寺社仏閣 ご朱印の旅 81636

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また7、奈良の旅(1)

1:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:36:15

ゴールデンウィークに入り、浮かれた気分になってしまうが、私は仕事まっしぐらなので辛い…ここ最近、実家にも帰れない忙しい日々を過ごし、ちょっとした日帰りでも行こうかと思うが、どこも人人人で多いだろうなぁ~と諦めモードである。
さて、今回も昨年の11月下旬に行った奈良の旅、第2弾を紹介~
2:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:39:54

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214394.jpg 近鉄桜井駅から南へ20分ほど歩くと、等彌神社がある。前回の奈良の旅で談山神社へ行くバス路線の車窓から目に飛び込んできた鳥居周りの、モミジの真っ赤なこと。
「あっ!」と忘れていた記憶がよみがえり、「等彌神社!」と、紅葉の名所であることを思い出す。
…で、今回、一週間のもやもやが消えず、「行こう!」と決断した後の計画があれよあれよと進み、当神社を訪ねた次第。
道路に面した鳥居からすでにモミジの彩りを見せ、「これこれ」と、日本に四季があって良かった~と、つくづく思い知らされるほど、歳を取ってしまった…のか?と、目の前の景色をしばらく眺める。
もう10年ぐらいは経つだろうか、久しぶりの訪れに鳥居を潜っても、初めて来たような感覚で、鳥居前の信楽焼のタヌキ像もあったかな?と、とりあえず、境内を散策開始。
灯籠が並ぶ石段を上がるにつれ、鬱蒼と茂る木々が覆う境内の雰囲気を味わい、猿田彦社、下津屋社の社殿を見て、「あっ」と記憶がよみがえる。初めて訪れた時、当神社の本殿かと思い違いをしていた下津屋社。ここで地元の方と談笑したことを思い出し、「そうそう」こんな感じだったと、徐々に視界が開けたかのように清々しい気分に。確か、この敷地内に八咫烏の立像が発見されたというお話を聞き、それが妙に印象的だったことを思い出す。下津屋社には左殿に高皇産霊神と天児屋根命、右殿には磐余明神(神武天皇)、品陀和気命が祀られていて、記憶を思い出させたのは神のなせる業か?…と、お参り。奥へとつながる参道を歩き、上津屋社(本殿)がある方へ移動。
3:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:40:47

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214447.jpg 境内では落葉をドラム缶で燃やす作業員の方がいて、煙がもくもくと上空へ舞い上がっている。その煙をしばらく見ていると、本殿の方へ龍の形に変え立ち上っていく姿が…と、イメージですが…そのように見え、どこか神聖さが醸し出されている感じがしてイイ。
そんな中で上津屋社に祀られている大日霊貴命(天照大神)にお参り。
元々は、当神社の背後にある鳥見山山中に鎮座されていた「登彌神社」という名称で天永4年(1112)に現在の場所に遷座。由緒には、初代神武天皇が賊を平定して、橿原宮に即位されて以来、治政が乱れないことを感謝し、国で採れた新穀や産物などを鳥見山山中で供え、自ら皇祖の神々を祀り大嘗祭を行ったことが起源とされている。この儀式がいわゆる、日本で最初に行った大嘗祭(だいじょうさい)で、記憶に新しいところでは、平成から令和に改元された時がそうだろうか、宮中で、国と国民の安寧を願って行われた儀式をテレビで見たことがある。国家安寧、五穀豊穣などがいつまでも続く平穏な世の中であるように、境内の雰囲気も静かに落ち着いた中で、モミジの彩りを堪能し、「平和が一番」と境内に佇む。
4:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:41:44

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214505.jpg モミジを愛でながら境内を歩いていると横道に逸れる参道があり、モミジに誘われるようかのようにそちらへ移動。よく見たら特徴的な石鳥居が建ち、雰囲気が護国神社であることが分かる。以前訪れた時「あったかな?」と完全に忘れていて、たぶん立ち寄ってないのだろう、さっそく敷地内へ失礼する。
社殿が建っているだけのシンプル空間に、モミジが覆うように生えていて、それが神社を守っているかのごとく静寂が包む。英霊にお参りし、桜井市出身の多くの若者が日本のために戦ったのだと、この空間がより冷たく感じられて、それを暖かくするかのようにモミジが彩を見せ、なんとなくホッとするような気がして、ここでも佇む。しばらく撮影タイムを経、等彌神社に呼ばれたことを感謝するのでした~
5:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:44:41

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214681.jpg 近鉄桜井駅へ戻り、北口のバスターミナルへ。奈良交通バスの2dayパスを手に入れようと、奈良交通の桜井営業所へ行くと無い…。営業所が廃止されたのだろうかと、バスの運転手に聞くとやはりそうで、天理駅なら営業所があるという。が、水曜日は定休日で開いてないと知り、バス車内でもパスは販売してないということなので、仕方なく小銭ジャラジャラで移動するしかない。
…で、次に向かう場所は長岳寺。かつて、山辺の道散策で立ち寄ったことがある長岳寺は寺は紅葉の名所で知られ、紅葉の時期は初めての訪れとなる。上長岡バス停までの車中、こんもりと盛り上がった古墳を見ては、崇神天皇陵や箸墓古墳、そうめんの製麺所やお店が軒を連ねる街道筋を左右眺めては、懐かしい旅の思い出がよみがえる。
バス停から東へ、集落の中の緩やかな細い路地を歩き、大門、そして隣の駐車場には大型バスが数台止まっていて、やはり紅葉の時期は人気の高さが窺える。大門から楼門までの参道は武家屋敷かと思えるような白い塀が続き、江戸時代へタイムスリップしたかのように存在している。
受付で拝観料を支払いさっそく境内へ。モミジが溢れんばかりに生えていて、ちょうど見頃の時期に訪れたことに満足し、参拝客もかなり多い。本堂からツアー客の団体がぞろぞろと退出する姿を見、本堂内も空いた頃合いと中へ失礼する。
この時期の本堂では「大地獄絵」の開帳が行われていて、その絵解き?説法?をするのだろう、すでに外陣には大勢の参拝客が座っていて、私は時間の都合上、「大地獄絵」だけを見るだけにして、本尊の阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩の尊像に手を合わせる。他にも多聞天、増長天を安置し、仏像拝観の後、方丈池を中心に右回りで境内の伽藍を見て回る。
6:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:46:02

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214762.jpg とにかく、至る所にモミジがあり、どこから切り取っても絵になり、撮影に夢中になってしまい、大師像や十三重石塔、大石棺佛などモミジとのコラボ撮影を狙って撮りまくる。
特に、方丈池からの本堂の風景は、古(いにしえ)の平安・鎌倉時代を想起させるような景観ですばらしい。
そんな長岳寺は天長元年(824)、淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神護寺として創建された古刹。最盛期には4842坊の塔頭、衆徒300余を数えたという。その内の塔頭が唯一残っている旧地蔵院へ移動。
受付のすぐ隣にあるのだが、山門を潜ると日本家屋の土間にサロンのような絵画展を備えており、その隣には、今は庫裏として使われている書院造りの様式を備えた建物の入口が見える。靴を脱いで失礼すると、本堂を兼ね備えた書院で、室町時代の作と案内しており、本堂には普賢延命菩薩が本尊として安置されている。向かいには小ぢんまりとしているが、立派な庭園が広がり、刈り込まれた松や低木のサツキをアクセントに、モミジの木を1本と、こちらではモミジを一点集中させることで印象を与えている。この空間だけ、時間がゆっくり流れている落ち着いた雰囲気を味わい、見切りをつけ、紅葉の名所を堪能しました~
7:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:47:04

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214824.jpg 上長岡バス停から終点の天理駅へ。そこから近鉄奈良駅行きのバスに乗り換え、檪本バス停へ移動。交差点に鳥居が建つ東の道路を数分歩くと公園が見えてきて、その隣からの参道、森が生い茂る社域へと失礼する。
和彌下神社は古墳の上にある。古墳時代前期の前方後円墳の形。元は「和彌氏」と「櫟本臣」の祖神とされる孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命(あまたりひこくにのおしひとのみこと)と、日本帯彦国押人命が祀られていたそうで、現在は大国主命と素戔嗚尊、稲田姫が祀られている。
「延喜式」によると、和彌下神社はここと、大和郡山市横田町にもあり、2坐鎮座し、2つの神社は東西線上に走る竜田街道沿いに2.5kmの距離を保ち、当社を上治道天王、横田町を下治道天王というらしい。奈良時代には西隣に柿本寺があって、いわゆる神護寺として推測され、境内からは古瓦や礎石が出土されている。
そんな歴史を持つ参道からの石段、昼間でも薄暗い鬱蒼と茂る木々の中を上がり、拝殿に到着。横に長い拝殿に対して敷地も横に長く、さっそくお参り。
先に述べた2つの「氏」と「臣」の家紋だろうか、向拝下の垂れ幕に左右描かれていて、拝殿手前には牛の石像がこちらも左右対称に配され、境内にはいろんな摂社が祀られていて、地元の神様に“ご挨拶”。
社務所は無人だが、御朱印のことが案内されており、備え付けの封筒に住所氏名を書いて一緒に御朱印料を納めて賽銭箱に入れれば、後日送って下さると。「なるほど~」と案内通りお願いし、もう一度手を合わせる。
後日届くことを祈り(無事届きました)、境内を後にする。
8:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:47:55

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214876.jpg 参道を降りてきて、隣の公園が気になったので散策。草ぼうぼうの誰も利用してないような小さな公園。にもかかわらず、モミジだけが見頃を迎えていて、その下で何食わぬ顔?で鎮座する石像たち。公園内は盛土の周りに、カエルや不動明王、柿本人麻呂の石像が配され、柿本寺があった場所なのかと想像する。
櫟本で生まれたと伝えられる柿本人麻呂は石見国で亡くなって、氏寺であった柿本寺(しほんじ)に妻の依羅姫女(よさみのおとめ)が人麻呂公の遺髪をここに持ち帰って葬ったという伝承があり、人麻呂公の石像が何となくモミジを眺めているように見上げ、私もその目線を追いモミジを観賞。
何となくこの公園は、人麻呂公の面影が残る…そんな雰囲気を醸し出し、だから利用する人が少ない(たぶん違うと思う…)のだろうと、勝手に思い次へ。
9:モリゾーのひとり言 :

2024/04/27 (Sat) 19:48:50

https://bbs3.fc2.com//bbs/img/_804000/803957/full/803957_1714214931.jpg 和彌下公園から西へ、JR櫟本駅まで歩き、奈良方面のJR京終駅で下車。すでに空は帳が降り始め、駅から北へ数分、京終天神社に到着。
小ぢんまりとした境内はもう暗く、ありがたくライトが周りを照らして助かったが、ちょっと遅すぎた参拝となってしまう。
京終天神社は飛鳥神社ともいう。奈良時代の平安遷都に伴い、明日香の飛鳥神社を平城京左京四条の地に分霊し、応安2年(1369)に現在地に遷宮され、後に菅原道真を合祀してから「天」が名称として付いたとされている。
境内はいろんな末社が祀られていて、拝殿でさっそくお参り。後にいただいた冊子から…御祭神は明日香三日姫命、事代主命、菅原道真公の3柱とある。ネットで調べると、明日香三日姫命はどうも、3柱に分かれ、加夜奈留美命(かせなるみのみこと)、宇須多岐比女命(うすたきひめのみこと)、不足留比女命(ふたるひめのみこと)となって、それぞれにどんな神様なのかはわからない。なので、当神社は5柱?という諸説もあるようだが…
それにしても、平城京の最果てがこんなところまで広いとは、ここに訪れて改めて、その広大な敷地であったと想像でき、南の守護神として鎮座され、今では地元の氏神として成り立っているのだろうと。ちなみに、「京終」は「きょうばて」と読み、「なるほど~」と、「京の果てね~」と、その土地に訪れないと読めない漢字が地方にはいくつもある。
御朱印は神社から西へ離れた工務店で拝受できるようで、遅い時間のもかかわらず対応して下さり恐縮。お礼を述べ、今日はJR奈良駅近くのホテルで一泊。

つづく…

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