寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また2、名張の旅 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:41:54

またまた連続して、4月中旬ごろの春の旅。ちなみに、5月中旬、愛知県豊川市の旅をしたので、これまた次の投稿までに時間がかかるかと思いますが、行ってきましたよ~

赤目口 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:42:42

近鉄名古屋駅から伊勢中川を経由して赤目口駅へ。「赤目」といえば、「赤目四十八滝」で有名な紅葉の名所。一度、三脚を持って一眼カメラを片手に散策し、大変満足のいく旅であったことを思い出すが、訪れた当時、ここが忍者の修行の場であったとはつゆ知らず、この伊賀忍者回廊を巡礼しだしてから知った次第で恥ずかしい。
そして、ここ赤目にモミジだけでなく、しだれ桜があるという延寿院の情報はなぜか憶えていて、行きたいと思って早10年以上、月日は経ってしまい、ようやく念願叶った…てな感じ。やはり、桜が満開の時期に来なければ意味がないので、ネットでその桜の情報をチェック。名張ではまだ「つぼみ」の表示に、気候的に春の訪れは遅いのだと分かってはいたが、地元、名古屋ではすでに満開の桜を見ていたので、なんとなく歯がゆく、4月中旬、ようやく自分の中のOKサインが出、出発。
近鉄赤目駅に到着すると、三重交通バスの乗り場が「そうそうこんな感じ」と、昔と変わっていない風景に、桜がプラスされていて良い雰囲気。秋の時期に訪れた駅前のあの、行楽シーズンの人の多さに比べ、2、3人の地元民しかおらず、そんな中で桜を愛でながらバスを待つ。

延寿院 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:43:24

バスに乗り、長閑な風景を車窓から眺めながら、いつしかバスは山林の中へと入り、滝川沿いに青々としたモミジを見、「そうそうこんな感じ」だったと、記憶がよみがえり、終点赤目滝バス停に到着。前来た時よりも観光地らしく整備されているような気がして、秋の時期に比べやはり、春の時期は人が少ない…というかいない。
今回は「滝」ではなく、「桜」メインなので、さっそく延寿院に向かう。急傾斜の坂道を上がり、もうすでに満開を迎えているしだれ桜が優雅に揺れている“姿”を見、やっとこの日を夢見て?この出会いに感動。
延寿院のしだれ桜は、樹齢約400年、幹周りが5mもある“おじいちゃん”で、何とも杖をついた、幹には“包帯”を巻いているかのように、ちょっと痛々しい?が、老翁に相応しい咲きっぷりは何とも貫禄がある。藤堂高虎公が伊賀上野城と領国安堵の祈願所として延寿院を後興されたその頃に植えたと伝えられていて、長年、ここまでお世話してきた植木屋さんや地元の人たちに支えられてきたんだと思うと、感謝に堪えない。
限のいいところで撮影を終え、境内を散策。「赤目」という名称の由縁ともされている、赤い目をした本尊、不動明王が安置されている本堂でお参り。といっても堂内を見ることができないのだが。
そもそもの起こりは、役小角(えんのおづぬ)がこの地に入り、滝に向かって行をしていると、不動明王が赤目の牛に乗って出現したことから、小さな庵を結び、その不動尊を祀ったのが始まり。赤い目をしたお不動さん。何か…レーザービームか、スーパーマンのように目からビームを発する、とんでも破壊兵器かと…思考が飛んでしまうが、それぐらい効力のある?“眼力”で人々を救い続けてきたのだろうと、勝手に想像し、しばらく佇む。
境内を散策し、庫裏へ伺うと、住職さんにご挨拶。御朱印をお願いし、当寺の起源や「赤目」に関する資料をいろいろと教えて下さる。東京にある南谷寺には「目赤不動」が祀られていて、江戸時代、徳川家光がここ、赤目の草庵を訪ね、江戸駒込にあった藤堂屋敷跡に寺院を建立し、「目赤」と名付けたというエピソード、そこから江戸には「五色不動」と呼ばれる「目黒」「目白」「目赤」「目青」「目黄」の不動さまが祀られていること、東大寺に残されている古文書に、仏法の因縁の土地であると書いてあること、この土地で見つかった木版?だったか石版?だったか忘れたが、その版から採拓したもの、桜が咲く時期に靖国神社で奉納舞を舞った巫女さんこと女性ダンサーのことetc.…と、資料をコピーしていただくほど熱心に、そのご教授を賜り、おもろい。
霊地である「赤目」は、そりゃ~忍者も修行の場としてこの地を選んだのは当然だろうと、「赤目」についての縁起を知ることができて満足×2。バスの時間となり、住職さんにお礼を述べ後にする。

勝手神社 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:44:08

赤目滝バス停から柏原バス停へ移動。そこから東へ向けて歩き、伊賀忍者回廊の1つ、勝手神社へ。田畑が広がる中を歩き、こんもりと盛り上がる木々の中央に鳥居が建ち、さらにその背景には柏原城跡がある山が見え、かつてここで、天正伊賀の乱で激戦を繰り広げた場所なのだと、歴史を重ねる。
鳥居入口から昼でも薄暗い参道石段を上がり、境内に到着。拝殿を正面に、手前にはソフトクリームのような尻尾をした2対の狛犬、左手には薬師堂、右手には夫婦杉…いや、3本生えているので“家族杉”か、すっくと伸び、私に「ようこそ」と迎えてくれている。
さっそく拝殿でお参り。
社伝によると、室町時代、当地の仕官、滝野十郎吉政という人物が大和吉野山にある勝手神社より勧請したとのことで、現在は赤目町柏原区の氏神として祀られ、それ以前の神仏習合時代は東光寺の鎮守社として祀られていたことから、元はお寺がメインであったことがわかる。ここも天正伊賀の乱で、ほとんどが焼失し、鳥居前には「決戦之地柏原城」の石碑が建ち、戦乱の世を物語っている。
境内の雰囲気を味わい、社殿に置かれた書置きの御朱印を拝受し、次は極楽寺へ。

極楽寺 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:44:47

柏原バス停まで戻り、そこから今度は西側へ、丘へつながる坂道を上がる。道の途中、地元の氏神を祀る春日神社があり、こちらもお参りして、そこから数分、極楽寺山門に到着。境内の桜が見頃を迎えていて、清潔感が保たれた境内には石畳や小さな庭が配され、玉砂利を踏みしめて本堂でまずはお参り。
極楽寺は、後鳥羽天皇の御代、道観長者が開創したと伝えられている。本尊は不動明王。十一面観音、聖観音が安置され、聖観音は道観長者の護持仏として春日仏師の作とのこと。
道観長者は東大寺二月堂を再興した人物で、二月堂といえば、奈良東大寺の春を告げる儀式「お水取り」(修二会)で有名だが、この地域の赤目町一ノ井の「松明講」と協力して松明を納めている。それは760年以上に渡り、長者亡き後も、その遺言は一ノ井の人たちに引き継がれ、今に至っている。
確か…NHKの「新日本風土記」か「小さな旅」で、伊賀市島ケ原地域(伊賀の旅)の観菩提寺正月堂での、松明を納める行事を放映していたのを思い出し、かつて二月堂で見たあの“舞台”から火の粉が落ちる、その火元となっている松明はそこかしこから集められているんだと、「へぇ~」が止まらない。そんな特色ある地域性の風土に触れ、境内を散策。
十三重石塔や地蔵菩薩像に観音像、弘法大師像、あの松明のような“薪”も少しながら置かれていて、当寺が奈良東大寺に関連していることがわかり、その薪の隣に“法印セット”が置かれているので、御朱印帳に押印する。
満開の桜を見、毎年、東大寺で行われる「修二会」は神様に感謝を伝える行事…そのお礼として神様は、“春”という季節を与えて下さったのか…と詩人?っぽいことを思い浮かべ、旅愁に浸るのでした~

丈六寺 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:45:34

柏原バス停に戻り、最終便の名張駅行きのバスに乗り、丈六バス停へ。そこから初瀬街道を西へ、“街道っぽい”通りを歩くと丈六寺がある。丈六寺は伊賀四国霊場の1つであり、その名称に惹かれ立ち寄ってみた次第。無人であるということは知っていたが、門や敷地を囲う塀もなく、その寺域に本堂を始め、石碑や五輪塔、灯籠、稲荷社他、あちこちに配されている。まだ新しい説明看板があるので読んでみると、本尊は釈迦如来、創建は空海さんが大和国へ入ったとき、室生寺建立にあたり、室生寺四門の北門の霊地として開創したとある。平安時代には斎王好子内親王が伊勢神宮より帰郷の際に、当寺に一泊されたこともあり、大坂奈良方面と伊勢を結ぶ初瀬街道を行幸した風景が目に浮かぶ。
大般若経、法華経、釈迦涅槃図が寺宝としてあるらしく、鎌倉時代作の東大寺別当、良弁僧正の供養塔「石造五輪塔」は市内最古とされ、去年修復されたと、市の有形文化財もある。
そんな寺宝が残されている丈六寺本堂でお参り。境内にある兵隊さんの銅像が若い容姿なので、地元出身の方なのだろう、夕暮れ時の悲壮感と相まって、戦争で亡くなった英霊にも心の中で祈る。

青蓮寺地蔵院 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:46:30

名張駅の近くのホテルに宿泊し、東口バスターミナルから出る百合ヶ丘線のバスを先頭で待っていると、おばちゃんが私の前に割り込んで、何事もなかったかのように先頭に立つ。
「はぁ?(心の声)」と文句の一つも言いたかったが、嫌な気分で旅をぶち壊しにされたくない思いが勝り、ここは我慢。
バスは百合ヶ丘という住宅地の中を周回し、学生たちが学校前で降りていく。あのおばちゃんはどこで降りるのだろうかと注視していると、小学校前バス停で下車し、校内へと入っていく。
「!」「教育者なのか!?」と目を疑ったが、用務員のおばちゃんかもしれない…世の中、あ~いう奴がいるから…どーしようもない腹立たしさを胸に収め、目的地の百合ヶ丘バス停に到着。
坂道を下ると「青蓮寺湖ぶどう」という幟が道端に掲げられていて、この地域がぶどうの名産であることが分かる。…といっても、「名張」といえば、どうしても「名張毒ぶどう酒事件」を思い浮かべてしまい、この事件が、観光に多少影響を及ぼしていることはあながち否めないと、勝手に私は思ってしまっているのだが。
…で、この地域は「青蓮寺湖」という風光明媚なダムがあることは知っていたが、ひょっとして「青蓮寺」という名称になっているということは、お寺があるに違いないと、グーグル地図で調べてみたが出てこない。近くには「地蔵院」という表示だけで、この寺を調べてみると「多宝山地蔵院」という「青蓮寺」の名称起源になった寺であることが分かった。
平安時代、空海がこの地に立ち寄り、草庵を建立。その時、中国から持ち帰った蓮の種を撒いたところ、池に青い蓮の花が咲いたことから村人たちは、村の繁栄の兆しと、草庵に大日如来を祀り、この地を「青蓮寺村」と名付けたそうな。
そんな云われを知ったところで、地蔵院を訪ねることにし、一山をぐるりと回り込むように歩く。長閑な田舎風情漂う田畑広がる山間の坂道を上がっていくと、山郷に咲くしだれ桜があちこちに植えられていて、まだ3分咲きといった感じ。まだ山間では気温が低いのだろうと、すでに丘の上に本堂などの伽藍が見えるが、太陽を背に陽射しが当たっている春の陽気に、満開はもう時期だと予想する。
境内にたどり着くと、清潔に保たれた雰囲気の中、整然と並べられた甕が配置され、この寺の由縁でもある蓮の花かと、青い蓮が咲くのだろうかと…そんな奇跡が現代で起こるだろうか…青いバラができるのなら、掛け合わせでとか遺伝子組み換えとか…何とかできそうな気もしないではないが…。そう考えると、青く咲いたその花は、弘法大師の成せる技か、そんな“世にも奇妙な物語”の世界に浸りながら、本堂でお参り。
御朱印はこちらもセルフ式で“法印セット”から御朱印帳に押印し、青蓮寺ダムを目指す。

青蓮寺湖(1) - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:47:13

里山から青蓮寺ダムを目指し歩く。…と、途中、杉の大木に囲まれた社域の雰囲気に思わず立ち止まりお参り。国津神社という、看板にはテレビでも紹介された縁結びのパワースポットと書いてあり、杉と松の根本の幹が一体化し、“夫婦木”として祀られていて「へぇ~」と、地元の氏神さまに挨拶して歩を進める。
住宅街の端っこの道路を歩き、ほんとにダムにたどり着けるのだろうかと30分ほど、アーチ状の“青蓮寺湖へようこそ”の看板が私を出迎え、湖が広がる景色が見える。そんな湖の大きさをまずは俯瞰できる展望台があるので、そちらへ遊歩道を上がっていく。が、登れば登るほど木が生い茂り、結局、見えない。
「展望台じゃないじゃ~ん!」
仕方がないので、中腹の公園へ下り移動。公園はそこそこの人の姿があり、やはりお目当てはダムと桜とのコラボ風景。晴天に恵まれ、桜も満開、波のない穏やかな湖面を見渡せ、確かに風光明媚な景色が見渡せる。しばらく撮影に夢中になり、同じアマカメの人や犬の散歩と、かなり長閑な雰囲気を醸しだす春の陽気に、私はバスの時間を気にしつつ、忙しくダム側へと向かう。

青蓮寺湖(2) - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:47:56

青蓮寺ダムは淀川水系の木津川上流ダム群の1つ。建設省からではなく、公園が手掛けた昭和39年から建設が始まり、昭和45年に完成。アーチ式コンクリートダムで高さは82.0m淀川沿岸や名張川の洪水調整のため造られた。ダークサイドな点から言えば、建設にかなり亡くなられた方がいたとか、自殺の名所でもあるとか後から知ったが、とにかくこの高さから望む風景は、素晴らしいというのと、恐ろしいというのと表裏一体の理を表している。
青蓮寺湖はバス(魚)釣りなんかも有名らしく、春秋の季節と、名張では観光スポットとして知られ、昨今では、ダムへの意識が高いことをよく耳にし、全国のダムカードなる収集家の趣味の人たちも増えているんだとか。私らの年代はどうしても、建設反対派や推進派による村の分断、ゼネコン、汚職などの負のイメージが湧いてしまうが(私だけかも…)、ここも沈んだ村があり、勇壮に聳えるダムの傾斜を眺めては、どこか喜べないところもあって、少し悲壮に似た感情になるのでした~

比奈治ダム - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:48:43

青蓮寺湖ダムバス停から名張駅行きのバスに乗り、夏目バス停で途中下車。ここは前回訪れた積田神社の近くだが、同じ夏目バス停から出る奥津線のバスは1時間ほど時間があるので、積田神社をもう一度参拝。社務所近くに関係者がいたので、御朱印について聞いてみると、「今日は総代がいないから申し訳ない…」と、今回も残念。まぁ~、またいずれ訪れるので「ありがとうございました」とお礼を述べ、バスの時間まで境内の休憩所で待機することに。
そして、夏目バス停から比奈治ダム前バス停へ移動。バスはかなり山里の中を通り、山林の中のバス停に到着。次の目的地は伊賀忍者回廊の1つ、赤岩尾神社。比奈治ダム前バス停から約1時間ほど歩かなければならない。この赤岩尾神社だけポツンと離れた場所にあり、公共交通機関を利用するには、この方法しかないので苦労する。
アスファルト道路を道なりに歩き、トンネルを抜け、比奈治ダム展望公園という場所にたどり着き、桜が咲いているのでしばらく休憩タイム&撮影タイム。
比奈治ダムについて少し調べてみたが、1998年に完成したダムで、先ほどの青蓮寺ダムから北東に位置し、こちらも淀川水系の木津川上流ダム群の1つ。住民のダム建設反対もあったが、結局は補償交渉も妥結され、20戸が水没していることとなっているらしい。そんな出来事を忘れる?かのように、今では見学やライトアップなどの観光スポットとしても知られているようだ。
桜は満開を迎え、静かな湖面に映えるように咲き誇っているが、こんな話を聞くと、この桜も何だか違った風情に見え、どこかもの悲しく感じるのは気のせいだろうかと、先を急ぐ。

赤岩尾神社 - モリゾーのひとり言

2022/07/05 (Tue) 09:49:31

ようやく案内看板を見つけ、そこから山林の中の道路へ入っていく。その入口付近は、林の中にゴミが散乱していて、神聖さが欠けてしまうイメージがつき、どうしてこうした行為に及ぶのか、どうしてマナーの悪いドライバーがいるのかと嘆く。
山道を上がり、たどり着いた駐車場には石碑が建ち、そこから小さな鳥居を潜り、さらに参道が上へと続いていて、しんどい。しばらくすると、こんな高い所まで登ってきたんだと、遠くには比奈治湖が見え、第2鳥居付近はベンチもあり清々しい。
赤岩尾神社は勝負運に御利益のある神社。柱状節理の奇岩が多くあり、平安の昔、藤原政格に反抗した貴族、藤原千万将軍が祭神の赤岩尾大神に戦勝祈願をしたことにより、それ以来、武運の神として崇められ、赤岩尾の名が知れ渡ったという。
藤原千万将軍は伝説によると、四鬼の怪人を従えていたそうで、どんな武器も弾き返してしまう鋼のような体を持つ「金鬼」、強風を繰り出し、敵を弾き飛ばす「風鬼」、水を操り洪水を起こして敵を溺れさせる「水鬼」、姿を消し気配を消して敵に襲い掛かる「隠形鬼」と…忍者の原型?として、その関りを示していると。
そんな鬼でも住んでいそうな敷地内へと失礼すると、手水舎でコンコンと湧き出る水で清め、社殿は脇に逸れた石段を上がったところにあるので上がる。社殿の上を眺めると、柱状節理の奇岩が折り重なるようにあり、まさに“岩”を御神体としているかのように、参拝客は自然と上を見上げ祈るのだろうと、私も自然と見上げて手を合わせる。
社殿からさらに奥には「風穴」と呼ばれる、1年中、風が吹き出ているところがあるのでいってみると、ぽっかりと開いた穴が見え、伊勢市高尾にある千万窟にも風穴があるらしく、そことつながっているという話もあり、「本当にそうだろうか…」と覗く。
「風?」というほどのものは感じず、じっと穴ばかり見ていると、鬼に吸い込まれそうなので限を付け、無人の社務所へ。こちらもスタンプ式の御朱印なので、押印し、境内散策にゆっくりしてしまったので、帰りは急いでバス停へと向かう。
これで、伊賀忍者回廊は残り1つとなり、忍者ゆかりの地を巡ることができて満足×2。

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