寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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赤穂・岡山の旅(1) - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:36:15

ようやく春らしい季節となり、今年も桜の開花が早すぎるくらいの温暖化の気候…そして花粉症…2月下旬位からもう、私の鼻センサーはすでに反応していて、目がかゆい、鼻水等に悩まされている。まだしばらくはマスクなしでは、この花粉に太刀打ちできない最中、花見散策でもしたいが、これが中々、外へ出るのにも躊躇してしまう。
…とまぁ、たぶん我慢して出掛けてしまうのであろうが…
…で、今回の旅は12月中旬に行った赤穂の旅。久しぶりの赤穂を散策してきました~

善光寺 - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:38:52

今回は2泊3日の旅。12月14日は赤穂市で赤穂義士祭りが行われるので、それに合わせ宿を…と思ったが、赤穂市内のホテルはどこも満室で、どうしたものか…と。
赤穂市の隣、相生市内のホテルを検索すると、空室が目立ち、1泊目は相生駅近くのホテルを確保。これで翌朝、JRで赤穂市に入ればいいやと、相生市内の寺社を調べ、初日の旅は駅から南に位置する善光寺を目指す。「善光寺」といえば長野県。今年は御開帳で盛り上がった情報がニュースなどで知り、兵庫県にも善光寺ってあるんだ…と、さっそく今日泊まるホテルに荷物を預け、マップ通り歩いていく。
瀬戸内海から深い入り江にある那波港にたどり着くと、漁船やヨットなどが停泊しているハーバーを見、駅から歩いていける距離に港があるとは、津波でも来たらどうなるのだろうと思いつつ、こんもりとした山が聳えている。
入口には「大島城跡」の石碑が建ち、山城らしく、鬱蒼と茂る木々の中を上がる。10分ほどで頂上にたどり着くと、城跡の案内看板や住吉神社の建つ敷地となっていて、その奥に小規模な本堂が建つ善光寺が見える。
ネットによると、善光寺は室町時代、赤松円心の家臣、海老名家の山城、大島城跡に海老名家の菩提寺として建立したのが始まり。大正時代まで天台宗、浄土宗、浄土真宗と宗派を変え、昭和3年には信州善光寺から御分身を受けて、寺号も善光寺の名称を冠したことを許されたという。現在は真言宗醍醐派の寺院として至り、平成7年の阪神淡路大震災での老朽化した本堂が致命的となり、建て替えしたとある。本尊は一光三尊、善光寺阿弥陀如来。脇侍に金剛界、胎蔵界の曼荼羅も祀り、不動明王や大日如来、薬師如来、如意輪観音と安置している。
12月半ばだというのに、赤く彩るモミジを愛でながら本堂へと赴き、阿弥陀如来はお前立であるが、しっかりとお参り。庫裏で御朱印をいただき、兵庫県の善光さんにお会いできて感謝×2で次へ。

若狭野天満神社 - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:39:38

来た道を戻り、那波港から東へ。播磨病院前バス停へ移動し、榊行きのバスに乗車して、宮の尾バス停で下車。高速道のような国道2号線から北へ、若狭野町野々という集落を歩いて行くと、立派な灯籠、鳥居、その奥の坂道参道がずずず~ぃ~と、真っすぐに気持ちがいいほど伸びている。
若狭天満神社は、「あじさい神社」「若狭野の天神さん」と言われていて、初夏には周囲の山林にあじさいが咲くと、遠方からの参拝客も多く訪れるらしい。御祭神は菅原道真公と、天忍穂事命(あめのおしほみみのみこと)、つまり天照大神の御子。この2柱が祀られていて、近年では「魔除け天神」として厄除けや車祓いなどの祈願でも有名らしい。
たどり着いた広い境内、拝殿前には、その「魔除け天神」の石碑がで~んと掲げられていて、石段を上がった敷地には、瓢箪のオブジェ?、亀の甲羅に乗った虎、ウサギなどが出迎え、まずはお参り。
拝殿の左側にも末社として“蛇”(龍神蛇石)がいて、治水の神様である少童命(わたつみのみこと)を祀る龍王神社があり、こちらもお参り。
拝殿の向拝には奉納絵馬が多数飾られていて、大石内蔵助の人物画もあり、明日の赤穂義士祭りの雰囲気を想像ながら思い浮かべる。
社務所で御朱印をお願いし、しばらくすると、「あの~」と御朱印帳を差し出し、何やら恐縮した感じ。
「はい、なにか?」
「二枚分飛ばして、空白にして書いてしまい、すみません…」と。
「いえいえ、大丈夫ですよ。拝受できたことだけでも十分ですし、2枚分後から埋めればいいことですから」と労う。
申し訳なさそうに「御朱印代金はいりませんから…」と。
「いやいや、そういうわけにはいきませんので…じゃあ!お賽銭箱に入れておきますので…気になさらずに」と決着し、お詫びのしるしにと、お土産を頂いてしまう。
私にとってはお土産という幸運がついて嬉しい限りで、ちょっとしたハプニングも思い出となり、感謝を伝える。
さて、帰り。宮の前バス停から相生駅行きのバスは午前中しか運行されていないことは知っていたので、駅まで約1時間、歩いて帰るしかないが、道中はなんとなく、幸福感が増したような、疲れもなく、西日を背に浴びながら、天満神社さんの出会いを思い浮かべながら歩くのでした~

大石内蔵助仮寓地跡(おせど) - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:40:24

2日目。JR相生駅からJR赤穂駅へ。本日は赤穂義士祭りということで、駅前は垂れ幕が掛かり、なんとなく市内の空気感がソワソワしたような、街全体がお祭りモードを醸し出している。
パレードは午後からなので、午前中に赤穂市内の寺社や名所を巡るため、まずは大石内蔵助の仮住まいだった所へ移動する。赤穂市は今回で2回目の訪れなので、そこそこ地図を見なくても街全体の広さを把握していて、千種川を渡った東側へのエリアはまだ行ったことがないので、訪れることに。駅前バス停から尾崎小学校前バス停で下車し、観光地らしく整備された道路を歩く。案内看板通り、途中から小路へと入り、大石良雄仮寓地跡にたどり着く。
開かれた鉄柵の先の敷地には、いろいろな木々や社、岩などが配される庭園があるが、手入れが中途半端な状態が見てとれ、冬の寒々しい雰囲気が漂っている。
ここは大石内蔵助が主君を失くし、赤穂城開城の折、残務整理をするために、京都山科へ移動するまでの間、家族と共に仮住まいをしていた所。約2km離れた遠林寺という執務所へ毎日通い、朝8時に出勤し夕方4時に退庁、徒歩通勤は運動になって良いということも記録に残っている。敷地内には内蔵助が勧請したという稲荷社や瓢箪池、井戸跡、赤穂城本丸庭園にあった牛石、馬石と呼ばれる巨石(薩摩の島津家から浅野家に贈られたもの)などがあり、かつてここで、生活が営まれていた風景が想像できる。
通勤時間に何を思って通っていたのだろうか…この時すでに、討ち入りの決心でもしていたのだろうか、否、迷いはあったであろう内蔵助の心中、如何ばかりか…そんな中でホッとできる“家”があって、少しの“救い”にもなっていたであろうと、しばらく佇むのでありました~

普門寺 - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:41:10

“おせど”から小路を進み、急坂を上がる。以前、この界隈にある赤穂八幡宮に訪れた時に、近くの普門寺も行く予定だったが、時間が足りず、無念にも諦めてしまったのだが、今回、この機に普門寺へ訪れる。
聖徳太子と地蔵菩薩を祀る太地堂を横目に、山門から境内へと失礼すると、北東側にある山が借景となり、目の錯覚?で敷地の広がりを見せているのであろう、意外?と開放感あふれる寺域となっている。清潔感が保たれている境内には、本堂の普門殿、明王堂、瑜伽大権現が配置され、ちょっとした石像やお砂踏みならぬ、健康足ツボ参道の先の、十一面千手千眼観世音菩薩の石像などが祀られていて、おもしろい。
普門殿には十一面千手千眼観世音菩薩坐像、明王堂には不動明王像が安置されていて、それぞれにお参り。
普門寺は聖徳太子によって開かれ、慈覚大師が創建。雄鷹山に長安寺という寺と共にあったが、慶長2(1597)年に兵火に遭い、本尊の十一面千手千眼観世音菩薩坐像と共に、赤穂東組に再建され、長安寺は薬師如来像と共に赤穂西組に再建。月日が流れ、昭和32年に土地の区画整理事業により、両寺が合併して現在地に至っている。
十一面千手千眼観世音菩薩坐像は、兵庫県ではここだけで、かなりレア度が高い。向拝から望んでも、その何本もの手や腕の広がりようときたら、天使の羽?のように御利益を与え続けている。しかも頭は十一面と、この世のすべてを見守っているかのようにお顔立ちも微笑んでいるように見える。“如来昇格試験”があったなら、もう合格だろうというぐらいの菩薩さまにお会いできて感謝×2で、境内を散策。境内にある慈愛像が南宮山か亀甲山を紹介しているように手を差し伸べ、その先の風景を見ては癒される。
寺務所で御朱印を拝受。恩恵?を与え続けている十一面千手千眼…(長い…)さまにお会いでき、次の目的地へ。

伊和都比売神社 - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:42:06

南にある明神木バス停へと歩き、バスを待つ。今日は風が強い上に最高気温が5℃前後と、かなり寒い中、元気に自転車で移動する小中学生の集団を見、赤穂義士祭りの日は平日でも、赤穂市の学校はお休みなのだろうと、来たバスに乗り込む。30分ほどで御崎バス停に到着。
赤穂市は主に、赤穂市中心部地区、尾崎御崎地区、有生地区、坂越地区の4つの地区に分かれていて、たどり着いたここは、播磨灘西部に当たる岬「赤穂御崎(みさき)」という尾崎御崎地区。瀬戸内国立公園に含まれていて、瀬戸内海の大海原が見渡せる風光明媚な土地柄でありながら、温泉地としても知られている。
そんな尾崎御崎地区に唯一ある神社、伊和都比売神社に足を向け、たどり着いた駐車場にはそこそこの車が止まっている。駐車場からは南に大きな鳥居が“仁王立ち”で建ち、瀬戸内海を眺めている“お姿”は絵になり、誰でも写真を撮りたくなる風景である。
さっそく境内へと失礼すると、社域は広く、横に長い拝殿がで~んと正面に見え、向拝下でお参り。
伊和都比売神社はその社名のとおり、伊和都比売(いわつひめ)大神を祀り、元々、伊勢外宮の豊受比売とも、大穴牟遅神の比売神とも、はたまた、赤穂氏族の祖神、御崎明神とも言われている。播磨灘の海上にある老松が生える平岩「八丁岩」にお祀りしてあったのを、浅野内匠頭長直が現在の地に移したと云う。
昭和の大戦では、東郷平八郎元帥を始め、歴代の連合艦隊司令長官以下、勇士らも参拝するほどの崇敬が篤く、現在は漁師など航海安全や大漁祈願の御利益で信仰を集めている。他にも比売神ということもあり、恋愛や縁結びなども古くから信仰が盛んであるようで、この日もやけに、女性の姿をよく見かけ、「姫守」というお守りが有名らしい。
境内を散策後、社務所へ行くと、見開き御朱印などの見本が玄関前に置いてあり、最近の御朱印はバージョンアップされ、“芸術作品”並みに増している予兆がここにも表れている。その分、御朱印料もアップされているので、貧乏人の私にとっては悩ましいところだが、シンプルに御祭神のみが書かれているものをお願いし、拝受。お礼を述べ、境内を去る時に、狛犬越しに鳥居をカメラに収め、この景色をずっと眺められる狛犬たちに「いいなぁ~」と独り言ちるのでありました~

畳岩 - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:43:05

鳥居から東へ。海岸線沿いを歩いていくと、「大石名残の松」という石碑、そこから眺められる「畳岩」という景勝地?がある。
「大石名残の松」は元禄14年(1701)に大石内蔵助が妻子をこの港から大坂へと送り出し、自らはその後を追って京都山科に向かうのだが、その時に御崎の岩礁に立つ老松を見返り、名残り惜しんだという云われがある。その老松の“子孫”かどうかはわからないが、今も松が生えていて、当時を偲ぶものがあり、そこから海岸に降りられる階段、そして干潮時には「畳岩」へと渡っていけるようになっている。訪れた時、ちょうど干潮で、「畳岩」へと行ける時間帯であったが、この日は強風で、道は波が押し寄せていて危険と判断し、断念。眺めるだけにして、内蔵助が生きていた時代も、この「畳岩」はあったのだろうか…ここから仇討ちへの旅路が始まったと思うと、広大な海原もなんとなく、その大きさと比例して、より果敢なさが膨れ上がるかのような、哀しい気持ちになってしまい、赤穂の地で少し旅愁に浸りながらしばらく瀬戸内海を眺める。

赤穂の塩 - モリゾーのひとり言

2023/03/31 (Fri) 10:47:05

鳥居近くには小さなおみやげ屋兼食事処があり、立ち寄ってみる。ちょうど昼前時だったので、昼食にとテーブル席へ行くと、ガラス張りから望む海原の、最高のロケーションで、窓側に座り、メニューを見る。海の幸を使った料理など、かなり“おしゃれな”品目で、この日は魚より肉って感じだったので、ハンバーグランチをお願いする。
前菜に「スペイン風オムレツ」「いかなごのくぎ煮カナッペ」「人参のマリネ」と、これまたおしゃれな料理が置かれ、かなりレベルが高い。どれも美味しく食べ終わるころに、メインのハンバーグが目の前に現れ、がっつり実食!豆腐の入ったハンバーグなので、ヘルシーというか、そんでも肉肉しさは十分伝わり、あっという間にごちそうさま。
隣はおみやげコーナーとなっていて、その一角に、ステンレス製の器に海水が入っていて、それを沸騰させて塩の結晶がプカプカと浮いている精製過程が見られ、店員さんが説明して下さる。子供の頃に理科の実験でもやったことがある塩の結晶を見ながら、「なるほど」と勉強になり、こうして、塩のおみやげのアピールに一役買っているのか、赤穂の塩の有名さは知っているので、おみやげに塩と、あご出汁、昆布出汁、塩麴を全国割のクーポン券が使える店なので、利用して購入。昼食も赤穂の塩を使っていたのだろう、美味しい食事もし、お礼を述べ、店を出る。

つづく…

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