寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また30、兵庫の旅 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:21:16

11月中旬。紅葉の旅、第1弾は神戸13仏霊場を兼ね、兵庫県三田市や再び有馬温泉を中心に散策。

鏑射寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:22:21

新大阪駅に到着し、福知山線に乗りかえ、1時間ほど。JR道場駅に降り立つ。山並みの景色を眺めながら、武庫川沿いの道を歩くと、河川敷にはススキの穂が風に揺れ、秋というよりは初冬といった雰囲気を醸し出し、気温も少し肌寒い。案内看板を頼りに、山道が続く坂道を上がり、いつのまにか汗をかきかき、無理せずゆっくりと登っていく。追い越す車が数台上がっていき、そういえば、先ほどの案内板に示していたカントリークラブの常連客だろうかと想像しながら、九十九折の坂をひたすら上がっていくと、モミジの木々が彩りを迎え、鏑射寺の城壁のような石垣とマッチしていて、一眼カメラで撮影タイム。やはり思っていた通り、紅葉が進んでいることを予想し、早く来てよかった~と納得しつつ、境内へと早速踏み入る。寺務所で先に御朱印をお願いし、神戸13仏霊場、本尊の大日如来、愛染明王、不動尊と書いてもらい、お寺の方から「護摩堂は堂内に入れるのでどうぞ」と案内され、ありがたい限り。
鏑射寺は冊子によると、聖徳太子が鏑矢を奉納し、この地に伽藍を建て、仏教道場として開基したとある。後に弘法大師が独鈷水の井戸を掘ったことや、北条時頼の参詣、南北朝時代には南朝に味方し焼失、再興を繰り返し(省略してます…)今に至っている。
本堂、大師堂とお参りし、ちょっとした庭には、モミジの木々が赤く色づきパチリ。三重塔へと石段を上がると、ドウダンツツジが真っ赤に出迎え、その景色は絵になる。護摩堂には鮮やかな垂れ幕がお堂の周りに掲げられ、中からお経の声が。革靴が一足脱いであり、中を覗くと、信者の方だろうか唱えている。堂内に入りたかったが、邪魔してはいけないと思い、しばらく待ったが、これは時間がかかりそうだと、諦めて外から手を合わせる。
モミジの染まった境内を散策し、山寺の雰囲気を味わいました~

塩田八幡宮 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:23:12

JR道場駅からJR三田駅へ。そこから神戸電鉄、三田本町駅へ移動。駅から南東方向へ田畑が広がる道を行き、小高い丘を登る。竹林がある薄暗いあぜ道を上がったと思えば、“秘密の田畑”のような開けた土地に出て、再び鬱蒼と茂る森林の中を進む。林を抜けると、そこは駐車場になっていて、遠くの景色に墓石がいくつも並んでいる。看板には「神戸三田メモリアルパーク霊園」と書いてあり、中央には大きな観音像が上から見下ろしている。営業所もあるが、この日は定休日のようで、がら~んとしていて、人っ子一人いない。そんな駐車場を横切り、再び竹林の中を下っていくと塩田八幡宮に到着。正面鳥居からではなく、横の駐車スペースから失礼し、境内に入ると、樹齢500年以上のヒノキの御神木がで~んとあり、社殿は朱色のいたってシンプルな神社。
塩田八幡宮は冊子によると、創始は不明であるが、「大歳神社」と称し、御歳神を奉祀すると古記録にあるとのこと。その後、石清水八幡宮から御神霊を勧請、合祀されて塩田八幡神社と称せられ、鳥羽天皇后妃の庄園、石清水八幡宮の宿院、極楽寺領の庄園となり、神宮寺としての体裁を成したとある。応仁の乱で焼失したが、再興され、三田藩九鬼隆昌代々により、寄進が続き、明治に入り、神仏分離令により神宮寺が廃れ(略)、現在に至っている。
…と、結構歴史ある神社なんだぁ~と神社の雰囲気を味わい、社殿でお参りし、隣の社務所で御朱印をいただき、お礼を述べ次へ。

心月院 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:24:14

三田本町駅に戻り、北西方向へ。三田市内の住宅街を歩いていると、三田市にゆかりのある人物の看板が建っていて、カメラに収めていく。九鬼隆一や川本幸民などの出生地が、詳しくないが、点在していて、昔懐かしい郵便ポストもよく見かける。途中、ゆかりの地を巡る観光ツアー客らに遭遇し、「白洲次郎生誕地ってどこですか?」と関西なまりのおばちゃんが尋ねてきて、「すみません、名古屋から来ているのでわからないんです」と答えると、そこはきっぱり用なしと、すばやく通り過ぎていく。さすが関西やな~と思いながら、その“おばちゃん団体”がま~すぐ歩いてきた道の先に心月院があり、たぶん、おばちゃんたちも立ち寄ってきたんだろうと想像し、「白洲次郎」のキーワードに胸躍る。
そう!心月院にはあの、白洲次郎夫妻のお墓があり、九鬼家の菩提寺でもある。心月院は、鳥羽より移封された藩主九鬼氏に、以前ここにあった梅林寺を増改築。鳥羽の菩提寺、常安寺の覚雄是的和尚を請じて開基したお寺。九鬼家は幕末まで歴代に渡って三田の町を治め、明治維新の際、藩主の九鬼隆義の代に仕えた白洲退蔵が財政を立て直した。この退蔵氏のお孫さんが白洲次郎である。…と、ネットの“粗削り情報”だけなので詳しいことは知らないが、歴史あるお寺であることは間違いない。
…ということで、緩やかな坂道を上がり、山門までのスペースは広い駐車場になっていて、観光バスが1台止まっている。さっきのおばちゃん団体だな!と予想がつき、それだけ訪れる観光客が多いのだろうと想像しながら山門へと行く。山門をくぐり、境内に入ると、横に長い塀の中央に総門が建ち、正面に本堂、その前の境内には4つに仕切られた枯山水庭園があり、見事。まだ現役で使用している井戸、大きな釜、“赤い毛糸の帽子”を被ったお地蔵さんと、昔ながらの雰囲気を醸し出していて、どこか懐かしい。
本堂前で手を合わせ、まずは九鬼家のお墓のあるとこへ。歴代のお墓が建ち並び、大きな五輪塔、石柱とさまざまに、それぞれ逝去された歳が表示されている。60代まで生きた方もいれば20代で亡くなられた方もいて、“家族団欒”祀られている。
次に白洲次郎夫妻のお墓のとこへ。一般のお墓が並ぶ中、人型のような形をしたお墓があり、手を合わせる。つい最近、NHKの再放送で、ドラマ「白洲次郎」のことをやっていて、ある程度知っているが、GHQと渡り歩いたその功績に、すごい日本人がいるんだ~と誇りに思う。そもそも三田市の出身地だったとも知らず、御朱印つながりで知ったようなものなので、これも導きによるものなのだろうかと勝手に思っている。丘の上から見える三田市の街並みを眺めながら、ここに“住んでいる”墓地の皆さんが街を見守っているんだろうなぁ~と“一緒”に見渡し、御朱印をいただき後にする。

三田天満宮 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:25:16

心月院から東の交差点に出ると、北へと延びる道路を歩く。小学生の下校時間ということもあって、パトカーが巡回していて、最近の防犯事情も否めない中、「私は旅行者ですよ~」的なアピールを醸し出しつつ、次の目的地、三田天満宮へ向かう。
三田天満宮は冊子によると、「三田神祀」と号して大歳大神をお祀りした延喜式以前の神社であり、やはり九鬼氏代々の御祈祷所として、信仰を集めてきたとのこと。
北西へと下るカーブの途中に鳥居が見えてきて、階段を上がり、真っすぐ境内へと失礼する。この時期の“七五三詣でバージョン”境内には入母屋造の本殿を始め、中央に舞殿がある。社殿の前には記念写真が撮れるように、なぜか来年の干支のイノシシが2頭、これがまたリアルすぎるイノシシが“鎮座”し、出迎えてくれる。さっそく社殿で手を合わせ、左側からぐるりと散策していく。「連理の木」という、どこの神社でもありそうな縁結びの木があり、ご利益スポットなのだろう、ハートの形をした絵馬に、踏み石がハートマークの形と凝っている。淡島神社や稲荷神社他、摂社末社を見て回り、いろんな神様に心の中でご挨拶。社務所で御朱印をお願いし、お礼を述べ後にする。

三田ふるさと学習館 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:26:15

今回泊まるホテルに行くにはまだ早いので、旧九鬼家住宅資料館に行ってみることに。三田小学校と有馬高校の間の道を下っていくと、下校途中の子供らに会い、元気すぎるぐらいにうるさい。が、校舎の見える周りの景色は、大きなイチョウにモミジと、彩りを添え、「学校~」といった雰囲気がどこか懐かしさを憶える。旧九鬼家住宅資料館に入ると、昔の古い木造建築の学校のような佇まいで、事務所の方に「中、見ていいですか~?」と一声かけ、展示物を見学。…と、旧九鬼家住宅資料館と思って入った施設が、後で気づいたが、「三田ふるさと学習館」という施設で、勘違いしてしまい、少しだけ館長さんだろうか、説明して下さるので、そのまま聞くことに。三田市にゆかりの人物、特に九鬼隆義の江戸後期から明治期へと移り変わる時期を学ぶ。先ほども書いたが、九鬼家は九鬼水軍として元々、鳥羽の出で有名だが、九鬼嘉隆の時代に鉄甲船を造り、織田信長に見込まれた歴史がある。そんな九鬼家には跡取りに恵まれず、柳生家から養子をもらったりして、家系を絶やさず生き延びてきている。幕末期の新政府軍につくか旧幕府軍につくかで、三田の人々は、藩もそこは穏便に「まぁまぁ」というような風潮があったのだろうか、争いはなかったらしく、新しい明治政府を受け入れるのもすんなりだったらしい。キリスト教の教会が建てられたのも、日本で3番目に早く造られたようで、確かに三田市の街中を歩いていて、教会がそこそこあったのも頷ける。そんな中、九鬼隆義が学者であった白洲退蔵を取り立て、退蔵が藩政の改革で活躍し、この方のお孫さんがあの、白洲次郎である。「学問のススメ」で有名な福沢諭吉とも親交があり、その手紙のやり取りなどが展示されている。
「へぇ~」としばらく三田市の歴史に触れることができ、旧九鬼家住宅資料館は営業終了していたのでしょうがないが、いろいろと学ぶことができ、館長さんにお礼を述べ後にする。

写真はネットからお借りしました。

石峯寺 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:29:01

翌朝、三田駅バスターミナルから神姫バスで三木市行き、野瀬バス停で下車。ここから昨日に引き続き、また上り坂を30分ほどかけて歩いていかなければならない。舗装された道路なのでわかりやすいが、周りは山の景色、田畑が広がる景色と、人里離れた場所だとわかるくらい、民家がない。高速道路の高架下をくぐり、しばらく歩いて行くと、ようやく集落のとこに行き着き、コスモス畑が一角、田舎町に色を添えている。看板が建っているが、どの方向なのか、朽ちて落ちているのでわからないが、たまたま出会った近所の人に尋ねると、このまま一本道を行けばいいと教えて下さり、お礼を述べ進む。思い返せば、この道路も車がひっきりなしに走っていて、「有馬カントリークラブ」のゴルフ場へとつながる道となっているらしく、石峯寺に行く人はいないだろうと思いながら、お寺の山門が見える直線の上り坂に達する。
参道を歩いていると、2軒の竹林寺と十輪院があり、塔頭寺院だろうか、竹林寺では石峯寺の御朱印を請け負っていると門柱に書かれていて、とりあえず石峯寺の境内へと上がり散策。
石峯寺は冊子によると、1300年前、法道仙人によって開基され、往時には塔頭寺院が多く点在していたという。応仁の乱を機に、数々の戦乱で衰退し、江戸時代には明石城主、松平直常公、徳川家光公より寺領を受け、安泰に戻り、今に至っている。
本堂でお参り。本堂前のモミジがもう遅いようで、落葉が地面に散っているが、薬師堂から三重塔にかけての小道は見頃となっている。三重塔へ行くと、後ろの小池の周りにはモミジが上の方だけ赤く色づいていて、朝陽に照らされ鮮やか。しばらく撮影タイムとなり、時間の許す限り撮りまくる。境内の背後の山には、八十八か所めぐりの参拝ができるようになっていて、うす暗い森の中、あちこち石仏が祀られていて、修験場といった感じを味わいつつ、寺務所へと行くと無人の様子。窓ガラスに貼られたポスターには、週末にモミジ祭りが行われていたようで、こちらでは紅葉が早く進むことをうかがい知る。神戸13仏霊場の御朱印をお願いしようと、先ほどの竹林寺へ伺い、しばらく待っていると、お茶のペットボトルをいただき感謝×2。(本当は荷物になるけど…)お礼を述べ、バス停へ遅れないように早めに出発。これを逃すと午後までないので、少し気を張りながら来た道を戻る。

有間神社 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:30:01

神戸電鉄、道場南口駅で途中下車し、そこから岡場駅へ移動。駅前のイオンモールで昼前ではあるが、早めの昼食を済まし、線路沿いを南へ20分ほど歩いて行く。県道15号線沿いにある有間神社に到着。境内はブルドーザーの重機が1台、砂山の上にあり、整備中のようで、それを見下ろしている工事関係者の人、二人が何やら話し合っている。そんな姿を横目に、社殿のある方へ上がっていくと、モミジの木々が植えられていて赤く染まっている。写真を撮り、社殿で早速お参り。
有間神社はネットの情報によると、年代は不詳だが、現在の西宮市山口町名来で創建され、御神託により西尾村(現在の神戸市北区有野町)に遷座したとされる。いつからか「山王さん」と親しまれ、「山王」が「産の緒」に通じることから、安産の神社として崇敬されてきたとある。舒明天皇や孝徳天皇も有間神社に行幸されていることから、1300年余前には鎮座されていることがわかる。
ちなみに「有馬」と「有間」がなぜ違うのか?調べたがわからず、たぶん、山口町で創建されたときの近くに流れている川が「有間川」という名称から来ているようで、その「有間川」はいつしか「有馬川」となり、今でも有馬温泉の方へ流れているが、そのように変わったのだろうかと勝手に解釈している。
…で、社殿右側に行くと摂社が祀られていて、こちらもモミジが見頃を迎えパチリ。神社の雰囲気を味わいながら御朱印をと…先ほどの二人の内の一人が白い作務衣を着ていて、ひょっとしたら宮司さんかな?と尋ねる。やはりそうで、社務所の方で…ということでお願いし、お礼を述べ次へ。

瑞宝寺公園 - モリゾーのひとり言

2018/12/09 (Sun) 23:31:00

岡場駅に戻り、神戸電鉄で南下。有馬口駅で乗り換え、有馬温泉駅へ。あいかわらずの人の多さに、盛り上がりを見せる観光地、有馬温泉は今年の春に訪れ、地図を見なくても大体移動できる。
今回は、立ち寄るつもりはなかったが、有馬温泉の東側にある瑞宝寺公園が紅葉の名所で、ネットの情報で見頃であることを知り、訪れた次第。太閤橋から緩やかな坂道を歩いていくと、“おみやげ街道”の善福寺付近はモミジが見頃を迎えていて、こちらも観光客で賑わっている。
セブンイレブンから東へ上がる川沿いの坂道を歩くと、ホテルや旅館の施設が並び懐かしい。途中の橋で一旦休憩し、さらに急勾配の坂道をゆっくりと、前回お世話になった瑞宝園ホテルの横を通り、ようやく瑞宝寺公園に到着。公園入口までの道に甘栗の出店などがあり、お客さんで賑わっていて、すでに紅葉の紅く染まった景色が目に飛び込んでくる。
伏見桃山城から移築した山門を抜けると、そこからはもう撮影タイムに入り、茶店のスペースの赤い傘が開いている下でも休憩している方々がいて、「紅葉狩り~」といった雰囲気。
瑞宝寺公園は昔、明治初期に廃寺になった瑞宝寺の跡地に神戸市が整備した公園。歴史的には、秀吉もたびたび有馬に来ていて、公園内には秀吉が囲碁を指したとされる石の基盤が残されている。
今年の紅葉狩りはどこに行こうか、見当がつかなかったが、偶然にも見つけることができてうれしい限り。

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