寺社仏閣 ご朱印の旅 80513

ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また3、大阪・京都の旅

1:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:34:36

もうすぐ元号も変わる節目に、私事ではありますが、今年のゴールデンウィークは10連休と、ふざけんな!と言いたい今日この頃。っていうのは、仕事なので、休みもなく、どこへも行けない不甲斐なさはある。しかも、会社で有給を5回取らなければいけないというルールにも、私の仕事事情に釘をさす…、消費税も上がるし…、政府に不信感がつのる。とはいえ、みんなが仕事をしているときに休みをもらっているので、それはそれで文句も言えないのだが…。まぁ~、何はともあれ、5回は必須なので、行けなかった遠い地へも旅に出掛けられるので、ただいま、計画中である。
…で、今年の桜の花見は、休みと満開のタイミングが合わず、空振りに終わりそうで、地元名古屋の熱田区にある山崎川の桜を見る程度で心を満たし、早すぎた今回の旅を紹介~

2:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:35:37

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199337.jpg 今回はJR奈良線で東福寺駅、そこから京阪本線に乗り換え、京阪の大阪・京都1日観光チケットで八幡市駅へ。八幡市駅から男山ケーブルへと移動すると、観光ツアーのお年寄りの方々がわんさといて、ロープウェイにはかなりの混雑。そんな満車の中を、揺られること数分で、外の景色もろくに見れず山頂に到着。
石清水八幡宮は2回目の訪れなので、境内の案内図を見て、パッと把握できるほど、よく憶えている。森の中のハイキングコースのような道を歩き、本殿から回り込むようなカーブ、そして開けた駐車場の場所にたどり着くと、懐かしいエジソン記念碑が見える。参道の途中からお邪魔すると、南側には整然と並んだ石灯篭、北側には立派な総門が建ち、手水舎近くでは春らしく、弁当やお団子の販売をしている。
石清水八幡宮は、奈良の大安寺の僧、行教が宇佐八幡宮のお告げを受けて勧請した神社で、弓矢の神、戦勝の神として武家の信仰を受け、源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まったことでも有名である。八幡宮が全国に広まったのは、ハトが道案内をしたという云われもあり、ハトのマークの引っ越し…ではなく、ハトが神の使いとする、今ではシンボル的扱いとなっている。
神門を抜け境内に入ると、正面に相変わらず横に長い本殿が建ち、沖縄の首里城みたく、少し斜めに構える“いで立ち”で、平成28年に国宝に指定されるだけのことはある。
まずはお参り。そして社務所で御朱印をお願いする。摂社の武内社、石清水社、高良神社が新たに増え、春限定の「八」の文字にハトのマークを模った書置きの御朱印を授かり、お礼を述べる。総門近くの桜はまだ、3分咲きといった感じで、咲いている花を取り込んで本殿をパチリ。帰りは裏参道から麓へと坂道を下り、駐車場には3台の観光バス、そして桜が7分咲きで色を添え、ツアー客が賑やかに春の旅を楽しんでいる様子を見ながら次へ。
3:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:36:39

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199399.jpg 駐車場から石畳を南へ歩いて行くと、相槌神社がある。ネット情報で、毎月、1日と15日に御朱印が頂けるということで訪れたわけだが、着いて早々、すごい人の行列が社務所から八幡宮表参道の坂道にまで続いている。それも、ほとんどが女性で、どこぞのケーキ屋さんにでも並んでいるのかと思ってしまうほど。とりあえず道に面した小さなお社に手を合わせる。
相槌神社はネットの情報では、社伝によると「當社ヲ相槌神社ト称スルハ、伯耆国會見郡大原五郎太夫安綱鍛冶スル時ニ神来タリテ相槌ヲナス 依テ此処ニ神ヲ祭ル(抜粋)」とあり、伯耆国(今でいう鳥取県島根県)出身の鍛冶職人の大原五郎太夫安綱という人物が鍛冶をする時にお告げを受け、相槌をしたところから、この場所に祀った…ということだろうか。この大原さん、「童子切安綱」という国宝に指定されている刀を造ったほどの方で、この近くにある「山ノ井戸」の水を使って、名刀「髭切」と「膝丸」を造った場所だそうだ。
「なるほど~」京都の刀剣めぐりを思い出し、それで…女性が多いわけか…
坂道の最後列に並び、しばらくしていると、係の方がやって来て、「今日はお越しいただきありがとうございます」と挨拶。やはり、ほとんどが御朱印目当てで並ばれている人たちだろう、私で今日112人目(だったと思う…)らしく、春限定の直書きか書置きの御朱印、普通の直書きか書置きの御朱印があり、春限定は数に限りがあるそうな。普通の書置きの御朱印なら、時間を待たなくても渡せるかも…ということで、最初は春限定を…と思ったが、そんなに紙切れ一枚にこだわることもなく、お参りできることに意義があるので、“普通”のをお願いする。すると、係の方が社務所に戻り、再び私のところにやって来て、「渡せますのでどうぞ」と、一緒に社務所へ。飛び級のように待ってる方々を追い越し、優先的に私を案内して下さり、恐縮。禰宜さんだろうか巫女さんだろうか、いろいろと聞いてみたいことがあったが、並んでいる女性陣のクレームが語らずとも感じないわけではないので、お礼だけ述べて後にする。
4:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:38:39

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199519.jpg 八幡市駅から樟葉駅へ移動。駅から北東方向へ歩いて20分ほど、中学校がある隣の交野天神社に到着。
交野天神社は、簡単に言えば、桓武天皇が父の光仁天皇を祭神として建立した神社。境内地には継体天皇が越前から遷御され、御即位を挙げられた場所、樟葉宮跡もある。
鳥居を抜け、直角に左へ曲がると社殿が見えてきて、早速お参り。左から本殿を一周する形で回り、樟葉宮跡の方へと行ってみる。子供のころに、こんな場所で遊んだことがあるような、ちょっとした木々が生い茂る中を進むと、目線がちょっとだけ上向く程度の盛り上がりの小丘に社が建っている。元々は、古の時代より、氏神としてこの地に祀られている「貴船神社」で、「貴船神社」といえば京都の鞍馬を思い出すが、同じ水を司る高龗神(たかおかみのかみ)が祀られている。だから、駅から歩いてくる時に小雨が降っていたのはこのことか!と、妙に納得。
この神社の真南には、「鏡伝池」という大きな池があり、かつてこの池で鏡を用いた「水神祭祀」が行われ、雨乞いの祈祷をしていたのだろう、また、「鏡伝池」に反射する星の光を観測することで、星座の位置を割り出す「天文台」があったという説もあるほど、「北辰信仰」(北極星こそ最も尊い存在)も関係してくる(冊子参照)。
「北辰信仰」とは…面倒くさいのでここを(→→https://sengoku-jidai-kassen.com/other/2017111302/
そんな場所で住んでいた樟葉宮跡を、「なるほど~ここで暮らしていたんだぁ~」と、想像力を逞しくしてみると、何となく、そう、高貴な雰囲気に…いやあるいは、慎ましい雰囲気でもあったかな?と、宮中の暮らしをいろいろと思い描き、ここでも手を合わせ、社務所で御朱印をいただき、駅まで小雨が降らないようにお願いしながら次へ。

5:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:40:11

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199611.jpg “お願い”効果があったのか、雨は降らずに駅まで歩けたが、曇り空は相変わらず、いつ降ってもおかしくない天気の中、樟葉駅から枚方駅で京阪交野線に乗り換え、交野市駅へ。そこからJR津田駅行きの京阪バスに乗り、倉治バス停で下車。道路に面し、石碑が建つ参道を東へ歩いて行く。
機物神社は「はたもの」と読み、当時この地は、蚕で布を織る技術を持つ秦氏の土地で、一族が信仰する「秦者(はたもの)の社」から来ている。祭神は天棚機比大神(あめのたなばたひめのおおかみ)で、いわゆる「織姫」として、七夕伝説に関わっていて、このことについて、ちょっとネットで調べてみると、先ほどの「北辰信仰」が絡んでいるようだ。
機物神社の位置する地点は冬至になると、交野山(神社から南東方向にあり)に重なる日の出とともに、白い光の帯が見られる特殊な場所にあるようで、御神体は交野山山頂にあり、長岡京のちょうど真南に位置していたそうな。機物神社から北へ線を延ばすと「北極星」と見立てる交野天神社があり、当然「彦星」に当たる場所が西の方角に、観音山公園(牽牛石)がある。ちなみに正確に測ったわけではないが、この交野山山頂から北の方角に線を結ぶと石清水八幡宮があるが、これは何かあるのだろうかと思ってしまう。
さて、参道から開けた境内に入ると、1本の桜が満開を迎え、色を添えていて、近くには摂社の伊勢神宮の逢拝所がある。桜の北側には社殿があり、落ち着いた雰囲気の中、さっそくお参り。境内散策をしていると、花にはあまり詳しくはないが、桜の木の近く、東門の近くにピンクの花が咲いている。近づいて見てみると、シャクナゲ?ミツバツツジ?のよう。どちらもこんな時期に咲くかな?と考えるがわからない。まぁ~とりあえず写真に収め、社務所へ。御朱印をお願いする際に、ピンクの花について聞いてみようと思ったが、お客さんがいたので、申し訳ないと思い、謎のままに。雨も降ってきたので、まぁいいっかと後にする。

6:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:41:08

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199668.jpg 機物神社からJR津田駅まで歩き、JR学園都市線を南へ、JR星田駅へ移動。駅から南東方向の街中を歩いて行き、星田神社に到着。広い境内には隣接して星田寺の敷地があり、とりあえず手水舎で身を清める。近所の小さな公園には、春休みで遊ぶ子供たちが賑やかにサッカーをしていて、そんな中、横に長い社殿でお参り。奥の本殿では、宮司さんが祈祷をしていて、御朱印はしばらくできないな…と判断し、隣の星田寺へ行くことに。
星田寺は「しょうでんじ」と読み、神社に隣接していることからも、昔は同社の神宮寺であった。創建時期の詳細は不明だが、金剛寺(大阪河内長野市)の史料に889年前のことが記されていることから、平安中期には存在していたことが分かる。星田寺は檀家を持っていなかったため、寺の維持が難しいので、富くじを売って維持してきたという記録も残っているそうで(ネット参照)、「星」というイメージから「占い」があったことはなるほど!と思う。
山門前には阿吽像の石像がにらみを効かしていて、挨拶して境内へと失礼する。境内はきれいに手入れが行き届いていて、順番にお堂をお参りしていき、十一面観音のお堂はまだ新しい感じがして、安置されている十一面観音様のお姿がはっきり見え、じっくりと拝観。
すると、背後で「お参りなんかしなくていいよ!」と、いつの間にか、知らないおばちゃんが立っていて、
「南無妙法連華経を唱えていればいいんだよ!」と。しかも大声で。
「?」わけがわからず、「南無妙法蓮華経ということは日蓮宗ですよね。ここのお寺は真言宗ですけど…」
「そんなお参りしなくても、このお寺では何も得られないよ。私なんか、法華経の〇△×を唱えてから死ぬと言われた身体が治ったんですから、お参りしなくていいよ!」
「(ははぁ~ん、これは相手にしない方が…)あ~はいはい、仏像を見てるだけですから…」と、知らぬ素振りを見せ、察したのか、境内をうろうろし始めどこかへ。
「なんなんだ~?」と、そのおばちゃんの動向が気になり、すっかり仏像を見ても入ってこない。おばちゃんが奥の方へ行ってる間に本堂でお参りをし、ちょっとした庭園をカメラに収め、御朱印があるか玄関へ行くと、先ほどのおばちゃんがピンポーンしている。(むむっ、なんか用事があるのか?)私も御朱印のことを聞きたいので、玄関先へ近づくと、住職さんにやはりわけわかんないことを言ってる!
おばちゃんと同じにされてはとんだ迷惑なので、私はまったく赤の他人ですよ~的アピールを醸し出しつつ、すかさず御朱印のことを聞く。住職さんもそこはピンと分かってらっしゃって、軽くおばちゃんをあしらい、おばちゃん退散。書置きの御朱印をいただき、「訳わかんないですよね~」とお礼を述べ後にする。
あのおばちゃんは宗教の勧誘だったのだろうか、それにしても、真言宗のお寺に、改宗させてでも自分の信仰心を伝えたかったのか、たまにあ~いうのがいるんだよなぁ~。

7:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:42:02

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199722.jpg 星田寺で御朱印をいただき、星田神社の境内へ。本殿の右隣にある摂社はまだ行ってないので、お参りをしに。それぞれの社に、祭神の説明看板があり、じっくりと読んでいく。しばらくしていると、境内をうろつくあの、おばちゃんが。触らぬ神に祟りなし。摂社の神様に守ってもらい、社に身を隠す。そうこうしていると、おばちゃんもいなくなり、祈祷をしていた宮司さんも終えたようで、御朱印をお願いする。
いただいた冊子によると、星田神社の祭神は住吉四神。創建は明らかではないが、ここに一本の大杉があって、そこに当地の氏神として交野大明神をお祀りしていたらしい。その後、磐船神社(ここから南東方向にある)の御分霊をお遷りして、大きな神殿が建てられるようになったと。明治時代には星田妙見宮(小松神社)が星田神社の境外末社となり、現在に至っている。
ここ、交野市一帯は日本で初めて天神が咆ヶ峰(たけるがみね)に降臨した聖地として知られ、その天神の子孫である物部一族の本拠地でもあり、大阪と京都を結ぶ交通の要衝として重要視された場所。なので、宗教的にも後で説明するが、いろんな信仰が伝えられている。
…ということで、そのメイン的な場所へ移動。
8:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:43:06

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556199786.jpg 星田神社から数分、地元では桜の名所として知られる妙見河原を上がり、河原では出店も営業していて、桜は5分咲きといったところか、花見客もちらほらといる。
時刻は16:00前。たどり着いた「妙見宮」の石碑から参道を歩き、物置小屋だろうか、そこに宮司さんらしき人がいたので尋ねてみる。
「すみません、宮司さんですか?」
「いえ、私は参与です」
「御朱印って大丈夫ですか?」
「15:00までなので…」
「そうですか。また明日来ます」とお礼を述べる。
こればっかりはしょうがない。諦めて、せめてお参りだけでもと、うす暗い境内から目の前に、壁のように聳える階段を上っていき、社殿にたどり着けると思いきや、まだ続く。1組のカップルが休憩がてら交野市の街並みを眺めているのを見、それも納得。眺めたくなる景色が広がっていて、思えば、遠くの街は晴れている様子だが、境内の雰囲気はなぜかうす暗い。そんな空気感を感じながら、本殿にやっとたどり着き、呼吸を整えお参り。
…と、二礼二拍手一礼の二拍手目で突然、「ゴロゴロゴロ」と空が鳴り、一連の所作を終えたら、雨がザーっと降り出す。
「ナニコレ~」と神がかり的?な現象に(偶然です…)驚きつつも、ここには何かある!と感じざるを得ない(まぁ~、鳥肌が立つほどのことじゃないけど…)。
…で、本殿の裏手にある御神体の影向石「織女石(たなばたせき)」のとこへ。古くからこの大岩は「七夕ゆかりの地」として称されるようになっていて、ここ、交野ヶ原を流れる天ノ川沿岸は物部一族によって開拓、穀類生産の豊かなところからあま(甘)田といわれ、その田を養う水源をあま(甘)野川と言うようになった場所。平安時代になると、月や星などの天体に、宮中の人たちが関心を持ち、和歌などの文学的趣味が加わると、天上のものに準え、その田を七夕の彦星(牽牛石)が耕す天田(天田神社)とされ、対岸の妙見宮の御神体がいつしか「織女石」といわれるようになった、これが七夕伝説としてこの地域では残っている。

写真は、織姫石
9:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:47:03

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200024.jpg 星田妙見宮の縁起によると、平安時代、弘法大師が交野へ来た際に、佛眼佛母尊の秘法を唱えると、天上より七曜の星、いわゆる北斗七星が降り、その3ヶ所に分かれて地上に落ちたと。このときより「三光清岩正身の妙見」として祀られるようになり、現在もその伝説は3ヶ所残っていて、その中の1つである星田妙見宮は、弘法大師が唐から「宿曜経」を持ち帰り、星の道場を創建したことに始まる。ちなみに、「宿曜」とは、天体の動きや場所と、人間の運命とが関係するというもので、後の「陰陽道」に吸収されていく。
あと、推定される話だが、専門家が天体について計算したところ、816年に弘法大師が唱えているが、その年の7月23日に、北斗七星の方角から来たペルセウス流星群が隕石の正体ではないかという、あながち伝説ではない?事実があるらしい。
…てなわけで、天体との結びつきは弘法大師がきっかけ?を作ったようだが、816年からさかのぼること31年前の785年に、桓武天皇が長岡京遷都の神恩感謝として、翌年に交野ヶ原の柏原という地で、効天(北辰)祭祀をしたというのが、この神社の核となる「北辰信仰」のはじまりがある(冊子参照)。
その北辰信仰は…ネットで調べてもらうとして(すみません…)、この地は何かしらの聖地として昔から息づいてきた土地柄なのだろう。
…と、ここまで長ったらしく書いてきたが、歴史ある神社だということがわかり、いろんな信仰や伝説が残っていることからも、この突然のスコール?現象も何となく納得できる。
お参り後、摂社の龍王社の方へ行き、龍神さんに雨が止むことを祈りつつ、森林の中を道なりに坂道を下っていく。麓にたどり着くと、そこは住宅地で、近くに妙見東三丁目バス停があり、バスを待つ。待っている間、雨は天気雨と変わり、晴れてるのに雨が降っている…これも普段の生活の中で慣れてはいるが、不思議な現象といえると改めて思い、バスがちょうど来たとこで雨が止み、「神がかってるなぁ~」とバスに乗り込む。

写真は、龍王社
10:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:48:04

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200084.jpg 妙見東三丁目バス停からJR河内磐船駅で下車、京阪河内森駅へ歩いて移動し、京阪寝屋川市駅へ。駅近くで夕食を済ませ、寝屋川住宅行きのバスに乗り、天満橋バス停で下車。
夜桜見物ということで、こちらでは桜まつり期間中、ライトアップされるということを知り、訪れたわけだが、桜は7分咲きでまだ満開とまではいかず、辺りは暗くなってない18:00ごろ。ライトアップされるまで桜並木を歩く。地元の、ジョギングをしている人や犬の散歩、通勤帰りのサラリーマンがいて、通り道になっているのだろうか、結構いる。広場では観光協会だろうか、テントが張られていて、そちらの方へ足を運び、ちょっと立ち寄ってみる。スィーツや地元の特産品が販売されていて、私は抹茶と桜餡を包んだ和菓子を購入し、店の人と談笑。名古屋からの訪れに「えっ!わざわざ名古屋から?」と驚き、「ネットで知って立ち寄りました」と、他愛もない話をする。そうこうしていると、ライトアップが知らぬ間に始まっていて、お礼を述べ散策の続き。
小川沿いを歩き、川面に映るライトアップされた桜とのコラボを撮影。今回は一眼カメラじゃなくコンパクトカメラ。どのカメラでも夜の撮影はブレてしまうので、その辺にある岩の上に固定してみるが、上手く撮れているかどうか…。まだ、これからの予定が残っているので、早々に切り上げて次へ。

11:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:49:05

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200145.jpg 京阪寝屋川市駅から天満橋駅へ移動。南東方向へとビル群を抜け、大阪城へ。夜の帳の中、雨が降ってきて、春の風も一緒に、横殴りに吹いてくる。大阪城も桜まつり期間中、ライトアップされるので訪れた次第だが、やはり、まだ満開とまではいってない予想。
大阪城は去年、この時期の日中に見に行っていて、大満足だったが、ライトアップされた大阪城と桜のコラボも見てみたく…、本当は満開の時期がよかったのだが…。
大手門をくぐると、帰られる客とすれ違い、雨の中でもお客さんは結構いることがわかり、さっそく西の丸庭園へ。時刻は20:00ごろ。最終受付が20:30なので、1時間ほど見物できる。受付で拝観料を支払い、歩いて行くと、桜はやはりまだ7分咲き。そんでも、段々見えてくるライトアップされた大阪城のインパクトたるや、それだけで十分。傘を差しながらの撮影はかなりしんどいが、なんとかブレないようにして撮る。内堀の近くに行ったり、遠くから桜を取り込んで撮ったりと、時間はあっという間。さすがに春とはいえ、まだ夜の寒さは堪え、雨も降っているので、限をつけ後にするのでした~
12:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:50:05

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200205.jpg 大阪城から南西、地下鉄谷町4丁目駅近くのホテルに宿泊。翌朝、京阪の天満橋駅から、今日も大坂・京都1日観光チケットを購入し、枚方駅で乗り換え、交野市駅で下車。駅から京阪バス星田循環バスで、妙見東三丁目バス停へ移動。
昨日の続き、星田妙見宮の御朱印をもらいに、逆パターンコースで訪れる。豊臣稲荷社や龍王社をお参りして、本殿へと再び上がり手を合わせる。社殿から少し階段を下りたところに社務所があり、御朱印をお願いする。その間、神社の方から「今日はこれから、訪れる神社なんてあるんですか?」と尋ねられ、少し間をおいて「磐船神社に行こうかどうしようか迷ってるんです…」と。磐船神社はここから南東の位置にあり、先ほどの七夕伝説の、天田神社と妙見宮の対照の中心に天の川があり、その線を磐船神社と結ぶと、二等辺三角形が成立し、いわゆる結界が生じる。そのパワースポット的な場所へ行くには、徒歩1時間くらいと、ちょっと難儀な行程。バスも運行しているが、土日限定だし、歩こうと思えば歩けるが、トラックが走る交通量の多い歩道のない道路なので、危険極まりない。そのことを神社の方も知っていて、私は「境内を抜けるまで、歩きながら考えます」とお礼を述べ後にする。
階段を下りながら、時間のことも考えていると、あっという間に麓に降りてきて、妙見坂の桜並木のとこに。昨日、そんなに散策してなかったので、写真を撮りながらゆっくり観賞。花見に、朝から地元の人たちが弁当を広げ、盛り上がっていて、今日は晴れということもあり、犬の散歩やらウォーキングやら思い思いに楽しんでいる。“雪柳コーナー”のようなとこには、真っ白に彩りを見せ、上を見上げれば桜、その下には雪柳と、春らしいのに、色合い的には雪のようである。
…と、磐船神社のことも忘れていて、結構ここで、時間を費やしてしまったので、今回は行くことを諦め、妙見口バス停から交野市駅へ戻る。

13:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:51:05

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200265.jpg 京阪本線に戻り、門真市駅へ。門真市内にある2つの神社を訪ねるため、まずは西へ歩いて20分ほどの門真神社へ。
門真神社はネットの情報によると、創建の詳細は分からないが、元々三社あって、南宮、中宮、北宮のうちの中宮であると。門真庄の村が発展して四番村の独立に伴い、元村の牛頭天王を遷して当社を創建したそうな。
至ってシンプルな町の中の神社といった感じで、参道の石畳以外には禁足地かのように熊手の形をした道具ですべらせた砂紋跡がある。末社には真手神社、稲荷神社があり、社殿でお参り、本殿横には樹齢何年か分からない楠の木があり、社が建てられている。
一通り境内を散策し、社務所へ行くと、インターホンのところに「外出しています」の看板が。留守のようなので、また後で来ればいいかと、もう1つの神社、天神社へ行く。

14:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:52:02

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200322.jpg 細い路地、大阪らしい町の商店街を歩き、北東の方向へ。大阪モノレールが上を通る大阪中央環状線の大きい道路を横切り、再び細い路地を東へ移動すると、天神社がある。
天神社の創建は定かではないが、この地が古くから伊勢神宮の帰路の道筋に近いということから、相当古い時代であると。主祭神は少彦名命。医薬医療の神、温泉の神様として知られ、北河内地域ではここでのみ、お祀りされている。ガン封じのご利益もあり、こちらに来る道すがらの案内看板に、でっかく表示されているほどなので、この神社では有名らしい。
鳥居をくぐり、正面の拝殿でさっそくお参り。本殿をぐるりと回る形で、末社の稲荷社をめぐり、社務所へ。御朱印をいただき、お礼を述べ境内を見渡し失礼する。
再び門真神社へ向かう。往復で1時間ほど経っただろうか、門真神社にたどり着き社務所を覗くと、まだ留守のよう。まぁ~、次の機会ということで諦め、境内に7分咲きで咲いている桜の木を眺め、惜しみつつ駅に戻る。
15:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:53:00

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200380.jpg 京阪門真市駅近くのショッピングモールで昼食を済ませ、再び京阪で淀駅へ。ネットでこの時期の4月15日まで、浄安寺で「椿展」をしていることを知り、行ってみることに。淀駅から京阪バス宇治行きのバスに乗り、佐山バス停で下車、南へ歩く。
山門にたどり着くと、白い幕が張ってあって門が修復工事中のよう。その中をくぐり、境内に失礼すると、正面に本堂、その横にはちょっとした庭園に椿の木々、山門右手すぐにはこれも椿の木々が生い茂り、花が咲いている。花に導かれるように、椿を適当に一輪ずつ撮っていき、いろんな種類の椿があること、私の中で冬のイメージが強い椿だが、この時期にも咲いていることに少し驚き。限をつけ、本堂へ行き、中に入ると、先客がいて、正面の阿弥陀如来像を中心に、外陣の畳敷きにはコの字型に一輪挿しの椿がずらりと並び、思い思いに写真を撮っている。
まずは本尊の阿弥陀如来さまに手を合わせ、私のお参り後を見計らい、お寺の方が声を掛けて来る。お寺の方はお年を召したおばあちゃんで、「ようこそ」と労って下さり、お茶と飴ちゃんで、もてなしてくれる。冊子をいただき、椿の種類がこんなにあるの!っていうぐらい、A4用紙にびっしり書かれていて、咲く時期も初夏頃までの品種があるらしい。4月5、6、7日の3日間、八幡市立松花堂庭園で「つばき展」が催され、その展示にも当寺から出品され、「ぜひに」ということで来場アピール。八幡市立松花堂庭園の場所は八幡市駅からバスが出ているそうで、やんわりと行けたら行きます的なもの言いをする。
先客を交え3人で談笑。先客の方は地元の方で、毎年この時期に訪れているらしく、特に花の中では椿が一番好きだそうで、おばあちゃんとは顔馴染みのよう。私は「名古屋から来ました~」と告げると、「え~、それはそれは」と驚き、遠方の参拝客は珍しいのだろうか、ネットで「椿展」のことを知って訪れたことを伝え自己紹介。
…と、お茶を飲み干し、「それでは…」とおばあちゃんが花瓶の一輪挿しの椿を1つずつ説明しますとのことで、左端から順番にお付き合い。花瓶にしている焼き物はすべて、全国に飛び回って購入したもので、九谷焼から瀬戸焼、唐津焼等々、スペインの焼き物まで、椿の種類も1つずつ違い、椿以外にも一枝、紫陽花や山吹など添えられていて、これらすべてを丸々暗唱していく。
すべてを読み終え、「すごい!」と感嘆。よくここまで暗記してますね~と、頭が下がる思いで、当の本人は「来訪される方にその都度、説明しているので、もう憶えてしまいました」と言うが、いや~、実におみそれいたしました~。
…で、私もそれに応えつつ、1つずつカメラに収めていき、“椿づくし”に大満足。御朱印をお願いし、お礼を述べ、帰る際、バスの時間を気にして下さり、バスの時刻表さえも記憶しているおばあちゃんに、感謝するのでした~。

写真は、常盤鳴子と陽寿椿
16:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:53:56

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200436.jpg 淀駅へと戻り、京阪で八幡市駅へ。昨日訪れた石清水八幡宮の帰りに見つけた茶店を思い出し、ちょいとおやつタイム。…といっても時間は16:30すぎだが、18:00までは営業していることをネットで知り、いざ入店。
走井餅は江戸時代に大津(滋賀県)で、湧水の「走井」を用いて、餡餅を作ったことに始まり、「走井」は成務天皇の産湯に用いられた名高い水であったそうな。刀の形に模した餅は、平安時代に名を馳せた刀鍛冶の三篠小鍛冶宗近が「走井」で名剣を鍛えたという故事からちなみ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられ、安藤広重の「東海道五十三次」の大津宿にも描かれているほど。明治時代に入り、ほどなくして、名水で名高い石清水の麓に引き継がれ、大津の本家が廃業。実質、直系唯一の走井餅として受け継がれている。大津時代では明治天皇に、八幡に移ってからは昭和天皇に献上されているそうで、かなり伝統的な和菓子といえる(ネット参照)。
さっそく、八幡名物「やわた走井餅」が売りの当店で、定番の、やわた餅と抹茶orコーヒーのセットを頼む。過去に、京都御所の休憩所で食べた豆餅とコーヒーの組み合わせが意外に合ったのを思い出し、コーヒーを注文。
そして実食。やっぱしご当地で食べるやわた走井餅は旨い!(…って、味は普通の大福やん!なんて言いません)
「いや~、やっぱ来て良かった~」とゆっくりと味わい、湯のみのコーヒーをすする。この時間でもお客さんがちらほらと入ってきて、人気の“休憩所”なのだろうと、まったりとするのでした~
17:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:55:27

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200527.jpg 休憩がてらネット検索していると、八幡市駅から北へ、木津川を渡れば背割堤があり、桜の名所となっている。この場所は木津川、宇治川が合流する全長1.4kmの長い堤防で、昔は淀付近で合流していたが、明治の大洪水により、改良工事が行われ、現在の流路となっている。写真には「さくらであい館」のタワーからの展望の桜並木が、川沿いに続いていて、タワーは営業時間が17:00までと、もう終了しているが、どんなものか行ってみることに。
17:00でも明るい、日が長くなったことを感じながら、交通量の多い御幸橋を渡り、すれ違う人たちの多さに、花見をしてきたんだぁ~と納得。風がまだ冷たい中、橋の上から河川敷に並ぶ出店を見、もう店じまいをしている様子に、ここではライトアップはされないのだろうと予想し、堤防沿いにたどり着く。ふと目にした看板には「お花見船」の案内があり、“桜繁盛期”には料金を払えば、船からのお花見も楽しめるよう。そして、堤防を歩いていくと、7分咲きの桜がず~っと続いていて、お客さんもまだまだいて、思い思いに楽しんでいる。もう少し時期がずれていたら、満開も楽しめたのになぁ~と思いながら、撮影タイム。どこまでも続きそうな堤防沿いを散策し、限のいいところで折り返し、再び橋のたもとへ。橋の上から沈みゆく夕陽を眺め、今年の桜は、これで見納めだな…と、満開と仕事休みのタイミングが合わないことを悔やみ、名残惜しく帰るのでありました~

18:モリゾーのひとり言 :

2019/04/25 (Thu) 22:56:31

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1556200591.jpg 地元名古屋での用事で立ち寄った山崎川。桜の名所としても知られ、ここら辺は瑞穂競技場がある場所でもある。今年はそんなに桜を拝むこと叶わず、しっぽりと、堤防沿いを散策。
地下鉄新瑞橋駅から北へ、歩を進めるうちに、お花見客や犬の散歩、競技に参加している学生らがいっぱいいて、やはり賑やかである。
桜を眺めながらの散策は、あっという間に時間が過ぎ、いつしか花を愛でるということに年老いた?なぁ~と、感傷的に浸り、やっぱり結局のところ、楽しむのでありました~

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