寺社仏閣 ご朱印の旅

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また2、豊橋の旅 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:23:04

去年の紅葉の時期に訪れた普門寺。大黒天の御朱印をいただき、吉田七福神という豊橋市内の霊場がある事を知り、これは「回るしかないでしょ!」と、満願を目指し正月明けの7日に豊橋市内の神社も含め行ってきましたよ~

英霊殿宝形院 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:23:55

豊橋市はこれまで、浜松市へ行くための“通過点”に過ぎず、豊橋の中心部の町を散策したことは一度もない。豊橋といえば、名古屋でもCMでおなじみの「ヤマサのちくわ」と、最近知ったご当地B級グルメの「カレーうどん」が有名らしい(食い物ばっか…)が、歴史でいうと、戦国時代には吉田城をはじめ東三河の戦乱の最前線基地、江戸時代には東海道の要衝として栄えた町である。
…で、まずは吉田七福神の福禄寿を祀る英霊殿宝形院を目指す。駅から豊橋バスを利用するが、1日乗車券もICカードもない、小銭ジャラジャラで運賃を支払う方式に「豊橋なのに…なんで?」とちょっと不満。まぁ~、それは置いといて、台町バス停で下車し、大きなショッピングセンターを横目に地図通り住宅街を歩く。
英霊殿宝形院はネットの情報でもあまり載っていないが、真言宗醍醐寺派ということくらいしかわからないが、隣が宝形院鍼灸院の診察所なので、お寺と兼務しているのだろうか。一般のお宅に伺うかのような境内に、本堂があり、ガラス越しに住職さんの姿が見え、本堂に上がり、本尊の十一面観音菩薩にお参り。隣の座敷にいる住職さんに七福神の御朱印をお願いする。豊橋では七福神めぐりをすると、御接待があるのだろうか、お茶菓子をいただき恐縮。少し会話をし、お礼を述べ後にする。

赤岩寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:24:49

台町バス停から赤岩寺前バス停へ移動。バス停を降りて何か、デジャヴを感じ、「前に来たかな?」と周りを見渡したがわからない。道路を北へ歩くと、立派な楼門が建ち、境内はかなり広い敷地であることが分かるほど見渡せ、早速拝観。
赤岩寺は行基菩薩により創建されたと伝わり、当初は赤岩山法言寺と称していたが、弘法大師の十大弟子のひとり、果隣上人が再興し真言宗に改めたという。鎌倉時代に入ると源頼朝が三河守護の安達盛長に命じて三河国にある主要寺院7寺を選定し、三河七御堂(赤岩寺、普門寺、財賀寺、鳳来寺、全福寺(跡)、長泉寺、金蓮寺)として境内を整備し庇護したとあり、後、今川家、松平家が、江戸時代に入ると幕府が庇護し、寺領50石が安堵され、境内にある愛宕権現が歴代吉田藩主の祈願所として崇敬されてきたとされる(ネット参照)。
本堂でお参り後、境内を散策。愛染明王を祀る愛染堂もあり、こちらは事前予約で拝観できるようだが、毎年秋には公開されるらしい。奥院へと続く登山道があり、途中まで登るがバスの時間もあり、諦めて引き返すことに。寺務所で七福神の御朱印をお願いすると、「当寺では本日、七福神祭りということで、どうぞ客殿へ」と案内される。客殿に入ると、弁財天が祀られていて、手を合わせ、お茶でもどうぞと御接待。断る理由もなく、お茶に癒され、つい一息ついてしまう。気づいたときにはバスの時間は過ぎていて、「急ぐこともあるまい」と、弁財天が言っているような想像を働かせ、諦める。休憩がてら、あのデジャヴは何だろうと思い出そうとするが思い出せない。子供の頃に来たのであろうか、はたまた、いろんな寺を巡って似たような境内に遭遇しただけだろうかと、思考が働き思い巡らせ、結局、30分も経ってしまい、お寺の方にお礼を述べ、ここでも袋詰めにされたお菓子をいただき恐縮。感謝×2で、ゆっくりさせていただきました~

東田神明宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:25:41

赤岩寺前バス停に戻ると、バスを30分ほど待たなければならない。赤岩駅まで歩いて20分ほどなので、歩いた方が早いと考え出発。赤岩駅に到着するも、どこが駅なのかわからなかったが、操車場に電車が止まっている線路を辿っていくと、道路上に人が並んでいるのを見て、「あっ、あそこか」と気づく。
昔は名古屋にも、路面電車があったということを聞いたことがあるが、豊橋ではまだ健在で、案内看板には名古屋市営バス地下鉄で使えるICカード「マナカ」が、ここ豊橋の路面電車でも使えると書いてある。…ということは、バスと路面電車は会社が違うということが分かり、バスがICカードを採用してないのも納得。そうこうしていると、電車が来て、広島だったか岡山だったか以来の路面電車乗車。
東田坂上駅で降り、北へ歩くこと数分、東田中郷町にある東田神明宮を訪ねる。お正月気分がまだ残る境内には、参拝されている方々が結構いて、私も拝殿でお参り。
案内には東田神明宮の由緒は、伊勢神宮から分霊を奉斎すると書かれているので祭神は天照大神。1553年に当時の仁連木城主、戸田氏が社殿を建立、その後云々と明治維新と郷社に列せられるとある。10月の例祭には手筒花火や稚児行列などが行われ、さすが豊橋は手筒花火発祥の地でもある。
広い境内、摂社・末社を見て回り、社務所で御朱印をいただき次へ。

薬師寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:26:42

東田神明社から北へ。丘を上がる形で坂道を上がれば、吉田七福神の寿老人を祀る薬師寺がある。
駐車場のような敷地から入り、境内からは豊橋市内が見渡せる丘の上にあるのが分かり、本堂、何だかわからない薄緑色のドーム、中島駒次の歌碑、木々に囲まれた寿老人の石仏等が境内にある。薄緑色のドームは遊牧民のゲル(家屋)のような造りで、ネットで、過去にここを訪れたあるブログの写真には説明看板が建っていて、それには「足湯不動尊」と書いてあり、入場料を払って真言を唱えると万病にご利益があると、毎週金土日に足湯を営業していたようである。訪れたときは看板もないので、もうやっていないのだろう。
中島駒次についてもネットで調べると、明治期の園芸家とある。牟呂吉田村の出で、山椒の促成栽培、後にガラス栽培を導入し、暖房用の中島式ボイラーを発明したとある。わからないが、ひょっとして、“薄緑色ドーム”の足湯は中島式ボイラーを使用しているのだろうか…と、その関連性を想像するが、たぶん違うだろう。
一通り境内を散策してから本堂が開いていたので中に入り、本尊にお参り。堂内をよく見ると、法印やハンコが置いてあり、自分で御朱印を押す方針かな?と思いながらも、とりあえずお寺の方にお会いしてから…ということで、隣の自宅に“ピンポーン”すると反応がない。留守のようなので、もう一度本堂へ戻り、自分で御朱印帳にハンコを押す。自分で御朱印を書くのはもう慣れているので、御朱印の形式ばった書式を白紙に埋め、しっかりと御朱印料を賽銭箱に入れて退出、次へ。


安久美神戸神明社 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:27:38

東田坂上駅に戻り、路面電車で豊橋公園前駅で下車。北へ向かうと吉田城や豊橋球場などがある豊橋公園、その手前、木々が生い茂る、いかにもここに神社がありますよ~と分かるとこまでくると、人の賑わう声が聞こえる。
ここ、安久美神戸神明社は毎年、2月頃にはニュースでも話題になる「鬼祭り」で有名で、赤鬼、青鬼に扮するその姿はまさに「鬼」といった感じで、国の重要無形文化財に指定されているほど、豊橋では多くの人でにぎわう。
それほどのにぎわいではないが、まだお正月明けということもあって、初詣気分の雰囲気が残っていて、人もそこそこいる。境内には祭りの紹介もされていて、写真パネルや等身大の赤鬼の衣装も展示されていて、説明看板を読む。
豊橋鬼祭りは日本建国神話の田楽の舞で、豊年と厄除けの祭りとして、千年前から毎年行われてきたとある。荒ぶる神の赤鬼がいたずらをするので武神の天狗が懲らしめようと神前で戦い、最後に和解して赤鬼が罪の償いに厄除けのタンキリ飴を撒きながら境外へ飛び去るとのこと。この飴を食べるとご利益があるという祭りで、古式の田楽をそのまま伝承している。
「へぇ~」と理解し、一度はぜひ見てみたいが、今年の2月10、11日は仕事なので残念~。定年退職後だなっと、楽しみを取っておきつつ、まだ参拝してないので拝殿へ行きお参り。当神社の由緒は面倒くさいのでHP(https://onimatsuri.jimdo.com/御由緒/)を見てね。
境内を散策、摂社・末社を見て回り、鬼祭りのときの、人のごった返した祭りの雰囲気を想像し、いつかまた来ることを約束し、御朱印をいただき次へ。

吉田神社 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:28:36

安久美神戸神明社から西へ。北には吉田城の城跡があるが、今回はパスし、豊橋市役所の横を通り東海道の広い道路に架かる歩道橋を渡り、看板に「手筒花火発祥の地」と掲げてある吉田神社へ。参道の途中から“おじゃま”し、本殿の建つ境内へと進む。
吉田神社は、持統天皇が三河行幸の際に頓宮として設営され、崩御後に神社とされたのが発祥と伝わっている。源頼朝が伊豆に配流の途上、普門寺に逗留した折、側近に吉田神社に参拝させ、三河守護の安達盛長に社殿を造営させたとされている(ネット参照)。
手筒花火は今川家の吉田城代、大原肥前守資良が吉田神社へ奉納されたのが始まりとされているが、諸説あるみたい。
拝殿でお参り後、社務所で御朱印をお願いしていると、宮司さんだろうか、持っていた御朱印帳が、静岡県掛川市で購入した龍尾神社のもので、どうやら龍尾神社の宮司さんと同窓生だとのこと。
「へぇ~、そうなんですか~」と、龍尾神社へ訪ねた時のことを話す。”宮司さんつながり“があるとは、これも何かの”縁“だなぁ~と感じ、お礼を述べ後にする。

神宮寺 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:29:41

吉田神社から南へ。豊橋市内のビル群の合間を抜け、歩いて行くこと数分、神宮寺に到着。吉田七福神の恵比寿天を祀る神宮寺は、かつて三河国吉田の地に長禅寺という荒廃した禅寺があったといい、ここに尾張国知多郡師崎(現在の知多郡南知多町)の羽頭(はず)神社別当の重信法印が荒れ寺の長禅寺を再建して神宮寺と改名し妙法蓮華経を根本経典とする天台宗に改め、近世では、江戸城の鬼門鎮護のために建立され、徳川将軍家菩提寺となった寛永寺(東京都台東区上野)の末寺となる、とある(ネット参照)。本尊は大日如来で、普門寺から譲り受けた像であるとのこと。
ビルに囲まれた一角にある境内には、本堂、地蔵堂が建ち、都会?の中のお寺といった感じで、とりあえずお参り。本堂内に上がり本尊に手を合わせた後、地蔵堂へ行き、こちらにも手を合わせる。御朱印を頂こうと振り返ると、境内でお客さんと話し込んでいる住職さんがいて、しばらくその話が終わるまで待つことに。
そして用事が済んだ後でお願いすると、わざわざ堂内の説明をして下さり恐縮。
地蔵堂に安置されている延命地蔵は「身代わり地蔵」といって、願いを叶えてくれるらしい…と、いろいろ大日如来のことなどお話して下さり、別れ際、住職さんが「今日は若い方がよく訪れていたけど、何かあるのかの~?」と。
「う~ん、私は七福神で回っているのですが、今日が1月7日で、そうそう、赤岩寺では七福神祭りをしていたので、同様に回られている方々が多かったんじゃないですかね~」と、豊橋ではそういうものかと思っていたので、詳しいことはわからない。思い返せば、どの寺でも人がいたので、正月明けの、最初の落ち着いた休日だったのもあるのかもと、住職さんとの談笑にしばらく話し込み、お礼を述べ後にする。

写真は地蔵堂

吉田天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/02/19 (Mon) 00:30:43

神宮寺から南へ数分、吉田天満宮へ。…といってもここは、白山比咩神社の境内に相殿という形で祀られている。ここも町の中の一角に鳥居が建ち、狭い敷地にいろんな社殿が建ち、早速お参り。
吉田天満宮は、かつて鹿菅という地域の海辺に菅原道真公の神像がプカプカ漂っていたのを里人が見つけ、石塚(現在の花田町)に小社を祀っていたのがはじまりという。その後、吉田城主による造営、昭和の戦災で焼失、現在の地に遷座し、白山比咩神社に合祀されるという歴史。白山比咩神社は…面倒くさいのでここを(http://sirayamahimezinzya-yosidatennmannguu.com/?page_id=8
拝殿の賽銭箱近くにはお守り等が置いてあり、書置きの御朱印もある。マンションの“一部と化した”1階に社務所があるが、不在の場合は…と想像どおり“セルフ”でお願いします…、ということで、賽銭箱に御朱印料を入れ、書置きをいただく。
今日はここまで。吉田七福神はあと3ヶ寺残ってしまったが、豊橋はまだ巡りたい神社もあるし、カレーうどんも食べたいので、いつになるかわからないが、次回に持ち越し。


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