遠くからでも見えていて、鳥居前まで来ると、その大きさに奈良県の大神神社か、はたまた兵庫県の鹿島神社か…とバカでかい鳥居がある神社を思い出す。
自凝(おのころ)島神社は、伊弉諾、伊弉冉を主祭神とする神社。日本神話の国生み伝説で島々が作られたが、その最初にできた島が自凝島と言われていて、その島がどの島なのか、古くからいくつもの説が出されている。有名なのが淡路島、沼島、家島と説があり、本当は空想上の島ではないかとも。
…ということで、ここ、自凝島神社周辺には「天浮橋」(あまのうきはし;2神が海原を矛でかき回し、立っていたところ)、「葦原国」(あしはらのくに;その名のとおり、葦の生い茂る原があった場所で、高天原と黄泉の中間にある地上世界の意であり、日本国のはじまり)の旧跡?があり、名所となっている。
大きな鳥居をくぐり、石段を上がると、小ぢんまりとした本殿が建っていてお参り。境内には御神木に、八百萬神社の摂社(2神の子)が祀られていてここもお参り。社務所で御朱印をいただき、「天浮橋」へ行ってみることに。

葦原国 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:24:50

「どこだ…」
事前に詳しく調べたわけではなく、「西400m」の情報だけで来たので分からず、看板を探すも見当たらない。周りを見回していると「葦原国」の看板があったので「天浮橋」はあきらめ、「葦原国」の場所へ。
一面、たまねぎ畑が広がる中に、ポツンと石鳥居に祠が建っているのが見え、「あそこか…」と畑の中を歩いていくと、「ここが日本の始まり…なのか…」と少しだけ畑を海に変え、想像してみる。大海原を矛でかき回す伊弉諾と伊弉諾の姿、渦を巻いて自凝島が浮き上がってくる光景、そして、陸地が広がり、日本列島が出来上がっていく、そんな今いる場所から壮大な歴史が、映像を早送りするかのように、そのイメージが湧き、たまねぎ畑で勤しむ農家の人を見、現実に戻る。
敷地内でお参り後、石鳥居越しに“外”を見ると、ファンタジー?なイメージをしたせいか、いろんな世界が広がっているような気がして、我々の存在は何なのか?という、究極の人間論、はたまた哲学にまで、あまりに突飛な想像力がまた、発展しかねないので、見切りをつけ後にする。

覚住寺 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:26:00

自凝島神社からは南あわじ市のコミュニティバスがあるが、時間が限られているので、南あわじ市役所まで川沿いを30分ほどかけて南下する。途中、交差点のコンビニの駐車場一角に、「淡路人形発祥の地」と書かれた看板と人形が建っていて、人形浄瑠璃だろうか、淡路の伝統なんだ~としばらく立ち止まって見上げる。
改めて、この地が島内であることを認識しながら再び歩を進め、南あわじ市役所に到着。整備された駐車場ロータリーで、コミュニティバスを1時間ほど待ち、東循環線に乗り、温泉施設である、さんゆ~館前バス停で下車。たまねぎ畑を営む農家の、のんびりとした雰囲気の中、15分ほどで覚住寺にたどり着くと、1台の中型観光バスが止まっている。覚住寺は淡路七福神の1つ、毘沙門天を祀るお寺。淡路七福神を巡礼するツアーが関西圏であることは知っていたので、たぶん、そうに違いないと、草鞋の願い守りが飾られている山門をくぐり境内へ。
正面の本堂には大人数で法話を聞き終えた参拝客が屯していて、ちょうど私と入れ違いのところ。挨拶を交わし、本堂内へ入り、さっそく毘沙門天に手を合わせ、御朱印をお願いする。
覚住寺は聖徳太子の勅詔によって建てられ、昔は七堂伽藍を有するほど栄えていたらしい。淡路島では最古の寺として知られている。
お寺の方とお話をし、名古屋からの訪問を告げると、先ほどのツアー客は名古屋から七福神めぐりで訪れてたそうで、「へぇ~」(名古屋からのツアーもあるんだ~)と、淡路七福神めぐりって、結構有名なのかもしれない。南あわじ市内にある七福神の他のお寺について教えてもらい、今日はここまで。

淳仁天皇陵 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:27:33

南あわじ市の中心部「市」(いち)という名の町の県道沿いのホテルで一泊。淡路交通、市バス停から福良行き、御陵前バス停で降り、南へ歩いていくと、広大なたまねぎ畑に淳仁天皇の古墳がそれと分かるように、もっこりとした1つの森で生い茂っているのが見える。周囲を散策すると、陵の東側は池となっていて、朝から鴨がのんびりしていて、畑で勤しむ農家の方を見、長閑~な雰囲気の中、逢拝所で手を合わせる。
淳仁天皇については、詳しいことはわからないが、別名、淡路廃帝と呼ばれ、孝謙上皇との権力争いによって追放され(恵美押勝(藤原仲麻呂の改名)の乱)、仲麻呂の後ろ盾がなくなり、淡路国に流されたということしか、私の頭の中ではそれしか思い出せない。
ネットでちょっと調べたら、「淳仁天皇の怨霊」というページを見つけ、面白いことが書いてあるので興味のある方はここへ→→http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/jyuonryo.html
京都の白峰神宮につながっているとは、サッカーの神様ぐらいしか知らなかったが、「へぇ~」と勉強になり、面白い。

万福寺 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:29:11

天皇陵から南東へ歩いていくと、城ノ腰城跡の石碑が建っていて、この地域を治めていた豪族の賀集氏の室町期のお城がこの辺一帯だったらしい。この賀集氏一族のお墓が万福寺にある。万福寺は淡路七福神のえびす天のお寺。淡路島では「恵比寿」ではなく、「恵美酒」と書くらしく、先ほどの淳仁天皇の御陵の墓守を勤める僧侶の宿坊として創草された。(ネット参照)当地に館を構えた賀集氏により堂宇を再興し、御陵の安穏と民衆の安泰を祈念する寺院として崇敬されてきたらしく、歴史がある。
山門をくぐると、行き届いた境内に本堂、薬師堂が建ち、いたってシンプルな伽藍。境内には恵美酒神の像が瓦でできてるのだろうか、建っていて、喪黒福造か!とツッコミたくなるのは忘れて、本堂へ上がる。本堂には、本尊の大日如来(厨子に入っていて見れない)、恵美酒神が祀られていて、お参り。知らないうちにお寺の方が現れて、自然の流れで御朱印をお願いする。朝早くからの対応に、ひょっとして七福神めぐりのツアー客のおもてなしでもあるのかなっと、想像しながらお礼を述べ、後にする。

護国寺 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:30:22

御陵前バス停近くの交差点を目指し、北へ歩いていると、街道沿いのあちこちに「裁判」「訴訟」の文字の看板が…。国か県か市か、土地について争っているのだろうか、のんびりしたたまねぎ畑が広がる中に、こういうプラカードが掲げてあると、裏では何か問題がうごめいている、ミステリー小説に出てきそうなネタを思い出してしまう。
交差点を北へ、流れのない小川に架かる橋を西へ渡ると鳥居が建っていて、参道がまっすぐ伸びている。次に向かうとこは護国寺だが、その隣に、この地域の賀集と呼ばれる八幡神社がある。参道の緩やかな坂道を上がっていくと、両サイドには桜の木々がず~っと植えられていて、まだつぼみ状態。満開のときのことをイメージしながら歩き、しばらくすると、右手に広場があり、ゲートボールをしている“老人会”が汗を流している。その広場から西へ、護国寺の参道があり、立派な楼門が建っていて、「阿吽」(2体の力士像)とにらみを効かしている。境内には本堂に、阿弥陀、毘沙門天、不動明王が安置されている本地堂があり、ここも瓦の布袋尊(石像の布袋尊もあり)が建っている。
護国寺はネット調べによると、京都の石清水八幡宮を開いた行教により開創されたと伝えられる。明治の神仏分離以前は、賀集八幡宮の神宮寺であったとされ、本尊は大日如来。淡路七福神の布袋尊を祀るお寺とされる。
本堂に上がると、こちらも万福寺同様、厨子の中に収められた大日如来に、布袋尊が安置されていて、お参り。いろんな土産ものがショーケースに並べられていて目移りしてしまうが、
ここは我慢して御朱印をお願いする。お寺の方と少し談笑し、淡路島にはまた来ることを告げると、お隣の賀集八幡神社で、「だんじり祭り」が4月9日(日)に行われるそうで、例年、淡路島内のあちこちの八幡神社でも、この4月の時期に、だんじり祭りが行われているとのこと。「だんじり」といえば、大阪・岸和田の「だんじり」を思い出すが、あんな激しい祭りではないだろうと想像し、「山車」(だし)のことを関西圏では「だんじり」とも呼んでいるので、それぞれの地域独特の祭りがあるのかもしれない。
お礼を述べ、その賀集八幡神社へもお参り。思っていた以上に社殿の建物から立派な神社だということがわかり、紹介してくださった「だんじり祭り」も地元では意外と有名なのかもしれない。社務所を覗くと氏子さんだろうか、御朱印をお願いしてもらい後にする。

福良港 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:31:44

御陵前バス停から終点の福良へ。福良は、淡路島の最南端?に位置し、あの有名な「うずしおクルーズ」の船が停泊している港町。この町に福良八幡神社があり、ここもだんじり祭りが4月2日(日)に行われていたことを後で知り、行ってみることに。
長い急坂の石段を登り、神門をくぐると、右手に護国神社の社殿があり、正面に拝殿・本殿が建っているシンプルな境内。
社務所をうかがうと、宮司は出掛けているということで、御朱印は次の機会にとあきらめ、「うずしおクルーズ」のある港へ。乗船のりばでは係の方が「出発しますよー!」と大声で乗船を促していて、出発間際。今回は乗るつもりはなく、福良にはうずしおをまた、見に来る予定なので、停泊している船を見るだけにとどめる。みやげものコーナーへ行き、「たまねぎコラボ商品」を買い、周辺を散策。うずしお足場に、福良マルシェというグルメ施設、淡路人形館等、観光施設があり、外観を眺めるだけにして雰囲気を味わい、バスの時間まで港町をそこそこ堪能。


写真はうずしお足湯

洲本城 - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:32:55

福良バス停から縦貫線で洲本バス停まで約30分の所要。途中の築地町バス停で下車し、南へ商店街を歩いていくと、厳島神社があり、お参り。御朱印をいただき、次は東へ10分ほど、國瑞彦護国神社、洲本八幡神社とお参り。両神社とも立派な社殿で、八幡神社の社務所で御朱印をお願いする。その間、境内から東南の空を見上げれば、山頂に洲本城の天守が聳えていて目に付き、手元の地図と見比べながら、神社の方にどれぐらいで行けるか聞いてみる。
「15分~20分ぐらいで行けますよ~」と。
「えっ、そんな時間で行けるんですか?」
見た目、結構な時間がかかると思ったが、それぐらいならと、行く予定はなかったが、山頂まで行ってみることに。税務署の横を通り、洲本城入口登山道の看板を見つけ登っていく。道は歩きやすいように整備されているが、やはり登山道、鬱蒼と茂る森林の中、急坂なので、ゆっくりと牛歩で進む。山の斜面には石垣が残されていて、遺構を見ながら休憩がてら立ち止まり、ようやく日差しが届く山頂にたどり着くと、見上げれば天守は意外と小ぶりで、1階は空洞になっていて、天守というか櫓に近い大きさのお城だが、なかなか様になっている。
そして、本丸からの眺望が素晴らしい!!「洲本八景」という石碑が建っているが、その名にふさわしく、洲本港の波止場、砂浜の海のエメラルドグリーン色、遠くは本州の陸地をかすめて広がる大海原と、景色は最高。淡路島に来たら洲本城跡は必須であること間違いなしで、しばらくベンチでボケ~っと、雄大な風景を拝む。
洲本城は、ネットの抜粋だが、三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた城で、羽柴秀吉による淡路討伐の後、仙石秀久に与えられ、その後、脇坂安治が城主のときに天守が築かれたが、移封先の大洲城へ移築したという説がある。天守は日本最古の鉄筋コンクリート製の模擬天守で、江戸時代に復元された天守とは異なるらしい。
城郭を散策し、まだつぼみの桜の木を眺めながら、また訪れることを約束し、歴史の息吹を味わいながら、下山するのでありました~

おまけ - モリゾーのひとり言

2017/04/26 (Wed) 23:34:18

これが洲本八景~。

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