寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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名古屋の旅 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:45:28

今年も花粉症の季節がやってきて、年々ひどくなる。マスクをしていても、細かい粒子が入り込んできて、恥ずかしい話、マスクの下は、鼻水垂れさがり状態でいるときもある。暖かくなるにつれ、桜の季節も近づくというのに、外に出るのが億劫になり…そういえば、今年の花見はどこへいこうか…花見を取るか、鼻水を取るか…
僕の我慢がいつか実を結び~果てない波がちゃんと~止まりますように~♪(ハナミズキ)の歌詞が浮かんでまた妄想が…
…ということで、去年の紅葉旅、名古屋編の紹介~

冨部神社 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:46:37

ある日の休日。名古屋市営バス・地下鉄1日乗車券“エコきっぷ”を利用し、地下鉄桜本町駅で降り、西へ移動。ここは名古屋市南区。名鉄名古屋線の線路を越えて、まずは桜神明社にお参り。イチョウの木が秋の季節を装う雰囲気に彩られ、鳥居から境内へ失礼すると、木々に囲まれているせいか、昼間でもうす暗い印象。住所・氏名を書く書類を社務所のポストに投函すれば、書置きの御朱印を送って下さるということでお願いする。
こちらの神社は、古墳の上に建てられた神社で“ひめ古墳”とも呼ばれているから?か、御祭神が天照大神。相殿として数柱祀られていて、境内には末社もいくつか配し静か。境内の雰囲気を味わい、さらに西の冨部神社へ向かう。
冨部神社は愛知県津島市にある津島神社から勧請された社。主祭神は素戔嗚命で、相殿は宗像三女神他が祀られている。私は今回で2回目の訪れであるが、もう10年以上前のことで全く忘れている。紅葉の名所とまではいかないが、ネットで境内の写真を見て、この時期…今年は紅葉も遅い季節感なので、どうなのだろう…と長い参道を歩き、境内へ失礼すると、背の高いイチョウの木、モミジも少し赤味を帯びていて、社殿を含め絵になる。
さっそくお参り後、モミジに近づいて見てみると、まだ5分といったところか、そんでも遠目からなら十分楽しめる美しさで、しばらく撮影タイム。
社務所で特別御朱印を拝受し、氏子さん?から隣の呼続公園はそこそこ色づいている情報を教わり、氏子さんにお礼を述べ、行ってみることに。

呼続公園 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:47:30

境内西側から森の中を下っていくと、グランドや野球場に出てきて、この公園がかなり広い敷地であることが分かり、冨部神社は尾張徳川家から社地を寄進していたことに納得。
周りのモミジの木々も赤く染まり、日光が当たっている木々は綺麗に色づいていて、散歩する人やベンチで本を読んでいる人など、この地域の憩いの場なのだろうと。
しばらく道なりに歩くと、大きな池があり、手入れの行き届いてない噴水が中央に、ススキや雑草が生えたままの状態で、時間ごとに水が吹き上げられるのを見、「まぁ~、こんなもんだろう…」と。その雑草を無視して、池の水面に映るモミジやカエデの赤味が少しは美しさを添え、まだマシな方なのかな…と。池の周りを散策し、名古屋市内もまだ、こういう公園があるんだと、散歩を楽しむのでありました~

慈眼寺 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:48:16

とある休日。地下鉄平針駅から南東方向へ坂道を上がる。
ここは、名古屋市天白区平針。昔、平針の「針(=窯)」は、焼物を作る集落があった場所という意味で、平らな地形だから「平針」、高い地形だから「高針」という地名であるとうんちくを掲載したような気がしたが、全然、平らどころか急坂が続く道を歩き、たどり着いた駐車場からさらにこんもりとした木々生い茂る境内地があり、規模は少ないがモミジが色鮮やかに見頃を迎えていて、さっそく撮影タイム。
ここ慈眼寺は、遠州の秋葉山に関係している。伝承によれば、遠州秋葉山の三尺坊尊が大同4年(809)、京都御所炎上のときに、鎮火祈願のため京に上り、その帰路、この地に立ち寄り、創建したことが事の起こりだと云う。三尺坊尊といえば、信濃の戸隠で生まれ、4歳ですでに修験者であり、26歳の時に阿闍梨となって蔵王権現の堂、「三尺坊」を務め、いつしか体に羽が生え、迦楼羅に…つまり、天狗に変身したと…トンデモ話が有名であるが、当寺にこの三尺坊尊の像を寄進したのが、かの織田信長。桶狭間の戦いの折、この寺に祈願したことから勝利を得たので、中興として当寺を栄えさせた話もある。
そんな慈眼寺の境内には、燃えるようなモミジの色合いを見、まさに”秋葉“といった感じの雰囲気を味わい、しっかりお参りをし、ここはいつも無人なので次へ。

針名神社 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:49:19

慈眼寺の参道を南へ行くと、針名神社の境内へとつながっている。参道途中から失礼し、直角に折れ曲がって神門が建っているので、怨霊を鎮めるための“カタチ”なのだろうかと、作家の高田崇史の影響で「そうなのか?」と思ってしまう。
針名神社は今回で2回目の訪れ。何となく境内の社殿の配置は憶えているが、こんなに真新しかっただろうかと…たぶん、修復工事でもしたのだろうと思いながら、さっそく拝殿でお参り。
針名神社の御祭神は尾治針名根連命(おわりはりなねのむらじのみこと)。天照大神の孫である天火明命(あめのほおかりのみこと)の14代後の孫にあたる。ちなみに、天火明命は尾張国一之宮でもある真清田神社(一宮市)の祭神でもある。
元々は現在地より約800m北の天白川左岸の「元郷」という所に祀られていて、慶長年間、徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に遷座されたとある。名古屋市内でも有数の規模を誇る神社で、約1万2千坪もの社地を要している。
そんな境内には、天王社、天満社、稲荷社ほか6柱を祀る神明社とあり、お参りするのも時間が掛かる。境内の傍らにはちょっとした庭があり、季節の草花、この時期にはドウダンツツジが赤く色を添え、苔の緑も美しい。
お参り後の参道を歩くと、木々に囲まれた中に色づいたモミジの赤色が目立ち、12月なのにようやく秋らしい季節到来といった感じで、参道を抜ける。

徳重熊野社 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:50:14

針名神社鳥居から西へ、平針小学校バス停から地下鉄徳重駅行きの市バスに乗車すると、運転免許更新で有名な、名古屋人なら必ずこちらにお世話になる「平針運転免許試験場」目的の乗客で車内はいっぱい。当然、試験センターバス停でぞろぞろと降車し、やっと席に座れると思ったらすぐに到着してしまったので損した気分。
熊野前バス停で途中下車し、東へ住宅街を歩いていくと、参道途中に着いてしまい、鳥居前まで移動。モミジが燃えるように真っ赤に色づき、撮影タイム。鳥居から先、かなり長い参道が見え、さっそくゆっくりと進んでいく。
モミジがあちこちに生え、見頃を迎える中、段々、石段が増えてきて、かなり丘の上にあることが分かり、そんでもモミジに癒され、疲れることなく拝殿までたどり着く。
到着した境内から振り返り、達成感を味わいながら街並みを見降ろす形で景観を眺め、しばらく小休止。
拝殿はコンクリート製の造りで、昭和45年の集中豪雨により崩壊し、再建されたとのことで、頑丈そうな造りに見える。
拝殿でお参り。石碑に由緒が書かれてあり、蒙古襲来の頃に編纂された古文書「鳴海旧記」に、ここ「神の倉」の地に熊野権現の宮が有り…云々とある。御祭神は伊邪那岐命、伊副利部連命(いふくりべむらじのみこと)。伊副利部連命をネットで検索してみると、愛知県一宮市に「伊副利部神社」という御祭神が「若都保命(わかつほのみこと)」とする掲載があり、この若都保命を祀る神社が岐阜県に美濃二ノ宮「伊富岐神社」と出る。
「イブキ」といえば、「伊吹山」やたたらの「息吹」「火吹」を思い出すが、「伊副利部」はたたら製鉄に関わる部族集団(連:むらじ)の長(おさ)だったのか…と。「いふくりべ」→「いふくべ」→「いふき」→「いぶき」と変化した?と、あくまでも想像だが、鳥居南側にある扇川や石段参道を上がってきた坂道の地形が、たたらに必要な条件に合っているのではないかと…。
…ということで、境内のモミジを愛で、12月の紅葉狩りを楽しむのでありました~

東山荘 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:51:05

地下鉄瑞穂運動場東駅から市バスに乗り、田辺通二丁目バス停で下車。西の住宅地へ歩いて行くと、明らかに別荘という雰囲気が漂う塀が見えてきて、入口は藁葺屋根の門の、何とも情緒あふれる佇まいで私を迎えてくれる。
ここは、名古屋市瑞穂区。桜で有名な山崎川の東側に位置する「東山荘」。綿布問屋であった伊東信一氏の旧別荘で、伊東家の山荘であることから「東山荘」と名付けられたとされる。伊東氏が遺言で、名古屋市民に開放するようにと告げて、名古屋市に寄贈され、昭和14年に公園として一般公開。戦争で一般公開中止を経て、昭和43年に再開し、建造物が平成25年には国の有形文化財に登録された。現在も一般利用される施設で、屋内の茶室などは有料予約が必要で、外の庭園は無料なので、さっそく“藁葺門”から失礼し、拝観。
ちょっとした広いスペースは前庭として玉砂利が敷かれ、“本庭”へ入るにはさらに塀で仕切られた奥へ向かう。入口付近のモミジがオレンジ色に彩られ、中々良い雰囲気の中、母屋のある敷地へ行くと、木々が生い茂る中の薄暗い空間…細い幅の飛び石の道…季節の草木の中のモミジ…細長い一枚岩の石橋を渡り…2階建ての母屋の建造物…裏へ廻り、一層暗さが増す森の中、母屋に寄り添うモミジ…鳥居はあるが社殿がない社地…と、時間にして15分ほどだが、敷地はそこそこ広いことが感じられ、規模の小さい紅葉狩りをする。
名古屋にこんな場所があったなんて、改めて別荘を訪れたことに満足×2。

揚輝荘南園 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:52:05

地下鉄覚王山駅から北へ5分ほど。ここは名古屋市千種区。覚王山日泰寺で有名な土地柄で、私にとって毎年、永代供養でお世話になっている日泰寺だが、その東側に紅葉で有名な旧別荘があるとはネットで調べるまで知らず、本日訪れた次第。
その揚輝荘とは、松坂屋の初代社長、伊藤次郎左衛門裕民(すけたみ)が大正から昭和初期にかけて別荘として、丘陵地に建てた施設。広さ約1万坪の敷地に、池泉を巡らす庭園や建物が建つ国際交流等の社交場として、皇族や政治家、実業家など各界の名士らが集う場であったと。
戦時の空襲による被害や風雨の老朽化が進み、平成19年に残された一部を名古屋市に寄附され、その後も市民交流の場として活用されているそうな。
そんな揚輝荘の南園の中の迎賓館として建てられた聴松閣(ちょうしょうかく)の内部は拝観できるので、さっそく入館。虎の石像、ベンガラ色の壁が印象的な建物を見ながら、和洋折衷の様式…大正時代の雰囲気を思わせるようなエントランス…地下1階~2階に展示室がある。
1階は喫茶室、2階は応接室や書斎、地下1階には多目的ホール、各施設に繋がるトンネル入口が見られ、壁面や天井、柱などインドや中国様式の模様が施されていて、途中、館内ツアーのガイドさんに付いている集団に会い、一緒に説明を聞いて周ることに。
聴松閣の南側には南庭が広がり、そちらへ移動。すると、NHKのカメラクルーが撮影をしていて、ちょっと“待ち”が入り、女性アナウンサーのレポートを見守りながら、今日のニュースで放送するのだろうかと見物。撮影が終了すると、庭園へ移動し散策。
自然な築山を活かし枯山水庭園の中に五輪塔、石灯籠など石造物が配置されていて、モミジも彩りを見せている。ただ、周りの高層マンションが時代の流れを映しているようで、まぁ~、名古屋の都心の中では仕方がないのか…と、そんでも庭園を堪能し、次は北園へ移動。

揚輝荘北園 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:53:08

南園から高層マンションの横の細い道を歩き、北園へ。竹垣が並ぶ中のモミジが映え、入口から失礼すると箱庭ではないが、ステージのように見渡せる庭園が広がり、左手の高台には古めかしい建造物が建っている。
「伴草楼」と呼ばれる建物は、尾張徳川家中からの屋敷だったのを、洋室等を加えて昭和4年に建てられたらしい。モダンな造りは、オシャレな喫茶店でも経営できそうな、横に長い空間で、2階のガラス窓も大正ガラスのような趣のある雰囲気で、全体を見渡す。
庭園は池泉式回遊庭園で、池の周りをぐるりと散策。白雲橋と呼ばれる屋根付きの橋は、渡ることができず、この庭の観賞用としての存在のよう。京都の修学院離宮の「千歳橋」を模したとのことで、天井には龍の絵図が描かれ、趣向が凝らしてある。
モミジとのコラボはまだつづく…
「三賞亭」という茶室があり、石垣を土台に建屋が建っているので、上から庭園を見渡せる造りとなっていて、中には入れないが、隙間から覗き込むと、障子の丸窓や竹の長押、茶室らしい畳敷の部屋が設えてあるのが分かる。説明によると、茶屋町(現、中区丸の内3丁目)の伊藤本宅から移築した建物で、「“煎茶”の茶室」として茶会の時に使用されるとのこと。
モミジの見頃に来れて大変満足だが、今となっては周りを取り囲む高層マンション群が邪魔なのだが、見方を変えれば、この庭園を守っているのかも…と庭園内にあるお稲荷さんにお参りをし、感謝を伝えるのでありました~

写真奥に見えるのは、日泰寺五重塔

徳川園(1) - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:54:01

市バスで徳川園新出来バス停で下車し、西へ。徳川園は、その名の通り、尾張徳川家の邸宅跡地で、私はまだ一度も訪れたことがなく、前から紅葉の時期に見に行かないといけないと思っていた次第で、夜のライトアップも兼ねて15:30頃に到着。
徳川園は元々、尾張藩2代目の光友公の隠居所として、屋敷を構えて移り住んだ邸宅。約13万坪の広大な敷地で、光友公の没後、尾張藩家老職に譲られたが、明治に入り、尾張徳川家の邸宅となり、昭和6年(1931)には19代当主義親公から名古屋市に寄附され、翌年には一般公開されたとのこと。今では、庭園の他に徳川美術館もあり、尾張徳川家の宝物や資料が展示されている施設も増え、この日訪れた受付ではセット券(庭園+美術館)を勧められる。時間的に無理なので、美術館はまた今度の機会にと、庭園だけのチケットをお願いし、入園。
虎の橋と呼ばれる先の散策路からすでに、モミジの色彩が目に飛び込んできて心が躍る。ひょっとして、12月中旬では紅葉の時期は遅いと諦めていたが、今年の見頃は遅れていることを機に、ある意味ラッキーだったかもしれない。
園内は特にエリア分けされてないが、樹木生い茂るエリアと、大きな池の周りを散策できるエリアとあり、まずは池を周遊する。
池泉式回遊庭園をぐるりと歩き、あちこちにモミジの彩る風景を楽しみ、どこから切り取っても絵になる画角を定めては撮影しまくる。若い男女カップルが黒い袴に白い打掛の衣装で専門のカメラマンと一緒に撮影している姿もあって、より華やかな装いを付け足していて、観光客の目を惹いている。

徳川園(2) - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:54:55

一通り池の周りを散策し、次は樹木エリアへ向かう。開放感あふれる中央エリアに対し、こちらには、細い小径の中に木々が生い茂るエリアとなっていて、小川のせせらぎを見降ろしながら築山の方へと行くと、滝の流れる音が聞こえてきて、かなりの水流が激しく岩を叩きつけている。飛び石をつないで滝の近くまで行くことができ、モミジとのコラボをカメラに収め、マイナスイオンも私の中に取り込む。
夢中になっていると、いつの間にか辺りは暗くなり始めていて、ライトが点灯。日照時間の短い、もう冬の時期では16:30頃ですでに暗くなるんだと再認しながら散策し、再び中央エリアへ移動。すっかり夜の帳と化した風景の中に、ライトアップされたモミジが赤く浮かび上がり、水面に映し出される“裏モミジ”も明媚で良い雰囲気。
茶室があるちょっとした高台からは、全体が見渡せ、ベンチで休憩。平日は17:30までの開園なので、15分前まで楽しみ、紅葉狩りを堪能するのでありました~

白美龍神社 - モリゾーのひとり言

2025/03/10 (Mon) 16:55:53

とある平日。地下鉄星が丘駅から地下鉄植田駅行きのバスに乗って、鴻ノ巣バス停で下車し、東へ環状2号線の道路を越えて牧野が池緑地公園へ。ここは名古屋市名東区猪高町大字高針。牧野が池が広がる丘陵地帯で、地元の憩いの場としてゴルフ場などもあり整備されている。
野球場やグランドなどがある脇道を歩き、森の入口に分かりやすく「白美龍神社」の幟が立っていて、さっそく登山開始。
樹木生い茂る木々の中の山道は昼でも薄暗く、砂地がボコボコしているため、雨の日には泥が靴にこびり付くんだろうと想像し、至る所に蛇のウロコのような模様が現れていて、背中を歩いているよう。
しばらく15分ぐらいして、たどり着いた敷地には、幟がいくつも掲げられていて、小さな拝殿前にはいろんな種類の風鈴が吊るされ、この時期を意識してか、クリスマスにちなんだオーナメントが飾られている。
白美龍神社は正式には「羽白美衣龍神社(はくびりゅう)」というらしい。龍とも蛇とも祀っている神社で、拝殿前にはとぐろを巻いた蛇の置物や蛇にちなんだ銘柄のお酒も奉納されている。
江戸時代前期、この辺りは丘陵地帯で水田には通じず、灌漑用のため池を作ることで「牧野池」ができ、田畑を潤すことになった土地柄。そんな牧野が池に戦後の昭和28年(1953)ゴルフコース(愛知カントリー倶楽部)の建設が始まるのだが、たびたび巨大な白蛇が目撃されることになり、それを見た者は高熱に襲われ、倒れたりするほどの現象が起きたという。それなりに対応できる行者を呼んで見てもらったところ、森の主の龍神が怒っているという話になり、龍神を祀る神社を建て奉斎してから鎮まったよう。この白蛇は江戸時代からの目撃情報があり、体長6mもあったというから、この地に居続けていたのだろう。以前に訪れた鳥取砂丘近くの多鯰ヶ池弁天宮も似たようなエピソードだったので、全国にはそのような“ヌシ”がその土地を守っていた伝承がある。
そんな白蛇さんにお参り。お参りしている間、なぜか(偶然なのか)風鈴の音がピタッと鳴り止み(本当です…)静寂に包まれ、白蛇さんが見守っているのだろうか…と、ふと社殿の左側面を見ると、板の隙間から日本ミツバチがせっせと働いていて、なんだか穏やかな心持ちとなり、辺りを散策。丘の上から木々に覆われていてはっきり見えないが、ゴルフコースがあり、モミジも色鮮やかに赤く添えていて、秋色の雰囲気の中、白蛇さんに感謝申し上げるのでありました~

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