寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また6、奈良の旅(2) - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 21:59:11

今年の桜の開花は蓋を開けてみれば例年通りで、早いという予報はハズれ、そこそこ長く持った感じ。岐阜や滋賀へと足を運び、満開の桜を堪能しましたが、毎年この時期に行きたいと思っている奈良宇陀にある佛隆寺の「千年桜」は、4月中旬ごろの見頃であるが、桜が散るのも早いので、そのタイミングが合わず、今年も逃してしまう始末。生きているうちに行けるのだろうか…と思いつつ、旅の欲望は衰えない。
さて、春なのに…昨年行った秋の紅葉シーズンのつづきを紹介。久しぶりの室生寺へも行ってきましたよ~

宇流富志彌神社 - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:00:02

名張駅前のホテルに宿泊し、2日目は早朝、名張駅から南西方向へ10分ほど歩いた所にある宇流富志彌神社へ。名張滞在時は何度となく訪れた当社は、元伊勢でもある。
天照大神の鎮座地を求めて倭姫命一行がこの地を巡幸し、2年間この地の「隠市守宮(なばりいちもりのみや)」で、天照大神を奉斎した所。「隠市守宮」は当神社の傍を流れる名張川の約200m下流の「蛭子神社」と推定していて、一行は奈良宇陀川から船でやって来て、名張川岸にある「弁天岩」で拝んだという伝承が残っている。この「岩」が当神社の御神体であり、御祭神が宇奈根命(うなねのみこと)。水、穀物の神様で、この岩が置かれている場所が名張川の“うねり”の傍にあることから「うねり→うなね?」となったと云われている。
…と、そんな話が2000年前のことだが、当神社は戦国期の天正伊賀の乱ですべて焼き討ちに遭い、古文書など焼失し記録的なものが残っていないという。もちろん、上記の伝承は「倭姫世紀神官後鎮座記」に記されていることでわかっている。
過去に名張の旅で、忍者関連の寺社を巡ったが、それにしても元々、この地にも「隠」や「陰」の文字があったなんて、“忍者の里”になるべくしてなった土地柄だったんだと改めて思う。
…で、早朝の境内は誰もおらず、鳥居近辺のモミジが彩りを見せ、中々に良い。社務所近くの鹿の銅像も、モミジを見上げているように観賞していて、静かな境内でお参り。今日一日、旅が上手くいく心持ちで神社を去る。

積田神社 - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:00:55

名張駅西口バス停から夏目バス停へ移動。春の名張の旅で紹介した積田神社へ。こちらの神社は参道に生えているイチョウやモミジが映えるこの時期、有名な神社。
そのために訪れたのもあって、さて、どうだろうかと参道を歩くと、モミジはもう少しといったところか、11月中旬でもやはり暖かい気候の影響を受けていて、全体的に赤くはない。
イチョウは黄色く色づいていて見頃。もう一週間ほどして“黄色い絨毯”の上を赤いモミジが彩る風景が見られることだろうと予想し、少し残念~。
こればっかりはしょうがないが、撮りながら参道を歩き、あいかわらずの境内でお参り。奥の「神柿」にも“挨拶”し、神社南側の一般道から歩くと、朝陽を浴び、眩しく黄金色に輝くイチョウの木…これを見れただけでも来た甲斐があったと、“秋の装い”を目にし、再び名張駅へ戻る。

室生龍穴神社 - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:01:58

近鉄名張駅から近鉄大阪線を西へ、室生口大野駅で下車し、バスを待つ。室生寺へは何回行っただろうか。今回訪れる目的は、紅葉狩りもそうだが、室生寺で、室生龍穴神社の御朱印がいつの間にかいただけることになっている情報を知り、訪れた次第。
室生寺へのバスの途中には、しだれ桜や摩崖仏で有名な大野寺があり、歩いて5分ほどのところ。塀からはみ出るほどのしだれ桜を愛でた記憶を思い起こしては始発のバスに乗り込む。まだ誰も乗り込まない車内で待っていると、西方面から来た近鉄の車両を目で追い、しばらくして乗客がぞろぞろと駅から降りてきて、バス車内はいつのまにか満車に。
バスは予定通り出発し進むにつれ、徐々に山深い景色へと変わる。川沿いの道を縫っていく車窓からは、寺内町の集落そのままに、道路や川の周囲は、以前来た時とは違う護岸工事だろうか、まだ工事中の看板も目に付き、台風などの被害があったのだろうかと想像する。
そうこうしていると、室生寺で下車する人、終点の龍穴神社へ行く人と半分に分かれ、バスは終点に到着。
杉の大木が結界を張っているかのように太陽の光を遮り、鳥居からの境内は全体的に昼でもうす暗い。来た人にしか分からないこの雰囲気…たまりません。
昔、何かの本で「山は神」であり、神聖なものなので入山するときは“入らせていただく”という気持ちで入らないと、遭難や滑落の事故を起こし、「山は人を選ぶ」と聞いたことがある。どこからか見ている、あるいは見られているかのように感じるのは私だけだろうか。とにかく何度来てもこの感じは変わらない。
室生龍穴神社は古来、国家的にも祈雨・止雨神として崇敬されるほどの「司雨神」を祀る。当社の背後にある奥宮から注ぐ渓流沿いに「龍穴」と呼ばれる岩窟があり、かつてはここで晴雨祭祀が行われていたと。なので、御神体が龍神の住処とされる「吉祥龍穴」で、後の桓武天皇となる山部親王が病気に侵されて「龍穴」で祈祷が上げられたという記録も残っており、病気が治り、天皇となった後に命令して造らせたのが室生寺。室生寺誕生前からすでにあった神社である。ちなみに、それを守る神護寺として「龍王寺」と呼ばれていた時もあったという。
現在の御祭神は水神様を司る高龗神(たかおかみのかみ)で、龍神と同一視されていて、その龍王は「善女龍王」と言い、昔はこの龍王を祀っていた社だったので、拝殿の神額には「善女龍王社」と書かれている。
その拝殿でさっそくお参り。とにかく境内の至る所にあるこの桧や杉の木の太さといったらハンパなく、この高さがより神聖な空間を作り出し、千年単位を積み重ねてきた大木に触れ、この空気感を味わう。

天岩戸神社 - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:02:54

室生龍穴神社から室生川沿いをひたひたと歩き、「吉祥龍穴」の案内看板のあるところから山道を上がる。もう3回は来ているので慣れたものだが、最初は林道を歩いているだけでも畏怖という言葉は違うが、何だか得体の知れない場所に向かっているんだということは分かり、その時の感覚は今でも覚えている。
九十九折の道を上がり、途中の天岩戸神社で少し休憩。ここまで来ればもう少しで龍穴にたどり着けるのは分かっているので、ゆっくりとお参り。
鳥居横にすでに見えている2つに割れた?巨岩が「天の岩戸」と表し、さっそく一礼して巨岩の間に立つ。神社の「参道」は誰もが「産道」を通って生まれることからきていると何かで聞いたが、ここに立てばやはり、特別な情にかられるのだろうか、上を見上げれば注連縄が両岩をつなぎ、禊をして天照大神を生んだ伊弉諾も想起する。
伊勢の二見ヶ浦の夫婦岩しかり、岩と岩の間から太陽が昇る信仰心、はたまた当神社の社名通り、天の岩戸にお隠れになった天照大神が闇から現れる伝説しかり、いろんな妄想が浮かびながら、メインの小さな祠でお参り。何気なしに撮った写真を見てみると、何となく伊弉諾の顔にみえるような…そんな霊的妄想をしながら雰囲気を楽しむ。

奥宮「吉祥龍穴」 - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:03:50

天岩戸神社から数分で「吉祥龍穴」の入口に到着。案内看板から谷へ下る階段を降り、龍穴が見える遥拝所へ。さっそく土足禁止の祭壇?っぽい建屋に靴を脱いで上がりお参り。遥拝所から正面下に見える龍穴には注連縄が飾られ、あの穴の暗闇奥深くに善女龍王がいると想像し、右手には一枚岩の岩盤、「招雨瀑」と呼ばれる滝が龍の形のごとく流れ、この水が室生川、そして奈良の木津川、大阪の淀川へと注がれていく源流の1つだと思うと、やはり畏敬してしまう。
善女龍王が住処としていた龍穴。なぜここに住み着いたのかという伝説がある。元は奈良興福寺近くの猿沢池に住んでいて、天皇の食事を奉仕されていた下級の女官が用無しにされ、たびたび池に身投げをしたことが苦になり、善女龍王は春日の山中に籠り、山中でも亡骸が多かったので、ここの静かな環境が整っていた?室生に移り住んだとのこと。ちなみに、京都神泉苑で弘法大師が雨法の祈祷をしたときに現れた神さまが善女龍王で、ちょこちょこ人々の生活に潤いを与えている。“自然の音”に癒され、岩盤を何とはなしに見上げていると、「あっ…」と柱状節理の岩の久にハチの巣(スズメバチ)が見え、距離にして大分遠いが、「これが自然の営み…」と垣間見、限のいいところで、善女龍王さまに別れを告げるのでありました~

室生寺(1) - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:04:40

龍穴から坂を下り、麓に降りてきて室生川沿いを歩く。室生龍穴神社に再び戻って来て、参拝客がちらほらいる姿を眺めていると、3人組の若い娘らに尋ねられ、「龍穴はここからどれぐらいかかりますか?」と道順を教えてあげる。やはり、ここまで来たからには「龍穴」をと考えることは同じで、その空気感をぜひ体感してもらいたいと、ちょっとおじさんモード全開?で説明する。
再び室生寺へ向けて出発し、専用駐車場までたどり着くと、観光バスが数台待機していて、午前中からの参拝客が来ているのだろう、紅葉の時期はやはり人気がある。
老舗旅館や茶店から室生寺境内へ室生川を渡す太鼓橋の上まで来ると、その眺めは、川沿いに並ぶモミジが見頃を迎えていてすばらしい。
橋から右に折れる参道、そして受付で拝観料を支払い、境内へ失礼すると、まずは宝物殿へさっそく拝観。昔訪れた時は宝物殿なんかあったかな?と記憶があいまいだが、国宝級の仏像などが安置されていて、釈迦如来坐像、十一面観音立像、地蔵菩薩に十二神将の内の6体等々、じっくりとその“お姿”を見る。釈迦如来坐像の耳の垂れ下がりの長いことといい、十一面観音立像の唇にはうっすら紅の色が見て取れ、彩色されていたことといい、仏像芸術を堪能する。

室生寺(2) - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:05:37

宝物殿での拝観を終え、いよいよ境内へと散策。仁王門を潜り、そこかしこにあるモミジの木々が見頃を迎え、特に、池から望む仁王門が絵になり、すばらしい。
鎧坂と呼ばれる石段を上がり、金堂や弥勒堂があるエリアに移動。杮葺きの屋根が特徴的な堂宇が山林の中で佇み、まずは弥勒堂でお参り。内陣には弥勒菩薩立像が安置されているが、厨子の中に納まっているので見ること叶わず。冊子によると、昭和28年(1951)の修理の際に、須弥壇下と天井から宝匧印塔の木製籾塔が多数発見されたとのこと。宝匧印塔は仏さまのお骨、仏舎利が入った石塔または墓塔、供養塔であるが、その形をした木製の中に仏舎利でなく籾(もみ)が入っていた?と。どうやらネットで調べたら、五穀豊穣を祈り、農民が奉納した、いわゆる“お供え物的”なことだろうか、それが古美術店で販売しているほどの価値があるもの?らしく、検索ページにずらりと紹介されている。
しかし、発見されるまでずっと籾塔が眠りについていた歳月は如何ばかりか、これまで弥勒堂でお参りをする人々は自然と、五穀豊穣の祈りも知らず知らずに一緒にしていたのかと考える。
弥勒堂から金堂へ。金堂は中に入れるので失礼すると、内陣に安置されている仏像群が眩しいほど(実際は眩しくはないが…)に“戦隊ヒーロー”のように並んでいる。
釈迦如来立像を中心に、右に薬師如来、左に文殊菩薩、その手前に十二神将の6体(
宝物殿で見た十二神将6体以外の残りの6体)が参拝客を魅了している。十二神将以外平安時代初期の作で、衣の流れるような線は優美に平安時代の特徴を表していて、ホッと一息、落ち着いてその“芸術作品”を味わう。

室生寺(3) - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:06:27

本堂、五重塔エリアへ移動。石段は二手に分かれ、西側の石段から上がる。本堂手前の敷地には玉垣に囲まれたため池があり、ここもモミジが彩りを見せ、絵になる。この西側には北畠親房のお墓があり、立派な五輪塔が建っている。北畠親房といえば、南北朝時代の後醍醐天皇を支えた重鎮。確か…四条畷の戦いで敗れて、今の奈良県五條市のどこかで亡くなった…ような話だと思ったが、ちなみにその三男が伊勢国の国司となり、その後、伊勢国を治めた大名が剣豪で有名な北畠具教。あの塚原卜伝に師事した…と、剣豪伝説は話が長くなるのでここではネットで調べてもらうとして…しっかりとここでも手を合わせる。
本堂へは中に入れるので失礼し、本尊如意輪観音菩薩にお参り。といっても厨子に入っているので見ることは叶わないが、ネットの写真には穏やかな表情のお姿、檜の一木造りというからすごい。本堂から出て建物の右手には桂昌院の五輪塔が建ち、桂昌院は徳川5代将軍綱吉の母で、寺の復興のために多額の寄付をしたことから、当寺が「女人高野」と呼ばれるようになった由縁はここからきていて、ほとんどの人が知らずにスルーして行ってしまう中、ここでもしっかりとお参り。
そして五重塔。本堂左手の石段を上がった高台に建ち、シンボリックに存在している。高さ約16m、国内で最小の五重塔で、平安時代初期の建造物。きれいなアングルで撮影できるカメラ設置台があり、そこには人の群れがいて賑わっていて、それはまさにお立ち台でポーズを決めるモデルのように五重塔が堂々としていて、憧れのスターを仰ぎ見るかのように…と妄想が過ぎましたが…そんだけ美しいフォルムを魅了している。
五重塔を横目に次は奥之院を目指す。

室生寺(4) - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:07:19

山上へと石段を上がる上がる…杉木立が林立する中の参道は昼間でも薄暗く、それが返って火照った体には涼しさが増し、ちょうど良い。だが、つらい…
休憩を入れながら「無明橋」という所まで来て、半分は来ただろうと目算し、登っている途中には「マムシ注意」や「落石注意」の看板があるが、自分との体力勝負に頭が持っていかれ、それどころではない。ひたすらに無心となって上り、ようやく灯籠堂の柱が見えてきた頃には石段の傾斜もきつく、立ち止まっている人がいて、同志のように声を掛け合い気力を振り絞る。
奥之院エリアに到達。最初の一歩目は「ファイト―!いっぱ~つ!」と心の中で叫び、「やったー!」と自分で自分を褒めたいと…どこかのフレーズを思い出しながら、達成感~
しばし休憩し、心を落ち着かせ奥之院を散策。灯籠堂は京都清水寺のような縣造(かけづくり)の柱で支えられていて、回廊をぐるりと歩ける西側には奈良盆地を見渡せる眺めが広がりベンチに座って最高の景色を拝む。灯籠堂の真向かいには大師堂が建ち、弘法大師42歳の頃の像が安置されている。扉は閉ざされているので、手前でお参りし、納経所内で再び休憩。所内のポスターを見ていると春夏秋冬、それぞれの風景が色を成し、いろんな表情を見せる室生寺…特に冬の雪景色は素晴らしく、いつか冬の時期にも訪れたいと、室生寺の魅力を再発見。久しぶりに訪れた室生寺で旅愁に浸るのでした~

とろろそば - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:08:07

麓まで戻って来て、太鼓橋を渡った界隈には食事処が軒を連ねる。昼過ぎの少し来客が途絶えた頃に「橋本屋」さんに失礼し、昼食タイム。こちらのお店では室生寺川沿いに並ぶ真っ赤なモミジを見ながらの食事ができるということで、座敷とテーブル席があり、やはり窓側の座敷には人がいっぱいで、テーブル席に着く。
メニューを見ると、自然薯を乗っけた蕎麦が有名らしく、迷わず注文し実食。
店の御主人が自ら、うずらの卵を割って自然薯の上に乗っけて下さり、見た目もイイ。昔の人はうなぎだけでなく、自然薯でパワーをつけた?というほど(知らんけど…)、疲れ切った体には一番の栄養だと何かで聞いたが、ずるずると喉を通り五臓六腑に染みわたる?かのように美味いモード全開で無心に食す。
一人前にしてはちょっと量が足りなかったかな?は否めないが、窓から見える紅葉の景色と相まっておいしく満足×2。

草餅 - モリゾーのひとり言

2024/04/15 (Mon) 22:09:18

ちょっと足りないお腹を満たすために草餅を…ということで、室生寺に来たら必ず立ち寄る「よもぎ餅本舗もりもと」さん。行列ができるほどの人気店?で、この日は運良く誰もいない。炙った草餅を2個お願いし、お金を払う頃には後ろに行列ができていて、やはり知っている人は知っている。
おみやげで10個入りのも販売しているが、過去に買って家で食べた時にはもう、餅が硬くなってしまっていたので、焼きたてのをその場で食べるようにしていて、バス停で頬張る。
その姿を見ていたバス待ち客が「私も」と買いに行き、これが〇〇効果(外発反応性?)というものか(言葉を忘れた…)と、バスが来るまで甘味を味わうのでした~

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