寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また7、岡山の旅(3) - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:33:53

桜の時期も過ぎ、今度はゴールデンウィークと、行楽地に出掛けたくなる春の陽気に、コロナ感染が邪魔をする。まったく去年と同じ推移で感染者が増え、人は何を学んできたのやら…。
…とはいえ、私事ではありますが、まだ感染者が増えていない3月の中旬に伊賀市を訪ね、いずれひとり言をつぶやきますが…、今年も御朱印の旅は、減る予想。
…てなわけで、備中高梁市の最終日の紹介~

本光寺 - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:35:20

頼久寺から高梁市街を歩き、一旦ホテルに戻る。まだ14:00頃なので、ネット検索で御朱印のいただけそうな寺社を探すと、成羽町という、駅から西の方角にある地域に瀬戸内観音霊場のお寺や神社があり、行ってみることに。バスセンターから成羽行きに乗り、稲荷口バス停で下車。交通量の多い交差点の南に鳥居が建ち、その民家の通りを歩いて行くと、橋を越えた先、城壁のような石垣、それに付随して石段が上へと続いている。その上段に鳥居が見えるということは神仏習合の名残か、とりあえず長い石段を登って行くと、左手に山門、右手に鐘楼があり、正面に後でわかったことだが、最上稲荷の社殿が建っていて、お参り。山門を潜り境内に入ると、庫裏、本堂と並び、前庭からさらに階段が続いている先を目で追うと、山の斜面にはお墓がずらりと並んでいるのが見え、何気に「こんにちは」とご挨拶。
さっそく本堂でお参り。さて、こちらは本光寺といい、清水宗堅が日慈上人を招いて開山した日蓮宗のお寺。5世の日鏡上人の代に、火災で堂宇がすべて焼失し、出石屋喜右衛門の発願により諸堂を改築、川上町にあった庵明寺の檀徒数が少なかったことから合併し、御本尊も迎えて安置した(冊子参照)と。その後、代々の住職が最上稲荷や位牌堂などを建立し、今に至っていて、成羽城主、山崎氏が御殿普請のときに、太鼓を打ち鳴らし、仕事始め、休憩、昼食などの合図に使われていた「時報太鼓」という太鼓も宝物としてあるらしい。
冊子には、あの、豊臣秀吉の高松城攻めで切腹に追い込まれた城主、清水宗治の名が記されているが、清水宗堅についてネットで家系図を調べても出てこないので、その関係性が分からないが、同じ清水姓ということは、なにかしらの関係があるのだろう。ちなみ出石屋喜右衛門も調べたがわからないので、この地域の越後屋的?存在の商売人だったのだろうかと、妄想する。
庫裏へと御主題を授かりに伺うと、快く応じて下さり、軽く当寺の説明をして下さる。成羽町というのは、銅の産出で出荷するための“港”として、生計を生業とした町であると。成羽川水運と呼ばれた川による交通網の拠点とされていて、北側には「吹屋」という銅山地区があり、今は観光スポットとして栄えた地域もあるという。「ジャパンカラー」ともいうベンガラの色合いを基調とした町並みがあるので、行ってみては?と、教えて下さり感謝×2。お礼を述べ後にする。

龍泉寺 - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:36:10

本光寺から東へ、鬱蒼と茂る木々の先に、急な上り坂が続いている道を上がっていく。たどり着いた所は駐車場になっていて、西側からいきなり境内へと失礼し、横に長い立派な客殿、そして本堂と建っていて、ちょっとした枯山水の庭、方柱石碑(石美術)が配されている。
龍泉寺は行基菩薩の開創で、(省略)荒廃、火災の災難を乗り越え、明治初年に本堂が大改築され、本尊は弘法大師作と伝わる聖観音像の秘仏が安置されている。県内では最古級とのことで、50年に一度開扉されるので、私の人生でお会いすることはなく、あの世?で会うしかない。こちらの宝物には「南無仏太子立像」があり、聖徳太子2歳像といわれ、南北朝時代の作と鑑定、岡山県の文化財に指定されている(冊子参照)。瀬戸内観音霊場の1つということで、この地域の観音霊場を巡るつもりはないが、歴史あるお寺でさっそくお参り。
御朱印は?と、お参りしたすぐ目の前に、書置きのものがケースに入っているのを見つけ、それをいただき、お寺の雰囲気を堪能~。立派な山門があるので、こちらから歩いて入ってくる小道があったことに気づき、帰りは山門を潜り、一礼。山門には仁王像、そして見上げた屋根の下には大きなスピーカーが備え付けられていて、町の時報を知らせるのだろうか、見た目、違和感はなく、木造建築になじんでいる。参道には石仏が並び、「良うお参りでした」と言われ?て、「ありがとうございました~」と勝手に妄想会話で挨拶をし、後にする。

大元八幡神社 - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:37:08

鳥居の交差点まで戻り、成羽町本丁商店街という通りを西へ歩く。昔ながらの商店街といった感じの、通りには個性的な“神様のオブジェ”が飾られていて、すべて陶器でできている。
「神楽ロード」と呼ばれるこの通りは、「備中神楽」という、この地域発祥の神楽があり、神楽の物語順に手作り神楽人形が置かれてある。備中神楽は、毎年行われる氏神に奉納する「宮神楽」と荒神に奉納する「荒神神楽」があり、西日本には荒神信仰が広く分布しているので、その土地の結び付きが強いのだろう、人形からその信仰心が窺える。
商店街を抜け、成羽川にかかる何という名称の橋なのか分からない橋を渡りながら、先ほど本光寺で教わった、銅を運ぶ水運業が盛んだった時代を思い浮かべては、周りの景色を見、西へ移動。緩やかな坂を上がった途中に鳥居が建ち、大元八幡神社の境内へと失礼する。随神門を潜り、至って地元の神社~といった雰囲気の社殿でさっそくお参り。
大元八幡神社の御祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の3柱。成羽城主の三村修理太夫家親が出生地である信濃国狭江から勧請し創建。歴代の成羽城主の崇敬篤く、成羽藩の鎮守として維持されてきた(ネット参照)とある。三村氏の居館跡がここに来るまでの住宅地の中に説明看板があったことを思い出し、この地から勢力を伸ばした三村氏の面影を想像しつつ、先ほどの商店街が町屋だったのかも?と、ありえない事実とリンクしてしまう。
御朱印を授かろうと、参道途中の社務所へ伺うと留守のようで、電話もしてみるがやはりいない。御朱印は諦め、今日はここまで。備中高梁駅へと戻る。

ちなみに…ホテルに戻る前に留守電が入っていて、大元八幡神社の宮司さんから、翌日の朝なら大丈夫ということで、約束を取り付け、翌朝、御朱印をいただきました~

吹屋 - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:38:06

3日目は、昨日訪れた成羽地区の北側に位置する吹屋という集落へ。大元八幡神社からバスで備中高梁駅に戻り、再びバスセンターから10:50発の吹屋行きに乗車、山深い道を走り、終点まで1時間ほどで到着。すでに車窓からベンガラ色の集落で染まる町並みを目にし、「こんなところがあるんだぁ~」と初めて知る。
冊子によると、吹屋は幕末から明治にかけて鉱山の町として栄え、硫化鉄鋼からできる赤い顔料のことを“ベンガラ”といい、赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、後世に残す文化遺産であると。昭和40年代にはその産業が衰退、残った住民たちがベンガラ豪商の町並みに、歴史的にも文化的にも価値があると、全国でも8番目に「国の重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるほどに、町並みの景観を守り続けている。
吹屋バス停から中町、下町へと下る形で小路を歩いていくと、旧片山家住宅から始まり、郵便局、郷土館、喫茶店や土産物等々と、観光地らしい町並みがそろう。赤く染まったモミジの木の下で、白猫が佇んでいる姿に惹かれ、途中で別の小路へと道なりに進むと、旧吹屋小学校の案内看板があり、行ってみることに。が、すっぽりと工事用シートで建物が覆われ、修復工事中で中へは入れない状態。なので、遠目から外観を眺めるだけで説明看板を読んでみる。元々は、三菱商会の本部敷地で、商会から譲り受け、明治42年に完成、最古の木造校舎として現役当時のまま残されていると。驚いたことに、平成24年の閉校まで使用されていたというから、それまでの現役生はこの校舎で勉学に励み、過疎化で子供の数が少なくなり、やむなく閉校に追い込まれたのだろうかと、掲載されている昔の写真を見ては想像する。
一通り写真に収め、吹屋観光案内所のとこまで戻ってくると、ちょうどお昼時。どこかで昼食をと、目に留まったカレー屋さんに入る。

スープカレー - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:39:06

カレー屋とは思えない和風な造りの戸を開けると、カレーの匂いが鼻に抜け、もうすでに食欲をそそる。昼時ということもあって、そこそこの先客がいて、テーブルや座敷から賑わう声が聞こえ、この店は繁盛しているよう。席に着き、メニューを見ると、カレーではなくスープカレー専門店で、スープカレーといえば北海道をイメージしてしまうが、私はスープカレーを店で食べるのは初。この地で初スープカレーを堪能することになるとは…。
野菜カレーや骨付きチキン等々のメニューがあり、私はビーフカレーを選択し注文。待っている間、店内を見回していると、壁には芸能人のサイン色紙、ベンガラ色のおみやげグッズ、テーブル席に着いた真ん前の、オープンキッチンの厨房が配され、忙しく店員さんが働いている。
運ばれてきたビーフスープカレーは、見た目からゴロゴロと野菜などの具が入っているのが分かり、ごはん皿にはレモンが添えられ、いい匂い。
…と、店員さんが「スプーンでごはんを掬い、スープカレーに浸して食べて下さい。途中からごはんにレモンを絞ってかけると、酸味が利いてサッパリしますよ」と。それでレモンが…と納得。言われた通り、さっそく実食。
なかなかスパイスが利いていて、柔らかい牛すじに大きめにカットされた野菜がホクホクと熱く、この冬の季節に合い暖まる。
さて、この店についてネットで調べたら、テレ朝系の「人生の楽園(2019.6)」という番組で紹介されていることを知り、「スープカレー店、つくし」はかなり有名らしい。定年退職後に実家の一部を改装してオープンしたエピソードや、地域の人たちとの交流が描かれていて、「なるほど~」地元愛が感じられる御夫婦の姿が、今にして思えば、訪れた当時、なんとなく店内が温まる雰囲気があると…カレーのスパイスしかり、御夫婦の人柄もしかり…
「あったかいんだから~」と昔のギャグを思い出しつつ、いい店で食事ができて「良かった~」と、初スープカレーを堪能できて満足×2。

おまけ - モリゾーのひとり言

2021/04/13 (Tue) 14:40:04

ホテルで、岡山県内の地域共通クーポン券をいただいたので、何に使おうか…
そういえば、岡山に来たからには、「ピーナッ豆腐」を購入しなくては…と、岡山駅前のデパートに行けばあるだろうと、いざ、===のデパ地下へ出陣。
総菜やスイーツ、弁当などの店が並ぶデパ地下は、どこの地域でも繁盛しているんだぁ~と、このコロナ禍でちょっと不安になりつつも、人の多い通路を避け、私は「ピーナッ豆腐」を目指し探す。ご当地グルメコーナーのような場所で発見し、あと、ギョーザのタレに使えそうな「ゆず塩だれ」を1本、それから、岡山に来たら毎度購入している「完熟トマトゼリー」を購入。
帰路に着き、さっそく「ピーナッ豆腐」を実食!
ほのかに風味が鼻に抜け、私の記憶にない味?なので、どう表現したらいいか…
豆腐の食感は間違いないが、濃密な豆腐?を食べているような…杏仁豆腐のような…でもないような…はっきり言えば、これはもうスイーツの部類に入る。(たぶん…)
あっという間に完食。念願だった「ピーナッ豆腐」を食すことができ、「余は満足じゃ」と、あの猫城主のセリフのようにお腹をポンポン叩くのでした~

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