寺社仏閣 ご朱印の旅

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また2、静岡の旅 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:37:30

今年のNHKの大河ドラマ「女城主 直虎」。舞台は浜松ということもあって、愛知のお隣で近い。浜松といえば、うなぎやギョーザを思い浮かべるが(食い物ばっか…)、浜松の街を重点的に旅したことはあまりなく、この機会に、ネットで調べてみると、浜名湖七福神や浜松七福神、遠州八大不動、浜名湖岸新四国霊場、遠州49薬師霊場etc…と、霊場がかなりあり、寺社を訪れる要素が多い。欲をいえば、全部の霊場を回りたいが、そんな労力と時間を削る余裕がないので、4つに絞り、今回は浜名湖七福神、浜松七福神、遠州八大不動、湖北五山を満願すべく、「直虎」ゆかりの地も合わせ、行ってきましたよ~

應賀寺 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:38:46

名鉄線で豊橋駅まで行き、JR東海道線に乗り換え新居町駅へ。駅を降りて西へ500mほど歩くと、新居関所跡の観光名所があり、柵越しに長屋の建物が見える。この地は、浜名湖の西側に位置し、その昔、人の往来が多かったらしく、東海道の要とされる関所で、全国で唯一、現存する建物が残っているのは珍しく、国の特別指定を受けている。
その新居関所跡から北へ、東海道新幹線の高架橋の下をくぐり、10分ほどで應賀寺の山門に到着。
應賀寺は聖武天皇の勅願寺として、行基菩薩が開基したお寺。かつては弘法大使が浜名湖を船で渡ろうとするも、突風に遭い、一筋の光を見つけ難を逃れた先に、薬師如来が現れ、ここに導いた…というざっくりとした話ですが、こういう古記にも記されているほどの逸話がある。
山門を抜け、右手に不動堂、その奥に立派な本堂が見える。参道を進み、一際、越冬が厳しい地方にありがちな、大きな屋根が特徴の本堂でお参りを済ませ、不動堂にもお参り、境内の雰囲気を味わう。山門に戻り、正面にはもみじや桜の木々など季節に合わせた庭、庫裏の隣には恵比寿神が祀られている建屋があり、上がってお参り。寺務所で本尊の薬師如来、八大不動、浜名湖七福神の御朱印をいただき次へ。

頭陀寺 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:39:46

JR新居町駅からJR浜松駅へ。浜松ではしばらくお世話になるので、駅前バスターミナルの遠鉄バスの窓口でICカードを購入。次に向かうは頭陀寺で、井伊家にとってはゆかりのある場所。
頭陀寺バス停で降り西へ、大通りを渡ると、現在は公園となっている松下屋敷跡がある。「頭陀寺城跡」とも呼ばれていた松下屋敷には、信長に仕える前の秀吉が奉公していたと伝わっており、その屋敷の主、松下之綱の一門である清景の養子となったのが、幼少期の井伊直政(虎松)。冊子によると、松下家は井伊氏とも近く、直政の父、直親が殺されたことから幼少の直政(虎松)をかくまうことで、母の再婚相手となった松下源太郎(清景)の養子として今川氏の追っ手から保護したとある。ちなみに松下之綱の娘は、柳生宗矩に嫁ぎ、柳生十兵衛を生んでいて、文豪、夏目漱石も子孫にあたる。
…ということで、いたって普通の公園だが、一角に石碑が建っていて、寂しいというか、わびしい。NHKの大河ドラマが取り上げなければ注目されることもなかった?であろう、説明書きの台が設置されていて一通り読む。誰もいない公園を見渡し、松下屋敷の当時の生活風景を想像し、公園から北へ、まっすぐのびる道の先に、頭陀寺があり、朱色の幟が目立つ山門まで移動。
頭陀寺は文武天皇の勅願寺として圓空上人が開基、浜松では最古の寺で、かつてこの一帯はかなり多くの塔頭寺院が存在していて、市場もあったとされる(冊子参照)。
山門をくぐり、境内に入ると、正面に本堂、左手には頭陀寺資料館なるお堂が建ち、地蔵菩薩、弘法大師、不動明王の像がお出迎え。まずは本堂でお参りし、本堂裏手へと回ると、役行者像に、頭陀寺ゆかりの家康、秀吉、直政の幼少期の銅像が建ち、ちょっとした庭を散策。山門入口のとこに戻り、資料館兼庫裏に上がり御朱印をお願いする。資料館拝観は100円だが、内容は知っているので、拝観せず、書き終えるまでしばらく待っていると、奥からビデオ放映しているのだろう、音声が聞こえてきて、歴史学者の磯田道史氏が頭陀寺から松下屋敷跡(公園)まで説明しながら歩いているのだろう、姿が目に浮かび、やはりNHK大河の影響力は大きいなぁ~と、お礼を述べ後にする。

富春院と好徳寺 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:40:48

浜松駅へと戻り、今度は浜松の南区にある、浜松七福神を訪ねる。小沢渡町バス停から数分、竜宮門が印象的な富春院へお邪魔すると、立派な本堂に、行き届いた境内となっていて、地元のお寺~といった感じ。玄関前に貼紙があり、「住職不在のため御朱印は書置きに法印を自分で押してください」と書いてある。
「あ~、そういう形式か~」と、いろんなお寺を回っていると、自分で印を押すことは、どっかのお寺でも経験済みなので、「なるほど!」と本堂へと上がる。人感センサーでチャイムが鳴り、ひょっとして住職さんが現れるのかと思ったが、やはり不在のようで、本堂奥へと進み、寿老人が祀られている場所へ行く。そこには正面にいろんな仏像が並び、どこに寿老人の仏像があるのか、“ウォーリーを探せか!”と自分でツッコミつつ、一応見つけお参り。
説明通り、自分で法印を押し、薬師如来もあるので、寿老人と一緒にいただき、賽銭箱に、そこはきっちり御朱印料を入れ後にする。
次に向かうは好徳寺。小沢渡町バス停から同じ路線上にある、前組バス停で下車し、南へ民家が並ぶ小道を歩き、到着。こちらも地元のお寺~といった感じで、祀られているのは布袋尊。山門はなく、生い茂る木々がお寺の塀の役割をしていて、境内へと入ると、本堂、庫裏と至ってシンプル。本堂に上がるとお寺の方が見えて、お参り後、御朱印をお願いする。少しだけお寺の方と会話し、昨今の御朱印ブームに、お寺の方も「最近は多く訪れる方がいて、こんなお寺、知らないのが当たり前なのに、遠いところから見えるんですよ~」と、ネットの普及に伴い、情報公開されるのはある意味、便利だが、一方で、ひっそりとしたいというお寺側の声もわかるがゆえに何ともいえない。それでもお参りしていただけるだけでありがたいともおっしゃり、それはこちらも同じことで、丁寧にお礼を述べ後にするのでした~


写真は富春院

養源寺と常久院 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:41:53

浜松駅前のホテルで一泊し、浜松市東区に位置する下石田町にある浜松七福神の毘沙門天と恵比寿天を祀る養源寺と常久院を訪れるべく、駅前バスターミナルより下石田南バス停へ移動。交通量の多そうな交差点を西へ数分、養源寺の山門が見えてきて境内へと入る。本堂前のソテツの木々が出迎え、本堂内へと入り、本尊の聖観音(だったかな?)に手を合わせ、左手側の毘沙門天にも手を合わせ、庫裏へと“ピンポーン”すると、お寺の方にご挨拶。書置きの御朱印をいただき、サクサクと次へ。
今度は上石田町にある常久院へ、下石田南バス停から原島バス停で乗り換え、上石田バス停で下車。南へ田畑が広がる先に見えるのは、浜松インターの高速道高架橋で、高速道にはつきもの?のラブホテルが恥ずかしげもなく堂々と建っている。そんな周りは高い建物がない景色が見える近くに、常久院があり、境内に一際立派な松の大木が生えていて、そのお寺を象徴している。2本の松の木が阿吽像であるかのように山門前に“鎮座”していて、松の大木を眺めながら山門をくぐり、迷わず本堂へと上がり、恵比寿さんにお参り。御朱印をいただこうと、境内を歩いている人に声をかけ、墓参りに来ていた人と間違えながらも、住職さんと思われる人にお会いし、快く応じて下さる。「地元のお寺~」と、馴染みのフレーズで特筆すべきことは何もないが、浜松七福神ももう、4ヶ寺制覇し、あっという間。巡礼ヶ所に来れたことに感謝し、お礼を述べ次へ。


写真は常久院

遠州信貴山別院 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:43:03

浜松駅に戻り、遠鉄バス移動の旅は続く。今度は浜名湖七福神、毘沙門天を祀る常楽寺内にある遠州信貴山別院へ。常楽寺バス停からすぐ、石段を上がり、境内に本堂、そして北側に大きな、横に長い朱色の毘沙門堂が建ち、その前には虎の石像をモチーフにした灯籠があり(後で調べたら虎ではなく獅子でした…)、虎さまさまといった感じ。
さて、「信貴山」は御存じだろうか。大阪と奈良の県境、奈良県生駒郡に毘沙門天の総本山がある信貴山朝護孫子寺を。私は一度行ったことがあるが、入口に「あかべこ」ならぬ巨大な「とらべこ」、いや違う「黄とら」があり、インパクト大で記憶がよみがえるが、聖徳太子が物部守屋討伐の祈念をし、毘沙門天が現れ、その祈祷した日が寅年、寅日、寅時だった(たぶんこんな云われ)ということから、虎=毘沙門天という構図があるわけで、やっぱしお寺の方は阪神タイガースを応援するのだろうか…なんて冗談はさておき、静岡にも「信貴山」があるとは知らず、本堂よりも毘沙門天堂が大きいからか、浜松では「常楽寺」ではなく「遠州信貴山」の名が有名なのかもしれない。
その総本山からの御分身を奉祀している毘沙門天に早速お参り。厨子に収まっている毘沙門天像は、薄暗く見えにくいが、憤怒の形相や甲冑などの武具の模様装飾は「毘沙門天~」といった感じで、凛々しく見える。堂内右手側の授与所で御朱印をお願いしている間、周りに置かれているお守り等を見ていると、やはり虎づくし。虎はトラディショナルだなぁ~と、虎に気をとられ、おやじギャグを思い浮かべながら後にする。

元城町東照宮 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:44:18

常楽寺バス停から浜松城公園入口バス停で下車、ビル群の中に、一段高い石垣の、こんもりと木々が生い茂る景色を見、「あそこだな」と、地図を見なくてもわかり、次の目的地へと向かう。
元城町東照宮は、もとは引間城という、家康公が浜松に入ってから浜松城を現在の位置に築くまでの間、生活していた場所で、歴史は明治19年創建ということで「出世神社」とも呼ばれているらしい(ネット参照)。
小高い丘の坂を上り、鳥居まで来ると、観光客がちらほらいて、NHK大河の影響は大きい。手水舎の屋根のひさしには「猫」がいて、あの「眠り猫」だろう(日光東照宮ですよ)、家康公を守っている。境内には本殿がポツンとあり、お参り。社殿脇には、家康と秀吉の銅像が建っていて、新しく造られた感がわかる。本殿裏手に回ると、皮がはがれた御神木が、夫婦杉(木の種類は杉なのかわからない)だろうか、生えていて、さらに奥へ行くと、昔、戦争で焼失し、祠が台座だけになった「石坐」(コンクリート)が柵に囲われ“鎮座”してあり、見るとこは至って少ない。ものの15分ほどと滞在は短いが、家康公のゆかりの地をめぐり満足。社務所はないが、小さな、人一人ぐらいのスペースの“ボックス窓口”があり、たぶん、休日には人がいて、御朱印がいただけるのかもしれないと想像し、浜松には数度来るので、諦めずに来ようと思う。

半蔵坊別院 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:45:21

東照宮入口バス停から循環まちバス「くるる」で中央図書館バス停へ移動。歩いて数分の正福寺へ。建物が町の中のお寺という鉄筋コンクリのような造りで、こちらは浜松七福神の福禄寿を祀る。半蔵坊別院とも言い、半蔵防の総本山、奥山方広寺(いずれ行きます…)が浜松の北にあり、半蔵坊=天狗ということも御存知だろうか、天狗の発祥が浜松にあったことはなぜか知っていて、天狗といえば、京都の鞍馬、そこから派生して嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」と、おじさんぽいことを思い浮かべる。
駐車場のような境内に一際目立つ仏塔が建っていて、よく見ると織田利三郎なる人物の名がある。織田利三郎は、へちま、落花生、しょうがなどの特殊農産物の発展や輸出振興を深め、浜松を発展させた人で、出身は愛知の出らしい。土地を求め浜松に引っ越してきて以来、養父母が建立した寺を引き継ぐことが嫌で、近所に玩具店を開いたそうな。それがきっかけで、店の拡張、仕入れで出向いた横浜で農作物の可能性を見出し、産業の発展のために貢献したとのこと。ちなみに、利三郎が開いた玩具店が今も「カスミヤ」という店名でインテリア用品、節句人形の店として引き継いでいて、浜松市田町で営業している。
…ということで、そこまで継続しているのは天狗のご利益があったからにちがいないと、本堂でしっかりお参り。広い本堂内には”憩いの場“的な空間で、御老人たちが会話しており、お寺の方が見えて御朱印をお願いする。「どうぞ近くで」と、内陣に上がらせてもらい、天狗様に福禄寿にもう一度手を合わせ、感謝×2。
名古屋からの訪問に「あ~、うちの親戚も○○(忘れたが、たぶん犬山の近く)ですよ~」と、同じ愛知県民、同郷ということだけで親しみが生まれる。やはり織田の姓がついているということは、犬山に国宝の有楽斎の茶室があるが、何かしらの姻戚関係があるのだろうかと想像しながらお礼を述べ、後にするのでした~

五社・諏訪神社 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:46:29

正福寺南の姫街道を東へまっすぐ行くと東海道にあたり、その周辺が浜松市田町なので、あの辺に「カスミヤ」はあるのか~と想像しながら歩く。
次に向かうは姫街道の紺屋町の交差点を南に折れ、進んだところの五社・諏訪神社。
冊子によると、昔は五社神社、諏訪神社とそれぞれ違う場所に祀られていて、前者は先ほど紹介した引間城の城内に、後者は坂上田村麻呂の東征の際、上中島村に奉斎されていたとある。前者は、家康が浜松城に入り、2代目秀忠が城内で誕生、産土神として崇めたのがきっかけで現在の地に遷座し、後者は、3代家光が社殿を造営、このときに現在の地に遷座したとのことで、両社が合祀されたのは、昭和25年に入ってからとのこと。
鳥居をくぐった右手の社務所の近くに石碑が建っている。「光海霊神碑」(うなてりのみたまのひ)とあり、国学者、賀茂真淵が幼少の頃、師と仰いだ五社神社の神主、森暉昌氏の功績を記した顕彰碑で、次の次に紹介するが、賀茂真淵はここ、浜松の地で過ごし、この界隈が遊び場でもあったのだろう。
玉砂利の境内へ入り、参道の石畳の先の、横に長い朱色の拝殿でお参り。周りはマンションなどの建築工事建物が聳えているが、ぽっかりと境内の空間だけ開かれた感じがして、すがすがしい気分。社務所へ行くと、拝殿が描かれた立派な御朱印帳が置いてあり、今となっては購入すればよかった~と後悔しているが、まぁ~、御朱印をいただいたのでいいか~と諦め、次へ。

鴨江寺 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:47:35

五社・諏訪神社から南へ。鴨江小路に出て西へ数分、鴨江寺に到着。鴨江寺は一度訪れたことがあって、本尊の聖観音の御朱印をいただいた記憶しかない。こちらのお寺には遠州八大不動と浜名湖七福神の霊場となっているので、今回訪れた次第で、どんな境内だったか思い出すためもあり楽しみ。
立派な仁王門をくぐると、目の前は弁財天を祀るお堂に、小さな池があり、こんなんだったかな~と憶えていない。仁王門から左手の方へ道が続き、大きな社務所が見え、境内中央へと誘う参道の先に中門があり、八角形のお堂が建っていて、そうそうこれは憶えている。パワースポット?的な方位を示している中央に立ち…特に何もないが…正面の観音堂へと移動する。
鴨江寺は奈良時代の創建。遠州地方の民話で知られる芋堀長者が観音堂を建てたいと願っていて、東国への旅に来られた行基菩薩に、文武天皇の勅願所として観音堂を建てて~と、お願いしたのがきっかけで、家康時代には、あの善光寺如来も一時、祀っていたこともある。
そんな鴨江寺は、かつては七堂伽藍を有していたほどなので、観音堂も立派で、観音堂内に上がると、金網で内陣は仕切られていて現代風な感じ。前に訪れたときはこんなんだったかな?と、思い出しながらもしっかりとお参り。こちらには聖観音像と善光寺如来像、聖徳太子像が安置されているが、金網が邪魔で中は見えないのが残念。観音堂の隣には大師堂があり、こちらもお参り。遠州八大不動の不動堂はどこにあるのかわからないまま、社務所へ移動すると、社務所と思っていたとこが不動堂になっていて、窓口の隣、ガラス張りに仕切られた内陣に不動明王像が安置されている。こんな造りだったかまったく憶えていないまま、お不動さんにもしっかりお参りして、社務所で御朱印をお願いする。お願いしている間、本当はここに来てないんじゃないかというぐらい、記憶がないというか、前来たときの印象がなかったのだろうかと、年を取ったなぁ~と、嘆くのでした~


縣居神社 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:48:44

鴨江寺から南へ。ここからは地図なしで記憶だけを頼りに歩く。あらかじめ紙面の地図を準備して旅に出かけるのだが、忘れてしまい、タブレットの地図機能を見て暗記して、この辺だろうという適当な考えだけで進むので、少し不安が募る。民家の藪道みたいなとこを歩き、知らぬ間に次の目的地、快真寺に到着。快真寺は遠州八大不動の1つで、わかっていることは高野山真言宗ということだけ。山門からではなく、墓地から境内へと入り、石仏に、弘法大師像が立ち、ひっそりと本堂が建っている。本堂内でお参り、自宅兼庫裏のようなとこで御朱印をお願いし、お礼を述べ後にする。
次は縣居神社。方角的にこっちだろうと歩くが迷ってしまい、人に尋ねながらようやく到着。鳥居から参道を進むと、社務所があり、本殿が…「あれっ!ない…」。賀茂真淵記念館の施設のとこに出て来て、「本殿はどこにあるの?」と、戻り探す。竹藪(だったかな?)か桜の木々の生い茂る昼間でも暗い細い石畳を辿り、「あ~、あそこか」と本殿を見つけさっそくお参り。
縣居神社は賀茂真淵が祀られている神社。浜松藩領主であった水野忠邦公をはじめ、国学者を含め、その他の人々によって飢饉の最中、浄財を集め、賀茂神社(縣居神社から南東方向に鎮座)境内に天保10年に建立された。現在の地に遷座されたのは大正13年、その後、戦災で焼失し、昭和59年に再建されたとある(冊子参照)。
賀茂真淵といえば、「万葉集」や「源氏物語」などの古典文学を研究した国学者。…ということぐらいしか知らないが、浜松生まれで、祀られている神社があるということは初めて知った次第。歌人としても有名であり、境内の駐車場には数多くの石碑が建っている。拝殿内には賀茂真淵の木像?があり、その背後に祠が祀られている。
社務所で御朱印をお願いし、ふと、窓に貼られた、松尾神社、須佐之男神社の御朱印も承っているとあったので、他2つもお願いし、場所も教えてもらう。今回は訪ねることは無理なので次の機会とし、お隣の賀茂真淵記念館へ。


賀茂真淵記念館 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:49:53

縣居神社境内から賀茂真淵記念館へと移動し、中に入る。受付で手続きを済ませ、係の方の案内でまずはビデオ鑑賞。賀茂真淵のことを学び、係の方が現在、特別展を公開中なのでと、マンツーマンで案内してくれることに。ガラス張りの展示室には「賀茂真淵と本居宣長」と題し、両者の版本が並べて置いてある。両者は師匠と弟子の関係にあたり、二人の間で交わされた書簡も展示。説明によると、二人は本居宣長の出身地、松阪の旅籠屋で出会い、このとき真淵は67歳、宣長は34歳。宣長は医者でありながら古典学も熱心に研究する新進気鋭の学者で、真淵に啓発を受け門下となり、書簡のやり取りで「万葉集」を学び、「古事記伝」の執筆に取り掛かる。が、そこは学者先生、主張すべき考えは二人とも一致していたわけではなく、古典の解釈や詠歌についても意見を異にし、その中でお互い学問を深めていったそうな。
私自身、本居宣長はなじみ深く、松阪に4年住んでいたことや、神社を巡っている以上、「古事記伝」は必ず通る道なので、興味があり、今回の特別展では、本居宣長記念館から宣長の資料の一部をお借りしたそうで、“本居”館長さんも講師としてここにやってくることがあるんだとか。展示品としては他にも「松阪の一夜」図や詠歌の掛軸、宣長の死んだ後の相続や墓の形にまでこだわった遺言等々があり、時間はあっという間。1時間ほど見学し、専用のクリアファイルもいただき感謝×2。勉強になりました~


写真は生誕地

賀茂神社 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:51:07

係の方にお礼を述べ、生家跡と賀茂神社を教えてもらい後にする。縣居神社からまずは生家跡を目指し歩くが、急な下り坂となっていて、こんな丘陵のとこにいたのかと改めてこの地域の地形を知る。雄踏街道という大きな道路に出て来て、交差点すぐのところに「賀茂真淵生誕地」の石碑があり、カメラに収める。次は賀茂神社と、東へ数分、歩道に面し鳥居が建ち、森に囲まれた本殿が見える。
ここら辺はかつて、伊場村といい、京都の上賀茂神社の荘園があった場所で、賀茂神社は京都から勧請され創建。賀茂神社の神官を務めていたのが真淵の父、岡部政信という人で、岡部家は代々この神官を担ってきていて、この地は古くから岡部郷とも言われていて、真淵は青年期までこの地で過ごしている。境内にはかつてここに縣居神社があったことを示す「縣居神社遺蹟」の碑があり、「なるほど~」と記念館で教えていただいた話を思い返す。ちなみに「縣居」は屋号で、「田舎住居」という意味なので、真淵の暮らしぶりがうかがえる。
本殿でお参り、社務所は無人なので御朱印はあきらめ、神社の雰囲気を味わい次へ。

不動院 - モリゾーのひとり言

2017/10/19 (Thu) 23:52:25

雄踏街道を西へ、商工会議所バス停からJR舞阪駅行き郵便局前バス停で下車し、遠州八大不動の1つ、不動院へ。スーパーやファーストフード店がある交差点から少し迷いながら、小さな山が見える方へ行くと、予想通り不動院の看板が見え、急な上り坂の石段を上がっていく。たどり着いた境内?には本堂があり、管理されてないような感じで、森の暗い雰囲気の中、ポツンと建っている。手を合わせ、さらに奥之院につながる細い山道が上へと続き、登っていくと、小さな祠が建っていてここでもお参り。
不動院はネットの情報によると、昔から厄除け祈願で有名であるとされ、当時、地元の出身で江戸に出て、商いで成功した鈴木長右衛門なる人物が自身の信仰する不動明王像(運慶作と伝わる)を相州大山寺より譲り受け、浜松の地に祀られたのが始まり。浜松城から見て西南の裏鬼門にあたることから、代々の城主の信仰が厚かったとされている。そんな霊験あらたかな不動院の今は、訪れた雰囲気では感じられず、誰も来ないような山の中で、しばらく佇み、怖がりの性格の人なら逃げ出したくなるような空気感だろうか(申し訳ないが朽ち果てた印象)。そんな中、変人(私)はカラスの鳴き声を聞きながら本堂前に散乱していた名刺やチラシ等の、裏に書かれた願い事を、警察の鑑識役のように見、探偵のように「なぜ?」と不思議がる(オーバーな表現です…)。
…とまぁ~、本当に散らかった状態だが、それはお参りに来る人もいるわけで、自分の勝手な想像力を膨らませつつ、御朱印をいただこうと、石段の途中にあった本坊であろう住居に足を運ぶ。チャイムを押すが誰もいない様子で、ネットで調べた電話番号に掛けてもつながらない。
…と、近所の駐車場にて、ちょうど車で出かける方が見えて、ここのお寺について尋ねてみる。
「あ~、ここは無住ですよ~。確か龍雲寺というお寺が管理されていたと思ったけどなぁ~」
「龍雲寺ですか~、どこですか?」
「浜松駅よりも南の方じゃないかな~」と。
お礼を述べ、いただいた情報を頼りにネットで調べようとしたとき、ふと、さっきの看板が目に留まり、電話番号が2つ書いてある。先ほど掛けた番号とはちがう別の番号に掛けてみると
「あ~、そちらって龍雲寺さんですか?」
「はい、そうです」(ビンゴ!)
お話によると、龍雲寺さんが不動院を兼務しているそうで、御朱印はこちらで承るとのこと。住所を教えてもらい、後日、日を改めてお伺いすることを伝え、無事解決~。こ、これは探偵稼業も夢じゃないかも?な~んて、冗談はさておき、見つけることができて一安心。次の機会にと、今回の旅はここまで~

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