寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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倉吉の旅(3) - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:50:16

大分遅れてしまいましたが…、毎度のこと、忙しい日々を過ごしておりまして…中々、投稿に費やせる時間がなく、まぁ~、相変わらずのことと捉えていますが…
さて、倉吉の旅も後半ということで、次に投稿予定の赤穂の旅も遅れそうですが、2月は京都へ久しぶりに節分を満喫しに行ってきました。いずれ載っけますが、安倍晴明ゆかりの地を訪れ、「鬼」をテーマ?にしていろいろと京都市内を周遊…って、
この分だと「京都の旅」の投稿は初夏ぐらいに…なって…しまいそうな…予感…
…ということで、昨年の11月の倉吉の旅をどうぞ~

倭文神社 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:51:09

4日目。倉吉市の北東に位置する東郷池方面に、伯耆国一宮の倭文(しとり)神社がある。東郷池といっても湖ほどの大きさの池で、その周辺には、東郷温泉、はわい温泉があり、地図上では池から北に、もう日本海が迫っている場所である。
倉吉駅より松崎方面のバスに乗り、藤津バス停で下車、そこからスポーツ施設や公園の中を通り、道なりに進むと、徐々に山の中へと入っていくような、所々梨園が見えてきて、この地域は梨農家の集落なのだろう、梨木の特徴的な枝分かれした木々が生えている。
歩いて40分ほどで倭文神社の駐車場に到着し、傍らには大きな梨が袋詰めでコンテナに置かれていて、無人販売をしている。値段が安いので買いたい気持ちは山々だが、なんせ大きすぎる…こんな大きな梨を持って帰るのも一苦労と諦め、神社境内へと失礼する。
安産岩や夫婦岩が鎮座している先の、カーブの石段を上がり、神門を潜り、木々が生い茂る中の参道を歩き、途中、下照姫命のお墓とされていた「経塚」という看板があるので、まずはその石段を上がることに。
たどり着いた場所は、ちょっとしたスペースに誰かが穴を掘った跡のようにぽっかりと、その周りに囲いがしてあり、石碑が建っている。古来、下照姫命が葬られた墓と伝えられていたが、大正時代に発掘されたとき、中にはお経が(銅経筒に)納めてあったという。現在は東京国立博物館に収められていて、国宝指定されている。お墓と知りながら、よく掘り返したものだと、ぽっかり空いた穴に、なんとはなしに手を合わせる。
下照姫命は当神社の御祭神。大国主命の娘であり、出雲から海路を経て当地に住居を構え、この地で亡くなるまで、安産指導や農業開発、医薬などの普及に尽力された神様。由緒には創建当時、主産業であった倭文(しづおり)の織物を産んだ倭文部の祖神、建葉槌命(たけはづちのみこと)を主祭神とし、当地に関係の深かった下照姫命を加えて祀ったとある。平安時代から神宮寺も多数建立されたが、戦国時代には神社のみとなり荒廃、尼子晴久が社殿を造営し、その後、神領を中絶したが、羽衣石城主の南条宗勝が復旧し、歴史の浮き沈みを辿っている。今では安産祈願で有名な神社として知られ、この日も、朝早くからの参拝客が見られ、真っすぐ延びる石畳参道を歩き、拝殿でお参りする。
朝の清々しい気分のまま、社務所で御朱印をいただき、お礼を述べ、下照姫命に別れを告げる。

松崎神社(1) - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:52:01

再び来た道を戻り、藤津入口の交差点まで来ると、地図上で見かけた松崎神社を訪れることに。予定にはないが、どうも気になったので、集落の中の街道筋を歩き、こんもりとした森を見、「あそこだな…」と、案の定、鳥居が建っている所へ。
ネットによると、宿場町として栄えた松崎宿の氏神として、宮坂という土地に松崎大明神と称して鎮座していたという。御祭神は天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野豫樟日命で、元禄年間に現社地に移転し、明治に松崎神社に改称されたとある。鳥居近くの看板には沿革として、山名氏や南条氏の崇敬が篤く…云々と書かれており、倭文神社同様、当時治めていた武将たちが戦勝祈願だろうか、お参りをしていることが分かる。
石段を上がり、鬱蒼と茂る木々の中、斜面に一本だけ一際目立っている御神木が生えている。龍なのか蛇なのか、そんな姿に見える蔦?が木に巻き付いていて、かなり大きい。樹齢350年の椎の大木とのことで、私をこの地へ呼んだのはあの御神木なのだろうかと、しばらく眺める。
社殿は至ってシンプルに古さも感じるが、地元の神様にお参りし、鳥居横に社務所があるので御朱印があるかどうか聞いてみることに。
「宮司なら夕方に帰ってくる」とのことなので、今日の旅の行程の中で、時間があれば後ほどお電話するかもと、申し送りをし、お礼を述べ次へ。

龍徳寺 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:52:50

松崎神社から南へ、JR山陰本線の線路を越え、東にある龍徳寺へ。伯耆国三十三観音霊場の1つということで、境内の庭の写真をネットで見、訪れた次第。山門前には、季節外れの四季桜が咲いていて、思わずカメラに収め、秋に桜?と思うかもしれないが、愛知県豊田市には四季桜とモミジのコラボ風景が撮れる場所があり、そのことを憶えていて、まさかここで出会えるとは…と、しばらく眺める。
山門を潜り、まだ新しく建てられたような本堂や庫裏、客殿など、四方に囲まれた庭にはモミジの木々が植えられていて、まだ中途の色合いだが絵になり、ここでもしばらく雰囲気を楽しむ。
龍徳寺の歴史は、宝暦年間や天明年間の時代に火災に遭い、古記録が焼失してしまったので、開創の事情が分からないが、檀家が多く、大伽藍を誇っていたという話は伝わっているらしい。戦時中は鐘楼も、金属供出で姿を消したとのことだが、この鐘は近郷の信者が金や銀の髪飾り、装身具などを投じて鋳造され、音響の余韻も優れていた大梵鐘であったと云われている。
境内には、今では小さい鐘楼が配置されているが、かつては響きの良い鐘の音が松崎宿の町に鳴り響いていたのだろうと、幻の音を想像しつつ、庫裏で御朱印をお願いし、拝受。秋の装いの境内を眺めながらお礼を述べ失礼をする。

大伝寺 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:53:34

JR山陰本線沿いを南西へ。東郷川を渡り、一際、中国様式の建物が東郷池側に見える風景を見ては、田畑の一角に咲く花畑で手入れしている地元の方々に「こんにちは~」と挨拶。
次に向かう大伝寺の方向を教えて下さり、ようやく到着する。
こちらも伯耆国観音霊場の1つで、平安時代の開創。こちらにはあの、中将姫の遺跡を分移してるそうで、それが訪れたきっかけだったが、ネットで調べても、なぜ“分移”したかまではわからない。そんでも、「九品山会式」という練り供養の儀式は大和国葛城の當麻寺と同じように行われるようで、當麻曼荼羅の信仰心が伝わっているのだろうかと、勝手に想像する。
境内へと失礼すると、先客がいて、私に気を利かせて住職さんに聞いて下さり、御朱印を拝受。まだお参りもしてないのに先に御朱印をいただいたので、しっかりとお参りしようと、本堂へ移動。本尊は十一面観音菩薩で、本堂脇には中将姫の石像も鎮座していて、両方お参り。境内は線路沿いに長~い敷地となっていて、本堂から奥へと進むと山側には墓地、満州開拓団の犠牲者慰霊碑や不動明王の石像、かつては大木であった木が上部からすっぱりと切り取られた古木など配されていて、羽衣石城主の南条貞宗の子、景宗が自身の景宗寺とここを兼務していたことから、寺領が与えられたのだろうか、かなり敷地は広い。
そんな境内を一通り散策し、中将姫ゆかり?のお寺の雰囲気を味わう。

小鴨神社 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:54:27

引地バス停から倉吉駅で乗り換え、広瀬線のバスで大宮バス停へ。
この地域は小鴨地区といい、昨日訪れた大日寺や福富神社、関金温泉地域の東隣に位置する。
「小鴨」は、平安時代末期から続く伯耆の名家、小鴨氏が住んでいた所で、古くから小鴨郷内の18ケ村の総氏神として小鴨神社が祀られていて、小鴨神社は、山城国の下鴨神社から勧請されたと伝わり、京都の地名に酷似した村名がこの地域にはある。
そんな小鴨神社神門前には、大きな灯籠が出迎え、さっそく境内へ失礼すると、檜の御神木や重厚感ある拝殿がで~んと建っている。
拝殿でお参り。本殿も入母屋造りの、向拝上の唐破風屋根がごっつく立派で、境内の雰囲気を味わう。
さて、ネットによると、こちらの神社には国内で5番目に最古と云われている「三十六歌仙扁額」がある。三十六歌仙とは、平安時代に藤原公任が和歌に優れた36人を選定した「古今和歌集」などの歌集が元で、扁額に歌や歌人の人物画を描いた代物。かつては播州完粟郡(現・宍粟市山崎町の南部)の八幡宮(現・山崎八幡宮)に願主である宇野豊後守、源村直が奉納したもので、本来6枚組であったが、寛永9(1632)年、池田光政、光仲の国替えの年に2枚を欠いた4枚組を、小鴨神社に移された可能性があると伝えている。なんせ、500年も経ち、経年劣化により読みづらい部分が多いことから、修復を行い、復元模写してレプリカを公開したという、山陰地方に伝わる歌仙額としては、朽ちかけた美術工芸品であると、朝日新聞の記事で紹介されている。“ものほん”はここにはなく、復元模写であれば、事前連絡をすれば拝観できるとのことで、そんな貴重な宝物があるとは知らず、「へぇ~」と頷く。
御朱印は神社から離れの、宮司さんの自宅?にお伺いして書置きを拝受し、お礼を述べバス停へ。先ほどの松崎神社への再訪のめどが時間的に空きそうなので、電話連絡し、夕方18:30のお約束を取り付け、次の目的地へ。

倉吉八幡宮 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:55:16

大宮バス停から倉吉駅行きのバスに乗り、八幡神社前バス停で下車し、坂道を上がる。小高い丘の上にある倉吉八幡宮はその名の通り、八幡さま、つまり応神天皇を祀る神社。
創建については諸説あるらしく、神戸市にある生田神社から勧請されたとか、京都の石清水八幡宮から分霊を勧請したとか、小鴨庄の豪族、水谷出羽守が鹿首村(後に生田村に改称)に宇佐八幡宮を祀ったとか、よくわかっていない。
広い駐車場から鬱蒼と茂る森の中へと誘うように鳥居が建ち、さっそく参道を歩いて行くと、随神門、長い石段、そして開かれた敷地には古めかしい拝殿本殿と建ち、お参り。ぐるりと本殿側へと行くと、社殿周囲の岩盤に建つ本殿の下、拝殿と本殿をつなぐ回廊の下にも垂れ幕が掛かり、拝所があるので、ここがメインのお参り場所か…と、ここでもお参り。境内を散策すると、小さな社があちこちに配されていて、お稲荷さんや荒神社など末社もある。
八幡宮らしい?境内の雰囲気を味わいつつ、再び境内から駐車場の方にある社務所へ移動し、昨日訪れた国庁裏神社の御朱印も合わせていただき、倉吉市の八幡さまにお礼を述べるのでありました~

長谷寺 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:56:03

倉吉八幡宮の東側、国道38号線を北へ数分、中国33観音霊場の1つ、長谷寺を訪ねる。倉吉市には2つ、ここ長谷寺と2日目に行った三佛寺が霊場箇所で、まだまだ鳥取市内に3つ、山口県にはほとんど訪れていないので、満願には程遠い。
案内看板通り、山道へと導く整備された石段参道を上がり、途中、江戸時代に倉吉を治めていた藩家老の荒尾氏の墓所を見、再び登りが続く道を歩く。しばらくすると、庫裏と本堂への分かれ道にようやくたどり着き、先に本堂への道を行くと、目の前に現れた「懸崖造り」と呼ばれる、崖に柱を幾重にも建てた、京都の清水寺の縮小版のようないでたちがお目見え。その脇を歩き、八脚の仁王門、その先の鐘楼や地蔵堂、籠り堂などが建つ伽藍を見ながら本堂の東側から堂内へ。
中に失礼すると、薄暗い堂内には休憩できるベンチが所狭しと設置され、床の板が歩くたびに軋み、大丈夫だろうかと、年季が入っている造りを味わいつつ周りを見回す。外陣の向拝上には奉納絵馬がいくつも飾られ、こちらには、絵馬から抜け出して畑を荒らした馬の伝説が残っているらしいが、その馬が描かれた絵馬はなく、「武者絵」や「風俗絵」「歌舞伎絵」など、当時の庶民信仰、民俗等を知る貴重な史料として残っている。
格子で仕切られた内陣には、隙間から見える仏像群が並び祀られていて、さっそくお参り。
長谷寺は、法道上人によって「北谷の長谷(ながたに)」という所に開かれた後、ここ打吹山に移されたと伝わる。本尊は十一面観音菩薩坐像。厨子の中に安置されているので、見ることは叶わないが、写真パネルでの見た目は、髪を結いあげた頭頂部に如来の仏面を、その周囲に菩薩面を10面付けた、いわゆる“11面”で、肉付きの良いふっくらとしたお顔立ちをしている。十一面観音での坐像は珍しいのか、今まで立像のイメージしかなく、貴重なモノではないかと勝手に想像を膨らませる。
厨子も特徴がある。室町時代後期の山陰地方最古の厨子で、鎌倉時代に中国から伝わった「禅宗様」という建築様式で、格子の隙間からなので見えにくいが、屋根の反り具合が素晴らしく、本尊は見れなくても、この厨子を見れただけでも価値がある。
外陣から舞台へと移動し、心地よい風が通り抜け、山側の黄色いモミジが揺れて境内の雰囲気に色を添え、登ってきた疲れを癒すためにベンチで一時の休憩。
しばらくして、先ほどの分かれ道まで戻り、庫裏で御朱印を拝受。中国観音霊場もあと半分ぐらいだろうか、着実に消化できて満足×2。

白たい焼き - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:56:48

長谷寺から来た道を戻り、昨日訪れた円形劇場の横を通り過ぎ、広瀬町バス停から白壁・土蔵群バス停で下車し、「打吹回廊」という休憩施設でネット検索。時刻は14:00すぎで、この日はまだ昼食を取っていなかったので、軽食をと、倉吉では有名なたい焼き屋さんが近くにあるので、行ってみることに。
米澤たい焼き屋さんは小ぢんまりとした店構えで、全国どこにでもありそうな大判焼きやタコ焼きなど気軽に立ち寄れる鉄板屋さん。店先でたい焼きを焼いている姿が見え、鉄板の海にたい焼きがいっぱい泳いでいる。
店内でも食事ができる席があるが、打吹回廊で食べたいので、持ち帰りとし、たい焼きとタコ焼きを購入。打吹回廊のベンチで遅い昼食を取り、旅先での、しかも外で食べるという美味しさがプラスされて旨い。たい焼きは薄皮の、意外ともっちりとした食感で、中のあんこも甘すぎず、これなら何個でも食べられる。さすが人気店だけのことはあると、美味しくいただきながら、18:30の松崎神社でのお約束まで時間が余っているので、どうしたものか…
はわい温泉か東郷温泉か、どこか日帰り入浴できる場所をネット検索。バスの時刻を調べ、まずは、はわい温泉の、とある旅館に電話してみると、午前中のみということで、東郷温泉に行くことを決意し、ちょうど、午前中に訪れたあの、中国様式の建物が東郷温泉の温泉施設であることを知り、再び倉吉駅へ移動する。

ゆアシス東郷龍鳳閣 - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:57:35

倉吉駅から松崎・北谷線のバスに乗り、引地バス停で下車。広大な田畑が広がる中に、突如として現れる中国様式の建物が目立ち、「燕趙園」という施設で、中国の皇家園林をテーマにした日本最大の中国庭園らしい。
その隣に建つ温泉施設「ゆアシス東郷龍鳳閣」。広い駐車場にはそこそこの車が止まっていて、地元の健康ランド?のような雰囲気を醸し出していて、さっそく入る。
こちらの施設では、水着で入るコースと、裸で入るコースと分かれていて、水着だと男女混浴でいろんなお風呂の形態を楽しめることができるが、シャンプーなどで体を洗う行為はできない。逆に裸コースは1つの湯船しかなく、体を洗えるというしくみになっていて、水着で入るコースを選択。
受付で、レンタル水着、バスタオル等を借り、脱衣所で着替える。こんな形のロッカーは見たことない特殊なロッカーで、上部が荷物用に置けるスペース、その下の、服など入れるスペースが細い…
『 (←こんな形)のがずらりと並び、「へぇ~」と使い勝手がちょっと不便な形に服などを押し込み、いざ入湯!
第一印象は、本当に温泉なのだろうかという、見間違うほどアスレチックにとんでいて、ジェットバスや寝湯、足ツボが引いてある上をぐるりと一周歩く運動湯、中国の鉱泉石を使った薬湯、露天風呂、サウナに水風呂…と、「あれっ」
子供用?のウォータースライダーまである!
私が入った時間帯が夕方近くなので、お年寄り率が高く、ウォータースライダーで遊ぶ子供はいないが、ちょっとやってみたい衝動に駆られるが、この歳ではさすがに恥ずかしさが勝り、いろんな温泉を楽しむことに。旅の疲れを癒し、露天風呂からの眺めも最高で、1時間以上堪能し、風呂上りはコーヒー牛乳を一気飲みで休憩。これで倉吉の温泉を3つ体験し、時間までゆったりするのでした~

松崎神社(2) - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:59:00

時刻は18:00。秋の夕暮れは早く、もう辺りは真っ暗。松崎神社さんとのお約束に遅れないように、引地バス停へ。このバス路線は本数が少なく、倉吉駅行きの帰りのバスはもうないため、帰りは近くのJR松崎駅からJR倉吉駅への移動手段を計算に入れている。
藤津バス停へ移動し、午前中に歩いた道を再び歩き、松崎神社に到着すると、社務所付近は提灯の明かりが灯っていて、風情がある中、さっそく訪問。
「こんな時間に御迷惑おかけしてすみません」と恐縮しきりでご挨拶すると、「どちらから?」の問いに、名古屋からの訪れを伝える。
「それはそれは」と労って下さり、奥から何やら大きいものを持ってきて、
「これ、どうぞ」と手渡された大きな梨。
「えっ!いいんですか!?」
「いっぱいあるからいいんですよ。どうぞお土産に。」
「あ、ありがとうございます!」
ハンドボール…いやバレーボールぐらいはありそうな梨2個を両手に、ずっしりと重い手ごたえに
「こ、これはどうやって持って帰ったら…(心の声)」
そうこうしていると、御朱印を書き終えて拝受。まさかのお土産に感謝×4を述べ、重量感あるリュックを背負い、別れを告げる。

後日、帰路後に食べたみずみずしい梨の味わいに驚き、ひょっとして…高級品ではないのか…と、本当にこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました~

写真は、なしっこ館の食べ比べ梨。

小川氏庭園「環翠園」(1) - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 14:59:49

5日目、最終日。午後からは帰郷ということで、午前中までに散策できる場所をと、この旅の計画をしている時点で、小川氏庭園「環翠園」のことをネットで見つけ、金土日の時間予約制ということを知り、金曜日の9:30の時間帯の予約を入れている。
河原町バス停で下車後、小鴨橋近くにあるイチョウの大木が見事に生えていて、河原町のお地蔵さんが出迎えて下さる。
ここは河原町。円形劇場の北西側に位置し、明治から大正時代に建てられた庄屋の町並みが見られる地域である。そんな風情ある町並みを歩き、小川氏庭園に30分早く到着。塀から顔を覗かせるモミジの色彩に、すでに庭園の素晴らしさを期待してしまい、しばらくカメラ撮影に夢中になっていると、後ろから法被を着た案内の方が現れ、
「〇〇さまですか?」と。
「はい、〇〇です。すみません、ちょっと早く来てしまいました」とご挨拶。
「あの~、実は…あなたさまが当園〇〇〇人目(忘れたがたぶん100単位)のお客様で、今日、ちょっとしたご贈答品とお花、それから地元の新聞社からの取材にご協力いただけないかと…」
「えっ!私がですか!?」
まさかのサプライズに「うそ…」と、ラッキーなのかそうでないのか、唸ってしまったが、プレゼントをいただけるというのであれば、「ま、いいか…(心の声)」と了承。
そうこうしていると、当園の館長さん?を始め、スタッフの方々とご挨拶し、事務所のような場所でいろいろとお話をする。

小川氏庭園「環翠園」(2) - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 15:00:48

記者の方たちも到着し、出身や年齢など質問され、門前で記念撮影(恥ずかしい…)。当園を順番に案内、説明をしながらさっそく園内へと入る。
小川氏庭園は、小川家6代目当主、小川貞一が神戸の庭師に築かせた池泉式回遊庭園で、国の登録記念物、鳥取県指定文化財の名勝であると。貴重な絵画や彫刻、陶芸などの文化的遺産も所蔵していて、鳥取県の茶道、作庭文化に大きな影響を与えた庭園であるらしい。
小川氏とはどんな人物か。まずは小川家の歴史を紐解くと、屋号を中江(恵)屋とし、3代目の富三郎の時代に酒造、綿の商売で財を成し、4代目の貞四郎のとき、銘酒「久米川」を販売、製糸場も設け、県下有数の生産額を誇ったという。6代目の貞一の時に、小川合名会社を創立され、大正4年に銘酒「打吹正宗」に改め、醤油会社なども興し、近代倉吉の代表的な実業家、政治家として活躍した。そんな貞一さんは文化芸術を愛した数寄者で、文化人や財界人を招いて交流を深めたと。
そんな「環翠園」と名付けられた「翠」は、鳥の「カワセミ」とも読み、今朝、当園にカワセミの姿を現したと、幸福の前触れではないかと、案内の方もテンションが高い。
正門近くにある小川酒造のシンボル、赤いレンガの煙突から始まり、庭園内をぐるりと回る。大坂の三大市場を記した大阪の道標石碑や、池の中に配された亀に模した石、十三重石塔、かつて、茶室「洗心亭」があったとされる礎石、腰掛け待合所、滝組、井戸等の説明を受け、石段、飛び石の小道をゆっくり歩く。

小川氏庭園「環翠園」(3) - モリゾーのひとり言

2023/02/28 (Tue) 15:01:47

園内には茶亭「南山荘」が建つ。松江藩主であった松平不昧公が設計したとされる有澤山荘「向月亭」と「菅田庵」(国重文)の写しで、三朝にあった「幽篁亭」を移築したもの。池、南山荘、打吹山の借景と、計算された風景に、おもわず「お~」と感動し、池水は外の鉢屋川(外の垣根周りを流れている小川?)の流れを直接引水し、再び川に戻しているとのことで、設計もよく考えられている。
南山荘へ入室。床の間の掛け軸を始め、吸物椀や陶器類が置かれ、座敷の、どこから座って見ても、美しく見えるように工夫がされていて、最後は子孫の方とご挨拶。
「この度は、ようこそお出で下さいました」と丁寧に挨拶され、こちらも恐縮して
「この旅の最後に、こんな素晴らしい庭園を見ることができて、ありがとうございます」と素直に感動を伝える。
なんだか、この場にいる空間が皆、幸せな雰囲気に包まれたような気がして、案内の方が言っていた、これも当園に訪れたカワセミが幸せを運んできてくれたのか、どうかは分からないが、感謝×2。
倉吉の歴史をいろいろとお話して下さり、今回の旅も記憶に残る思い出の旅となりました~

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