寺社仏閣 ご朱印の旅
飛騨高山の旅 - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:25:25
今年の紅葉は遅れた分、長く楽しむことができて、秋には岐阜県の高山祭、島根県浜田市益田市、名古屋市内紅葉の名所、山口県防府市と行ってきました。名古屋市内の旅は載っけようか迷っていますが、まだ何にも文章もまとまっていないので、遅れること間違いなくあしからず。
…で、今年もあっという間の1年。いよいよ来年は、世の中が変化していくような流れなのか…どうなのか…
神経痛(帯状疱疹後の)に悩まされながら、皆無事で乗り切れることを祈りつつ、毎度、つたない文章を読んで下さり、ありがとうございました~
また、来年もよろしくお願いいたします~
飛騨国分寺 - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:26:31
今回は秋の高山祭りをメインに、久しぶりの特急ワイドビューひだに乗ってJR高山駅で降りる。時刻は13:00ごろ。桜山八幡宮で行われる「からくり奉納」に時間までまだ余裕があると思い、その途中にある飛騨国分寺を訪ねる。
駅から北東方向へ商店街を歩き、「そうそう、これこれ…」と飛騨の町並みの空気を思い出しては、もうすでに大きなイチョウの木が目印となっている飛騨国分寺に到着。この日も、多くの参拝客で賑わっていて、特に外国人率が高く、三重塔の前で記念撮影をしているグループがいて、散策しているのが見える。
飛騨国分寺は今から約1250年前、聖武天皇の勅願によって建立、開基は行基菩薩による鎮護国家の祈願所として、本尊は薬師如来坐像の他、阿弥陀如来や聖観音、円空さんが造った弁財天を安置し、平家の守り刀であった小島丸太刀も寺宝として納められている。
そんな“重文”がそろう飛騨国分寺。境内の中央には大きなイチョウの木が生え、その根元の幹はかなりの太さで、年輪を重ねているのが見て取れ、御神木扱いで囲いがしてある。
このイチョウの木には“いわくつき”のエピソードが残されている。昔、七重大塔が建立された時、大工の棟梁が誤って柱を短く切ってしまい困っていた所、娘の八重菊の考えから、桝組で補い、塔は無事に完成した。が、棟梁の名声が高まるにつれ秘密を守るために、八重菊を殺し、境内に埋めて、塚の傍らに一本のイチョウの木を植えたという…(「殺しちゃうの…」)
この話…どこかで聞いたような…京都の千本釈迦堂(大報恩寺)のおかめさんと似たような話だが…
それにしても、口封じで娘を殺して埋めたというショッキングな話は、それこそ、このイチョウの木には八重菊さんの怨念が宿っている…ひょっとして、この木の高さって…七重大塔と同じぐらいの高さでは…と想像してしまい、ここへ訪れるたび、何ともその伝承に驚嘆してしまう。イチョウの木は火に燃えにくいという性質があることから、ある意味、お寺を守っているのだが、それ以上に八重菊が守っているのだろうと思わざるをえないエピソードがこの寺にはある。
本堂でお参り。本堂内拝観もできるのだが、からくり奉納の時間を考えて納経所で御朱印を拝受。私の前の方が外国の方で、今や御朱印は、世界的に広がりを見せているのか…と感心するのでした~
桜山八幡宮大鳥居 - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:27:33
飛騨国分寺から北東方向へ街中を歩き、市の中心を流れる宮川まで来ると、川の沿道には屋台のテントがずらりと並んでいて、人の賑わいがすごい。いつの間にか、弥生橋から北へ望む場所からは道路が車両通行止めとなっていて、秋の高山祭の雰囲気が一気に匂ってくる。
宮前橋へたどり着くと、桜山八幡宮の大鳥居がで~んと建ち、参道正面には屋台(山車)が曳き揃えられていて、すごい人。「あの人ごみの中を行くのか…」と覚悟を決め、いざ出陣~
屋台曳き揃え(1) - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:31:15
参道をゆっくりと歩き、それぞれの「屋台」を撮影。装飾はもちろん、飛騨の匠の技が生きる彫刻、華やかで鮮やかな色彩を帯びる赤い垂れ幕、屋台に乗る飾り人形等々すばらしい。
「高山祭」は、春の「山王祭」、秋の「八幡祭」を総称して言われるのだが、私は秋の「高山祭」は初めてで、春の「高山祭」は2回訪れている。秋の「高山祭」を経験して、どこか空気感というか季節感も相まって、しっとりとした“香り”が漂うようなそんな印象を受ける。法被を着た祭り関係者の表情や、江戸時代の参勤交代時での袴姿の人たちも“絵”になり、子供たちの姿も見、町あげての、祭りを盛り上げてるのが分かる。
…と、撮影に夢中になりすぎているとアナウンスが流れ、「からくり奉納」の事を放送しているのだが、はっきり聞こえない。とりあえず、桜山八幡宮の境内へと急ぐ。
桜山八幡宮 - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:33:46
屋台会館前の施設まで来ると、境内への進入を警察が封鎖している。
「あれっ…」
どうやら人数制限がかかり、これ以上、境内へは入れないことになってしまったよう。「からくり奉納」を見る場所は行けないようだが、拝殿へのお参りはできるようで、左側の裏参道からの案内により移動。稲荷、照崎、菅原などの摂社末社が並ぶ境内をそれぞれお参りし、本殿にも手を合わせる。
桜山八幡宮は仁徳天皇の御代、天皇に背いた凶賊、両面宿儺(すくな)の征討のため、勅命を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)が官軍を率いて飛騨に入り、応神天皇の御霊を奉祀し、この桜山の神域で先勝祈願を行ったことが始まり。
その応神天皇=八幡さまの御分霊を奉還し、雅楽の調べと共に「御神幸」の行列、御旅所に“立ち寄った”(休憩、宿泊)後、氏子区域を巡幸して八幡宮へ帰る…これが一連の例大祭であるが、起源がいつかということは分からないらしい。分かっていることは、領国大名であった金森氏が天正15年(1586)に飛騨に入国して、元禄5年(1692)に転封するまでの間であったことは間違いないみたい。そんな祭りを継承されていくうちに、屋台にからくり人形が取り入れられるようになり、江戸時代にはほとんどの屋台でからくりが演じられていたそうな。そんで時代と共に、今では春の「山王祭」の3台を含め、4台となってしまったという。
なので、八幡祭りで奉納されるからくり屋台は1台のみ。「布袋台」と呼ばれる名称のごとく、布袋さんの人形が前面を飾り、何と言っても、男女の2人の唐子人形の空中ブランコの“曲芸“が見どころ。
…ということで、そのからくり奉納が催される屋台がある場所が神門から見下ろす形で見え、人がいっぱい。門口から覗き込むと、警察の方が阻止すべく「ダメですよ」と威嚇してくる。そこまで躍起になることでもないのに…と思いながら社務所で御朱印を拝受。
ちょうど祭り関係者の方とお話ができ、明日の細かい日程を教えてもらい、今日はからくり奉納が見られず残念だが、祭りの雰囲気を味わうだけにして楽しむ。
相応院 - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:34:54
からくり奉納が終わり、境内から人が散り散りになると、屋台会館から出された“布袋台”が見え、すかさず目の前に行き撮影。布袋人形は仕事を終えたにもかかわらず、笑顔を振りまき聴衆の撮影に応じている。明日は必ず観賞することを約束し、桜山八幡宮から南へ行った所にある相応院へ。
こちらも祭りの余韻冷めやらぬ参拝客がそこそこいて、境内の広さはそんなに広くない中、「重軽石」や水子観音の像などあり、まずは本堂でお参り。
本堂の建物の両脇には円空作とわかる仏様が安置されていて、稲荷尊天、薬師如来の2体がで~んと背高く見上げる。
相応院は明治以前は、桜山八幡宮の別当寺で「長久寺」と称していて、明治に神仏分離令によって、当時の住職兼神官であった桜山和尚が代官所(高山陣屋)へ願い状を出して、必死で守ったらしい。その甲斐あって、高山城主の金森家の菩提寺であった高野山の「相応院」の寺号と、この時、金森長近公から寄進された阿弥陀三尊の像や涅槃図などを譲り受け復興され、現在に至っているという。
また、高山陣屋からの鬼門に当たるということで、本尊を不動明王とし、鬼門除けの祈願所としての役割もあって、厄除けや火伏の不動などの信仰がある。
本堂の左手には納経所があり、円空さんが飛騨に来られた際に彫られた“円空仏”も何体かショーケースに飾られ、御朱印を直書きしていただいている間、じっくりと観賞。ここでも外国の方が御朱印帳を用意していて、御朱印は今や世界に浸透している?ようだ。
屋台曳き揃え(2) - モリゾーのひとり言
2024/12/24 (Tue) 20:37:54
八幡宮参道界隈を再び散策。このまま「宵祭」へとずっといたかったのだが、本日宿泊する場所が下呂市。電車で1時間は掛かり、ホテルのチェックイン時間が遅れてしまうので、提灯に明かりが灯る光景は、目にすることができない。ちなみに、高山市内のホテルは1カ月前からの予約でも空きがなく、もっと早くすればよかった~と後悔。まぁ~、下呂温泉の湯に浸かって疲れを癒せるだけでも良しとし、時刻は16:00ごろ、次第に屋台に提灯を付ける飾りつけが職人の手によって準備され、その取り付ける作業を見るだけでも、私を含め観衆は物珍しそうに見入る。
宵祭では天候によるが、屋台が夜の町並みを巡行し、昼間とは違った魅力を見せ、先頭では獅子舞が披露されるという。「あ~、見たかったなぁ~」と嘆きつつ、祭りの雰囲気をそのままに、時間となり、今日はここまで。
つづく…