寺社仏閣 ご朱印の旅

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ブログが面倒くさいので、掲示板で紹介していま~す。よろしくお願いいたします。
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また2、飛騨高山の旅 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 10:40:04

この間、宗教法人の売買が水面下で行われている情報をテレビで見たが、文化庁が調べた「不活動宗教法人」が全国で4431件あるという。お寺や神社も経営難や後継ぎがいない、後継者不足が原因で、第三者への譲渡が増えているらしい。ここにかこつけて、ブローカーが仲介ビジネスを展開し、相続税逃れやマネーロンダリングに悪用され、犯罪収益を寄附という形できれいなお金に換えている、いわば犯罪の温床となっているとのこと。地方自治体も「解教」させる取り組みをしているそうなのだが、現実は追いついてないと。
…こんな話を聞くと、寺社の経営も大変だぁ~と同時に、寺社を購入し、脱税逃れで、神仏を偽ってお金を貯める輩はいい死に方はしない…と思ってしまう。哀しい世の中ですなぁ~と、ちょっとダークな話になってしまいましたが…
さて、今回は1月上旬に訪れた飛騨の旅の紹介~

山王宮日枝神社 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 10:41:44

JRワイドビュー飛騨で高山駅に降り立つと、当たり前だが、去年の10月に訪れた時とは違い、雪も降り、寒さが身に染みる。訪れるにあたり、降雪は十分、計算の内で、ロングコートに登山靴を用意し、それなりに“暖”対策をバッチリにして来ている。
長野県松本市に1年間住んでいたこともあり、雪対策にはそれなりに対応できているはずだが、油断はならない。
1日目は前回訪れた一本杉白山神社へ再訪し、お参りをしたが、書置きの御朱印は置いておらず、社務所のポストに用意していた手紙を入れ、送って下さるようお願いする。(後日届き、その節はありがとうございました)
そこから山王宮日枝神社へ移動。春の高山祭は2回も訪れているのに、肝心な例祭を行なっている日枝神社には訪れたことはなく、こんな雪の日に訪れることになるとは…と思いながら、積雪の上をザクザクと進む。
東へと伸びる広い参道、両側に大きな杉の木々が立ち並び、人の歩いた足跡が奥へと幾重にも続き、かなり大きい神域であることが分かる。雪景色もいい具合に風情を醸し出し、時折、枝に積もった雪が落ちる…神霊が降り立つ合図のような?妄想をし、境内へ。
山王宮日枝神社は永治元年(1141)飛騨守平時輔朝臣が近江の日吉大神を勧請したのがはじまり。文禄4年(1595)、金森長近父子が飛騨に入国し、城の鎮護守として現在の地に奉還、山の神である大山咋神を御祭神として、「山王さん」と地元では親しまれている。ちなみに、「大山」は日枝(比叡)を意味し、「咋」は主(あるじ)の意味と考えられている。
参道を進み、正面には社務所、その左手に朱色の第2の鳥居が建ち、石段が上へと続いている。手水舎で身を清め、石段を上がると、御神木である大杉が出迎え、雪にも耐えている大杉は幹周りが7m、高さ43mもあると云い、存在感ある大木。
そして拝殿の前にはお正月バージョンの装いで、建屋があり、正面から見るとまるで、ガンダムのフルアーマー使用な?容姿に見え、思わずほくそ笑む。
拝殿でお参り。拝殿の左手には天満社、稲荷社、右手には産土社、富士社とあり、どの社も屋根に雪が積もる風情と化し、静寂がより厳かな雰囲気を醸し出す。雪景色が清浄を表しているかのように、身が引き締まる想いで、今年一年無事で乗り切れることを祈り、社務所へ。2種類の御朱印を拝受し、冬の日枝神社…大山咋神に感謝申し上げるのでありました~

飛騨天満宮 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 10:42:52

山王宮日枝神社から南へ移動し、飛騨天満宮を訪ねる。今回で2回目。交差点にある天満宮は何だか忙しい交通量も相まって、びしゃびしゃの灰色の雪が散らばり歩きにくい。鳥居から失礼すると、境内の地面もシャーベット状になっていて、かなり足元を気にしながら歩く。
こちらはそこそこの参拝客がいて、やはり受験シーズンの年代の方々が合格祈願で訪れている。
お正月用にスロープが設置してあるが、それが返って滑りやすくなっていて、“滑る”というワードをひとり言で言わないように脳裏をかすめ、慎重に玉垣内へと立ち入り、拝殿でお参り。
御祭神はもちろん菅原道真公であるが、当神社は道真公の3男(?)兼茂公が絡んでいる。道真公が大宰府に配流となった折、兼茂公も飛騨権掾(「掾」とは、国司の第三等官、いわゆる政府における「判官」を意味する)として謫居されたそうで、延長元年(923)に道真公をはじめ、一族の無実が認められ、勅許をもって帰都の際、飛騨の里人にいつまでも祭祀が継続するように懇願され、本官に復帰し、創建されたのが始まり。
ちなみに、3男で「?」を付けたのは、菅原一族を調べてみると、兼茂公は3男でなく、8男になっている。飛騨天満宮関連で検索すると「3男」として出てきて、なぜ「3男」なのかは分からないが、飛騨地方では異説として示されているのだろうか…と、まぁ~何にしろ、道真公の御遺徳にすがりたい?…いや失礼…地元の方の崇敬によって成り立っているのは間違いない。
雪の中でのお参りはちょっと身に沁み、引き締まる。拝所には「桧木の御朱印」の貼紙があり、社務所へ伺うと、ペラペラの紙のように薄い桧の木の材質の、書置き御朱印があり、それを拝受。お礼を述べ後にする。

飛騨護国神社 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:01:40

さて次は、前回も訪れた飛騨護国神社であるが、実はその時にお願いした御朱印が違っていて、よく確認せずにそのまま立ち去った私が悪いのだが、後で気づき、今回も再訪。
飛騨天満宮からバスで…と、時刻表を見るが、時間に合わず、歩いていくことに。この行動が結果、靴をダメにしてしまうことになるのだが、びちょびちょの足先を我慢して北へ向かい、20分ほどで飛騨護国神社に到着。
3ヶ月と経っていない再訪だが、一面雪景色の境内は、また違った雰囲気を醸し出し、それぞれの拝所でお参り。社務所へ伺うと、また1つ御朱印の種類が増えていて、新たに飛騨匠神社を含めた全4種類に。前回、書いて下さらなかった黄金神社と久和司神社を間違いなくお願いし、拝受。こう何回も訪れるということは、何かのご縁があるということか…深々と降り積もる雪の中で、英霊たちに今回も感謝申し上げるのでありました~

-  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:04:24

まちの博物館前バス停からバスに乗り、車内で気づいたら、靴はずぶ濡れ状態。冷たい感覚に「これはいかん!」と、高山市内の靴屋をネット検索し、バス路線上の市民文化会館バス停近くに靴屋がある事を知り、立ち寄る。
防寒・防水の靴コーナーのエリアへ行くと、「あった!」と、さすが豪雪地域の靴屋は豊富にそろっていて、長靴や雪道専用の靴まである。この高山の旅に出掛ける前に、名古屋市内の靴屋で雪道用の靴を探したが、どこも長靴ばかりで、仕方なく登山靴で大丈夫かと履いてきたが、その登山靴も使い古した感のある靴なので、もう寿命であったことは明白で、雪道を舐めていた私が悪いのだが、もう買うこと決定の、値段を見ると、正月セールなのか、そこそこに安い。
現地で靴を買うことになるとは、しかも履いていた登山靴は〇〇〇円で引き取ってくれるという、なんてありがたいサービスなんだと、靴屋さんの温情に感謝し、新しい靴で復活。
今日はもう、駅近くのホテルに泊まるだけだが、その前に明日行く、白川郷への高速バス予約をしないといけないので、飛騨バスターミナル受付へ移動し、手続き。高山発9:00のバスは満席、始発の7:20だと空いているという。仕方がないので、始発を選択し、やはりこの時期の白川郷は人気の観光スポットなので、とりあえず席を確保でき一安心。ホテルで一泊し就寝…。

写真は飛騨天満宮の手水舎

白川郷展望台 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:05:38

翌朝。富山行き7:20発のバスに乗るため、15分前ぐらいにバスターミナルへ行くと、行列が。そのほとんどが外国人で、ほとんどというか、私以外日本人はいない。そんな始発なのに、満車状態のバスは揺られること50分ほどで白川郷に到着。
この日も止むことない雪の中、まずは展望台を目指すのだが、方向感覚が分からず、バスの運転手に聞いて、指し示す坂道を教えてくれ、お礼を述べ向かう。
観光客向けに、かなり整備された道路や立て看板が設置されていて分かりやすくなっていて、合掌造りの家々を眺めながら中腹へと向かう坂道をひたすら上がる。20分ほどで到着。晴れていれば絶景が拝めたであろう今日の天候は、朝から降雪が続く気配で、ホワイトアウトまではいかないが、全体が白くぼやけてしまうほど、くっきりとは見えない。
観光協会の判断で降雪量が多いと、展望台は封鎖されてしまうので、まだ来れただけでも良しとし、しばらく白川郷の風景を楽しむ。展望台には飲食のできる施設もあるが、早朝ではまだ営業しておらず、限をつけ下山する。

白川郷界隈 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:06:28

白川郷は地図を見ると、おみやげや食事のできる表街道と、集落を散策できる裏街道があるようで、裏街道を進む。道路の脇には水路が流れ、水の透明度から良い水質と分かるくらいに、しかも雪解け水の冷たい感覚が視覚だけで伝わり、一向に降り止まない雪がより寒さを助長させるような、そんな中で、同じ方角を向く合掌造りの家々を眺めては、整備された道路には雪は積もっておらず、地熱式の特別仕様の道路なのだろうかと思いながら、観光地としての“おもてなし”を感じ、まだ人の賑わいのない静かな雪景色を堪能。
雪だるまも手を広げ、“歓迎~”と言っているような陽気な笑顔でいて、こちらも自然と笑顔がこぼれる。
白川郷は飛騨地域の中でも険しい地形に、急斜面地を縫う庄川が流れ、その流域に形成された集落。夏は涼しく過ごしやすいが、冬は積雪170cm以上になる豪雪地帯で、そんな中で住民同士の相互扶助の営みが根強く、「結」の心を大切にしている。厳しい自然条件の中で、村をあげてみんなで協力する…特に茅葺屋根の吹き替えなどは、先人たちの生活の知恵を取り入れ、木の梁を山型に組み合わせて建てる…それは、掌を合わせる「合掌」に見えることから“合掌造り”と呼ぶようになり、雪質が重い白川郷の自然環境に適した構造となっている。急勾配の屋根は雪下ろしの作業軽減もあるのだろうが、それにしてもよく造れるものだと感心し、散策は続く。

明善寺鐘楼門 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:07:24

道なりに進むと、明善寺の庫裏まで来たが、まだ開いておらず、入館するにはまだ早いので、先の鐘楼門、本堂の境内へ移動。境内と言っても雪に埋もれているので、どこまでの範囲が境内なのかも分からず、建物だけを頼りに向かう。
まず、道沿いにある鐘楼門。中々、味のある造りで、屋根は茅葺き構造、4本の柱に支え木で2本、計6本で支え、明善寺創建以来の建造物らしい。人足、1425人を要したと記されていることから、ここでも「結」の精神が生きづいている。大晦日には除夜の鐘でも鳴るのだろう…雪深い中での“ゆく年くる年”が想像でき、「風情あるなぁ~」と見上げる。
鐘楼門を潜り、本堂へ。本堂は屋根から落ちる雪除けのためか、本堂側面にビニールを張り付けて久を造り、その周りは雪が本堂を取り囲むように雪深い。
本堂は飛騨高山の国分寺の七重塔建立を手掛けたあの棟梁が建築。屋根はもちろん茅葺きで、こちらは9192人の人足であるというから、村総出で手伝ったに違いない。
本堂でお参り。雪の中でのお参りは、こうも厳粛な気分にさせる効果があるものなのかと、座禅をしたときの感覚に似ていて、スッキリした状態で次へ。

白川八幡神社 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:08:20

明善寺から表街道に出てきて、白川八幡神社へ。鳥居の先の境内は明善寺同様、積雪で境内の広さが分からない。本殿の他、2つの建造物が配され、とりあえずは手水舎で身を清める。
冷たすぎる水の“洗礼”を受け、周りの空気がこもっているかのような静けさの中、こちらも拝殿にビニールの囲いがしてあり、少しは暖かい空間でお参り。
白川八幡神社はネットによると、正確にはいつ創建されたのかは分からないが、かなり古い起源であるとのこと。歴史の記録に登場した最初は、17世紀に内ケ島の代わりに萩町を統治した武将の山下氏勝によって再建された時で、本殿の隣に建てられている釈迦堂も同じ時代で、神仏習合の名残が表されている。釈迦堂は寛永4年(1627)に山下氏によって建立されたが、山下氏が徳川家康から名古屋城築城の命を受けた際に、諸国の彫刻家に彫らせた阿弥陀、釈迦、日輪、月輪の4躰の像が山下家の氏神として崇敬されてきたと云われていて、この4躰が安置されているかどうかは、中を覗くことができないので分からないが、案内には“納められている”とあるので、安置されているのだろう釈迦堂にもお参り。
本殿の左隣には「神酒殿」という建造物もあり、そこで神社のお神酒が造られ、毎年10月14、15日に行われる「どぶろく祭り」が有名で、農業シーズンの終わりに収穫を神に感謝するための“祝い”の祭りで、当日は参拝者にもお神酒が振舞われるという。この祭りを前々から行きたいとは思っているのだが、タイミングが合わず、いつかまた訪れたいと願う。
積雪の中の境内…ネットの写真を見るまでは、境内の敷地が狭いと思っていたが、やはり雪の視覚効果は計り知れないと、この時期の冬景色を楽しむのでありました~

であい橋 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:09:13

白川八幡神社の社務所には、御朱印の郵送依頼は受け付けていないと貼紙があり、どぶろく祭りの時だけにしか頒布してないので、仕方がない。諦めて表街道へ移動し、道標に従い、次の目的地、「合掌造り民家園」へ行くため、庄川から西のエリアに架かる橋を渡る。
かなり長い吊り橋であるが、足元はコンクリート製で揺れも感じないほどに、足元が竦むほどの高さでもなく、快適に渡れる橋だが、人の多い観光地…大勢乗ったら…100人乗っても大丈夫…的なことなのだろうと、一休さんのように“気にしない~”と渡る。
周りの景色を眺め、“山河”とはこういう景色を言うのだろうと、素晴らしい景観を拝み、せせらぎ公園へと向かう。

合掌造り民家園(1) -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:10:12

広い駐車場には、観光バスからぞくぞくと降りてくるツアー客がいて、ツアーコンダクターが率いる団体がであい橋へと誘導し、その姿をしばらく見る。橋は大人数でも本当に大丈夫なのだろうかと…それにしても、外国人率が高い。この間、テレビのニュースで、札幌雪祭りのスタッフに雪玉を当て、どんな反応があるかを撮影していた外国人がいて、それを見ていた同じ外国人が注意し、その日本人スタッフを宥めていた動画を見たが、不愉快極まりない行為に腹が立つ。外国人のフォローがなければ、どうなっていたであろうかと。こういうマナーのない外国人(に限ったことではなく、日本人もそうだが…)は、その国のルールくらい学んでから来日して楽しんでいただきたいものだと思う。
…と、話が逸れてしまったが、駐車場から民家園へ向かう途中には、おみやげ屋やお食事処があり、まだ営業時間にもなっていないのでスルーして正門へ。
園内の受付で手続きを済ませ、傍らには長靴のレンタルなどの対応も充実していて、さっそく中へ。
合掌造り民家園は、かつて岐阜県と富山県の県境にあった馬狩集落はトヨタ自動車に買収され、加須良集落は昭和42年(1964)に集団離村したことにより消滅し、合掌造りなどの建造物をここ、白川郷に移築。全25棟他、水車小屋や神社など、当時の暮らしや文化をそのまま伝えている“野外博物館”と謳っている。
道順通り緩やかな坂を進むと、まずは“かたりべの館”と呼ばれる一般民家の合掌造りから失礼し、室内の1階はビデオ観賞、2階には養蚕の道具やレプリカ模型が展示、3階は大きな梁の骨組みが分かる“屋根裏部屋”…といっても、かなり広いスペースとなっているが、雪国で暮らす生活の知恵が垣間見える。

合掌造り民家園(2) -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:11:02

そんな合掌造りがいくつも配されている園内を廻り、凍った池の表面に雪が降りしきり湯気が出ている光景や、茅葺屋根に積もる雪の風景など、どこから切り取っても絵になる景色が拝め、中々良い雰囲気。
意外と人が少ない園内は、ゆったりと自分のペースで散策することができ、久から覗き込んで屋内に入れるかどうかを繰り返し、いつしか、“お休み処”という家屋に。
中に入ると、火の点いた囲炉裏をステージに、おばちゃんが「どうぞどうそ」ともてなしてくれ、ちょっとした軽食にぜんざいをお願いし、食す。やさしい味のぜんざいを味わい、ホッと一息。囲炉裏の火がより暖かさを増し、田舎風情の伝統が感じられる良さを体感。
その後も園内を散策し、静かなる冬景色を堪能するのでありました~

明善寺庫裏 -  モリゾーのひとり言

2025/05/16 (Fri) 11:12:09

民家園から来た道を戻り、であい橋では、来た時よりも多くの観光客がひっきりなしに往来している。白川郷界隈からもう一度、明善寺へ移動し、営業時間中の庫裏へ失礼し、受付を済ませる。
明善寺の縁起によると、延宝8年(1680)に白川村の本覚寺が真宗大谷派から本願寺派へと転化した際に、大谷派本山は阿弥陀如来と名号を取り上げて、村内の大谷派の門徒に与えた処置をする。元文元年(1736)、玄西が再び大谷派の寺院を創建したことにより、延享元年(1744)、本山より寺号を許されて明善寺と称すようになる。
そんな中で文化12年(1817)に庫裏は建立され、飛騨高山の棟梁や地方の村民の協力のもと、3年の歳月で完成したという。針や鎹(かすがい)を一切使わず、雪を落とすための60度に近い傾斜を保つ切妻屋根は、茅葺きで施し、合掌造りそのままの特徴を生かし、強固な建造物としての“郷土館”として残っている。
こちらの庫裏は白川郷の中でも、5階建ての最大のもので、檜の柱に焚火の煙で漆塗りのような光沢を放っているほどだと。
さっそく順路通り進み、2階以上、養蚕で使われた器具や農具が展示され、1つ1つ見学していく。内部の造りは民家園で見た合掌造りとほぼ同じ構造で、その雰囲気を楽しみ、1階へ移動し仏間へ。
阿弥陀如来さまにお参りし、堂内の障子の上に描かれた絵の数々。人間国宝(だったかな?)浜田泰介作のいろんな富士山の絵が描かれていて、一種のアトリエのように観賞。囲炉裏の居間へと移動し、小休止。四角い囲炉裏の周りに置かれた薄い座布団に座り、周りを見回す。
天井は煙が屋根裏まで届くようにスノコ状になっていて、煤でいぶされた梁や板間は黒く、住居の耐久性を高める生活の知恵があり、囲炉裏の上に吊ってある「火天(ひあま)」という板が、立ち昇る火の粉を遮断し、熱と煙を分散させる機能があることを知り、昔の人はよく考えているものだと感心する。
白川郷での生活は、豪雪に耐えられる先人たちからのアイデアによって引き継がれていることを内覧で知り、この囲炉裏の空間を肌で体感。白川郷の歴史を垣間見るのでありました~

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