寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また2、岐阜の旅(1) - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 14:54:43

11月下旬、紅葉の時期を狙い、どこか近場で紅葉狩りができるとこはないものかと、ネットサーフィンをしていると、大垣市がヒット。大垣市へは大垣城をはじめ、樽井鉄道に乗って根尾の薄墨桜、去年だったか、養老鉄道に乗って、養老公園での紅葉狩りと、交通の要衝としてちょこちょこ訪ねている。…で、今回は大垣市内の北側に、お隣の垂井町と足を延ばし、紅葉狩りを楽しみましたよ~

明星輪寺(1) - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 14:55:44

JR大垣駅に到着したのは13:00頃。JR美濃赤坂線に乗り換え、終点の美濃赤坂駅に降りるこの地は、かつて中山道の赤坂宿があった場所。江戸へ嫁いだ皇女・和宮もここを通った宿場町で、現在でもこの地域では「姫行列」という祭りがあるほど。そんな宿場町っぽい風情が残っている格子窓の建屋を見ながら、明星輪寺の案内看板がある方向への小路を入っていくと、徐々に坂道になっていく道路で、途中、子安神社、秋葉神社と、地元の崇敬を受ける神社があり、そこからさらに上がった所に金生山神社、隣には金生山化石館の施設がある開けた場所に出る。…と、またまたさらに急勾配の上り坂が「うわ~」と思わず文句が出てしまうほどの“壁”が見える。
「あれを登るのか~」と気合を入れ直し、ゆっくりと上る。東側には大垣市の街並みが見える景色、西側の風景は山を削っている工業地帯が見え、遠くに伊吹山だろうか、振り返って南側には鈴鹿山脈の山並が見え、休憩しながら登る。

明星輪寺(2) - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 14:56:51

そもそも、この寺を見つけたのは、「岐阜 紅葉」のネット検索でたまたま出てきた理由なだけ。基本、旅に出る前は、広く浅く調べる程度なので、どんな寺かも詳しくは分からず、ルートも地図上では平坦な道という思い込みだけで今回、訪れているので、まさか、こんな急勾配の坂があるとは…と言いつつ、こういう驚きもあるから旅は楽しい。
…で、人だけが歩ける山道からショートカットできるのでそちらから行き、ようやく平坦な道になると、大きな駐車場にイチョウの木が1本、人が入れないように囲いがしてある。御神木なのか?いたずらをする人がいるのか?分からないが、特別なイチョウとしてすっくと生え、仁王門まで来ると、立派な金剛力士像が「あうん」とにらみを効かし、私を出迎えてくれる。参道を歩くと、モミジが少し早かったかな?といった具合の色合いを醸し出し、それでも十分堪能できる紅葉狩りを楽しみ、境内には、夫婦茶碗がいっぱい奉納されている縁結び地蔵、横に長い何というお堂なのかわからないが、仏様や宝物が祀られているお堂、その先の観音堂と、ゆっくりと散策。そして、本堂へと移動。
由緒には、日本三大虚空蔵菩薩の1つ、本尊の虚空蔵菩薩を安置していて、持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として役小角が創立。その後、衰退するも、弘法大師が来山し、諸堂を再建したとある。ちなみに「日本三大」というからにはあと2つ、どこだろうとネットで調べると、「あれっ?」全国に14ヶ所もある…
こぞってみなさん、「三大」と名乗りたいのだろうか?と、ツッコミを入れつつ、一休さんのように「気にしない気にしない…」と。
さて、本堂に入ると、お寺グッズを販売している空間に、内陣が一層暗い雰囲気を感じつつお参り。よ~く内陣を見ると、でっかい岩があり、「なにこれ!?」と、じ~っと見る。その大岩は、ヘビがとぐろを巻いているように見え、「御神岩?」として祀られていて、内陣へ無料で入れる案内看板があるので、本堂内の寺務所の方に御朱印をお願いしつつ、「内陣へ入っても(写真撮っても)いいですか?」と尋ねると、「どうぞ~」と許可を得て中へ。

明星輪寺(3) - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 14:58:02

“大きな岩”としか分からない“それ”は、異様な存在で、静かに鎮座し、昔の人は“空恐ろしいもの”として崇めていたにちがいない。「誰かが彫ったんでしょ…」というには、ちょっと違う、ヘビとか仏様の顔だとか、それぞれ違う角度で見えるのは、やっぱし、自然にできたからだと勝手に結論付ける。
さて、これはいったい何なのか?ネットで調べてみると、こちらの山は「金生山」といい、この辺り一帯の地質は石灰岩からできているそうな。本堂の上には「岩巣公園」という大垣市の名勝に指定されている公園となっていて、“カルスト台地の縮小版”として無数の奇岩怪石が群立、古生代二畳紀、石灰紀というのがあるらしいが、その時代の石灰岩層の露出面が、長い年月の間に風化して、独特の景観を生み出したとされている。
石灰岩は炭酸カルシウムを含み、陸貝の殻の形成に適しているそうで、金生山には、個有種のキカドギセルやクロダアツクチムシガイ(人の名が付いている)など、聞いたこともない虫、いわゆるカタツムリだろう(たぶん…)、岐阜県の天然記念物として生息している。だから、金生山神社の横にあった化石館の施設は、そのためだったのかと、今にして納得。
奇岩をいつから「御神岩」として崇めてきたのか分からないが、自然界に存在するあらゆるものを日本人はとかく畏敬してきたことは、神のみぞ知るだが、「らしい、ちゃ~、らしいなぁ~」と改めて知る。
そしてさらに、当寺に伝わる虚空蔵さんとヘビのお話もあるが、それは、和歌山県の道成寺でも聞いたような話なので、当寺のHPを見ていただくとして、ちょっとおもしろいブログを発見し、それにはこの“大岩”が、虚空蔵菩薩の御尊顔として見えた時、宝冠を乗っけてるという根拠があると。京都高雄の「神護寺」にある「五大虚空蔵菩薩」のうち、「蓮華虚空蔵」の宝冠に似ているという。(http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-364.html)その写真を見たが、確かにこれは偶然の一致なのか?…いや、何らかのつながりがあって、そのようなお姿で現れたのではないだろうか。こう考えると、なんて神秘的な奇跡なのかと、いや~、すばらしい摂理です。実にすばらしい考察(ブログの方)です。
…で、拝観した当時は、そんなことなど知らずに、なんとはなしに、すんごい“御神岩”として手を合わせていたので、今にして思えば、訪れて良かったと…

明星輪寺(4) - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 14:59:12

お寺の方に「ありがとうございました~」と挨拶を交わし、本堂裏手にある岩巣公園へ。こんな景色をどこかで見たような…今まで旅した中で、奈良だったか和歌山だったか、奇岩の鎮座は、いつ見ても圧倒的に威圧感というか、その迫力に魅了される。ここの“岩”には、「不動岩」「屏風岩」などの名称が付けられていて、岩に彫られた虎や牛、楕円の中に仏様を描いた“石仏”もあり、見上げながら蔵王堂というお堂でお参り。公園内を散策すると、モミジが太陽に当たっている所は赤く染まり、まだまだこれからといった感じだが、全体が染まった時の状態を思い浮かべると、ここが紅葉の名所であることは木々の本数を見れば分かる。ネットの写真では、彼岸花が境内を埋め尽くすほどに咲いているお寺の風景を見たことがあるので、初秋の時期も一度、訪れてみたい。紅葉トンネルを抜け、いつの間にか最初のイチョウの木の所に戻って来て、俗世に戻ってきたような…霊験あらたかな虚空蔵さんに、心の中で感謝を伝えるのでした~

円興寺 - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 15:00:14

急勾配の坂を下っていると、私と同じように登ってくる人がいて、挨拶を交わし、この坂は上るのも下るのもかなり足に負担がくることはわかっている同志のような心情ですれ違う。グーグル地図で示されたナビ通り、次に向かう円興寺へ。東の方角に歩を進めると、採石場のような工場から、その一本道を利用するトラックがひっきりなしに走っている。ここの地質が石灰岩という土地柄、いろんな化学工業や鉱石工場?などがあり、この道を選択してしまった後悔と、目に石が入った状態での、それぐらい砂煙が舞う環境の中、マスクをしていたのはこれ、幸いとばかりに、ひたすら歩く。
ようやく“試練の道”を抜けた先の、田園風景が広がる山の谷間を北へ、見つけた案内看板には「円興寺」と「源義朝、朝長父子の墓」が矢印で示されていて、さっそく「円興寺」を目指す。今回の旅は、西美濃三山と呼ばれる名刹を訪れるのが目的で、先ほどの明星輪寺、円興寺、次に紹介する美濃国分寺と、昔からこの一帯で栄えたお寺が存在し、西美濃には、源氏に纏わる史実や伝説が残されている。ここ、大垣市青墓という地は、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝一族が東国を目指して都から逃れてきたところで、現在、父子のお墓がある山中に、かつてはその、円興寺があって、今の円興寺は麓に移動している。
かつて山中にあった円興寺は、七堂伽藍を有するほどの興隆したお寺で、義朝の次男、朝長は16歳にして重傷を負い、この地で葬られ、義朝自身もまた尾張国野間で謀り殺されている。度重なる悲惨な源氏の再興は頼朝によって果たされるが、頼朝が上洛の際には、二度も青墓宿に滞在して、一族の墓を詣でていて、円興寺は多くの寺領を寄進したと伝わっているほど、この地は源氏ゆかりの里としても知られている(冊子参照)。
さて、西日が山で隠れ、昼でも影を落とす谷間を歩いていると、農家の方が数人で、のろしを上げるかのような白い煙がモクモクと辺りを染め、“兵が夢のあと…”的なノスタルジーと現実の煙たいギャップに引き戻されつつ、円興寺にやっと到着。すると、こじんまりとした境内に、こちらはもう遅かったのか、モミジが悲しく枯れている。境内には石段を上がった敷地に本堂が建っていて、静寂だけが耳に残り、そんな中お参り。
円興寺は、最澄の創建。本尊は自ら霊木を探し彫った聖観音を安置している。最澄がこの地に立ち寄った際、遠い空に五色の雲が立ち昇っているのを見て、奇異に思い、山間の渓谷を廻っていると、老翁が現れ、「我はこの地の地主神で、白髭明神。(省略)この笹尾が峰に赤栴楦(こういう種類の木なのだろう…)の霊木があるので、その霊木で仏像を彫刻して大衆を済度すべし」と言って去ってしまう…という言い伝えがあり、その後、弘法大師も訪れ、黄金仏を彫って、本尊の頭の上に安置した(胎内仏かも…という説もあり)という話もある。その本尊はというと、本堂が閉まっているので、中の様子が分からず残念。寺務所の方へ移動すると引戸に、「書置きの御朱印は中に置いてあります」ということで失礼すると、土間にお守りグッズが置いてあり、御朱印、冊子をいただき、どこか物悲しい境内の雰囲気に、源氏の悲哀に満ちた歴史を感じ、一礼して後にするのでした~


美濃国分寺 - モリゾーのひとり言

2021/02/27 (Sat) 15:01:16

源義朝・朝長父子の墓はここから東へ、山中を歩かなければならないので、時間があれば次の機会にということで先を急ぐ。次は美濃国分寺。大谷川に沿って南へ歩く形で、途中、JR東海道線の高架を潜り、薬師川に沿って西へ、またまた濃尾平野が広がる田園地帯を歩いて行くと、竹藪、そして、開けた所に出る。どこかお金持ちの屋敷かと思わせるような、時代劇に出てきそうな、白い塀が続き、山門にたどり着く。薬師橋という橋を渡り、立派な山門横には、これも立派な鐘楼があり、境内は本堂、大師堂、観音堂と、清潔感溢れる整った空間となっている。
美濃国分寺はその名の通り、仏教の教えを広めるため、聖武天皇が全国に1つずつ勅願し創建した中の、美濃にあるお寺。なので、大抵は国分寺跡として、だだっ広い土地が残されているのが通例であるが、ここも今の境内地から南に礎石跡などがあり、大垣市民俗資料館、美濃国分寺史料館の施設もあるので、ここは史跡としての紹介がしっかりとしているようだ。
縁起には、行基菩薩が開基、ケヤキの大木をまるまる1本、自ら一刀三礼(一刀彫るたびに三礼)で造った薬師如来を尊像として安置したとある(冊子参照)。行基さんから良弁さん、空海さんと引き継がれ(省略)、天災や兵火でことごとく荒野と化した時代もあったようで、江戸時代、真教上人が地中に埋められていた薬師如来を発見し、現在地に小堂を建て、再び一国一寺の面影を留めることとなったと。そんな薬師如来に拝むため、本堂へと失礼すると、丸型光背のなんと神々しいことか。耳たぶが肩に届きそうなくらいの長い耳に、厚い上唇のお顔で、どっしりと、来るもの拒まずというお姿で、こちらを“見ている”。一木造りということなので、相当大きい木が使われたことを想像すると、1300年以上よりももっと経っているケヤキのはず。「すごいなぁ~」と、御利益がありそうなお薬師さんに手を合わせ、そのお姿を見に焼き付ける。
大師堂、観音堂とお参りし、御朱印は?と、お住まいの玄関の方へ行ってピンポーンすると、「本堂の方へ」と促され、いろいろとパンフレットをいただく。その中に、岐阜県内36ヶ所を巡る「御朱印めぐり」が今年、企画されていて、全制覇された方には「満願成就証明書」を発行するという謳い文言が。今まで訪れている寺社など多々あり、もちろん訪れていない寺社も見つけ、いい情報を与えて下さり感謝×2。お礼を述べ、後にし、南にある国分寺跡へ。資料館は休館日なので素通りし、すでにその大きさが分かるくらい距離の長い、その土地の端っこからの道が見え、そちらへ移動し、少しだけ跡地に入ると、奈良の平城京跡の広さではないが、その風景を見ただけで、広大な敷地であることが分かる。跡地で遊ぶ子らが仏教を広めるためのお寺が建っていたということを知ってか知らずか、きゃっきゃっとはしゃいでいて、その姿に、昔も今も同じ風景をみているかのような、ノスタルジーに浸るのでした~。

つづく…

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